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| 2008年04月13日(日) ■ |
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| 生きてる「海胆」と、中身を出した「雲丹」 |
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最近、週刊「日本の歳時記」(小学館ウィークリーブック)が、 私の愛読書となりつつある。 観ていて、そして読んでいて、季節感が溢れていてとても楽しい。 さて今回は2巻「春の雨」から。 「うに」は、卵巣の成熟する春が旬で食用となるらしい。 その中に、こんな解説が・・。 「海胆」は生きている状態、「雲丹」は中身を取り出した状態をいう。 もちろん、どちらも「うに」と読む。 こんな雑学は、試験には役に立たないかもしれないが妙に嬉しい。 飲み屋のメニューにあったら気にしてみよう。 あっ、でも・・ほとんど「ウニ」か「うに」だった気がするな。 あとは同じ読みの「海栗」(うに)。どんな状態を指すんだろうか? う〜ん、とっても気になる。(笑) また「中むら」で「きき酒」ならぬ「ききウニ」でもやりたいなぁ。 北海道「礼文」と「利尻」のウニでは、味が完全に違ったもの。 たしか、ウニが食べ出る海藻が違うからだったよなぁ。
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| 2008年04月12日(土) ■ |
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| 歌で大切なことは、フルチンになることだ |
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今日は月に一度の同級生混声合唱団の練習だった。 というわけで、映画「うた魂(たま)」(田中誠監督)から。 主人公は、合唱部に所属する女子高生。 歌っている時の顔が、産卵中のシャケみたい、と言われ、 歌えなくなる。 そんな気持ちの入っていない彼女の歌い方をみて、 男子高校生役の、お笑い「ガレッジセールのゴリ」さんが、 叱咤激励する。 「あんな歌い方、歌への冒涜だ。 合唱をなめてんじゃねぇぞ、このやろう」と脅しながらも、 「歌にとって、一番大切なことってなんだかわかるか? フルチンになることだ」と諭す。 「歌とは、心を裸にすることだ」を「フルチン」の言葉で テレを消した。彼女に「I amフルチン」とまで叫ばせた。 実に痛快な表現だった気がする。 薬師丸ひろ子さん演じる先生が、 「1人になって歌うのは、いつだって出来る。 仲間と歌う時間を大切にしなさい」のアドバイスも良かったな。 邦画も、じっくり見ると本当に面白い。
PS. 小学校の恩師が、私たちの歌を聴いて元気になったそうだ。 歌には、なにかパワーがあるよね。 先生も仲間に入れちゃうことにしました。(笑)
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| 2008年04月11日(金) ■ |
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| 一番の被害者は「幼児」です |
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「揺れる幼児教育界、混乱する家庭の子育て、殺伐とした社会、 今、その一番の被害者は『幼児』です。」 そんな感想を持っていた保育士さんがいた。 今、国が進めようとしている「子育て支援」は、決して 幼児の視点に立ったものとは思えない。 悔しいけれど、やはり、子どもは母親が一番好き。 だから、母親がそばにいてあげられる社会づくりを 国として、地域としてしなければならないと思う。 育児が大変だから・・と 単純に、児童手当を増やしたり、医療費を無料にすることが、 幼児のためになっているとは思えないからだ。 そのお金を使って、育児中の母親は、残業のない部署へ配属とか、 フレックスタイムで、子供の帰宅時間には母親が家にいるようにする等、 育児しやすい職場を提供している「会社」に補助金を出す方が、 よっぽど社会全体の変化に繋がると思うのだが・・。 地域全体で、子育てに関わりを持つって、そういうことだろう。
PS. ごめん、酔っぱらっているおじさんの戯言です。(汗) 公式発言ではありません、あしからず。
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| 2008年04月10日(木) ■ |
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| 俺、すご〜く逢いたかったんですよ |
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日曜日早朝のテレビ番組「ボクらの時代」から。 確かこの時の出演者は、藤原竜也さん(俳優・25歳) 中村勘太郎さん(歌舞伎役者・26歳) そして、高橋大輔さん(フィギアスケート選手・21歳)。 この台詞は、藤原さんから高橋さんへの最初の一言。 年上から年下へのフレーズだったことも驚いたけれど、 番組の間、ずっと敬語だったことにびっくりした。 ただ、男性が男性に「逢いたかったんですよ」と 素直に言える、藤原さんの魅力が私をテレビに引き付けた。 番組を見終わってから考えたこと。 50歳になったら、私の「逢いたい人リスト」を作って、 少しずつでも、確実に逢ってお話をしたいな、ってこと。 お酒でも飲みながら・・・。 (また酒ですか、って突っ込まないでね(笑)) それだけ、心にゆとりができたってことかもしれない。
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| 2008年04月09日(水) ■ |
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| WHEN IS THE WEDDING DANNY LOVER BOY? |
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この英語に見覚えのある人は、私たちと同年代。 そう、映画「小さな恋のメロディ」(ワリス・フセイン監督)の 有名なワンシーン。 子ども達が、主人公の2人を冷やかすつもりで黒板に書いた 「ダニー 結婚式はいつだい?」のフレーズである。 私の映画歴は、この作品から始まっているから、 ビージーズのサウンドとともに、いつまでも心に残っている。 テレビでも何度も放映されたが、やはりCMを挟まず、 じっくり観ようと思い、久しぶりのDVD鑑賞となった。 「僕たちは、一緒にいたいんです。それが結婚なんでしょ?」 と校長先生に問いかけるマークレスター。 うんうん・・と頷きながら、メモをした。 しかし、40年ほど前の感動とは違ったメモも増えた。 なぜ、彼女(トレーシーハイド)は金魚を欲しがったのか、 という、当時は考えなかったくだらない疑問とか、 ダニエルの母は、ダスティ・ホフマンのトッツィーだった? と思わせるような、ニューハーフばりの厚化粧が気になったり、 彼はうぶなはずなのに、手を握る時はさりげなく握っちゃうのか、 など、歳相応の作品鑑賞となってしまった。(汗) 思い出を残したい方、見直すことはあまりお勧めいたしません。 サントラ盤のCDで、ビージーズの音楽だけを・・。(笑)
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| 2008年04月08日(火) ■ |
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| 死神は「死に値する生き方をしたか」を判断するだけ |
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職場の現役保育士が、病により他界した。 老若男女を問わず、驚くほど多くの弔問客が訪れるのを目にしながら、 思い出したのは、映画「死神の精度」(筧昌也監督)のワンシーン。 さすが、伊坂幸太郎原作の映画化だ、と納得しながら、 映画館を後にしたのは、つい最近のこと。 物語の冒頭「おじさんは死神でしょ?殺しに来たの?」と 少女に訊かれ「死神は誰も殺さないよ」に続けて応えた台詞。 「死に値する生き方をしたか(生きる目的を果たしたか)を 判断するだけ」と言い切るシーンがある。 「それは、命の長さに関係ない」とも・・。 「死に様は、生き様」、この台詞の意味がわかった気がする。 亡くなった彼女は、42年間を一所懸命生きてきたし、 病に冒されてからの1年間は苦痛に耐えながらも、本当に頑張ったことが、 ご主人の挨拶からも知ることができた。(涙腺がまた緩んだ・・) 大切なことは「彼女の分まで・・」と通夜のその場で感じた気持ちを、 明日からも持ち続けることではないだろうか。 「死に値する生き方が出来るかどうか」、死神に試されている。
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| 2008年04月07日(月) ■ |
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| 距離を置くことで丁寧になる |
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毎朝、とりあえず勉強している英語番組から。 「Will you 〜?」より「Would you 〜?」の方が、 丁寧な表現になることは、知識として知っていた。 しかし、どうして「過去形にすると丁寧なのか?」の疑問は 払拭できないでいた。 しかし、イメージ・感覚を重視すると、理解しやすい。 「過去形の感覚は、距離を置くこと」 ネイティブの感覚では、現在形や、進行形、未来形よりも 距離を置いているイメージがあるらしい。 たしかに、昔のことを思い出す時って、少し「間」を取り、 じっくり遡っていく感覚がある。 だから「過去形は丁寧」と感じられるのかもしれない。 ろくに話すことができないから、 最初から「Would you 〜?」を覚えておこうっと。 丁寧に話されて、怒る人はいないだろうから。
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| 2008年04月06日(日) ■ |
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| 気持ちを伝えたい人、待っている人が必ずいる |
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映画「ポストマン」(長嶋一茂監督)から。 いつも、天然ボケ役か、長嶋監督の息子・・のイメージが 付いて回っていた彼にこんな才能があったのか?と 感心させられた作品である。 彼は主演も演じているが、物語のほとんど大部分で、 鍛えた身体を活かしながら(たぶん、代役はなしで・・) 郵便局のバタンコと呼ばれる自転車をこぎ続けた。 そんな彼が、この映画で伝えたかったことは・・と 溢れたメモを眺めてみたら、この台詞が浮かび上がった。 民営化されたが、私にとっては郵便局は郵便局。(笑) メール全盛のこんな時代だからこそ、 私も(手書きの)手紙の素晴らしさを伝えたいと思う。 メールでは伝わらない想いも、手紙なら伝わる。 そう信じているからか、この台詞が心に残った。 最近、美術館から「絵はがき」を書くことに凝っている。 彼と想いは同じであった。 「気持ちを伝えたい人、待っている人が必ずいる」
PS. 自転車屋役に木梨憲武さん(実家の家業)が登場して驚いた。
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| 2008年04月05日(土) ■ |
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| 天下の奇祭「大瀬まつり」、毎年4月4日の理由 |
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私の生まれた静岡県沼津市西浦江梨のすぐそばに、 大瀬崎という場所があり、毎年4月4日に 天下の奇祭と呼ばれる「大瀬まつり」が行われる。 この祭り「河湾の漁民の信仰を一心に集める大瀬神社の例大祭。 大漁旗で飾られた漁船で、女装した青年たちが踊る 『勇み踊り』が見もの」であるが、 この中途半端な日付が気になって仕方がなかった。 生まれた地の祭りであるから、顔を出したいと思うのであるが、 なんせ、曜日に関係なく「毎年4月4日」なのである。 年度初めの大切な時期に・・とボヤキながら、 もうだいぶ、ご無沙汰をしている。 ところで、先日飲みながら、 3月3日は、桃の節句・雛祭り(女の子の節句)、 5月5日は、端午の節句(男の子の節句)から考えると、 4月4日は、オカマの日、なんて話を聞いたから、 ふと、気がついたことがある。 「女装した青年たちが踊る祭り」だから、4月4日。 関係ないだろうか?(汗)、気になって仕方がない。 日にちを変えないということは、その日に意味があるはず。
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| 2008年04月04日(金) ■ |
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| あれが最後だったのに、俺は怒鳴ってしまった |
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映画「再会の街で」(マイク・バインダー監督)から。 主人公の1人は、 アメリカ同時多発テロ「9.11の被害者」の家族。 今でも、精神的な苦痛が彼らを襲っていることを知った。 その代表的な想いが、この台詞。 事故の前、台所のリフォームのことで相談されていたのに、 「たかが台所」のことと、俺は怒鳴ってしまった、と。 もっと、優しくしてあげればよかった、と後悔は残った。 実はこのシーンを観て、思い出した詩がある。 「最後だとわかっていたなら」と題する詩。 (是非、一度、インターネットで検索して読んで欲しい。 涙が止まらなくなっても、私は、責任がとれませんが・・) この詩には、思いやりや優しさが人間に残っていることを 教えてくれる。 私は、紙にプリントして持ち歩いている。 時々、顔を出す、私の心の中のイライラのために。
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