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| 2003年07月19日(土) ■ |
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| 一回完結講座 |
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社会教育に長年携わってきたから、気になる「講座」であった。 何回コースではないので、時間が合わない、という悩みを持つ 主婦やOLに受けている、と新聞で紹介されていた。 なんでも、限られた時間で達成感を得られる、と評判のようだ。 でも、ちょっと待って欲しい。 いろいろなことを我慢して、自分のために時間をつくり学ぶから その成果が輝いてくるのに、たった一回受講して得られる成果に 達成感なんて得られるのだろうか?不思議である。 初回には出来なかったことが、最終回には出来るようになっている。 知らない間に、同好の友達も出来た。だから、達成感を感じる。 「継続は力なり」という言葉は、決して死語にはならないと、私は思う。 もし、どうしても・・というのであれば「一回体験講座」。 学ぼうと思う講座のエキスを体験し、興味が湧いたら 何回かのコースを真剣に、そして自分のために時間とお金を投資する。 そんな前提があれば、いいと思うのだが・・。 (それとも、ネーミングをいただいて「一回簡潔講座」でもいい) 実は、最近巷で騒いでいる事件の大半が、我慢が出来ず 犯行におよんだものが多い気がしていたので、 これは社会教育の出番だ、と張りきっていたのだが・・。 こんなところまで、我慢が出来ない人種向けのプログラムが 進んでいることに驚いた。 我慢をして、我慢をして・・我慢だらけだったから、 その後に楽しみがあったのに、と思う。 我慢しないで得られた達成感なんて、何の意味も持たない。 私はそう思うのだが・・
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| 2003年07月18日(金) ■ |
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| 鴻池発言への支持、約85% |
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例えが悪かったけれど「加害者の親の責任」、私も支持である。 大臣のホームページへ、賛否両論のメールが届いているという。 今回は、その発言に対するメールの割合を、気になる一言とした。 一部の人が大騒ぎし、いかにも問題発言のように取り上げられたが、 国民の多くは「よく言った」が本音なのかもしれない。 私も、誰か責任能力のある人が、被害者に対して、そして社会に対して、 「申し訳ありませんでした」と陳謝すべきだと思う。 小さい頃から「悪いことをしたら、まず、あやまりなさい」と 教育を受けてきた。それは、今も変わっていないはず。 だから誰も謝ることなく、少年法等に話題が移る事は、理解できない。 例えば、浜岡原発は東海地震でも耐えられる、と言い切る人がいる。 地震学者でも想定できない地震の大きさを、誰が被害想定を考え、 もしもの時、誰が責任を取るのか、ハッキリしていない。 すみません・・ではすまされない大規模の事故が起きた時、 言い切った人間は、どう責任をとるのだろうか? その責任の重さに比例して、給料が支払われているはずだから。 家族でも同じことが言えるかもしれない。 親は家庭内での発言力が強い分、責任も重くなる。 だから、親子関係が成り立つといってもいい。 時々、今の若い親ときたら・・という高齢者もいるが、 その若い親を育てた親は、自分たちであることを忘れては困る。 責任の取り方、今は学校でも社会でも教えてくれないけれど、 もっと身近な事で、責任の取り方を教えたらどうだろうか。 交通事故を起こしたら、その運転手が習った教習所を公表する。 そうすれば、もっと真剣に交通ルール、運転マナーを教えるかもしれない。 家庭も含めた教育現場から変えていく、そして社会が変わっていく。 そんな気がする。 (鴻池大臣、また問題発言をしたらしい・・ふぅ、目が離せない)
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| 2003年07月17日(木) ■ |
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| シンクロの顔の表情って採点になるの? |
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水泳の世界選手権、シンクロソロをテレビで観ていた私の疑問。 だって、解説者はワンパターンのように「顔の表情がいいですよ」 「高いですね」「きれいなスピンです」くらいしか言わないから・・。 以前にも、このシンクロやスケート等の芸術点に疑問を投げかけたが 今回は、特に強く思ったから、再度のぼやき。 優勝したフランスのデデューは、鼻栓(ノーズクリップ)なしで演技。 その他の選手は、鼻栓をしたまま演技。 これって、どう考えてもおかしい、と私は思う。フェアではない。 誰が見たって、鼻栓をしている顔としていない顔では雲泥の差がある。 あまり関係ない、とコメントするのであれば、自分の顔に鼻栓をして 鏡を覗いてみればいい。思わず笑ってしまうから・・。 もし演技の規定がないのであれば、日本の選手も 脚技などのテクニックにこだわる前に、ノーズクリップなしで演技、 これに対抗する策を考慮しなければ、勝ち目はない。 顔の表情が、表現力として採点対象になるのであれば、 今後、プチ整形をしたりする選手が現れるかもしれない。 どんどん、スポーツとはかけ離れた部分で、 熾烈な戦いが繰り広げられる気がしてならない。 シンクロの顔も採点対象なんだろうな、 それでなければ、わざわざメイクして水の中で演技する必要ないもの。 やっぱり良く解らない、水泳種目である。
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| 2003年07月16日(水) ■ |
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| どんなに負けまくっても、ご飯を食べて、眠る。 |
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娘が、亡き義父(彼女にとっては祖父)に宛てた手紙の一節である。 「そして、何回もそれを繰り返して、生きていくよ」と続けてあった。 (こればかりは、紹介しようかどうか随分迷ったけれど、 私の今日の記憶にとどめたかったから取り上げることにした。 娘には、後で怒られることを覚悟の上で・・) 彼女にしか書けない弔辞である。しかも、誰にも聴かれることのない この文面は、封筒に入れられ、棺の中に納められた。 前後の文が紹介出来ず残念であるが、御勘弁願いたい。 「どんなに負けまくっても・・」 この言い回しは、彼女の今の心境を語っていた。 「昨年、美大の受験に失敗し、今年こそというプレッシャーと もしかしたら、今年もという不安があるけれど、 じいじ、私は負けないよ、私は私なりに生きていく」 そんな想いが込められているのではないだろうか? 両親にも話さない心の内を、 彼女は可愛がっていただいた亡き祖父に向けて発していた。 心の底から湧いてきた感情を文字にした弔辞。全文を読み終えて、 娘が優しい気持ちを持った人間に育ってくれたことを喜び、 そしてなぜか涙があふれて止まらなかった。 まだまだ子供だとばかり思っていた娘の成長を気付かせてくれた 亡き義父に対して、感謝の意も含めて、冥福を祈りたい。
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| 2003年07月15日(火) ■ |
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| 小さい子供と遊ぶと、こんなに楽しいのか・・ |
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(まず、昨今の犯罪に似た傾向でないことを前置きしておくが・・) あることで、姪にあたる小学校一年生の女の子と、 折り紙やなぞなぞ遊びをする時間が出来た。 「ねぇ、おじさん、これできる?」「クイズだよ、いい?」 驚きながら遊んでくれる私に、彼女は友達かのように近寄ってきた。 そんな光景を、高校を卒業した私の娘が、 「私は、そんな楽しそうに遊んでもらった記憶がな〜い」と ニコニコしながら眺めて呟いた。 「そうだろうな、パパも記憶がないもの」と言い返した。 娘が小さい頃は、仕事や団体活動が楽しくて、平日はもちろん、 土日も、朝から晩まで、飛び回っていた記憶しか残っていない。 だから、折り紙したり、塗り絵したり・・ 一日中、娘と遊びまくったという時間、そんな思い出が少ない。 近頃、一緒に買い物に出かけたり、映画にも行くようになったけれど、 それは、本当につい最近のこと。 一番、遊んであげなければならなかった時期を、私は自分のために 使っていたようだ。 私の下手くそな折り紙でも喜んでくれたり、 簡単なナゾナゾを真剣に考えてくれる、 さらに「り」ばかりで終わるシリトリにも悩んでくれる。 「へぇ〜」の驚きの次に発した私の呟きが、今日の一言。 若い頃に感じなかった、子供の素直さが、妙に嬉しいし、楽しい。 こんな感覚、女性はいつも感じていられるのか、と羨ましくなった。
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| 2003年07月14日(月) ■ |
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| グリーンは、調和する色 |
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帰宅後、久しぶりのビールを口にしながら見ていたテレビ、 「こちら本池上署」でのワンシーン。 「きれいに咲き誇る赤や黄色の花が輝いているのは、どうしてだと思う? それはね、グリーンが調和しているからだよ」 そんな会話があった。 それは、中間管理職の役割でもある、という例えであった。 才能いっぱいで溢れている人たちのやる気を起こさせるには、 自分がリーダーとなってグングン引っ張っていく方法もあるが、 花の葉っぱ、グリーンの役割を演じ、単独ではぶつかりあう色を 調和させる方法もある。 ほんの一瞬、耳にしたテレビ番組の会話だったので、 その前後のストーリーも何もわからないけれど、思わずメモをした。 もっと大切なことは、赤や黄色の花達が、グリーンのお陰で 自分達が輝いていることを忘れないことであるかもしれない。 いつの日か、自分達がグリーンの役割を演じる時がくるのだから。 地位、役職によって、その役割は違う。 仕事とは、組織とは、そんなものではないだろうか?
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| 2003年07月13日(日) ■ |
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| 深夜2時のガソリンスタンド風景 |
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訳あって、深夜2時に24時間営業のガソリンスタンドへ立ち寄った。 どうせ、こんな時間になんて、誰もいないだろうと思っていたら 予想外にも混雑していて、待たされることになった。 代行運転の車が、揃って給油をしたり、車内清掃したりする。 若い人たちが、トイレ休憩も兼ねて、給油している。 そんなスペースとして、利用されていた。 もちろん、いつもの風景ではないし、伊豆方面へ向かう 土曜日の深夜という特別の日であるのかもしれないが、 給油後走り出した私の驚きは、そんな時間にも、多くの車が 走っていると言う事実であった。 ここには、自分の生活サイクルから外れた風景が存在していた。 自分の枠からはみ出せず、悩んでいる人には 予想外の時間の予想外な場所に、出かけてみるといい。 同じ人間、同じ日本人なのに、こんな生活をしている人たちがいる。 それを知るだけでも、大きな収穫となる気がする。 人間が成長するためには、カルチャーショックが必要なように。
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| 2003年07月12日(土) ■ |
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| 勝負の時を読み間違えた |
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連夜の阪神タイガース大量得点に、 チャンネルを変えたジャイアンツファンも多いことだろう。 どうして、こんな状態になったのか? いろいろな原因が考えられるが、ほとんどの解説者が、 こう口にしている。 この数日、選手の勝ちたいという気持ちが伝わってこない、と。 それは、テレビの前で観戦している私たちにもわかる。 では、そのやる気のなさは、どうしてなのか? そこで、掛布氏がこう説明した。 チーム全体、総動員、スクランブル体制で臨む勝負の時を 監督以下コーチ陣も、オールスター明けから8月、と 読んだところにあるからだと。 無理もない、今までの知識と経験では、こんなに阪神が勝ち続けるとは 誰もが予想しなかったことであるから。 しかし、勝負は駆け引き。 マラソンでも、サッカーでも、スポーツの全てに 「ここが勝負、全力で戦う」が存在するはず、 その勝負の時を読み間違えた、と説明してくれた。 これは、スポーツに限らず、市町村合併などでも同じことが言える。 焦り過ぎてもいけない、引き延ばし過ぎてもいけない、 住民の幸せを一番に考え、勝負の時、を読み間違えないようにする、 それが、地方公務員の役割なのかもしれない。 もちろん、自分の人生でも同じことが言えるだろう。 長い人生の中で、何回か訪れる勝負の時、読み間違えないようにしたい。
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| 2003年07月11日(金) ■ |
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| 「一戦必勝」という四字熟語はない |
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先日、東京ドームライト外野席で応援していたら、 前席のファンが、白い布に大きな文字で書いた「四字熟語」?を テレビに映ろうと大きく広げてアピールしていた。 それを見て友人が、そんな言葉はないのに・・と呟いた。 「確かに、意味がわからない」そんな会話をしたのを覚えている。 気になって、帰宅後調べたら、やはりそんな熟語はない。 しかし、インターネットで検索したら700件以上もヒットした。 特に、スポーツ系のホームページ(その中でも、夏の甲子園特集)は 「一戦必勝」の単語が、溢れていた。 言葉の意味も考えず、イメージで口にしているようだが、 誰かが直してあげないと、この「四字熟語」は、普及してしまう。 最近頻繁に使われる「ジェンダー・フリー」や 「スケール・メリット」などはいかにも英語のようだが、 そんな単語は存在しないと言う話を思い出した。 日本語(言葉)が乱れてきた、と嘆く前に、 そんな言葉はないよ、と教えてあげるべきだろう。 テレビに「一戦必勝」の文字が映し出されたら、 自分の無知を全国に広めることになるよ、くらいの皮肉を込めて。
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| 2003年07月10日(木) ■ |
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| 時をよみつつ時に流されず |
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東京銀座・和光のキャッチコピーだった。 装飾品にこだわらず、心に留めておきたい台詞として 私は、メモをした。 「市町村合併」から「少年法改正」「住基ネットスタート」 どれをとっても、この台詞が当てはまるから不思議である。 普段の出来事に、何も関心がないのは困る、 しかし、あんまり関心を示しすぎても困る。 もしかしたら、こんな子どもに育って欲しい、という 私の心情ですら、このフレーズはうまく表現していると思う。 たかが、一企業のPRに使われた言葉と言うなかれ、 私たちの生き方や生活に役に立つ言葉として、いくらでも応用がきく。 生活の中に溢れている言葉に興味を持ち、書き始めて10年近く経つが、 いまだ、題材に困ったことがない。 (どれを取り上げようか・・という悩みは尽きないが・・) 今日もまた、携帯電話のメモ機能が溢れてしまった。 何年も前に、全然違った意味でメモした台詞が、 最近の事件に当てはめると、ピッタリする言葉だってある。 とりわけ今日は「変化は突然やってこない」。 中学一年生の犯人、以前から何かメッセージを出していたと思いたい。
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