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しもさんの「気になる一言」
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2011年03月29日(火)
募金貧乏・募金恐怖

東日本大震災以後、街全体は自粛ムード。
人が多く行き来するところは「義援金募金」の活動が並ぶ。
この傾向からシュミレーションすると、
せっかく、ある場所で義援金の募金をしたのに、
また違うところで「募金お願いしま〜す」と声を掛けられる。
狭い町内、出歩けば、必ず顔見知りに出会い、
「ごめんなさい、あちらに義援金を入れてきました」と
しっかり意思表示が出来なければ、またまた募金することに。(汗)
これが続くと「保険貧乏」ならぬ「募金貧乏」になる。
そのうち「募金箱」の前を通れなくなる「募金恐怖」が襲う。
半分、誇張して書いているけれど、半分は本音。
これから長期戦になるだろう「被災者支援活動」だからこそ、
街頭募金は、どこかで見切りを付けないと・・と思う。
みんなの善意が、しっかりと、そして長い間、集まる仕組みづくりを、
私たち、生かされた人たちが考えなければいけないのだろう。
これはブームでは終わってはいけないことだから。



2011年03月28日(月)
朝青龍「日本に募金を」モンゴルで呼び掛け

世界各国で、今回の震災に対して、募金活動が行われている。
有名なアーティストやスポーツ選手も、惜しみもなく・・・。
そんな中、私のアンテナに引っ掛かったのは、ある新聞の見出し。
「朝青龍『日本に募金を』モンゴルで呼び掛け」
大相撲の元横綱・朝青龍が、母国のモンゴルで
被災者へ向けた義援金を募る活動を開始しているとのこと。
一時代を築いた横綱を、日本人は、彼を袋だたきのようにして
引退させてしまった気がしていたので、心が痛んでいた。
しかし、彼は、そんなこととは関係なく、
人生の半分近くを過ごした「日本」に対して、応援している。
マスコミは、徹底的に彼を悪役にして、非難したにもかかわらず、
今度は、その美談を掲載する。
私には、その変わり身の早さに驚くばかりであるが、
これを私たちはどう捉えるか、とても大切なことだと思う。
どちらが本当の「朝青龍」なのか、今後の彼の行動で、
自分なりの判断基準を持ち、しっかり見極めたい。



2011年03月27日(日)
スポーツショウ行進曲 (古関裕而(ゆうじ))

東日本大震災チャリティコンサートに参加した。
演奏者は「亀工房」(ハンマーダルシマー&ギターのデュオ)の夫妻、
わざわざ、長野から駆けつけてくれたという。
14曲にも及ぶ演奏プログラムの中に
「スポーツショウ行進曲(古関ゆうじ)」の文字を見つけ、
もしや・・と思っていたら、私の想像どおりの曲であった。
そう、NHKプロ野球や全国高等学校野球選手権大会など、
NHKで放送されるスポーツ中継番組のオープニングテーマ曲。
彼らは、この選曲を、演奏前にこう説明している。
この曲の作曲者・古関裕而さんは、福島県出身であり、
いわき市に演奏で招かれると、必ずリクエストされる曲だという。
だからこそ、復興支援に繋がるチャリティコンサートである今日は
この曲に祈りを込めて演奏したい、という気持ちが伝わってきた。
帰宅後、インターネットで調べてみると、
古関裕而さんは、驚くほど多くの応援歌、行進曲の作曲を手がけている。
早稲田大学第一応援歌「紺碧の空」、慶應義塾大学応援歌「我ぞ覇者」、
全国高等学校野球選手権大会の大会歌「栄冠は君に輝く」、
阪神の応援歌「六甲颪」、ジャイアンツの応援歌「闘魂こめて」、
東京五輪のオリンピックマーチなど、今までに何度も耳にした曲ばかり。
これら「応援歌」や「行進曲」は、なぜか涙を誘うほど、毅然としている。
東北地方の被災者にエールを贈る曲として、私はこれらの曲を推薦したい。



2011年03月26日(土)
頑張らなくてもいいから、くじけないでね

被災者に向けて、いろいろなメッセージが発せられている。
私なりに、じっくり考えた結果、このフレーズとした。
「頑張らなくてもいいから、くじけないでね」
「くじける」とは、勢いや意欲がそがれること。
だから、復興を信じて、生きる意欲だけは失わないで、と伝えたい。
実は、昨年、義母が亡くなる前に、私の娘が病床の祖母に掛けた台詞、
「頑張らなくてもいいから、負けないでね」が記憶に残っていて、
この時の気持ちと同じだな、と感じていたので、
どうしても被災者に「頑張って」というフレーズが使えなかった。
被災した彼ら彼女らは、たぶん、私の予想以上に頑張っている。
だから、もうこれ以上、頑張らなくていいよ・・の気持ちが強かった。
これからも「頑張って」より「負けないで」「くじけないで」を使いたい。

最後に、インターネットで見つけた、
99歳の詩人・柴田トヨさんが被災者に宛てたメッセージをご紹介。
被災者の皆様に (改行や行間を詰めてしまいました。ごめんなさい)
あぁ なんということでしょう
テレビを見ながら 唯(ただ)手をあわすばかりです
皆様の心の中は今も余震がきて
傷痕(きずあと)がさらに深くなっていると思います
その傷痕に 薬を塗ってあげたい 人間誰しもの気持ちです
私もできることはないだろうか? 考えます
もうすぐ百歳になる私 天国に行く日も近いでしょう
その時は 日射(ひざ)しとなり そよ風になって 皆様を応援します
これから 辛い日々が続くでしょうが 朝はかならず やってきます
くじけないで!



2011年03月25日(金)
計画停電の「傾向」と「対策」

「計画停電」は、予定が立たないと大声で叫ぶ人がいるけれど、
誰が考えたって、同じパターンの繰り返しなのだから、
今の計画を繰り返すなら、1年先でも「停電時間」は予測できる。
言い換えれば、1日のうち「3時間だけ」が停電であって、
残りの21時間は、今までと変わらない、と考えれば良い。
勿論、事前の準備や後処理に時間が必要になるけれど、
それでも、一日中、停電というわけではないので、我慢できそうだ。
集まった「計画停電」のデータから、その「傾向」を分析し、
今後に向けてシュミレーションをしてみれば、
「対策」も立てやすいというものである。
「傾向と対策」・・受験生の得意とするところだったな。
ただし、私が心配しているのは、商売をしている人たち。
特に、飲食業を営んでいる人たちは、どうすればいいのか。
「傾向」はわかってきたが「対策」が思い浮かばないから。
職業にあった「傾向と対策」、そろそろ考えないとなぁ。



2011年03月24日(木)
衣食足らずとも、礼節を知る

最近、この震災を体験して発見した、日本人の定義かもしれない。
今までのお馴染みは「衣食足りて、礼節を知る」。
辞書を引くと(「管子」牧民の「倉廩(そうりん)実(み)ちて則ち礼節を知り、
衣食足りて則ち栄辱(えいじょく)を知る」から)
人は、物質的に不自由がなくなって、
初めて礼儀に心を向ける余裕ができてくる。衣食足りて栄辱を知る。
しかし、衣食が足りなくとも、配給の水や食料を、暴動が起きることもなく
長い列を待ち続けている、東北の避難者の姿を見ると、
日本人は、物質的に不自由でも、礼儀に心を向ける行動が出来ることを
証明したことにならないだろうか。
言い換えれば、中国数千年の歴史を超えた、瞬間とも言える。
地震や原発の災害に同情をしながらも、
日本人の「礼節」に対する行動に、驚いた国々は、多いに違いない。
だから、私たちは「日本人」としての「誇り」を大切にしたい。
これは、事業仕分けで、効果が薄いと判断されがちな、教育の分野である。
教育の成果は、時間がかかるけれど、こんな非常事態になってこそ、
その成果は発揮されることを、実感しただろう。
中国は「衣食足りて、礼節を知る」、
しかし、日本は「衣食足らずとも、礼節を知る」。
どうだ、参ったか!



2011年03月23日(水)
OKY

職場の後輩に教わった「OKY」。
さて、どんな言葉の略語か、わかるだろうか。
「KY」が「空気読めない」の略だから、
「OKY」は「おい、空気読めよ、かな?」と答えたら、
当然、間違いだった。(汗)
正解は「おまえ、来て、やってみろ」
言葉としては、けっこうきついな、と思いながらも、
思わず、吹き出してしまった。
机上で仕事している人には、最前線のことはわからない。
これは、現場最前線の状況を知らない人たちが指揮をしたから
第二次世界大戦も負けたんだ、という論理に近い。
東電の計画停電なども始め「では、これで」と提示される条件に、
驚かされることが多い世の中であるが、
そんな時は、胸の中で、この「「OKY」を口にしてみたい。
それだけで、私は、意外と単純に、スッキリする。(汗)
ただこればかりは、実際、口にしても意味がない。
「おまえたちには、この条件では絶対できっこない」
という自信で、こう呟かせるのだから。

PS.菅総理へ。悪天候だから、被災地視察中止ではなく、
悪天候だからこそ、被災者や最前線で働く人に声をかけて下さい。



2011年03月22日(火)
こだまでしょうか。 いいえ、枝野です。

こんな時期に、不謹慎だとは思いますが、毎日、毎回、
今回の東日本大震災の評論家になってしまっている自分に対して、
ちょっと反省を込めて、私らしい「気になる一言」を選んでみた。
何十年後に、そういえば、こんなことがあったなぁ、と
記憶を呼び戻す「メモリーペグ」(記憶の鍵)として、読者にご紹介。
題材は、もう国民のほとんどが覚えてしまったCMの1つ。
金子みすゞさんの詩なんだけど、以下・・そのパロディ。
「大丈夫?」っていうと、「大丈夫」っていう。
「漏れてない?」っていうと、「漏れてない」っていう。
「安全?」っていうと、「安全」っていう。
そうして、あとでこわくなって、
「でも本当はちょっと漏れてる?」っていうと、
「ちょっと漏れてる」っていう。
こだまでしょうか。 いいえ、枝野です。(以上)
誰が作ったのか知らないけれど、なんとなく川柳のセンスがあるし、
ちょっと政府を皮肉って、福島第1原発の事故を表現している。
お願いだから、菅総理の名前が出てこないのは?って、訊かないでね。



2011年03月21日(月)
テレビをつけっぱなしにしない

今、私が実践していることの1つ。
それが「テレビをつけっぱなしにしない」。
勿論、情報を収集することは大切なことだけれど、
必要以上に、被災地の映像をみていると、辛くなって、悲しくなって
自分の心に負荷がかかっていることを感じたから、消してみた。
そう言えば、先日「ACジャパン(旧公共広告機構)」のCM大量放送に
視聴者から抗議が殺到したらしい。
「こころづかい」「思いやり」のないAC広告、とまで批判された。
いい話も、何度も耳にすると、イライラするのが人間だから、
抗議するくらいなら、みなければいいのに・・と素直に思う。
被災地の状況に目を背けるという意味ではなく、
その被災状況や悲報の数々が、私たちの潜在能力に記憶され、
自分がその状況に置かれていると脳が感じてしまい、
精神的な疲れで、体調を崩してしまうこともあり得るからだ。
全国の人たちが、テレビをつけっぱなしにすることは、
「節電対策」にはならないだろうし・・。
時には、テレビを消し、今、自分が生かされている意味を考えてみる。
そして、自分の役割に気付いたら、何か実践してみるといい。
テレビなんて、観ている暇がなくなるから。



2011年03月20日(日)
金出せ!知恵出せ!力出せ!元気出せ!

松山千春さんが、震災後にラジオで語った台詞らしい。
「金がある奴は金を出そう。知恵がある奴は知恵を出そう。
力がある奴は力を出そう。
『自分は何にも出せないよ・・』っていう奴は元気出せ」
最後の「元気だせ」が、私のアンテナに引っ掛かった。
講演会などで、よく耳にするフレーズは、
「知恵がある人は『知恵』を出し、知恵がない人は『金』をだせ、
そして、両方ともない人は『汗』を出せ」で、
みんなどれかを出して、まちづくりに参加しよう、となる。
しかし、今回は、その上をいって
「何にもない人は『元気』を出せ」というのが新鮮であった。
被災者を応援するべき私たちの「元気」がなくなっては、
日本全体が沈没してしまう、そう感じていたから、メモをした。
東電の計画停電などで、その「元気」さえも、失われつつある。
今回の被災者が「復旧」から「復興」へ移ろうとする時、
そのお手伝いをするのは、間違いなく私たちなのだから、
「自粛」ばかりせずに、応援団が「元気」になるイベントも
開催しなくては・・と思う、今日この頃である。