Rollin' Age

2004年11月24日(水)
 キャバクラと愛の流刑地

 日経新聞の文化面をよく読むようになった。他紙の文化面は通常紙面の中ほどにあって、いちいちめくらなければならないのに対し、日経の場合は一番外側、他紙ではテレビ欄となっている面に掲載されているから、電車の中で読みやすい。毎朝通勤時間に読むのが習慣となっている。

 この文化面はけっこう評判が良いらしく、実際読み進めていると、今日は何が載っているかと気になるくらい、はまり始めた。真ん中に日替わりで載っている文章は、カブトガニの養殖に成功した人や、日本の絵葉書を数万点収拾した人だとか、「その筋」の人のエピソードが書かれていて、興味深いものが多い。左側の「私の履歴書」で現在連載されている武田國男の話もなかなかおもしろい。社長候補でありながら、「この会社はくさっていると思った」など率直に当時の思いをぶちまけていたりするのが爽快だ。

 別な意味で気になっているのが、紙面下部にある連載小説。渡辺淳一の「愛の流刑地」。これが、くそつまらねぇ。元売れっ子作家が、妻子持ちの女性に一目ぼれ。不倫の道へ突っ走るという内容。先日は主人公、強引に相手をホテルに連れ込んで、唇を奪ったものの、それだけに飽き足らず再びアタックをかけている。近日中に、濡れ場まで発展することは間違いなさそうで、「お堅い」日経新聞が、どこまで「表現の自由」を認めるかと言う点で、見もの。というか、いまのところの内容は三文官能小説としか思えず、これがどう「文学的」になりうるのか、そういう意味でも、楽しみっちゃ楽しみだ。

 うろ覚えだが、あらすじはこんな感じ。主人公の作家が、京都に取材に行った際に、ファンの女性にサインをねだられる。おしとやかな雰囲気のその女性に、主人公、一目ぼれ。なんとか関係を作りたいと考え、サイン本を贈るからと住所を聞き出す。それだけに飽き足らず、今度は携帯電話のメルアドも聞きだす。「また京都行くから会いませんか」などと誘い出し、「今借りている部屋の眺めを見せたい」と部屋まで連れ込み、また後日、「あなたに会いたいのです」とメールを送る・・・。強引にもほどがある。

***


 祝日前夜、遅くまで職場にいると、酔っ払った上司がからんできた。「おまえ、この芸人知ってるか」「知りません」「この芸人は」「分かりません」「おいおいおい、お前大阪来て何年目だよ」「いや、半年くらいっすけど」「そんなんで、合コンとかで、女の子と何話すわけ?まず、『好きな芸人は誰?』そっからだろ」「いや、まぁ、別に芸人の話以外でなんとかなると思いますけど・・・」「何言ってんだよ、お前、やばいって。こりゃぁ、勉強が必要だよ」。

 という感じで、そのしばらく後、夜のミナミのキャバクラ街にいるのでした。まぁ、新宿歌舞伎町みたいなとこです。何度かこのへんを歩いたことはあるけれど、まさかその筋の店に入ることになるとは。だいたい、そもそも人と話すのがそれほど得意でもない、まして会ったこともない姉ちゃんたちと、いきなり話しで盛り上がるなんて、そんなのあるわけないじゃないっすか。重い足取りで、先輩と同期とに着いていき、三人で入店しましたよ。

 ・・・。

 ・・・。

 ・・・。

 め ち ゃ く ち ゃ 楽 し か っ た !

 ・・・え、いや、なんでもないです。取り乱してました。すいません。いまだに仕組みがようけ分からんのだけれど、店に入ると客一人に女の子一人が付いて、だいたい20分くらい付きっ切りで、水割り作ってくれたり煙草に火つけてくれたり、あとは話したりしてます。気に入った女の子がいれば、「指名」いれて、ずっとその場に留まります。そうでない場合は、すぐ交代。また別の女の子がやってきて、お話しする、と。先輩におごってもらってしまったので、正確には分からないけれど、1時間6000円くらいだったらしい。

 最初は何を話せばいいのかと悩んだけれど、どうやらてきとーにくっちゃべってりゃいいらしい。すぐに慣れた。とりとめもない話をするだけなのだけれど、「こんな綺麗な女性の時間を独り占めしている」というのが、心をくすぐるらしい。あー、なんか、ホストクラブにはまる女性の気持ちも、同じようなもんなんかなぁ。「ねぇねぇ、なんかお腹減ったんだけど、注文していいかなー」「おう、好きなもん頼め」「えっとねー、じゃぁこれ」「おーけー。お兄さん、これ、よろしくー」。いや、マジでこんな感じでした。阿呆でした。

 いろいろと女の子たちの話を聞いていると、二十歳前後の学生が多いらしい。学費を稼ぎ、一人で生活するため、昼は勉強し、夜は働く、そんな女性が多かった。すげぇなぁと思う。俺なんかより、ずっとしっかりしてて、大人だ。彼女たちと話せば話すほど、虚しくなる。俺は、金で、この女の子たちの時間を買っているだけだから。店を出れば、もう一切の関係もないし。

 だが、店の女の子に、メルアドをもらってしまった。どうしたものか、と。

 「楽しかったよー」とか適当に送ると、「また来てねー」、以上。・・・。これ以上、どうすればと。「『ハウルの動く城』のチケットが余ってるんだけど、一緒に行かない?」と誘ってみるのか。「夜景を見にドライブ行こうよ?」とでも送ればいいのか。それとも、「あなたに会いたいのです」と送っちまうか。どこの誰とも知らない、ほんの数十分話しただけの相手に、正直顔もうろ覚えなのに。渡辺淳一先生、どうしたらいいか教えてください。

***


 と、まぁ、そんな感じで。キャバクラ行ったことない奴からすれば、「いやらしい」とか思われるんだろうし、そっち系に慣れている人からすれば、「たかがキャバクラで何うだうだ言ってんの」とか思われるんだろうし、ここにこうして書くことに、なんのメリットもない気がする。

 後日、職場に行き、パソコンを起動すると、壁紙が変わっていた。「満面の笑みをたたえて、女の子にピラフをあーんって食べさせてもらっている野郎の顔写真」。一緒にいた同期が、デジカメで撮っていた写真を、朝早く俺のパソコンに移し変えたらしい。その日のうちに、職場中に、知れ渡った。



2004年11月21日(日)
 時代に恋をした

 深夜の井の頭公園で水面を眺めながら、この感情はなんなのかと考えていた。求めるのに叶わず、さみしくてせつなくて。書くのも恥ずかしい話だが、あぁこれは失恋と同じじゃないかと気づいた。だとすれば、俺は、あの時代に恋をしていたんだろう。

***


 学生時代の友人が式を挙げるというので、東京へ帰っていた。大学のサークルの同期と後輩。式場はキャンパスの中にある教会。神父はかつて講義を受けたことのある教授。パーティは学食。式への参加者は、100人くらいだったのかな。サークルの関係者が過半で、あとは新婦の職場の関係者と、夫婦の親類と。最初から最後まで、アットホームな雰囲気で楽しかった。

 新郎新婦が付き合い始める前からを知っているので、その二人が夫婦として目の前に立っているのは、どこか不思議な気分になる。神父が言っていた言葉が印象に残っている。「いまから二人が交わす『誓約』の、言葉の意味は、語源をたどると『困難』と同じだと分かります。困難に遭う時、助け、助けられ、ともに歩んでいくことを、『誓約』と呼ぶようになったのです」。

 現在大学院生で来春から就職する新郎と、社会人一年目で苦労も多いだろう新婦と、しばらく生活はバタバタが続くだろうけれど、この二人なら大丈夫だろうなぁと、傍から見てて思う。ぶっちゃけ、最初は何度か別れる危機もあったろうに、出会ってからここまで来たのには、結ばれる理由があったんだろう。今のままで、幸せな家庭を築いていってほしい。

 男泣きする新郎と、幸せそうな表情の新婦の姿は、月並みな言葉だけど、人生の一大イベントを無事やり遂げたんだなぁという感じさせる。もうこの二人は名実ともに夫婦で、その証しをした場に居合わせたんだと思うと、やはり不思議な気持ちになる。ほんの少し前だと思っていた学生時代から、確実に時間は流れているんだなぁ。この先二人が子供を授かるようにでもなれば、なおさらその思いを強くするだろう。昔は遠くになりにけり、って。

***


 式やパーティの後、サークルの連中らと集まって吉祥寺で飲む。30人くらいか。実は卒業後もちょくちょく会っている人が多いのだけれど、久々の面々もいて、ぽつぽつ近況を話し、楽しいひと時を過ごした。やはり、昔を思い出す。「あの頃、俺はこいつとこんなことがあったっけ」とか。お互い最近何をしているのかを語らいながら、心はここになく、数年前に飛んでいる。

 「あのころの経験が自分にどんな意味を持っているのか、それが分かるのはまだもっと先なんじゃないか」と言う奴がいた。が、なんかもう、分かっちまった。単純に、俺はあの学生時代が好きだった。これまで生きてきた短い人生の中で、もっとも一途に好きだった。ものすごく幸せだったと思う。

 そんな幸せな時代はもう終わったんだと、ぼんやり気づいた。皆が変わったんじゃなくて、学生時代という奴が終わったんだ、と。あのころを共に過ごした仲間に会いたくて、東京まで行って。だけど会えば会ったでなんか寂しくなり、がっかりして大阪に帰ってくる。どうしてそんな気持ちになるのか、これまで不思議だったのだけれど、ようやく、なんとなく、分かった気がする。

 「あれは恋だった」と、こっぱずかしいことを認識して、じゃあ今後どうするのか。時に不健全なほどに身を捧げたあの時間を、夢中だったんだと誇れば良い。そしてまた、今自分が過ごすこの時間に、惚れればいい。あの頃を思い出して理由も分からず落ち込む必要は、もうない。昔惚れた女に久しぶりに会う時のような、嬉しさと寂しさ懐かしさを、大事に味わえばいい。



2004年11月14日(日)
 実体の無い、バブルのような

 この7ヶ月で不相応としか思えないほどの給料をもらった。それだけの額に値する働きをしているか、心もとない。それなのに預金の残高は15万。残りは、どこに消えたのか。電気ガス水道電話家賃新聞代を払っても、なお余りあるはずなのに、消えうせている。

 知り合いが仕事を辞めた。「ティッシュ配りなんて、大卒の仕事じゃねぇ」「あんたは好きな仕事に就けて、将来も安泰で、いいよな」だって。

 まぁ、彼の言いたいことは分かる。ぶっちゃけて言うと、ほんとにぶっちゃけて言うと、「それなりに」名の通った会社に入りたかったし、「それなりに」高収入で安定した生活を望んだし、かつ「それなりに」満足できる仕事に就きたかった。当面、それらをすべてかなえている。数あった選択肢の中で最も高いレベルの「それなりに」に、運よく落ち着いている現在。

 夢とか理想とか志とか、そういう建前は建前であります、ありますとも。そういう美しい話は美しいままで、だけど、金とか名誉とか保身とかプライドとか面子とか、そういう欲でも動いているもんでしょ。人間だもの。違う?

 何人かに、「お前は将来不安無くていいよな」と言われたこともある。確かにその通りだ。入社した際、「うちは、食うに困らない程度には給料出すから、まぁ頑張ってくれ、はっはっは」などとエライ人が語っていた。なんなんだこの傲慢な世界は。同期には、プラズマテレビを置き照明に凝った部屋で夜を楽しむ奴もいる。「なんとなく」アイポッド買っちゃった奴もいる。俺は俺で、一食一万円の料理屋から「また来て下さいね」というメールが届いたりする。狂ってる。みんな入社一年目の新人。どこかがおかしいと思う。

 親父は、俺がまだ学生やってた頃の歳にはとっくに働いてた。家は貧乏だった。大学へなぞ行けるはずもなかった。初任給は15000円。その半分を家賃に取られ、スーツを買う金も無く、夏までは仕方なく学生服で通した。働いて働いて、定年を前にして、今は年収1000万は超えている。

 学歴社会をテーマに卒論を書いたとき、資料を読み漁っていると「大学受験、就職活動に臨む子供は、親よりもワンランク上を目指そうとする」という分析があった。まさにその言葉通り、俺は父のあとを駆け足で追って、「それなり」のところに落ち着くだろう、このまま順当にいくのならば。

 スタートラインからして違う。節約して切り詰めて這い登ってきた親父と、初っ端から生活になんら困ることがない、将来も安泰のように思われる俺と。この、実体の無い、バブルのような生活が、不安で、不気味で、怖くて仕方ない。一方で、この生活に慣れて、満足して、安心している面もある。

 約1ヶ月、体壊すまで働いた農家でのアルバイトは、20万にもならなかった。朝5時から夜9時まで、ひたすら外で働いて。居酒屋で働いてたときは、
確かあれは時給750円で、月に4、5回のシフトでは2万円もいかなかった。だけど、いや、だからこそ、陳腐な言い方だけど、頂いた金に重みがあった。「その金に値する働きはした」と、胸を張って受け取れた。

 つまり。何をぐだぐだ書いているのかというと、堂々と、「俺はこれだけ金を稼いでいるんだ」と言えないということなんだ。「稼いだ」じゃない。「給料を頂いている」という感覚。そして、どこか後ろめたい。3万近くするアイポッドを思いつきで買っちゃった同期も、「こんな給料もらってていいのかな」と漏らしたことがある。まったく同感だ。同感だけど、そいつも俺も、「まぁ、いいのかなぁ」と、ずるずる生きている。

 ねぇ。言葉通り「身をすり減らして」日銭を稼ぐ人がいるのに、「それなりに」って程度で仕事に就いて、高い金をもらい、「優雅な」生活を送る人もいて。おかしくねぇか。そりゃあ、勤務時間は長いし、「記者は寝るとき意外はすべてが仕事なんだ」とか言う上司はいるし、ストレスはたくさんありますよ。それでも、自分の給与明細とか見て、いまだに首をかしげてしまう。「こんな貰っていいのか、おかしくねえか、これは」って。

 世の中って、もっと厳しいところだと思ってた。だけど、こんな俺でも、とりあえずなんとかやってけちゃったりする。こんなに給料もらっていいのかなぁと、不思議に思いながらさ。このまま今の仕事を続けるのならば、より高くなっていく給料に対して、「当たり前」と思い何も感じなくなってしまうのか、それとも、金に見合う仕事をしたと思えるようになるのか。

 悩むまでもないのかもしれない。居酒屋のバイトを辞める際、跡継ぎを探したのだけれど、誰も捕まらなかった。「いまどきそんな時給で働く人いないんじゃないですか」などと言われて、むっとした。じゃあお前は、時給750円以上の価値がある人間なんだな。どれくらいの価値を付けるんだ。1000円だったら働くのか。俺なんかより、ずっとましな人材なんだろうな。

 「ティッシュ配りなんて、大卒の仕事じゃねぇ」とぼやいて辞めた知人の、気持ちは分かるけれど。「じゃぁ貴方は貰った金に見合う働きをしたのか」とも思う。まぁ、実際にティッシュを配る経験をしたことのない俺がなに言ったって、無駄なんだけど。「恵まれた」環境で、金に生活に困った経験もなく、アルバイトも「自分探し」やら「社会経験」やらでやっていただけの身だから。そんな俺が、労働について語れば語るほど、空疎なんだけど。

 そんなこと思いながら、また月曜日を迎え。スーツ着て、会社に行く。



2004年11月05日(金)
 新聞号外に見る社会史

 というテーマで、新書一冊書けると思うんですが。ネットで軽く検索かけてみたところ、そういう著作はまだ世の中にないようなので、数十年後にまだやる気があれば自分で書いてみたいと思うこのごろ。

 それはともかく。先日の米大統領選で、友人から「どっちが勝つと思う?」というメールが来たものの、そんなん俺に分かるわけもなく。ブッシュ再選が決まった後も、インターネットを含む各メディアで、今後の展開について議論百出のようですけれど、そういうの語る見識が俺にあるわけもなく。もっと身近な例で何か語るとするならば、「号外」についてなのです。

 米国で投票が終わった当日、日本の各新聞社はいつ結果が出るかに目を光らし、号外を出すタイミングを狙っていました。投票結果が出る時間によって、対応が変わってくるんです。だいたいどこも午後9時から12時にかけて朝刊を刷るので、その時間帯以外ならば、号外で対応しようというわけです。すなわち、選挙結果が分かるのが3日昼過ぎから夕方の間ならば、その日の夜までに号外。夕方から夜にかけてならば4日の朝刊。深夜から早朝にかけてならば4日の朝で号外。4日の午前中なら夕刊で・・・と。

 結果だけ見ると、4日の朝刊でブッシュ再選と報じられていたので、ちょうどよく3日の夜に確定し、朝刊に投げ入れたことになります。おかげさまで号外はなく、4日の朝の通勤時間帯にサラリーマンの群れに飛び込んで「号外でーす。ブッシュ再選決まりましたー。号外でーす」とやらずに済み、一安心。当日、号外要員として待機を命じられていたので。ただ、いつ決まるか、いつ呼び出されるかと、まんじりとしない夜を過ごしたわけだけれども。

 今年度入ってからだけでも、「フセイン捕獲」とか「拉致被害者帰国」だとか、何度も号外が出てます。そのうち2回、大阪の梅田駅や京橋駅で配ったことがある。配りながら、なんでこんなことやるんだろうと、不思議に思ったりもします。だって、テレビがあるんだし。携帯にニュースが配信される時代だし。わざわざ駅前に出張って、すぐ捨てられるだろうに配るのはなんの意味があるのかと。そういう問いを責任者に投げかけたら、こんな答え。
 
 「まぁ、他紙がやるのにうちがやらないわけにいかないんだよ」。更に言うと、「今回あそこは★部だから、うちは★部撒こう」という示し合わせもやられている、らしい。なんだそりゃと。要は、宣伝・パフォーマンスの類であって、こんなの報道じゃないんだなぁと思った。新聞社の収入の約半分は購読料。そして、業界全般に購読者は減っている現状。号外を出してアピールすることで、少しでも読者獲得につなげたい、そんな思惑もあるようです。

 そういう考えだから、配った号外が散乱しないように、道端に捨てられるようなことがあれば拾って帰ります。街中で「なんとか新聞」がグシャグシャになって散乱してたらイメージダウンになるので。そんな舞台裏。

 ただ。テレビがあるネットがあろうとも、直接情報を届けに行くことには意味があるという見方もあるようです。

 又聞きなので本当かは知らないのだけれど、例えば阪神大震災の時。ライフラインの復旧もままならず、印刷所も打撃を受けた中で、読売新聞社は他紙に先駆けて街頭で新聞を配り、被害状況を伝えた。以後、関西での購読者を増やしたのだとか。テレビも点かず携帯も通じない状況で、「いったいどうなっているんだろう」と不安でいるときに手元に新聞が届けられたとしたら、多分むさぼるようにして読むのではないか、そんな気はします。

 それはまぁ特殊な事情だとしても、号外を配ってる時の、街行く人の食いつきは、実際すごいもんがあります。こっちが声を張り上げてるせいもあるけれど、そこかしこからわらわらと人が集まってきて、「何があったの?」「1部ちょうだい」と、強い興味を持って取っていきます。何千部があっという間に無くなる。「拉致被害者帰国」の際は、手渡した号外のでっかい見出しを見て、「あぁ良かったねぇ」とかいった声もちらほら聞かれた。

 そうした反応に接すると、あぁ、人は知ることに飢えているんだなぁと思ったりもするわけです。そして、号外を配る際の臨場感、「えらいこっちゃ!」という、どこか祭のような雰囲気があることについても考えます。もう少し踏み込んで言うと、「自分も渦中にある」という感覚。自分とは関係ない出来事が急に身近に感じられる瞬間が、号外なのかもしれません。

 「俺ら週刊誌とは違うんだぜ」という気取った顔をした日本の新聞たちが、「ニュースです!ニュースです!!」とあからさまに人々を煽る瞬間。その瞬間を作り出しているのは、報道の使命なのか、覗き見根性なのか、それともマーケティング戦略なのか。号外というのは、どこか不思議な現象です。


 < 過去  INDEX  未来 >


なな

My追加