初日 最新 目次 MAIL HOME


しもさんの「気になる一言」
しもさん
MAIL
HOME

My追加

2004年07月03日(土)
モーツァルトは、蝉みたいだね

「モーツァルトの奇跡」を某テレビ番組で放映、
音楽家としての天才ぶりをメモしながら、
あっと言う間に2時間が過ぎてしまった内容は満足がいった。
もちろん多くの言葉がメモとして残ったが、
今回はビートたけしさんの「モーツァルトについて」の台詞。
35歳の人生で626曲を作曲し、
特に作曲家としての約30年で、楽譜約23,000枚を書き上げた。
この彼の生き方について、語ったものである。
他のゲストの「新しいことを始めた人」「職人」などの例えも、
やはり「蝉みたいだね」にはかなわなかった。
「なにか圧倒的な力で、鳴かされていた感じ」とも表現した。
時代に名を残す人は、こんな生き方をする人が多い。
エネルギーを貯めるだけ貯めて、一気に吐き出すような。
ただ、私には出来ない生き方だな、とも感じたし、
決して、真似が出来る生き方でもないと思ったのも事実。
「明日、またモーツァルトのCDが売れるんだろうなぁ」と
隣で呟いた妻が、妙に現実的で可笑しかったし、
私の関心は「今、なぜ、モーツァルトなんだろう?」
であったから、違う視点でこの番組を見てしまった。
番組として、各局で何度も繰り返されるモーツァルトの特集。
今回の制作者の意図は、どこにあったのか?
企画サイドとして、とても気になる番組であった。
キーワードは意外と「生きる力」だったりして・・。



2004年07月02日(金)
16,142歩

何を隠そう、万歩計の数字である。
数字だけが、気になる一言になることは珍しいけれど。
一日、朝から晩まで、よく歩いた一日の記録として・・。
一歩が65センチだと、10,492メートル。
一歩が60センチだと、9,685メートル。
どちらにしても、約10キロを歩いた計算になる。
通勤の往復だけでなく、どこへ行くにも歩いた日だった。
もちろん、飲みに行くのも徒歩。
おかげで、帰宅後、数字だけメモして、バタンキュ〜。
この数字は、私の万歩計記録では最高数字。
健康の為にウォーキング・・という人にとっては
大した数字ではないのかもしれないけれど、
仕事・生活の中での記録としては、驚きの数字である。
他人と比較しない、自分だけの記録が更新される喜び。
いわゆる「自己新記録」は、生活に刺激を与えてくれる。
今、書きながら、ふと思ったけれど、
その記録がまた「自分史」の大切なデータ・ヒントとなる。
さて・・生活を振り返って、いろいろ書き出してみたい。
どんな数字が飛び出してくるのか、楽しみであるから。



2004年07月01日(木)
語学に必要なことは「暗記力」より「理解力」

カーラジオから流れてきた台詞、車を止めてメモをした。
特に、年配になってから語学を学ぼうとする人への
大きなヒントになるフレーズではないだろうか?
若い頃から、単語カードをめくりながら覚えた英単語。
まさしく「暗記力」に力を注いだ結果、
何も話せないまま、現在にいたっているのが、私。
知らない単語が会話の一部に出てくると、
それだけでパニックになって、頭が真っ白になる。
「日本人は、完璧主義者だから語学を難しくしている」
笑いながら、中国語の先生が、辛口のコメントした。
その反面、物忘れが激しくなってきた年代でも、
しっかり語学をマスターする人たちがいる。
それも、何か国語も言葉を操るように・・。
そのコツが「単語の暗記ではなく、フレーズの理解」らしい。
会話の大筋や、前後の知ってる単語から推測する。
時には、知らない単語は飛ばしても、意味は通じるから。
そんな気持ちで臨めば、会話も楽しくなると思うのだが。
まてよ・・。この一言、語学学習だけではない気もする。
細かい数字を覚えているよりも、現状と課題、
その進むべき方向など、全体の流れを理解する力の方が、
我々にとって大切な、そして必要な力であると思う。
巷では、冬ソナの影響で「韓国語ブーム」。
なかなか覚えられなかったら、是非、思い出して欲しい一言。
こんなコツがわかったのに、何も話せない私は、
きっと理解力も不足しているに違いない。



2004年06月30日(水)
下山さんって、どんな人ですか?

自費出版した本の取材を・・と某テレビ局から・・。
「はい、いいですよ。宜しく御願します」と私。
雷雨・大雨で荒れている空模様を横目に、撮影敢行。
いつ、水防の配備があるのか、ヒヤヒヤしながら。
内容も本の紹介だけでなく「頑張っている人、紹介」
(たぶん仕事以外に・・)みたいなコーナーらしい。
私は、自分のことだから、覚悟はしていたけれど、
自分のことで、職場の人間が取材され、冒頭の質問をされた。
「どんな人って言われてもねぇ・・」が本音かもしれない。
本人の目の前で、コメントするのって難しいだろうし、
言われている私本人も、ちょっぴり照れてしまったのだから。
だけど、よ〜く考えたら、こんな機会は簡単に巡ってこない。
他人が自分のことをどう感じているのか、
(勿論、ヨイショも含めて、の話だけれど・・・)
知ることが出来る、絶好のチャンスと捉えることにしてみた。
撮影カメラの前で(自分も含めて)みんな「緊張島倉千代子」。
いつもの笑顔が消えて、引きつっている姿がまた楽しかった。
真面目顔で「ねぇ、私ってどんな人?」って訊きにくいけれど、
「取材」というフィルターを通すと「大体、こんな人」という
イメージを話してくれるから、是非、試して欲しい。
但し、尋ねる場所には、要注意。
職場がいいのか、居酒屋がいいのか、答えが違ってくるから。



2004年06月29日(火)
自分は探すものではなく、作るもの

自費出版の取材を新聞記者から受けていて、感じたこと。
たしか、誰かが言った台詞だったよなぁ・・と思ったが、
なかなか思い出せずにいるが、え〜い・・気になる一言。
今まで何も疑問をもたず「自己発見」をテーマに生きてきた。
自分の隠された能力を、試行錯誤により発見し、
あぁ〜、自分にはこんなことも出来るんだ・・と喜ぶ。
だから「生きる」ということは「自分探し」だと。
しかし今の私は、自分が自分の判断で選択してきた成果、
言い換えれば、自分で自分を作ってきたのではないのか?と
思えるようになってきた。
理想の「自分」は自動的に手に入るものではなく、
自らが意識して作らなければならないものだと知ったから。
その取り組む姿勢が「自分らしさ」となってくるのだろう。
自分探しは、思ったより難しいけれせど、
自分づくりは、予想以上に簡単。
作ってみて、シックリいかなかったら、やり直せばいい。
何が自分なのかわからずに、自分を探すことは時間の無駄。
今の自分から、どんな自分になりたいか、を決めて、
行動に移していく。
その過程が、自分を作っていくことに繋がるのだ、と
私も胸を張って言い切れる。
輝いている人は、自分で書いた設計図に従って
マイホームを立てるように、コツコツと作り上げてきた。
やっぱり、自分は作るもの。そう確信した。



2004年06月28日(月)
〜瞬間の 胸の鼓動焼きつけろ

土曜日に楽しんだ、おじさん達のコンサート(笑)、
フォークソングに酔いしれたけれど、なぜかアンコール曲は
「プリプリのDIAMONDS<ダイアモンド>の替え歌」。
帰宅して、どうしても気になったので、歌詞を調べてみたら、
案の定、私の好きなフレーズが替え歌になっていた。
正調は「針がおりる瞬間の 胸の鼓動焼きつけろ」
彼らは「ギター鳴らす瞬間の 胸の鼓動焼き付けろ」
これって、自分らしい生き方を追求する人の基本かな、と
おもわず、メモをした。
それは、どんな瞬間でも構わない。他人にどう思われようと。
このドキドキ感が、人生を豊かにする隠し味となるのだから。
歌詞は、こう続く。
「それは素敵なコレクション もっともっと並べたい
眠たくっても 嫌われても 年をとっても やめられない」。
あの瞬間の胸の鼓動を、何度も味わいたくなるから
寝る時間を惜しみ、後ろ指を指され、いい歳なのに、でも続ける。
その瞬間を持っている人は、いざという時に精神的に強いと思う。
そして、最後に有名なこのフレーズへと続く。(途中の AH略)
「ダイアモンドだね いくつかの場面
うまく言えないけど宝物だよ あの時感じた予感は本物
私を動かしてる そんな気持ち」
もしかしたらこの曲、日々の生活に追われて心に余裕のない
40代半ばの私たち男性に向けて作られたのかな、と思うほど、
素敵な曲だったことを、あらためて実感した。



2004年06月27日(日)
たのしみは ネットの友の送りくれし自家製本を開き見る時

やっと「気になる一言(第4巻)」の印刷・製本が完了したので、
メールで連絡をいただいた方々に発送作業を開始した。
今回は、男性からの要望が多くて、なぜか嬉しい。
「無料の代わりに、読んだ感想をお願しますね」の
メッセージを同封するつもりが、これまたあわてん坊の私、
しっかり入れ忘れてしまい、本だけ送ってしまったけれど、
無事に届きました、とメールをいただき、ひと安心。
そんな中、ネットで知り合った方が発行している
1通のメルマガが届いた。それが今回の、気になる一言。
「江戸末期の歌人「橘曙覧(たちばなのあけみ)」に真似て
日々の生活の中から、「たのしみは・・・」で始まり、
「・・・時」で終わる短歌(独楽吟)を作っています。 
前向き思考が自然に身についていくことを願って・・・」が
彼女のメルマガの姿勢。
もちろん毎回、楽しみにしているけれど、
まさか自分のことが1首になるなんて・・と大喜びである。
150回を越えたメルマガは、きっと彼女の宝物になると思うので、
その中の1首でも、光栄である。
私のつたない素人コラム「気になる一言」に選ばれただけで
喜んでくれた人たちの気持ちが、ようやくわかってきた。
そういえば、もうすぐ1000回を迎える、私のメルマガ。
別に、取り上げられたからって威張れることじゃないけれど、
あなたは、何回登場しましたか?
何気ない台詞が、私に輝いて聴こえた時、それは活字になる。
そんな楽しみ方も、私との付き合い方のひとつかもしれない。
これからも、話題提供、よろしくです。



2004年06月26日(土)
いいなぁ〜、俺も入れてくれよ

一つ年上の先輩から、メールでお誘いを受けたので、
夕飯のビールを我慢して(笑)食事付きのコンサートへ。
え〜、あの先輩がギター?音楽?、という本音と、
なぜ始めたのか?という理由が知りたかったので、足を運んだ。
それは、あるコンサートで見つけた、
同級生がギター抱えて歌っている姿だったらしい。
30年以上ぶりの再会を果たし、中学時代を思い出した。
「こいつ、まだ歌ってんのか」という驚きとともに、
同時に発せられた先輩の台詞が、気になる一言。
40歳代後半を過ぎると、面白そうだなぁ、と思っても、
なかなか、子供の頃のように「入れて」「かてて」などとは
言えなくなってくるのに、私以上に好奇心旺盛の先輩は、
某大学教授で多忙の上、体調を崩していながらも、
参加し、やり遂げてしまうバイタリティーがある。
他のメンバーも、日本の鉄道を全て乗りつくした人あり、
東京・沼津間を自転車で何回も往復した人あり、いろいろ。
「なんで、そんなかったるいことするの?」
と訊かれることが多い彼らの答えは「理由はいらないよねぇ」。
彼らは「寿大学の学芸発表会」と謙遜していたけれど、
NSPの「あせ」で始まり「さようなら」で終わる、
11曲のフォークソングを歌いきり、とても満足げに見えた。
(アンコール曲はなぜか「プリプリのダイヤモンド」の替え歌)
私も面白そうなことが見つかったら、年齢など関係なく
「いいなぁ、私も仲間に入れて」といってみようかな。
(これ以上、何をする気?と周りから言われそうだけれど・・)



2004年06月25日(金)
長いエンディングロールの意味が知りたい

もう一度、映画「ラスト・サムライ」を見直した。
2回目は、監督がこの作品で何を伝えたかったのか探し。
気になったのはスタッフ・キャスト等制作関係者の名前が、
画面の下から上へ流れていくエンディングロールの文字。
予想以上(異常)に長かった、と感じたのは私だけだろうか。
以前から、あの文字が最後まで消えるのを見届けている。
それが監督に対する礼儀かな、みたいなこだわりがあって。
あの淡々と流れる画面も、ストーリーの一場面と考えている。
作品の余韻を楽しむ時間、と言えるかも知れない。
しかし、それにしても長かった。
これでもかと続く文字の羅列に、何か意図的なものを感じたが
私の思い過ごしだろうか?誰か教えて欲しい。
ついつい映画ファンの人とは、違う視点で観てしまいがちだが、
小雪さん演ずる「たか」という女性が、
夫を殺したアメリカ人の大尉を少しずつ許していくのではなく、
人として認めて好きになっていったことも理解できたつもり。
ところで、作品を見終わって、テレビに切り替えたら、
ちょうど相撲力士が話をしていた。
「インタビュールームで答える力士が、
あまり饒舌に取り組みについて話さないのは、
負けた相手に対する思いやりなんです」と聴いた時、
あれ・・力士には武士道が残っている、と感じてしまった。
これからはそんな目で、相撲を観てみようと思う。
自分の周りで感じる「武士道」、気付いたらメモしてみたい。



2004年06月24日(木)
死に様を聞かせて欲しい・生き様をお話しましょう

話題になった映画「ラスト・サムライ」を
深夜、何回も台詞を確認するために、ビデオで観た。
オープニング最初の台詞、
「彼らは、今や忘れられたこの言葉に命を捧げた・・
『名誉』に」で、すぐSTOPボタン。
続いて「すぐ、クビになったよ。
誰も言わない国で、ハッキリものを言いすぎてね」で
またまたメモ。
こんな鑑賞の方法で面白いのか?と訊かれるが、
私としては、非常に楽しい。
もちろん、大画面で観る映画も捨てがたいけれど、
暗闇でメモが取れないし、巻き戻しも出来ないから、
今のところ、この方法が私には合っている気がする。
メモした台詞は、残念ながら紹介しきれない。
「運命が、明かされるまで、自分の最善を尽くす」
「人も桜も、いつか死ぬ」も気になる一言候補だった。
しかし、今回はこの台詞。
最後の侍・勝元について、天皇は「死に様」を知りたがった。
しかしトムクルーズ演じる大尉は「生き様」を伝えたかった。
人としてどちらの様を話して欲しいか、考えてみよう。
やはり、私は生き様なんだろう、と思う。
どのように死んだかではなく、どのように生きてきたか、
死を意識して、今を大切に生きるということに違いない。