Rollin' Age

2005年01月22日(土)
 ビジョンと実現性と

 学生時代、大学祭の委員長を務めた時のことは忘れない。誇らしく思うのではなくて、苦々しさを含む経験として。就任するにあたって、前代未聞の委員長選挙というのがあった。自分を含めて候補が何人かいて、対立相手は、これまで生きてきて唯一、「こいつ嫌いだ」と思う男だった。向こうも俺を嫌っていたから、お互いに口をきかない、まとまりようもなかった。

 彼は、「ビジョン」を口にした。ネット上で祭をプロモーションしたいとか、これまでの体制を刷新したいとか。俺はひたすら「実現性」にこだわった。そんな夢ばかり語ってみる前に、目の前に迫る、メンバーの配置換えや新入生の勧誘とかを、とっとと固めなきゃなんねえじゃん、って。

 結果として「実現性」が勝ったのだけれど、その後で大きなしこりが残った。彼は辞めた。俺はもうビジョンは聞きたくなかった。みんながばらばらにやりたいことを言い出すのも嫌だった。とにかくまずは去年やれたことと同じことをやってくれ。その上で余裕があるなら改良なりなんなりしてくれって求めた。「なんか、楽しくない」って声が多かった。何人か辞めた。

 祭は開催されたし、前年を上回る来場者でもあった。がんばってくれた皆には感謝している。だから、いまさらこんなことを言ってはならないのだけれど、それでも、後悔している点がある。俺はビジョンを示さなかった。何を目指して祭をやるのかは分からないままの、長くて短い一年だった。
 

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 就職活動に本格的に入る前に、ゼミの活動で朝日新聞社の現役記者に話を聞いたことがある。入社10年目くらいのベテラン。いろいろな質問が飛び交う中で、俺は大それたことを尋ねてみた。「いままでとこれからと、どんな目標を持って仕事をされてるんですか」。答えを聞いて後悔した。「いやぁ、日々忙しくて、そんなこと考える間もなく10年経ちましたよ」。

 新聞記者になりたいですって目キラキラさせた学生達の前で、何一つ「ビジョン」を語れない社会人。別に記者になれずとも、絶対にこんなオトナにはなるまいと誓った。今、その大先輩と同業になって、なおさら思う。もちろん、祭に携わった際の苦い記憶が、その下敷きとしてある。

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 正直、新聞記者なんて仕事、自分が向いているとは思わない。活発で社交的でフットワークが軽くていろんな人の懐に飛び込めるような奴がやるべきだと思う。ただ、俺は今の仕事のままでやりたいことが、たくさんある。何年先に充たされるのかは分からないけれど、それまでは、石にかじりついてでも続けてやる。また、後悔を残さないように。

 結論は月並み。ビジョンも実現性も必要。そんな当たり前のことを気づかせられたこれまでの拙い経験が有難い。そして、このまま前に向かって進める可能性がある環境にいることも有難い。本当に進めるかは知らんが。



2005年01月17日(月)
 3つの新たな生活を振り返る

 昨年10月15日の文章で、自分の仕事の状態をおにぎり屋の厨房に例えた。ご飯やおかずが足りないけれど、無理しておにぎりセットを作って売らなければならない。だから中途半端だけど無理やり形にして、お客さんに売るんです、って。そんなおにぎり屋の経営が、軌道に乗りつつある。

 年が明けてからなんとなく好転している。とりあえず明日出すメニューには困らないことが多くなった。おかずを探す技術も、おにぎりを握る技術も、向上してきた。材料も厨房に常備できている。ただし、明日の分だけ。

 明日をやり過ごすことは可能だけど、明後日はどうなるか分からない。そんな状態でまわっている。不安はまだついて回るけれど、一日先もどうなるか分からないで突っ走ってたこれまでに比べると、余裕が出てきている。

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 昨年4月を境に生活に3つの変化があった。一つは、学生から社会人になったこと。それから、実家住まいから一人暮らしになったこと。そして、関東から関西に暮らしの場が移ったこと。年明けを経て、一つ目の社会人生活は、ようやく落ち着いてきたわけだ。そしてはや、「新人」ではなくなる。

 さて問題は、残り2つの変化への対応だ。初めての一人暮らしが興奮に満ちていたのは、最初の一ヶ月だけだった。掃除洗濯炊事にゴミ出し、きちんとやれているのは果たしてどれだけだろう。

 掃除機をかけてからまたかけるまでの間隔はかなり空いている。ゴミは数週間出さずに積まれていることが多い。幸いにまだゴキブリの姿を見ていないが、それは普段流しを使わないからだろう。平日はともかく、休みの日も外食の比率が極めて高い。布団を干すのは、よっぽど気力がないと無理。

 ぶっちゃけまだ電話が止められている。今も漫画喫茶から更新する平日の夜明け。というわけで当面は、生活のインフラを整えなおして、次にリズムを作ることが課題になるなぁと思いながら、遅々として進まないでいる。まぁ、ぼちぼちやってこうくらいの意気込みだから、まだまだかかるだろう。

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 一人暮らしをどう過ごすかよりも気になるのが、関西に暮らすことの意味だったりする。入社前から、配属地は名古屋を希望していた。2つ理由があって、万博を取材してみたいと思ったことと、20年近く過ごした東京とは別の空気を吸って生活してみたかったから。今は関西にいるわけだから、その望みのうち1つはかなったことになる。で、じゃあ今どうなったのか。

 1月17日。大震災から10年。まさにその現場に暮らしながら、テレビや新聞を通じて当時の状況や今の動きを知る。直接話を聞きだせる知り合いはいない。それで初めて、あぁ、俺、何やってんだろと思った。

 大学からのつながりや、職場の関係の人以外で、俺、関西に新しく知り合いがいるのかと考えてみた。・・・・・いねぇじゃんか。唯一頭に浮かんだのは、合コンで知り合って付き合って3週間で分かれて音信不通になっている女だった。もう名前すら忘れかけている。なんか、がっくりする。

 よくよく考えてみると、週末は誰とも話しませんでしたーという場合が多い。寝てばっかだし、近所で飯食うとか、買い物する以外に、特に時間の使い道を見つけられてない。これはまずい、と思った。まったく新しい土地で暮らしているのに、俺の世界は狭いままじゃないか、って。

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 今の生活を過ごせるせっかくのチャンスを、ふいにはすまい。働いてりゃ仕事に慣れるのは当然のこと。オフの日を生かせてこそ、今の生活の意味はあるんだろう。去年は日々を過ごすだけで精一杯だった。少し落ち着いてきた今、関西を離れるときに後悔しない暮らしを築きたい。タイムリミットは、あと2年(場合によっては、まだあと4〜5年あるけれど)。そのとき俺は、26歳。などと、気持ちを新たにする。



2005年01月08日(土)
 俺はまだこの仕事の楽しさを知らない

 昨年末から立て続けに囲み記事をあてられていて、あっぷあっぷしてた。締め切りが迫るたびにどうしようどうしようと腹の底から会社に行きたくなくて、それでもなんとか記事として辛うじて成立する程度のレベルのつまらない文章を載せてやり過ごしてた。読むに耐えない、ひどい内容で。

 記事はざっくり分けると2通りある。一つは雑報。「どこそこの会社がなになにを始めた」とか。もう一つが囲みというか企画記事というか、「最近ぺけぺけが流行っている」とか「こんな取り組みが進んでいる」とか。

 雑報は、こういうニュースならこういうふうに書くという決まりがあるので、誰が書いてもまぁ同じ内容になる。だから囲みなり企画記事なりと呼ばれるそのスペースこそが各記者の腕の見せどころとなる。いかにタイムリィでおもしろい話題を選び、どんな取材をしてどう読者に読ませるか、って。

 んで、そういう雑報ではない記事を書くチャンスを幾つも与えられて、俺はただただ糞みたいな文章しか書けなかった。もう少し正確に言うと、きちっとした取材もせずとにかく締め切りに間に合わす形で書き上げた。

 今週金曜に送稿した最後の「不完全原稿」は、火曜日の紙面で掲載される。週明けにもしかしたら苦情が来るかもしれない、などと怯えながら、まんじりとしない3連休を過ごす。相変わらず、何やってんだろ俺。

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 幸いなことに、今の仕事を辞めたいと思ったことはほとんどない。ただ、仕事を楽しいと思ったことも、ほとんどない。同時に、憧れて就いた仕事なのに頑張ってますと胸を張って言えない。もっとやらなきゃならないのに、もっとやれるはずなのにと思いながら、実態が追いつかない。

 正直、自分はもっとこの仕事を楽しめるはずだと思っていた。仕事がキツイというのは承知の上で今の仕事に就いた。その点は、前から抱いていたイメージと目の前の現実とにズレはない。ただ、楽しさだとかやりがいだとか、そういう点では、学生時代の想像と現在とでかなり違っている。

 新聞記者になりたいって思った理由の一つは、乱暴に言うなら物を書くことが好きだったからだ。何万だか何百万だかの読者を持つ新聞紙の上に、自分が取材してきたことをバーンて載せられる。これ以上の快感はないだろうって思ってた。ところがどうだい。今は、その想像とは逆じゃないか。おもしろいと思わないどころか、書くことが怖いとすら感じている。

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 先輩記者と酒を飲んでいた。新書か何かで文章の書き方について解説する内容のものを読み、かなり参考になったという。「いや、けど、そういう一般の本で紹介されてる文章の書き方って、作文とか小論文とか向けの話なんじゃないですか。新聞記事にも当てはまるんですか」「もちろんだよ」。

 読む人が興味を持つように工夫するだとか、自分らしく書くだとか、そういった書く技術。それは、小論文やらこういう場で書く文章やらと、新聞記事とでは、それぞれ別の系統の話だと思ってた。だけどなるほど、物を書くという点では何も変わらねぇ。どうやら俺は、「記事を書く=仕事」というようにカッチリ型にはめすぎて、「遊び」を無くしてたんじゃないかと気づく。

 「楽しんで書かなきゃだめだよ」って、以前別の先輩にも指摘されたけど、なんだろ、義務感ばかりが先に来て、「これどうなってんだろ」とか「この人に話を聞いてみたい」とかいった好奇心のかけらも無くしている、ずっとそんな状況だったんじゃないか、って。そりゃあ仕事、楽しくないわ。
 
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 とまあそんなことを考えてた年末年始。数ヵ月後にはもはや自分は「新人」でいられなくなる。一通りの仕事には慣れた。この先は、肩の力を抜いて頑張るべし。というわけで今年の目標は、「仕事楽しんでます、頑張ってやってます」と言えるようになること。どうぞ今年もよろしくです。


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