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しもさんの「気になる一言」
しもさん
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2004年10月31日(日)
「茨城ゴルフ倶楽部」が頑張れって言っている

日曜日の午後は、スポーツ大好き人間にはテレビ観戦がいい。
東京六大学の早慶戦あり、競馬の天皇賞あり、ゴルフあり。
私だけのチャンネル争いであるのに、なぜか忙しい。
たぶん私の関心が、苦しい戦いを勝ち抜いてきた
ヒーローインタビューにあるからだろう。
今回は、日本シニアオープン(茨城GC東)をプレーオフで制した
54歳の高橋勝成プロのコメント。
優勝した瞬間、素敵なシーンを目にした。
一緒にラウンドした地元の高齢女性キャディさんの手を高々上げ、
その後、感謝の気持ちを込めて、何度となく握手したのだ。
「キャディさんのお陰げ」そんなメッセージが伝わってきた。
今年、息子さんが亡くなり、生きる支えを失った高橋プロ、
優勝インタビューの途中で、こらえきれなかったのだろう、
大粒の涙が溢れ、言葉に詰まり、帽子のつばで顔を隠した。
暫くして、涙を拭いファンに向かって、深々と頭を下げた後、
研修生時代の2年間をすごしたホームコースである
茨城ゴルフ倶楽部での苦労を思い出したのだろうか。
彼にとって、本当に辛い今年の1年を振り返りながら、
このメッセージは自然と口に出たのだろう、印象に残った。
若いうちは金を出してでも苦労しろ、とよく言われる。
その意味は、経験により人間を磨くということだろうが、
私は、彼のコメントをメモしながら、違う意味を感じ取った。
歳を重ねてからの辛さを、若い時の苦労が励ましてくれる。
今が辛い時、辛かった昔が「頑張れ」と励ましてくれている。
その時のために、若いうちに苦労しなさい、と。
とても素敵な考え方ではないだろうか。
是非、心に刻んでおきたい。



2004年10月30日(土)
これでいいいということはないが・・

思わぬゴルフの結果で大喜びの私であったが、
本音は、もっともっと練習をしてうまくなりたい。
そして安定したスコアで、彼らと優勝を争いたいけれど、
お金と時間のかかるゴルフなだけに、
他に続けているものをやめてまでは、まだまだ熱が入らない。
これが正直な気持ちである。
この気持ちをうまく表現できないものだろうか、と考えて
ぼ〜っとしていたら、部屋の片隅にめくり忘れた
相田みつをさんの「日めくりカレンダー」が目にとまった。
「これでいいいということはないが、
これがいまのわたしの精いっぱいの姿です」と。
もちろん、現状の結果には満足していないけれど、
これも私、という気持ちがうまく表現されていると思う。
ゴルフだけでなく、いろいろな場面で使えるフレーズである。
「気持ちはあるけれど、身体がついていかない」
そんなシーンには、1日何度も出くわすが、
「これも現実、認めなくちゃ」と考えることにしている。
それ以来、自己嫌悪を含めたストレスは激減。
「情けない自分を受け入れる」ことの楽しみ方もある。
覚えておいて損はない、そう思うのだが・・。



2004年10月29日(金)
まさかの下山、きせきの下山

毎年恒例の1泊2日、2日間のゴルフ大会。今年で10回目。
最長老として若者に混じって、参加させていただいている。
今年は腰痛が全治したわけじゃないので、
みんなに迷惑をかけちゃ悪いかな、と最後まで悩んでいたが
「絶対無理をしない」と心に決めて参加。
当然、スコアは二の次。思いきり振ると腰が痛いのだから。
しかし腰痛用のコルセットをしながらのプレーは、
思いがけない結果を私に与えてくれた。
なんと、ニアピンを2ホールも取ってしまったのである。
1年に1度か2度しかゴルフに行かない私が、
月に何度も出かける彼らより、ピンに近かった。
ニアピンを示す旗に、自分の名前を書き15人の結果を待つが、
自分でも驚いたので1ホール目の旗には「まさかの下山」。
そして、2つ目の旗には「きせきの下山」と記した。
結局、そのままニアピンは更新されることなく、私がゲット。
「ぎっくり腰に負けるなんてくやし〜い」と言う
上級者の声が聞こえてきそうで、楽しかった。
トータルのスコアは、恥ずかしくて紹介できないが、
「腰に響かないように、ゆっくり振るといい」ということを
自ら実感した1日となった。
もう2度とないかもしれない、初日2つのニアピン。
これは記録として、気になる一言にしようと思う。
2日目、さすがに奇跡の後は何も起こらなかった。
ビギナーズラック、そんなようなものかな。(笑)



2004年10月28日(木)
新聞投稿は、不平・不満の捨て場所じゃないからね

先週、久しぶりに投稿したコラムが地元新聞に掲載された。
「見ましたよ〜」から「私もそう思いました」まで、
反応は様々だけれど、私の想像以上に
インターネット以外の読者が多いことに驚いている。
「名前を見つけて嬉しくなりました」と言われれば、
また書きたくなるのが人情ってものであろう。
だから私の原点である「新聞投稿」をまた再開しようと思った。
さて、今回の一言は私の台詞。
「新聞投稿、また始めるんですか?」と聴かれて答えたもの。
「うん、なんだか、最近の投稿って、社会や行政に対する
不平・不満・愚痴などが目立って、読む気にならなかった」と
本音を漏らしながらも「そうだ、私が変えていこう」と素直に
思ったので、記念に残そうと思った。
同日の掲載された投稿のタイトルは
「市民サービス 公平さ欠くな」「容易な天下り 容認しないで」
「水俣病の判決 行政責任追求」などなど。
例え500字足らずの短い文章でも、
「こんな嫌なことがあった」「私は納得できない」
と書かれた感想は「論評」「発言」とは言い難いし、
どんな文でも「起承転結」の必要性を感じて欲しい。
読者が、一所懸命読んでくれているのがわかったから、
投稿する私達も、真剣に取り組み、
社会に対し出来るだけ「提言」できる内容を書いていこう、と
呼びかけていきたい。
そのためには、まず私が実践しなければ、と感じているのも事実。
こうは言ったもののうまくいくだろうか、という不安はある。
しかし今こそ「言葉の力」を伝えたい、心からそう思う。
やるっきゃない。



2004年10月27日(水)
自分は運よく解放されただけ

<イラク邦人人質>の事件を知り、私が一番関心を示したのは
今年4月に解放された5人のコメントだった。
カメラマン、郡山総一郎さん(32)は、
「今回の男性も多少覚悟はしていたはずだが、
原因を作っているのは自衛隊。自分は運よく解放されただけ。
命を救うためすぐに撤退すべきだ」と訴えた。
今井紀明さん(19)は今月8日、語学留学のため英国へ渡って
コメントはなかった。
高遠菜穂子さん(34)も
「講演会などの要請を調整している状態」でコメントはなかった。
フリージャーナリストの安田純平さん(30)は
「今回は相手が悪い。ザルカウィ氏のグループはイラク国内でも
聖職者の影響力が及ばないとされており、
基本的に人質は殺害するという印象が強い」と懸念した上で
「現地で活動する以上、こうしたリスクを伴うことは
本人も当然覚悟していたとは思うが、
日本でも自衛隊の派遣継続を再検討してもいいのではないか」。
渡辺修孝さん(37)は
「小泉首相が自衛隊は撤退しないと話したことは、
人質は殺されてもよいと受け止められても仕方がない発言で、
もっと配慮がほしかった」と語った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
おいおい、いい加減にしてくれ。
君たちの解放に、どれだけの国民の税金が使われたと思うんだ。
そんなお金があったら、台風被害・地震災害支援に使って欲しい。
せっかくメモした「気になる一言」も、彼らのコメントで
すっかり色褪せてしまった。
「自己責任」で騒がれたこと、すっかり忘れてしまったのか。
彼らはあの事件後、自分達の行動に対して本当に反省したのか、
どうも納得のいかないコメントである。
絶対に「運が良かった・悪かった」で片付けて欲しくない。
家族にも止められたけれど、発言が過激だったかな。
この感情、書かずにはいられなかった。ごめんなさい。



2004年10月26日(火)
人を信じて裏切られた時は、自分に見る眼がなかったってこと

録画してあったNHK大河ドラマ「新選組!」で、
坂本竜馬役の江口洋介さんが、呟いた。
その場面を説明すると長くなるのでしないが、
ドラマに関係なく使える台詞として、メモをした。
「いいのですか?そんな奴、信じて」と仲間は忠告する。
(あいつは嘘つきだから、きっと裏切られますよ)
そんな意味のニュアンスが含められていたと思う。
こんなシーンは、私たちの生活でも良くある。
お金を貸したり、保証人になったり、秘密をばらされたり、
トラブルのもとは、信用したのに裏切られるから起きる。
だから、裏切ったあいつが悪い、私は信じたのに・・という
フレーズが多くの方の口から飛び出すことになるのだが。
確かに、自分の人間を見る眼がなかったことを嘆く人は少ない。
そういう意味で、今回の一言には「はっ」とさせられた。
生活のいろいろな場面で当てはまるから。
相手の失敗・裏切りを嘆くより、
それを任せた・信用した自分を責める必要がありそうだ。
これだったら、ストレスは溜まらない。
自分がまだまだ甘い、と諦めればいい。
結局、ドラマの中でも裏切られないが、
坂本竜馬は居場所がばれて暗殺されることとなる。
人を信じきり、裏切りによって殺されたわけではない。
そんな結末に、脚本の三谷幸喜さんは何を伝えたかったのか、
ちょっぴりわかったような気がした。



2004年10月25日(月)
病院では「医療器具が倒れて使えない」と悲鳴

新潟の震度6強地震。
翌日の朝刊はどの新聞も当然トップ記事。
私は相変わらず「1日目のイベント打ち上げ」と称して
軽く飲んでいて、帰宅してから知って驚いた。
地震の怖さを表現するつもりなのかもしれないけれど、
私はへそ曲がりなのか、病院関係者のこのコメントをメモした。
多くの被災者を手当てするはずの病院が、
転倒防止装置をつけていなかったのだろうか、という疑問。
いざという時のために、高い医療費を払っているのに、
その「いざ」の時、倒れて役に立たないのでは困るからだ。
停電しても自家発電で対応する医療の現場、
「野戦病院」と化す可能性も秘めているのに、と思う。
非難するはずの避難場所が、地震で倒れたら大騒ぎとなる。
台風、地震と続く災害に対して、我々が出来ることは
「いざ」という時に、力になれる体制づくりなのだと思う。
そして、この恐怖を体験した人達が
トラウマにならないような精神的なフォローが望まれる。
さて、こんな私にできることは・・



2004年10月24日(日)
はでらかす音を聞きたいだけだから

週末の土曜・日曜は快晴。まさしくイベント日和。
柿田川公園で開催される「みどりまつり」は
「緑」を愛する(?)大勢の人達で賑わった。
春に続いて、私の担当は「ポン菓子無料配付コーナー」。
2日間で約50回、毎回長い列が出来るほど盛況だった。
「お米がこんなになるの?」と驚く幼児から若い人。
時々、トウモロコシからポップコーンを作ると大喜び。
そんな中、私たちの作業をしている横で
じっと見ている中年から壮年の方々。
「無料ですから、並んでください」と声を掛けると
「ポン菓子が食べたいんじゃないの。その音が聞きくて」と
昔を懐かしむ人達が多いことに、なんだか嬉しくなった。
「小さい頃は、お米と薪を持って行ったのよ」とか
「この音を聞くと慌てて外へ飛び出したわよねぇ」と
見知らぬ同士でも、すぐ仲良くなる光景は微笑ましかった。
米が空気に触れて破裂する独特の音、
「爆発音」ではなく「はでらかす音」は会場に響きわたった。
久しぶりに「音」から蘇る小さい頃の思い出に浸った。
若い人にはわからないかな、「はでらかす音」って言っても。
年齢限定の話題だけど、今日はこの一言。
(「はでらかす」って静岡県の方言かな、調べてないけど)



2004年10月23日(土)
おかあさん、それ、選曲ミセス

メル友が、NHKのど自慢大会に出るんだと張り切っている。
挑戦する曲目は?と訊ねると、
ペギー葉山さんの「南国土佐を後にして」だと言う。
その選曲に対して、娘さんたちが浴びせた一言。
(もしかしたら「ママ、選曲ミセス」かもしれないが・・)
言葉遊びには欠かせないフレーズとなった。
私にとっては、思わずニヤリの一瞬である。
その発想をキッカケに、いろいろ探してみたら
「選択ミセス」「煩ミセス」「ミセスマッチ」などなど、
応用範囲は思った以上に広かった。
あとは、使うタイミングかな、と感じているが、
これがまた難しい。
まずはオーソドックスに「カラオケ」に行って
あんまり上手に唄えなかったら、冒頭の一言をボソッと呟く。
「選曲ミスター」では意味が通じない。
「選曲ミセス」だから、面白いのである。
これからも何度となく登場する、私の言葉遊び。
どうぞ、懲りずにおつきあいください。



2004年10月22日(金)
「お頭付き」ではなく「尾頭付き」

何気なくテレビを見ていたら、常識クイズをやっていた。
「『おかしら』を漢字で書きなさい」。
てっきり「かしら」を漢字で書けるかな?
そんな問題だったと思っていた。
その場に居合わせたメンバーは「お頭」(「御頭」)。
珍回答をする出演者に「お頭」も書けないのかよ〜と
みんな自慢げだった。
お祝いごとや神事に使うだろうに・・と解説付き。
しかし、答えは「尾頭」だったから、一同唖然。
たしかに「尾と頭のついたままの魚」。
まるごと一匹のことは誰もが知っていたのに「尾頭」に
気が付かなかった。
そこでなぜだろうか、と考えてみた。
たぶん「尾」から「頭」という視点がなかったのだろう。
「尾」から「頭」という発想をした人は、頭が柔らかいと思う。
全て「上から下へ」「前から後ろへ」が正しいとは限らない。
ついつい長い経験から出来上がった自分の枠の中で、
答えを見つけようとするが、それでは問題は解決ししない。
もう手垢の付いた表現であるけれど
「発想の転換」の必要性を、改めて感じた問題であった。