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しもさんの「気になる一言」
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2011年01月28日(金)
水を飲まなくても、がっかりしないこと

飲みながら、自分の役割について話した。
(飲まなければ、話せないわけじゃないけど・・)
先輩が「自分は、牛を川へ連れて行くだけだよ」と呟いた。
これって、たしか・・空手・大山倍達さんの語録。
インターネットで調べたら「牛を川まで連れて行くには人の役目。
水を飲む飲まないは牛自身の問題だ」であった。
「馬を水辺に連れて行くことはできるが水を飲ませることはできない」
気の進まないものを、他人が無理に動かそうとしてもむだである、
ということ。英語で言うと、
You may take a horse to the water, but you can't make him drink.
言い換えれば、アドバイスするのは、管理職や先輩の仕事。
それを実行するかどうかは、本人の仕事・・というわけだ。
これからも、私の出来る限り、川へは連れて行こうと思う。
あとは・・自分で考え、飲むかどうかだから。
ここでのポイントは「水を飲まなくても、がっかりしないこと」
「せっかく、連れてきてやったのに・・」と思わないことだな。



2011年01月27日(木)
もっと「手紙を書く刻(とき)」を大切にしたい

書籍「夢の続き」(吉永小百合著・世界文化社刊・178頁)から。
「家庭画報」好評連載のフォトエッセイ集らしいが、
やっぱり、私は「吉永小百合」さんが好きだなぁ、と
再認識した書籍であった。
顔立ちが好き、というのではなく、(もちろん美人ですが)
生き方や考え方が、自分の中にすっと入ってくる感じがする。
平和を愛し、詩、手紙、着物、映画、スポーツが大好き。
これだけでも、私との共通点は溢れている。
その中で、特に私が共感し、選んだのは
「手紙を想いを込めて書きたいと思っています」の前に綴られた
「もっと『手紙を書く刻(とき)』を大切にしたい」というフレーズ。
手紙を書く、投函する。そして返信が届く。待っている間の想い・・
そんなものが、直筆の手紙には、詰まっているからだろう。
「刻」とは、きざむこと、ほりつけること。
わざわざ「時」の字を使わず「刻」を用いた「とき」は、
手紙を書く時間だけでなく、その環境も含めていると感じたからだ。
手紙の相手のことを頭に浮かべ、2人だけの距離感で書き綴る。
こんな時間をもっともっと持てる人に、なりたいと思う。



2011年01月26日(水)
クーラーは「文明」、打ち水・風鈴は「文化」

落語家・桂米助さんと酒を交え、話をする機会に恵まれた。
宴が和み、「文化と文明の違いについて」が話題になったが、
誰一人、短いフレーズで同席の人を納得させるまでには、
なかなかいかない。そんな時、彼が、いとも簡単に呟いた。
暑くジメジメしている時、
クーラーで解決しようとするのは「文明」、
打ち水や風鈴などで解決しようとするのは「文化」。
そんなような事を、さらっと言った。
(アルコールが入っていたので、正確ではありませんが・・)
落語には、そういうシーンが沢山出てくる。
だから、落語の世界を目指すこんな若い人たちでも、
それくらいのことは知っている・・と笑ってみせた。
あらためて「落語」の奥深さを教えてもらった気がする。
長屋の八っあんでも、知ってらぁ・・ってことかな。(汗)



2011年01月25日(火)
準備しておかないとこうなるってね

映画「ダイ・ハード4.0」(レン・ワイズマン監督)から。
今回選んだ気になる一言は、残念ながら、
ブルース・ウィリス演ずる、ジョン・マクレーンの台詞ではない。
アメリカ東海岸の交通、通信、金融の各システムを麻痺させた、
サイバーテロの犯人の台詞である。
その動機が、とても気になった。それがこのフレーズ。
正確には、もう少し長い。
「俺は上に忠告した。準備しておかないとこうなるってね。
でも感謝されず、苦痛を与えられた。一切、話を聴かずに・・」
これが、大きな事件へと繋がっていく。
自分は、国のために、セキュリティが甘いことを指摘。
それを、いとも簡単に無視された。
だから、自分が正しかったことを認めさせたくなってテロを・・。
犯人の気持ちが、なんとなくわかる気がしたから、不思議である。
「俺が壊したものは、すべて元通りになる。国が正義を示せばな」
この台詞が、犯人の気持ちなんだろうな、きっと。



2011年01月24日(月)
子どもたちの反応で、学校の偏差値がわかる

わが町の文化芸術活動促進事業のひとつである、
泉のまち古典芸能鑑賞会「第二回地域交流センター寄席」
今回の主役は、落語家・桂米助さん。
巷では「突撃! 隣の晩ごはん」のレポーターで有名であるが、
やはり本業の落語も天下一品であった。
役得で申し訳ないが、寄席の後、関係者で食事会を催し、
その末席に参加させていただき、日頃の活動を伺った。
落語から日本文化の話、江戸の環境問題、日本の教育制度まで、
ありとあらゆる分野に、自分の考えを持っていて驚かされた。
最近では「学校でも寄席を開催するらしいですね」と訊ねると、
「子どもたちの反応で、学校の偏差値がわかる」と言う。
あれ?今日はやけに受けるなぁ(笑うなぁ)?と思うと、
東大に毎年何人も受かっている進学校というケースが多い。
これは「落語の面白さがわかるということは、頭が柔らかい」
「どこにこの話の面白さが詰まっているのか、理解できる」
そんなところに行き着くのだろう。
落語は単なる笑い話ではない。日本の文化が詰まっている。
そう、私たちに伝えたかったのではないだろうか。



2011年01月23日(日)
調子がいい時は、尺八が柔らかく感じる

わが町自慢の「泉のまちコンサート」。
今回は「第261回、宮崎青畝(せいほ)新春尺八コンサート
(日本の伝統楽器・尺八の世界に誘う)」から、気になる一言。
曲と曲の合間に呟く、演奏者の呟きが、私にはたまらない。
「長年吹いていると煮詰まってきますねぇ」と嘆き、
「調子がいい時は、尺八が柔らかく感じるし、
悪い時は、硬く重たく感じる」など、感覚的なコメント。
さらに「日本は一つの音色にこだわっているが、
西洋は、どんな楽器でも合奏できるようにしている」など、
なるほどなぁ、と思うこともしばしば。
たしかに「尺八」「お琴」「和太鼓」「三味線」などの合奏は、
あまり聴いたことがない。
「一つの楽器の音(一つの音色)をじっくり聴く」ことにより、
「わび・さび」を感じるのかもしれない。
今年は、知らず知らずに「日本文化」で溢れる一年になりそうだ。
これまた、楽しみである。



2011年01月22日(土)
自分たちの発言が原因とは考えないのか?

久しぶりに私のボヤキである。
地元新聞に「タイガーマスク現象、寄付ぱったり」の見出し。
さらに「県内一過性の兆し」のサブタイトル。
記事には、複数の児童養護施設長や職員のコメント。
「一過性で終わるのはさみしい」
「ブームが少し落ち着いたのかな」
「継続性があると思ったが、やはり一時的なものだったのかも」
様々な分析をしているが、私は、あきれてこの記事を読んだ。
今回の寄付運動が止まったのは明らかに原因がある、と思う。
「何が必要か、事前に施設に問い合わせを」という内容の
「お礼とお願い」を児童養護施設協会が
WEBサイトにコメントした時点から、止まった気がする。
「ランドセルは、もう全部準備してあるから、実費の方が嬉しかった」
そうコメントした施設もあるようだ。
「無償の善意」に注文を付けることも信じられないし、
「お礼を言いたいから、名を名乗って欲しい」という視点も
「善意」に対して、何か勘違いをしていると言えないか。
せっかく温かい気持ちになった「子供のために、という気持ち」を
「タイガーマスク運動」から「タイガーマスクブーム」にしたのは
自分たちの発言が原因とは考えないのか?
この人たちで、子供たちに「善意」を教えられるのだろうか。
「善意」とは「他人のためを思う親切心。好意。」のことである。



2011年01月21日(金)
思いやりの症状が まんえんすればいい

一週間前、地元新聞に投稿したのですが、
採用されなかったみたいなので「気になる一言」に登場です。
(自分では、お気に入りだったので、申し訳ない・・)以下、本文。

今、日本全国で温かい気持ちが広がっているが、
私は「白寿の詩人、柴田トヨさん」の詩を思い出していた。
タイトルは「流行」
「世界の何処かで 今も 戦争が起こっている
 日本の何処かで いじめも起きている
 やさしさの インフルエンザが 流行しないかしら
 思いやりの症状が まんえんすればいい」
今年100歳になられる彼女は、90歳を過ぎてから詩を書き始めたというが、
その想いが、日本国民に通じたのだろうか。
今年は、寒波・大雪などの影響で、気温は例年より寒いのかもしれないが、
「新型インフルエンザ」の脅威にさらされた、一昨年の冬と比べると、
毎朝、新聞を開いて、全国の「タイガーマスク運動」を知ることで、
なぜか温かい気持ちとなって、寒空に向かって歩き出すこともできる。
久しぶりに「日本人」としての「誇り」を感じる日々、
私の願いは「匿名」を名乗る人たちを、あえて詮索しないで欲しい。
また、これに便乗したビジネスや、茶化した悪戯が起こらないことを願いたい。
さらに、今回の動きを「一過性のブーム」だと解説する人たちもいるが、
そんな分析さえ耳にしたくない。
「やさしさのインフルエンザ」、是非、日本国中に広がって欲しい。



2011年01月20日(木)
教育は、お金と時間がかかる

多くの教育者が口を揃えたように使うフレーズなのに、
その思いは、お金と時間を掌握している人たちに伝わらず、
少ない費用で、多くの成果が求められる「教育現場」。
「米百俵」の話題は、単なるブームだったのか、
教育の大切さを、国民みんなで確認したのではなかったのか、
そんな感情が、私を襲うときがある。(汗)
「日本」という国に生まれ、学ぼうとする意欲さえあれば、
いくらでも学べる教育環境があるにもかかわらず、
大人も子どもも、ゲームなどに夢中になり、
1回ごとの得点(成果)に、一喜一憂している気がする。
うまくいかなければ、リセットボタンを押して、
もう一度、最初から・・というパターンを繰り返し、
時間をかけて積み上げていくという作業は、どこへやら。
「教育は、お金と時間がかかる」
この考え方を前提に「教育」に望まないと、
取り返しがつかないことになると思う。
政治の混乱も、社会の不安も、お金にこだわって、
短時間に成果を求めている結果ではないのか。
「教育」を最優先にしようとする、政治家・政党は、
現れないものだろうか。



2011年01月19日(水)
あなたが私を変えたのよ

映画「プリティ・ウーマン」(ゲイリー・マーシャル監督)から。
若い頃、ドキドキしながら観た、お気に入り映画の中の1つ。
なぜかもう一度、観たくなって、DVDを購入した。
現代版「シンデレラストーリー」は、何歳になっても、男心をくすぐる。
未婚なら、リチャード・ギアのような女性の接し方に憧れるだろうし、
既婚の現在は「深入りは出来ないけれど・・」と前置きをして、
宝石の原石のような女性を、自分で磨いて輝かせたい、
そんな欲求にさせる映画でもある。
私が女性に言われてみたい台詞のベストワンは、
(素敵に、魅力的に・・)「あなたが私を変えたのよ」。
この台詞を、物語の後半に耳にし、慌ててメモをした。
若い頃には、あまり意識してなかった台詞かもしれないのだけど。
「あしながおじさん」的に、影(資金援助)で支えるのもいいけれど、
どうせなら、映画やコンサート、美術品の芸術鑑賞など
いろいろな分野を、一緒に行動し、多くの刺激を受けながら
どんどん輝いていく女性を眺めていたい、と思うからだろう。
まぁ、52歳過ぎのおじさんの戯言として、聞き流して欲しいが、
磨いて輝いたら、手放したくなくなるんだろうなぁ、きっと。(汗)
「美しい宝は手放すのが辛いものです」