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| 2004年10月28日(木) ■ |
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| 新聞投稿は、不平・不満の捨て場所じゃないからね |
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先週、久しぶりに投稿したコラムが地元新聞に掲載された。 「見ましたよ〜」から「私もそう思いました」まで、 反応は様々だけれど、私の想像以上に インターネット以外の読者が多いことに驚いている。 「名前を見つけて嬉しくなりました」と言われれば、 また書きたくなるのが人情ってものであろう。 だから私の原点である「新聞投稿」をまた再開しようと思った。 さて、今回の一言は私の台詞。 「新聞投稿、また始めるんですか?」と聴かれて答えたもの。 「うん、なんだか、最近の投稿って、社会や行政に対する 不平・不満・愚痴などが目立って、読む気にならなかった」と 本音を漏らしながらも「そうだ、私が変えていこう」と素直に 思ったので、記念に残そうと思った。 同日の掲載された投稿のタイトルは 「市民サービス 公平さ欠くな」「容易な天下り 容認しないで」 「水俣病の判決 行政責任追求」などなど。 例え500字足らずの短い文章でも、 「こんな嫌なことがあった」「私は納得できない」 と書かれた感想は「論評」「発言」とは言い難いし、 どんな文でも「起承転結」の必要性を感じて欲しい。 読者が、一所懸命読んでくれているのがわかったから、 投稿する私達も、真剣に取り組み、 社会に対し出来るだけ「提言」できる内容を書いていこう、と 呼びかけていきたい。 そのためには、まず私が実践しなければ、と感じているのも事実。 こうは言ったもののうまくいくだろうか、という不安はある。 しかし今こそ「言葉の力」を伝えたい、心からそう思う。 やるっきゃない。
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| 2004年10月27日(水) ■ |
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| 自分は運よく解放されただけ |
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<イラク邦人人質>の事件を知り、私が一番関心を示したのは 今年4月に解放された5人のコメントだった。 カメラマン、郡山総一郎さん(32)は、 「今回の男性も多少覚悟はしていたはずだが、 原因を作っているのは自衛隊。自分は運よく解放されただけ。 命を救うためすぐに撤退すべきだ」と訴えた。 今井紀明さん(19)は今月8日、語学留学のため英国へ渡って コメントはなかった。 高遠菜穂子さん(34)も 「講演会などの要請を調整している状態」でコメントはなかった。 フリージャーナリストの安田純平さん(30)は 「今回は相手が悪い。ザルカウィ氏のグループはイラク国内でも 聖職者の影響力が及ばないとされており、 基本的に人質は殺害するという印象が強い」と懸念した上で 「現地で活動する以上、こうしたリスクを伴うことは 本人も当然覚悟していたとは思うが、 日本でも自衛隊の派遣継続を再検討してもいいのではないか」。 渡辺修孝さん(37)は 「小泉首相が自衛隊は撤退しないと話したことは、 人質は殺されてもよいと受け止められても仕方がない発言で、 もっと配慮がほしかった」と語った。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ おいおい、いい加減にしてくれ。 君たちの解放に、どれだけの国民の税金が使われたと思うんだ。 そんなお金があったら、台風被害・地震災害支援に使って欲しい。 せっかくメモした「気になる一言」も、彼らのコメントで すっかり色褪せてしまった。 「自己責任」で騒がれたこと、すっかり忘れてしまったのか。 彼らはあの事件後、自分達の行動に対して本当に反省したのか、 どうも納得のいかないコメントである。 絶対に「運が良かった・悪かった」で片付けて欲しくない。 家族にも止められたけれど、発言が過激だったかな。 この感情、書かずにはいられなかった。ごめんなさい。
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| 2004年10月26日(火) ■ |
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| 人を信じて裏切られた時は、自分に見る眼がなかったってこと |
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録画してあったNHK大河ドラマ「新選組!」で、 坂本竜馬役の江口洋介さんが、呟いた。 その場面を説明すると長くなるのでしないが、 ドラマに関係なく使える台詞として、メモをした。 「いいのですか?そんな奴、信じて」と仲間は忠告する。 (あいつは嘘つきだから、きっと裏切られますよ) そんな意味のニュアンスが含められていたと思う。 こんなシーンは、私たちの生活でも良くある。 お金を貸したり、保証人になったり、秘密をばらされたり、 トラブルのもとは、信用したのに裏切られるから起きる。 だから、裏切ったあいつが悪い、私は信じたのに・・という フレーズが多くの方の口から飛び出すことになるのだが。 確かに、自分の人間を見る眼がなかったことを嘆く人は少ない。 そういう意味で、今回の一言には「はっ」とさせられた。 生活のいろいろな場面で当てはまるから。 相手の失敗・裏切りを嘆くより、 それを任せた・信用した自分を責める必要がありそうだ。 これだったら、ストレスは溜まらない。 自分がまだまだ甘い、と諦めればいい。 結局、ドラマの中でも裏切られないが、 坂本竜馬は居場所がばれて暗殺されることとなる。 人を信じきり、裏切りによって殺されたわけではない。 そんな結末に、脚本の三谷幸喜さんは何を伝えたかったのか、 ちょっぴりわかったような気がした。
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| 2004年10月25日(月) ■ |
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| 病院では「医療器具が倒れて使えない」と悲鳴 |
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新潟の震度6強地震。 翌日の朝刊はどの新聞も当然トップ記事。 私は相変わらず「1日目のイベント打ち上げ」と称して 軽く飲んでいて、帰宅してから知って驚いた。 地震の怖さを表現するつもりなのかもしれないけれど、 私はへそ曲がりなのか、病院関係者のこのコメントをメモした。 多くの被災者を手当てするはずの病院が、 転倒防止装置をつけていなかったのだろうか、という疑問。 いざという時のために、高い医療費を払っているのに、 その「いざ」の時、倒れて役に立たないのでは困るからだ。 停電しても自家発電で対応する医療の現場、 「野戦病院」と化す可能性も秘めているのに、と思う。 非難するはずの避難場所が、地震で倒れたら大騒ぎとなる。 台風、地震と続く災害に対して、我々が出来ることは 「いざ」という時に、力になれる体制づくりなのだと思う。 そして、この恐怖を体験した人達が トラウマにならないような精神的なフォローが望まれる。 さて、こんな私にできることは・・
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| 2004年10月24日(日) ■ |
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| はでらかす音を聞きたいだけだから |
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週末の土曜・日曜は快晴。まさしくイベント日和。 柿田川公園で開催される「みどりまつり」は 「緑」を愛する(?)大勢の人達で賑わった。 春に続いて、私の担当は「ポン菓子無料配付コーナー」。 2日間で約50回、毎回長い列が出来るほど盛況だった。 「お米がこんなになるの?」と驚く幼児から若い人。 時々、トウモロコシからポップコーンを作ると大喜び。 そんな中、私たちの作業をしている横で じっと見ている中年から壮年の方々。 「無料ですから、並んでください」と声を掛けると 「ポン菓子が食べたいんじゃないの。その音が聞きくて」と 昔を懐かしむ人達が多いことに、なんだか嬉しくなった。 「小さい頃は、お米と薪を持って行ったのよ」とか 「この音を聞くと慌てて外へ飛び出したわよねぇ」と 見知らぬ同士でも、すぐ仲良くなる光景は微笑ましかった。 米が空気に触れて破裂する独特の音、 「爆発音」ではなく「はでらかす音」は会場に響きわたった。 久しぶりに「音」から蘇る小さい頃の思い出に浸った。 若い人にはわからないかな、「はでらかす音」って言っても。 年齢限定の話題だけど、今日はこの一言。 (「はでらかす」って静岡県の方言かな、調べてないけど)
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| 2004年10月23日(土) ■ |
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| おかあさん、それ、選曲ミセス |
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メル友が、NHKのど自慢大会に出るんだと張り切っている。 挑戦する曲目は?と訊ねると、 ペギー葉山さんの「南国土佐を後にして」だと言う。 その選曲に対して、娘さんたちが浴びせた一言。 (もしかしたら「ママ、選曲ミセス」かもしれないが・・) 言葉遊びには欠かせないフレーズとなった。 私にとっては、思わずニヤリの一瞬である。 その発想をキッカケに、いろいろ探してみたら 「選択ミセス」「煩ミセス」「ミセスマッチ」などなど、 応用範囲は思った以上に広かった。 あとは、使うタイミングかな、と感じているが、 これがまた難しい。 まずはオーソドックスに「カラオケ」に行って あんまり上手に唄えなかったら、冒頭の一言をボソッと呟く。 「選曲ミスター」では意味が通じない。 「選曲ミセス」だから、面白いのである。 これからも何度となく登場する、私の言葉遊び。 どうぞ、懲りずにおつきあいください。
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| 2004年10月22日(金) ■ |
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| 「お頭付き」ではなく「尾頭付き」 |
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何気なくテレビを見ていたら、常識クイズをやっていた。 「『おかしら』を漢字で書きなさい」。 てっきり「かしら」を漢字で書けるかな? そんな問題だったと思っていた。 その場に居合わせたメンバーは「お頭」(「御頭」)。 珍回答をする出演者に「お頭」も書けないのかよ〜と みんな自慢げだった。 お祝いごとや神事に使うだろうに・・と解説付き。 しかし、答えは「尾頭」だったから、一同唖然。 たしかに「尾と頭のついたままの魚」。 まるごと一匹のことは誰もが知っていたのに「尾頭」に 気が付かなかった。 そこでなぜだろうか、と考えてみた。 たぶん「尾」から「頭」という視点がなかったのだろう。 「尾」から「頭」という発想をした人は、頭が柔らかいと思う。 全て「上から下へ」「前から後ろへ」が正しいとは限らない。 ついつい長い経験から出来上がった自分の枠の中で、 答えを見つけようとするが、それでは問題は解決ししない。 もう手垢の付いた表現であるけれど 「発想の転換」の必要性を、改めて感じた問題であった。
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| 2004年10月21日(木) ■ |
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| 誰かが死ななきゃやめないんだよ |
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建物の外へ出て、台風の様子を伝える各局のアナウンサー。 暴風に負けず、必死になってその凄さを伝えるシーン。 どの局でも、何度も何度も目にするけれど、 「そこまでしなくても・・」というのが 多くの視聴者の意見ではなかろうか。 かえって「危なくてハラハラする」という意見が多い。 と言うことは、局の意図が伝わっていないということ。 それなのに報道各局は、これでもかこれでもか、と流す。 どうして、こんなことを続けているのだろうか、 どうして、やめることが出来ないのだろうか、 私にとっては、とっても不思議なことである。 ではやめる方法は・・という話になったが、 みんなで考えたその答えが、気になる一言。 その時、国民の多くが 「私もそう思っていたのに」と声をあげるに違いない。 それからでは遅いのに・・と思う。 まさか、ハプニングシーン、NGシリーズで使えるから・・ なんて考えているわけでもないだろうに。 台風の犠牲者の家族の気持ちを考えれば、 一刻も早くやめるべきである。 それでも続けるのであれば、 責任の所在をはっきりしておく必要があろう。 台風は危険だから出ないでと、必死の説得、外でする。
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| 2004年10月20日(水) ■ |
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| 神様が日本に試練を与えているみたいだね |
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今年は台風の当たり年、もう10個目の上陸。 しかし先週、お天気キャスターの森田正光さんは、 もう今年は上陸しません、というコメントをしていたはずなのに・・。 原因は、いろいろ考えられるんだろうけれど、 もう気圧の配置などでは説明できない何かがあるかもしれない。 そんなことを考えながら、農業用水のパトロールをしていたら この台詞がラジオから流れてきた。 面白い視点だな、と思わずメモをした。 今まで、自然の脅威をあまり意識しなかった日本人に、 猛暑の夏と台風の威力を示しているようで仕方がなかった。 地震も台風も被災地でないと他人事、の意識が強い私たちに、 神が平等のように日本各地に台風を上陸させてくれた、 そう考えてみるのも面白い。 危機意識の薄い日本人に、少しは自然の猛威が刺激になって 用意周到な体制の要性を感じたに違いない。 前回の台風の復旧も終わらないまま、また台風上陸。 「神様は、超えられない試練を与えない」 そんなフレーズも私の頭には浮かんできた。 今は、農家にとっても大切な時期である。 国民全体で、この試練を乗り越え踏ん張るしかない。 さて、今夜も水防警備で徹夜かな。朝には帰れるのだろうか。
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| 2004年10月19日(火) ■ |
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| 今どきの肝っ玉かあさんは、スリムだ |
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好きな作家の一人、林真理子さんの「美女入門part3」 (角川文庫・274頁)を読み終えた。 彼女独特の言い回しが、私にはとても勉強になる。 さて今回の台詞は、挿絵だったから、もしかしたら イラストレーター・国分チエミさんの作品かもしれない。 私達の時代、肝っ玉かあさん=京塚昌子さんだったので、 このフレーズが妙に引っかかった。 この「肝っ玉かあさん」の条件は何だろう、と考えてみた。 人情味が溢れ、悩んでいると相談したくなるような女性。 腕っぷしが強く、喧嘩の強い女性ではないことは確か。 いつもはニコニコしているけれど、一度怒らせたら大変。 そんな女性のイメージは、ちょっと太目のほうが似合っていた。 (これは私の独断と偏見で、あまり意味はないけれど・・) しかし最近では痩せていても、こういうタイプの母親がいる。 男性でも女性でも、大人でも子供でも差別することなく 力になってくれる母親は、現代の肝っ玉かあさんに間違いない。 「肝っ玉かあさん」は死語になったのではなく、 形を変えて、私たちの生活の中に生きつづけていると思う。 さらに付け加えて言えば、 今どきの肝っ玉かあさんは、オシャレである。 白い割烹着を着ていなくても、家事をこなす母親が溢れている。 それに比べて、男性は・・ いまだに、太ったままの「寺内貫太郎」か。(笑)
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