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しもさんの「気になる一言」
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2008年12月09日(火)
生き残りたいんじゃない、生きたいんだ

映画「WALL-E ウォーリー」(アンドリュー・スタントン監督)から。
人間たちは、ゴミだらけになり、とうとう地球を見捨てて宇宙へ。
何もかもロボットがやってくれ、歩くことすらしない。
物語の設定は、29世紀だったけれど、その兆候は今でも・・と怖くなった。
快適な暮らしは人間を退化させることを、この映画で私は感じていた。
そして、なんの生き甲斐もなく、ただ生かされていることに気付いていた
宇宙船の船長が、自己主張しながら呟く。
「生き残りたいんじゃない、生きたいんだ」
この台詞に、私のアンテナは反応してしまった。
主人公はゴミ処理ロボット「ウォーリー」とピカピカのロボット「イヴ」だけど、
私には、人間性を取り戻そうとする「人間」たちのような気がしてならなかった。
「手をつなぐ」といった、いちばん基本的な愛情表現すら忘れ、
ロボットの「ウォーリー」と「イヴ」に、その大切さ、温かさを教わるのは、
人間として情けないかもしれないが、逆に、同じ人間に教わるよりはいいのかも。
キスやセックスより、手を握る、手を繋ぐことの方が大切に思える。
帰りには、誰かと手を繋ぎたくなってしまう作品である。(笑)

PS.
「ウォーリー」の太陽エネルギー充電完了の音は、MACを起動する音と同じ。
アメリカ人にとっては、おなじみの音なのだろうか。
MAC派の私にとっても、なぜか嬉しい音となった。



2008年12月08日(月)
それを訊いてどうなさるのですか?

久しぶりに、NHK大河ドラマ「篤姫」から。
一日遅れでも「篤姫」ネタを・・のメールがあり、
今年の前半、この日記を賑わせてくれたお礼に書くことにした。
最終回を次回に控え、小松帯刀が篤姫に恋心を告白する場面。
「あなたをお慕いしていました」
「知っていました」
「もし・・の話がなかったら、どうだったでしょうか?」
(大事な部分を聞き逃しましたが、徳川に嫁ぐ話がなかったら、かな)
彼女は逆に「それを訊いてどうなさるのですか?」と聞き返す。
さらに「私の答えは、亡き夫、家定に相談いたします」と続けた。
「ずるいですよ」・・そんな会話だった。(・・と思う(汗))
今更、その時の私の気持ちを知って、どうするの?
私もあなたも、その頃には戻れないのよ・・と諭すように答えた。
また、徳川家定に心から愛された喜びが伝わってきたが、
せっかくの小松帯刀が、台無しになってしまって残念である。
今だから教えて・・というケースは、私たち生活にも良くあること。
しかし、ほとんどが、それを知ったところでどうにもならない。
だから、この台詞が生きてくる。是非、うまく使いこなしたい。
さて・・来週は最終回。また「役割」の話が出てくるのかな。
今回は「大奥を閉じる役割」を演じていたが・・。楽しみである。



2008年12月07日(日)
うちの職場の人間は、やっばり冷たいな

(久しぶりに、NHK大河ドラマ「篤姫」の話題を書こうと思ったが・・)
昨日の駅伝の話題で、もう1つ、書きたかったことがあるのを思い出した。
今回、うちの職場から2人の職員が、この大会にエントリーして、
当日、寒風の中、疾走した。
職員の子どもまで含めれば、11人中3人。
しかし、彼らを応援しに静岡まで足を運んだのは、ほんのわずか。
もちろん強制ではないけれど、この事実は、わが職場の結束力のなさを
顕著に表しているように思う。
その現実を、気になる一言として残しておこうとメモをした。
1人は、今年入庁(奉職)したばかりの新人。
仕事を一所懸命覚えながら、毎日、緊張とプレッシャーの中で、
机に向かっているに違いない。
(仕事ぶりは、まだまだ満足できるものではないかもしれないが・・)
そんな彼が、町の代表として走るのだから、私たち先輩が出来ることは
「頑張れ」「もう一息だぞ」「ラストスパート」等と声をかけることだけ。
職員の意識改革が、まちづくりの大きなテーマだとしたら、
「頑張っている若い職員」を全員で応援できる結束力の強い組織を目指したい。
これは愚痴ではない、私からの提案である。



2008年12月06日(土)
自衛官は「自粛」して欲しいよねぇ(汗)

今年もまた、第九回しずおか市町村対抗駅伝の応援に出かけた。
もう十二月の恒例行事となっている私であるが、
毎回、沿道を駆け抜ける選手たちに「頑張れ」と声をかけながら、
本当は自分が「元気」をいただいて帰ってくることに気づいた。
さて、今回の一言は、私の横で大きな声を張り上げていた、
どこの市町の人かわからない女性の台詞。
「自衛官は『自粛』して欲しいよねぇ(汗)」
そうそう、と私も頷いてしまったから、取り上げることにした。
この大会、市民ランナーが毎日、仕事・学校、家事に追われながら、
自分なりの時間を作って練習し、この晴れ舞台に出てくるから
感動が生まれるのだと思う。
それを、毎日、仕事として鍛えている「自衛官」が快走して、
市民ランナーを抜き去っても、何も面白くない気がする。
もちろん、彼らも市民・町民に変わりはないが、
ここは一般人にスポットライトを当てる手助けをして欲しい。
このまま続くと、せっかくの大会が、つまらなくなる。
ちょっと過激な発言かもしれないけれど、
自衛官選手を抱えない市町応援団のぼやきである。(笑)



2008年12月05日(金)
やった人には、いい結果がでるチャンスがある

テレビNHK「プロ魂」(王監督のメッセージ)から。
王監督語録みたいな内容だったが、メモは増えた。
「勝利の女神は、一所懸命の人に微笑む」のメッセージも
気にはなったが、今回はこの一言。
「努力すれば、必ず報われる」は、言葉として美しいが、
実際は、そんな甘くない。だから、このフレーズは好まない。
努力した人全員が、良い結果を掴むわけではない、
しかし「やった人には、いい結果がでるチャンスがある」は、
妙に説得力がある。
いい結果がでるチャンス、挑戦権があるだけで、
それを掴むのは、また別の問題だ、と言いたげであった。
裏を返せば「努力しない人には、いい結果がでるチャンスもない」
そういう意味である。
いい結果を手に入れたければ、少なくとも、努力しなさい。
彼の長い経験から掴んだフレーズとして、大切にしたいと思う。
何も努力せず、いい結果だけを欲しがる人、耳が痛いかなぁ。



2008年12月04日(木)
結婚は修行。人と暮らせば苦労は増える

あれ・・誰の台詞だったかなぁ。
(情報源不明、メモ忘れ、ごめんなさい)
結婚については、いろいろな定義があるもんだと思う。
今回は、最近の人たちがなかなか結婚したがらない、
その理由のひとつとして納得したから、メモをした。
「結婚には、バラ色の人生が待っているよ」と声をあげても、
「嘘ばっかり。楽しそうにしている人、見たことない」と
反論されてしまう。結婚に夢がもてないようだ。
しかし、逆に、最初から
「結婚は修行。人と暮らせば苦労は増える」と言っておいて、
「でもね・・・」と、結婚の良さを伝えるほうが、
少しは、聴いてもらえそうな気がするから、
このフレーズ、覚えておこうかなぁ、とメモをした。
修行と思えば、苦労も苦労と思わないで済むし・・。(笑)
だけど、結婚って、本当にいいもんだよ・・と私は思う。



2008年12月03日(水)
還暦ってなるんだ?

テレビ「ボクらの時代」から。
たしか、脚本家・筒井ともみさん、歌手・森山良子さん、
衆議院議員・小宮山洋子さんの回だったと思う。
なぜか、突然のように「還暦」の話になった。
もう、そういうお年頃らしい。(笑)
ある方は「そろそろ還暦、うふふ」とほくそ笑み、
またある方は「還暦ってなるんだ?」と、言葉遊びをしていた。
そう、巷では「還暦になった」という言い方をするが、
還暦はなるのではなく、迎えるのかな、とメモをした。
還暦の意味は(60年で再び生まれた年の干支に還るからいう)
「数え年61歳の称。華甲。本卦還(ほんけがえり)」
さらに「華甲」(カコウ)とは、61歳のこと。
華の字を分解すると、十の字6個と一の字になることから。
甲は、十干(年次・年齢を数えるときに用いる)の第一で、歳。
「還暦」って深い意味があるんだなぁ。
あと10年で還暦か、どんな人生が待っているのやら。



2008年12月02日(火)
やな時代に生きて、やなことをしたものです

映画「私は貝になりたい」(福澤克雄監督)から。
ストーリー的には、やや物足りなかったけれど(笑)
この映画を思い出すには、この台詞かな、と選んでみた。
従軍中の事件の戦犯として、拘留される部屋にいたのは、
なんと、SMAPの「草薙」くんだった。
今回の気になる一言は、そんな彼の台詞である。
「やな時代に生きて、やなことをしたものです」
重たい雰囲気の中、ボソッと呟いた言葉に力があった。
「士官の命令は、陛下の命令だ」と過酷な命令を出す辛さ、
そしてそれを実行しなければならない辛さ。どちらも辛い。
そう考えれば、今の時代、確かに違った意味で辛いこともあるが、
戦時中の彼らに比べれば、まだ耐えられる時代だと思う。
彼(草薙)が絞首刑にされる前日に出逢い、一晩で別れを迎える。
「一晩だけでしたがこれも何かの縁でしょう」の台詞が、
妙に面白くて、重い映画なのに笑ってしまった。(汗)
リバイバルとあって、ストーリーがわかっているのも、
ちょっと、新鮮さに欠けた理由かもしれない。



2008年12月01日(月)
「撮りたくなるよね」「はい、送りたくなります」

昨日の朝、三島駅まで歩いている途中、
雲ひとつない青空に、真っ白な雪をかぶった富士山を見て、
しばらく感激しながら眺めていた。(いつも見ているのに・・)
そして携帯電話のカメラを利用して、夢中で撮っていたら、
犬の散歩している見知らぬおじさんが、
「撮りたくなるよね、今年一番だ」と話しかけてきた。
私は思わず「はい、こんな富士山は久しぶりですから」と答え、
「全国の友達に送りたくなります」と返していた。
勢いで、携帯のメールアドレスを知っている知人・友人に送信したら、
予想外に、大喜びのメールが戻ってきた。
こんなメールのやり取りは、実に嬉しい。
携帯の電源が減ってきて、全員に送れなかったが、
プライベートの「ふるさと歳時記、携帯版」は、
私の心を温かくしてくれるシステムとなりそうだ。
プライベート・ライブカメラ、お試しあれ。

PS.
今朝「柿田川に、鮎が大量に遡上していて、川が真っ黒だったよ」



2008年11月30日(日)
東京へ夜景を見に行かない?

先日、突然、中学の同級生から電話がかかってきた。
「しもさん、東京へ夜景を見に行かない?」
「なに、ぼけたこと、言ってんだよ」と返そうと思ったが、
そう言えば「夜の東京」は何度も行っているが、
「東京の夜景」として、じっくり眺めたことはないな、と思い直し、
行くことにした。(暇だねぇ、と言わないで、これでも忙しいんだから)
さて、花の東京で待っていたのは、首都圏で就職している中学の同級生たち。
どうせなら、ランチから・・との薦めもあって、午前中から三島駅を発った。
全日空インターコンチネンタルホテル東京の36階
「マンハッタン ラウンジ」で、ビュッフェスタイルで、昼の東京を眺めた。
その後、神宮外苑のいちょう並木散策、途中、クラシックカー見学のあと、
「東京の夕日が見たい」とわがままを言って、世界貿易センタービルの展望台へ。
東京の夜景をまとめているのは、やっぱり「東京タワー」だった。
これまた、格別の光景を、ゆっくりと流れる景色の中で堪能させていただいた。
夕食は、毎日築地市場より新鮮な魚介類を仕入れ格安提供しているという
「魚金浜松町」、もちろん絶品だった。
小学生の日記みたいになってしまったが、今日の記録として残そうと思う。
しかし、一番楽しかったのは、同級生との会話。これに尽きる。
この楽しかった「東京の夜景堪能ツアー」は、
何日も前から準備してくれた、東京の同級生なしには語れないことも知っている。
こんな友だちが全国にいる私は、幸せだな、と実感する今日この頃。
これぞ、50歳以上の生き方の1つかもしれない。(笑)
さ〜て、今週も頑張ろうっと・・東京で、元気をもらったから。