3年前から毎週木曜日午後11時50分より、RSKラジオ番組に「いのちはぐくむ人たちへ」というコーナーを持っています。
第1と第3木曜日が私の担当で、今日はその日でした。 食育についてのお話です。
食卓は家族のデズニーランドです。 東京デズニーランドには子どもたちの夢とファンタジーをかなえるため、 消えることのないデズニーの理念と、それを喜んで実現しようとする 根限り努力し続けるスタッフがいます。
最初はお母さんの独り相撲と感じるかもしれませんが、 必ず、家族が一人、また一人と食卓の愛に引かれて、食卓ランドに 参加するようになります。 これが共感覚するということです。
日本人はいまや世界でも有数のコミュニケーションの下手な国です。 食事は理屈ではありません。 楽しく味わうと、食材は見違えるように美味しくなります。 味わいは共感覚です。それは感動を産みます。 感動は感性を高め、コミュニケーションを作り出す能力を養います。
まさに子どもの未来はお母さんの手に握られています。
食卓は家族のエンパワーの場 食卓ではどんなお話が出るのでしょう。勉強の話や、小言などは言っていませんね。
まずは出来るだけ、家族そろって「いただきます!」の挨拶をしましょう。 これはいただく食物は自分と同じ大切な生命。生命に優劣はないので、自分の生命を養うために食べさせてもらうことへの感謝です。 「ごちそうさま!」も同じ意味です。
身体とこころが喜ぶ食事。 旬のものを食卓へ。 このところサンマがおいしい。生のサンマは今しか食べられない。 たくさんの大根おろしと少しの生醤油で、内臓まで、小骨までとっても美味しい。 スダチがあると大人の味。 焼きたてのアツアツが食卓に乗せられると、思わず歓声が上がります。
匂いにまず感動します。尻尾をつかんで、薄く焦げ目の付いた身の真ん中くらいに箸を当て、上に引き上げると、きれいに二つにわかれます。 大根おろしを載せ、ガブッと口に入れると、調和したうまさがどっと口に広がります。
だれかが「うま〜い!」と声を上げると、それにつられて、次々と口にほおばり、「うまい!」「おいしい!」の連呼になります。 このとき食卓を囲む家族を包む幸せ感こそ「共感覚」で、「うまい!」の連呼が共感覚することといえます。
旬の加工されないものを、素材を生かして、付け合せよく味わう。 これが身体と心を喜ばせる食べ方の第一歩です。
昨日の続きです。 帰りの飛行機の青森出発時間が2時10分でした。
お昼ごろ病院見学を終り、案内をしてくれた齋藤先生が空港まで送ってくれました。空港の近くに有名な縄文遺跡「三内丸山遺跡」があり、そこに寄っていこうということになりました。縄文大好きな私にとって、願ってもない申し出でした。
空港から20分足らずのところにそれはありました。 広い駐車場を備えた石造りの立派な建物が入り口でした。 中に入ると受付があるので尋ねると、なんと入場無料ということでした。
扉を出ると、開かれた丘陵地が広がっており、一角に竪穴住居などが十数軒復元されていました。住居の形態、お墓の位置や種類、子ども墓、建物群の構成、文化度の推測、集会所の持つ意味、直径1mの柱6本からなる5階建てビルに相当する巨大建造物、生活廃棄物処理、食文化、などについてのボランティアの方の説明を聞きながら、1時間あまり見て回りました。
この地で縄文の人たちは少なくとも1500年間生活していたということでした。 お墓について興味深かったのは、大人の墓が200見つかっているのに対し、1歳以下の子ども墓が800を数えるということでした。この頃の平均寿命が35歳くらいと推測されている中で、とくに子どもの死亡率が高かったようです。
縄文人の言葉の由来は土器の縄模様から来ています。大和言葉で「なわ」というのはどこから来たかをユーモアを交えながら説明されました。
津軽弁で自分のことを「わ」、相手のことを「な」といいます。実際、前日の食事会の時地元の人が話していた言葉がそれでした。また、有名な「魏志倭人伝」に日本の国のことを「倭の国」と表現されているのですが、魏に渡った使節が国の名前を尋ねられて、「わ(私)」の国と答えたので、「倭の国」になったことがわかっています。
もう察しが着いたと思うのですが、「な(あなた)」と「わ(わたし)」が仲良くより合わさって、丈夫な紐になるということで「なわ(なわ)」といったというのです。 落語の「おち」のようですね。 ボランティアの方も少し顔を赤らめておられました。
時間の関係で、資料館は見れませんでしたが、昼食代わりに胸いっぱいの大ご馳走でした。
今日は9時から病院見学の予定です。 朝6時ごろ目覚めました。 食事には早いので、もう一眠りと目をつむったのですが、ふと十和田湖へ行けないかと思ってしまいました。時間的に無理かと思ったのですが、念のためフロントに電話で尋ねると、往復2時間以上はかかるので難しいとのこと。
十和田湖は小学校の頃から折に触れて教科書を始め、さまざまな媒体で見聞きしてきましたので、いつかは行きたいと思っていたのです。
今回の仕事では、まったく想定外のことでしたので、予定を立てていませんでした。しかし、せっかくのチャンス到来と思うと矢も立てもたまらず、行ってみることにしました。目的をいわずフロントにタクシーを頼むと、急いで身支度をして外に出ました。
ちょうどタクシーが到着したところでした。「どちらまで?」と聞く運転手さんに「十和田湖へ行って、9時までに帰りたいのですが」というと、「えっ!?」と絶句され、「無理です」1時間半はみてもらわないと!」と呆れ顔です。「チラッと、見るだけでもいいのです」とねばると、一瞬考えてから「わかりました。何とかやってみましょう」とドアを開けてくれました。
この道30年というベテランの運転手さん(山崎範彦氏)は郷土史研究家でもありました。津軽のさまざまな歴史を熱い語りで話してくれながら、早朝のためかほとんどすいている道を、時には間道を通りながら車を飛ばしてくれました。
しかし、深い山道に入るとそこはすっぽりと霧に包まれて、視界は10mほどしかなくなりました。さすがの運転手さんも言葉少なくなり、案内予定だった展望台から十和田湖が見えないことにショックを受けている様子でした。
これが私に幸いしました。 「ここまでお連れした私の責任と面子があります。湖まで降りましょう」とほとんどきりで見えない山道をフルスピードで下っていきました。
ふっと霧が晴れたかと思ったら、波ひとつない十和田湖の湖畔に車を止めてくれました。人っ子一人いない静寂なぶなの原生林の中に、海とも間違えるほどの大きな湖が広がっていました。あまりの美しさに言葉もありませんでした。
来てよかった!!
ちなみに山崎さんの見事なテクニックで、所要時間約50分足らずでした。 帰りは歴史街道を案内してもらいながら、みごとに9時前にホテルに帰ってきました。
おかげで予定の病院見学に送れずにすみました。
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