Leaflets of the Rikyu Rat
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2005年09月30日(金) バイト最終日 無礼講

目が覚めれば昼。この日は目が覚めるのが遅ければ遅いほど良かった。午後三時半起床。
いい感じだった。地下鉄に乗り梅田まで行き、紀伊國屋で少し立ち読み。
奥田英朗「ララピポ」が少々気になるも村上春樹の「東京奇譚集」が買って以来全く進んでいなかったことを思い出し帰宅。
風呂に入りすぐに家を出て、飯を食って再び梅田へ向かえばあっという間に夜の九時。
最後のバイト開始である。「今日は無礼講やでー」とマスターは言った。

この日はそれ程客も多くなく、普段であったら二日酔いに苦しむこともなく難なくこなせただろう。しかしこの日は最後のバイトの日。
飲め飲め言われると自分のペースが掴めないため一気にアルコールが入りしんどい。
でも最後なんだ、ありがとう、と思い飲みまくった。
常連である三人組のお客さんからは大きな花束を戴いた。すごく綺麗で嬉しかった。
いろんなお店のママさんが来てくださり、有り難い限りであった。

一番驚いたのは、暫く会っていなかった彼が来たことであった。
今の彼に振られて、再び付き合いだすまでの間にほとんどの期間一緒に過ごし、随分仲良くしていた彼だ。
会うのは二ヵ月ぶりであったし、最後にメールをしてからも一ヶ月ほど経っていた。
僕は彼に今日が最後のバイトだなどとは言ってなかったし、
また、彼は僕に会いたくなさそうにしていたはずだった。
たまたま久しぶりに飲みに出たら、今日が最後だって他所で聞いたから。と彼は言った。
何だかとても懐かしく、嬉しくなった。
相変わらず僕のタイプの顔だなあ、などと思いながら接客。非常に楽しい時間を過ごした。
しかし信じられないことに、彼は僕の名前を忘れていた。或る意味すごいことだと思う。
それはしてはいけないことなのでは・・・たとえ携帯に二件すら登録していないにせよ、一ヶ月間ほぼ一緒に過ごした人間のことを忘れるだろうか。
(しかもそれはつい先々月のことである。)

「えっと、なんて名前だったっけ」
時間が経てば経つほとこの台詞は僕に悲しみを齎す。
その時は特にとりたてて傷つきもしなかった。
僕も酒で神経が鈍っていたのだろう。

それでもなんとなく僕の中ですっと熱が下がった。
ああ、彼にとって自分はその程度だったんだなあと分かったからである。
僕は彼の僕に対する想いを美化しすぎていたのかもしれない。
まあ無礼講無礼講、と思い、彼との会話を懐かしみ、楽しんだ。
朝七時半、最後の客がいなくなり、バイト終了。
最初で最後の贅沢だ、とタクシーに乗り込み、家へ帰り、ぐっすりと眠った。






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2005年09月29日(木) やれやれ脱げ脱げ 阪神タイガース優勝


 朝。眠りすぎたのちにある気だるさを感じつつ、特に目的も無く梅田まで向かうことに
した。阪急梅田駅内紀伊國屋にて現代詩手帖10月号を立ち読み。非常に面白かった。ま
だ満足に読めていないので大学内の図書館に並んだらゆっくり読んでみようと思う。一
時間ほどうろちょろとして伊藤比呂美の『伊藤比呂美詩集』を購入。いつだったか読ん
だ「いやさかさかさかさのさのさ」が頭に残っており、「カノコ殺し」を店頭で読み購入
を決定。伊藤比呂美は増殖する。強い。女性である。携帯が鳴り友人から「暇?」とだ
け書かれたメール。梅田にいる旨を送り、待つことになった。
気付けばあっという間にお昼過ぎ。マクドナルドにてハンバーガーを食す。食べながら
詩集をめくっていたら、目の前の二人組の会話が耳に入り思わず聞き込んだ。「俺思うね
んけどな、ぜってー多浪の方がいいって」「ぜってー多浪のが面白い奴多い」「挫折経験
してるしね」「ノリえーし」などと多浪の意義と相互肯定とについて白熱した議論を交わ
していた。二人とも三浪らしい。「やっぱ東大が一番やけどな」なんて言いながら、でも、
と僕が通っている大学名を挙げそれを褒め称え幻想を抱いていた。いや、そんな、医学
部(歯学部薬学部は良く分からない)でも無い限り三浪もする価値無いですよ、授業ほ
とんど聞いてらんないくらい詰まらんですよ、そこの学生な僕ですが今マクドナルドで
ハンバーガーとか食ってますよ、(←?)などと思いつつ二人を眺めていたら、梅田に着
いたとの連絡を受け席を立った。

 その人は就職が決まった大学院二年生の先輩(ゲイ)で、スーツ用のシャツを買いた
いとのことだったので金魚のフンのようにひっつきながらJR構内のGAREを練り歩き、
大丸へ入った。BURBERRY、Paul Smith、TAKEO KIKUCHIと周りcommecadumodeで結局
落ち着いた。連れまわしてしまったからとカフェでケーキとイタリアンソーダ(クラ
ンベリー味)を奢って貰う。うまかった。酒が飲みたくなってきたと言うので近くの
居酒屋へ。ぐいぐいと飲んでいたら阪神優勝で、これから頼んだ酒は半額になると
の由。とりあえず更に三杯ほど飲んだ。友達に道頓堀に行こうと誘われていて遅れて行
くと返事していたものの、もう解散しそうな雰囲気だとのことなのを必死でとめ、居酒
屋を出て独り難波へと向かう。地下鉄内では二年前の優勝時も道頓堀へ行ったことを思
い出した。

 難波ハッチ前で合流。人数は自分を含めて五名。全員ゲイで全員面識あり。独りは終
電前に帰るとのことで、見送りに行った。僕のせいで他の三人は朝まで居てくれる覚悟ら
しい。ありがたかった。

 道頓堀に行けばすごい人だかり。しかし戎橋の前は警官が二列に並び厳重に整備。まっ
たく入れそうに無かった。代わりに「道頓堀」とネオンで書かれた電柱(看板)に上る
ひとは現れた。有刺鉄線をものともせず上る。きっと手は怪我しているだろう。それで
も構わず上る勇者あり。警官がスピーカーで何かを注意しているが、何を言っているか
全く聞こえない。「やれ!やれ!」と声をあげるひとびと。六甲おろしのメロディ。リズ
ムに乗って踊る電柱の上のひと。「脱げ脱げ」と男も女もみんなで囃し立てる。脱げば猥
褻物陳列罪で逮捕される。それを観て楽しみたいのだろう。次々とひとはのぼる。酔っ
てノリが極端に良くなった若者が、何名か裸でのぼっていた。外国人もいた。気付けば
午前二時。警官の列はじりじりと前ににじり寄り、テリトリーを広げる。しかし何を言
っても無言である。どことなく顔は疲れている。戎橋に入れないと知り「こんなんに税
金払わんぞオラァ」とキレている者も数名見受けられた。完全に警官は悪者であった。
何も物言わぬ警官の列の前で写真撮影する者もちらほらと出て来た。アホっぽいという
か我ながらアホだなあと思うけど自分も撮って貰った。思い切りピースして。友人の携
帯の中に入ってるだろう。要は祭りだった。

 ラーメンを食いに出かけ、戻ってきたら三時十分。どこへ行ったのか警官は戎橋を解放
していた。まだ開放したばかりらしい、ほとんどひとがおらず、早速僕等は橋の上へ。
すぐさま橋の上は超満員に。そして三メートルの壁などやすやすと乗り越え、次々と若
者はダイブしていった。「逃げろ逃げろ」と野次。捕まって「あー」とため息。次は誰だ
と期待。誰かが飛び込むために「アホやアホや」と皆して大喜び。

 喧騒は朝まで続き、五時二十三分の始発に乗って彼の独り暮らしの部屋へと向かって帰る。
 熊が寝ているベッドへ忍び込み一緒に眠った。




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 連続更新:その1その2


2005年09月28日(水) サイパンより帰国 天出り天沈む処

サイパンから帰国した二十八日、背中がヒリヒリと痛み焼けそうであった。
三十時間ほど起き続けていたためひたすら眠る。
二十時間ほど眠り続けて起きたら二十九日の朝になっていた。

連続更新:先ほどの更新はこちら


2005年09月27日(火) 整理3.第三段階 (10/3 殴り書、無推敲)

 嘘は嘘を呼び、白日に晒されることもあれば晒されないこともある。晒されないことがあるから人は嘘を隠し、更に嘘を重ねる。彼は僕と再び付き合うために嘘を晒した。彼にしては進歩である。嘘を認めることが彼にとっての進歩であり、賭けだった。

 整理されていない整理。その3

 3.七月中旬、或る日

 僕と、仲が良くなりつつあった彼は、まるで一日が三十時間くらいにでもなったかのように共に過ごしていた。僕は資格学校に通ってはいたものの学生であったため基本的に時間には融通が利き(実際この頃はテスト期間であったため無理やり利かせてもいた)、彼はまた職安には通っていたものの基本的に無職であったため幾らでも時間はあった(本当は貯金も底を尽きかけていたであろう)。
 本当は僕の時間にも彼の時間にも限りはあるのだろうけれど、僕と彼が二人でいるそのときはこれ以上ないくらいにゆったりと時は流れ、そして昼と夜も無かった。ただし、ちいさな不協和音がそこにはあった。ゆったりとした時間の中に在る、不自然な瞬間。それはおそらく根本的に存在する、僕と彼との違いのせいで生じたものだった。
 有限ではあるもののまだ「遥か遠く」に思われる終わり。それのせいで僕らは安穏と過ごし、そんな不自然な瞬間には目を瞑った。
 
 そんな僕らのゆったりとした日々(それは穏やかで自堕落で不自然であった)にピリオドを打ったのは、今現在付き合っている彼と会ったことが原因である。

 それは七月の中旬の頃だった。彼と別れてから月に一度ほど食事をしていたが、彼の仕事か何かが原因で延期されていたため、二月ぶりのものであった。大阪中央郵便局で待ち合わせ。僕が待ち合わせ時刻の十分ほど前にそこへ行くと、彼は既に局内にある椅子に座って待っていた。事前に受け取ったメールによると、手に持たれているものは僕への誕生日プレゼントであった。別れた男にわざわざ誕生日プレゼントなんて贈るものなのだろうか(それも僕の誕生日は六月の下旬である!)と思いつつも、貰えるものは貰っちゃえばいいよねと考えていた。全く面識の無いひとでも嫌いな人間でも無いのだし、彼は随分と金を稼いでいるのだし、そもそも余裕が無かったら贈り物なんてしないと思うし、まあ彼からの贈り物だし、などと思いつつ「久しぶり」と声をかければ彼はにやにやと笑いながら「久しぶり」と言った。ああ、「なんか企んでる?」、よなあ、こいつ。と思ったことをそのまま声に出したら ふふん とにやにや笑いつつ、何も言わなかった。

 彼と並んで彼の行く店へとついていく。芋焼酎のメニューが豊富な居酒屋であった。とりあえずと生中二つ頼み、僕らの会話は始まった。まずは近況報告からだ。今書いている日記の最初辺りのようなことを話した。最初はほとんど会話もままならなかったのに、今では喋るときはいくらでも喋れるし、お互いのことをある程度理解し、沈黙も苦痛では無くなった。おそらく僕らは二人とも、一生二人でいることはないのだろうと、それを受け入れあっているのだという風なことも話した。だから僕らは驚くほどお互いを束縛し合って、それでもゆったりとした冗長な時間を過ごしていたのかもしれない。

 次は彼が話した。彼は自分が不利になることは、原則として自らの口では話そうとしないため、僕が知りたいことを次々に尋ねることになる。そうしなければ彼の話すことはひたすら当たり障りが無く、僕が知りたいこととは遠く離れているどうでも良い日常でしかなかったからだ。どうでも良い日常とは、相手が恋人であるときに限って意味を持つものなのである。僕にとっては。
 「僕と別れてから何人くらいと付き合ったんー?」とかアホなことを聞いたら「二人」との返答。付き合ったというか、とりあえずデートをした人数が、らしい。「っていうか、今も付きあっとるん?」と聞いたら、「うーん、微妙やなあ」なんていう曖昧なお答え。少しずつ話を聞くと、仲が悪いわけじゃなく、相手のひともいいひとなのだけれど、そして相手のひとは彼のことをすごく気に入ってくれてるみたいなんだけど、なんとなく自分にとってしっくりこないというか、好きになれない。ということらしい。で、僕がいいのだそうだ。なんだそりゃ。

 とは思ったけれど、なんとなく予想通りであった。会った瞬間の彼の怪しげな顔を見たときから。こいつ企んでるなあと思ったときから。わざわざ僕に誕生日プレゼントを今更持ってくるか、と訝しんだときから。
 僕は言った。「でも、僕はそんなすぐには今の関係壊せないよ」と言った。「彼の気持ちの問題もあるだろうし」と言った。「○○もそんなにすぐ相手を振っていいの?」と言った。「相手のひとの気持ちは考えてるの?」と言った。僕は意地が悪い。
 彼は「相手のひとのことはどうしても好きになれそうにないから断ろうと思ってる。もちろん啓介が今のひととすぐ別れられるとは思ってないし、すぐに別れなくてもいいから、もしいつか僕と付き合うかもしれないと少しでも思うなら教えて欲しい」と答えた。
 「可能性はあるかもしれない」と僕は答えた。
 「どれくらい僕は待ってればいいんかなあ」と聞かれたので、「わからない」と僕は答えた。

 「可能性はあるかもしれない」というのは、今仲良くなっている彼と一生一緒にいる可能性がほぼ無いに等しいと思われたために自明でもあった。僕と彼との関係と、僕と今目の前にいる彼との関係とを比べると、うまく行くのは圧倒的に、目の前にいるこの彼であるだろうなということも明らかであった。ただ、僕は今仲良くなりつつある彼と、一ヶ月間ほとんど一緒にいてやっとここまで仲良くなったのであったし、よりを戻そうと言われたからと言って はい さよなら などと言うこともできない。彼は彼なりに僕を大切に・・・はあまりしてくれていなかったかもしれないけれど、少なくとも僕のために彼は長い時間を犠牲にしてくれたことは事実だった。

 そんなこともあったが、とりあえず僕はどうしても僕の中で燻り続けていた疑問を口にした。東京でのことだ。再三この日記にも書いていたけれど。長くなるが、再び説明したい。これで書くのは最後にしたいと思う。これが、僕から見た主観的な文章である。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 彼が出張で金曜に東京へ行き、僕は金曜のバイトのため土曜に東京へ向かった。その金曜の夜に彼が飲みに出たか出ていないかと言う話になった。彼は飲みに出ていないと言った。僕は彼が飲みに出ていないはずがないと感じて、そう言った。彼は何が有っても“飲みに行く”人間なのだ。それが彼の出張での一番の楽しみであるはずだからだ。飲みに行ったはずなのに、飲みに行かないと言うこと自体が怪しすぎた。もし「飲みに行ったよ」と彼が答えていれば、話はそこですべて終わっていたと思われる。
その日は二人で二丁目で飲んだ。僕は生まれて初めて新宿二丁目へ行ったけれど、どこからが二丁目なのかもよく分からず、彼の後をついて歩いただけで、更に裏道を通ったらしいためさっぱり実感がわかなかった。帰り、彼はべろべろに酔っ払い寝言で飲みに行ったことを口走った。本当にアホだ。

 朝になり再び問いただしてみれば素知らぬ顔で否定。寝言で言っていたよと言うと顔色が変わり白状。飲みには出たけれど、それだけだと言う。僕は納得せず。
 帰りがけの新幹線の中で彼はメールを打っていた。僕のほうをチラチラ見るのでもうなんなんだよと心の中で憤慨するも、せっかくの旅行を台無しにはしたくなかったのでその日は何も言わなかった。家に帰って独りで寝た。

 それから何回か彼と会ったある夜、突然。僕は溜め込んでいたものが飽和して溢れ出た。「疑うんだったら僕の携帯見ればいいじゃん」とは常々彼が言っていたことであったから、「ごめん、携帯見ていいかなあ」と頼み込んだ。頭には新幹線の中で僕をちらちらと見る彼が浮かんだ。一瞬止まった後、返事は「何でこんな夜にいきなり。」と言うものだった。
 が、尋常ならざる僕の様子に彼は何も言えなくなったらしい。僕の時間はとまってしまった。暫くして、「見たければ見ればいい」と彼は不貞腐れながら言い、僕は携帯を手にした。随分前はドコモユーザーだったのを思い出し、懐かしい気がした。びっくりするくらい操作方法をよく覚えていた。そして発見した。僕の勘は当たる。当たる自信が限りなくあったが故の行動だったのだけど、勘が当たって誇らしいような、それでもとにかく悲しいような。名前の登録されていない送信者からのメールで、「今朝はありがとうございました」やら「一緒に住めればどんなにしあわせなんだろうなんてことを考えてしまいました」やら書いてあった。

 今朝ってなんだよ。

 突然に現れた単語の意味を彼に聞けば、「飲みに出て、話が弾んでアドレス交換をして、次の日に朝ごはんだけ食べて学会へ行った」とのことだった。何がありがとうなんだろうと聞けば僕が朝飯代出したからやろ、なんて答えた。仲良くなったから翌日に二人で朝ごはんだけ食べたなんて話、生まれてこのかた聞いたこと無いっつーのと詰め寄ると「ないないえっちだけはせーへんかった、夜は別れてひとりで帰って寝ました朝は会ってご飯食べて別れましたはいこれでいいですか」と丁寧語で逆ギレ。「ハァ?」と呟いて僕が呆然としていたら彼は完全に眠りだし、ほんまもんの鼾をかきだしたから僕はもうブチキレて(それでも理性はまだ飛びきっていなくて)全力で殴ったら肋骨が大変なことになるのかもしれないでもどうしようもなく腹が立つからどうしても痛めつけてやりたい、そのためにはどれくらいの強さですればいいんだろうかと逡巡した後にかなりセーブをしつつ彼の腹を一発どすんと殴ったら「いてえ」と彼は言った。こんなときに寝るなんてありえへんと何故か中途半端な関西弁になって僕が言えば「僕、帰ったほうがいい?」と玄関まで歩きだす彼。完全な逃げの態度にまた腹が立って「なんでやねん!!」と激昂すれば「だって僕朝飯一緒に食べただけで何も悪いと思ってへんし。謝ってだめなんならどうすればいいねん?どうしようもないやん」と彼も売り言葉に買い言葉。でも逆ギレだろそれ、と思いつつ僕はもう呆れて物も言えなくなりそうになりながらかろうじて「もういい」と言い寝ることにした。彼も結局寝た。

 それから僕の中でこのことは燻り続け時折思い出したかのように彼にあてつけて言った。
 彼は「終わったことを何回も言うな」と言うが僕にはちっとも終わったことではなかった。
 何度も何度も言ううちに「もう疲れた」と彼に振られた。
 振られた原因は間違い無くこれだと僕は思っている。それなのに彼は戻ってきたのである。 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 「あの日、本当は一緒に帰ったんしょ」と尋ねると、彼はまたか、という顔をしながら「うん」と認めた。けど朝の三時くらいで僕は完全に潰れてたし僕からは何もしてへん、相手が僕に何をしたかはわからないし、寝ぼけた僕が何をしたかも分からないけど。朝は二人とも別々にシャワー浴びたし、ご飯食べて別れたよ、なんて最早どうでもいいことを彼は喋った。どうでもいいけど僕はそれが少し「知りたいこと」になっていることに気づいた。
しかしやっぱりどちらかというとどうでもよかった。ということは、僕が昼に入ったあのホテルのあの部屋のあのベッドで、朝には別の男が寝ていたんだなあ、などとぼんやりと思った。ひでえなあ、と頭では思ったけど心は付いていかなかった。今更わかっても、実感があまりわかなかった。実際、人から見ればただの浮気なわけで、それほど酷い話では無いかもしれないし、浮気をされて傷ついたことがあるひとからみれば僕は可哀想なのだろう。たぶん。僕はかなしかったけど。

 それでもずっと燻っていたものが昇華した感覚があった。

 ある先輩が僕と彼の前でこう言ったことがある。「○○さん(彼)は“こそこそする”ことの“した”ことに拘ってるけど、啓介さんは“こそこそ”に拘っているんでしょう。」
 これは的を射ていたと思う。“した”ことは言うまでも無く重要だ。理性をとれば“した”ことこそ重要なのだと思う。しかし、感情の面で僕は“こそこそ”の方に傷ついた。とにかく嫌で、腹が立って、かなしくなった。たぶんそれは僕の支配欲とか独占欲とかそういうものもあるのだと思う。そういうものが強いのかもしれない。だから僕は浮気なんてしなかったし、彼にもしてほしくなかったのだ。自分でも驚く程モノガミーな己を発見した
瞬間だった。(でもそれも相手に対する好意の大きさによるのだろう。)
 そのようにして僕は胸の痞えが取れ、やっと彼に対して寛容でありえるようになったのだった。




    男と女のことであるから、相手を否定するのが、恢復のための第二段階だ。
    なにしろ、否定でもしないかぎり、こっちが生きのびられない。
                                                           伊藤比呂美「三月の猫」より










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2005年09月07日(水) 新しい部屋での新しい生活。

一ヶ月ほど前から彼と再び付き合うようになって、
その以来、「どうしたの?」と言いたくなるくらい彼が優しい。
やさしさと言うものは有れば有るほど良いものであって
決して飽和なんてするはずがないのだけれど、
どうしても以前付き合っていた時と比較をして、首を捻ってしまう。
後生大事にされているのだ。この僕が。

あんなに懇願した時には拒否したくせに、
既にあきらめている今になって何も言わずに
次々に実行してくれている。狐につままれた気分だ。

彼は他人がどうこう言っても聞かないのだろう。
彼自身の中で何か大きな変化が無い限りどうしようも無いようだ。

それはどうやら僕にとって良い方向に変化してくれたようだ。
けれどもそれは僕が粉骨砕身した結果に齎されたのではなく、
僕の手の届かない範囲で起こったことなのだ。
そう考えると少しやるせない。
いや、嬉しいのだけど。複雑な心境だ。

彼は一人暮らしをするらしい。
しかも明日からだと言う。なかなか唐突だ。

と言うわけで、明日から早速泊まりに行くことになった。
楽しみだし嬉しいのだけど、まだ少し不安もある。

彼は将来を見据えて行動はするけれど、或る意味では気分屋でもある。
そこら辺は僕とそっくりなだけに、良く分かる気がする。

彼は「僕が誰かのためにここまでするなんて初めてだよ」と言った。
あれだけ言っておいて今更かもしれないけれど、
本当に「僕のため」なのだろうか?
「彼自身のため」の行動なのではないかと穿った見方をしてしまう。
結果として「二人のため」の行動になればそれが一番良いのだけれど。

ただ、いくら過去のことばかり思い返したり、過去と比較ばかりしていても仕方が無い。
とりあえず今、僕はこれからの彼との新しい生活について考えて行くべきなのかなあ。

やっぱり、ずっと願ってきたことだけあって、嬉しい。





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2005年09月03日(土) ありえんがよ

約束というものは、守られないと意味が無い。


2005年09月01日(木) 整理2.大事なのは“きっかけ”を持つことだ。

以前書いたものと重複している文章があると思いますが、御了承下さい。

2.六月上旬〜七月中旬

彼(今付き合ってる彼では無い)に会ったのは六月の上旬頃だった。
バイトしていたら、ある日突然(バイトの)先輩からその人を紹介されたのだった。時刻は閉店間際。空も明るくなり始めている頃だ。
「あんた、こういうのタイプなんちゃうん?」と聞かれたので正直に「すごいタイプです」と答えたら、一緒に帰りなさいと店を追い出された。片付けなんかまったくしてなかったのに、私が全部やるからと有難いことを言ってくれた。

それから何度と無く(と言っても結局は二十回程度?)彼と会うことになるのだけれど、その出会った日については時折話題にのぼった。
様々な推測から、このような結論に至った。

まず、先輩はどうやらよくある「一夜限りの」という意味で僕らを追い出したらしいということ。
彼もそのつもりだったということ。
僕はそういうのは苦手で、付き合うならちゃんと付き合いたいと思っていたこと。「その日だけ」が絶対無理だというわけでは無いのだけど、これからのバイト生活との兼ね合いを考えると、お客さんとやる、ということはどうしても自分の性分にあわないのだということ。
それで、その日は結局何もせずに駅まで見送って貰って帰ってしまった。
そしてそれはどうやら先輩にとっても彼にとっても想定外だったらしいということ。(確かにこれは僕がアホだったのかもしれない。)
先輩は彼のことをよく知らず僕に紹介したのだということ。
彼は僕のことがとりたててタイプではなかった(もしそれを知っていたら先輩は僕に紹介しない)けれど、その日だけならいっかという気持ちと、その先輩と僕がバイトに入っている店に気を遣い僕と一緒に帰ったのだということ。

・・・なかなか失礼な奴だ。
ただ、ゲイの世界では「夜遊び」なんてするひとは幾らでもいるのだ。
以前書いたけれど、彼は暇があればハッテン場へと足を運ぶ生活をし、既に数百人とは性交渉を持っている人間だった。
だから、その日だけならいいかという気持ちでセックスするのは、彼にとってはとりたてて大きな問題でも無かったのだと思う。
僕と彼とのそれに関する価値観には大きな相違があったのだろう。けど、それだけだ。

彼は求職中で貯金も無く、親と同居して肩身の狭い思いをしながら、職安を訪れ、また求人誌を読み漁り、バイトを入れては少額の資金を手に飲みに出たりハッテン場へと消える人間だった。
これだけ見ると完全にダメ人間だ。

彼は最初僕と会ったとき、絶対に話が合わない、と感じたらしい。
にも関わらず、三度か四度話しているうちに、僕と話していると安心できるようになり、また彼の話を僕に聞いてほしいと思うようになったということだった。
彼は変な人間が好きらしい。ってことは僕は変な人間なのかよ、と思ったのだけど。
――まあ、「変」なんて「個性」と置き換えられるかと考えることにした。
とくに彼が興味を持ったのは僕ではなくて(僕じゃないのかよ。)僕の父親についてだった。僕の父親に関してはこちらを読めば大体分かると思うけれど、かなり左がかっている。そんな父親に育てられた僕にも興味を持ったらしい。

大事なのは何か“きっかけ”を持つ、ということなのだと思う。
それが無ければ何も始まらないからだ。
たとえ僕自身に対する興味から始まらなくても、それが周りまわって僕にくればそれでいいのだ。
何も無かったらそれは縁が無かったのだと諦めるしかない。
自分から働きかけるという方法もあるけれど、そう簡単にひとの心を変えることはできないし、
その時僕はそれ程「誰か」を必要としていなかったのだった。

そう、僕は東京で就職する意思を固めていた。
だから、大阪にいるこれからの数年間について、僕はのらりくらりと適当にやっていく積もりにすぎなかった。
振られてからまだ二ヶ月程しか経っていなかったし、遠距離は無理だから、なんてもう一度振られたくもなかった。遠距離での恋愛が大変なのは確かであったし、であったらそういう色恋沙汰は東京に就職してからにして、とりあえず今は資格を取得することに集中すべきだと思っていた。

それ故に、僕と彼との関係は近すぎずも無く遠すぎずも無い不思議なものだった。
傍から見たら付き合っているように見えたと思うし、実際そうだったのかもしれないけれど、僕としては「何か違う」と感じていた。
しかし、それでも別にいいやと思っていた。

彼は本当に変なひとだった。
大阪人の癖に東京かぶれしていて、「マクドなんて言わねーよ、マックだよ」と大阪人が聞いたら激昂しそうなことを僕に言った。
将来なりたいものが分からない、とか言って日々求人誌をめくっていたけれど、
「何か無いの?」と聞いたら「国王として即位するか、宗教の教祖になりたい」と答えた。
「どっちも無理っぽいから、仕方なく求人誌見てるけどね。」と彼は言った。
実際、宗教に関する知識は完全に異常の域に達する程豊富であった。
彼は若い頃、警官になったものの一日で退職届けを出した、という過去も持つ。
携帯のメモリはわずか二件であり、バイト先の店長と母親のみであった。
(しかもその二名は偽名で登録されている。)
主要な知り合いはアドレスを暗記しているといい、
それ以外のひとはメールが来たら「返信」するだけだということだった。
友達はいないと言い、要らないと言った。
付き合っているひとがいて、そのひとが全てを補ってくれればいいのだと言った。
そして、僕はどうもその条件を満たしていないようだった。
けれど風変わりな彼との会話は面白かったし、一緒にいて楽しかったから、よくつるんでいた。

彼は僕にしきりに会いたがり、僕が彼に会いたがらないと不満を述べた。
僕をそれなりに束縛した。
しかし、僕が用事があると言って会えないときには、彼はハッテン場へ消えて行ったりしていた。
僕は、付き合うひとには絶対にハッテン場などには行って欲しく無いと考えるから、
最初は彼にちょこちょこと文句を言ってみたが、改善される様子も無く、まあ別にいいかと思うことにした。
彼にとって僕が全てでは無いということが見て取れたし、上にも述べたように僕も「適当にやっていく」つもりだったからだ。
だから僕は彼に対して「会いたい」と言うことがあまりなかったし、
それに対して彼が不満を述べたら
「じゃあハッテン場とか行かないで、僕だけを相手にしてくれたらね」
と言うのだが、はやりそれは改善されることは無かった。
そうして、同じことが何度も繰り返されていたのだった。

そんな時、彼(Dr.髭熊)とまた飯を食いに行くことになった。
別れてから会うのは三度目だった。




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いつも投票ありがとうございました。(12/15)

加持 啓介 | MAIL

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