
|
 |
| 2010年08月21日(土) ■ |
 |
| あっ、そうか、水に関係しますものね |
 |
明日の「京大交響楽団演奏会」を前に、 夕方から、私の拙い説明で、柿田川公園を案内した。 京大生とはいえ、湧き間を観ては驚き、 川の透明さに歓声を上げる、ごく普通の大学生。(って感じ) 親水ゾーンでは、迷わず裸足になり、足をつけて喜ぶ。 その冷たさに皆が「つめた〜い」を連発し、 私は案内して良かったな、とひとりでほくそ笑んでいた。 その途中、公園の中にある「貴船神社」を紹介した時のこと、 「この神社は、京都の貴船神社と・・」と口にした途端、 「あっ、そうか、水に関係しますものね」と 間髪入れずに答えた学生がいて、今度はこちらが驚いた。 貴船神社は、鞍馬山の西ノ谷に流れる貴船川沿いの小さな神社。 水神を祀る社(やしろ)として日本の代表格で、 分祀が全国に500社ほどある奈良朝時代創建の古寺、なのだが、 いとも簡単に「水」と「柿田川」を結びつける頭の回転の速さに、 質問の途中で答えてしまう「京大出身の宇治原先輩」を思い出してた。 彼らの第一印象は、非常に礼儀正しい。(それもワザとらしくないから) こんな若者たちが100人以上集まって演奏すると、 どんな曲になるのだろう、明日がとっても楽しみである。
|
| 2010年08月20日(金) ■ |
 |
| 金曜の 夜は静かに 酒を飲む |
 |
ある学校の校長先生が作った川柳である。 全国の投稿誌に掲載されたらしい。 思わず、ニヤ・・となる表現が川柳の楽しみ方だとすると、 まさしく、この句は、わかる人にはわかる、という句である。 「金曜の 夜は静かに 酒を飲む」 解釈は、いろいろできるが、私の場合・・ 平日、仕事のつきあいで、複数の人たちと飲む機会が多いが、 金曜日の夜は、一週間の自分を振り返りながら、 (朝から晩まで頑張ってきた、自分を誉めながら) 好きな場所で、好きなお酒を、ひとり静かに飲みたいな、 そんな気持ちとタブって、思わず、ニヤ・・となった。 たぶん、作者の意図は違うだろうが、 「読者には、誤読する権利がある」というフレーズを思い出し 私なりに、この句を楽しんだ。(笑) 結局は、今週の金曜日も、作者の校長先生を始め、 大勢でワイワイと飲んで、楽しい時間を過ごして深夜に帰宅。 だから、この句が面白いんだろうなぁ。
|
| 2010年08月19日(木) ■ |
 |
| 岡田監督、解説者に |
 |
朝早くから静岡出張だったので、 朝刊をサラッと斜め読みし、駅に向かった。 座席を確保して、携帯電話でニュースを表示したら 気になる一言のフレーズ「岡田監督、解説者に」の文字。 「岡田監督」と言えば、私は「オリックスの岡田監督」。 サッカーの日本代表監督なんて、思いもよらなかったから、 どうしてシーズン途中で「解説者」になるんだろう、の疑問を抱き 見出しから詳細を読むことにしたら、勘違いと判った。 逆に「岡田監督」と言えば「プロ野球の岡田監督なんて知らない」、 そう言い返す若者もいるだろう。それはそれでいい。 私が言いたいのは、マスコミの役割として、 省略し過ぎて、意味が伝わらなかったら意味がない・・と言うこと。 影響力の強いインターネットのトピックスだからこそ、 敢えて、苦言を呈したい。 以前、言葉の乱れで「男同士が結婚」することに・・と書いた。 「ヤクルト若手2人が結婚!」 「ヤクルトは23日、川本良平捕手(24)と 松井光介投手(28)が結婚したと発表した」の見出しに、 クレームをつけたのだが、全然、変化は見られない。 また、心を鬼にして、投書するしかないのかなぁ。
|
| 2010年08月18日(水) ■ |
 |
| 学生野球は遊びではない、教育だ |
 |
映画「ラストゲーム 最後の早慶戦」(神山征二郎監督)から。 なぜ、涙が出てくるのか、わからなかった。 単に、早稲田と慶応の多くの男子学生たちが、 相手チームの校歌や応援歌を歌うだけのシーンで・・。 主役は、もちろんプレイしている選手たちであるが、 それを精一杯応援している学ラン姿の青年たちに、 うまく表現できないが、胸が熱くなった。 それをメモした台詞から選ぶと、 「学生野球は遊びではない、教育だ」に辿り着く。 中学も高校も大学も、学生野球と呼ばれる野球を観戦すると、 その意味がはっきりわかる。 利益を意識した企業や政治とは、無関係のところで、 野球というスポーツを通じて、それに関わる人たちが いろいろなシーンで学んでいく。まさしく教育だ。 早稲田・慶応の出身でもないのに、一緒に心の中で歌った。 この試合の後、選手も、観覧席で応援していた学生たちも、 戦地に赴く。 涙が止まらなかった理由が、わかってきた気がする。
PS. 早稲田学生は「早慶戦」、慶応学生は「慶早戦」(笑)
|
| 2010年08月17日(火) ■ |
 |
| 義理を欠く・人情を欠く・恥を掻く |
 |
「義理を欠く・人情を欠く・恥を掻く」 この三拍子揃った人間を「さんかくやろう」と言う。 そう、八木節に登場する「三角野郎」の事である。 この知識は、日曜日の夕食前に、ビール片手に観ていた 「ちびまるこちゃん」で知ったから、メモをした。 その八木節、インターネットで調べたら 「ハァーまたも出ました三角野郎が 四角四面の櫓の上で 音頭取るとはお恐れながら 国の訛りや言葉の違い お許しなさればオオイサネー」 まるこちゃんの父・ひろしが、町内のお祭りで やぐらの上で大きな太鼓を打つことになった。 誘われ方が「さんかくやろう」だから・・と自慢していたが、 その意味を知って、憤慨した場面が可笑しかった。 褒め言葉じゃなかった・・ってところが、私としては面白い。 この知識、またどこかの飲み会で使おうっと・・。 「よっ、この三角野郎」なんて、声を掛けちゃおうかなぁ。 「四角四面のつまらない奴じゃないってことだよ・・」なんて 勝手に意味つけちゃえば、本人にはわかんないから・・(笑)
|
| 2010年08月16日(月) ■ |
 |
| 学問がなかったのは、この国です |
 |
毎年、何かのイベントのように、終戦記念日に合わせて、 戦争をテーマにしたテレビ番組が放送され、 多くの国民が、心を揺さぶられているはずである。 私も個人的には、涙することが多くなってきた。 その度に、感動した言葉のメモは溢れるが、 気になることも増えている。 大河ドラマ「龍馬伝」(明治維新の頃)より、 ずっとあとの出来事である「第二次世界大戦」を 私たちは、真剣に学ぼうとしていない気がする。 そのやるせない気持ちを、言葉として残すとしたら、 NHKスペシャル(終戦特集ドラマ)15歳の志願兵」の ワンシーンからのメモ。 内容を説明するつもりはないが、この台詞が記憶に残った。 「私に学問がなかったから、 愛する息子の気持ちを察してあげられなかった」と涙する 友人の母に、主人公は、首を振りながら、こう呟く。 「学問がなかったのは、この国です」 この国に、学問があったら、こんな戦争にはならなかった。 私には、そう聞こえて仕方がない。 この日が過ぎれば、もう戦争の話は、また1年後。 本当に、これでいいのだろうか。
|
| 2010年08月15日(日) ■ |
 |
| 思うように甘みが出なかったので半額です |
 |
夏のこの時期、恒例となりつつある、 親友たち(夫婦)との、ブルーベリー狩り。 (場所は、裾野市・菅沼農園ブルーベリー摘み取り) 今日は天気が崩れ、今年の夏の特徴でもある「酷暑」でもなく、 心配した日焼けはしないで済んだ。(笑) さて、今回の気になる一言は、受付をしようとしたら、 料金案内に書かれていたフレーズの一部。 (しっかりメモしなかったので、原文ではないけれど・・) 「今年は、少し農法を変えてみたのですが、 思うように甘みが出なかったから、入園料も料金も半額です」 そんな内容のお知らせだったから、私のアンテナに引っ掛かった。 「自然のものだから、仕方ないよね」と考えた私たち(消費者)。 「出来映えに納得ができないから」と考えた生産者。 (それも7月下旬の話、現在は甘さが戻っているのに・・) もし仮に「今年は、天候不順で思うようにできなかったから、 料金が少し高くなります」・・と書かれてあっても、 ブルーベリー狩りを楽しみにきたので納得しただろう、私たち。 だからこそ、その逆のお知らせに、私たちは驚きながらも、 生産者のこだわり、生産者の熱い想いが伝わってきて、嬉しかった。 私にできることは、こういう素敵な生産者を紹介しながら、 彼らの農業を、少しでも支えていくことなんだろうなぁ。
|
| 2010年08月14日(土) ■ |
 |
| 違いを認め合うときに、思いやりが生まれる |
 |
書籍「おとうさんはウルトラマン・おとうさんの育児書」 (宮西達也著、学習研究社刊)から。 私の日記に何度も登場してくる、地元の先輩、 「絵本作家・宮西達也」さんの育児論。 彼は、父親。母親、ふたりで育児をするのは賛成だが、 役割分担をせず、両親ともに同じ視点で子育てをしていると 過保護になるケースが多い、と警鐘を鳴らしている。 お父さんが二人、お母さんが二人ではうまくいかない、と 言うことなのだろう。 「違いを認め合うときに、思いやりが生まれる。」 「家庭で、子どもに思いやりの心を育てるには、 夫婦の違いを認め合って役割分担をする。 そして、思いやりの態度を、 親が子どもに自ら見せていかなければならない。 こどもが、おとうさん、おかあさん、というとらえ方が しっかり出来る家庭に、思いやりの心を持った子どもが 育つんだと思います」という部分をメモしながら、 男女共同参画の話で使わせてもらおう、と思った。 「違いを認め合う」・・これが一番大切である。
|
| 2010年08月13日(金) ■ |
 |
| 映画と演劇の違いは「立体感」「一体感」と「メモできず」 |
 |
劇団四季の「マンマ・ミーア」静岡公演を振り返って、 映画と演劇(ミュージカル)、こんなに違うものか、と驚いた。 書籍と映画って、けっこう似ているところがあるけれど、 映画と演劇って、大きく違うことに気がついた。 演劇は舞台全体を使って奥行きのある「立体感」を感じるし、 場面場面でのタイミングよい拍手や、舞台が終えてからの 出演者が、何度も何度も登場するカーテンコールで味わう、 出演者と観客との「一体感」。 これは、けっして映画にはないことなのだろうと思う。 (マイケルジャクソンの「this is it」は例外だけど・・) 私としては、もうひとつ大きな違いがある。 映画では、暗闇でも出来る「メモ」がとれない。(笑) それだけ、舞台に吸い込まれているのかもしれないが、 演劇を観ながら、メモするのが恥ずかしかったとも言える。 この違い、メモに残すとしたら、 映画と演劇の違いは「立体感」「一体感」と「メモできず」かな。
|
| 2010年08月12日(木) ■ |
 |
| 公式見解は、帰ったことになっている |
 |
先日、飲み会の1次会を終えて、帰ったはずのメンバーが、 また3次会の場所に現れた。 「あれっ、用事があって帰ったんじゃなかったの?」と 問い正す仲間を制して、彼はこう言った。 「公式見解は、帰ったことになっている」(笑) 理由は知らないし、追求するつもりもない。 ただ、その「公式見解」という単語が面白くてメモをした。 たぶん、使い方は「公式の見解」 辞書によれば「公式」とは、おおやけに定められた形式。 また、公的な手続きを踏んで物事を行うこと。 「見解」とは、 物事に対する考え方や価値判断。 「ばいばい」と手を振って別れたとなれば、 その仲間からは、帰ったことと判断される。 公式には「2次会にはいかないよ」という意思表示した。 それなのに・・また現れた。それがとても面白い。 もちろん、他の仲間には内緒にしててね、と口止め付き。 こんな台詞がさらっと口から出ることが、楽しいんだよなぁ。 家に帰りたくないのか・・と皆に冷やかされながら。
|
|