異常な気候

 ぼ〜っと過去の日記を眺めていると、去年の夏は暑かったとの記述がありました。
 暑かったですよね。
 翻って今年はといえば、今日で7月も終わりなのに涼しくてぴりっとしない感じです。
 暑いのは、好きではないですけれど、夏って暑いものなんですよ。
 例えば、(行けなかったけど)花火大会は、昼のうだるような暑さがちょっと引いて、でも、相変わらず暑いことには変わりない、という状況で、夜風に吹かれつつ、かき氷なんかを食べつつ眺めるから、良いんだと思うのです。
 人混みにまみれつつ、落ち着かずに眺める花火ってのも嫌ですけど、涼しい中で観る花火っていうのもどうかと思うのです。個人的に。

 他にも、海やプールなんかの水遊びや、キャンプやバーベキューなんかのアウトドアも、灼熱の太陽が頭上にさんぜんと輝いているからこそ、その楽しさは何倍にもふくらむのだと思うわけです。
 季節のものたちは、その季節が本領を発揮してこそ生きてくるものなんです。

 まあ、まだ8月に入ったばかりですし、ここらで一念発起してくれることを期待しましょう。

 
2003年07月31日(木)

中国茶

 ブームなんですかね。

 それはさておき、前にオンラインショップで見かけて、素敵な風情に一目惚れした蓋碗を購入したときに、お試しでお茶が少量付いてきていたのですけど、淹れるの面倒だなぁってしばらく放置していました。
 で、昨日思い出して、試しに飲んでみると・・・、とても美味しくてびっくりでした。
 ペットボトルのお茶とかはよく飲んでいたのですが、きちんと淹れるお茶って、もう全然違いますね。当たり前ですけど。

 また、蓋碗っていうものが、とても良くできたもので感動でした。
 急須を使わなくても、手軽にお茶を飲めるのって良いです。

 やー、なんかはまりそうです。

Pand@Leaf
蓋碗を買ったお店です。
お茶も美味しい〜、でも高い〜。。。
2003年07月28日(月)

【音楽】SOUP

SOUP  星村麻衣  Sony Music Associated Records Inc.

感想:
 待ちに待った星村麻衣さんの1stアルバム。
 マキシシングルのタイトル曲と、新曲で構成された内容は、まさに名盤と呼ぶに相応しいです。
 特に気に入った曲は、9曲目「恋ノチカラ」と12曲目「ストーリー」です。
 「恋ノチカラ」は、とにかくハッピィな曲で、徐々に盛り上がっていくピアノ乱打が強烈。星村さんが奏でる恋の曲らしい、エナジーに溢れた曲に仕上がっていて、聴いているだけで元気が沸き上がってきます。
 「ストーリー」は、このアルバムのトリをつとめる曲であり、静かな中に秘める高ぶりが、心に響きます。途中までピアノが出てこないところが、逆にピアノの存在をくっきりと描き出していて、間奏からの音色にくらっときます。そして、ラストフレーズで、星村さんの歌声が一気に最高潮になるところは、何度聴いても鳥肌が立つくらい素晴らしいです。

 ちょっと意外だったのは、いくつかの曲で星村さん以外の方がピアノを弾かれていたという点です。中西康晴さんという方で、クレジットでは(師匠!)となっていました。

 全体的に、どことなくジャズの香りが漂う感じで、ただのポップスには無い雰囲気です。と言っても、ジャズはほとんど聴いたことがないので、あくまで雰囲気的なものですけれども。
 ピアノが入ることで、ただのポップから、奥深さや幅広さが出ている感じがします。
 そして、何より星村さんの声が良いです。真っ直ぐな声で、ストレートな歌詞を、分かりやすいメロディで歌っているので、ずどん、とやられてしまうのですよね。

 下手な小細工でお茶を濁しているとしか思えないような曲や、勢いだけで突っ走るような曲が多い中、一直線で力強いそのスタイルは、聴いていてとても爽快です。お日様の日差しが強くなり、景色が生命感に満ちあふれるこれからの季節にぴったりな一枚に仕上がっていると思います。

オフィシャルサイト
Ken-Onのオフィシャルサイト
2003年07月27日(日)

花火

今週末に、僕の住んでいる町で花火大会があります。
ところが、ばっちりその日はお仕事なんですよね。
始まりまで、帰ってこれるかなぁ。
2003年07月24日(木)

字幕?吹き替え?

 洋画を観るとき、言葉が分からない人は、字幕か吹き替えかを選びますが、どちらが好きかは人によって違うと思います。
 実際、どちらが人気が高いんでしょう?
 なんとなく、字幕の方が、人気が高いような気がします。実際、僕も最近までは字幕派でしたし。
 やはり、役者の声が聞きたいってのが、その一番の理由でした。
 だけど、本当に映画を楽しむのなら、吹き替えの方が良いような気がしてきてます。
 字幕だと、どうしても文字数の都合で、セリフの省略が発生してしまうし、言い回しのニュアンスも、文字になった時点で失われちゃいますしね。

 いやね、一番良いのは、英語とか、外国語をきちんと聞き取れるようになって、その上で字幕で観ることだってのは解ってるんですけどね。
2003年07月19日(土)

【読書】無限論の教室

無限論の教室  野矢茂樹著  講談社現代新書

感想:
 ある空想の授業、無限の概念から始まる、哲学のお話。

 先日書いた、「不完全性定理」についてのお話で、結局何が言いたいのかさっぱりだ、と感想を書きました。そんな僕が、本書を読んで、なんとなく、解った気になれました。
 野矢氏のすごいところ、それは、哲学という一見難しそうで、堅苦しそうなものを、一つのお話として、さらっと説明してしまうことだと思います。
 難しいことを、難しく話すことは、全然難しくないのです。

 ところで、本書の舞台である「タジマ先生の授業」は、野矢氏が後書きで書いていることと同様に、僕にとっても理想の授業です。
 マンツーマンの授業は、よほど相手と気心が知れていないことには、お互いに気詰まりになってしまい良くありませんし、大人数での授業は、一般論に終始してしまうので、個性あるお話っていうものが出来ないのです。
 3、っていう概念は、人のつきあい、特に議論において最大級の効果を現すものだと思います。二つの対立する概念から、もう一つの(三番目の)新たな概念が生まれる、であるとか、三権分立もそうですし、三位一体もそう。安定にして進化を促すことの出来る、すごい位置関係だと思います。

 話を戻して、無限と一口に言っても、それがどんなものなのかは、人によって異なると思います。
 ある伸縮自在棒があるとして、これは無限に伸びるとします。
 そのとき、いつかは棒の伸びは止まるのか?
 あるいは、どこまでも伸び続けるのか?
 直感的に、どちらがしっくりくるかは、人によって違うと思うのです。
 そして、その概念を、論理の世界に置き換えると、いろんな面白い現象が起きます。
 その際たるものが、ゲーデル氏の不完全性定理なのですね。
 つまり、ウィトゲンシュタイン氏が述べたこととは、その位置するところが異なっていたわけです。

 前提とする知識は、あくまでもそのことをより楽しむためにのみ必要であって、必ずしも必要なものではない、そう、野矢氏は教えてくれているような気がします。
 願わくば、タジマ先生の位置に野矢氏がいる哲学の授業を、僕が主人公として受けてみたいなぁって思いました。

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2003年07月17日(木)

【読書】死者の代弁者

死者の代弁者  オースン・スコット・カード著  塚本淳二訳  ハヤカワ文庫

感想:
 『エンダーのゲーム』の続編、でいながらにして、前作とは違ったテイストで書き上げられた傑作。

 私は、他人との関わりを持つとき、以下のようにして、自分の取るべきスタンスを決めています。
 ・その人は、自分へ危害を加えないのか?
 ・その人は、自分へ何らかを与えてくれるのか?
 ・その人は、自分と価値観を共有できるのか?
 ・その人は、自分を愛しんでくれるのか?
 始めの一行で、その他人が「敵」かどうかを見極め、
 次の一行で、「仲間」かどうか見極め、
 その次の一行は、「友人」かどうか見極めます。
 そして最後の一行を満たしたとき、その人は、「隣を歩む人」となります。
 もっとも、もう少し複雑な体系がありますが、単純化すればこんな感じです。

 相手が、同じ文化を持つ「ヒト」であるのなら、その人の行動によって、上記のどれに当たるのかは、ある程度容易に決められます。しかし、異なる文化を持つ生物が相手の場合、物事は、そう簡単には進まなくなります。
 その相手が普通に行う行動、ヒトで言う、呼吸をするような行動が、自分にとってはとても不快なことであるとするなら、そして、そのことが、相手にとっては、ごく自然なことであることを理解していないなら、相手は「敵」となってしまいます。
 それを回避する方法は、ただ一つ、「相手を理解すること」に他ならないです。

 主人公であるエンダーは、「死者の代弁者」という役割から、あらゆる物事の真相を暴き立てます。それは、当事者達にとっては、苦痛であり、悲劇です。
 しかし、真相のもたらすものは、最終的には、理解と解放なのです。
 間違った理解によって、発生しないはずだった憎悪や因縁に捕らわれてしまった人の鎖を外し、本来歩むべき道を踏み外してしまった人をもとの道へと導き出す、そんな力が真実にはある、そう、思います。
 そして、その真実が、多くの人に知ってもらいたいと願って書き上げられるもの、それこそが「物語」であるのではないかと感じました。
 力のある物語は、万人に理解され、共感を得るものである、そうあって欲しいです。

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2003年07月16日(水)

学ぶと言うこと

 一日中雨だったので、部屋で本を読んでいました。
 高橋昌一郎氏の、『ゲーデルの哲学』(講談現代新書)です。
 いつもなら、【読書】として紹介するのですが、この本に関しては無理です。

 まず、内容がほとんど理解できませんでした。
 「不完全性定理」という理論について書かれている本なのですが、この定理が結局何が言いたいのかがいまいち分からないのでした。
 つまり、例外のない法則はないのようなことを言いたいのだと思うのですけど、それに付随する例や、記号なんかが、もう全くと言っていいほど理解不能だったのですね。

 例えば、嘘つきのパラドクス(私は嘘つきです、という発言によって、その人は嘘つきではなくなる、というパラドクス)とかが例に挙がっているのですが、結局、言葉の限界が思考の限界である、というウィトゲンシュタインの主張と何が違うのかが全然分かりません。

 量子力学で言う不確定性原理の方は、まだ実証に基づいている分、分かりやすいのですけど(といっても、理解しているわけではありませんが)、論理に次ぐ論理で構築されているこの定理は、直感的に分かろうとしても無理があるのですね。
 と言っても、解りやすいことが必ずしも美点では無いということもあります。「例えば・・・」という表現は僕もよく使ってしまいますが、これはあまり良くないことなんですよね。伝えようとするときには、根源的な、飾りっ気のない、まっさらな言葉で伝えるのが一番。変に色気を出して比喩を使うと、間違った方向へ理解される場合がほとんどです。
 言葉の意味は、それを使う人によってまちまちなのです。
 だからこそ、研究者は一般の人には全く理解できない専門用語を使うのですね。専門用語は、厳密な定義によって、意味が決められているので、受けとった人によって解釈が異なる、という危険を出来るだけ避けようとしているのですから。

 学問という物は、一朝一夕には身に付かないと言います。
 それは、その理論が創られた背景をまず理解してからではないと、その理論を理解することは難しいからに他ならないからですね。そりゃ、天才と呼ばれる人種は、その理論に至る道筋を、自らの思考で追いかけられるかもしれませんが、一般的には、基礎理論から始めなくてはまず無理でしょう。
 そう考えると、まだまだ人は成熟期に入ってはいないんだなぁって思います。自らの進化の為ではなく、生き抜くために日々を過ごしているわけですからね。

 取りあえず、「プリンピキア」から読み始めてみたいな。
2003年07月13日(日)

【読書】りかさん

りかさん  梨木香歩著  新潮文庫

感想:
 おばあちゃんに、「リカちゃん」が欲しいとおねだりしたところ、贈られてきたのは、「りか」という名前の日本人形だった。これは違う・・・と思っていたけれど、実は「りかさん」は不思議な力を持つ人形で・・・、というところから始まる、不可思議だけれど、ほっとするお話です。
 前に、『からくりからくさ』という本の感想を書きましたが、この作品は『からくりからくさ』の登場人物が子供の頃のお話です。

 とにかく、含蓄が溢れていて、心がふつふつと沸き上がような状況が沢山出てきます。時には恐ろしかったり、悲しかったり、やるせなかったりするのですけれども、物語全体を包み込んでいる優しい空気感が、ちくちくする部分をふわりと一撫でしている感じです。

 作中に、お人形についておばあちゃんがお話しする場面があります。
 その場面を読むと、思わずお人形さんが欲しくなっちゃうのですね。

 登場人物達が交わす会話の歯切れの良さや、ふっと出てくる簡潔な状況描写や、その人の横に自分がいるかのように錯覚してしまうほどの心理描写など、素晴らしいことを、さらりとやってのける技量は、ただただ感心するしかありません。
 読んでいて、日本語って本当に綺麗な言葉だなぁって思わせてくれる言葉遣いも健在です。
 そして、読了後に、ほうっと息をついて、しみじみと読後の余韻に浸っているときの幸福感は、絶品です。

 荒っぽい言葉が蔓延している中で、さらさらと流れる小川のような爽やかさに浸ってみるのも、またおつなものだと思います。

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2003年07月10日(木)

伝えることの難しさ

海外の小説は、翻訳で読みます。
英語、技術英語ならちょっとは分かるけど、日常の言葉が分からないので。
その場合、訳者によって印象が変わっちゃうのですよね。

ストーリィが、かなりしっかり作ってある作品なら、多少訳に難があっても問題なく読めるのだけど、
ストーリィよりも語り口調であるとか、雰囲気重視な作品だと、とたんに訳が重要になります。
軽快な口調で書かれていたとしても、訳者が堅苦しく訳した時点でアウト。

今更だけど、国によって言葉が違うことの不便さをひしひしと感じる瞬間です。
それぞれの言語でしか味わえない雰囲気もあるし、詩なんかは特にそうだと思うのです。
風土や文化によっても異なる部分というのは絶対にあると思うし。

表現している内容がきちんと伝わらないと言うことは、それだけで不幸です。
もし、自分の気持ちを80%程度でも理解してくれる人が近くにいるなら、
きっとそれは、とてもとても幸せなことなんだと思うのです。
2003年07月09日(水)

【読書】リリス

リリス  G・マクドナルド著  荒俣宏訳  ちくま文庫

感想:
 ハイ・ファンタジィの源流ってこういうことかぁ、と読了後にしみじみと思った。

 訳者、荒俣氏はあとがきにおいて、G・マクドナルド氏をこう、紹介されています。

   ”ルイス・キャロルやラファエロ前派主義の芸術家達に大きな影響を与え、
  今日の”英国ファンタジー”を支える物語作家C・S・リュイスやJ・R・R・トール
  キンの遠い先祖となった人物”
   ”オーデンは、”ファンタジー”という万能の名称をかれの作品に与えるこ
  とをあえて排し、ノヴァーリスやカフカの作品と同じ意味で”ドリーム・リ
  テラチャー(夢の文学)”という新鮮な形容詞をそこに被せたのでした”

 ここまで言わしめながら、つい最近まで、埋もれてしまっていたという事実の理由は、その作風にあると思います。ファンタジィという、いわば「子供向け」の舞台に、生と死、宗教、愛と憎しみなどの「大人向け」な内容が乗っているというスタイルは、書店においてカテゴライズしにくいものであったと思われます。その結果、売れる見込みが無いと判断した出版社が、取り上げなかったのでしょう。
 ところが、ハリー・ポッターなどの成功を受けて、日本市場でも需要があることに気付いた出版社が、慌てていろいろなファンタジィの掘り起こしをかけています。本作も、その一つであるということです。

 内容は、一つでも書いてしまうとそれでネタバレとなってしまうような、とても緻密で、繊細で、それでいて軽快で、爽快なものです。
 生きる、ということや、愛する、ということなど、精神的な部分にぐいぐいと食い込んでくるストーリィで、ある意味宗教的な部分も感じられました。
 しかし、決して説教くさいと言うことではなく、こんな世界もあるんだよ、と、紹介してくれているような雰囲気で、肩肘張らずに物語の世界へとどっぷりと浸かりこむことが出来ます。
 ファンタジィの面白さが、一通り入っているので、読んでいて飽きが来ることもありません。

 1895年に書かれた本作ですが、100年以上経った現代においても、全く色褪せることなく、新たな感動を与えてくれる事実を前に、人の想像力の豊かさや、感受性の奥深さに感じ入らずにはいられません。
 そして、1986年に日本語に訳した荒俣氏の功績も偉大だと思います。
 作品の質を損なうことなく、異なる言語で置き換えると言うことは、それだけで一つの芸術なんだなって改めて思いました。

 ファンタジィなんて子供の読むもんだ〜、なんて不埒な考えをいまだに持っているような人にこそ、読んでみて欲しい一作です。
 もちろん、ファンタジィ好きなら、決して読んで損はしないことを請け負います。
 おすすめです。

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2003年07月06日(日)

移行完了

と言うわけで、ぷららへと移転完了しました。
前のインフォスフィアの方は、もう変更できないので、
消え去るまでの間あのままで残ります。

新しいサイトのURLは、
http://www11.plala.or.jp/zephyros/
でございます。

今後とも、よろしくお願い致しますです。
2003年07月05日(土)

【読書】哲学の謎

哲学の謎  野矢茂樹 著  講談社現代新書

感想:
 思考の手順が、すごく似ているな、と思いつつ読んだ。
 自分の中にいるもう一人の自分との対話、と言うスタイルで、誰もが一度くらいは考えたことがあるようなことを、だらだらとではなく、シャープにつらつらと書いていらっしゃいます。
 難しい言葉は一切出てこないし、会話形式の語り口調が軽快なので、すいすいと読み進めていくことが出来ます。

 ウィトゲンシュタインは、かつて思想は言葉として表さなければ意味は無く、語り得ぬ物については沈黙しなければならない、と『論理哲学論考』において述べましたが、野矢さんは『「論理哲学論考」を読む』という著書の中で、語り得ぬ物については語り続けなくてはいけない、と述べました。
 その主張の通り、本書では「語り得ぬもの」について、いろいろと考えを巡らしていきます。目次から一例を取れば、

  ・死んでも世界は終わらないか
  ・5分前世界創造仮説
  ・時間の流れの速さ
  ・私的言語

などのような、簡潔だけど答えの出ない事柄が並んでいます。

 「哲学」ってものは、ウィトゲンシュタイン流に言えば、ただの言葉遊びです。
 言葉の意味、それが人によって千差万別である以上、完全な思想の伝達はあり得ないのに、なんとかそれを形にしようと試みている。全ての学問は、哲学の亜流に過ぎないと言う極論も存在します。数学は、思想を数式によって伝達しようとしたものであり、化学や科学、力学なんかも同じですね。また、実証の積み重ねによって思想を形作ろうとしているものが、地理であり歴史であり、生物学なんかもそうかな。

 いろんなことを、いろんな角度から眺め、いろんな感想を持つこと。
 それが、僕の考える哲学です。
 全ての物事の側面は一つだけではないし、当然ながら同じ面でも観察するものによって異なる。
 その観測の結果も、表現の方法によってまた沢山の枝に分かれ、
 さらに、その枝すらも、観るものによって受け取り方が違う。

 生きる理由なんてものは必要ないけど、
 あえて求めるなら、自分の思想を、誰かに伝え、
 その中身を100%理解してもらいたい、ってことに尽きるのかもしれません。

 そんな、考えるきっかけを与えてくれる本だと思います。

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2003年07月04日(金)

あれ?

なんか、サイトの方アクセスできているみたいです。
アップは出来なくなっているんですけどね。

Bフレッツの開通日も決まったので、
ぼちぼちぷららの方でサイトを作る予定です。
また、終わったら通知します。
2003年07月02日(水)

日々 / いけだ