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しもさんの「気になる一言」
しもさん
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2008年08月21日(木)
エッチ好きな担当者様にお知らせです。

お待たせ、木曜日、男女恋愛エッチネタ。(笑)
久しぶりに、いたずら、迷惑メールの面白タイトルである。
普段は、何も見ずに「削除」なんだけど・・。
ちょっと、気になるフレーズだった。(汗)
よく考えると、何の担当者なのか、わからないけれども、
なんだか中身を読みたくなってしまったフレーズ。
開けてみたら、(当然だけれど)やっぱり
いたずら、迷惑メールの類だったけれど、天晴(あっぱれ)だった。
毎日、毎日、何通も送られてくるメール。
以前、知人のメールが「迷惑メール」に入ってしまったことがあるので、
それ以来、タイトルだけはチェックしている。
まぁ、こんなことするために、生まれてきたわけじゃないだろうに、
百害あって一利なしの迷惑メール。たばこより、害があるかもしれない。
こんなに進歩した情報技術の分野なのに、
本当に迷惑メール発信者を特定できないんだろうか?。
そんなことを以前、書いた気がする。
でも「エッチ好きな担当者様にお知らせです。」のタイトルに、
反応してしまう私のような人間がいる限り、無くならないのかな?



2008年08月20日(水)
気になる「?」と「服装」表現

前回の芥川賞受賞作「乳と卵」を読み終え、どっと疲れた・・と
感想を述べたら「だったら、これ、読む?」と貸してもらった
書籍「スイッチ」(さとうさくら著・宝島社文庫発刊・330頁)から。
今回は、面白いメモが溢れたため、読み終えるのに時間がかかった。
ただ、もう一度、読み返すと、この作品を思い出すことができる、
インパクトのあるフレーズが選べなかった。
それよりも、作者の文体、というべきなのか、気になる表現がある。
質問や、疑問でもないのに、最後に「?」がついている会話が多い。
例えば「どんな人?」「あぁ、苫子知ってるよ?」「え?」・・
真中の「?」の意味が、私にはわからなかった。
また、登場人物の服装(上下)や靴の描写をこと細かに説明されている。
例えば「苫子は、ボウリングシャツに、カラーデニムのスカートと
ピンヒールのサンダルをはいていた。」とか
「胸を強調したみせ下着の上に、同じく下着のような
膝上のワンピースを着て、ロングブーツを履いた瑠夏」とか、
「胸元にもブランドのシルバーのネックレスをして、
半袖のサマーニットにプリーツスカートをはいた結衣に、
華奢なシルバーリングは本当に似合っていた。」など、満載。
男性の私には、その服装にどんな意味があるのかまでは、
理解できなかったが、女性の場合、性格、その日の気分で、
服装が変わるんだろうな、と理解して本を閉じた。



2008年08月19日(火)
光が「稲妻」、音は「雷」

書籍「日本の歳時記」から。
雷といっても季節によって「春雷、熱雷、秋雷、寒雷」。
夏の雷「熱雷」は、地面の加熱によって発生する。
秋の雷「秋雷」は、寒冷前線が急激な上昇気流を伴うために起こる。
すなわち「上昇気流が空中で起こす放電現象。」
ピカッと光る光景を見たら「あっ、稲妻だ」と表現し、
ゴロゴロ、ドッカンと音で感じたら「あっ、雷だ」と表現する。
今まで、閃光が目に入っても「あっ、雷だ」と呟いていた。
これを知ったからには、これからは使い分けようと思う。
稲妻が「稲の実り」をもたらすと考えられていたから、
「稲の夫」(古代日本語では夫も「ツマ」)という意味で
イナヅマと呼び、「稲妻」の字を当てるようになったという雑学より、
もっと大切なことを知った気がする。
せっかく覚えた「日本語」(笑)、忘れないようにしたい。
これから大気が不安定になるから、思い出して欲しい。



2008年08月18日(月)
私が重視するのは、成績ではなく将来性だ

映画「大いなる陰謀」(ロバート・レッドフォード監督)から。
大学教授役のロバート・レッドフォードが、呟く。
「私が重視するのは、成績ではなく将来性だ」
現在の成績ではなく、この学生は将来伸びるかどうか、
そんなことを重視しながら教えている、と言いたそうだった。
今の世の中、会社によっては「昇進」のための試験がある。
しかし、それは「現段階の成績」を比較しているに過ぎないし、
試験ではわからない可能性は、加味されることはない。
その将来性、可能性を見極めるのが、登用する側の先見性だろう。
ただ、この台詞とは対照的なフレーズもメモをした。
「将来性、可能性は、気まぐれだ」
なるほどなぁ、それも事実だ、と暗闇の中でメモしながら苦笑い。
何を重視するのか、それはトップの考え方次第だな。
古今東西、今もなお結論が出ない問題だけど、
その結論の成果は10年後、20年後に出るところに面白みがある。
さて・・あなたの職場は?



2008年08月17日(日)
卓球とパンケーキの集い

北京五輪の卓球(団体男女)をテレビ観戦していて思い出した映画がある。
それが「燃えよ!ピンポン」(ロバート・ベン・ガラント監督)。
痛快爆笑・・あまりストーリーを考えず、
ただただ笑い転げるだけの映画も、実に面白い。
大きな映画館では、決して上映しないような作品。
単館系、ミニシアター系・・と呼ばれる映画に多い。
今回も、場面設定もめちゃくちゃ、ありえない展開。
その中でも、私がはまってしまった
「卓球とパンケーキの集い」と題される「卓球大会」。
真剣に卓球をしている横で、パンケーキを焼いている。
その光景が面白すぎた。(みないとわからないかも・・)
「娯楽としての映画」という表現も、わかる気がする。
私の場合「ホラー映画」や、
撃ち合い・殺人シーンが多そうな作品は、極力観ない。
お金払って、憂鬱な気分になりたくないもの。
常に、前向き、明るい映画が好き。だから「ラブ・コメディ」。
ラブ・コメといえば、メグライアンやキャメロンディアス。
今上映中の「べガスの恋に勝つルール」、痛快でした。(笑)



2008年08月16日(土)
フルスィングの威力

午前11時から、夏の高校野球(準々決勝)に釘づけとなった。
静岡県代表「常葉菊川」と、和歌山県代表「智弁和歌山」の熱戦。
例年、準々決勝では、そんなに打ち合うことはないのだが、
結果は、13−10で、常葉菊川の逆転勝ち。
その勝因は、解説者が何度も口にした「フルスィングの威力」。
空振りの三振でも、フルスィングは、相手に威圧を与えるらしい。
出てくるピッチャーにプレッシャーを与えるには、思いっきりの良さ。
応援していても、その「力いっぱい」に胸が熱くなった。
これは、私たちに何を教えてくれるのか。
中途半端に生きると、つけ込むスキを与えるが、
「フルスィング」(一所懸命)で生きていると、
悪い道に引きずり込もうとする奴らに大きなプレッシャーとなる。
そんな意味として、受け止めたらどうだろう。
相手がフルスイングだからこそ、自分もフルスイングで対抗する。
これが、13−10という、稀に見る好試合となった気がする。
そのあと見続けた、オリンピックの各種目も、同じだった。
大きな気付きを与えてもらった高校野球。明日も楽しみとなった。



2008年08月15日(金)
今、ラジオの生放送終わったばかりなんだよ

最近、先輩がパーソナリティを務める地元ラジオ番組に、
月に1度くらいの割合で、ゲストとしてお招きを受けている。
今晩は、三島市のお祭りと重なり、スタジオ周辺は人だかり。
放送終了後は、祭りの夜店を眺め、歩きながら帰路についた。
しかし50歳の男性がひとりで、ブラブラしていたからだろうか、
数人の知人に逢ったが、みんな口を揃えたように
「あれ?どうしたんですか?」と訊ねたあと、
「今から、誰かと待ち合わせですか?」と続いた。
その度に私が答えた台詞が、
「今、ラジオの生放送終わったばかりなんだよ」。
何も正直に答えなくても良かったのに・・と帰宅してから苦笑い。
「そうなんだよ、実は彼女と・・」と小指でも立て
「内緒にしてて」と口止めの真似をする。
相手がどんな反応するか、観察すれば良かったなぁ、と後悔。(笑)
でも、私を知らない人がそばで聞いていたら、
ちょっとかっこいいなぁ、このフレーズ。「ラジオの生放送」。
また、使っちゃおうっと。

歩きながら飲んだ缶ビールが、効いてきたかも・・。
北京五輪・日本対オランダの野球テレビ観戦。
まだ5回なのにもう眠たい。



2008年08月14日(木)
これが自分色のメダルですね

この台詞は、残しておきたいなぁ、と思った北京五輪ネタ。
もちろん、競泳男子200メートルバタフライ、銅メダルの
松田丈志選手の台詞である。
「自己ベスト更新だけを考えていた」とその思いを語り、
「アテネ(五輪)以来の(練習)過程に満足していた」と言い切った。
比較する相手は、驚異の記録を出す外国人選手ではなく、
4年前の自分だったのだろう。
「これが自分色のメダルですね」・・(う〜ん、いい台詞だな)
彼にとっては、何色のメダルでもよかったのかもしれない。
その気持ちが「自分色」という単語を生み出した。
自分にとって「満足感」「充実感」「達成感」を感じる色であれば、
「空色」でも「藍色」でも「桃色」でもかまわない。
常に努力を続けてきた自分へのご褒美のメダルとでも言おうか、
「自分自身を褒めてあげたい」というフレーズと重なった。
負け惜しみではなく、心の中から口に出た台詞だったから、
応援していた私たちの心も動かされたのだと思う。
さて、あなたの「自分色」は何色ですか?



2008年08月13日(水)
ポニョが女の子になって戻ってきた

もちろん映画「崖の上のポニョ」(宮崎駿監督)から。
名付け親は、主人公5歳の少年・宗介。
「ポニョっとしているし、魔法が使える」から。
その「ポニョっとしている感じ」ってのがいい。
もしかしたら「フニャ」とか「ペチャ」になる可能性があった。(笑)
子どもの感性で「ポニョ」となったけれど、
いつのまにか「ポニョ、ポニョ、ポニョ、魚の子」と
口ずさんでいる大人を見かけると、嬉しくなってしまう。
物語としては、アンデルセンの「人魚姫」を、彷彿させる。
金魚のポニョが困っていたところを、人間の子ども宗介に助けられ、
お互い好きになる。魚が人間になるには・・・これ以上は映画館で。
「僕、お魚のポニョも、半漁人のポニョも、
人間のポニョもみんな好きだよ」。
この台詞だけで、どんなに優しい映画かはわかるはず。
夏休み親子連れの中、私はひとりでメモしながら観たけれど、
思わず、笑みがこぼれ、心温まる映画だと思う。
なにはともあれ、この夏の思い出に、ご覧あれ。



2008年08月12日(火)
「規範意識」は、幼で「芽生え」小で「育つ」

幼保の連携強化も大切だが、幼保と小学校の連携も大切。
そんな話を何度も耳にするが、どうして?という問いに対して、
はっきりとした連携するものがわからなかった。
幼稚園の先生が、ある研修会で覚えてきた役割は、
幼稚園は「規範意識の芽生え」、小学校は「規範意識を育てる」。
教育界では常識なのかもしれないが、私にはなるほど・・であった。
実は、小学校になったら「規範意識」を教えると思っていた。
しかし、小学校は「規範意識を育てる」場所。
そのもとは、幼稚園にあると知って、なぜか嬉しくなった。
幼稚園だけに留まらず、保育所でも同じことであろう。
就学前の大切な時期を任されていることになる
「こども育成課」内「子育て支援室」の役割。
考え方一つで、日本の教育再生のお手伝いが出来る、と嬉しくなった。
私も頑張らなくちゃな、頼りない室長だけど(汗)。