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| 2003年05月30日(金) ■ |
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| クレヨン新茶 |
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レイアウトを教えるには、実際に体験させたほうがいい、 そう思って「クレヨンしんちゃん」を題材に選び、 全体のバランスの話などをまじえて、切り貼り作業をさせた。 同じタイトルを、彼ら彼女なりの感性で割り付けた作品は 自分の頭の固さを実感させるものとなった。 今日の話題はその後。 授業を終え、ホッとしたところへ一人の生徒がやって来て 「先生・・『クレヨンしんちゃん』の文字を切っていたらね。 『ん』を無くしたら、お茶の名前になったよ」と言った。 わざわざ教えに来てくれただけでも、嬉しかったが、 その発想に大笑いした。 「ホントだぁ・・凄いことに気がついたなぁ」と褒めながら。 子ども向きのお茶があったら、 ネーミングは「クレヨンしんちゃ(新茶)」に決まりだな、 と、微笑みながらメモをした。 私の頭の中では、CMが構成され・・ あの独特の口調で「いい味出してるねぇ、みさえ」という台詞まで 浮かんできたから、 ひとつのことをきっかけに、作品はどんどん膨らんでいくことを ただ今、実感中。
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| 2003年05月29日(木) ■ |
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| 「説明してから資料」より「資料を渡してから説明」 |
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先日に続き、地元の中学一年生に 「新聞の書き方」のヒントを、教壇に立ち話すことになった。 今日は、朝から4クラス続けて・・という私にとっては 未知の体験、離れ業である。 そんな私の「中学校教諭もどき体験」を教室の中で見ていただき、 授業後、感想を求めたら「早口だったね」と指摘された。 「うん、自分でも感じていたけれど・・あれも教えたい、 これも伝えたい、と思うと、つい早口になってしまって・・」と 初体験の言い訳をしてしまった、とほほ。 「どうしたら、早口にならなくてすむのかなぁ」と聞き返すと 「何でもかんでも教えようとしないことだよ」と教えてくれたし、 「子ども達に、考える時間を与える余裕が欲しいね」と アドバイスをもらった。 「新聞というのは、こういうレイアウトが基本です」と説明し、 それから子ども達に資料を渡していたけれど、 資料を渡して、子ども達に一度考えさせる。 それから、おもむろに説明するパターンの方が、いいらしい。 そうとは知らず、教えたいことを機関銃のように話してしまい、 子ども達はさぞかし、面食らったことだと思う。 板書の下手な字を眺めては凹み、 用意した資料はほとんど役に立たず落ち込み、 クラスごとに違う生徒達の反応に一喜一憂しながら、 私の「中学校教諭もどき体験」は終わった。 「話すのが苦手だから、文章を書いているんだ」という言い訳は 二度と使わないようにしたいな、と今回の体験で思った。 月並みな言葉だけれど、この機会を与えてくれた方々に感謝したい。
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| 2003年05月28日(水) ■ |
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| 情報が多いから、歴史が小さくしか動かない |
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ラジオから流れてきたコメントであった。 昔は、もちろんインターネットなんてなかったから、 情報はとても貴重で手に入りにくかった。 だからこそ、歴史は大きく動くことができた、とも言える。 しかし、今は世界の情報も、瞬時にわかってしまう。 (そのデータが、正確かどうかは別として・・) その分、大きな動きになる前に、対応策が考えられてしまう。 すなわち、歴史の教科書に載るような事件は起きにくい。 なるほど・・と感じメモをした。 1192年−鎌倉幕府、1467年−応仁の乱・・・ こんな時代が大きく変わることは、今の日本にはあり得ない。 首都圏移転などの問題も、情報が多すぎてなかなか決まらない、 そんな気がしてならない。 判断材料が多ければ多いほど、迷ってしまうから。 結婚しない男女が増えている、就職しない若者が増えている・・、 これって、結婚や就職に関する情報が溢れているから、と 考えられないだろうか?
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| 2003年05月27日(火) ■ |
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| 時間を意識した話し方を覚えたい。 |
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今、地元の中学一年生に「新聞の作り方」という内容で 50分授業を任されて、教壇に立っている。 嬉しさと緊張で、昨晩は珍しく熟睡できなかった。 自分の中では、あれもこれも教えたい・・と欲張り、 なんだか、まとまりのないプログラムになってしまった。 簡単なことを難しく説明するのは、割りあい容易だけれど、 難しいことを簡単に説明するのは、容易ではないことも、 教壇にたって、初めてわかった。 板書も自信があったのに、実際は字が躍っているし、 予定していたプログラムも、2/3程度しか進まなかった。 だから、正直けっこう凹んだ、とほほ。 ただ、本当にいい経験をさせていただいている、と思う。 小さい頃の憧れの職業だった先生、という仕事。 たった50分の授業×5クラスだけど、その大変さを体験できた。 まだまだ話したりないのに、非情にも鳴る、終礼のチャイム。 うまく伝わっただろうか? そんなことを思いながら、 次回は・・・と心に秘めた私の想いを、気になる一言にしてみた。 先生って仕事、 楽しいけれど大変ではなく、大変だけれど楽しい。 これが、私の素直な気持ちかな。
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| 2003年05月26日(月) ■ |
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| 自分の活躍できる場所は、川か海か |
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1998年、40歳にしてプロ・デビューした ジャズシンガー・綾戸智絵さん。現在、45歳。 波乱万丈な人生を送ってきた彼女が、自分の人生を振り返り 呟いた台詞が、気になる一言。 低音のハスキーボイス、彼女は普通の音楽の世界では輝かなかった。 しかし、ジャズと言う自由な音楽のジャンルで、ブレイクした。 そんな状況を、彼女は、この一言で片付けた。説得力があった。 たぶん、私の解釈も付け加えると、こうなる。 淡水魚なのに、海で泳ごうとしている魚。 逆に海水魚なのに、一所懸命、川で暮らそうとしている魚。 同じ「魚」という分類であるが、本当は全然違う生き物である。 人間はそれに気付かず、アップアップしているのではないか。 自分は、どちらのタイプの魚なのか、しっかり知る必要がある。 身体も心も苦しくない、安心して生きることが出来る環境を 自分なりに確保してから、じっくり生きていけばいい。 だからこそ、彼女は、 ジャズ=薄暗い閉鎖的なジャズ・クラブの音楽というイメージを、 底抜けに明るく楽しい音楽に塗り替えることができた、と思う。 まずは、自分の活躍の場探し。これから始めたい。
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| 2003年05月25日(日) ■ |
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| 俺、この時間帯、好きだなぁ・・ |
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私に野球観戦の魅力を教えてくれた友人の呟きが、今日の一言。 試合のある日は、午後6時試合開始にも関わらず、 4時頃には球場に入る。(外で安いお弁当を買って・・) 特に、ジャイアンツがビジターとなる 「横浜スタジアム」は、清原や江藤などの打撃練習がみられる。 (東京ドームでは、ホームチームなので練習が終わっている) 時には、主力選手のスタンドに打ち込まれる打球に気を付けながら、 そして、時には、外野でストレッチなどをしている選手を見ながら、 買ってきたばかりの弁当を、一気に食べる。 そんなわずかな?時間であるが、試合とは違った雰囲気を醸し出す、 私も好きな時間帯である。 その後、応援ユニフォームに着替えたり、トイレを済ませたり、 慌ただしい時間帯が待っているのも事実。 だからこそ、この時間帯が輝いてみえるのかもしれない。 それは、別に遊びでなくてもいい。 仕事でも、家庭でも、どんな場面でも 自分の好きな時間帯がある人は、誇りを持って欲しい。 まったりした時間、ドキドキする時間、人によって違う好きな時間帯。 昼食後の、縁側でうたた寝するあの瞬間。いや、あの時間帯。 もう一つの私の好きな時間帯である。
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| 2003年05月24日(土) ■ |
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| 清原さんですよね、サインいただけますか? |
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うっ・・マジな顔して声を掛けられてしまった。 中国からの留学生なのだろう、真剣なまなざしで・・・。 場所は、横浜スタジアム近くの「月」という飲み屋。 私は、勝った勢いで、いつものように「KIYOHARA」の文字が 背中に入ったユニフォームを着たまま、祝杯をあげるため 横浜・関内の街に繰り出した。 (ちなみに友人は「TAKAHASHI」である) 私達の格好を見て「今日、ジャイアンツは勝ちました?」と 気軽に声を掛けてくる若者たちがいて、ちょっぴり嬉しかった。 返事は「もちろん、勝ったよ」だったから。 ところが、冒頭の彼女は、私の応援用のユニフォームを見て 本物の清原選手が、ユニフォームを着たまま、飲みに来たのだと 勘違いしたのだろう・・紙と鉛筆を私に差し出した。 そのまま、冗句で片付けようと思ったけれど、 あまりに信じ込んでいる様子なので、事情を説明して誤った。 「ごめんね、本物の清原じゃないんだ・・、 これを着て、清原選手を応援しているんだよ」と。 本当に、がっかりした顔をしたので、私のほうが辛くなって・・ 手首にしていた清原背番号5のリストバンドを彼女にプレゼントした。 その間、一緒に行った友達夫婦は大笑い。(勿論、私も照れ笑い) こんな、フェミニンな清原選手じゃ申し訳ないものね、ははは。 そういえば、その友達が帰りがけに面白いことを言った。 「清原は、ユニフォームを着たまま、飲みには行きません」。 笑えるけれど、楽しい体験だった気がする。
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| 2003年05月23日(金) ■ |
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| 公共広場の花だから、誰がもっていってもいいでしょ |
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全国のあちこちで「花泥棒が相次いでいる」。 静岡県は特に「花博覧会」を来年に控え、 県民総出で花壇作りに力を注いでいるが やはり常識はずれの人たちが存在する。 わざわざ持参したハサミでチューリップを切って持ち帰る。 そんな女性に注意したら、 反論された台詞が新聞に掲載されていので、取り上げた。 昔から「花を愛する人に悪い人はいない」と教わってきたし 私も教えてきた。 しかし、こんな光景を見て、こんな台詞を言い返す人がいるとしたら もうその台詞は、使わないほうがいい。 真剣にそう思う。 盗んでいった花を、どんな気持ちで植えるのか、 そして、本当に「公共のものだから・・」と考えているのか、 知りたくなった。 まさか花壇の中に「花を持って行かないで下さい」という看板を 立てるわけにも行かないだろう。(見たことはあるけれど) 「公共のものだから、大切に育てないとね」 視点は、間違いなくこちらだと思うのであるが・・
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| 2003年05月22日(木) ■ |
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| 玉手箱を開けなかったら・・と考えてみる |
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イラクの男性が、フセイン政権に追われ、 自宅の穴蔵に21年間隠れていた、という記事を見て 21年ぶりに見た世界は、どう映ったのだろうか?と気になった。 その間、本当に現実を見たいと思わなかったのか、 太陽が、そして愛する人々が待っている世界に戻りたくなかったのか、 私の想像では追いつかない、疑問が残っている。 彼の人生だから、私がどうこう言う権利はないけれど、 48歳になった彼が、これからイラクの社会で生きていくのは、 とても大変なことのように思う。 そんなことを思いながら、私の頭に浮かんだのは、浦島太郎だった。 彼は母恋しさに、楽しかった竜宮城から、現実の世界に戻ったが、 周りに知っている人はいない、自分の墓などを見つけた、 そんな現実をまのあたりにして絶望する。 そして「困ったとき以外は、開けてはいけません」と渡された 玉手箱を開けて、たちまち300歳になってしまう浦島太郎。 本当に「玉手箱を開ける必要があったのか」と考えたこともあった。 (開けてはいけません、と渡す乙姫様も乙姫様だけど・・) もし、玉手箱を開けなかったら、 彼の人生はどうなっているのだろう・・と考えてみるとおもしろい。 イラクの彼が、これからどんな人生を送っていくのか、 私の関心ごとのひとつとなった。
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| 2003年05月21日(水) ■ |
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| どうしたら、感動してもらえるか |
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サービスの原点は「相手の立場に立つこと」。 よく企業の社訓などにも見られる言葉である。 私たち行政がが良く使うフレーズは「生活者の視点で考える」。 どちらも、あまりに当たり前のことなのに、誰も疑問を持たない。 それは、原点であり、それ以上のサービスがあるはずだから・・。 それでは「最高のサービス」とは何か?を知りたくなったので、 いろいろ読み漁ったが、なかなかピンと来る言葉が見つからなかった。 今現在、私なりの考えは 「感動」してもらえる場面を提供していくこと、かな?と感じている。 そのためには、より積極的に、相手のことを知り、 どんなことに相手が感動するのか、を考えて行動するしかない。 その心遣い・思いやりに、相手は感動するはずだから。 こんなことまで、私のことを考えていてくれたのか・・という 気持ちが、ちっちゃな「感動」に繋がっていく、と私は思う。 この「感動」の繰り返し、積み重ねが、大きな感動に膨らんでいく。 最初から、大きな感動は与えられないけれど、 ほんの小さな感動なら、与えられるかもしれない。 相手の喜ぶ顔を想像すればいいのだから・・。
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