ちょっとした できごと

2001年11月30日(金) 旅立ち

 アルゼンチンから研修できていた彼が今日別れの挨拶にきた。
上司は記念にサンシンをプレゼントし、1曲彼のために演奏した。

「旅の出立 観音堂」

 旅に出るときはその航海の無事を祈って、観音堂に祈願して行ったという故事にならい、上司は歌った。

 半年間だったけれど、預かった私達としては、思い入れも深く、なんだか寂しい。

 「私はあなたを失望させません」
と言って私の手を握り、若者らしく決意表明する彼は21歳。
 「見送りには来ないで下さい。あなたが泣くといけないから」と精一杯いきがってみせる姿も、ほほえましい。

 最後に彼はアルゼンチン方式であいさつし、にっこり笑って去っていった。

 彼の笑顔と体の暖かさがずっと残っている。



2001年11月27日(火) 抱擁

総勢12名でボウリング大会。
 なんだか、コンパみたいな感じで、「いつもの職場での雰囲気とは違うね」と同僚がいった。
 普段はあまり交流のない部署と合同で南米研修生をかこんでボウリング。
収穫は大きかったと思う。それぞれの仕事に対する理解をえることができたから。

 予想外にもりあがり、2次会は居酒屋へ。
国際交流を深めるため、スペイン語と英語と日本語でそれはそれは熱く語った。

 あいさつや日常会話もネイティブ・スピーカーにほめられるほど、上手になった。
アルコールがはいっていたせいもあって、皆、物怖じせず、ラテン民族になりきっていた。

 なかでも 南米式のあいさつ(軽い抱擁)が大好評であった。
「一歩間違うとセクハラよ」という忠告に従い、皆相手の目を見て、許される仲、許されない仲を探る姿は、真剣すぎて、おかしかった。

あんなに一生懸命憶えたけど、多分明日の朝になったら、スペイン語ぜーんぶ忘れているんだろうなぁ・・・



2001年11月26日(月) 一山越えた

多分越えたでしょう。
でも、山はまだまだつづくのであった。



2001年11月10日(土) 地球交響曲 第4章

 ドキュメンタリー映画を見た。

 自主上映作品であったが、観客の入りもよく内容も良かった。
地球から力をもらっている、私達は霊的存在であると感じることができた。全身に電気が走ったような、身震いするような、不思議な感覚。
 
 一緒に映画を見た人は、直感で作品の中に入っていったようだ。
メッセージ
 Be An Divividual 個として生きよ
 Keep Paddling 漕ぎ続けよ
 Hope,Love,Understanding 希望、愛、相互理解
 幸せはへりません

 既成概念や先入観に左右されず自分の目で判断できるようになりたいと 切実に願う。




2001年11月06日(火) 多国籍 ウチナーンチュ

 ブラジル・アルゼンチン・ボリヴィア・ペルーからの研修生でサンシンバンドを結成している彼らは、昨日までの演奏活動を終えようやく今日から普通の生活に戻ったらしい。合宿状態で夜遅くまで練習していた。楽しくてしようがないといった感じでこの1週間をすごしたようだ。私達はヘトヘトだったのに。

 タフなメンバーは夜遊びにも余念がなく、連日朝帰りだったとか・・・

 今日はチョコレートを食べながら、焼き増しする写真を選んでいた。後1ヶ月で母国に帰る彼ら。「日本語の勉強は大変です。でも楽しい。」

 「辞典を買いました。昔話の本も買いました。」

 勉強に対する姿勢が違います。



2001年11月05日(月) 何を見たのだろう?

嵐のような1週間が去った。
ようやく本来の仕事に戻れると思うとうれしい。

午前中は片付けなど皆で済ませた。
課長が昼ご飯をごちそうしてくれた。


先週から目の調子が悪い。
右の目が一枚膜をかぶったようにかすんで見える。
同僚も同じことをいっていた。
私達は一体何を見てしまったのだろう。



2001年11月03日(土) おかえりなさい

 世界の各地に移民として渡った皆さんが11月1日から11月4日までの日程で故郷に帰ってきた。各地でさまざまな歓迎イベントがおこなわれている。
 地元の酒を酌み交わし、手料理を食べ、何十年ぶりかの対面、あるいは初めて会う日本の親戚。

 2世3世はもう日本語をつかわないけれど、お帰りなさいということばがしっくりくる。

 歓迎行事のなかで、地元の棒術が披露された。
おかえしに、ハワイのフラダンスとタヒチアンダンスを披露してくれるという。揃いのレイを首にかけ、老若男女楽しそうに踊る姿は、ほほえましい。

 歌の内容にあわせて踊るタヒチアンダンスはセクシーだけれど、若い女性の美しさもさることながら、神々しいものを感じた。
 
 



2001年11月02日(金) ヤング・レディ

 欧州議員団の訪問が決まり、前日から受け入れ準備で忙しい。

 日本と欧州との生徒間交流をまずはインターネットを通しておこなうこととなり今日の訪問が実現した。緊張した空気のなか、テレビカメラや取材の記者がワサワサ動き、あわただしく歓迎式がおこなわれた。
 その後は地元の案内をして、昼食会。

 ありきたりの昼食会ではなくここでしか食べられない物をということになった。
 注文を受けた皆さんは、それはもう、はりきって料理した。
ボスは議員団に「私達が普通に昼食で食べているものを地元の母ちゃんたちが心をこめて作りました。おばさんたちの手料理でもてなすよ」といったが通訳はしっかり「ヤング・レディ」と伝えた。

 昼食会場でヤング・レディと対面した皆さんは、ユーモアのセンスもよく、拍手喝采で彼女達の料理を誉めた。
 かつてのヤング・レディは、記念のピンバッジをもらい満足そうにほほえんだ。
 


 < 過去  INDEX  未来 >


いくちゃん [MAIL]

My追加