A Thousand Blessings
2004年1月〜最新ひとつ先に進む


2004年01月31日(土) 君はポップグループを聴いたか?俺は聴いた!

「人生なんて、深く考えてみても意味はないよ」
これは、僕の友人のアヴァンギャルド音楽家の言葉。
こころの中では反駁しながら、「そうかもね」と言ってしまう自分が哀しい。
親しい関係でありながら、あまりに違う人生観に唖然とする瞬間が多い。
人間100人いれば100通りの考え方があるのだから、当然といえば当然だが、
出来れば、「人生は、深く考えるべきものだよ」と言って欲しいと願う。

何の関係もない前書きから始まりました。

ポップ・グループを真面目に聴いてきた人間の一人としては、
“アムネスティ・リポート”の音が店内(かつて勤めていたレコード店)に
流れ出した瞬間、数人の客と店員が笑い出したことがショックだった。
これは笑う音楽なのか?!
何が彼らを笑わせてしまったのか、落ち込みながら考えた記憶がある。
可笑しいから笑うというのなら許せるが、「困ったもんだ」的な笑い
(つまり嘲笑)には抵抗したい気分だ。
演奏者の真剣さがいやというほど伝わる「過激」で「異質なもの」に対して
人々は、とりあえず曖昧に笑う事でその場から逃げようとするのだ、
というのが僕の持論だ。
自分の体内リズム(固定観念)を崩されたくないという避難行動の一種だろう。
僕は、むしろそういったリズムを崩される事に快感を感じるのだが・・。

ポップ・グループは、90年代に活躍するブリストル勢(マッシヴ・アタック、
トリッキー、ポーティス・ヘッド等)の先駆的な存在だ。
アイスランド出身のビョークもブリストル勢の影響をかなり
受けているそうだ。(そういえば、質感がそっくり)
1stアルバム「Y」が発表された時、そのグループ名にみんなが注目した。
余談だが、僕は「ロキシー・ミュージック」というネーミングに
共通するものを感じた。
だからという訳ではなく、彼らのダブ的な資質がデニスを選んだと見るほうが
正しい。さらに、ファンクやアヴァンギャルドミュージックからの
影響も顕著である。
いわば、今で言うところのミクスチャーであろう。

写真ですら見たこともないブリストルという街。
そこの出身バンドには「他とは明らかに異質な音楽」を創る傾向がある。
アメリカのdevoが生まれたオハイオ州のアクロンという街に環境が似ているのか?
アクロンのバンドのコンピを以前聴いたが、全部「変」だった。

※ ネットで調べたところ、ブリストルは貿易都市で音楽は盛んであるとの事。
   ちなみにアクロンは工業都市。車のタイヤ産業で極めて有名。

ポップ・グループは3枚のアルバムと数枚のシングルを残した。
2枚目の「ハウ・マッチ・ロンガー」で恐るべき急成長を遂げることになる。
これは掛け値無しの傑作。
録音のバランスは意図的に崩され、音楽は破壊されていた。
しかし、その破壊された美しさは1stの比ではない。
破壊される事で何かが生まれる、という発想が見事な作品を生み出したのだ。
叫びにも等しいマーク・スチュワートのヴォーカル。
それ以上にリズム隊の弾け具合が痛快極まりない。
フリージャズに対する言葉として、フリーロックというものがあるとしたら、
ここで聴けるサウンドこそがまさにそれであろう。

1stを発表後彼らはレコード会社をレーダーからラフトレードに
変えている。
その第一弾として発表されたのが、
「we are all prostitutes / amnesty report」というシングル盤であった。
B面の「amnesty report」の方がA面よりも数倍衝撃的である。
その過激性を上回る楽曲は、残念ながら傑作の2ndアルバムにも
その後のライブ編集アルバムにも収められていない。
つまり、彼らの最高の音楽遺産はシングルのB面に眠っていたというわけだ。
レコード店に居合わせた人々を笑わせたその音楽を
過激なお遊びとして捉えるのが正しいのか、
実は、正直いってわからない。
つまり、このような楽曲がその後発表されていない事実から
推察すると、彼ら自身も「笑いながらお遊びで」演奏していた可能性すら浮上して
くるのだ。異質な彼らの楽曲群の中でも特別に異質な存在なのだ。
そうなると、僕の持論はぐらついてくる。冗談なの?これって・・?
なお、2ndアルバムの曲は5曲だけ、このアルバム「we are all prostitutes」
に収められている。

ヴォーカルのマーク・スチュワートはエイドリアン・シャーウッドと
ソロアルバムを作りつづけ、他のメンバーはリップ・リグ&パニック、ピッグ・バッグ、
マキシマム・ジョイという3つのグループに分かれていく。
僕が知る限り、ポップ・グループのような完璧なテクニックを持ち
過激な演奏を繰り広げる集団にはその後出会っていない。
もし、あったら是非教えて欲しい。即、購入します!


2004年01月30日(金) 青森県北津軽郡東京村在住・三上 寛

携帯のサイトからダウンロードされた音楽、すなわちマスメディアに
よって検閲され認知されたものだけが今の若者の耳に届く。
もちろん、それはテレビでもラジオでも同様である。
若者は自分の耳で判断し、認知し、自分のものとする作業の一切を
他者に委ねている。
それは非常に無責任で無関心で無頓着な行為であるが、
我々にそれを責める資格はない。
そのような構造にしてしまったのは、利益追求のためだけに
音楽を利用してきた、我々世代の愚か者たちの責任であるからだ。
大人のずる賢いやり方に、今の若者はまったく気付かない。
少し前の若者は気付いているのに、気付かないふりをしていた。
もっと前の若者。すなわち1960年代後半から1970年代前半にかけての
若者は、そのような大人のやり方に対して敏感に反応した。

断っておくが、若者とは言っても肉体的には大人である。
僕がいう大人とは、経済社会の一員、すなわち歯車になっている人間を指す。

たった30数年前のことなのに、世の中は一変してしまった。
聴くに値しないくだらない(と感じた)ものに対して、
あるいは破られた約束事に対して、
それがたとえ子供っぽい配慮に欠けた行動だとしても、
当時の若者はステージの歌手に向かって「帰れ!」と叫んだ。
実際に「帰れ!」と言われた有名アーチストの音楽がどうだったのかは
ここで説明する必要もないが、当時僕は「帰れ!」派と対立する
「帰るな!」派であった。
しかし、僕の考えが間違っていた事に30年経って気付かされた。
そのアーチストは数年前までテレビにみっともない姿をしょっちゅう
さらしていた。
ある意味、今の若者からみたオヤジとしてのアイドルでもあったと思う。
僕は画面でそのアーチストを見るたびに、
「ああ、帰れ派は正しかった。彼らは30年後を予見していた」と思ったものだ。
情けなかった。

今のアーチストは恵まれている。(甘やかされているという意味だ)
「帰らないで!」とは言われても、絶対に「帰れ!」とは言われない。
それゆえに、かなり羞恥心に欠けるキャッチフレーズを堂々と
自らが名乗ったりする。昔ならシャレとして受け取られたであろうが、
現在は本人も聴衆も本気でそうだと信じているから怖い。
“起きぬけの革命家・森山直太朗です!”とかね。
これが合図だ。聴衆は催眠術にかかる。
あとはどんな内容の歌が歌われても、感動することが
仲間同士の決め事のように用意されている。
くっだらねー。と、思う。
大人によって検閲され、「毒を抜かれ」、
大人が“素晴らしい!”と絶賛するアーチストに入れ込んでどうするのよ?


30数年前、三上寛はまったく誰にも期待されず、
完璧に「彗星のように」ではなく、登場した。
彼の立っている場所は、おそらくは30数年経った今でも
数センチと移動していないだろう。
初志貫徹とはまさに三上寛のためにある言葉と
言えるだろう。

三上寛の登場に、異質な文化が北から突然都会にねじ込んできたかのような
衝撃を僕は受けた。
フリーセックスや同棲時代などという言葉に
たじろいでしまった僕のような純情な人間が溢れていた時代だ。
その純情にいきなりナイフを突きつけて身包みを剥いでいったのが
三上寛だ。

彼の素っ裸の言葉たちは、当時の孤独な若者の心にしっかりと届いていたはずだ。
その若者も成長し、経済成長時代を通過し、三上寛を必要としなくなって
いった。
失業者が溢れ、不況に喘ぐ今という時代に三上寛の歌は
必要とされている。
癒しの音楽や言葉に簡単に流される前に、
三上寛の歌の言葉に耳を傾けてみるべきだ。
あの頃、孤独な若者のこころを棲家としていた彼の言葉たちは、
今は、どのへんを浮遊しているのだろうか?
自分で探してつかまえてみて欲しい。

【哲学だの芸術だなんて
 恐ろしいもんだぜ 
 表現だの創造だの ヌケヌケ言ってやがる
 たかが言葉のオリンピックじゃねぇか
 たかがたかがでたかがじゃねぇか
 藤純子や高倉健を
 芸術で語ったところで何になる何になる】

三上寛 『昭和の大飢饉予告編』より




2004年01月27日(火) 小沢健二「刹那」の至福と平原綾香“ジュピター”の驕り

仕事を終え、部屋に帰り、ウィスキーをやりながら
小沢健二を聴く至福の時。
アルバム名「刹那」。いいタイトルだと思う。
当初は収録時間の短さに不満が無くはなかったが、
聴きこむにつれ、この短さが何ともイイカンジに思えてきた。
腹八分目。また明日も聴きたい!と思わせる絶妙な長さだ。
やはり小沢健二は手抜きではなく、きちんとアルバムをプロデュースしていたんだ、と納得した次第である。
“強い気持ち・強い愛”という曲が収録されているが、
これは筒美京平が作曲したものだ。
しかし、どこからどう聴いても小沢健二の作曲としか思えない仕上がりだ。
つまりこれこそが筒美京平の学習能力の凄さなのだろう。
小沢健二の音楽的ルーツにまで遡っての検証を、
我々の常識外の時間、つまり瞬時にして行なってしまうその「才能」。
あの筒美京平をして模倣せしめるほどの優れて個性的な音楽を作り出している
小沢健二の「才能」を再確認できるアルバムだ。
“夜と日時計”で僕は、膝小僧を抱えたくなってしまうのだ、少年のように。

平原綾香の「ジュピター」が毎日会社の有線から流れている。
思わず耳を塞ぎたくなる僕だ。
これほど歌詞が耳に入ってこない作品も珍しいのではないか?
もちろん原曲は良く知っている。ホルストの「惑星」。
その中の“木星”の後半の旋律にそのまま日本語の歌詞を
何の推敲(すいこう)もなく乗せただけの、ただの思いつきに過ぎない駄曲。
音楽大学でのアカデミックな教育そのままの歌唱法も
ほとんど嫌味の域に達している。
声には、潤いというものが全くと言っていいほど、無い。
のっぺらぼうの声とはこういうのを言うのだろう。
しかし、評価はうなぎのぼりだという。
どうしてみんな騙されちゃうのかな。
無表情な噛み応えのない音楽を
よくも堂々とプロとして大衆にお聞かせできるものだなぁ、と呆れてしまう。
しかし、それは裏を返せば
大衆がそういうものを求めているということなのかもしれない。
要望にお答えしただけのことか?音楽を作る側の主体性はないのか?
聴き込めば聴き込むほど味が出てくる音楽を、今の大衆は求めていないのかも
しれない。
ヤワラカイ、アマイ、ヌルイ、ヤサシイ、カワイイ、、、、、
そういうものしか受け付けない触覚を持ってしまった人々の姿が
頭に浮かぶ。そんな人々を利用して商売する連中を僕はアーチストだとは
認めたくない。ただの策士だ。


2004年01月24日(土) 高野寛が輝きだしたぞ!

しばらく忘れていた名前だ。高野寛の新作「確かな光」を聴いた。
先日、日記に書いたともさかりえの名曲“愛しい時”の素敵なアレンジは
高野寛によるものである。
かつてトッド・ラングレンをプロデューサーに迎えて
極めて質の高いポップスを我々に提示してみせた高野だが、
彼も結構いい年になった。
新作ではそんな円熟しつつある彼の現在に触れる事が出来る。
作品の手触りとしては、玉置浩二の諸作に似たものを感じさせる。
スタジオでゆっくりと熟成させたような感覚、とでも言えばいいかな?
部屋で静かに鑑賞するために作られた作品という趣きである。
高野の歌い方は、極めて自然体で、小沢健二に通じるものを僕は感じた。
音を分厚く重ねるよりも、いかにして削るかに主眼が置かれた音作り。
選ばれた一音に全てを託すことの潔さと自信。
それは、高野が「いい時期」に入りつつあることを証明しているように思える。
一曲だけ収録されたカヴァー曲、ドノバンの「サンシャイン・スーパーマン」の
アレンジに高野の才能を感じずにはいられない。


2004年01月23日(金) ジャズ的日々はいずこへ。

横浜銀蝿から井上陽水へと変化する松嶋菜々子の歌。
何故か耳から離れず、気がつくと口ずさんでいる自分が哀しい。
そんなこんなで何とも調子の悪い日々が続いている。

会社の有線から流れてくる曲に耳を塞ぎながらの日々。
“いい日旅立ち”の鬼束ちひろヴァージョンのトホホな感じが、何ともなぁ・・。
とてもプロのアレンジとは思えない。やっつけ仕事ですね、まさに。
カヴァーすることの意味をもう一度考えてみるべきでは?

“贈る言葉”や“なごり雪”を利用してまで、売れたがっている志の低い若者。
テンポを変えれば済むっていう問題じゃないだろ?
インディーズ魂というものが欠けらでもあるのなら、
権威や権力に擦り寄るのはやめなさい。
結局、真剣に紅白歌合戦に出たがっているようだが、
ロックという名前を利用するのはいいかげんにしろ!ってんだ。
反抗でも反逆でも反体制でも何でもない、ロックアーチスト。
悲しい事に才能がない。しかし、大衆の支持は得る。つまりは、
大衆のレベルの低さがそれらのアーチストをいい気にさせているということ。
まず、耳を鍛えるのは、大衆の側だろうね。

ジャズを聴かねば。最近ほとんど聴いていない。
元々はジャズに心酔していた僕だが、いつのまにかJポップ一筋になりつつある。
人の音楽的な趣味の方向性は、どういうきっかけで変わるか分からんものだ。
僕の場合、きっかけは言うまでもなくミスチル。
ミスチルを物差しにしてJポップを考えるようにしている。
現時点では小沢健二、カーネーション、モー娘、。松浦、ソニン、坂本真綾が
ミスチルの物差しで計れるアーチストかな。
で、ジャズだ。
ここで確認のために勝手にジャズのベストナインを選んでみました。
意味ねぇ〜〜!!(無意味も意味なり)

ベストサックス部門    ベニー・カーター
ベストトランペット部門   ブッカー・リトル
ベストピアニスト部門   セシル・テイラー
ベストドラマー部門    ロイ・ヘインズ
ベストベーシスト部門   スコット・ラファロ
ベストギタリスト部門   マーク・リボー
ベスト親子部門      ジョー・マネリ&マット・マネリ
ベストグループ部門    アートアンサンブル・オブ・シカゴ
ベスト日本人部門     阿部 薫

ああ・・・すっごいかっこいいフリージャズを聴きたい!

でもって寝る前には、坂本真綾の「グレープフルーツ」から
“feel myself”を。。。。


2004年01月18日(日) ニール・ヤングの全てはここに!

ニール・ヤングとの付き合いは長い。
もう30年にもなる。
特に10代後半から20代前半にかけての多感な青春時代には
いつも彼の歌声が流れていたように思う。(多少、青春時代の美化もある)
ニールは現在までに36枚のアルバムをリリースしている。
考えてみれば大変な枚数である。
しかし、ここ数年僕は彼の新作の熱心な聴き手ではない。
購入したとしてもせいぜい1〜2回聴くだけで、愛聴盤になることはまずない。
映像も同じだ。どのライブ映像を観ても現状確認で終わるだけ。
そういうニール離れが進行していく中、長い間未CD化だった
「オン・ザ・ビーチ」が昨年やっとCD化された。
ニールの数多い作品の中でも特に「深い」とされているアルバムだ。
結論から言えば、彼の最高到達地点であり、
これ以後、音楽的な方向転換はあっても「深化」はない。

彼にとっては7枚目のアルバムである。

つまり、ほとんど初期の作品と言ってもいいだろう。
次の8枚目の「トゥナイト・ザ・ナイト」は実は「オン・ザ・ビーチ」よりも
前に録音されている。
あまりの内容の暗さに、レコード会社側が発売を見送ったためだ。
両方のアルバムに共通する暗さの原因は、
バックグループ、クレイジーホースのメンバーの死、
あるいはローディの死(共に薬物死)にある。
「オン・ザ・ビーチ」の方にはもうひとつ彼の私生活での
非常に個人的なつらい出来事も関係しているが。
とにかくこの2枚は、特殊な存在である事は、間違いない。
特に「オン・ザ・ビーチ」のジャケットには、人生に疲れきったニール本人の
姿があからさまに写っている。
1960年制作の映画「オン・ザ・ビーチ」(邦題・渚にて)は核戦争で人類が
滅びていく姿を描いている。登場人物に生き残る方法はすでになく、
ただ死を静かに受け入れるだけだ。
(リメイク版の「エンド・オブ・ザ・ワールド」もなかなかです)
おそらくその映画に引っ掛けたタイトルとジャケットだと思う。

人生のどん底で制作された「オン・ザ・ビーチ」の次の
「トゥナイト・ザ・ナイト」までの8枚が
ニール・ヤングの全てであると断言してしまおう。
その事に気付いた。

古いCSN&Y時代のライブを聴くと、ニールのエレキギターは尖っている。
あきらかにスティーヴン・スティルスとは個性の違うギタリストだった。
そんなニールのギターをもっと聴きたいと当時は切に願ったものだった。
で、何年後かにハードに弾きまくるようになったニールではあるが、
僕が望んでいたスタイルとはかなり違っていた。
かつてような一瞬の暴発といったものではなく、
暴発しっぱなしの現在のスタイルは、ある意味ではトランスミュージックと
似ているのかもしれないが、そこに深い音楽性は感じられない。
田舎のおじさんたちが、寄り合って轟音で憂さを晴らしているかのような
印象すらある。

そういった轟音スタイルの演奏に疑問を抱くようになったきっかけは、
ニールが時々かつての「ハーヴェスト」のような性格のアルバムを
ハードな作品の隙間に発表し始めた事にある。
彼の中でバランスを保とうとしているのかもしれない。
彼は無理をしているのかもしれない。
行き詰まっているのかもしれない。
その末の先祖がえりをあえて試みているのでは?感じた。
つまりは、やる事がもうないのではないかと。
しかし、ロックスターは生きている限りロックスターであらねばならない、
といった悲愴な使命感のようなものまで感じる。
才能はとっくに枯れているのに・・・・。

還暦を迎えるロックスターを我々は体験し始めている。
30年前に誰が60才のロックスターを想像しえただろうか?
現在ニール・ヤングは58歳である。
ポール・マッカトーニーは「ホエン・アイム・シックスティ・フォー」と
歌っていたが、それももうすぐ目の前だ。

ニール・ヤングの轟音への転換は、「逃げ」だと思う。
それを当時僕は「挑戦」と受け取った。
もちろん今でも多くの熱烈なファンはそう捉えているだろう。
本当に久々に「オン・ザ・ビーチ」を聴いていろいろと考えさせられた。
やる事がなくなった理由が「オン・ザ・ビーチ」には詰まっている。
これ以後の28枚のアルバム全てが束になってかかってきても
「オン・ザ・ビーチ」には勝てない。
完璧すぎるものを作ってしまったことを幸福と考えるのか、
不幸と考えるのかはその人によって違うだろう。
同じように完璧なアルバム「ペットサウンズ」を作ってしまった
ブライアン・ウィルソンは、その後長い冬眠に入る事によって
世間へのアピールを新たに考える必要性から
逃れる事ができた。
目が覚めたときは、みんなが「ブライアン・イズ・バック!」と
騒いでくれたのだから、幸せな男である。
その点ではロッカーとして生き残る道を新たに模索していかねば
ならなかったニールは不幸である。
私生活では実の子の病気の問題もある。
社会的発言者としては、かなりヨレヨレの男だが、
それでも働く姿は、感動的ですらある。
ただ、才能が枯れている事に本人が(おそらく)気付いているであろうことが
不幸なのだ。
一生、そんなニールに付き合っていくのが真のファンというものだろう。
それを考えると、僕にとってのニールは青春時代だけの
友人であったようだ。

「オン・ザ・ビーチ」。。
ここにはニール・ヤングにしか作り得ない音楽が詰まっています。
タイトルナンバーの声とギターを二度と彼は取り戻せなかった・・・・。
こういう音楽に今後出会うことはないのだろうか?
それを考えると、僕自身が沈鬱な気分になる。


2004年01月17日(土) 君は田中清司を聴いたか?!

松浦あややの新作3rdアルバム「×3」の中の1曲、“可能性の道”がいい。
トッド・ラングレンで来たか!
ま、アレンジャーの河野伸の趣味だとは思うが、なかなかいいところに
目をつけたと思う。しかし、この曲を聴いてアルバム「未来から来たトッド」を
思い浮かべる若者が果たしているかどうかだが(別にいなくても何らかまわないが)、
興味があったら聴いてみて欲しい。音楽的アイデアの宝庫だ。

唐突だが、ともさかりえの名曲“愛しい時”を眠らせておくのはもったいないと思っている、僕。
僕がプロデューサーだったら、松浦に歌わせる。
おお!頭の中で彼女が歌う“愛しい時”が鳴り出した!
いけるぞ、これは絶対にいける!上田知華が書いた極上のポップスを
極上のポップシンガー松浦が歌う個人的には夢のような企画。
そういえば、若い頃からこういう想像が好きだったなぁ。

さらに唐突だが、自衛隊のイラク先遣隊の隊長は
何故にあれほどイラク人顔なのか?
思いません?何らかの理由があって、ああいう顔立ちの人をあえて選んだのか、
我が家族は真剣に考えている。

そういえば(何がそういえば、なのか分からないが)サッカーの川渕チェアマンが
ナオタロに“君が代”を歌ってくれと頼んだそう。
それに対してナオタロは「畏れ多い」と答えたそう。
「畏れ多い」だよ!「畏れ多い」。。う〜〜〜ん、ナオタロ、本音丸出し。
分かりやすい奴だわ。

何故だか今夜は吉田拓郎の傑作ライブ「LIVE’73」を聴いている。
今から30年前の拓郎がカリスマだった時代の貴重な証拠品だ。
当時は、今のただのオヤジっぷりからは想像が出来ないくらい、
特別な存在でオーラを放っていた。
でもまあ、カリスマ拓郎はとりあえず横に置いておくことにして・・・・
このライブアルバムで驚かされるのは、リズムセクションの恐るべき実力!
さて、ドラムス・田中清司、ベース・岡沢章と聴いてビビる人が
一体どれくらいいるのだろうか?僕はビビる。
岡沢は時に岡澤になる。どっちでもいいらしい。(聞いた訳ではないが)
いわゆるスタジオミュージシャンだが、ライブでも有名シンガーのバックで
弾いている。たとえば吉田美奈子や山下達郎etc
完璧なテクニックでグルーヴするその演奏スタイルに影響を受けたベース弾きは
数知れず。現役バリバリなので音楽雑誌に登場する事も多い。最近では娘が
ジャズシンガーとしてデビューしている。岡沢自身も歌っている。

問題は田中清司の方だ。
日本のドラマーで3人挙げろ、と言われたら、
村上“ポンタ”秀一と林立夫(元・ティンパンアレイ)、
それに田中清司を躊躇なく選ぶ。
しかし、田中清司はいつのまにか第一線から姿を消してしまった。
(僕の知らないところで仕事をしているのだろうが・・・CDのクレジットでは名前を
全く見なくなった)
彼の演奏を同時代で体験してきた僕らの世代(昭和30年前後生まれ)でも
田中清司の認知度は低いのだから、全邦楽ファンにまで対象を広げたら、
おそらく認知度は「ない」に等しくなるのでは?

が、実力では間違いなく先に挙げた二人の上を行っていた。
70年代の邦楽界は村上秀一と田中清司の独占状態だったと記憶する。
田中清司の最も有名な演奏といえば、井上尭之バンドに参加していた時代の
「太陽にほえろ」のテーマ曲(何度か録音し直されているが、オリジナルのみ
田中が参加している、はず)である。
あのドラムスはすごいぞ。これでもか!という具合に前のめりで他のメンバーを
グイグイ引っ張っていく。
ベースがついていけてない(笑)ちなみにベーシストは、岸部修。
(彼もオリジナルのみ参加)
現在は俳優の岸部一徳として有名なあの方だ。

当時、田中清司は歌謡曲のバックでとにかく仕事をしまっくていた。
すぐに彼のドラムスと分かる独特なスタイルなので、歌謡曲やアイドルポップスを
聴いていればその仕事量の多さが簡単に実感できる。
岩崎宏美の初期のアルバムでのプレイが一番のお薦めかな。
ぜひオリジナルのまま再発してもらいたい。
特にDJ糸井五郎が関わったものを!
(岩崎宏美の2枚目か3枚目だと思うのだが。名盤!!)
田中清司のドラムスをバックに糸井がDJをキメる。
おそらくベースは岡沢だと思う。
そのカッコよさといったら、もう・・・。
ちくしょー、どうでもいいアイドルポップスばかり
初CD化する前に、こういう絶対的な名盤から始めるのがスジってもんでしょ?
ようするにレコード会社のディレクターが無知だということか。

で、拓郎のライブだが、これを聴くと田中・岡沢のコンビがどれほど
「いい仕事」をしていたかが、分かる。
ポンタ・岡沢のコンビの仕事も多いが、どちらかと言うと
ポンタと組むといわゆるボトムから支える、
といった堅実なベースプレイに徹する傾向があるようだ。
そんな彼もひとたび田中清司とタッグを組むと豹変する。
田中清司の前のめりのグルーヴに乗せられて
ウネウネしまくっちゃう岡沢章のはしゃぎっぷりが実に楽しい。
どの曲も二人のリズム隊があればこそ、といった仕上がりになっている。
“君去りし後”“君が好き”“晩餐”の3曲が傑出している。
拓郎はどうでもいいから、リズムセクションだけを楽しむつもりで
1500円出してみてはいかがかな?
ちなみに若き日の高中正義のエッジのきいたギターも堪能できる。
安いもんですよ。




2004年01月14日(水) 更年期障害とミスチルの「it's a wonderful world」

男にも更年期があるそうだ。
今の僕はまさにその更年期というやつに入ってしまったようだ。
具体的に障害が出始めている。
まず、言葉がすんなり出てこない。日記などの文章を書く時、非常に困っている。
いや、文章に限らない。仕事上でのお客さんとの会話においても
言葉を忘れ、一瞬の空白の時間にどぎまぎすることがある。これは、さすがに
まずいと思った。昔から話すのは得意だっただけに、ちょっとへこんでいる。
いわゆる一時的、、、、とここまで書いて次の言葉が出てこない。やばいぞ、俺。
で、思い出した!いわゆる一時的健忘症(最初は健忘症ではなく欠乏症と書いて
しまった・・・)の一種だろうが、あまりにも頻繁なので
ちょっと脳みその異常まで心配したりしてる。

それから、考えがまとまらない、という症状も出始めている。
これはかなり深刻。
頭の中では、全ての事柄がまるで磁石のN極とN極が反発しあうように
飛び散ってまとまらない。
この考えとあの考えを繋げるという最も簡単な作業がすんなりと行かない。
ここまで書くのに何分かかってるんだ?俺・・・。
今日、病院で精神安定剤(主に不安症に効く)をもらってきた。
まさにその名の通り精神を安定させる薬なのだが、患っているメニエール病の薬と
一緒に飲むと、眠くなってしまう。でもって、さらに思考力は低下するという
悪循環を招いている。何処へ行くんだ?俺・・・・。
明らかにここ5年間で最も体調を崩している。
重大な病気ではないため、会社にも行かねばならないし、
行けば仕事をこなさねばならないし。
高熱で3日間寝込んで、あとは元気!という人が羨ましくてしかたがない。
いつまで続くんだろう・・・更年期障害。って、本当にそうなのかしらん?

部屋で丸まって、ミスチルの「it’s a wonderful world」
を聴いている毎日。
本当に毎日毎日聴いている。すでに回数は「深海」のそれをとっくに超えている。
実は仕事場でもかけている。一日平均2〜3回は。


『ノートには 消し忘れはしない昨日が ページを汚してても
まだ描き続けたい未来がある』   

   “蘇生”

『ある日君が眠りに就くとき 僕の言葉を思い出せばいい
そして自分を責めて 途方に暮れて
切ない夢を見ればいい』   

   “渇いたKISS”

『きっと 仮面ライダーのそれのように
僕の背中にもファスナーがついていて
何処か心の奥の暗い場所で
目を腫らして大声で泣きじゃくってるのかも』   

   “ファスナー”

『殺人現場にやじうま達が暇潰しで群がる
中高生達が携帯片手にカメラに向かってピースサインを送る
犯人はともかく まずはお前らが死刑になりゃいいんだ』  
 
   “Love はじめました”

『君が好き 
この響きに 潜んでいる温い惰性の匂いがしても
繰り返し 繰り返し
煮え切らないメロディーに添って 思いを焦がして』

   “君が好き”

この5曲が特に好きだ。

DVD「wonderful world on DEC21」での
それらの曲のヴァージョンはミスチルにとってベーシストが果たす役割が
いかに大きいかを証明している。
スタジオ盤では聴く事ができなかったグルーヴがそこには溢れている。
ライブならではの即興性がそれを生み出したのであろうが、
このベースがあればミスチルは生き残っていけると、僕は確信した。
最も地味な演奏者(しかし演奏に没頭している姿は清々しい)ではあるが
彼は彼にしか出来ないことをやっている。
ドラマーやギタリストと同様にね。
あらためて、このメンバーであと10年はやっていくべきだと思った。
まだまだ多くのものを生み出す才能を持っているよ、ミスチル。



2004年01月11日(日) ナオタロの“太陽”の胡散臭さ

森山直太朗(以下、ナオタロと表記)の新曲“太陽”を聴いた。
“さくら”で匂わせていたアナクロ的な軍国歌謡風味をさらに進化させた
言わば、21世紀型帝国主義歌謡時代の到来を告げる記念すべき作品だと、
みた。
自衛隊のイラク派遣のテーマソングは“太陽”に決まったな。

ナオタロ人気の異常な急上昇が、この曲が持つ本質的な不気味さを
見えにくくしてしまうのが、実は怖い。
小泉首相が登場した時と非常に似た構図だからだ。
そのうち、ナオタロの人気にも小泉と同じように翳りが見えてくるかも
しれない。しかし、そのときではもう遅いのだ。
国民の絶大な支持の元、小泉が何をやってきたか、
そして今何をしようとしているかを見れば、「それに気付く」ということの
重要性が分かると思う。
ナオタロはおそらく今年中に若者のカリスマになるに違いない。
彼が歌詞の中で描きつづける世界が幻想ではなく現実的に
極めて「意味のあること」として何の抵抗もなく受け入れられてしまうこと
に危惧を覚える。

『花咲き誇る小さな島にこれ以上何を望みますか?』

ナオタロの中では、今の日本は満足すべき方向に向かっているのだろう。
こういう問いかけはすべきではない。聴き手の「柔な良心」にとっては
反論しにくい命題を投げかけるいやらしさ。
これ以上を望むことが、あたかも「正しくない事」であるかのように
思いこませる、いわばこの曲のキャッチコピーとでも言うべき箇所である。
「小さな島」の前に「花咲き誇る」というほとんど阿呆とも言える
形容詞がついているが、これはナオタロの理念(というほどのものが
あるのか、知らんが)の明確な提示である。
ナオタロに傾倒すればするほど、「花咲きほこ」っているように
思えてくるのだろう。怖いな。まさに軍国歌謡そのもの。


『銀河に浮かぶこの辺鄙な星の60億分の物語
 草木も眠るあの聖なる夜に
 偶然あなたが生れ落ちた 輝く奇跡を信じ生きる』

「草木も眠る」などというまともな神経ならとても使えない表現を
突如用いてしまうナオタロの幼児性は横に置いておいて、
この歌詞の部分からは、容易にキリスト教への絶対的な賛美が感じとれる。
ブッシュも大喜びの箇所であろう。(ブッシュは聴かないだろうが)
キリスト教は世界を救う。キリスト教だけが世界を救う。
誤解は一人歩きするものだ。
もしもナオタロがキリスト教者でないのなら、
絶対に「聖なる夜」とか「奇跡」などという紛らわしい表現は
避けるべき。言葉の持つ意味やちからに無頓着では、いけない。


そのうち小泉は言い出すよ。見ててみな。
「Xジャパンもいいが、森山直太朗もいいね〜!!」って。

カップリングの“声”は、母親譲りのファルセットが
耳障りだ。


メニエール病を患っているので、
長い時間パソコンに向かっている事が辛い。
耳の奥でずっと虫が鳴いている。ジー、、ジー、、と。




2004年01月07日(水) ゆらゆら“なましびれ・なまめまい”帝国

社畜(会社という組織の奴隷)にだけはならないぞ!と気張っているくせに
気がつくと「売上げ昨年対比」などというものに翻弄されていたりする。
ああ・・病んでいるなぁ、、とつくづく思う。
心の中では大声で叫んでいるんだよね。
誰しもが何かに対して叫んでいる。
そんな叫び声を集めて音響に変えると、
ゆらゆら帝国のライブ盤「なましびれ・なまめまい」になるのかもしれない。

会社から草臥れた心と体を引きずりながら帰ってきて、風呂上がり水割り片手に
ジョニ・ミッチェルなんぞを聴くのもいいが、いっその事、ゆらゆら帝国の
音塊と化した轟音の世界に身を委ねちまうのも素敵かもしれない。
いや、素敵なのだ。
反省だとか辛抱だとか精進だとか、そういった俗世間の呪縛から
いったん離脱するために、轟音ロックやフリー・ジャズが存在してると、
僕は勝手に思っている。
聴き手を束縛せず、聴き手に何も求めず、ただ排泄する音楽。
そういった音楽に、僕はある種の潔さを感じる。
俗っぽい言い方をすれば、「カッコイイ」と思う。

昨年の個人的お気に入り10作品にもゆらゆら帝国の「しびれ」と「めまい」は
選出されていたが、そのあとに発売された「なましびれ・なまめまい」は、
スタジオ盤とは全くちがうゆらゆら帝国の姿を実にリアルに見せてくれる。
全体が音塊というわけではないが、部分的にそういうアプローチが見られる。
ノイズ界の雄、非常階段と全く同じアプローチである。
実際に彼らのライブに接した事のない僕は、このような演奏を想像していなかった。
もっと淡々と、いわばアシッドロックのように、
そうグレイトフル・デッドのように演奏していると勝手に思い込んでいた。
それだけに驚きは大きかった。
実に骨太の芯のある轟音。そして類い稀なる音響センス。
明らかにこれは、「才能」である。
しかもこのCDは何と!60数分収録されてたったの1000円!
こうなると第二弾として、傑作“ミーのカー”の特別長尺ライブヴァージョン
なんていうのを是非聴いてみたいものだ。
ゆらゆら帝国から目が離せない!


2004年01月06日(火) 胡散臭さは商売になるのだ

2004年は、「起きぬけの革命家」でいくんだってさー!
うひゃひゃひゃひゃ〜〜ってなもんですわ。
「夕暮れの代弁者」も相当ひどかったが、さすがに「革命家」には参った。
ゲバラもビックリ。
森山ナオタロよ、あんたは偉いわ。
もちろん「起きぬけ」でシャレてるつもりだろうが、
そのシャレ感覚があまりに超二流で、同じ笑いでも失笑しかないなーこりゃ。。
マジでこのキャッチフレーズに惹かれている人っているのかいー?
おそらくいるんでしょうね。信じがたいほどたくさん。日本中に。
早く新曲「太陽」を聴きたい。オジサンは待てない性分なのだ。

女子十二楽坊が昨年の洋楽の売上げの第2位だって?
おお!あたしゃ、感動してしまったよ。
「何にも残らない(残さない)」音楽に群がる傾向は数年前から顕著になってきたが、
いよいよその症状も加速度的に悪化してきた。
「癒し」などという言葉につられてCDショップの店頭に積み上げられた商品に
飛びつく人々よ、いい加減に自分の耳でホンモノをみつけましょうよ。
しかし、女子十二楽坊の曲のタイトルが“自由”っていうのも何か胡散臭くてイイ感じ。
そうなんだよ。胡散臭いのが増えてるんだよね。
さっきのナオタロも実に胡散臭い。
東儀秀樹というのっぺら顔のアーチストが演奏する音楽もこれまた胡散臭い。
女子十二楽坊と同じで、西洋音楽と東洋音楽の融合といいながら、
実際は、洋楽のリズムに東洋の楽器を使って
東洋風だか西洋風だか分かんない旋律を乗せているだけ。
ただそれだけ。チンケなこと極まりない。
お芸術っぽい高尚な雰囲気を漂わせている分、
東儀秀樹の方が胡散臭さ度数では上だ。
そういった点で、彼はすでに喜多郎を超えている。
せいぜい、ファンの方は売上げアップに協力してあげてください。


2004年01月05日(月) ミスター・チルドレン〜優しい歌〜

よくよく考えたら、年末からずっとミスチルのアルバムを聴き続けている。
シングルカットされたナンバーが、アルバムの中では別の輝きを
持っていることにも気がついた。
「深海」における“花”、
「BOLERO」における“everybody goes”、
「DISCOVERY」における“終わりなき旅”、
「Q」における“口笛”、
そして「IT’s A WODERFUL WORLD」における“君が好き”。
これらの曲は全てアルバムの中の「イカセどころ」となっている。
アルバムならではの凝ったサウンドや意味深な歌詞の世界に
我々を誘っておきながら、いわゆるヒット曲で落とす。
そして、我々はいとも簡単に落ちる。
このパターンを創り上げるには、とてつもない音楽的才能と
ヒット曲を生み出す「技術」が必要とされる。
ミスチルは現時点ではそれに成功している。
いや、おそらく今後もその路線を突っ走って、
やがては日本のロックシーンにおける絶対的な地位を確立すると思う。
これから10数年後のことである。
そのとき、僕は還暦を迎えている。
ウヒャ〜〜〜!還暦だってさぁ(笑)
でもいいんじゃない?還暦でミスチルに夢中になってる己の姿を
想像しているだけで頬がゆるむ。

年末に「優しい歌」というミスチルの歌詞集を買った。
最近、老眼が進んで歌詞カードの字が読みづらかったので、
このような本の形になると実に助かる。読みやすい。
活字表現としてみても、桜井の詞は素晴らしい。
何度も読み返す。背表紙には「詩集」と書いてある。
「ビートルズ詩集」や「ボブ・ディラン詩集」と同じように
「詞」ではなく「詩」として扱われている。
そうなんだよなぁ・・・と納得する。

『どんな未来を目指すも 何処に骨を埋めるも
 選択肢はいくつだってある
 言うなれば自由
 そして僕は微かに左脳の片隅で君を待ってる』

『僕は世の中を儚げに歌うだけのちっちゃな男じゃなく
 太陽が一日中雲に覆われてたって 代わって君に光を射す
 優秀に暮らしていこうとするよりも 君らしい不完全さを愛したい』

『全部おりたい 寝転んでいたい
 そうぼやきながら 今日が行き過ぎる』

『口笛を遠く 永遠に祈るように遠く 響かせるよ
 言葉より確かなものに ほら 届きそうな気がしてんだ』

『良かったことだけ思い出して
 やけに年老いた気持ちになる
 とはいえ暮らしの中で
 今 動き出そうとしている
 歯車のひとつにならなくてはなぁ』





2004年01月04日(日) 2003年、僕を夢中にさせた10作品

風邪はさらに悪化。咳が止まらない。
インフルエンザの予防接種は効いているようだが、
つまらない単純な風邪をひくとは・・。

っていうことで、様々な音楽に親しんできた僕が
48歳という年齢になって「出会えた」素晴らしい作品たちを10枚ご紹介したい。
特に新譜に限定せず、2003年に僕の心に入り込んできた多くの作品の中から
厳選してみた。


☆ ミスター・チルドレン 「くるみ」

2003年は、桜井和寿という傑出したソングライター率いるミスターチルドレンに
(ようやく)出会えた事に感謝する年だった。
私生活における不思議なめぐり合わせがあって出会えただけに、
感慨もひとしおだ。
はっきり言えば、今の僕はミスチルさえあれば生きていける。
マイルスもウェイン・ショーターもボブ・ディランも
フランク・ザッパもデレク・ベイリーも必要としない。
「くるみ」・・・・。ああ・・「くるみ」の日々を送っている。
夜の国道を走る車の中で、「くるみ」を大音量でかけながら、
友人と二人で唄った瞬間の胸の奥からこみ上げてくる様々な感情。
30年前、吉田拓郎の「どうしてこんなに悲しいんだろう」を親友と
自転車を走らせながら大声で歌った時と時間の隔たりこそあれ、
その意味合いは極めて似ているように思う。
それは「哀しみ」っていうことなんだなぁ・・。


☆ ミスター・チルドレン 「深海」

今から7年前に発表されたアルバムが、やっと僕の元に届いた。
このように、世の中には不幸にしてなかなか「出会えない」アルバムや楽曲が
いくつもあるのだろう。
しかし、神様は最高の一枚を残しておいてくれたわけだ。
「深海」をはじめとして、一連のミスチルのアルバムはほとんど聴いたが、
やはり「深海」は特別の輝きと深みを持っていると思うな。
泣ける、乗れる、開放される、癒される、笑える、そしてただただ感動する、
など聴き手には色々な表現の仕方があると思うが、
僕の「深海」に対する表現はただひとつ。

『共感』である。

『共感』こそが2003年から2004年へと受け継がれる僕のキーワードだ。
「深海」を日本の「アビーロード」と言い切ってもかまわないと、思う。


☆ ミスター・チルドレン 「wonederful world on DEC21」(DVD)

一日だけ行なわれた、桜井和寿復帰後初のミスチルコンサートのライブDVD。
CDでは、桜井の果たす役割の大きさがどうしてもクローズアップされがちだが、
こうして実際の演奏を目にすると、このグループの演奏者としての完成度の高さ、
メンバー個人個人の果たす役割の大きさに気付かされる。
この4人でなければ、この音楽は完成できないんだろうな、と思わせる箇所が
そこらじゅうに見られる。
先日の小田和正のクリスマススペシャル番組に桜井がゲスト出演し、
「タガタメ」と「ヒーロー」を歌っていたが、感動の域には達しなかった。
理由はいくつかあるが、そのひとつに、やはりバックに
いつものメンバーがいない事の違和感があげられる。
あのギターが、あのベースが、そしてあのドラムスがあって初めて
桜井が描く世界が完成する事を、確認できた。
そういう意味では有意義だったが・・。他にもあの番組に関しては書きたいことがあるが、それはまた今度。
DVDでは、“蘇生”“君が好き”“ファスナー”“終わりなき旅”“alive”
この5曲が特に素晴らしい。


☆ ソニン 「合コン後のファミレスにて」

傑作アルバム「華」を挙げても良かったのだが、インパクトの強さでこれを選んだ。
裏・松浦亜弥とでも言うべき個性。個人的には藤圭子とイメージがダブる
(本当か?)
つんく♂の本業はモー娘。に違いないだろう。
しかし、彼の才能(音楽的かつ商業的)はそこに留まらず、
松浦亜弥という20年に1人とでもいうべき個性を開花させた。
さらに彼は、EE・ジャンプを志半ばで解散させられ、
路頭に迷っていた(のか?知らんけど)ソニンを見事に
(と思ってる人間が日本に何人いるのだろうか?)芸能軌道に再び乗せた。
これこそがつんく♂2003年の最大の功績だろう。
(って、みんな思ってないでしょ?)
さてソニンの音楽について全く触れてませんが、そもそも触れる気はありません。
僕だけが密かに楽しむんだもんね。


☆ 松浦亜弥 「コンサートツアー2003春 松リングPINK」(DVD)

最新作「×3」が急速にキテいる僕だが、
やはり2003年の彼女の最大の成果は、
春から夏にかけて行なわれたコンサートツアーのライブに見られる。
間違いない。
いわゆる典型的なアイドル歌手のライブ映像としては、
80年代の松田聖子全盛期以来の完成度の高さだろう。
あややを盲目的に愛してしまった僕なので、話半分で聞いてもらってもかまわない。
中年の恋という言葉(あるのか?それ)が頭をよぎる。
優れた楽曲とそれによって構成されるコンサートの一点のミスもない完璧さ。
アイドルを演じる(演じさせられる)のではなく、
「アイドルは松浦なのだ!」という彼女の自信に溢れた表情。
8ヵ月前のライブ映像と比べると、格段に彼女は成長している。
そしてその成長は止まる気配すらない。
つんく♂がいい曲を書きつづける限り、あややは進化していくと思う。
怖いのは、つんく♂の才能が枯れた時。
小室哲哉と共倒れしていった連中を思い出して、
ちょこっとゾっとしたりして。オジサンは。


☆ ゆらゆら帝国 「しびれ」と「めまい」

新作ライブ「なましびれ、なまめまい」でゆらゆら帝国は
ぶっ飛んでいっちっまいやした。
しかし、これほどライブとスタジオ録音を絶妙に使い分けているとはねー。
なんせ、こちとらライブっていうもんが苦手でとんと行かないもんで、
わかりゃしません。
さてさて、坂本慎太郎くんよ、あなたは一体何なの?どこから来たの?
そしてどこまで行っちゃうの?
僕は素直にあなたに敬意を表したいね。
あなたは今、日本で一番レッドゾーンに近い位置で活躍するバンドのリーダーだよ。
僕は、あなたが書いた曲にほっぺたを叩かれてイってしまう猪木状態に
陥っている。
どうか、いつまでもいい曲を書きつづけ、
メンバーとも仲良く末永く活躍して欲しい。
ゆらゆら帝国とミスチルがいれば日本のロックはもういいんじゃないの?


☆ セシル・テイラー「ライブ・イン・ブラック・フォレスト」

個人的には「テイラーってこんなに・・・!」的なショックを受けたアルバム。
ここで繰り広げられるインプロヴィゼーションの面白さは、
他のいかなるジャンルの音楽にも絶対にないものだと思う。
ドラマーが、あまりにもいい。どこでどんな演奏をしていたかは、
聴いてみないと分からないもんだ。ほんと。
こういうのに出会えちゃうから、JAZZから脱出できないんだよなー。


☆ 中島美嘉「雪の華」

“WILL”ですでに来てはいたが、
この曲は決定打となった。
彼女の声の魅力が余すところ無く表現されていると思う。
もちろん僕もみんなと同じように、あの裏声になる部分でイってしまう。
メロディーもアレンジも素晴らしい。
何度も聴いた。ルックス的にも急激に色気が出てきた。20歳?21歳?(!)
惜しいのは詞だね。
もう少し推敲(すいこう)すべきだった。
表現に説明的な部分があったり(廻りくどく感じられる)、
使い古された慣用句や情感に欠ける語句の使用がいくつか見られる。
たとえば、この恋人同士の情景を若き日の荒井由実だったら
どう描くかな?なんて考えてみたりする。



☆ ハイ・ラマズ「ビート・メイズ・コーン」

ハイ・ラマズを聴くと、すぐにブライアン・ウィルソンが聴きたくなり、
ヴァン・ダイク・パークスが聴きたくなったりした。
それが今までのパターン。
しかし、今回の(いや前回でも兆候はあったかな)アルバムでは、
もうハイ・ラマズでしか表現できない緻密で引きこもった、
しかしそこには楽園があると予感させる音楽が作り出されているのです。
これはもう抗ってはいけない世界だと。
ルーファス・ウェインライト(この人は後日紹介します)と
ハイ・ラマズから目が離せなくなった。


☆ 小沢健二 「天使たちのシーン」(1993年発表のアルバム     
                 『犬は吠えるがキャラバンは進む』
                  に収録されています)

実は2003年の僕の意識変革の機動力となったのがこの作品。
10年前に発表され名曲としてファンの間では特に愛されている。
(ということを今年初めて知った)
日本語の「詞」の奥深さを久々に堪能できた喜びに浸っている間もなく、
ミスチルの洗礼をうけてしまうのだが。
小沢健二は当然知っていた。フリッパーズも聴いていた。
ただ、僕は小山田派だったわけね。
小沢の果たす役割に対しては過小評価をしていたと思う。
誤解を招くかもしれないが、フリッパーズの左脳(論理)にあたるのが小山田で、
右脳(感情)にあたるのが小沢ではないかと・・・最近思っている。
右左逆でしたっけ?
それほど「天使たちのシーン」の詞は、心のミットに直球でしかもストライクで
ズバーンと来る。

『毎日のささやかな思いを重ね 本当の言葉をつむいでいる僕は
 生命の熱をまっすぐに放つように 雪を払いはねあげる枝を見る』

その通り、あなたの言葉は「本当の言葉」だと思いますよ。
偽物の言葉の横行にうんざりし座り込んでいる僕は、
再びあなたの言葉で動き出す事が出来ます。

ということで、毎年個人的に選ぶベスト10は、
そのほとんどがJAZZかソウル、ロックだったが、
2003年は、日本の音楽をとにかく聴いた。
そしてその傾向は今年さらに強まっていく予感がする。
今から、ミスチルの新譜の発売が楽しみでならない。
それまでは、生きていなければ。・・・・ゴホン・・ゴホン・・・。。



2004年01月03日(土) 2003年を象徴する恥かしい歌

風邪の悪化で非常に体調が悪い。
それでも日記だ。つけなければ意味がない。
何だか義務感のようなものが沸々と湧き上がってくる!

2003年は、森山直太朗の“さくら”とSMAPの“世界に一つだけの花”が
最大級に評価された恥かしい年として記憶しておこう。
SMAPの場合、彼らには罪はない。
与えられた楽曲を一生懸命下手なりに唄っただけのことだ。
言うまでもなく、問題は楽曲を提供した槙原の小学生並みの世界観にある。
彼には何も見えていないなぁ、つくづく思う。
典型的な「ムードに流されていく」タイプの歌詞だよね、これって。
詳しく分析するのも面倒なので、うっちゃって置くが、
とりあえずは、アメリカのイラク侵略戦争時、反戦歌として
歌われたという事実で、日本国民(の中の多数派)の民度の低さを
再確認できた事が収穫といえば収穫だが・・でもねぇ・・。
この程度なんだね・・。

さて、森山直太朗の場合。
まずは、少なくとも今の若者の中では言葉を「多く」知っている方だ。
中年の我々にとっては手垢のついた、ちょっと使用するのにためらう表現を
それらの言葉を使って、堂々と(ここ、強調ね!)大衆の面前で披露して
しまう。
それを有り難がる連中がこんなにも多くいるという事実。(驚嘆!)
相田みつをの落書きを有り難がる連中と酷似していると思う。
佐高信の本に、「森山良子は相田みつをが大好きである」と書いてあった。
お母ちゃんがそうならかなりの確率で息子も影響を受けていると考えられる。

どうしようもなくダメな若者がいる。
一方ではそんな若者を蔑む若者がいる。
単純に言えば、後者の若者は「真面目」である。
その「真面目さ」につけこむのが、森山直太朗のやり方だと思う。
ダメな若者に対する圧倒的な知的優越感を植え付けるために、
彼は「ちょっとだけ文学チックな(匂いのする)言葉」を
真面目な若者に『ほらご覧。こんな素敵な言葉があるんだよ』と差し出す。
差し出された「言葉」に彼や彼女は即座に感応する。
『森山直太朗ってこんなに文学的な言葉を使えるんだ!すごい!』
ってなもんですわ。ほんと真面目な若者を騙すのは簡単。
(気をつけろよ、新興宗教団体にだけは)
そんな感激する若者を見て悦に入ってるのが、森山直太朗である。これ、断言!
しかし、哀しいかな、彼の詞はさほど文学的でもなく、
意味ありげでもない。
本をちょこっと読んでいれば誰にでも書けちゃう詞なんだなぁ、これが。

アーチストとして、森山直太朗は確実に進化している。
ナルシストぶりはすでにガクトを抜いており、
恍惚の表情で自分の歌に酔いしれる姿は、実に滑稽だ。
そんなに、歌も上手くないしね。ファルセットなんて汚いしさ。

さて、森山直太朗の新曲“太陽”がもうすぐ聴ける。
ちょっとだけ歌詞を読んだが、「おお!これはやばい!」と
即座に反応してしまった(笑)
そのことは、近いうちに書くことにしよう。




















響 一朗

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