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しもさんの「気になる一言」
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2010年07月02日(金)
「目が げっぷしちゃう」ってかんじ

絵本「ピンクがすきってきめないで」(ナタリー・オンス(文)、
イリヤ・グリーン(絵)、ときありえ(訳)・講談社刊)から。
(女の子だから)ピンクが好き・・って決めないで。
タイトルから「女らしく、男らしく」の意味に疑問を投げかけ、
女の子が男の子の好きそうなものを欲しがっても、
男の子が女の子の好きそうなものを欲しがってもいいでしょ、と
読者の私たちに訴えかける。
そう「大人」の人たちが決めた、男の子らしい、女の子らしい、
から外れた子どもたちは「変わっている」と枠をはめる、
「どうしてダメなの?」と訊ねられて
「そうなっているから」と答える場面が印象的だった。
今、流行の「性同一性障害」ではなく、
単に、女の子なのに怪獣が好き、男の子なのに人形が好き。
それだけのことなのに、大人は理解しようとしてくれない。
どれだけ、ピンクがイヤなのか、うまい表現を見つけた。
「ピンクっぽいものばっかり みていると、
『目が げっぷしちゃう』って感じ。」
女の子のまわりには、おひめさまやきらきらしたもの、
ひらひらしたものが多いか、このフレーズでわかる。
この「げっぷしちゃう」という言い方、応用はいくらでも出来る。
「愚痴ばかり聞いていると、耳が、げっぷしちゃう」
なんて使い方でもいいのかもしれない。(汗)



2010年07月01日(木)
母さんはどんな気持ちで俺を育てたんだろう

映画「おまえうまそうだな」(藤森雅也監督)から。
原作は、清水町出身、私の2学年先輩の宮西達也さん。
もちろん、全体のストーリーには触れないが、
肉食系の恐竜が、草食系の恐竜に育てられるが、時が過ぎ、
今度は肉食系の恐竜が、草食系の恐竜を育てる立場となる。
立場が変わって、いろいろな子育てに悩むシーンがある。
本来なら、育つ環境にない子どもを必死に守りながら・・。
そこで、ぼそっと呟く。
「母さんはどんな気持ちで俺を育てたんだろう」
親になって、初めて親のありがたみが理解できることを、
台詞を変えて、表現している気がした。
苦労して育ててもらったことを知れば知るほど、
巷で騒がれている、ネグレクトも含めた児童虐待は、
なくなるはずなのに・・と心の中で感じている。
それに気付かせることが、今の世の中には必要だろう。
この映画は、そんな役割も持っている気がする。
映画を媒体に「家庭教育」が出来るなんて・・最高。



2010年06月30日(水)
和歌山ローリガンズ

サッカーW杯観戦で、ここまで一番印象に残っているのは
「和歌山のデンマーク応援団」であった。
「決勝トーナメント進出を掛けた大一番、
国内全ての人が「日本」を応援するものと思っていたら、
8年前の日韓大会でデンマークのキャンプ地だった
和歌山市の人たちは「デンマーク」を応援した。
その和歌山市のデンマーク私設応援団の名前が、
「和歌山ローリガンズ」である。
ローリガンは「平静」を意味するデンマーク語から派生した言葉。
暴れることで有名な英国のフーリガンと対比して、
礼儀正しく応援するデンマークファンを指すというが、
この8年前の「出会い」を今でも大切にしている和歌山市民が
一番素晴らしい「サッカーW杯」のファンであろう。
この声援は南アのデンマークチームにも届いていたらしく、
デンマークチームのあるコーチは、試合前に、
「和歌山の応援は受け止めている。いい試合を約束すると伝えてくれ」
と笑顔で語ったことも後で知った。
サッカーだけでなく、自分が海外留学でお世話になった国があれば、
周りの反応を気にせず、日本以外のチームを応援するといい。
それが、今後の自分の判断材料になるのだから。



2010年06月29日(火)
やさしい気持ちは自分もまわりも幸せにしてくれる

今秋の上映が決定した、日本初となる絵本の映画化作品、
映画「おまえうまそうだな」(原作・宮西達也)の
公式ホームページの予告編で見つけた、フレーズである。
宮西作品の全ての根底に流れてる考え方、とも言えそうだ。
肉食系の大人恐竜も、草食系の子ども恐竜のやさしい気持ちに触れ、
少しずつ、やさしい気持ちが芽生えていくストーリーは、
私たち人間の世界にも言える事だと、メモが溢れた。
「やさしい気持ちは自分もまわりも幸せにしてくれる。」
こうしたフレーズを探しながら、絵本作家が伝えたいことを
探していくのは、私流ではあるが、絵本の楽しみ方となってきた。
そうした流れが、私のやさしい気持ちを育て、私だけでなく、
まわりの人にもその「しあわせ感」が伝染すればいいな、と思う。
それが、だんだんわかってきた52歳である。
実は、今晩、映画「おまえうまそうだな」の試写会に招待された。
世界で一番最初に、この映画を観たことになる。
この感想は、この後、すぐにでも・・。



2010年06月28日(月)
「納得」は、するものか、いくものか

仕事で納得がいかないことがあり、駄々をこねた。
前日「余裕」の話をしてばかりなのに、面目ない。(汗)
ただ、自分でも驚く程に興奮し、
「誰が何と言っても、納得いかないものは、納得いかない」
心の中で、そう叫んでいたのも事実。
(現場にいた人は、心の中ではないでしょ?大きい声ででしょ、
と、反発するに違いないけれど・・それはさておき・・)
帰宅後「納得」という単語が気になり、
いつもより、やや濃いめの焼酎を飲みながら、辞書を引いた。
「納得」とは、
[名](スル)他人の考えや行動などを十分に理解して得心すること。
「―のいかない話」「説明を聞いて―する」
あれっ、ますます判らなくなってきた、この使い方。
「納得」は、するものか、いくものか。
「納得した?」「納得いかない」、どちらも違和感がないけど、
本来なら「納得をする」「納得がいかない」というように、
(を)や(が)などの助詞が挟まるのかもしれないな。
自分で考えたこの「納得」の解釈すら、実は「納得」していない。



2010年06月27日(日)
それが「余裕」ってことなんじゃないの?

京都から帰ってきて、翌日は、結婚式の司会。(笑)
それも、何年ぶりかの大役で、
(最近、来賓の挨拶はあるが、司会は本当に久しぶり)
自分でも、ちょっと緊張するかな?と考えていたら、
予想に反して、まったくと言っていいほど、緊張しなかった。
逆に、列席者の動きとか、全体の時間の流れ、マイクの調子、
出てくる料理と宴の進行とのタイミングやバランスなど、
以前では、配慮できなかったことまで出来た気がする。
「大役、ご苦労様」と司会席までビールを注ぎにきてくれた
知人に、この違いを話したら、
「それが『余裕』ってことなんじゃないの?」と返された。
「余裕」とは、辞書によると
1 必要分以上に余りがあること。
また、限度いっぱいまでには余りがあること。
2 ゆったりと落ち着いていること。心にゆとりがあること。
文字で理解しようとすると判りづらい「余裕」の感覚も、
なるほどな・・こうやって体験すると、簡単に理解できた。
しかし、帰宅して、ちょっと酔っぱらった頭で考えてみると、
結婚式の司会体験を何度も繰り返すのではなく、
人前で話す機会を増やすことで、身につけることが出来る気がする。
52歳という年齢も「余裕」の要因であるかもしれないが・・。
「心にゆとり」があると「余裕」を体験できるようだ、お試しあれ。



2010年06月26日(土)
青のりチェック鏡

今年8月22日の日曜日、京大交響楽団の100人を超える若者たちが、
わが町に、演奏旅行にやってくる。
(最近、京大と言えば、ロザン・宇治原さんしか浮かばない(汗))
その打ち合わせを、午前中に、京大キャンパス内で済ませ、
その後、担当の女子大生2人らと一緒に、
彼女たちのおすすめ「お好み焼きや」へ足を運んだ。
そこで見つけたのが、今回の気になる一言。
テーブルごとに、女性がメイクに使うようなピンクの鏡に
テプラかなにかで印字した白いテープが貼ってある。
「青のりチェック鏡」と書かれた文字が目について離れなかった。
私は好奇心を抑えられず、手に取り、確かめてみた感想。
「なかなか気が利いたサービスだな」と思いつつ、
男性が食べた後に「青のりチェック鏡」で確認するのは、
ちょっと照れくさい気もする・・が本音。
食事後に鏡(コンパクト)を見る習慣がない私には、
トイレ等で席を外した時に確認すればいいのに・・とも思う。
う〜ん、この「青のりチェック鏡」。あなたは利用しますか?

PS.彼ら、彼女らとの縁を大切にして、
「2010年夏の思い出作り」のお手伝いを楽しみたい。



2010年06月25日(金)
活躍したのは関西にゆかりの人たちです

仕事の関係で、京都に訪れている。
便利なもので、こうしてホテルのロビーに設置されている
10分100円のパソコンで、気になる一言を書いている。
さて、今回の気になる一言は、
ホテルの部屋で耳にした、テレビニュースでの解説。
「デンマーク戦の勝利に貢献したのは」と前置きをして、
関西系のテレビは、殆どこのコメントだったので驚いてメモ。
サッカーワールドカップ、日本対デンマーク戦の
日本の勝利を何度となく繰り返し喜びながらも、
その勝因は「関西人」の力、と言い切る凄さを驚いた。
その共通した台詞が「活躍したのは関西にゆかりの人たちです」
もう笑わずにはいられなかった。
キレイな女子アナが、力を込めて画面で訴えている。(笑)
日本の勝利を国全体で喜んでいるのかと思っていたら、
それは「関西の力」がなければ達成できなかったような解説。
さすが、関西人だなぁ、他の地域ではできないな、と思いながらも、
この地域全体をあげての応援には脱帽した。
う〜ん、30分、300円で仕上げたので、本日、これまで。(汗)



2010年06月24日(木)
コーディネーター役、好きかもしれない

久しぶりに、私の呟きである。
以前は、自分の考え方や活動してきたことを主張をする
パネラーとか、講演会で話をすることが楽しかったが、
今は、人と人を繋ぐ「コーディネーター」に魅力を感じている。
シンポジウムでは、決められた時間内に、
個性の強いパネラーの発言をコントロールしながら、
観客に問題提起する役目。
求めている人と求められている人を繋ぐ「つなぎ役」もある。
コーディネーター【coordinator】とは、辞書によると
1 いろいろな要素を統合したり調整したりして、
一つにまとめ上げる係。また、そういう職業。
2 放送番組全体の進行を図る係。
全体を俯瞰しながら(大所高所から眺めながら)、
いろいろと判断を下す、戦国時代の参謀役とはちょっと違う。
もっと戦いの前線で、喜怒哀楽を感じながらも、
この役をこなせたら、きっと面白いんだろうな、と思う。
出来る限り、努力して近づきたい。



2010年06月23日(水)
被爆しなかったら、どんな人生だったろう

映画「ヒロシマ ナガサキ」(スティーブン・オカザキ監督)から。
衝撃的というか、可哀想というか、言葉にならず、
最後まで、観続けることが出来ずに、目を伏せてしまった。
それくらい、被爆を受けた方々の心身の痛みが伝わってきて、
胸が痛くなるとは、こういうことを言うのか、と悟った。
原爆により死んだ人たちより、残された人の苦しみは、
一言で片付けられない気がして、メモすることさえ出来ない。
「これを伝えていくために、おまえは生かされているんだよ」と
自分の生き方を納得させている被爆者。
「幸せだったという記憶はない。逃げ回っていたので恐怖だけ」と
淡々と語る被爆者。
そんな中で、私が気になったのは、
「被爆しなかったら、どんな人生だったろう」と振り返る被爆者。
普段「たられば」(〜だったら、〜していれば)という発言を嫌い、
そんな仮定の話をしても成長はない・・と激を飛ばすのだが、
被爆者の「たられば」は、素直に聴くことが出来た。
彼ら、彼女らの口にする「たられば」は、とても重い気がするから。
何度も書くけれど、戦争はそんな昔の話ではない。
最後に、こんなフレーズが映し出される。
「現在、世界には広島型原爆40万発に相当する核兵器がある。」
信じられないけれど、人間の愚かさを知るメッセージになった。