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2004年04月26日(月) 神様っているんですか?

神様っているんですか?

この疑問に答える本を探していたが、ようやく見つかった。
この前「TN君の伝記」という本を読んでから「なだいなだの本」を読もうと思って買った岩波新書の「神、この人間的なもの」がそれだ。

宗教と精神医療を対比して、実は宗教の始祖たちであるキリストもモハメドも釈迦も実は呪術による精神病治療者だったと仮定している。確かにこう仮定することで当時の状況がよくわかるし、教義として確立するその頃は、病を治すといううわさを聞いて、みんなわらをも掴む思いで、彼らの元に集まったのだろう。

ところが、その治療行為が流行りだすと、既存の団体からは迫害を受けるようになる。なるほど、それがキリストの磔に到るというのは想像できる。

そういうことで、著者は神はいないのだとしている。ただ、一神教というのはすごい発明だとしている。何かすがるものとして、超越した神というものを設定することで、人は癒されるからだ。迷いのある人、世の中に不安と怖れを抱いている人にはすがるものがあることで、なんとか生きて行くことができる。それだけのものなのだろう。

ただ、今までの人生の中でも不可思議な、神の見えざる手が働いていると思わざるを得ないような経験がある。神がいないのに何故こんなことが起こるんだろうか??

原因と結果の法則によれば、結果には必ず原因があるという。不幸が訪れる人は、自分自身に原因があって不幸を呼び寄せているというのだろうか?運命は変えられるはずだが、神がいなくても運命は変えられるのだろうか?


2004年04月14日(水) タガタメ

Mr.childrenの「シフクノオト」というCDに「タガタメ」という曲が入ってる。「子どもらを被害者に 加害者にもせずに…」というフレーズがぐぐっとせまってくる。

今日、仕事中に「シマが基地になった日」(真鍋和子著 金の星社)という本を読んだ。ちらっと読むつもりが、この本に描かれているアメリカが沖縄の伊江島でおこなった強制立ち退きの様子が、今のイラク戦争とオーバーラップして、最後まで読み切ってしまった。

アメリカがイラクで実際にどんなことをしているのかは、切れ切れになった報道からでは推測しかできないが、随分強引なことをしているのではないかと思う。フセインの圧政から逃れたかと思ったのもつかの間、今度はアメリカが圧政をひきはじめた。フセインの時代は不自由だったけど家族なかよく暮らしていたのに、突然妻も子どももアメリカの爆弾にやられて死んでしまった。なんてことだ。全部アメリカのせいだ。。という気持ちがイラクの一部の人のテロ行為に走らせているのではないかと思ってしまう。

それに対して、沖縄の伊江島ではアメリカとの交渉で「何も持たずにすわって話す」「耳より上に手をあげない」「相手の悪口はいわない」「幼子を教え導いてゆく態度で話し合うこと」という陳情規定をつくり、非暴力で戦い続けているのだ。それでもまだシマの半分は米軍の基地のままだ。この対比。涙がでてくるぐらい沖縄の人たちは偉いと思う。日本人はこういう平和を希求する国民のはずだ。

憎しみは憎しみを産み、憎悪の連鎖が死体の山を築いていく。どこかでその憎しみの連鎖を断ち切らぬ限り平和は訪れない。そんな中で一体僕らは何をすればいいのだろう。

この伊江島の「ヌチドュタカラ(命こそ宝)の家」には聖書の次の言葉が書かれている。

「すべて剣をとる者は剣にて亡ぶ」と。。。


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