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しもさんの「気になる一言」
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2003年12月26日(金)
いつの世も「水こそご馳走」

今年、仕事を通じて女優・冨士眞奈美さんと知り合った。
多方面で活躍していらっしゃる忙しい方だから・・
と思っていると、突然、彼女から自筆のハガキや封筒が届く。
今回も「あの時戴いたパンフレットを参考にして
ちょっとした小冊子に随筆を書きました・・・」等の
メッセージ入りで、ある本が同封されていた。
私たち広報スタッフにとっては、思いがけない
1日遅れのクリスマスプレゼントとなった気がする。
食べもの通信、2004.1 No.395号(食べもの通信社刊)の中、
表紙をめくると一番最初に目に入るリレーエッセイ。
「心に残る食べもの一品」を紹介するコーナーのようだ。
その中で「水こそ違いのわかる『うまいものの一品』」として
わが町の柿田川湧水を紹介してくれている。
東京で暮らしている彼女らしい表現を、気になる一言とした。
私たちは、当たり前のように富士山の湧水を飲んでいるけれど、
ホントだなぁと思った文章で嬉しくなった。
また私を喜ばせてくれたことが、もう1つある。
彼女が「私の故郷は」に続いて、
「静岡県東部の清水町という所である」と書いてくれたこと。
今まで、彼女に対して何もアクションを起こしてこなかったから
三島市出身として紹介されていたことを記憶している。
だから小冊子とはいえ、自分の故郷は清水町なのよ、という
フレーズを見つけて、胸が熱くなった。
そんな彼女から、こまめに手書きのお手紙が届く。
今回の封筒の封印には「ト音記号」がさりげなく書かれていた。
「へぇ、オシャレだなぁ」と感じながら、
彼女のやさしさ、暖かさが伝わってきた御用納めの日となった。



2003年12月25日(木)
お〜い、お風呂にメモ帳と鉛筆持ってきて・・

最近、夜10時からの楽しみが一つ増えた。
なんと、ぬるめの半身浴をしながら読書。約1時間。
そのために、激しいスポーツをする時しか使用しなかった
コンタクトレンズをするなんて、と思うがなぜか楽しい。
週末や年末年始に読もう、と考えていた本が、
あっと言う間に読破されていく快感は、表現しがたいものがある。
本には当然、気になる台詞、リズムのいいフレーズが溢れている。
当初は付箋を貼っていたが、そのうち付箋だらけとなって
もう一度、風呂上がりに読み直すのが億劫になってきてしまった。
そこで、居間でテレビを見ていた家族に、素っ裸で叫んだ台詞、
隣の家の人が聞いていたら「?」と思う台詞が、気になる一言。
以前は防水ラジオやCDを持ち込み、のんびりするつもりでいたが、
どうも我慢できない、時間がもったいなぁ・・と感じていた。
しかし今回は、しばらくは続きそうである。
そのために飲み会も1次会で帰ってくる徹底ぶりだから。
そして風呂上がりの1時間、マッサージチェアーにかかりながら
お気に入りの音楽を聴いて、一日の疲れをじっくり取る。
是非、自分なりのリフレッシュ方法を考えてみて欲しい。
但し私の場合、メモだらけで、紹介しきれない悩みが増えた。
今は、林真理子さんの「anego」を読書中。
次は、原辰徳前監督の「ジャイアンツ愛」が待機中。乞うご期待。



2003年12月24日(水)
安心できるあったかい時間☆かな

さすがに、クリスマス・イブ、
今日は、携帯やパソコンのメールに
名前も知らない出会い系の女性らしき人達から
「Merry X'mas」のメッセージメールがたくさん届いた
不思議な日であった。
その中に高校時代の同級生からメールが入っていた。
「Merry X'mas サンタクロースさん、来ないかなぁ?」と
書かれたメールだったので、
「サンタさんに何をプレゼントして欲しい?」と返信した。
その返事が、気になる一言。
予想していたのは物欲に任せて、あれが欲しい、これが欲しい、
えっ冗談でしょう?と言いたくなるような高価な物。
しかし、彼女が欲しがったのは精神的なやすらぎ。
即答だったので「うっ、やられたぁ〜」が感想であった。
あいつ、苦労してるもんなぁ・・と思いながらも、
この発想の転換、切り返しに巧さに脱帽である。
私だったら、なんと答えるだろうか、いまだ思い付かない。
宝くじが当たったら・・という現実的な話ではなく、
サンタさんにプレゼントを貰えるとしたら・・
という夢のような会話を、ロウソクの炎で作られた、
ほんわかした気分に包まれたまま、
ビールをシャンパンに替えて、飲み過ぎないうちにしてみたい。
意外と夢のあるプレゼントが思いつかない、
悲しいかな、45歳・男性・仕事人間の私がいる。



2003年12月23日(火)
来年は、凸じゃなくて、凹で行こう。

「でこぼこ」って打ち込み変換したら、凸凹と表示される。
最近、読んでる小説によく出てくるので、気になっていたから。
(これって漢字?文字?記号? まぁ、どっちでもいいけれど・・)
私にとっては、この形に興味がある。
性格や生き方にも、当てはめて考えられないだろうか?
プラス思考・マイナス思考、長所・短所、ポジティブ・ネガティブ
いろいろな例えが出来るなぁ、と考えていたら
ある雑誌でこんなフレーズを見つけた。
「凹じゃなくて、凸で行こう」
凹は、へこんだところを埋めよう。凸は、飛び出たところを作ろう。
言い換えれば、自分の長所を伸ばす、そんな視点で紹介されていた。
しかし、私はどちらでもいいと思う。
いつもいつも前向き・攻撃型では疲れるし、怪我をしやすい。
時には、自分が置かれている現状を再点検して、
凹んでいる部分を埋めることも大切だと思うからである。
毎年繰り返される年末の道路工事も、
基本的には、危険と思われる凹んだところを埋めることが多い。
もちろん、事故や怪我をしないように・・という観点である。
来年は、どんな年にしようかな・・と考えた時、
凹という、一見消極的な視点も必要なんだと気が付いた。
守りに入ると言うこととは、ちょっと違う。
積極的に自分を守る姿勢。
私も来年は、じっくり凹んだところを埋めてみようかな。



2003年12月22日(月)
まわるのは、ホームランの時だけですが・・

先日、炬燵に入りながら、観ていたテレビのワンシーン。
「週末は何してますか?」
「これです」と言いながら、素振りの真似。
「どれくらいでまわるんですか?」
「えっ?」と言いながら、気になる一言。
この会話が面白くて、いつか使おうと思ってメモをした。
素振りが、ゴルフなのか、バッティングなのか、
シャドーで振る高さは微妙のところが勘違いしそうでいい。
年末、お酒を飲む機会が増えるけれど、
仕事の愚痴や家庭の不満では、せっかくのお酒が不味くなる。
こんな時は、楽しい話に限ると私は思う。
「今年さ、こんなことあったよ・・」という話を聴くことが
最近の私の楽しみ。
何年かぶりに復活したゴルフの話になると、
決まってスコアを尋ねられる。
「どれくらいでまわるんですか?」
以前なら「除夜の鐘かな」なんて言っていたけれど・・。
(前回のスコアは思い出したくないので、省略)
昔は「100を切るには仕事を犠牲にしないとね。
90を切るには、家庭ほ犠牲にしないと・・。
80を切るには、人生を・・」なんてよく言ったものである。
私は、仕事も家庭も大切にするから、100を切らなくてもいい。
それにしても、今では信じられないことがある。
ベストスコア90の時があったなんて・・。



2003年12月21日(日)
宮部みゆきさん「誰か」を反面教師にしてみようかな

身体が水を欲しがるように、脳が活字を欲しがっていた。
その欲求にかられ、久しぶりに朝まで本を読んでしまった。
宮部みゆきさんの最新作「誰か」(実業之日本社刊・379ページ)
本の帯には、こう書かれていた。
「著者2年ぶりの現代ミステリー 待望の書き下ろし! 」
まわりの評価が絶賛なのに、私は「?」の作品だった気がする。
その原因は、2年の間に貯めた彼女のボキャブラリーが
増え過ぎたのではないのかな?と感じていた。
ちょっとしたものの表現に、例えが多く、なかなか話が進まない。
あれ?、こんなにくどかったかな・・が私の読書感想だったから。
もちろん彼女の作品について書きながら、自分への注意としたい。
覚えた例えを使ってみたくなる気持ちは、私に強い傾向だから。
だからあえて今回は私の感想を「気になる一言」にとりあげた。
いつ目にしても、思い出せるようなフレーズとして。

それでも、私のメモ帳は真っ黒になったから、記録としてご紹介。
(またいつか使えるフレーズがあるかもしれないしね)
■どれぼと祝福され成功した結婚でさえも、
 どこかに親不孝を含んでいるものだ
■手に入れたものはみんな宝物だけど、
 手に入れられなかったものはもっともっと宝物なんですよ
■秘密は人を孤独にする
■歴史資料館の順路を逆にたどると、時を遡っていくようで面白い
■「それなのに」ではなく「それだからこそ」
■男と女はね、
 くっついていると、そのうち品性まで似てくるもんだよ。
 だから付き合う相手は よくよく選ばなくちゃいけないんだ



2003年12月20日(土)
ふたりは、気持ちを形にすることが上手ですね

ヤワラちゃん・谷選手の結婚披露宴を一言で表現すると、
この宴席に招待されていた、
元バトミントン選手の陣内さんのコメントかな、と思った。
全体の感想は、このフレーズで言い尽くされていた。
あまり、この手の番組は好きではなかったけれど
今回は二人の人柄か、最初から最後まで観てしまったから。
勿論、素敵な言葉が溢れていたけれど、今回はちょっと苦言。
幸せいっぱいの彼らにではなく、企画関係者のプロに向けて。
感謝の気持ちを手作り感覚で形にしていた主役に対して、
それをアシストするはずの演出家たちの手抜きが感じられた。
画面から直接感じたのは、両親への手紙の時、
ヤワラちゃんの顎あたりに反射していた、宝石のキラキラ。
一番感激する映像の場面が、一転して煩わしくなってしまった。
彼らのやさしさをどうやって表現しようか、
いろいろな角度から試行錯誤して欲しかった、と思う。
また紅い打掛けの着物、白のウェディングドレス、
シャンパンピンクのカクテルドレスと変わったというのに、
ふたりのバックにある金屏風はそのままだった。
新婦が一番輝くように、着ている服の色にあわせて、
パックの色も変えて欲しかったな、と感じたのは私だけだろうか。
初対面のSMAPを出すお金があったら、カラーコーディネーターや
フラワーコーディネーター等にお金を使って欲しかった。
彼らの結婚披露宴は、番組的にはショーだけれど、
二人にとっては、一生に一度のことだから、
関係者は、二人の気持ちを大切にしてもらいたかったな。



2003年12月19日(金)
ねぇ、痩せた?、顔ちっちゃくなったね

今日もまた飲み会。
最近では、おいしい肴とおいしいお酒を、静かに小人数で・・が
私のスタイルになってきた。
以前ならこの時期、年に一度くらいしか行かない飲屋さんへ
通称「檀家まわり」をするけれど、今は落ち着いて一軒だけ。
今回は炉端を囲んで、炭焼きのホタテとか、厚揚げ等を口に運んだ。
今年1年を振り返ったり、来年に向けて豊富を語ったり、
楽しい時間を過ごしたのは、言うまでもない。
今回のお店に顔を出したのは、たぶん5年ぶりくらい。
それでも覚えていてくれていて、
私の顔を観た途端、女将さんから発せられた台詞が、気になる一言。
タイトルだけ観たら、女性が喜びそうなフレーズだなぁ、
と笑いながら45歳・男性の私が言われるとまた違った意味になる。
確かに当時から比べたら、痩せて、太って、痩せて・・を繰り返し、
今回、偶然、痩せた時だったんだぁ、と苦笑いしながら、
言われて嬉しい台詞が、男性と女性では違う、なんて感じていた。
男性が「ねぇ、少し太った?頼もしくなったね」と言われて
嬉しいかどうかは別問題だけれど、今回のフレーズは
「ちょっと働き過ぎじゃない?身体壊してない?」みたいな
心配の意味にも使うことがあるんだな、とメモをした。
本音は、最近、腰痛を気にするほど太り過ぎていたから嬉しかった。
TPOによって、意味が全然違くなるから、不思議なものである。
だから、言葉って面白い、を実感した飲み会だった。



2003年12月18日(木)
心臓が止まって、また動き出す映像を見せてあげたい

地元の女性コーラスグルーブが、地元の病院へ慰問、
ちょっぴり早い、ミニ・クリスマス・コンサートであった。
病院でクリスマスを迎える患者に、
少しでもその雰囲気を味わっていただきたい、
そんな彼女達の想いが伝わってきて、とても温かい気分になった。
聴いている患者さんも、大きな拍手で彼女達の好意に応えながら
最後は一緒になって歌い出すほど、大喜びだった。
その温かさを壊したくなかったので、フラッシュをたかずに撮る。
ほんのりした雰囲気の写真が撮れていればいいな、と思ったから。
その後、病院の食堂で、ちょっとした反省会も兼ねた慰労会をし、
私も、その場に同席させていただいた。
その時、看護婦さんが私に話してくれた台詞が、気になる一言。
心臓を診療科目としているその病院だからこそ出来る教育は、
365日休まず動いている心臓を題材に、
「子どもたちに命の大切さを伝えることです」と熱く語ってくれた。
私は、とても嬉しかった。
いつも忙しそうで、近寄りがたい病院側が、そんなことを考え、
行政ともっと連携をとっていきたいんですよ、と言ってくれる。
ありがたいことだな・・と感じてメモをした。
今の私に出来ることは?、と考えてみたら、
単なる「活動」を伝えるだけでなく、その「想い」を伝えること。
私の役割を再認識して、しっかり紙面を埋めていきたいと思った。
「いつでも来て下さい」・・この言葉に甘えちゃおうかな。



2003年12月17日(水)
『目習い』こそ上達のかぎ

何かを習おうと思うと、必ず手本がある。
それは、師匠の動作であったり、完成品であったりする。
「まなぶは、まねぶ」などとちょっとありふれた表現であるが、
本当に「真似する」ことから始まるなぁ、といつも思う。
その習い方も手取り、足取で教えてもらう方法や、
失敗を繰り返して、身体で覚えていく方法など、様々である。
特に、書に関しては「目習い」が大切であるという話を聴いた。
鑑賞力を養い、その上美しい字が書けるようになる、
字は、形であり、バランスであるからだろう。
一つひとつはかっこ悪くても、全体的に眺めると
とても素敵な書に仕上がっている作品を目にすることがあるが、
よく見ると、書全体を1つの形として捉えていることがわかる。
逆に、一字ずつはとてもうまいのに、
全体で見るとなんだか落ち着かない、書を見かける時がある。
たぶん、余白の使い方とか、字の配置などの
紙に対するバランスが良くないのかもしれないな、と考えた。
そういえば、最近は手書きの文字を書くことが減った。
字は書けば書くほど上手くなるといわれているのに、
その努力もせずに、字がうまくなりた〜い、と思う私がいる。
来年こそ、努力したい。