徒然駄文
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2002年12月22日(日) 良い X'mas & お年を

着々と(ほんの少しずつ(笑))家の中の掃除もすすみ
年賀状もあと少し。
他にもいろいろあって(いや、○ー○とか…自粛(^^;))
こちらの更新は年内はこれでお終いです

本年はとてもお世話になりました。
サイト自身も成長したし、私自身も成長した、と思いたいです。
来年もどうぞよろしくお願いします。


midiの方の年内新作アップは、一応まだ諦めてはおりません…が、どうなるかな(^^;)。ちなみにチマチマ触っているのは吉松隆氏の「虹色の薔薇のワルツ」。イージーリスニング的な耳なじみの良い曲です。どうもうまく表情が付けられなくて唸っております(最近放置気味…(^^;))。

ではでは、ここを読んで下さっている皆様も良いお年を!


2002年12月13日(金) しばらくストップ

徒然駄文の更新はしばらく止まります
さすがにかなり忙しなくなってきました。
これから年末年始にかけてどんどん加速するだろうし。
ああ、今年もあと2週間ちょいしかないのね(;";)
どうしよう…(まずは年賀状だ!(^^;))

midiの方は後1曲くらいアップして今年を
締めくくりたいのですが、さて、どうなるかなあ。




2002年12月10日(火) 「演奏する人」が見えるMIDI演奏

ピアノMIDIの凄い演奏を聴いていると
ピアノを弾いている人が見えてくることがある。
指の動き、腕の動き、身体の動き、…表情とか。
聴いていて、ウットリする。
これはMIDIだけじゃなくてCDなどでも同じ。
ピアニストの息づかいを感じる。
私が受け取っているのは音のデータだけなのだけど
頭の中で視覚的データも構築されているのね。

こういう演奏って、生きているなあ、と思う。

これはあくまでも「私にとって」だから、
他の人にとっても同じ、と言うわけではないけど
でも、少なくとも「血の通った良い演奏である」んだと思う

で、自分のMIDIを聴いてみるとどうか、と言うと
音しか聞こえてこない(^^;)
自分では「まぁまぁうちこめたかな」と思っていた曲でも
そう言う姿勢で聴いてみたら、まるで映像は見えてこない。
今までは自己満足でごまかされていた、と言うことかな。

ああ、つまらない。
精進あるのみだなあ、と、またまた思ったり。

ピアノなんて…ピアノに限らずだけど、
自分を信じてなきゃ弾けない。
だからといって自分におぼれてしまっても弾けない。
…終わりはないわねえ……(^^;)
だから人間は生きていけるのかもね

息づかいの感じられる、生きているデータを打ち込みたいなあ……


2002年12月07日(土) 大変嘆かわしいこと

 有名どころのMIDIサイトでは、どうしても「無断転載」問題がついて回りますね。また、WebページにアップされているMIDIファイルは「すべて素材である」というように考えられている方も多く、しかし、そうは思っていないMIDIファイル作成者も多いことから、起こる問題もよく見かけます。

 今日見かけてしまったのは、DL自由にしているのなら転載されても文句は言えないじゃないか、というお話だったのですが、それは違うなあ。個人のパソコンにDLして個人的に楽しむことと、そのファイルを万人が見ることの出来るWebスペースにアップロードして公開することは全く別問題と考えますが。つまりそれを書いた方(ファイルのDLを自由にする、と言うことは、転載自由である、と考えられた方)は、MIDIファイルをWeb上の「素材」としてしかとらえていない、と言うことになるのですね(あるいは、Webサイトは万人が見ることが出来る、と言うことを失念されているか)。だからそう言う考え方になる。そうではない、これは演奏である、と言う発想は出来ないわけです。レンタルCDをお店から借りてきて、それを録音してCDを返却したあとも家庭内で個人的に楽しむのと、そのデータをWebサーバーにアップロードすることの違いがその方には分からないのですね。

 私は「そのサイトに行かないと聴けない曲」ってのはとても悲しいですね。出来るだけDLはフリーにして頂きたい。音楽なんてものは時間や心に余裕のあるときに自由に聴きたいものです。1曲を延々リピートして聴くも良し、好きな曲を好きに組み合わせて連続して聴くも良し。自由に音楽とふれあいたいと思えば、どうしてもそれはデータをDLさせていただかないと出来ないのです。だから、大抵のMIDI作者さんはデータのDLはフリーにされていると思うのだけどな。(うちも、ほんとは全ての楽曲をDLフリーにしたいのですが、貧乏なので出来ません(>_<))

 私自身のことを言えば、音楽をBGMとして扱うのは嫌いではないし、自分のMIDIがそう言う風に扱われても全く構わない。素材MIDIの方は素材利用を目的に作られていますから、DLも転載もフリーです。小品曲集の方のデータも、条件を守って下さるのなら(たいした条件じゃないです)BGMとして使われても構わない(ただの素材扱いされると悲しいかもですが(^^;)。わたしは「素材」と「BGM」の意味合いも違うと考えるのですがね)。

 人によって感じ方は全く違う。BGM扱いはいやと考える人もいる。だから、ファイルを余所でWeb公開することについてはファイル作成者それぞれでの条件がある、という当たり前のことがどうして通らないのでしょうね。難しいね。情けないね。嘆かわしいね。


2002年12月06日(金) ローマ人の物語

 …面白いなあ……。

 最近は頭痛のタネがずっと頭の中にある状態なので、詰めては読めないのだけど、毎日少しずつページを繰っています。現在2巻の終わりかけ。塩野さんのは、小説と、あと軽いエッセイしか読んだことはなかったのだけどね。でもきっと塩野さんにとっては、こっちの歴史本の方が本領なんだろうなあ、と思った。1巻でも、この1冊の中に書かれている内容からいくつ小説が書けるだろう、と思ったけど、2巻に至るともう壮観ですね。なんせ、あの、ポエニ戦役…ハンニバル戦争だし。小説そのもの。史実なんだけど。事実は小説より奇なり、か。歴史が苦手な私はローマの歴史も系統だってはぜんぜん知らず、カンネの会戦とかも名前は知っててもローマのこととは知らず、アルキメデスが鏡の塔で敵を撃退してたってのも相手がローマだったとは知らず(^^;)、おお、そうだったのか、ああ、これだったのか、と私にとっての新事実発見てんこ盛りもあって、とても面白い(…と、書いてて情けない気持ちになるけど(^^;))。

 塩野さんって面白い人だなあ、と思う。ダンナもあの人の本がずっと好きで(小説の方じゃなくて歴史書の方が)、ずっと塩野さんって男の人だと思ってたらしいんだけど、でも、女性だねえ、と私は思う。言葉が悪いかも、ですが(^^;)、ものすごくミーハーなところがあるなあ、と感じるんですね。私は塩野さんの本は小説…「チェーザレ・ボルジア〜」から入ったので当時は、うわお、豪華絢爛!森川久美さんなどが漫画にしたら、もうバリバリもの!などと思ってしまったものですが、じゃ、軽いのか?と言うとそうじゃない。重いんですね。緻密に調査してかっちりした文体でがっちりと書き込んでいっているんだけど、でも、どこかに凄くミーハーで女性的な視点がある。男性読者はそのあたりをどういう風に見て(読んで)るんだろう。そう言う部分には引っかからないのかな?

 私は歴史、戦争物は苦手なんですよ(頭が悪いもんで、戦略ってのが分からないんですよ(^^;))。だから、塩野さんのこれを読んでいても、やっぱり分かってはいないんですが(感想は、ひゃー凄いなーローマ人って凄いなー。カルタゴってアホやなー、ハンニバルってすごいなースピキオって凄いなーなんでこんな事が分かるんやろうなー天才って凄いなー、こんなに先を読んで行動できるなんて、人間ちゃうなー…と言うのしか出てこない、情けなさ(^^;))、しかし読み進めながら血湧き肉躍ってたりします(笑)。こんな感覚は久しぶりかも。司馬氏の「坂の上の雲」で、おお、血湧き肉躍る、とはこういう感覚か、と思った記憶があるのだけど、それ以来ですね。

 さて、ハンニバルとスピキオの時代もそろそろ終わりかけ。続きが楽しみ。
 

オマケ与太話:11/03に「癒し」という言葉が軽くなってしまっていやだ、と書いたけど、昨日の新聞で大笑い。ノーベル賞受賞の田中氏が「癒しキャラ」と書かれていました。思わず爆笑。書いた記者も今の世の中をかなり皮肉って書いたのだろうと思うけど、「癒しキャラ」扱いですか。なんともかんとも。
 中学生の長男が夕食時、タイムリーに「最近、田中さんの話ばっかりしか聞かないけど、カミオカンデの人はどうなったんだろう」というので、「田中さんは癒しキャラ的に人気高騰らしいよ」と言ったら苦笑してました。ほんとに、何ともかんとも…(^^;)


2002年12月05日(木) ダンサー・イン・ザ・ダーク

 頭痛は20時間くらい寝てたら、何となくマシになりました。
芽が出て花開こうとしていた頭痛が、タネに戻ったって感じ(笑)
また芽が出ないように、用心しなきゃね。
しかし、こういう時って本当に、人間よく寝られるもんだな、と感心する。そして、寝ていられる環境にあることを感謝します。

 さて。先日書こうとして吹っ飛ばした数十行です。

 新聞で一時期「感動大作!」とか、「衝撃のラスト」とか「涙なしでは見られない」、と言ったような宣伝がされていて、それよりも私はビョークの「顔」に惹かれて(それまで、私はビョークのことを全く知りませんでした)一度見てみたいと思ってたのです。でも劇場には行けなかったので、ビデオが出るのを待って即借りてきたんですが。

 なんと言ったらいいのか分かりませんでしたね。ビョークの歌はとても良かった。ミュージカルシーンもとても良かった。でも、映画としては「感動の大作」でも「衝撃のラストシーン」でも「涙なしでは見られない」でもない、と思ったのだけど。

 私があの映画から一番感じたのは「人間の悲しさ」と「弱さ」と「情けなさ」かな。セルマがああいう状況に陥っていく過程も全く無理なく描かれていて、何とも言えない気分にさせられる。一つ歯車が違えばこうまで物事は変わってくのか、と、暗澹たる思いにさせられる。

 でも、セルマが東欧からの移民でなかったら? 社会的弱者でなくても、ここまでの結末になったか?

 と、私は思ってしまうわけです。そのことをダンナに言ったら、「移民差別などに対するプロパガンダな映画だな」と言われたんですが、そこまで意図されていたのかどうかは私は分からない。ともあれ、私にとっては世間でよく言われている「セルマの息子に対する無償の愛情」よりも何よりも、そのことの方が重かったんですね。この映画。(「息子に対する無償の愛情」なら、もっとうまく立ち回れよ、セルマ、お母さんだろ、と思ってしまう。でも、立ち回れないのは、セルマの性格、それは「移民であり」「一人で頑張って生きてきた」と言う事が一番影響してるんではないか、と思う。つまり結局の所、やはりそっちの方に私の意識は向かってしまうのだ)

 人間って情けないもので、多分「差別意識」というものはどんな時代になっても無くならないものなのだろうな、と思う。だから、この映画で描かれたことはどの時代、どの場所でもありうることなのだろうな、と思う。それがとても恐ろしいし、情けなく思う。


 …きっと、私のこの映画の見方って、変なんだろうな(^^;)。まあ、どういう風に見るかは観客の自由なので、良いことにしよう。

 もうひとつ。手回しカメラは私は嫌いです(^^;)。酔うんです。ブレアウィッチでももう、吐く寸前まで行っておりましたが、この映画でも同じだった。途中でどうしても見ていられなくなって、しばらく休憩したくらい(それもあって、ミュージカルシーンになると、私自身も凄くホッとする。画面が揺れないから…。あら、監督はこれも狙ってたのかしらね。セルマにとっての唯一の安息シーンである、ミュージカルシーン)。このビデオを借りたときは字幕版が全部で払っていて、心ならずも吹き替え版で見たんですね。字幕版でもう一度見てみたいんですが、あの画面を思い出すだけで気分が悪くなるので、なかなか踏ん切りがつきません(^^;)。困ったな。


2002年12月03日(火) 二番煎じじゃなくて

ドジョウですね、狙うのは。
二番煎じ狙ってどうするんですよね。

ここしばらくどうも頭が痛かったんですが
ちょっとどうしようもない状況に。
(と言いつつ、パソ見てるからもっとどうしようもなくなる)
吐き気まで出てきてるので、しばらくおとなしくしています
ああ、きもちわるい。


2002年12月02日(月) 昨日のつづき と、二番煎じ

たらたら布団の中で考えるに、
あの子(もう名前を忘れている…あっトレバーくんだっけ)は一種の「伝説」となったわけで、映画製作者はそれを狙ったのだろうけど、その部分に感動できない、と言うことは、見ているこちら側にとってあの子は「伝説」にはなり得なかった、と言うことだろうか。あの子は普通の子よね。普通の子が伝説になる、と言うのも美味しい筋立てかもしれないけど、そこまで惹かれるものがあの子供にも映画の筋立てにもないと思う。これは脚本や演出やら全部の責任になるのかなあ。映画制作のことはよく知らないので、私にはわからないが。

 それよりもなによりも、名作(だと私は思うぞ)だったシックスセンスの、結末を人に言わないで下さい!的な二番煎じを狙ってないか!?と思ってしまったのは、穿ちすぎだろうか(^^;)



 ダンサー・イン・ザ・ダークの前に二番煎じの話を。上段落で出てきたし(笑)。

 いつの映画か何なのかよく知りませんが、「ブレアウィッチプロジェクト」。去年だったかビデオ借りてみたんですわ。怖かったんですわ(^^;)。私は非常に疑い深いくせに妙に信じやすい部分もあって、ああいうのを見ると「こんなの作り話に決まってるじゃん」と思いつつもとっても怖くなるんですわ(^^;)。ぶんぶん振り回される手回しカメラの映像と、肝心の所は全く写さない、結局何がなんだかよく分からない、あの画面がとってもつぼにはまったんですね。その後、それに関したビデオをいくつか見たんですが、他のはつまらなかった。2が出るとかなんとか言うのもちらっとCMで見たんですが、結局どうなったのか知りません。まあ、あれはあの1本で終わらせてなんぼの映画だなあ、と思っていました。続きを出すってのはヤボ以外の何物でもない、と。

 そしたら、出てるんですね、二番煎じがいっぱい!(^^;)。タイトルは忘れましたが、なんとかかんとかプロジェクトってなっていたと思うんです。手にとって裏のあらすじを見たら、もうブレアウィッチの二番煎じそのもの。二匹目のドジョウって居たのかなあ、と思いつつ苦笑いしていたのはやはり去年だったかな。そして、昨日。まだあったんですね(笑)。親指なんとかって言う妙なタイトルと不気味なパッケージにちょっと興味を持って手にとって説明を読んだら、ああ、またブレアウィッチじゃないですか。

…柳の下には3匹目のドジョウもいるんだろうか。あ、でも見てもいないのにこんな文句を言っていてはいけないのかもしれない。もしかしたら面白いのかもしれない。しかし見る気もないので、まあ、世の中面白いな、と言うことで(全然まとまってない(^^;))

あ、もしかして「パロディ」なのかな。そんなことないかな(^^;)


2002年12月01日(日) 映画感想文〜ペイ フォワード〜

今週はTSUTAYAが旧作レンタル100円だったので前のを返すついでについまた借りる…。うまく乗せられてるなあ…(でもまあ良いか、安いのでありがたいし)

オスメントくん。なんとかフォワード、と思いこんでいたのはあれは、映画のタイトルだったのですね(^^;)。初めて気づいた私(笑)。と言うことで、「ペイフォワード」借りてきました。ネタばれ等には全く気遣ってませんので、この映画をまだ見ていなくて、見てみよう、と思ってる方は読まないように。



 初盤、中盤、まあ、こういう風にはうまくはいかんよな、世の中…と思いつつも結構楽しんでみてたんですが、ラストで愕然。なぜあんなふうにしちゃうかな。あのまま、終わっても良かったのに。ちょっとおとぎ話風の、世界も人間もまだまだ捨てたもんじゃないよって風味の映画になったと思うのに。オスメントくんが刺されたとたんにいきなり「泣かせてやろう!」意図が見え見えな印象を受けてしまって、さーっと醒める私。…でもじわんと来たけど(笑)。子供が死ぬのはいけません。若い人が亡くなるのはいけません。とても悲しいことです。なので、悲しくなったんですが、その後のろうそくのシーンはもっといけない。追い打ちをかけられてもっと醒めてしまいました。
 ああいうシーンで本当に泣かせようと思ったら、途中をもっと違う作りにしていかないといけないんじゃないかなあ。うまく表現できませんが。あの話の流れではちょっと…なんというか、余りにもすっ飛びすぎているような気がする。


 で、ずいぶん前に見た、同じくショッキングなラストだったダンサーインザダークについても書いてたんですが、キータッチミスで消滅(よくやるんです。でもescキーを押したとたんに数十行がいっぺんに消えるのだけは勘弁して…(>_<))。…いっぱい書いたのに…。まあ、長くなりすぎていたのでそれはまた後日に。ともあれ、あのダンサーインザダークは良かった。

 …しばらくは映画感想文日記にしようかな(でも、続くかどうかは神のみぞ知る)。


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