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しもさんの「気になる一言」
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2004年10月21日(木)
誰かが死ななきゃやめないんだよ

建物の外へ出て、台風の様子を伝える各局のアナウンサー。
暴風に負けず、必死になってその凄さを伝えるシーン。
どの局でも、何度も何度も目にするけれど、
「そこまでしなくても・・」というのが
多くの視聴者の意見ではなかろうか。
かえって「危なくてハラハラする」という意見が多い。
と言うことは、局の意図が伝わっていないということ。
それなのに報道各局は、これでもかこれでもか、と流す。
どうして、こんなことを続けているのだろうか、
どうして、やめることが出来ないのだろうか、
私にとっては、とっても不思議なことである。
ではやめる方法は・・という話になったが、
みんなで考えたその答えが、気になる一言。
その時、国民の多くが
「私もそう思っていたのに」と声をあげるに違いない。
それからでは遅いのに・・と思う。
まさか、ハプニングシーン、NGシリーズで使えるから・・
なんて考えているわけでもないだろうに。
台風の犠牲者の家族の気持ちを考えれば、
一刻も早くやめるべきである。
それでも続けるのであれば、
責任の所在をはっきりしておく必要があろう。
台風は危険だから出ないでと、必死の説得、外でする。



2004年10月20日(水)
神様が日本に試練を与えているみたいだね

今年は台風の当たり年、もう10個目の上陸。
しかし先週、お天気キャスターの森田正光さんは、
もう今年は上陸しません、というコメントをしていたはずなのに・・。
原因は、いろいろ考えられるんだろうけれど、
もう気圧の配置などでは説明できない何かがあるかもしれない。
そんなことを考えながら、農業用水のパトロールをしていたら
この台詞がラジオから流れてきた。
面白い視点だな、と思わずメモをした。
今まで、自然の脅威をあまり意識しなかった日本人に、
猛暑の夏と台風の威力を示しているようで仕方がなかった。
地震も台風も被災地でないと他人事、の意識が強い私たちに、
神が平等のように日本各地に台風を上陸させてくれた、
そう考えてみるのも面白い。
危機意識の薄い日本人に、少しは自然の猛威が刺激になって
用意周到な体制の要性を感じたに違いない。
前回の台風の復旧も終わらないまま、また台風上陸。
「神様は、超えられない試練を与えない」
そんなフレーズも私の頭には浮かんできた。
今は、農家にとっても大切な時期である。
国民全体で、この試練を乗り越え踏ん張るしかない。
さて、今夜も水防警備で徹夜かな。朝には帰れるのだろうか。



2004年10月19日(火)
今どきの肝っ玉かあさんは、スリムだ

好きな作家の一人、林真理子さんの「美女入門part3」
(角川文庫・274頁)を読み終えた。
彼女独特の言い回しが、私にはとても勉強になる。
さて今回の台詞は、挿絵だったから、もしかしたら
イラストレーター・国分チエミさんの作品かもしれない。
私達の時代、肝っ玉かあさん=京塚昌子さんだったので、
このフレーズが妙に引っかかった。
この「肝っ玉かあさん」の条件は何だろう、と考えてみた。
人情味が溢れ、悩んでいると相談したくなるような女性。
腕っぷしが強く、喧嘩の強い女性ではないことは確か。
いつもはニコニコしているけれど、一度怒らせたら大変。
そんな女性のイメージは、ちょっと太目のほうが似合っていた。
(これは私の独断と偏見で、あまり意味はないけれど・・)
しかし最近では痩せていても、こういうタイプの母親がいる。
男性でも女性でも、大人でも子供でも差別することなく
力になってくれる母親は、現代の肝っ玉かあさんに間違いない。
「肝っ玉かあさん」は死語になったのではなく、
形を変えて、私たちの生活の中に生きつづけていると思う。
さらに付け加えて言えば、
今どきの肝っ玉かあさんは、オシャレである。
白い割烹着を着ていなくても、家事をこなす母親が溢れている。
それに比べて、男性は・・
いまだに、太ったままの「寺内貫太郎」か。(笑)



2004年10月18日(月)
蔵王のオカマは最高だね

先週末、中学の同級生で学年全体の同窓会があった。
(というより、単なる飲み会だったかも・・)
今回は、面倒くさいことは一切なし、
場所は公民館、会費は無料(但し自分の食べ物・飲み物持参)
連絡は全て口コミ、(返事も来ないはがきは意味がないから)
2次会はご自由に。これで来れる人は来て・・で企画した。
異論、反論は承知の上、公務員が暇だと思ったら大間違いだ、
それが嫌なら、いつも私任せの幹事をやってみろ、という
ちょっと強気の私がいた。
結局、集まった人数は少なかったが、楽しい時間を過ごせた。
今回はその中での会話。
「この間、宮城県へ行ったんだけれど・・」で始まる話に
耳を傾けたら、冒頭の台詞。「蔵王のオカマは最高だね」
「へぇ〜、そんなにきれいなの?」と私。
「うん、最高。一度見ておいた方がいいよ」と友。
「そういえば、上高地も良かったぞ」と別の友。
「へぇ〜、上高地にもきれいなオカマがいるの?」と私。
顔を見あわせる同級生同士のあきれ顔。
「おまえ、ばっかじゃね〜の?」と友、そして大笑い。
私と同じ間違いをした友もいるけれど・・恥ずかしかった。
「蔵王のお釜」といえば、有名な観光名所。
エメラルドグリーンの湖水は、なかなか見ることが出来ない。
それくらいは知っていたけれど、景色は浮かんでこなかった。
酔っぱらっていたとはいえ、またまた失態を・・(笑)
この日の楽しさは、何年経っても「蔵王のお釜」で思い出す。
持ち寄った食べ物、美味しいものにいっぱいありつけたし、
やっぱり同窓会もいいもんだな、と万年幹事は思った。



2004年10月17日(日)
お母さんでしか教えられないことを教わっていない

「泉のまち わたしの主張」と題する発表会が開催された。
小・中学生や高校生の発表に混じって、高齢者・外国人も
自分の感じたことを丁寧な話し方で、堂々と話してくれた。
中でも、日本に来て10年。町内で英会話を教えているという、
マレーシア出身の女性の主張は
「日本の子どもたちとふれあってみての印象」だった。
他の国の子どもたちにあって、日本の子ども達にないことは
「親を尊敬する」という感覚のようだ。
あまりに、自分の親について説明できない子ども達が多い。
「私のお父さんはどんな人で、お母さんはどんな人」
家族だから当たり前である世界の常識が、日本には通用しない。
家族の会話があまりに少なすぎて、わからないのかもしれない。
その原因を彼女の感覚で表現したフレーズが
「お母さんでしか教えられないことを教わっていない」だった。
なんだろう? なぞ掛けのようなフレーズを真剣に考えてみた。
「子どもが親より高い服を着ているのには驚いた」の台詞で
聴衆者の笑いを誘いながらも、淡々と話す彼女の主張は、
子育てに悩む親にとって、とても貴重な発言が多かったと思う。
新しく始まった「金八先生」を見ながら、
ただただ、うるさく感じたのは私だけだったろうか。
ビートたけしの「TVタックル」の政治家たちも同じ。
人の話をしっかり聴く、ということが出来ていない。
当然、相手の目を見て話すことも出来ていない。
話す時は、相手の目を見て話すってこと。
お母さんが、赤ちゃんに一番最初に教えてあげることだと思う。
これって悔しいけれど、お母さんでしか教えられないこと。
そんな気がしたから、彼女の台詞が妙に私の心に響いて残った。
私の解釈、違うかな?



2004年10月16日(土)
やさしさは心がドキドキするから、この形

「おひさまのたね」を歌っている西島三重子さんの
歌とお話を聞くことが出来た。
うまく説明できないけれど、なんだか不思議と
温かい気持ちになって帰宅した。
「おひさまになれ おひさまになれ 
やさしく強い 心をもって
おひさまになれ おひさまになれ
そばにいるだけで あったかい」の歌詞では手話付きで
会場にいたみんなで覚えた。
特に「やさしく」の言葉の手話の説明が、ぐっときた。
「やさしさを受けると、なぜがドキドキするでしょ?」の
問いかけをしながら、心臓の前でハートをつくり、
大きくなったり、小さくなったり・・ドキドキ感を表わした。
この表現が正しいか、正しくないか、なんて問題ではない。
「人って、やさしくされると心がドキドキする」
うん、とてもうまい表現だとメモをした。
「自分が唄う歌」から「みんなに唄って欲しい歌」へと
意識を変えることが出来た歌だという「おひさまのたね」。
先日閉幕した、浜名湖花博のテーマソングであるが、
何度聴いても飽きないのは、彼女の人間的やさしさが
そのまま曲へ伝わっているからだろう。
「北風と太陽」ではないけれど、太陽は心を開いてくれる。
「そばにいるだけであったかい」存在か・・いいなぁ。



2004年10月15日(金)
最大の被害は、農家のやる気がなくなること

先週末の台風22号、静岡県伊豆半島へ直撃。
おかげさまで、わが町は被害という被害はなかったけれど。
今日の農業担当の会議は欠席者が目立ったが、
理由は、被害状況の把握で飛び回っているからであった。
会議の冒頭、こんな挨拶があったので、メモをした。
「台風22号で各地に大きな被害が出ている。
その被害総額は、なんと49億円とも言われている。
しかし最大の被害は、その被害を受けた農家の人達の
やる気がなくなってしまうことです」と。
確かに、高齢化、サラリーマン化が進み、
担い手不足で悩む農家に追い打ちを掛けたのが、今回の台風。
特に伊豆半島、収穫間際の蜜柑が強い風で落ちた。
つい先日(台風22号上陸の前)
「今年は夏が暑かったから、甘いミカンができたよ」と
テレビのインタビューで答えていた姿が思い出される。
農業収入だけでで生活していくことがなかなか難しい昨今、
僅かな収入を見込んでいた農作物が、台風という自然によって
その道も閉ざされてしまった形だから、よけいに辛い。
これを機会に、農家をやめるか、となったら大変である。
なんとか農家を支えたい、心からそう思う台風被害であった。



2004年10月14日(木)
カルーセル麻紀がニューハーフでなくなった

「カルーセル麻紀が女になった」は
知人のホームページで見つけたタイトルだった。
彼女が戸籍上でも女になったという記事に、
知人なりのコメントが書かれてあった。
既に子どもがいる性同一性障害の方は認められない。
彼はこの点に注目していたが、私は当然だと思う。
そもそも「性同一性障害」は、
先天的なものであると理解しているから。
後天的に「私は性同一性障害です」というのは、
単に、今の性別ではうまく生きられない人が、
逃げとして使っているとしか思えないからである。
男として、女性と結婚し子どもを授かった。
その行為自体が「男」であることは明白な事実であるし
「女」としてその行為は出来ないはずだから。
さて話を戻す。
私の関心事は、女になった彼女より、男でなくなった彼女。
「性転換・ニューハーフ」で話題になってきたのに、
完全な女になったということは、今後、女風呂に入っても
女子トイレに入っても、犯罪ではないし話題にもならない。
4月4日のニューハーフの日のイベント。これも資格がない。
メリットは、パスポートの性別と一緒になるから、
今まで行けなかった中国・ロシアにも行けるらしい。(笑)
まぁ私の注目は、ニューハーフを売り物にしないで、
女として彼女がどう生きるか、である。
あっ、好きな男性と結婚が出来ることになる、日本でも。
しばらく彼女の動きには注目してみたい。



2004年10月13日(水)
出てますか? 大丈夫どすか? 持ちまひょか?

ラジオで聴いた話だけれど・・。
京都のお座敷で、小便に立つと芸者がついてくる。
用を足し、外で手を洗った時の為に、手ぬぐいを持って
待っていることは、私でも予測が出来る。
しかし私がメモしたのは、そんな心遣いではない。
小便をしている間に、外から声を掛けられた、という話。
京都の冬はとても寒いから、いろいろ声をかけるのだろうか。
それが、今日の気になる一言。特に最後の一言は笑った。
しかし、そのフレーズに「イヤらしさ」を感じなかったから
なるほどなぁと思いメモをした。
京都の芸者らしい、ちょっとウィットに飛んだ会話が、
今どきのコンパニオンにはない「粋」を感じさせた。
下ネタを、卑猥な単語で露骨に表現するのではなく、
サラッと言える知識と知恵、そんなものが欲しい、と
いつもながら思う。
モーツァルトのストレス発散は、下ネタ連発だったとか。
(これ本当の話らしいよ、テレビで特集をしていたから)
メールでコミュニケーションを取る事が多い私の下ネタは、
メールの最後に加える「手は股(ではまた)」かな。(笑)
単なる変換ミスから生まれた下ネタだけど、
けっこうお気に入りである。



2004年10月12日(火)
頑張らないためには、人と自分を比べないこと

愛読書(笑)のひとつ「マイ・フォーティーズ」(My 40's)。
今月の特集は
「ときには『頑張りすぎない生き方』がステキ!!」。
その中てもピカ1だったのが、藤村俊二さん。(オヒョイさん)
「人と比べることから、不幸が始まると思っているんですよ、
比べないから、頑張らなくて済むんです」とコメント。
しかし、その存在感はもの凄いものがあるから、不思議である。
「習慣になれば頑張れずにやれてしまう」。
そんなメッセージも残してくれた彼は、とても魅力的だ。
そういえば、私の周りには頑張っている人が多い。
「頑張りすぎですよ」と声を掛けると
決まって「別に頑張ってませんよ」と返事が返ってくる。
酔っている人に限って、酔ってないよ〜と叫ぶ、それと同じ。
もう一度、自分の生活を振り返ってみよう。
人より幸せになりたい、人より認められたい、
人よりお金持ちになりたい・・。全て比較対象が「他人」。
「今の生活は?」の問いに「中の上」と答える人は要注意だな。
「上・中・下」でも比較しているというのに、
「中」の中にもランクを付けたがっているのだから・・。
本当に人と比べないで生活ができるようになった時、
『頑張りすぎない生き方』の意味が理解できるのかもしれない。
いつになったらそんな気持ちになれるんだろう、
そんなことを思いながらも、少しずつでいいから
自分の人生を、人と比べず丁寧に生きることを心掛けたい。
藤村俊二さん(オヒョイさん)の台詞。
もう一度、読みなおしてみたら、少しだけ楽になった。