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2003年09月23日(火) 小椋佳のCD

天王寺駅にCD屋があるのだけど、ぼんやりCDのタイトルを眺めていたら小椋佳のベスト集が目に留まり、なんとなく衝動買いしてしまいました。

小学校6年の頃小椋佳のファーストコンサートがNHKで特集されていて、突然ファンになった。銀行員なのに歌手をやっているということがすごくかっこいいと思って、当時買ってもらったばかりのガットギターをかき鳴らしては小椋佳や井上陽水のコピーばかりしていた。

中学校に入ってからは、さだまさしとアリスにはまり、高校ではスペクトラムとオフコースにはまり、シンガーソングライターになりたいなあと、本当に思っていた。

大学に入ってからは現実的になってしまい、とりあえず小椋佳と同じ道に進もうと、銀行に入ったものの、シンガーソングライターになる夢を忘れてしまい、結婚し子供ができ、そうこうしているうちに40歳に近づいてしまった。

やり直すには遅すぎるけれど、新しい会社に入って、子供の時の夢を少しづつ実現したいなあと思っている今日このごろ。

歌や詩やエッセイとかそういうものを書く人になりたいな。40の手習いというには可笑しいけれど、いつまでも夢を追って夢に生きているほうが楽しい人生になると思うんだよナ。借金は減らないけどね。


2003年09月20日(土) なんだかなあ…と思う総裁選

結局小泉首相の圧勝で終わった総裁選。党内で全く違う主張をしながら、選挙結果が出たあとはなんで4人一緒に「えいえいおー」ってしたり、握手したりするんだろう。小泉グループで勝手に「えいえいおー」ってすればいいと思うんだけど…。

そういう映像を見てると、なんだか茶番だと思うわけだ。亀井さんや高村さんは本気で総裁になろうとしてたのかしらんと思ってしまう。ボクがそういう立場なら、絶対に「えいえいおー」はしないよ。どう考えてもおかしいもの。こんな総裁と一緒にやっていけるかと思うのが普通ではないか? 小学校の生徒会長の選挙でも負けた奴が勝った奴と手を組むわけはないのだ。

それにしても、小泉さんは発言の中で「小泉改革」を何度も言うのがおかしい。自分の名前の入ったものを恥じらいもなく言えるというのが気がしれない。「ぼくちゃん」と言ってるのとおんなじだ。今日もうれしそうに総裁のイスに座ってゆらゆらしてる姿をニュースで見てホンマに大丈夫かいなとあらためて感じだ。

小泉首相じゃあこの閉塞感ただよう日本経済の建て直しは、また遠ざかったような気がする。せっかく株価も上昇してきているのだから、間違ったかじ取りをして、景気上昇の邪魔をしないことだけを祈るだけだ。


2003年09月13日(土) 傷んでいく日本

京阪の北浜から淀屋橋に続く地下通路には柱ごとにホームレスの人たちが寝ている。少し歩くと壁際にも等間隔に居場所を確保している。

16年前就職活動でこのあたりをよく歩いたが、そのころにはほとんどホームレスの人たちはいなかった。ホームレスという言葉もなかった。

あいりん地区や天王寺公園近辺にはいたけれど、今は大阪市内の公園と言う公園にブルーシートの仮設小屋がある。

これがほんとうに先進国だろうか。

北浜のホームレスの人たちのうち起きている人はみんな新聞を読んでいるか、ラジオでなにかを聞いていた。電車の中で漫画雑誌を読んでいるサラリーマンや地べたに座って携帯メールを打っている若者達より真剣に何かを考えているようだった。

小泉首相は以前「ホームレスでも新聞が読める」というような発言をしていたが、「新聞を読めるような人がホームレスをしなければならない日本」っていうのはどうかしているのではないか?

痛みに耐えろという首相は300万円だか400万円だかもらっておいてボーナスが少ないという。国民に傷みに耐えろといっているのなら首相は給料などいらないだろう。

日本は最低限の基本的人権が保障されない。年金制度が崩壊しつつあるが、改革改革と言うのなら、まず最低限人間として死ぬまで生きていける保障制度を充実させるべきだ。将来に不安があるから、消費は増えないし、人間関係がギスギスするのだ。大人がそんなふうだから、子供も変になってくるのではないだろうか?

企業の成果主義も曲り角に来ている。世のお父さん達は競争に負けないように家庭を壊し、夫婦関係を壊し、近所付き合いを壊し、体を壊し、年長者を敬う伝統を壊し、生きていく支えを失っている。そうやって、日本はどんどん傷んでいっているようだ。


2003年09月09日(火) 徳島に行ってきました

徳島で取引があったため、高速バスで大阪から一路徳島へ。

明石海峡大橋ができて徳島がずいぶん近くなった。大阪から2時間ちょっとで徳島についてしまう。

以前は和歌山深日港からフェリーだったと思うけど、本当に近くなった。

ただ、日帰りの取引なので、観光もなにもなし、ただただ暑い中を1時間程度の取引のために出張。

しかしながら、こうやって出張に来た合間、昼間にミスドでコーヒーを飲んだりしていると地元の女子高生達の様子がうかがい知れて面白い。大阪の女子高生より僕らの高校時代を彷彿させる感じ。なんかのんびりしててよかったです。

帰りの高速バスできれいなお姉さんが爆睡していた姿にはちょっと失望しましたが。。。足はきれいだったけど。。。


2003年09月04日(木) 部長あて直メール

どうも直属の上司が信用できないので、部長あてに直接、退職についてのことの発端と今後の抱負を書いたメールを飛ばした。

その30分後には人事部から呼び出しがあり、具体的な退職日の話になった。今まで直属の上司は一体何をしていたのだろう?やっぱり辞表を握りこんでいたのだ。自分がマイナス評価されるのが怖くて。

人事部の面談は後任がみつかるまで退職は待ってほしいという相談だった。しかし、就業規則に2ヶ月前の退職願でOKと書いてある以上2ヶ月以内に後任を見つけるのが人事部の役目のはずである。

ごたごたいうので、「別に後任がスグに決まらなくても、当面チームの同僚に引き継いだらいい話であって、何が何でも後任に引き継ぎをしなければならない理由はないだろう」と言うと、

「あっ、そういう方法もありますね。」などという。人事部の馬鹿さ加減にはあきれるが、結局それで話がまとまり10月末退職で合意した。

上司も上司なら人事も人事だ。こんな会社に15年もしがみついていた自分がなさけない。


2003年09月03日(水) ちゃんと処理されてんのかな

2ヶ月前に辞表をだすようになっているから9月1日に出したが、直属の上司がちゃんと処理しているかが怪しい。

部長に言ってるかどうかも不安だ。部長は東京にいるので直接辞表を手渡すことができない。

どうも銀行の場合、自分の部下が辞めると評価が低くなるようで、ひどい場合1ヶ月近く握りこんで自分の転勤が決まってから人事に連絡するケースもあるようだ。

今回の場合も、辞表を提出した時、直属の上司は僕の借金はどうなのとか、家族はどう言ってるのとか僕のことを心配するのではなく、ひたすらオドオドして、何か事故がおこったかのように困った顔をするのだ。

帰り際に、ちゃんと部長に連絡してるんでしょうねと確認したので、明日一番に部長あてに直メールを打って、TELすることにしよう。「もう、連絡が言ってると思いますが、このたび退職することになりました。。。」


2003年09月02日(火) 上司の不可解な行動

僕が辞表をだしてから上司の行動が不可解だ。

前の部の次長と面談したり、人事部になんか聞きに行ったり、結局、こいつが辞めたのはおれのせいじゃないもん。前の部が悪いんだということを証明したいわけだ。

面談しようとわけのわからんことをいわれ、聞かれたことが、「我が社が気に入らないの?」気に入るわけねえじゃねえか何聞いてんだと思ったが、とにかく新しいことをしたいので辞めるんですと答えた。

「システムの仕事が好きなんだ?」とも聞かれた。システムの仕事というよりもこの年になれば経営全般を考えるものですけどと答えるとなんだか困った顔をするのだ。

要は「彼はシステムがやりたいのに、全然畑違いの不動産に来たのが不満で違う会社のシステム部へ行く。こうなった原因はここに異動させた人事部が悪い。」というふうに持っていきたいのだろう。だから、僕にはシステム大好き人間になってもらわなくちゃ困るんだ。

てめえみたいな奴が上司やってるから辞めるんだよ。

それにしても、たかだか一人会社を辞めるぐらいでそんなに右往左往しなくてもいいと思うのだが、銀行ってのはあんまり辞める人がいないのだろうか。


2003年09月01日(月) 退職願

今日、会社の上司に退職を報告。
ずいぶんびっくりしていたが、受理された。

2ヶ月後に辞めたい旨申し出たが、後任を探さなくてはいけないので
時期は明確に言えないとのこと。
就業規則に2ヶ月前とあるから2ヶ月前に申し出ているのであって、
勝手に引き延ばしはできないとは思うが、まあとりあえず同意した。

10月末で15年半勤めた会社ともおさらばだ。

言い出すのは勇気がいったが、そんなに引き留めもされずすんなり受理された。

あっけないといえば、あっけないが、今日一日なんかずいぶん長い一日だった気がする。。。。。


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