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しもさんの「気になる一言」
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2010年03月04日(木)
食の多様化ではなく、小麦粉の多様化

書籍「『粗食』が病気にならない体をつくる!」
(幕内秀夫著・青春文庫刊・198頁)から。
最近、読んだ本の中では一番メモが多かった。(笑)
「増えたようにみえる食品は、どれも小麦粉と油と砂糖。
それが形を変えて、私たちの目の前に現れているだけ。
引っ張って硬くすれば、ラーメンやパスタ。
ハンバーグを挟めば、ハンバーガー。
ソーセージを入れると、ホットドッグに早変わり。
小麦粉を丸めて揚げて砂糖をまぶせばドーナツ。
のばして平べったくしてチーズをかけて焼けば、ピザ。
食の多様化などと言われているが、実は小麦粉の多様化に過ぎない」
う〜ん、目から鱗の視点であった。
「安全な食品」は「偽装表示」などで、今でもときどき巷の話題になるが、
「注目しなければいけないのは、食品ではなく、食生活の見直し」
こう主張する著者の意見に大賛成であり、
「ご飯より、おかずや野菜」を食べ続けた食生活から、
「白いご飯」中心の食生活に戻そうと思っている。
人間ドックで指摘された、なかなか減らないコレステロールだけど、
食べ物より、食生活を見直すことで治りそうな気がしている。
1年くらい、試してみようっと。



2010年03月03日(水)
子どもの代理 親が婚活

夕飯を食べながら読んでいた、静岡新聞夕刊。
えっ?目を疑いたくなるような見出しを見つけた。
それが「子どもの代理 親が婚活」
独身の親を持つ親同士が結婚相手を探す交流会らしい。
「仕事が忙しくて出会いがない」
「なかなか相手を見つけようとしない」
そんな子どもたちにしびれを切らして、
子どもの写真と身上書を交換するようだが、
それって、結婚しても「自分で探した相手じゃない」なんて
言い訳を言われることはないのだろうか。
先日は、子どもを保育所に入れるための「保活」なる言葉を
耳にして、笑ったばかりだったが、今回の方が深刻だと思う。
とんでもない世の中になっちゃったなぁ、が私の感想。
子どもを1人の人間と認めていれば、
親が相手探しなんてする必要もないし、余計なお世話。
そうだ。「子ども手当」をやめて「結婚手当」にすればいい。
結婚したら、毎月、2万円もらえるとか・・。(汗)
「早く結婚してちょうだい!!」ではなく
「早く子離れしてちょうだい!!」
でも、全国的に徐々に浸透しているらしい・・ふぅ。



2010年03月02日(火)
ザ・ピーナッツの妹みたいに、可愛い

映画「フラガール」(李相日監督)から。
正直、どのシーンでメモしたフレーズか、
忘れてしまったけれど、これが一番面白かった。
東北弁?丸出しのいろいろな台詞もメモしたが、
この台詞には、勝てなかった。
たぶん、東京から呼び寄せたダンス教師(松雪泰子さん)を
初めて見た炭坑夫の反応だった気がする。
この台詞「ザ・ピーナッツの妹みたいに、可愛い」は、
一卵性の双子を見分けられることが前提だ。
それも瞬間的に、姉と妹を区別できるなんて。(笑)
脚本を書いた2人(李相日、羽原大介)に、
この台詞の意味を、確かめてみたい。
「こまどり姉妹」から「リンリンランラン」まで、
私は今でも、どちらが姉で、どちらが妹か、わからない。
「おすぎとピーコ」の違いが、やっと判るくらいかな。
蒼井優さんのセーラー服姿に萌え、
ラストシーンの彼女のフラダンスに、拍手してしまった私であるが、
こんな台詞が、気になる一言なんて・・「とほほ」って感じ。



2010年03月01日(月)
失敗を願った私から、成功を讃える私へ

妹の50歳の誕生日に閉幕した、2010年・冬季オリンピック。
今晩の夕刊には、メダリストや入賞を果たした選手、
話題を集めた競技のメンバーらのコメントが満載だった。
実は、そのコメントに一喜一憂するつもりはない。
私には、わからない次元の感想なのだから、と素直に読んだ。
では、テレビの前でオリンピック観戦していた私の総括は・・と
振り返ってみると、モーグルの時も、カーリングの時も、
もちろん男子のフィギアスケートの時も、
日本選手のメダル獲得が見たくて、
他国の選手の失敗や転倒などを願った自分がいたことを告白したい。
今思えば、我ながら恥ずかしいテレビ観戦だったと思う。
しかし、オリンピック期間中、プライベートで大きな事件や悲しみがあり、
自分の心の持ちようが変わっていったことにも気付いた。
その気持ちの変化に気付いたのは、女子フィギアスケート。
日本のエース、浅田真央さんの演技にも拍手を送ったが、
韓国、キム・ヨナ選手の演技に、失敗や転倒を願う自分はいなかった。
お互いベスト演技をぶつけての勝負を願うだけだった。
これからもはどんなスポーツでも、そんな視点で応援できる気がする。
そんな気持ちを文字にして「失敗を願った私から、成功を讃える私へ」を
バンクーバー冬季オリンピックの私の総括としたい。



2010年02月28日(日)
「2」の文字が溢れた、日本の2010年2月

カナダ・バンクーバーで行われている冬季オリンピックは、
金メダルがなく「2」位の銀メダルが最高。
メダルの数は、銀(3)、銅(2)。
これが銀(2)だったら、もう神様の仕業としか言いようがない。
国内に目をやれは、平成22年2月22日の「2」づくしで騒ぎ、
2月末のスポーツニュースで
「宮里藍、開幕「2」週連続V」の見出しを見た。
優勝なのに、目立ったのは「2」。(笑)
行政刷新会議の事業仕分けは第「2」弾へ一般意見募集するし、
エレベーター事故で、駅のEV停止、「2」時間閉じこめ・・
確かに、こじつけかもしれないけれど、
私の脳裏には「2」という文字が焼き付いた。
ネットで調べていたら、面白い記事にぶつかった。
「2個1組で成立する概念」というもの。
有無・開閉(門扉)・白黒・善悪・生死・表裏(方位)・
陽と陰(陰陽思想)・正負・男女(性別)・大小・勝敗・前後・
左右・上下・内外・静動・与党野党(政治界の与野党)
天地・偶数奇数(丁半、数的概念)など。
やっぱり、日本の今年のキーワードは「2」かもなぁ。



2010年02月27日(土)
読書して疲れるようではまだ本当でない。

今回の気になる一言は、私の愛読しているメルマガ
「安岡正篤一日一言 〜心に響く366の寸言〜」から。
2月8日の一言【本当の読書】
「読書して疲れるようではまだ本当でない。
疲れた時、読書して、救われるようにならねばならぬ。」
う〜ん、奥が深いなぁ。
小市民の私たちは、疲れた時に「読書」なんてしないもの。
読んでも、新聞か、漫画。(汗)
でも疲れた時、本を読んで、心が救われるような感覚を持てたら、
どんなにいいだろうか、と思う。
勿論、体力的な疲れではなく、脳が疲れている時であるが、
そんな本をいつも持ち歩いていれば、素晴らしい。
愛読書というより「座右の本」って感じかな。
読書は、時間つぶしや知識習得のためではなく、
疲れを取るためにするなんて言えたら、格好いいなぁ。
この境地になるまで、読書を続けてみようっと。



2010年02月26日(金)
「人生」という文字から、4つの言葉を連想する

書籍「野村ノート」(野村克也著・小学館刊・218頁)から。
さすが、野村ノート、と唸るばかりだった。
メモは、当然のごとく溢れ、仕事にもプライベートでも
役に立つことばかり。
これからも何度か「気になる一言」に登場するだろう。
今回、選んだのは、冒頭に書かれている。
「人生」という文字から、私は4つの言葉を連想する。
「人として生まれる」(運命)
「人として生きる」(責任と使命)
「人を生かす」(仕事・チーム力)
「人を生む」(繁栄・育成・継続)
読む人の「立場」や「環境」などで、意味が違う「人生」、
彼らしい定義だと思ってメモをした。
改めて、辞書を引くと【人生/人世】
1 人がこの世で生きていくこと。また、その生活。
「第二の―を送る」「―を左右する出来事」「―経験」
2 人の、この世に生きている間。人の一生。生涯。
「芸術は長く―は短い」
[類語] (1)生(せい)・生活・日常・現世・生き方/
(2)生涯・一生・一代・終生・畢生(ひっせい)・ライフ
さて、あなたは「人生」をどう連想するだろうか。



2010年02月25日(木)
自分の心を乱さずに対応する力

平成22年2月22日「踏んだり蹴ったりだな」そう思った。
けれど、今は違う。これは「贈り物」だと思えてきた。
私に足りない「自分の心を乱さずに対応する力」を。
自分の日記で「試練」を検索してみると、2件がヒットした。
http://www4.diary.ne.jp/user/446618/
1997/12/30 神様は越えられない試練は与えない
2004/10/20 神様が日本に試練を与えているみたいだね
どちらも、同じようなことを言っている。
言葉として、なるほどなと感じ、一般論としてメモしたのだが、
それを一度、自分の心に入れ、咀嚼し、さらに体験により実感し、
自分の言葉として語るには、時間がかかったということだろう。
今後、どんな辛いことが重なっても、乗り越えられる気がするし、
他人に、自分の言葉として語れる気がしている。
我が家の床の間に飾られている「不動心」と書かれた掛け軸。
約25年前から、そこに掛けられているはずなのに、無関心だった。
しかし、今朝は妙に輝いて見える。
たぶん、表向きはなんら変わらないのだろうけれど、
何かわからないものが、51歳の私の心にストンと、落ちた気がする。
「神に、仏に、義母に、加害者に、そして仕事に」感謝したい。



2010年02月24日(水)
過失割合ゼロの事故こそ、保険屋さんが必要

義母が亡くなる12時間前、平成22年2月22日午前6時半頃。
容態が安定したと判断して、3日前に急遽駆けつけていた娘を
東京での仕事に戻すため、三島駅まで送る途中、
信号待ちで停車していたところを、猛スピードで追突された。
その衝撃は、ここでは表現できないくらいである。
ただし事故の詳細を書くつもりはない。
気になっているのは、加入している保険屋さんの役割である。
私の認識では、保険屋さんの仕事は、
「事故を起こした場合(巻き込まれた場合)の一切の交渉」。
しかし、現実は違う。
完全な被害者(停車中の場合など)、こちらの過失割合がゼロは、
交渉する必要がないため、仕事の範囲ではないようだ。
確かに、理屈はわかる。自分の支払いを少なくする交渉は
何度かお世話になってきたから。
だが、敢えて言うならば、過失割合ゼロのようなケースでも
保険屋さんは交渉をして欲しいと願う。
こちらは一方的に被害を受け、忙しい合間をぬって病院に通い、
心身ともにボロボロの状態なのだから。
逆に、過失割合ゼロの事故こそ、加入者の手間を一切煩わせない
完全な手続きや交渉が望まれる。
今回は、私の誤った認識を記録に残し、今後の糧としたい。
「過失割合ゼロの事故こそ、保険屋さんが必要」



2010年02月23日(火)
娘婿の私は、とてもお気に入りでしたよ

昨年11月から入院し、1度も退院する事なく、
忘れることのない、平成22年2月22日の夜、他界してしまった義母。
最後まで、意識はしっかりしていて、私が手を握ると
力を入れ返して、元気なところをみせようとした姿が懐かしい。
平日のほとんど毎日、私の昼休みの日課となっていた「病院通い」も
もうできなくなってしまったのか、と思うと、ちょっと淋しい。
寒い気温の中を自転車で通いながらも、もう少し温かくなってきたら、
ジョギングでもしながら、病院通いをしよう、と決めていたのに。
この日がいつかは来ることを恐れながらも、
妻と娘、そして実母の献身的な態度に、皆が社会人になり、
どうしても離れ離れになりやすい家族というものを
「義母の看病」を通して、気持ちが繋がったような気がする。
そう言う意味では、命をかけて「家族の大切さ」を気付かせてくれた。
口の中に酸素吸入の管が入りっぱなしで、さぞ辛かったに違いない。
しかし、私が「調子はどう?」と顔を覗くと、何事もなかったように
手を握り、満面の笑顔で迎えてくれた。(涙)
やはり、最後は「ありがとうございました」しか浮かばない。
大好きだった「ジャイアンツと大相撲とマラソン」を肴に、
ほとんど義母の分も私が食べてしまう「うな重」を出前してもらい、
「アイスクリーム」と「三ツ矢サイダー」でお口直しをし、
帰宅する時に、必ず頂くおみやげの「ヤクルト2本」のパターンを、
娘婿の私は、とてもお気に入りでしたよ、おかあさん。