井口健二のOn the Production
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2009年10月26日(月) 第22回東京国際映画祭・コンペティション以外(3)+まとめ

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※このページは、東京国際映画祭での上映作品の中から、※
※僕が観て気に入った作品を中心に紹介します。    ※
※以下はコンペティション以外の上映作品の紹介です。 ※
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『メアリーとマックス』(WORLD CINEMA部門)
実話に基づく物語とされるオーストラリア製の人形アニメー
ション。
1976年という時代背景で、それぞれが心に病を抱えるオース
トラリア・メルボルン在住の8歳の少女と、アメリカ・ニュ
ーヨーク在住の44歳の男性とがペンパルとなり、その後20年
に及んだ文通による交流が描かれる。
少女は両親からアクシデントで生まれた子供と言われ、それ
が心の傷となったまま孤独に生きている。一方の男性は、ア
スペルガー症候群で他人とのコミュニケーションが苦手。そ
んな2人が手紙や贈り物の遣り取りで交流を深めて行く。
そしてそれぞれは、少女から大人の女性へ、また壮年期から
老人へと人生の変化を遂げて行く。そこには意見の相違など
いろいろな紆余曲折があり、長い時間の流れが互いの手紙の
朗読とそれに関る事象の映像で描かれる。
その主人公の声を、少女役は『シックス・センス』でオスカ
ー候補になったオーストラリア人女優のトニ・コレット、男
性役は『カポーティ』で受賞のフィリップ・セーモア・ホフ
マンが演じており、さらにエリック・バナらが声の共演をし
ている。
映像はかなりデフォルメされた人形によるコマ撮りアニメー
ションだが、そこそこの社会性と、ユーモアにも満ちたキュ
ートな物語が展開されて行く。また、愛情に恵まれなかった
2人の、それでも愛を求める切ない物語が描かれたものだ。
なお、男性の書棚にASIMOVと記された本があったり、彼自身
がニューヨーク・SFファンクラブの会員であるなどといっ
た説明もあり、その辺は実話と言うことなのかな。また物語
の中ではルイス・キャロルに模したカバン語を連発するシー
ンも描かれていた。
物語の結末も見事で、心に染みる作品になっていた。

『風のささやき』(アジアの風部門)
イラク北部のクルド自治区(クルディスタン)を舞台に、カ
セットレコーダーに録音した人々の声を他所で再生してメッ
セージを伝える男性を主人公にした物語。
映画の最初の方で、イラクの官憲に捕まった主人公が手紙を
勝手に配達するのは法律違反だと説明されるシーンがある。
それが、彼がやっているカセットテープを運ぶことを指して
いるのか、それまでは手紙を運んでいたのかは判らなかった
が、確かにカセットに録音した音声を他所で再生することが
親書の運搬に当るのかどうかは微妙なところだ。
それに彼が行っているのは、人から人へのメッセージの伝達
だけではなく、特定の場所で捧げられる神への祈りの代行も
行っているようなのだ。
そんな法律の抜け穴のような仕事をしている主人公だが、実
は物語の舞台となるクルディスタンは、イラン・イラク両国
の北部に位置し、すでにクルド共和国を宣言はしているもの
の独立は認められていない地域。そんな国際情勢も背景にし
た物語が展開される。
そこでは、当然独立派に対する弾圧も厳しく、一方独立派の
住民はゲリラとなって抵抗を続けている。物語の中でも、そ
んな独立派を支援する地下放送局や、住民が避難して無人と
なった村、故郷に残した妻の身を案じるゲリラのリーダーな
ども登場してくる。
なお、映画祭のパンフレットでは『山の郵便配達』の題名が
挙げられていたが、緑豊かな山岳地帯が舞台だった中国映画
と比べると、本作の舞台は正に砂漠の山岳地帯。その荒涼と
した中で、弾圧を受けながら生きる厳しさも伝わってくる作
品だった。
また、映画祭での本作の国籍表示はイランとなっていたが、
アメリカのデータベースによると製作国はイラク・クルディ
スタン自治府(Regional Government of Iraqi Kurdistan)
となっている。本作の監督はイラン領クルディスタン人で、
撮影が現地ロケで行われたとも思えないから、製作自体はイ
ランで行われたのかもしれないが、いろいろ微妙な感じだ。
因にイラク・クルディスタン自治府は、現イラク政府が憲法
上で認めているものではあるようだが…

『牛は語らない/ボーダー』(natural TIFF部門)
実はこの作品に関しては、直前の作品と上映時間が重なって
いて、観るべきかどうか迷ったのだが、映画祭の広報から強
く勧められたので不完全な鑑賞になることを承知で観ること
にしたものだ。
このため鑑賞は巻頭の12分が欠けているが、その部分は映画
祭のパンフレットで補っている。
その物語は、ソ連崩壊後に起きたアルメニアとアゼルバイジ
ャンの紛争が終結し掛けた頃を背景にしたもの。その国境の
近くで1頭の牛が瀕死の状態で見つかる。そしてその牛は無
理矢理とある牧場につれてこられるが…ここまでがパンフレ
ットから得た情報だ。
その牛は、連れてこられた牧場で元気は取り戻すが、犬には
吠えられたり、人間たちも辛く当ってくる。そして牛はいつ
も鉄条網で仕切られた国境線を眺めている。その先に観てい
るものは一体何なのだろうか。
ソ連崩壊前は、国境線もなく自由に行き来できた場所が、今
は鉄条網によって仕切られている。しかしそんな人間の事情
は牛には判らない。そんな不条理な物語が、牛の目を通して
描かれているようだ。
最初の状況説明がどのように行われたかは判らないが、映画
の本編では台詞は一切無し。途中で歌声や叫び声などは聞こ
えるが、字幕が付くような台詞は全て排除されている。それ
は牛が物語の主人公なのだから当然ではあるが、それでも物
語が判る(しかも途中から観ていていても…)のだから、そ
れは見事なものだ。
国境線を見つめる憂いに満ちた感じの牛の表情が何とも言え
ない作品だった。直前の作品も素晴らしかったので本作の巻
頭が欠けたことは仕方がないが、何とかして最初からちゃん
とした形で観直したいものだ。

『クリエイション/ダーウィンの幻想』(natural TIFF部門)
このサイトの製作ニュースでは、昨年9月15日付第167回で
取り上げている『種の起源』の著者チャールズ・ダーウィン
とその妻エマを描いた作品。ただし、この製作ニュースは重
大なネタバレを書いていることが判明したので、これから読
むのは控えて欲しいものだ。
物語は、ダーウィンがビーグル号での世界を巡る旅から帰っ
てきてから、『種の起源』を発表するまでの期間を描いてい
る。その時すでに『種の起源』の草稿は発表されており、地
上の生物は神が作ったとする教会に対抗する論調は進歩的な
人々の関心を呼んでいた。
このため本の完成には大きな期待が寄せられていたが、実は
彼の妻エマは敬虔なキリスト教の信者であり、教会の神父と
も付き合いの深い家族に対して、それを否定するような本の
執筆には躊躇いもあった。そして、彼には家族の死という重
圧も掛かっていた。
そんなことから健康も優れないダーウィンは、水治療といっ
たちょっと怪しげな療法にも手を出すようになり、それもま
た彼の身体を蝕んでいく。そんな中で、ダーウィンが『種の
起源』を書き上げるまでが描かれる。
なお物語の創作には、ダーウィンの末裔で“Annie's Box”
と題されたダーウィンの伝記なども発表しているランダル・
ケイネスが参加しているものだ。
監督は、2003年『ザ・コア』や1993年『ジャック・サマース
ビー』などのジョン・アミエル。主演は、実生活でも夫婦で
あるポール・ベタニーとジェニファー・コネリー。実際の夫
婦が演じることの安心感のようなものも感じられた。
ただし、この2人はジェニファーがオスカーを受賞した『ビ
ューティフル・マインド』での共演が切っ掛けで結婚したと
思われるが、本作の題材にはその作品に似通ったところもあ
り、それを思い出してしまうのは辛いところだ。

なお本作は、日本での配給がまだ決まっていないようで、そ
のような作品が観られるのも映画祭の魅力というところだ。
まあ宗教の問題などは日本人には中々判り難いものではある
が、『種の起源』はそれなりに知られたものでもあるし、一
方、映画監督は日本でも実績がある人、さらに主演の2人も
日本のファンはいると思われるところで、何とか本作の一般
公開も実現して欲しいところだが。

『台北24時』(アジアの風部門)
2006年12月に紹介した『パリ、ジュテーム』など、最近流行
りのようにもなっている1つの都市に纏わる短編集。さらに
本作では、1日24時間のそれぞれの時刻を順番に描くという
仕掛けにもなっている。
物語は、それぞれが6時、9時、12時、15時、18時、20時、
0時、4時を中心に描かれたもので、そこでは木に登った猫
の騒動や、幼い2人の男女の物語、ビジネスマンの不倫や、
ボスの女を監視する話、問題のある少女とその父親の物語、
帰宅途中の出来事、家出少女の帰宅、天安門事件に絡む女性
バレリーナの話などの物語が語られる。
その作品は、全体的にはコミカルなものも多かったが、夜間
が背景の作品では多少重いものもあって、特に締め括りはか
なり重厚な感じにもなっていた。この作品が最後というのは
何かの意図があるのだろうか。
全体で94分の作品で、それぞれの作品は平均で10分強、従っ
てそれほど深い話にはなっていないが、人生のいろいろな局
面みたいなものも描かれていて、それなりに面白い作品も含
まれていた。
さらに、一部分にアニメーションが使われたり、モノクロの
記録映像が出てきたり、展開上ではちょっとファンタスティ
ックな描写があったりもして、内容的にはヴァラエティにも
富んだものになっていた。
なおそれぞれの作品は、監督も製作プロダクションも全て独
立に作られているもので、監督には本業の人だけでなく、本
来は俳優の人なども含まれているようだ。また本来は監督の
人が出演している作品もあったようだ。
また作品は全てHDカムで撮影されたもので、今回は上映も
ディジタルで行われたものだが、映像のクリアさなどはフィ
ルムとは全く違う感覚になっていた。ただしそれが旧来の映
画ファンに受け入れられるかどうかは判らないが…
        *         *
 ということでコンペティション以外の作品は25本。コンペ
ティションと合せると40本を紹介した。本当はもう数本観て
いるのだが、いろいろな事情で割愛しているものもある。
 そして映画祭では各賞の受賞作も発表されているが、今年
も1週間前に書いた予想は余り当らなかったようだ。因に、
グランプリは『イースタン・プレイ』、監督賞と男優賞も同
作からカメン・カレフとフリスト・フリストフが選ばれてい
るが、男優賞は映画の原案も提供し、さらに撮影中に亡くな
ったと言うのは、同情を買いやすい条件であったとは言える
だろう。監督もその親友であるという点では同様だ。
 作品自体は、10月18日付でも評価したように悪い作品では
ないが、多少そんなこともあったかなとは思ってしまう。
 それに対して女優賞は、『エイト・タイムズ・アップ』の
ジュリー・ガイエで、これは見事に当ててしまった。ただし
こちらも、女優が製作と共同脚本にも携わっているもので、
結局こういうことが評価に影響していることは否めない。そ
れはまあ、映画を作ることに尽力しているのだから、悪いこ
とではないが、そうしなければならないとなると、またいろ
いろ難しくなってしまうものだ。
 なお『激情』は審査員特別賞というものを受賞した。まあ
付帯の状況が無ければこれが一番だったということかも知れ
ない。また観客賞は『少年トロツキー』、一番判り易くて面
白かったのは確かな作品だ。さらにアジア映画賞が『旅人』
に贈られたが、これも映画人には評価しやすい作品だったと
言えそうだ。それから特別功労賞が、『タレンタイム』のヤ
スミン・アフマドに贈られた。これも受賞の理由は10月23日
付で書いた通りだ。
 他に3作品ほどが受賞を果たしているが、いずれも僕は見
逃した作品なので紹介は割愛する。
        *         *
 映画祭の全体に関しては、上映本数は約270本、これがど
の範囲までを集計しているのかは判らないが、前年度の本数
は315本だったのだそうで、そこからは大幅に減少したと言
えそうだ。それは会場が六本木だけに限定されたことなどの
影響もあるかも知れないが、例年、朝10時頃から夜12時近く
まで映画を観ていたのに比べると、今年は朝11時から夜11時
前には終っていたようで、本数の減少は会期中にも感じられ
ていた。
 いずれにしても全部は観られないことにはなるのだが、上
映本数の多さが映画祭の実力でもある訳だから、これは来年
に向けて頑張ってもらいたいものだ。
 内容的には、イスラムとキリスト教の対立ような宗教的な
背景を持つ作品が多くなっていることは感じられたが、日本
人としては理解しなくてはいけないと思いつつ、中々難しい
問題もあるところで、そういう作品をどのようにアピールさ
せるかも問題のように感じられた。
 また、コンペティションに出品された『テン・ウィンター
ズ』『永遠の天』を筆頭に、各国の現代史を描いたような作
品も多く観られたが、これも他国民の目で観ていると理解は
できても、そこに思い入れが生じるまでには至れないものが
多く、そこに当時のニュース映像などが挿入されても他国民
の目では何らノスタルジーも生じなかった。そこには映画の
作り手の技量に掛かる面もありそうだが、これが他国民にも
アピールできる作品になれば素晴らしいと思えたものだ。
 この他の運営面では、一部に上映開始時間が遅れるなどの
トラブルはあったが、概ね問題はなかったように思えた。た
だし、例年会場近辺で配布される日刊の新聞があるのだが、
その4日目が当日の朝に品切れになっていた。聞くと、前日
の夕方から配布が始まっていたのだそうで、そこに何か人気
作品の記事でもあったのか、本来の配布日の朝には無くなっ
ていたものだ。
 例年なら最終日まで全ての日付が残っていたものだが、発
行部数を絞ったのかそういう事態になっていた。このため例
年はコレクションを完成させるために、最終日には鑑賞する
映画はないのに会場まで行っていたのが、どうせ不完全なら
わざわざ行くことはないという気分にもなってしまった。
 それに、例年の新聞は前日の記者会見の報告など生の情報
も入っていたものだが、今年はどの記事も事前に書かれたこ
とが見え見えのものばかりで、特に各紙の記者による星取表
も無くなっていたのが残念なところだった。恐らくこれは、
経費の削減で生の記事を取材して編集する人員を削除したも
のと思われるが、これでは日刊を出していることの意義にも
疑問を感じてしまうところだし、何かインチキをされている
ようにも感じられたところだ。
 世界不況の折りから、いろいろ運営上でも難しいものには
なっているのだろうが、来年は1985年の第1回開催から25周
年を迎える節目でもあるし、例年にもました華やかな映画祭
を期待したいものだ。



2009年10月23日(金) 第22回東京国際映画祭・コンペティション以外(2)

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※このページは、東京国際映画祭での上映作品の中から、※
※僕が観て気に入った作品を中心に紹介します。    ※
※以下はコンペティション以外の上映作品の紹介です。 ※
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『タンゴ・シンガー』(WORLD CINEMA部門)
アルゼンチンの出身で、ヨーロッパ映画の撮影監督としても
活躍するディエゴ・マルティーネス・ヴィニャッティによる
長編監督第2作。タンゴの歌声に載せて、ヒロインの失恋と
孤独が描かれる。
主人公は、4人組の男性バンドと共にタンゴを歌っている女
性歌手。物語の中では別の男性から最近振られたらしく、何
度も電話を掛けては留守番電話のメッセージに落胆する姿が
描かれる。
それとは別に彼女には、その実力が認められてクラシック専
門の劇場から出演の依頼が来ていたりもする。そしてその依
頼には、自らの実力に不安も隠せない主人公だったが、そん
な時に相談する相手も彼女にはいないようだ。
そんな主人公が入水自殺を図ったり、救出された海岸の近く
でパン屋の修業をしたり、そこに通ってくる地元の教師に恋
心を打ち明けられたり、地元カフェで歌ったり…といったエ
ピソードが綴られて行く。
とは言うものの、それらのエピソードが、最近流行りの時間
軸を入れ替える手法でばらばらに提示されてくるのだが、そ
れがまたちゃんとは整理されていないから、物語はかなり混
乱して判り難いものになってしまっている。
それに折角のタンゴの歌声が、それは主演女優自らの声で収
録されているのだが、その歌唱力に多少難があるのも辛いと
ころ。監督自身が「完璧さは求めなかった」とはしているも
のの、やはり聴いていて気になったものだ。
ただしそれを補って余りあるのが、彼女のマエストロとして
登場する老齢の男性歌手で、彼が劇中で歌うときのその歌唱
力、表現力には圧倒された。もう1人登場の男性歌手は口パ
クだったようだが、このマエストロの歌声だけでも聞く価値
はあるものだ。
因に、この作品はその男性歌手に捧げられていた。

『タレンタイム』(アジアの風部門)
昨年の映画祭で『ムアラフ−改心』という作品が上映されて
スペシャル・メンションを受賞し、今年7月に急逝したヤス
ミン・アフマド監督の遺作。
「タレンタイム」と名付けられた学内でのタレントオーディ
ションを巡って、その本選に出場する生徒たちとその家族の
物語が展開される。そこにはマレーシアという国家を背景に
して、民族や宗教などいろいろな問題が絡んでくる。
主人公は、そこそこ裕福な感じの一家に暮らす長女。いろい
ろ口うるさい妹はいるけれど家庭環境などに問題はない。そ
して彼女はかなり大人びた感じのピアノの弾き語りで本選に
臨むことになる。
その他の本選出場者には、自作のギター弾き語り曲で出場が
決まった男子や、見事に二胡を演奏する男子などもいるが、
この2人はお互いをライヴァルとしてかなり緊張した雰囲気
も漂っている。
そしてそのオーディション期間中は、出場者には生徒運転の
バイクによる送り迎えが付くのだが、主人公の女子を迎えに
来たのはギター弾き語りの男子とも仲が良い無口な同級生だ
った。
学校主催の行事なのに賞金が出たりとか、日本だとあまり考
えられない話もあるが、全体的にはユーモアや深刻な事態な
どが絶妙に織り込まれた物語が展開される。そこには日本人
には疎い宗教の問題も絡むが、それは劇中でもそれなりに理
解できる範囲ではある。
それと本作では、出場する生徒たちの演奏の素晴らしさが最
大の魅力の一つでもあって、それぞれが見事な演奏を繰り広
げている。映画祭の情報だけではそれぞれがどのような経緯
で選ばれた俳優なのか判らないが、それは素晴らしかった。
因にエンディングクレジットによると、演奏される楽曲はほ
とんどがこの映画のためのオリジナル曲だったようだ。

『愛してる、成都』(アジアの風部門)
中国四川省の成都を舞台に、当地を襲った大地震を背景とし
た過去未来2つの物語が、それぞれ香港のフルーツ・チャン
監督と、中国ロック界の父とも呼ばれるミュージシャン=ツ
イ・ジエンの初監督挑戦で描かれる。
なお、元々は11月に日本公開される韓国ホ・ジノ監督による
『きみに微笑む雨』を含めた3話構成で企画されたが、ホ作
品が独立した映画となったため、本作は2話で78分の短めの
作品になっている。
その第1話は、2029年を背景にした未来もの。雑踏で父親と
逸れ、その後の2008年3月の大地震で養父も失った少年と、
その大地震の時に少年に命を救われた少女。しかし2人の再
会は思いも寄らぬ出来事がきっかけとなる。
ロックはカンフーに通じるところがあると考える師匠の許、
修錬に励んでいた少年が訪れたライヴハウスで、少年はやく
ざといさかいを起こす。そして支配人に大怪我を負わす。そ
の監視映像で少年を確認した少女は支配人の従姉妹だった。
そして第2話は、1976年が背景。その町の茶店は歴史のある
名店だったが、そこで培われた伝統の文化も共産主義体制下
で終えるかも知れなかった。そこに革命前の店の持ち主が戻
ってくるまでは…
その前店主は、ウェイトレスの少女に長壺と称する2尺以上
の長い注ぎ口を持つヤカンの使い方を伝授する。そして茶の
真髄を伝えて行く。しかし革命支持者たちはそれが気に食わ
ないようだ。
2作品に繋がりがあるものではない。どちらもお話自体は他
愛ないものだし、映像的にもさほど驚くようなものもなかっ
た。ただお話としてはそれぞれに面白い部分もあり、もう少
し膨らまして、ホ監督作品と同様の独立した作品として観せ
てもらいたい感じは持った。

『心の森』(natural TIFF部門)
スウェーデン北部の森林を舞台に、その樹上に家を作ろうと
する3人の男性と1匹の犬を撮影したドキュメンタリー。
元々スウェーデンには樹上に食物などの保存庫を作る風習は
あったようで、その伝統などを検証しながら樹上の家の建設
に着手する。
ツリーハウスというのは、日本も愛好家が居るように世界中
にあるものと思っていたがそうでないようで、本作の中では
役所に許可を求めたら前例が無いから勝手にやっていいとい
う話になっていた。もっとも日本でも個人の敷地内なら許可
は不要なのかな?
そんな樹上での建設の日々の記録映像に併せて、作家やジェ
ンダー研究家や宗教家などへのインタヴュー、さらにスウェ
ーデン人のノーベル文学賞受賞作家がむかし住んでいたとい
う森林地帯の住まいを訪ねる映像などが挿入される。
その中では、家にはポーチがあるべきだ…など都会の集合住
宅との対比が語られる部分もあって、いろいろな面からの人
間と森との関わりが検証されて行く。お陰でツリーハウスに
もポーチが付くことになる。
ということで、樹上の家が出来るまでが描かれるものだが、
作品中では特にこれといった事態が起きる訳でもないし、被
写体は森林がほとんどで、森の静かさと同様に淡々とした作
品と言えるものだ。それに最後にはちょっと幻想的な映像も
観られた。
ただしこの家は、樹齢100年以上とされる松の木に作られる
のだが、この樹がかなり真っ直ぐに生えているもので、余り
どっしりという感じではない。それで恐らく縦方向の強度は
計算されているのだろうが、横風を受けたときにどうなるこ
とか。
画面では家の作られた位置が地上からはかなり高いようにも
見え、ここに風を受けると梃子の原理で根元に掛かる力は相
当になるはず、その辺が多少心配にはなった。

『カンフー・サイボーグ』(アジアの風部門)
『トランスフォーマー』から着想したと思われる香港製VF
Xアクションコメディ。危険な任務を人間に代って遂行させ
るために開発されたロボット警官の第1号を巡る物語。
主人公は職務に忠実な熱血型の刑事。ある日のこと彼の相棒
として新たに人工知能を装備して開発されたロボット警官の
第1号が配属される。ただし、その警官がロボットであるこ
とは機密条項とされ、その事実を知るのは彼だけだった。
そんなロボット警官は途轍もない能力を発揮して任務を遂行
して行くのだが、一方、占い師にデザインさせたというルッ
クスでは婦人警官たちの人気の的にもなって行く。
そんなロボット警官がうらやましくもある主人公だったが、
そこに同じく開発されたばかりのロボットが逃亡したとの連
絡が入る。その逃亡ロボットは、「人間がその造り主の神を
疑うのなら、ロボットも人間を疑う」と言い放ち人間に闘い
を挑んでくる。
基本的にはロボット3原則に縛られているようではあるが、
そこに神との問題を絡めてきた辺りは中々なものだ。ただそ
のお話は別としてVFXでは、ロボットから乗物に変身する
などの展開は如何にも香港映画という感じで、ニヤニヤしな
がら観てしまった。
ただ、完全なハッピーエンドにしないのは最近のオタク文化
の悪影響も感じるところで、そんなウジウジした話は日本ア
ニメだけで沢山だという気分にもなる。娯楽映画は普通にハ
ッピーエンドで良いと思うのだが…
主演は、『レッドクリフ』にも出ていたフー・ジュンと、人
気歌手でもあるアレックス・フォン。監督は、『カンフー・
ハッスル』のプロデューサーで、チャウ・シンチーの盟友で
もあるジェフ・ラウが担当している。
なお、映画の中はロボットという言葉が主に使われていて、
邦題の『サイボーグ』には多少引っ掛かるところだが、もし
かすると…というところはあったようだ。

『青い館』(アジアの風部門)
『ゴースト』や『シックス・センス』に代表される現世で彷
徨う霊魂を描いた作品。
主人公はパイナップル王とも呼ばれた大物実業家。大掛かり
な企業合併も目論見、働き盛りだったその男が急死する。し
かも彼は、その直前に自分の家督をそれまでビジネスには余
り関ってこなかった長男に継がせると決めていた。その決定
が波紋を広げて行く。
そんな中での葬儀が開始されるが…本作の舞台はシンガポー
ル。そこで葬儀自体もキリスト教や道教などいろいろな宗教
が絡んだ支離滅裂なものになって行く。その一方で、警察が
死因に疑問があるとして乗り込んでも来る…
その警察の捜査を主人公が見守るという展開で物語が進んで
行く。そして生きている人間には見えない主人公は、いろい
ろな家族の秘密を知って行くことになる。それは最初こそ主
人公の思惑通りだったが、やがて事態は思いも拠らない方向
に向かって行く。
映画全体はコメディだが、何せテーマが葬儀だからかなりブ
ラックな感じの笑いが提供される。特に宗教に絡む辺りは、
宗教に思い入れの無い僕には秀逸にも感じられた。もっとも
宗教を知っていると、当り前に笑えるのかも知れないが。
それと、脚本では生きた人間には見えないはずの主人公と周
囲の人々との応対が巧みに取られていて、あたかも対話をし
ているように情報が伝えられるが、それでいながら会話は成
立していないというのも見事な構成だった。
監督は、1999年サンダンス映画祭への出品作でシンガポール
映画を世界に出したと言われるグレン・ゴーイ。長編作品は
それ以来の第2作だそうだ。
もしかすると霊魂が見えているかも知れない人物がいたり、
後半にはかなり怪奇なシーンもあったりと、展開もヴァラエ
ティに富んでいて純粋に楽しめた。

『法の書』(アジアの風部門)
イスラムと西欧との異文化交流を、ほろ苦いタッチで描いた
作品。
主人公はイラン人で外交交渉などにも当っている中年男性。
ある日ベイルートで開かれる会議に代表団の一員として出席
した主人公は、菜食主義に固執する団長の行動に辟易して夜
の街に外出し、そこでフランス料理店を営む女性と出会う。
その後、彼女が通訳として会議の席に現れたことから、主人
公には彼女が忘れられなくなり、付き合いを深めて求婚。彼
女はそれまでキリスト教だった宗教を改宗し、主人公が女系
家族と一緒に住むテヘランの家に嫁いで来る。
ところが白人の彼女がコーランの教えに固執しすぎたことか
ら、家族との間に軋轢が生まれ始める。それは彼女が「法の
書」に忠実に従っているだけのことだったのだが。
本作はイラン映画で、監督は元々はドキュメンタリーを撮っ
ていた人のようだが、まあかなりイスラム教にも辛辣に見え
る作品で、イランをイスラム原理主義の国だと思っていた者
としてはかなり驚きだった。
特に前半では、代表団の団長が主義を守ろうとしているのに
それに抵抗している団員たちの姿や、後半では「法の書」を
忠実に守ろうとする女性が出会う抵抗、さらに、その「法の
書」を逆手にとって彼女を追いつめて行く家族の姿には、邪
揄以上のものも感じられた。
でもまあこういうものが正々堂々と作られるということが、
国が正常に動いているという証明にもなるのだろう。そんな
イランの現状が見られる作品とも言えそうだ。
なお、物語の中では「ハーフェズ」の詩が多数引用されてい
てその偉大さを理解できると共に、その用法は多少違うが、
以前の東京映画祭でその名前を聞いていた者には親しみも感
じられる作品だった。

『よく知りもしないくせに』(アジアの風部門)
7月に『アバンチュールはパリで』を紹介したばかりの韓国
ホン・サンス監督の新作。
サンス監督というと、2000年の本映画祭で特別賞を受賞した
『オー・スジョン!』が印象に残るもので、その後も2006年
『浜辺の女』がコンペティションに出品されるなど関りは深
い監督だ。
その新作は、2006年の作品と同様に映画監督を主人公にした
もので、映画祭の審査員に招かれたアート系の映画監督が、
後輩なのに自分より売れている監督との確執や過去の女性と
の再会など、いろいろなものに翻弄される姿が描かれる。
物語は、監督自身の体験に基づいているのかと思える部分も
あるが、全てではないだろうし、特に映画の本筋となる部分
は創作なのだろう。かなり皮肉も込められた切ない物語が展
開されて行く。
でもまあ、映画の全体はいつものサンス監督作品らしく、緩
くて、どちらかと言うと観客にはどうでもいいような話が進
むものだ。そしてそんな中に、ちょっとニヤリとする部分が
あるのがこの監督の魅力というところだ。
因に、サンス監督は事前に脚本を用意せず、その日毎に書い
たメモを出演者に手渡して撮影を進めるという話を聞いたこ
とがあるが、本作の物語でもメモが使われているのには僕が
ニヤリとしたところだ。
出演は、『浜辺の女』にも出ていたキム・テウとコ・ヒョン
ジョン。他に『グッド・バッド・ウィアード』に出演のオム
・ジウォン、2008年1月に紹介した『裸足のギボン』に出演
のコン・ヒョンジンらが共演している。
なお本作は、今年のカンヌ映画祭監督の週間にも出品されて
いたようだ。ということは、アジアの風よりWORLD CINEMA部
門でも良かった作品のようだ。

『旅人』(アジアの風部門)
フランス在住の韓国系女性監督ウニー・ルコントによる自伝
的な作品。
因に本作は、フランスと韓国の両国間で結ばれた映画共同製
作協定に基づき、両国政府から支援の得られる施策の適用第
1号に選ばれたものだそうだ。このため本作の製作には、フ
ランスのカナル+と、韓国からは『シークレット・サンシャ
イン』のイ・チャンドン監督が製作総指揮の立場で参加して
いる。
1975年、9歳の主人公は父親の手でカトリックの修道院が運
営する孤児院に預けられる。しかし、父親に捨てられたこと
が信じられない彼女はその境遇に馴染めず、規則への抵抗や
脱走を繰り返すが、現実は厳しい姿を見せつける。
そんな中でも彼女に話し掛けてくる少女やさらに不幸な境遇
の少女の姿を見て、彼女自身も徐々に変って行くが…。それ
はまた里子に出されて行く少女たちとの別れの繰り返しでも
あった。そして、彼女自身もいつしか新たな旅立ちを夢見る
ようになって行く。
監督自身、1966年ソウル生まれで、9歳の時にフランスに渡
り、以後プロテスタントの家庭に引き取られて育ったという
ことだが、そんな彼女の人生に深く関る作品であることは確
かなのだろう。
そして彼女自身は、女優としてまた衣装デザイナーとして数
多くの映画作品に関り、その後にフランス国立映像音響芸術
学院で脚本ワークショップに参加して作り上げたのが本作と
のことだ。
災害や戦災での孤児というのは日本でもあり得るし、親が困
窮して子供を捨てるというのもあるかも知れないが、この主
人公のような状況は余りにも哀しい。もちろんそれが真実か
どうかは、監督にも判らないのだろうが…自分が子を持つ親
として心が痛んだ。

『バーリア』(WORLD CINEMA部門)
『ニュー・シネマ・パラダイス』のジョゼッペ・トルナトー
レ監督の最新作で、本年ヴェネチア映画祭のオープニングを
飾った作品。
イタリアのシチリア島パレルモ市の郊外に位置するバゲリー
ア。地元の人は親しみを込めて「バーリア」と呼ぶその町を
舞台に、1930年代から80年代に至るこの地の激動の歴史が、
その地に生まれ育った監督の手で描き出される。
その町には、教会に繋がる数100メートルの街路があった。
その街路を中心に物語は描かれる。そしてプロローグでは、
買い物を頼まれた少年が街路を懸命に走り、やがてその街路
を見下ろす夢のような展開となるが…
その少年は、家族のために羊を追う仕事に従事して苦労をし
たり、その羊を追って訪れた山の上では1個の石を1投で3
つの岩に当てると財宝が手に入るという伝説を聞いたり、さ
らには黒シャツ隊に抵抗する共産党員となったり…という人
生を送って行く。
その一方で、家族との暮らしも彼の人生にしたがって浮き沈
みが繰り返されて行く。
出演者は新人が中心のようだが、中には監督の『マレーナ』
に主演したモニカ・ベルッチが顔を出したりもしていたよう
だ。また、音楽を大ベテランのエンニオ・モリコーネが手掛
けている。
プロローグでは小さな町だった「バーリア」が、徐々に発展
し大きな町になって行く。しかしその発展は人々にどのよう
な幸せをもたらしたのか。そんなことも含めた近世イタリア
史が描かれていた。
なお、映画に登場する「バーリア」の町並は全てセットだそ
うで、その準備には9カ月、建設には1年が掛けられ、撮影
は25週間にもおよんだそうだ。上映時間2時間45分、さすが
名匠の渾身の1作という作品だ。



2009年10月20日(火) 第22回東京国際映画祭・コンペティション以外(1)

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
※このページは、東京国際映画祭での上映作品の中から、※
※僕が観て気に入った作品を中心に紹介します。    ※
※以下はコンペティション以外の上映作品の紹介です。 ※
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
『石油プラットフォーム』(natural TIFF部門)
カスピ海油田を採掘する巨大な海上基地(オイルロックス)
の歴史と現在、そして未来を描いたドキュメンタリー。
1945年に試掘が始まったカスピ海油田は、1949年に初めて油
井が掘り当てられ、それから60周年が迎えられようとしてい
る。そんな石油採掘基地には今も2500人の人員が働いている
そうだ。
その基地には、往時には陸地から延長300kmにも及ぶ架橋が
なされ、大型トラックも運び込まれたが、歴史の流れに翻弄
されて今は橋も崩壊し、人々は船で6時間掛けて移動してく
るようだ。そして基地では3交代のシフトで昼夜兼行の作業
が行われ、10日働いて3日の休み、その休みの日には陸地ま
で帰る人も多い。
そんな基地は、開設当初は共産政府の管理の許、委員会の指
導で作業が行われ、その委員会の指導者として開設当初から
働いてきたという女性などが登場し歴史が語られて行く。そ
こにはフルシチョフの来訪やボリショイ劇場の公演なども行
われ、その記録フィルムなども紹介される。
それにしても、世界最初、そして恐らくは最大規模の石油採
掘基地の偉容はかなりの迫力で映像に納められていた。しか
しその施設も老朽化が進み、60周年を目指して改修も進めら
れているが、折りからの不況でその先行きも定かではなく、
さらに後20年で油田が枯渇するという現実も重くのしかかっ
ている。
市場経済化で世界に出てみたら国営企業の採算度外視の経営
でコストが掛かり過ぎていたとか、その後の石油の高騰でそ
れでも採算が取れてしまったとか、いろいろ興味深い情報も
多く、基地自体の映像と共に楽しめる作品だった。誰かここ
を舞台にアクション映画を撮ってくれないかな、そんな気分
にもさせられた。

『つむじ風食堂の夜』(日本映画・ある視点部門)
吉田篤弘の原作から、『地下鉄(メトロ)に乗って』などの
篠原哲雄が監督した作品。雪の舞う北の町の小さな大衆食堂
を舞台に、そこに偶然足を踏み入れた主人公と常連客たちと
の交流が描かれる。
物語は6つの章立てで進められ、それにより主人公の人とな
りなどが徐々に明らかにされると共に、常連客たちとの繋が
りも深まって行く。
そしてその各章の物語は、静かなタッチではあるが情感の込
められたもの。宣伝文にはノスタルジックファンタシーとあ
ったが、正にそんな感じの物語が『地下鉄…』より静かに進
められる。まあ、地下鉄より騒がしいことはあまりないとは
思うが。
主演は、八嶋智人、共演は元宝塚の月船さらら、他に下條ア
トム、田中要次、生瀬勝久らが脇を固めている。さらに主題
歌を担当した歌手のスネオヘアーもぎこちない演技で登場す
る。
舞台劇をそのまま観ているような感覚の作品で、映画の途中
には合成なども使われるが、それもスクリーンプロセスでも
使えば舞台でも実行できるものだ。ちょっと大げさな感じの
演出も、そうと理解すれば気にはならないだろう。
物語の中には「二重空間移動装置」なるものが登場して、空
間だけでなく時間も移動してみせるが、それも解釈のしよう
でSFと呼ぶほどのものではない。でもまあファンタシーと
言えばそうとも言えるものだ。
物語の中にはちょっと変な古本屋が出てきたりもして、その
辺りは昔ながらの本好きには心地よさも感じられた。全編が
函館にロケされているらしい街角の映像も美しく捉えられて
いた。

『イニスフリー』(natural TIFF部門)
1952年に公開されたジョン・フォード監督作品“The Quiet
Man”が撮影されたというアイルランドの田舎町に取材した
ドキュメンタリー。
東京国際映画祭では環境問題をテーマにしたnatural TIFFと
いう部門があり、そこで上映された作品だが、テーマが映画
ということもあって気にはなったものだ。でも何と言うか製
作意図の判らない作品だった。
もしかしたら、制作者たちの意図は50年以上も前に撮影され
た映画の中の風景と、現状との対比をさせたかったのかも知
れないが、見事に50年前がそのまま残された風景は、対比の
させようもないものだった。
確かに映画の中で主人公が到着する鉄道駅のレールなどは錆
びてはいたが、その他の田園や草原などは見事に50年前のま
ま。僕にはその保存が叶った理由も知りたかったが、制作者
たちの意図はそこにはなかったようだ。
それで映画にも出てくる町のパブでの思い出話となるのだが
…これが何というか正に老人の酔っ払いの繰り言という感じ
で、観ていて微笑ましくはあるが、「ジョン・フォードはア
カデミー賞を取ったが、ジョン・ウェインは取れなかった」
など何度も繰り返されると、いい加減うんざりもしてくる。
その他にも、子供たちが“The Quiet Man”のストーリーを
リレーで語ってくれるというシーンもあるのだが、それが町
の伝統としてでも残っているかと思ったらそうでもないらし
くて、何か無理矢理覚えさせられているような口調には、退
いてしまう感じもした。それに映画の結末までばらしてしま
うのは、いかがなものか。
ただし本作のエンディングで、女の子がアイリッシュダンス
を踊っているシーンには、少しほっとさせられるところもあ
ったもので、こんな感じがもっと作品の全体に出ていたら良
かったのにとも思えた。

『キング・オブ・エスケープ』(WORLD CINEMA部門)
今年のカンヌ映画祭監督週間で上映されたというアラン・ギ
ロディ監督の最新作。
ゲイの中年男が16歳の少女に恋をするという…常識では考え
られない物語を通して、自分を変えられるかというテーマに
挑んでいるそうだが、ゲイがテーマということでは、僕は主
人公に感情移入も出来ず、作品に没入できないまま終わって
しまった。
主人公は田舎町でトラクターのセールスマンをしているが、
あまり熱心でもないし、それに折角のゲイ仲間の得意先も営
業区域の線引きで、他の同僚に取られたりもしてしまう。そ
の上、営業成績が上がらないと詰られては…
そんな主人公が一夜の男を探して夜の町を彷徨う内に、1人
の少女が4人の男に囲まれているのを目撃する。そしてその
少女を助けるのだが、彼女は主人公の上司の娘だった。そし
て家に送り届けた主人公に、少女は恋をしてしまう。
こうして、中年ゲイ男と少女の恋という不可能な恋物語が始
まるが…元々が未成年との異性交友は御法度な上に、彼自身
がその恋に応えられるかという問題もある。それでも主人公
は自分を変えねばと意志を貫こうとする。
まあ物語自体はそれなりに作られているし、田園風景や野外
でのセックスシーンなど大胆な描写もある作品ではあるのだ
が、如何せんゲイテーマと言うことで、しかもかなりメタボ
な男の裸体が出てきたりすると、そういう気のない者として
は正視もし辛いものだ。
でもまあ、その手の趣味の人にはこれで良いのかな、その辺
は僕には理解できなかった。

『TOCHKA』(日本映画・ある視点部門)
僕が、ゲイテーマに続いて退いてしまうのが自殺テーマとい
うことになるが、本作は父親が自殺したというトーチカを訪
れる男性を主人公とした作品。
根室半島の海岸で撮影されたトーチカは、戦争では何の役に
も立たなかったが、子供たちに遊び場所は提供してくれたよ
うだ。しかし彼の父親がそこで自殺してからは、子供たちが
そこで遊ぶこともなくなったという。
そんな思い出を語る男性と、研究のためトーチカの撮影に来
たと称する女性の会話で物語は展開されて行く。ただし女性
の行動にも、トーチカの窓と持参のスライドを丹念に比較す
るなど、何か不自然なところもある。
最初に書いたように自殺テーマも好きではないが、この作品
では菅田俊の演じる男性の行動に尋常でない迫力があり、そ
こには映像に引き込まれるものがあった。その迫力の映像だ
けで観せ切られてしまったようなものだ。
ただし、元がSDで撮影されたらしいスタンダード画面の映
像は、上映の行われた劇場の2KのHDプロジェクターとは
相性が悪いらしく、特に画面が上下左右に動いたり、被写体
に動きがあると画面が大幅に乱れた。
以前にSDの画像でも事前にイマジカなどでHDに変換すれ
ばそれなりの映像になると聞いたことがあるが、SDの信号
をそのままプロジェクターに入れたのではこの程度にしかな
らないようだ。
それなら劇場に併設されていたSDのプロジェクターで上映
してくれた方がまだましだったようにも思えるが、その辺の
気は廻らなかったのかな。これでは観客に観せる映像ではな
いようにも思えた。

『シングル・マン』(WORLD CINEMA部門)
この作品は、ゲイの自殺がテーマとなるもので、この日は、
『キング・オブ・エスケープ』→『TOCHKA』→本作と
続けて観ることなり、何だか3段落ちのような感じになって
しまった。
物語はキューバ危機さなかのアメリカ西海岸が舞台。主人公
はそこの大学に務めるイギリスから来た英文学の教授。彼の
同居人だった建築家の男性が交通事故で亡くなり、悲嘆した
彼は自殺を思い詰めるようになる。そしてその準備を淡々と
進めて行くのだが…
原作は1964年に発表されたクリストファー・イシャーウッド
の小説。それを著名なファッション・デザイナーであるトム
・フォードが自ら脚色し、初監督作品として製作された。因
にフォードは“Quantum of Solace”に衣装を提供している
他、2001年“Zoolander”には自身の役で出演もしていたよ
うだ。
また、本作は今年のヴェネチア映画祭のコンペティションに
出品されたもので、その際、主演のコリン・ファースが男優
賞を受賞している。共演はジュリアン・モーアと、2010年公
開予定のリメイク版“Clash of the Titans”にも出演のニ
コラス・ホルト。
ゲイで自殺がテーマの作品ではあるが、主人公の悲しみには
彼の性癖を超える普遍性があるし、映画の全体にはそれを乗
り越えていこうとする希望も見える。異業種の人の初監督作
品で、観るまではいろいろ不安もあったが、観終えての満足
感は高かった。
ただし、画面が妙にざらついた感じなのは時代感覚を出すた
めの演出かも知れないが、それが功奏しているようには感じ
られず、かえって違和感が強く残った。その辺は本業ではな
いことの弱点だったかな。おそらく撮影後の処理と思われる
が、もっときれいな画面で観たかったものだ。
なお本作の上映は、トム・フォードの日本事務所の協力で実
現したものだそうで、映画の日本公開は未定のようだ。

『ザ・コーヴ』(追加上映)
今年の東京国際映画祭では一番の問題作と言えるかも知れな
い作品。和歌山県太地町で行われているイルカ漁を告発する
ドキュメンタリー。
イルカは、アメリカでも1960年代のテレビ番組“Flipper”
のお陰で爆発的に人気が高まり、今でも全米各地の海浜型リ
ゾート地にある水族園では、大きなプールで行われるイルカ
のショウが欠かせないものになっているようだ。
しかしイルカは聴覚が極めて優れた生物で、ショウでの観客
の喝采などが苦痛に感じられているはずだという…と言いな
がら、作品はそのイルカのショウを止めさせるというのでは
なく、そのイルカの供給元である和歌山県太地町に矛先が向
けられる。
そこは沖合にイルカが通る道があるという場所で、シーズン
になるとその通り道を騒音で遮断する追い込み漁が行われ、
入り江に追い込まれたイルカを買い付けに世界中の水族園か
ら依頼された業者がやってくる。
しかしイルカは全頭が買われる訳ではなく、当然売れ残りも
出る。そしてその売れ残ったイルカは屠殺されてクジラ肉と
して出荷されて行く。日本の食品店などで和歌山産の生食用
クジラ肉とされているのは、ほとんどがイルカの肉だと言う
ことだ。
そして、その立入禁止で厳重に警備されているという入り江
で行われるイルカ屠殺の模様を撮影するために、岩に偽装し
た隠しカメラや小型飛行船カメラの製作など本作のスタッフ
たちによる大作戦が繰り広げられる。
その一方で、国際捕鯨委員会(IWC)での日本政府の暗躍
や、日本に支配され掛かっていると主張されるIWCの会議
場へ直接抗議に出かける本作の制作者たちの姿などが写し出
される。さらに売られているイルカ肉への水銀蓄積の問題な
ども指摘される。
ただまあIWCでの日本政府の多数派工作については、以前
にアメリカが反捕鯨の立場で行ったことを日本が踏襲してい
るだけなのに、そのアメリカが行ったことには口を噤んだま
まだし。最初にも書いたようにアメリカでの反イルカショウ
の動きなどがほとんど紹介されないのは、何とも恣意的な作
品にも見えてしまうところだ。
なお本作に関しては、出品の申し込みに対して当初は作品の
出来などを判断して却下されていたものだが、その後にアメ
リカなどで抗議騒動が起こり、急遽追加上映が決められたも
の。内容的には大した作品ではないが、話題性はあったのだ
ろうか。

『エリックを探して』(WORLD CINEMA部門)
2005年4月に『やさしくキスをして』などを紹介しているイ
ギリスのケン・ローチ監督による最新作。
プレミアリーグのマンチェスター・ユナイテッド(マンU)
でキングと呼ばれたサッカー選手エリック・カントナが自ら
出演し、カントナは本作の製作総指揮も務めていたようだ。
主人公はサッカーフリークの郵便配達。離婚や交通事故など
が重なって仕事にも覇気がなくなっている。しかも入院中に
彼の自宅には、前妻の連れ子たちが有象無象の仲間を引き入
れていて、何やら怪しい雰囲気にもなっている。
そんな中で、彼の仲間たちが素人セラピーを実行し、そこで
自分のカリスマがエリック・カントナであることに気づいた
主人公の前に、何とカントナ本人が現れる。そしてそのアド
ヴァイスで徐々に人生を変え始めるが…
ウッディ・アレン監督『ボギー!俺も男だ』のケン・ローチ
版とでも言えるのかな。『やさしく…』でもサッカーファン
だということは明確に判っていた監督だが、今回は選手本人
の出演も得て、華麗なゴールシーンの記録映像もふんだんに
取り込んだ作品になっている。
とは言え、深刻なイギリス社会の状況は、本作でも如実に描
かれているものではあるのだが…
元々サッカーチームのサポーターでもある自分としては、華
麗なカントナのプレーに酔い痴れることの出来る作品でもあ
るし、カントナが折々に放つ含蓄のある言葉には、一々頷い
てしまう作品でもあった。
でもまあ、それがサッカーが文化として根付いていない日本
では中々理解されないところもあるのだが、そこはサッカー
ファンでなくても理解できる夫婦や家族の問題もしっかりと
描かれているから、そういう面からでもアピールして欲しい
作品だ。
そしてカントナの華麗なプレーの連続に、映画の観客がサッ
カーも観たくなってくれると嬉しいものだが。

『麦田』(アジアの風部門)
2003年に中井貴一が主演した『天地英雄』などを手掛けてい
る中国の監督ハー・ピンによる新作。
秦の軍勢が魏を打ち破り趙を脅かしている時代の物語。とあ
る町を治めていた武将が、秦の軍勢が迫ると聞くや町の12歳
以上の男子の全員を率いて戦地へと赴いてしまう。それは麦
の穂が色づき始める頃のことだった。
そして女子供だけが残された町は、武将の妻とその妻が信じ
る巫女によって治められていたが、麦の刈り取り時期が近づ
いても男たちが帰還する様子はない。そんなとき2人の男が
町にやってくる。
実は、その2人の男は秦軍の脱走兵だったが、趙の女の前で
はそんなことは口が裂けても言えない。そこで口から出任せ
に趙の軍勢が秦を打ち破ったと語り始めるのだが…やがて真
実が女たちに知らされるときが来る。
要塞のような町を背景に広がる麦田を舞台に、真の男の勇気
とは何かが試される武侠物語が展開される。
物語の中で武将が赴くのは長平の戦いとなっているから紀元
前265年のことのようだ。その長平の戦いでは趙兵40万人が
殺害されたとのこと。日本はまだ弥生時代の頃に、中国では
このような戦いの物語が繰り広げられていたことになる。平
和ボケの日本とはよく言われることだが、戦いの歴史そのも
のが全く違うということだ。
主演は、『墨攻』『新宿インシデント』などのファン・ビン
ビン。上映時間107分は、多少物足りない感じではあるが、
それほど大掛かりな事件が起きる訳もないので、手頃な作品
ではあった。

『チャンスをつかめ!』(アジアの風部門)
ヒンディ映画界を背景にした若者たちの青春ドラマ。
最初に登場するのはデリーから来たという女性。とある映画
プロデューサーに認められ、「スターにしてやる」と言われ
るが、中々思うようには行っていない。そんな彼女の住むア
パートに3人の若者が暮らしていた。彼らもそれぞれ映画界
を目指していたが…
そんな彼女を含めた若者たちの群像劇が展開される。やがて
彼女と1人の若者の間には恋心が芽生え始め、一方、いろい
ろな経緯からスターへの夢を断念した彼女は、若者の写真を
主演男優が降板した企画のキャスティング担当者に託す。
元々バックステージものは嫌いではないし、インド映画とい
うことでは歌や踊りのマサラムーヴィの製作風景が描かれる
から、それは楽しいものになっている。ただお話し自体は、
この種の作品では在来りかなとも思えるが、それがまあ異文
化の中に活かされているという感じのものだ。
「ヒンディ映画のスターは歌や踊りも出来なくてはならない
から、ハリウッドスターより大変」という台詞や、「ボリウ
ッドという言葉は嫌い。ヒンディ映画界と呼んで欲しい」と
いう発言がある一方で、「ハリウッド映画のDVDを基に脚
本を書いた」などといった台詞が飛び出すなど、ヒンディ映
画界の実情はそれなりに反映されているようだ。
それに「映画界では何でもできる。ここにはカーストが無い
から」という発言には、そういう社会に住んでいない自分に
は、はっとさせられるところもあった。
なお映画の中で数人の男優が交互に語るシーンがあったが、
もしかするとヒンディ映画スターのカメオ出演なのかな。僕
には判らないが、ヒンディ映画が好きな人にはそれなりのプ
レゼントかと思わせるシーンもあった。



2009年10月18日(日) ビッグ・バグズ・パニック、ミレニアム/ドラゴン・タトゥーの女、ソウ6

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※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※
※僕が気に入った作品のみを紹介しています。     ※
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『ビッグ・バグズ・パニック』“Infestation”
俳優/監督のメル・ギブスンが設立したIconプロダクション
の製作で、突如巨大昆虫群に襲われた世界の終末を描くパニ
ック/コメディ作品。
主人公は、ちょっとメタボであまり冴えない感じの若者。元
軍人で厳格な父親が居たことによる反動か、何事にも覇気が
なく、亡くなった母親の伝でようやく採用された会社も遅刻
ばかりで仕事も満足に片付けられていない。
そんな主人公がいつも通りの遅刻で出社し上司に呼び出され
ると、案の定の首切り宣告。ところがその瞬間、異様な音で
周囲が満たされ主人公は気を失ってしまう。そして目が覚め
ると、身体は繭のように包まれその周囲を巨大な昆虫が徘徊
していた。
その繭を千切って脱出した主人公は、他の何人かも救出して
ビルに立て籠る。しかし電話も通じず、ラジオやテレビの放
送も跡絶えて全く情報が掴めない。そこで状況を打破するた
めの行動が開始されるのだが…
そこには巨大昆虫群の驚異だけでなく、狂信的な自警団など
の障害も待ち構えていた。その一方で巨大昆虫の弱点も掴め
てくるが、さらに衝撃の事態も明らかになる。
脚本と監督は、第2回のProject Greenlightで“The Battle
of Shaker Hights”という作品が選出されているカール・ラ
ンキン。元々短編監督だったようだが、受賞後にも短編を手
掛けて、本作は久々の長編第2作となっている。
物語は典型的なBムーヴィだが、さすが製作をIcon社が手掛
けただけのことはあるしっかりした内容のもの。登場人物た
ちの行動にもほとんど破綻は見られず、映画全体を納得して
鑑賞することが出来た。
また、続々と登場する人間大の巨大昆虫の描写も見事で、特
に俳優との絡みのシーンなどもよく出来ていた。因にVFX
は、『スターシップ・トゥルーパーズ』なども手掛けたP・
J・フォーリーの担当で、つまり巨大昆虫はお手のものとい
う感じのものだ。
主演は、今年5月に紹介した『ウィッチマウンテン』にも出
演のクリス・マークエット。他に、TVドラマ『4400』など
のブルック・ネヴィン、『24』などのレイ・ワイズらが登場
する。
因に、本作のアメリカ公開は未定のようだが、日本では11月
28日から銀座シネパトスなどで劇場公開される。

『ミレニアム/ドラゴン・タトゥーの女』
               “Män som hatar kvinnor”
本国のスウェーデンでは2004年に出版され、その後は全世界
40カ国以上で翻訳されて累計出版部数は1500万部を突破して
いるという世界的ベストセラー・ミステリーの映画化。
鼻ピアスと背中にはドラゴンの刺青という過激な出立ちなが
ら、その実体は天才ハッカーという新時代のヒロイン=リス
ベット・サランデルと、敏腕ジャーナリストのミカエル・ブ
ルムクヴィストのコンビが迷宮入りの事件に立ち向かう3部
作の第1話。
時事雑誌「ミレニアム」の看板記者ミカエルは、とある企業
の不正を暴くキャンペーンを仕掛けたが、彼が入手した情報
はガセネタで、被告席に立たされた名誉毀損の裁判にも敗訴
して窮地に陥れられる。
そして実刑の判決が出され、迷惑を掛けた出版社からも身を
退いて半年後の収監を待つだけとなった日、彼の許に40年前
に起きた女性の失踪事件を再調査して欲しいという依頼が舞
い込む。
それは財閥一族の末弟の娘が40年前の祭りの日に忽然と姿を
消したというもの。しかもその日は一族の住む島の唯一の出
入り口となる架橋が事故で閉鎖されており、島を出た形跡は
ないとされる一方で、島及びその周囲からも遺体は発見され
なかった。
そして再調査の誘いに乗ったミカエルはその島に赴き、警察
が40年間に集めた捜査資料など全ての資料の提供を受けて、
その中から真実を探し出す調査を開始するが…なかなか新事
実は発見できない。そんなとき1通のメールが重大なヒント
を提供してきた。
40年掛けて集められて古い資料に、インターネットなどを駆
使して得られる新たな情報が組み合わされて、徐々に事件の
全貌が明らかにされて行く。そしてそれは驚愕の事実を炙り
出して行くのだ。
原作本は日本では上下巻で翻訳されているようだが、映画化
も上映時間2時間33分という堂々たる作品になっている。し
かもこの長尺を全く飽きさせずにぐいぐいと引き付けて行く
のだから。その物語の迫力は尋常ではないものだ。
主人公たちは決してスーパーマンではないけれど、自らの能
力を最大限に発揮してことに当って行く、その小気味よさ。
そして宗教やヨーロッパが未だに癒し切れない歴史上の悲劇
など、いろいろな事実が折り重なって壮大な物語が繰り広げ
られて行く。
出演は、スウェーデンでは人気俳優というマイクル・ニクヴ
ィストと、ほぼ新人女優のノオミ・ラパス。特に肉体改造し
てまで役に挑んだラパスが見事だ。
なお、本作は本国の北欧では今年2月に公開されているが、
続く第2作の“Flickan som lekte med elden”(The Girl
Who Played with Fire)もすでに9月公開されており、さら
に第3作の“Luftslottet som sprangdes”(The Girl Who
Kicked the Hornet's Nest)も11月公開予定になっている。
その第1作の日本公開は正月第2弾の予定だ。
また本作は、クエンティン・タランティーノがリメイクを熱
望しているそうだ。

『ソウ6』“Saw 6”
2004年以来、毎年1作ずつ製作されるソリッド・シチュエー
ション・スリラーが第6作を迎えることになった。
今までも麻薬中毒患者など社会悪とされる存在に、その改心
の道を与えつつ鉄槌を加えてきたジグソウが、今回の矛先を
向けたのは保険会社の審査担当者。加入者に難癖を付けて保
険金の支払いを拒絶する連中がその対象となる。
そしてプロローグから、相手を出し抜き自分の身を文字通り
削ってでも勝ち抜かなければ生きては帰れない。そんな究極
のデスゲームが今回も展開される。
それに加えて本作では、ハリウッドで流行りのトリロジーの
2度目の区切りということもあってか、過去5作品の総集編
的な展開や、ジグソウから未亡人のジルに託された箱の中身
も明らかにされる。
出演は、第1作から登場してきたトビン・ベルとショウニー
・スミス、第3作からのコスタス・マンデラーとベツィ・ラ
ッセル、第5作からのマーク・ロルストンとサマンサ・リモ
ール。そして今回の標的役には、TV『リ・ジェネシス』の
人気者ピータ・アウター・ブリッジが扮している。
脚本は、第4作以降を手掛けてきたパトリック・メルトン、
マーカス・ダンスタンのコンビが今回も担当し、監督には過
去全作の編集を担当してきたケヴィン・グルタートが監督デ
ビュー作として抜擢されている。
この他、撮影のデイヴィッド・A・アームストロング、衣装
のアレックス・カヴァナ、音楽のチャーリー・クロウザーら
が再度結集している。因に、ヘヴィメタ・キーボード奏者の
クローザーは、『ソウ』第1作が映画には初めての直接参加
だったようだが、その後に『バイオハザード3』などを手掛
け、本作でも強烈な音楽を鳴り響かせている。
なお“Saw 7”も、同じくメルトン、ダンスタンの脚本、監
督には『ソウ3』『4』の装置デザインと第2班監督を務め
たデイヴィッド・ハッケルが起用され、来年1月撮影開始、
10月末の公開を目指して製作準備が進んでいるようだ。
(11月23日に掲載しました)
        *         *
 今週は前回にも書いたように東京国際映画祭の開催中で、
原稿を執筆する時間が取れないため、製作ニュースは割愛し
ます。
 また『ソウ6』に関してましては、今週行われた試写を観
ましたが、情報の公開が全米公開される11月23日まで規制さ
れていますので、その後に掲載することにさせていただきま
す。



2009年10月17日(土) 第22回東京国際映画祭・コンペティション部門(2)+まとめ

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
※このページは、東京国際映画祭での上映作品の中から、※
※僕が観て気に入った作品を中心に紹介します。    ※
※まずはコンペティション部門の上映作品の紹介です。 ※
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
『エイト・タイムズ・アップ』
題名は「七転び八起き」の諺から取られたというどん底に追
い詰められた女性の姿を描いた作品。
主人公は定職もなく、家賃の滞納で住まいも追い出されそう
になっている30代前半ぐらいの女性。就活はしているが、実
は資格も持たず職歴もあまりなくては思うような仕事にはあ
りつけない。
そこで深夜のバスの清掃やベビーシッターなど、誰でもでき
る日雇いの仕事で生活を続けているが、その収入では家賃も
満足に払えず、しかもその賃貸契約も正規の物ではないから
追い立てに対抗することもできない。
だが、住む家を無くすと離婚して親権も取られた子供に会い
に行くこともできなくなる恐れがあり…
もしかしたらそれまでは夫に頼りきりで、このような事態に
なることの準備は全く考えてもいなかったのかな。でもそう
でなくても、自分自身が生涯勤めると思っていた職場から突
然の解雇通知を受けた身としては、今のご時世こんな人も多
いのではないかとも思ってしまう。
それでも将来に悲嘆して自殺を図ることもなく、一部にそこ
に近付いて行く描写はあるものの、全体的には題名通りの精
神で前進を続けて行こうとしている。
フランスのホームレスの話では、今年1月に『ベルサイユの
子』という作品も紹介しており、そのギョーム・ドパルデュ
ーが渾身の演技を見せたその作品ほどにはドラマティックで
はないが、静かな中にも決意が感じられる物語が展開されて
いた。
監督と脚本は、本業小説家というシャビ・モリア、長編映画
の監督は初作品のようだ。また主演のジュリー・ガイエが、
製作と共同脚本も手掛けている。

『ロード、ムービー』
以前には日本でも行われていた映画の移動上映を背景にした
インド映画。
主人公は父親の商売を継ぐことに嫌気が差しており、近所の
映画館の取り壊しで出た資材を運ぶ仕事を引き受けて町を出
ていこうとしている。そして、家族にも見送られて6日間の
予定の旅に出発するが、その荷台には父親から託された商品
も積まれている。
行程の大半はインドの砂漠地帯。そこでまず立ち寄ったオア
シスのカフェで、ウェイターの少年に一緒に連れて行ってく
れと頼まれる。その後、トラックがエンストして少年は半日
掛けて初老の整備士を連れてきたり、ジプシー女も加わって
旅は続いて行く。
その中では、地元警察に捕って「詰らなかったら首吊りだ」
とアラビアンナイトのように脅されながら上映をしたり、夢
のようなカーニバルに行き逢ったり、井戸の権利を巡る争い
に巻き込まれたり…題名の通りのロードムーヴィが繰り広げ
られる。
幻想的な白い砂漠など、異国情緒たっぷりの中で展開される
ユーモアもたっぷりの物語。映画の上映シーンではインドの
マサラ映画へのオマージュもたっぷりと描かれている。そし
て最後にはハロルド・ロイドとキーストンコップも上映され
ていたようだ。
映画の中で映画の上映される作品はいろいろあるが、映画フ
ァンにはどれも心を引かれる作品が多い。本作では断片的に
上映されるマサラ映画は、インドでは名作かも知れないが日
本では見たこともないものばかり、それでも楽しくなってし
まうのだから…それが映画の魅力でもあるのだろう。
オープニングのタイトルも面白かったが、エンディングには
各国の映画のエンドマークが集められ、中には「終り」とい
う文字も見えたようだ。ちらっとそのタイトルも見える。そ
んなことも楽しめ、全体が映画ファンの夢のような作品だっ
た。

『NYスタテンアイランド物語』
1998年『交渉人』などの脚本家ジェームズ・デモナコによる
初監督作品。
ニューヨーク市の一部をなすスタテンアイランド。しかしそ
こは、天気予報も割愛され、市議会でも予算の計上が忘れら
れてしまうような…存在自体が無視されている場所。しかも
そこは以前から、マフィアが蔓延る場所としても知られてい
た。
物語は、その場所にシマを張る地元マフィアのボスを中心と
したもの。彼の家に強盗が押し入ったことから、ボスはスタ
テンアイランドの全域を自分のシマにすると宣言する。しか
しその考えに子分たちはあまり乗り気ではないようだ。
一方、その町で汚水の回収の仕事をしている男がいた。彼は
恋人との間に子供を欲しがっているが、その子供が自分と同
じような暮らしをすることは希望ではない。そんなとき訪れ
た病院で、遺伝子を改良して天才を生み出す研究のことを聞
いてしまう。
そしてもう1人。町の精肉店で働く初老の男。彼は裏ではマ
フィアが殺した遺体を闇に葬る処理を任されていた。しかし
彼はそんな仕事に嫌気が差しており、彼自身には暗殺者とし
ての腕もあった。
こんな3人も物語が交錯し、やがてボスの一大決心へと繋が
って行くことになるのだが…
映画の構成は、一つ一つの物語をちゃんと描きつつ、それが
時間を前後させて相互の関係を描いて行くもの。『バベル』
などでも使われた最近流行りの手法ではあるが、本作ではそ
れぞれが短編映画の様に作られていて、それなりに観られる
ようにもなっていた。その辺は脚本家の腕でもあるようだ。
3人の主人公を演じるのは、ヴィンセント・ドノフリオ、イ
ーサン・ホーク、そしてシーモア・カッセル。ベテラン脚本
家の初作品を祝うような顔ぶれが集まっている。
全体的にはユーモラスな作品で、結末にはちょっとファンタ
スティックな要素もあり、その他にもちょっと突飛な感じも
あって、その意味でも楽しめる作品だった。

『テン・ウィンターズ』
僕らが普段目にする「水の都」とはちょっと違うヴェネチア
を舞台に、1999年の年末から2009年の新春まで10回の冬を巡
る1組の男女の物語。
女は18歳、大学でロシア文学を学ぶために引っ越してくる。
その女の乗船したフェリーに乗り合わせた男は、一目で彼女
を見初めてしまい彼女の後を付けて引っ越し先の一軒家まで
来てしまう。そして2人は一つ屋根の下で一夜を過ごしてし
まうのだが。
正直に言って、この出だしで退いてしまった。フェリーの中
で目を交わしただけの男女がいきなりこれかよ…イタリア男
には普通のことなのかも知れないが、もう若者でもなく親の
世代の自分には、この最初のシーンだけで違和感が生じてし
まったものだ。
そして2人は翌日には別れ、その後10回の冬の訪れごとに何
故か偶然に巡り会って、そのたびにいろいろな別れが演じら
れて行くのだが…最初に違和感を感じるとその巡り会いにも
不自然さが拭えなくなって、とにかく全体が普通には観てい
られなかった。
もちろん映画は創作物だから、作者の考えで偶然の重なりは
有ってもいいが、最初のつまずきで僕には物語に入り込めな
かったものだ。
それを別にすると、この作品を観るまで考えもしなかったヴ
ェネチアの冬の厳しさや、女性の家の前に植えられ柿の木の
成長など、それぞれには観るべきところも有るし、古い町並
など映像的にも見所は有るのだが…
脚本監督は1978年生まれの新鋭とのことだが、次にはもう少
し現実に目を向けた自然な感じの作品を期待したいものだ。

『激情』
ギレルモ・デル=トロが製作者として参加しているスペイン
・コロムビア合作のスリラー作品。
マドリッドのとある邸宅で住み込みのメイドとして働くロー
ザは、町で会ったコロムビア人の肉体労働者ホセ=マリアに
恋をして、雇主が旅行中の邸宅で一夜を過ごすなど2人の仲
は進展して行く。
ところがちょっと粗暴なホセは、ローザの悪口を言った連中
に暴力で仕返ししてしまい、それが彼の働く工事現場の監督
に知れて解雇を言い渡される。しかも言い訳をしようとした
ホセは、誤ってその監督を殺してしまう。
このため行き場を失ったホセはローザの住み込む邸宅に忍び
込み、ローザにも知られないまま家人が登ることも希な3階
の部屋に隠れるのだが…。それは見付かったらローザにも被
害が及ぶ可能性もある危険な行為だった。
こうして一つ屋根の下に居ながら逢うこともできない2人の
生活が始まるが、電話で話をするなど、最初はうまく立ち回
っていたホセも徐々に居る場所がなくなり、危険な目にも逢
い始める。
同じデル=トロ製作では、昨年9月に紹介した『永遠のこど
もたち』もリアルな中にファンタスティックな雰囲気が漂う
不思議な作品だったが、本作でもそれに通じる感覚を得るこ
とが出来る。
脚本監督は、エクワドル出身のセバスチャン・コルデロ。物
語には原作があるようだが、漂うようなカメラワークなど映
像的にも優れた作品だ。因に監督の母国のエクワドルにはほ
とんど映画産業と呼べるものがないのだそうだ。

『永遠の天』
1992年から2000年代末までの変化を続ける中国を背景に、人
の愛を信じられない女性の真実の愛情を求める遍歴を描いた
作品。
物語の始まりは、レスリー・チャンが『覇王別姫』の撮影を
終えた頃のこと。11歳の少女の母親が家出をし父親が亡くな
る。その少女のそばには1人の少年がいたが、その少年も両
親の離婚で母親に連れられて去って行く。
そして少女は母親の親族の家に引き取られ、その家の息子か
らは姉のように慕われるが、その家でも父親の浮気で母親が
家出をし浮気相手が後妻としてやってくる。そんな一家の中
には愛情が芽生えない。
そんな人の愛を知らないまま育った少女が、それでも最初に
一緒に居てくれた少年の姿を追い求め…。しかしそこでも相
手からの愛を信じられない少女の苦悩が続いて行く。
先に紹介したイタリア映画の『テン・ウィンターズ』と同様
に、本作ではさらに長い期間の愛の遍歴が描かれる。しかも
本作ではその間に、北京オリンピックの招致や開催、映画ス
ターの自殺やSARSの蔓延などの歴史的な事件が彩りを添
えて行く。
イタリア作品がこのような歴史を背景にしなかった分、本作
では興味を引かれるかとも考えたが、ここに描かれる歴史的
事実のそれぞれが中国に特化される事象でもあり、僕には興
味を沸かせるほどにはならなかった。
そして物語は、その歴史を背景にしている分、波乱万丈なと
ころもあるのだが、それには多少行き過ぎに感じる部分もあ
り、かえって絵空事になって僕には真剣に取れない物になっ
ていた。
脚本監督は16歳で作家デビューを果たしたという女流のリー
・ファンファン。何となく日本のケータイ小説の映画化を観
ているような気分になったのは、その基が同じような世代の
作家の手になるせいだろうか。それを支持する日本の観客に
は受けるのかな。

『マニラ・スカイ』
フィリピンで起きた実話に基づくとされる社会に翻弄された
男性の姿を描いた作品。
プロローグは田園の道を歩いてくる男性の姿。その男性は学
校に行きたいせがむ息子に対し、「マニラの叔父さんの家に
行きそこから学校へ通え、そしてここへは帰ってくるな」と
言い渡す。
そしてマニラの街角、1人の男が港湾の荷役労働らしい職場
で監督官と言い争っている。彼の父親が病気が金が必要にな
り、収入の良い海外出稼ぎの登録に行きたいのだ。しかしそ
のために職を休んだら、次の職はないと告げられる。
それでも登録にやってきた男だったが、書類の不備でなかな
か受け取ってもらえない。そして路頭に迷った男は、俄作り
の強盗団に加わってしまうのだが…
フィリピン人の海外出稼ぎは、労働基準の厳しい日本以外の
韓国や中国では重宝がられていると聞くが、男が行く登録場
には如何にもそんな雰囲気の行列が出来ていた。しかし物語
はそれだけでは終わらないのだ。
脚本監督撮影は、フィリピンのインディーズ映画のパイオニ
アとも称されるレイモンド・レッド。フィリピン民衆の現状
をしっかりと見据えた物語が展開される。しかもここから先
が、本当に実話なの?と思わせるほどのもので、それは映画
としても見応えがあった。プロローグとエピローグを繋ぐ構
成も秀逸と言えるものだ。
因に、原題は“Himpapawid”、タガログ語で「空間、空気、
空、天」を意味する言葉で、英語の国際題名は“Skies”と
なっているものだが、アメリカで付けられた題名が“Manila
Skies”だそうだ。やはりこれは“Vanilla Sky”に引っ掛け
たのだろうか。
        *         *
 以上、コンペティション部門の作品15本を2回に分けて、
多少駆け足で紹介したが。僕の好みの作品は、『激情』が一
番かな。でも娯楽作品としての完成度が高すぎて、かえって
映画祭向きではないかも知れない。
 演技賞の男優は、同じく『激情』のグスタボ・サンチェス
・パラが群を抜いていると思うが、女優は一長一短、僕自身
は『エイト・タイムズ・アップ』のジュリー・ガイエが気に
入ったが、1人で長い年月を演じ切った『テン・ウィンター
ズ』のイザベッラ・ラゴネーゼの方が評価されるかも。
 この他、『ストーリーズ』『台北に舞う雪』『ACACI
A』『ロード、ムービー』などは作品として面白かった。ま
あ何れの作品もそれぞれに取り柄はあるように思えたものだ
が…。



2009年10月16日(金) 第22回東京国際映画祭・コンペティション部門(1)

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
※このページは、東京国際映画祭での上映作品の中から、※
※僕が観て気に入った作品を中心に紹介します。    ※
※まずはコンペティション部門の上映作品の紹介です。 ※
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
『ACACIA』
芥川賞作家でもある辻仁成による2002年『目下の恋人』以来
となる監督作品。
辻監督が名誉市民にもなっている函館を舞台に、独居老人ば
かりが住む住宅団地に暮らす元プロレスラーの男と、彼の家
に居候することになった少年と、それぞれの家族と、その周
囲に暮らす人々を描く。
少年の家は母子家庭で少年自身は苛められっ子だったが、あ
る日のこと大魔神と呼ばれる元プロレスラーの男が苛めの現
場に遭遇し、少年を助けたことから交流が始まる。そして少
年の母親から暫く預かって欲しいと頼まれてしまう。
この大魔神にアントニオ猪木が扮し、少年役を2006年『暗い
ところで待ち合わせ』などに出演の林凌雅が演じている。他
に北村一輝、石田えり、坂井真紀、川津祐介らが出演。
劇映画の主演は初めてと思われる猪木は、まあ台詞廻しなど
にはきついところもあるが、それを子役の林らがよくカバー
している感じだ。もっとも映画祭の外国人審査員は字幕で観
るから、あまり違和感はないかも知れない。
それに今まではアクション俳優と認識していた北村が腹話術
など意外と芸達者なところを見せてくれるもので、その辺に
は感心した。因にエンドクレジットには腹話術指導という項
目があったから、これは今回学んだもののようだ。
監督自身は、事前に行われた映画祭の公式記者会見で挨拶し
て、「初めて自信が持てない作品」と称していたが、独居老
人や子供の苛めなどは外国でも共通の問題であろうし、その
問題はよく描けていたように思えた。
また映画の中には、函館山から見下ろして観る打ち上げ花火
などの風物も登場して、それは素晴らしかった。

『少年トロツキー』
俳優としても活躍するジェイコブ・ティアニーが自ら脚本・
監督を手掛けたカナダ作品。因にティアニーの監督作品とし
ては第3作のようだ。
両親にレオンと名付けられたために、自分を赤軍の闘士レオ
ン・トロツキーの生まれ替わりと信じてしまった高校生の物
語。そのため彼は自分の人生をトロツキーの人生に重ねて設
計し、まずは父親の経営する工場で組合作りに着手、ストラ
イキを決行する。
そんな息子に手を焼いた父親は、主人公をトロツキーと同様
の公立学校に転校させるのだが、そこで高圧的な教育姿勢を
目の当りにした主人公は、生徒たちを扇動して学校側に要求
を突きつけてしまう。そしてそれがマスコミにも取り上げら
れて…
1970年『いちご白書』をその時代に観ている者としては、い
ろいろと考えてしまう内容の作品だった。監督の政治姿勢が
どこにあるのかは判らないが、最近の何事にも無関心な若者
たちに一石を投じるつもりなら、これもありと言える作品だ
ろう。
実際に映画の中にも「無関心」という言葉が繰り返し出てく
るのだから、監督の意図もそこにあるのかも知れない。ただ
し映画では、トロツキーという存在を前面に出してお話を面
白おかしく描いてはいるが…
なお出演者の中にジュヌヴィエーヴ・ビジョルドの名前を発
見。『まぼろしの市街戦』や『コーマ』、1969年の『1000日
のアン』ではオスカーにもノミネートされたカナダ生まれの
女優はまだ健在のようだ。

『ダーク・ハウス/暗い家』
社会主義体制下の1978年と戒厳令下の1982年、その2つの時
代がリンクして物語が展開するポーランド作品。
社会主事体制下で起きた陰惨な事件を戒厳令下の警察が捜査
する。その物語は、容疑者が逮捕されて行われる事件の現場
検証と、容疑者が語る4年前の事件の再現とで進められるの
だが、そこにはそれぞれの時代を背負ったいろいろな思惑が
絡んでいた。
正直に言って、それぞれの時代のことをあまり認識せずに観
ていたら、かなり混乱してしまった。さらに描かれる事件は
1つだけでなく、その他の経緯も絡むので、何も知らずに観
ていると相当にややこしいものだ。
しかし映画を観ている間は、雪原に建つ一軒家などの風景が
鮮烈で、思わず引き込まれてしまう力強さは感じられた。そ
れに捜査員たちが強い酒を飲みまくり、それで混乱して行く
様などは恐らく風刺としても強烈に描かれているものだ。
さらに旧体制下での犯罪が現体制下でも隠蔽されて行く過程
などは、実際に体制は変っても人間は変らない…そんな悲劇
が描かれているのだろう。こればかりは当事者でないと理解
できないのかも知れないが、そこへの憤りは感じられる作品
だった。
それにしても、捜査員の1人が妊婦というのはコーエン兄弟
監督『ファーゴ』へのオマージュなのかな。描かれる物語は
どちらも雪の中での陰惨な事件の話だし、映画を観ながらふ
とそんなことも考えてしまった。
体制を守るためには真実などどうでも良い。民主主義の世界
では起こらない話だとは思いながらも、もしかしたらと考え
てもしまう作品だった。

『ストーリーズ』
2002年から数多くの短編映画を発表し、受賞歴の豊富という
スペインのマリオ・イグレシアス監督による長編作品。因に
監督は2006年にも「長編」映画を発表しているが、その作品
は10の短編からなるものだそうだ。そして本作も全体を構成
する物語の中に複数の短編が挿入された特殊な構成となって
いる。
そのメインとなる物語は、物書きを志す主婦を主人公とした
もの。彼女は折々心に留まった出来事から小説を執筆してい
るが、最近夜中に目が覚めて恐怖に襲われ、そのまま眠れな
くなる症状が続いている。
そこで彼女は心理カウンセラーを訪ね、その原因を突き止め
ようとするのだが…その治療に従って、彼女が書いた小説に
基づく短編作品が挿入されて行く。その短編は、バーテンダ
ーの話や、歌手や、結婚式など最初は脈絡のないものだが。
なお短編のシーンはモノクロで撮影され、カラーで撮影され
た現実シーンと対比されているが、そのカラーのシーンの中
にも、ちょっと非現実的な物語が起きたりして行く。そして
後半では心理治療と通じるようなモノクロの作品も登場して
くるものだ。
それは、ファンタスティックというほどではないかも知れな
いが、何か心に感じる作品でもあり、またスペイン内乱時の
銃殺隊の話など、あまり知らなかった歴史の話なども登場す
る。そしてそのほとんどが人の死に関わるものでもある。
物語全体を概観しようとするとかなり複雑だが、それぞれの
シーンが心に残るものでもあるし、作品としては深い情感を
得られるものでもあった。また、トラウマ治療の方法として
EMDRという手法が紹介され、それにも興味を引かれた。

『ボリビア南方の地区にて』
ボリビアの首都ラパスは、他の多くの大都市とは異なり、南
部の低地帯に富裕層の住居が集まっているのだそうだ。そん
な地区に建つ邸宅での物語。その邸宅には、女主人と3人の
子供と、先住民族の使用人たちが暮らしていた。
その長男は母親に溺愛され、ガールフレンドを連れ込んでも
何とも言われない。その一方で年頃の長女は母親に反抗的で
言い争いが絶えないが、それも愛情の発露のようにも感じら
れる。そしてまだ幼い次男は、使用人の男性にいろいろな教
えを請うている。
そんな一家だったが、母親の貯えが底を尽き始め、暮らし振
りは厳しくなってくる。それでも子供たちを学校には通うわ
せようと努力を重ねる母親だったが…
長く白人が支配してきた国で、徐々に先住民たちが力を付け
てくる。それは暴力的な反抗ではなく、静かに先住民への権
力の移譲が進んで行く世界。そんな平和裏に進む歴史ではあ
っても、そこに暮らす人々には悲しみも生じる。そんなボリ
ビアの現在が描き出された作品のようだ。
ただし物語の全体は、邸宅での使用人と主人と関係を描いた
ものにもなっており、そこには、アンソニー・ホプキンスの
『日の名残り』やピーター・セラーズの『チャンス』とは違
った背景での物語も興味深く描かれていた。
なおアンデス山脈では、時間は直線ではなく円を描いて進む
のだそうで、それと呼応するように登場人物の周りを円を描
いて進むカメラワークにも興味を引かれた。
因に、国際題名(英語)は“Sounthern District”、邦題は
『ラパス南方の地区にて』の方が正しいと思われるが。

『台北に舞う雪』
2001年日本公開『山の郵便配達』や、2003年東京国際映画祭
で上映された『ヌアン』(2005年日本公開時の題名は『故郷
の香り』)、それに昨年8月に『初恋の想い出』という作品
も紹介しているフォ・ジェンチイ監督の最新作。
現代の台湾を舞台に、都会での歌手の夢に挫折し山間の町に
やってきた女性と、その町で慎ましく暮らす若者の静かな交
流が描かれる。
新人賞を受賞した歌手のメイは突然声が出なくなり、相談す
る相手もなく1人で山間の町に来てしまう。そこで出会った
のがモウと呼ばれる青年で、彼は父を亡くし母親とは生き別
れた後、自分の面倒を見てくれた町の人々のために身を粉に
して働いていた。
そんな青年の世話で徐々に町にも溶け込み、また青年の紹介
した漢方医の処方で歌声も取り戻して行くメイ。しかしその
頃、彼女の所属していた台北のレコード会社では彼女の捜索
も進めていた。そして1人の芸能記者が彼女の行き先を突き
止めるが…
お話自体は全く他愛ないものだし、そこで特に何かが起きる
ものでもない。でも物語の全体が、静かに佇む山間の町で心
豊かに展開されて行く。そして題名の持つ意味が見事に語ら
れる。
出演は、北京の中央戯劇学院出身でチャン・ツィイーに続く
才能と言われるトン・ヤオと、日本映画の『暗いところで待
ち合わせ』などにも出演のチェン・ポーリン。他に、モー・
ズーイー、トニー・ヤン、ジャネル・ツァイなど台湾の若手
スターが演技を競っている。
今年7月紹介の『プール』ではタイの風物詩コムローイとし
て登場した紙製の熱気球が、ここでは天燈(テンドン)とい
う名前で登場する。また、単線で2〜4両編成の気動車が走
る鉄道の風景なども美しく描かれた作品だった。

『イースタン・プレイ』
ブルガリアの首都ソフィアを舞台に、変貌して行く都市と、
その中でもがき苦しむ若者たち。そこに存在する民族間の対
立や新旧の文化の対比などが描かれる。
主人公となるのは2人の兄弟。弟は父親と一緒に暮らしてい
るがネオナチに被れて暴動にも参加している。一方の兄は、
過去の問題で親元を離れ音信不通だったらしいが、美術学校
を出て才能はあるものの、木工所で塗装の仕事をしている。
そんな2人が、弟の居るグループがトルコ人旅行者を襲い、
その現場に行き合わせた兄が旅行者たちを救ったことことか
ら邂逅する。しかしその後に兄が久しぶりの帰宅しても、父
親は冷たくしか当たれない。
そんな行き場のない若者たちの思いの中で、弟は兄への信頼
に活路を見いだそうとし、兄はトルコ人旅行者の娘に自分の
将来を夢見る。そして彼らの住む町では、旧市街が取り壊さ
れ、ビジネスセンターが作られるという広大な空き地が作ら
れている。
程度の差こそあれ、恐らくは世界中の若者たちが直面してい
る問題がこの作品に描かれている。それはネオナチなど日本
とは少し違うかも知れないが、将来への不安などその背景に
あるものは同じだろう。
なお物語は、兄を演じたフリスト・フリストフの実体験に基
づくもののようだが、その俳優は撮影終了目前に事故で亡く
なっているそうだ。
ただし本作では、ブルガリア語、トルコ語、英語がそれぞれ
の場面で使われているが、字幕でそれが区別されておらず、
一部でその状況が判りにくい部分もあった。気が付けば判る
ことではあるが、他のコンペティション作品では、括弧の使
用などで区別しているものもあり、気にして欲しかったとこ
ろだ。

『見まちがう人たち』
角膜移植によって朧げにものが見えるようになった男を中心
に、その男が治療を受けた医療企業の従業員や、男が出入り
するショッピングモールの警備員などが行き交うアンサンブ
ルドラマ。
題名は、初めて目が見えるようになった男性が、今までは聴
覚や触覚だけだった世界との違いに戸惑う姿に準えて、いろ
いろな登場人物たちの思惑の違う出来事が描かれて行く物だ
と解釈するが、正直に言って視力の回復した男以外の物語は
あまり目新しいものでもなく、ただ物語を煩雑にしているだ
けのように感じられた。
これならもっと視力の回復した男の物語に絞っていろいろな
エピソードを描いた方が良い作品になったと思われるが、そ
の男の物語も、見えていると恐怖に囚われるが目を瞑れば大
丈夫だなど常識的なものばかりで、結局その辺の考察にも欠
けているのだろう。
監督は、映画に登場するチリ南部の町ヴァルディヴィアの出
身で、4年間のイギリス留学の後に帰国して故郷の町の変貌
振りに驚き、この物語を構想したということだが、この作品
では肝心のその驚きが伝わってこなかった感じがする。
テーマ的にはこれで良いのだと思うし、シリアスをユーモア
で撮るという監督の考え方も理解はするが、通り一遍のコメ
ディではその思想も活かされない。テーマに沿って取材を重
ねれば、ユーモアは自然と産まれてくるものだと思う。
テーマは面白いし、その寓意性などももっと活かされるべき
作品だとは思うが、何かが全体的に足りない作品に思えた。



2009年10月11日(日) スノー・プリンス、T・ベルと月の石、インフォーマント!、ファイナル・デス・ゲーム、おとうと、パチャママの贈りもの+製作ニュース他

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※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※
※僕が気に入った作品のみを紹介しています。     ※
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『スノー・プリンス』
『東京タワー』の松岡錠司監督と『おくりびと』の小山薫堂
脚本による作品。昭和11年と現代を背景に、貧乏で学校にも
行けないけれど絵の上手い少年と、その町で事業を営む金持
ちの娘との禁じられた恋物語が描かれる。
物語は、現代のクリスマスの日、とある女性の許に書類袋に
入った古い原稿用紙の束が届けられるところから始まる。そ
の原稿用紙には、戦前の田舎町を舞台にした少年と少女の交
流が綴られていた。
その少年には両親がなく、老いた祖父と共に炭焼き小屋で暮
らしている。そんな少年は尋常小学校にも行けなかったが絵
を描くことが好きで、その絵はヨモギの葉の汁など祖父手造
りの絵の具で描かれていた。
そして少女は、そんな少年の真剣に絵を描く横顔を見ている
のが好きだった。しかし少女の父親は、娘がその少年に近づ
くことが疎ましく、そのためことあるごとに少女には「彼に
近付くな」と申し渡していた。
そんな田園の村にある日サーカスがやってくる。ところが、
少年の祖父は彼がサーカスを観に行くことを禁じる。それで
も少年と少女はこっそりとサーカスに潜り込んでしまうのだ
が…これに2人が拾った犬の成長などが絡んで物語は進んで
行く。
山形県庄内でロケーションされた雪景色の田園風景、これも
日本の原風景の一つと言えそうだ。そんな田園風景の中での
淡い恋心と、その恋心を邪魔する障害と、そこに差し伸べら
れる救援の手などを描いた物語が展開される。
主演は、ジャニーズJr.の森本慎太郎とマクドナルドCMな
どの桑島真里乃。共演は、香川照之、檀れい、中村嘉葎雄、
浅野忠信、山本學、岸恵子、マイコら。
それにしても、貧乏だが絵の上手な少年と犬と…どこかで聞
いたようなお話だが、本作は最初から日本版『フランダース
の犬』を謳っているものだ。その他にも子供だけの冒険行で
蒸気機関車に追い掛けられるなど、見たようなシーンはある
がそれもご愛嬌だろう。

つまり、いろいろあるけど取り敢えずは上記した日本の原風
景のような背景の中で、切ない恋物語が展開される。それだ
けで充分な作品だろうし、その線ではよくできている作品で
あることは確かなものだ。

『ティンカー・ベルと月の石』
         “Tinker Bell and the Lost Treasure”
昨年9月に紹介した『ティンカー・ベル』に続くシリーズの
第2話(秋編)。
前作で自分の成すべき仕事に目覚めたティンカー・ベル(テ
ィンク)は、さらに才能を発揮していろいろ新しい装置など
も開発しているらしい。そんなある日のこと、ティンクは妖
精の女王に呼ばれて新しい仕事を与えられる。
それは、秋の満月を迎える祭典で掲げられる「聖なる杖」を
作ること。折しも今年は8年に1度の青い月の昇る年で、そ
の月光を月の石に当てることで、妖精たちの命の糧でもある
「妖精の粉の樹」を育てる青い妖精の粉が作られるのだ。
その月の石を掲げるときの台座となるのが「聖なる杖」で、
それは8年ごとに作り直され、その仕事が今回はティンクに
依頼されたのだ。そんな名誉ある仕事に大喜びのティンク。
そして彼女は親友で妖精の粉に詳しいテレンスの協力も得て
仕事を始めるが…
例によってオリジナルの『ピーター・パン』のキャラクター
と同様に癇癪持ちのティンクがやらかす失敗と、それを糊塗
しようとしたために生じるさらなる困難。それらがティンク
を冒険の旅へと誘って行く。
前作はティンク誕生までの物語だったが、本作からはシリー
ズ(フランチャイズ)としての個々の冒険物語が展開されて
行くことになるようだ。まあお話は他愛ないものだが、そこ
には冒険あり友情ありの正にディズニーの世界が繰り広げら
れている。
こんな、ある意味純粋な物語は他では滅多に観られないもの
だし、童心に帰って観るには心地よい作品。実際に試写会の
雰囲気では、ちょっと年配の評論家たちにも受けは良いよう
だった。
それに本シリーズでは、主人公のティンカー・ベルが技術屋
というのが、僕自身が技術系出身の人間としては嬉しいとこ
ろで、しかも技術系の人間に有りがちな、癇癪持ちその他の
性格付も自分自身の問題として微笑ましくなる。
因に本シリーズは四季を描いた4部作のはずだったが、試し
にデータベースを引いてみたら2010年の夏編、2011年の冬編
に続いて、2012年に“Race Through Seasons”という企画が
発表されていた。どうやら本格的なフランチャイズを目指す
ことになりそうだ。

『インフォーマント!』“The Informant!”
『オーシャンズ』シリーズのスティーヴン・ソダーバーグ監
督と、同作に出演すると共に『ジェイソン・ボーン』シリー
ズで人気者になったマット・デイモンの主演で、企業の内部
告発者を描いた実話に基づく作品。
1992年の物語。主人公はとある食品企業で技術畑から33歳の
若さで重役にまで昇り詰めた男。ところがその男が管理を任
されている食品添加物の工場で、製品にウィルスが混入する
事件が発生する。
しかもその対策に苦慮していた彼の許に、日本の食品企業か
ら「産業スパイを送り込んでウィルスを撒いた」との情報が
寄せられる。そして「それを止めさせたければ1000万ドルを
支払え」という脅し文句が伝えられる。
そこで主人公はその情報を会社の上層部に上げ、彼自身は電
話を使って時間稼ぎをする一方、会社はFBIに通報して企
業恐喝事件の捜査が開始される。ところが、自宅に通話記録
用の装置を取り付けに来た捜査官に対して主人公は意外こと
を話し始める。
それは、彼の勤める食品企業が日本の企業と結託して、製品
の価格や生産調整の違法行為を行っているとの告白だった。
そこでFBIは、捜査の対象を企業犯罪に変更、商務省とも
連携して潜入捜査が開始されるのだが…
それにしても、この主人公はなぜ内部告発者になったのか、
彼自身は「技術者の良心が許さなかった」との発言はしてい
るが…。FBIの手先となっての盗聴では犯罪行為を立証す
る発言を誘導するなど主人公の大活躍が始まり、徐々に彼の
本性も現れ始める。
2000年の『エリン・ブロコビッチ』、昨年の『チェ』2部作
など実話に基づく作品も得意なソダーバーグ監督だが、重く
リアルに革命家の姿を描いた作品の直後となる本作では、か
なりコミカルに物語を描き出している。
ただし、内容的には『エリン…』に近いから本作はその続き
のようにも観られそうだし、その意味では軽快感、爽快感も
近いものに感じられた。しかも主人公の個性がかなり強烈な
ので、このくらいコミカルにしないと嫌みになってしまうと
ころだったかもしれない。
共演は、TV『エンタープライズ』の艦長を演じたスコット
・バクラ、ピーター・ジャクスン監督『乙女の祈り』のメラ
ニー・リンスキーなど。
なお、映画の中では日本企業として某大手企業が実名で連呼
される。そこは以前に、CMで契約したフランス人スターを
政治思想が合わないとして、違約金を払ってキャンセルさせ
たような会社と記憶しているが、反応はどう出るだろうか。

『ファイナル・デス・ゲーム』“Open Graves”
前回紹介の『●REC』など、最近ジャンル映画での評価の
高いスペインから届いたファンタスティックホラーの新作。
因に本国では9月開催のファンタスティック映画祭で上映さ
れたばかりのもので、11月7日封切の日本が劇場公開では世
界最初になるようだ。
物語は、呪いの懸けられたボードゲームを主題とするもの。
そのゲームは怪奇な装飾の施された一種の双六で、ゲームの
勝者にはいかなる望みも叶えられるが、敗者には残酷な死が
待ち構えている…という。
そんな恐怖のゲームをスペイン北西部のビーチに遊びに来て
いたアメリカ人大学生が手に入れ、ビーチで知り合った女性
らと始めてしまう。そして早々と負けてしまった仲間の男性
が非業の死を遂げることとなり…
『ジュマンジ』『ザスーラ』のダークサイド版という振れ込
みの作品だが、ハリウッドの大作ほどのVFXが登場するも
のではないし、どちらかと言うとビーチを舞台にした若年向
けホラーといった感じのものだ。
それにいくつか登場するVFXもどこかで観たようなものば
かりだし…。ただまあそれがスペインらしい異国情緒に彩ら
れていることが、観客としては楽しめるというところではあ
るかも知れない。
出演は、2006年の『ポセイドン』や一昨年の『クローバー・
フィールド』に出ていたマイク・ヴォーゲルと、TVシリー
ズ“Buffy the Vampire Slayer”にセミレギュラー出演して
いたエリザ・ドゥシュク。一応はハリウッド俳優を招いての
作品というところのものだ。
監督は、2000年のオスカーを受賞した『オール・アバウト・
マイ・マザー』などに第2助監督として参加しているアルバ
ロ・デ・アルミニャン。本作が監督デビューのようだが、こ
の方向を保ってくれたら先が楽しみになる。
また脚本は、2007年9月に紹介のニール・ジョーダン監督、
ジョディ・フォスター主演作『ブレイブ・ワン』を手掛けた
ブルース・A・テイラーとロディック・テイラー。それに続
く作品ということになるが、彼らにもこの方向性があるなら
楽しみだ。

『おとうと』
『武士の一分』など時代劇が続いていた山田洋次監督が、昨
年公開の『母べい』に続いて吉永小百合を主演に迎え、同作
に出演の笑福亭鶴瓶の共演を得て描いた姉弟物語。1960年市
川崑監督の同名作品にオマージュを捧げ、ある種の続編とし
て作られている。
主人公は大阪から出てきて東京郊外の私鉄沿線で薬局を営む
女性。信頼される医師だった夫を亡くしてからは女手一つで
1人娘を育ててきた。その娘が優秀な医師の許に嫁ぐことに
なり、結婚式を控えた日のこと、招待状の1通が宛先人不明
で返送されてくる。
それは主人公の実弟に宛てたものだったが、その返送に何故
か安堵の様子を見せる家族。実はその弟は夫の13回忌の席で
酔っ払い、大暴れをして顰蹙を買っていたのだ。そのため返
送に安堵していたのだが…披露宴の最中、その弟が息急切っ
て駆け付けてくる。
こうして再び、主人公の弟を巡る悪夢の日々が訪れることに
なり…
家族兄弟の縁はどうしても切れないものなのかも知れない。
ただし、男同士の兄弟ではこの映画でも主人公の兄の態度の
ようにドライに割り切れるのかも知れないが、姉弟ではそれ
が一番難しいのかな。それは50年前に市川監督が掲げた命題
でもあるようだ。
そんな本作の企画は2008年2月、山田監督が市川監督の訃報
に接したときに思い付いたそうだ。折しも『母べい』を公開
中の山田監督は、同作で共演した吉永、鶴瓶の2人を姉弟役
にできないかとも。
しかし吉永にこてこての大阪弁を喋らせるのは考えられない
し、鶴瓶が大阪弁以外の言葉を話すのも似合わない。このた
めこの設定を活かす物語作りにかなりの時間が費やされたと
されている。
僕は、物語の設定に困難があればあるほど、その物語が練り
込まれることで素晴らしい作品が生まれると考えているが、
本作もその例に漏れなかったようだ。吉永がふと挟み込む大
阪弁の台詞などに物語の深さが描かれていたようにも感じら
れた。
僕自身の両親は関西出身だが、普段の生活で両親が関西弁を
話すのは聞いたことがなかった。それが両親が関東で暮らす
ことへの心構えだったのだろうし、そんな自分の両親のこと
も本編の吉永の姿に思い浮かんだものだ。
共演は、蒼井優、加瀬亮、加藤治子。他に小林稔侍、森本レ
オ、笹野高史、小日向文世、石田ゆり子らが出演。なお映画
には、民間が運営するホスピスの問題なども描かれ、社会性
を持った作品にもなっている。

『パチャママの贈りもの』“El regalo de la Pachamama”
南米ボリビアのアンデス山中にある塩湖ウユニ。その塩湖の
沿岸に堆積する塩を切り出して各地に運搬するキャラバンを
題材にしたドキュメンタリー調のドラマ作品。
それは古来から続いてきた伝統の行為。主人公はそんなキャ
ラバンを行う一家に暮らす少年。普段は父親と共に塩の切り
出しを手伝っているが、友人の引っ越しや祖母の死など彼の
生活にも変化が訪れている。
そしてその年は、高齢になった祖父に代わって少年が父親と
共にキャラバンに従事することになる。そのキャラバンはア
ンデスの山中を巡る3カ月にも及ぶ過酷な旅。しかしその間
には、各地のお祭りなども楽しむことができるのだ。
少年が塩を運搬する話では、2000年に公開されたヒマラヤが
舞台の『キャラバン』が思い出される。本作に描かれるアン
デスの自然はヒマラヤほど過酷ではないかも知れないが、そ
の一方で貧しいながらも心豊かな現地の人々の生活振りが描
かれている。
そこには、アンデス特有のフォルクローレの歌声や各地のお
祭りの様子なども登場して、全体的には現代文明の中に溺れ
て暮らす我々が忘れてしまった何かを、思い出させてくれる
ような作品だ。
監督は松下俊文。1950年兵庫県生まれの日本人で、松竹京都
撮影所に勤務した後に29歳で渡米。ニューヨークで日本語テ
レビ向けのドキュメンタリーなどを製作していたが、9/11
を目の当りにして南米に向かいウユニ塩湖に辿り着いたとの
ことだ。
その湖は古代に陸封された海がそのまま干上がったもので、
現在では一面真っ白な雪原ならぬ塩原となっているという。
そこから塩の塊を切り出してリャマの背に積み、各地に配る
のがキャラバンの仕事だ。
ただし近年では、自動車道路の発達でその伝統も急速に廃れ
つつあるようだが、それでも険しい山路ではリャマによる運
搬が欠かせないとされている。そんな自然と向き合った生活
に、9/11を体験した監督が感じ取った癒しの世界が繰り広
げられているようだ。
因に題名のPachamamaとは、アンデス先住民の言葉で「母な
る大地」という意味の言葉、原語では「パチャマンマ」と発
音されているようにも聞こえた。また本作の音楽は、駐仏ボ
リビア大使も務め、ヨーロッパを中心に活動しているフォル
クローレ歌手のルスミラ・カルピオが担当している。
なお本作は、モントリオール、バンクーバー、プラハ、サン
パウロ、リオデジャネイロなど100を超える国際映画祭に正
式出品され、作品賞や撮影賞など多数の受賞に輝いている。
        *         *
 今回の製作ニュースは最初にヨーロッパ発の情報から。
 2006年1月に紹介した『マンダレイ』などのラース・フォ
ン・トリアー監督が、2006年10月1日付第120回で紹介した
ホラー作品“Antichrist”に続いては、“Melancholia”と
題されたディザスター映画を撮ると発表した。
 作品はフォン・トリアー自身の脚本に拠るもので、物語の
詳細は公表されていないが、題名の“Melancholia”は地球
に異常接近する巨大な遊星の名前のようだ。さらに「エイリ
アンが攻めてくるような話でもない」というプロデューサー
の発言も紹介されていた。
 と言うことは、『地球最後の日』か『妖星ゴラス』のよう
な物語が予想されるが、製作費には500万ユーロ(約700万ド
ル)が計上されており、撮影は2010年にヨーロッパで行われ
る計画となっている。さらにディザスター映画なのでVFX
も使用されるが、敢えてハリウッドの会社とは組まないとの
ことだ。
 また、脚本の台詞は英語が中心になっており、配役には国
際的な俳優が検討されているようだ。そしてその脚本は「必
ずしもhappy endingsではない」というフォン・トリアーの
コメントも発表されている。因にフォン・トリアー自身は、
「この企画が進められて極めてハッピー」だそうだ。
 前作“Antichrist”に関しては、ワールドプレミアが行わ
れたカンヌ映画祭では評論家の間で賛否両論が渦巻いたよう
だが、先日行われたファンタ系のオースティン映画祭では、
若年層やジャンルファンの間で熱狂的に受け入れられたよう
だ。すでに台湾では11月6日の公開が決定されているが日本
では配給会社も未定。こういう作品こそ映画祭で観せて貰い
たかったものだ。
 出来ることなら、“Melancholia”とセットででも契約し
てもらえると嬉しくなるのだが。
        *         *
 お次はハリウッドの話題で、8月30日付で報告した2011年
公開予定の“Spider-Man 4”の脚本リライトを担当したゲイ
リー・ロスが、『スパイダーマン3』の登場キャラクターに
基づく“Venom”というスピンオフ作品の脚色と監督の契約
を結んだことが発表されている。
 ヴェノムは、『スパイダーマン3』では宇宙から飛来した
黒い物体として登場し、一時はピーター・パーカー=スパイ
ダーマンに取り憑いた後、ピーターのライヴァルカメラマン
だったエディ・ブロックと共生。スパイダーマンの能力も模
倣して戦いを繰り広げた。
 原作での登場は1980年代と比較的最近のものだが、アンチ
ヒーロー的な性格付けで若年層にも受け入れられ、現在では
グリーンゴブリンなどにも勝る人気を得ているとのこと。因
に原作では、その後はスパイダーマンとも和解して、第2の
スパイダーマン的な活躍もしているようだ。
 というヴェノムの物語の映画化が新たに計画されているも
のだが、ゲイリー・ロスは元々1988年トム・ハンクス主演の
『ビッグ』の脚本を手掛けた後、1998年にはトビー・マクガ
イア主演のファンタシー“Pleasantville”(カラー・オブ
・ハート)などの監督もしており、ファンタシー系の脚本監
督共に実績がある人物。かなり捻ったヴェノムの映画化には
最適な人とも言えそうだ。
 ただし、『スパイダーマン3』でエディ・ブロックを演じ
たトッファー・グレイスの再登場は流動的で、新作の映画化
はまだ下書き段階だが、今後発表される配役にも注目が集ま
りそうだ。因にグレイスは、ロベルト・ロドリゲス監督が、
エイドリアン・ブロディ主演で進めている“Predators”の
リメイクには出演契約を結んでいるようだ。
        *         *
 最後に、今週末に開催される東京国際映画祭では、すでに
コンペティション出品作品の事前試写もスタートしており、
次回はまずその紹介を行いたいと思っている。連休明け火曜
日からの11日間は、土日も含めて1日4本宛で観る計画で、
その中から出来るだけ多くの作品を紹介したいと思っている
が、さて計画通りに行くかどうか。報告は随時行う予定でい
ますので、よろしくお願い致します。



2009年10月04日(日) ●REC2、アフロサムライ、ジェイン・オースティン、ロフト、ヴィクトリア女王、よなよなペンギン、ジャック・メスリーヌ+他

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※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※
※僕が気に入った作品のみを紹介しています。     ※
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『[●REC]²』“[Rec]2”
2008年3月に紹介したスペイン製ホラー映画『●REC』の
続編。舞台は前作の惨劇の発生したアパート。まだ封鎖中の
その建物に、調査のため侵入する科学者に同行する警察特殊
部隊の記録カメラの映像という設定で、前作以降の物語が展
開される。
お話は上記の通りでそれ以上でもそれ以下でもないが、今回
はヘルメット装着のカメラなど上記以外の視点も巧みに取り
入れ、さらにそれによって時間軸も入れ替えるなど膨らみの
ある物語になっている。そして前作では謎だった因縁話も、
今回はその全てが語られるものだ。
それにしても前作では謎だった因縁話が本作では見事に展開
されていて、恐らく前作はそれを見越して製作されていたこ
とと思われるが、前作がハリウッドでリメイクされて、その
売却利益で本作を作ったのだとしたら、その戦略も見事なも
のだったと言えそうだ。

前作では惨劇がかなりえげつなく描写されていて、本作もそ
の点は同様なのだが、前作より演出に余裕があるというか、
何か落ち着いたところもあり、それが巧みにユーモアなども
生み出している。
もちろんこの手の映画を好きな人にしか勧められない作品で
はあるが、ショックシーンのタイミングなども的確で、それ
は安心(?)して観ていられる作品。監督はすでに実績のあ
る人だが、前作はその辺も計算づくだったのだろう。
製作には2年の間隔が開いているが物語は前作の直後という
もので、何となく見覚えのあるシーンが登場すると、おお、
そうだったとという感じにもなる。前作を観た人には絶対に
見逃せないと断言できる作品だ。
その一方で、前作のとつながりはあまり執拗にはつけられて
いないので、状況ドラマとして本作だけでも楽しめるかな。
僕は前作を観てしまっているので断言はできないが、そんな
風にも感じられる作品だった。
なお、エンドクレジットの中でJun Matuuraという名前に気
が付いた。story board artistの肩書きだったが、ネットを
検索してみると、同じジャウマ・バラゲロ監督で2006年日本
公開された“Frágiles”(機械仕掛けの小児病棟)にも参加
していたようだ。前作の『●REC』ではAkemi Gotoという
日本人も出演していたものだが、いろいろ興味深い作品だ。

『アフロサムライ:レザレクション』
2007年1月に全5話のミニシリーズとして全米で放送され、
その後の10月に日本でも紹介された和製のアニメーションが
評判となり、その続編として製作された作品。
因に本作は今年1月にアメリカSPIKE TVで放送され、9月に
発表されたエミー賞ではアニメーション部門の作品賞に和製
作品としては初めてノミネートされた他、美術監督の池田繁
美氏が美術部門の個人賞を受賞している。
元々は、発行部数=200部ほどの同人誌に発表された作品が
アニメ化され、それが全米で放送されて人気が爆発。ついに
はエミー賞受賞という快挙まで…舞台挨拶付きの試写会を観
に行ったが、作った本人たちもまだ狐につままれている感じ
にも見えたものだ。
物語は、「一番」と書かれた鉢巻を巡って、アフロヘアーで
黒人の侍や女剣士たちが、名誉と復讐のための闘いを繰り広
げる…というもの。実は僕はオリジナルのミニシリーズは未
見なのだが、本作だけでも物語の理解には支障はなかった。
まあお話自体はよくあるタイプのものだ。ただし、武士の闘
いを描く作品でありながら、そこにはチョッパーハンドルの
バイクが登場したり、マッドサイエンティストが怪しげな実
験をしていたり、その一方で銃には火縄が付いていたりと、
時代考証は目茶苦茶。
大体、アフロヘアーで黒人の侍という辺りから、それが日本
で存在し得たかどうかという話にもなる訳だが、でもそんな
目茶苦茶さが、僕には一種の昇華を果たしているようにも感
じられた。
そして本作では、オリジナルのミニシリーズの企画段階から
『アンブレイカブル』などのサミュエル・L・ジャクスンが
参加に名告りを上げて、製作総指揮と主人公の声優を務めた
もので、それは本作でも踏襲されている。
そしてそのお陰か本作では、さらに『スター・ウォーズ』の
マーク・ハミルや、『チャーリーズ・エンジェル』のルーシ
ー・リューらが声優参加しているものだ。
なお8月16日付の製作ニュースで、『ウルヴァリン』の続編
では主人公がサムライになるという情報を紹介し、その時は
「そんなの有りか?」という気持ちだったが、本作を観ると
何となく判るような気がしてきた。
ただし本作は、日本人のクリエーターがそれなりの日本文化
も理解の上で構築しているもの、『X−メン』スピンオフの
続編が公開されたらそれと比較してみるのも面白そうだ。

『ジェイン・オースティン』“Becoming Jane”
2001年『プリティ・プリンセス』などのアン・ハサウェイ主
演で、生涯を独身で過ごしたとされる19世紀イギリスの女流
作家の秘められた恋物語を描いた作品。
映画のクレジットで原作とはされていないが、元々は伝記作
家ジョン・スペンスが2003年に発表した著作から想を得て、
作家を夢見る女性と同年代の法律家の卵との果たせなかった
熱い恋が描かれる。
ジェインは、1775年にイングランド南部のハンプシャーで、
あまり裕福ではない牧師の家に8人兄弟の7番目として生ま
れた。そして10代の内から小説を書き始めていたが、周囲か
らは文才のあるちょっと変わった娘のように見られていたよ
うだ。
そんなジェインが20歳の時のこと、近所の家を1人の若者が
訪れる。彼はロンドンから来た法律家の卵で、年齢はジェイ
ンと同じ20歳。そして一般的な伝記では、2人が会ったのは
このときだけとされているのだが…
映画はスペンスの著作から想を得ているが、映画化された物
語自体は、本来はテレビ脚本家のサラ・ウィリアムスとケヴ
ィン・フッドが執筆したもの。従って、そこではかなり自由
な発想で2人の恋が描かれているものだ。
また、スペンスは歴史コンサルタントの肩書きで映画に参加
しており、彼の調査で得られたいろいろな「事実」が組み合
わされて、それなりにあってもおかしくないような物語が展
開されている。
その物語は、史実から当然恋は成就しないものとなって行く
のだが…特に、エピローグのシーンには、あったら良いなと
思わせるエピソードも描かれている。因に2人がその後に再
会した事実はないものだが、そこに描かれた内容は踏査で選
られた「事実」だそうだ。

なお、映画の脚本はジェインが姉に宛てた書簡に基づくとさ
れているものだが、丁度この時期の手紙だけが焼き捨てられ
て現存しないという「事実」もあるようだ。
共演は、法律家の卵役に『ナルニア国物語』などのジェイム
ズ・マカヴォイ。他に、『ハリー・ポッター』シリーズから
ジュリー・ウォルターズとマギー・スミス、また1995年『ベ
イブ』などのジェームズ・クロムウェルらが登場している。
監督は、2007年『キンキーブーツ』のジュリアン・ジャロル
ド。監督もテレビ出身の人だが、前作と同様に本作でも史実
に基づく物語を丁寧に撮り上げたものだ。
イギリスの女流作家の話では2007年6月に『ミス・ポター』
を紹介しているが、絵本作者の生涯を描いた作品が史実に縛
られていたのに対して、本作の物語は全く自由に発想されて
おり、それだけ物語のバランスも良く面白い作品になってい
るように思えた。

『ロフト.』“Loft”
本国ベルギーでは国民の10人に1人が観たという大ヒットサ
スペンス。ビルの屋上に設けられたロフト(ペントハウス)
を舞台に、出入り口は鍵の掛かった1つのドアしかないその
密室に放置された女性の死体を巡って、かなり捻った犯罪心
理劇が展開される。
事件に関わっているのは5人の男たち。その内の1人の建築
家が自分の建てたビルの屋上にロフトを設け、それを家族に
も秘密の自由に使える空間として5人で共有しようと提案す
る。その提案にそれぞれ家族のいる男たちは、一部は渋々従
うのだったが…
死体があっても家族に秘密の場所では警察に届けることも儘
ならない。しかも密室の鍵は5人しか持っておらず、殺人犯
は5人の中にいるはずなのだ。映画の冒頭には別の事件も描
かれていて、二転三転の物語が展開されて行く。
脚本家はテレビ出身のようだが、確かにサービス精神満点の
物語が展開されて行く。ただまあ、いろいろなものを盛り込
み過ぎてそれぞれに深みがないのもテレビ出身者の弱点では
あるもので、本作でも登場人物の葛藤などはほとんど描かれ
ない。
しかしまあそんなものはウザイだけという最近の若者の風潮
には合っているのかな。おそらくそういう若者にはロフトは
憧れの的なのだろうし、そんなところも計算されて作られた
作品なのだろう。
とは言うものの、いくら専門外とは言え、医師と名の付く人
がいてこの後半の展開はないだろうと思うし、実はそこに真
相が隠されているのだとしたら、この映画の作者たちは最後
まで観客を欺き通したことになって、それもまた悩んでしま
うところだ。
でもまあそこまで考えてみると、この「真犯人」には全てが
都合よく終っているようで、結局僕も騙されていたことにな
るのかな。実はこの文章はサイトには載せないつもりだった
が、ここまで書いてようやく載せる理由ができたようだ。

監督は、2003年『ザ・ヒットマン』という作品が日本にも紹
介されているエリック・ヴァン・ローイ。出演は、同作にも
出演のケーン・デ・ボーウの他、いずれもベルギーで実力の
ある俳優たちが揃っている。
それにしてもこの捻りは見事な作品だ。

『ヴィクトリア女王』‘The Young Victoria”
1837年に18歳でイギリス王位を継承、「君臨すれども統治せ
ず」の言葉で議会制民主主義を貫き、その治世をヴィクトリ
ア朝としてイギリスを最も輝かしい時代に築き上げたとされ
る女王の若き日を描いた歴史ドラマ。
先々代の国王ジョージ4世に直系の王位継承者がいなかった
ことから、急遽その弟たちが子作りを始め、ヴィクトリアは
その1番手として誕生する。しかし、彼女の父親は彼女が生
後8カ月の時に他界。
さらに王位は伯父のウィリアム4世が継ぐものの彼にも子供
はなく、彼女は10歳で推定王位継承者となる。このためヴィ
クトリアの周囲には暗殺計画の噂も出て、階段の昇り降りも
侍女が手を引くなど厳重なボディガードの許で育てられた。
そしてウィリアム4世の死後、18歳でイギリス女王に即位。
議会の首相メルバーン子爵の助言を得て政治を行う。さらに
1840年に母方の従兄弟でもあるアルバートと結婚、当初は軋
轢もあったがほどなく妥協が成立し、以後は二人三脚でイギ
リスを繁栄に導いた。
因に、1861年にアルバートが死去してからは、常に喪服を着
用したために喪服の女王とも呼ばれていろいろあったようだ
が、それは1997年に公開された映画『至上の恋』の題材とさ
れたもの。本作ではそこに至る以前の彼女の華やかな姿が描
かれている。
本作の企画は、イギリス王家アンドリュー王子の前の妻であ
るセーラ・ファーガスンが、『ディパーテッド』などの製作
者グレアム・キングに話したことから始まったようだ。そし
てキングがマーティン・スコセッシに企画を提案し、映画化
はスコセッシとファーガスンの共同製作で実現させている。
つまりまあ、イギリス王室関係者の意向で作られた作品とい
うことにはなるが、ことさらヴィクトリア女王を偉大な人物
に描こうとしているものでもなく、『至上の恋』で描かれた
女王の姿を少し修正したかったという感じのものだ。
それに、ヴィクトリア朝が1851年ロンドンで世界最初の万国
博覧会を開くなど、イギリスの最も華やかなときであったこ
とは事実であるし、それを再確認するという意味では何ら問
題のない作品だ。
そしてそこに描かれる王室絵巻は、ヨーロッパ王室間の駆け
引きや政治劇などもそこそこに織り込み、また若くして権力
を持たされた女性の悩みなども丁寧に描き出している。さら
に物語の中心には、ヴィクトリアとアルバートの恋物語があ
り、そこにはまた王室特有の経緯なども絡んでくるものだ。
出演は、『プラダを着た悪魔』などのエミリー・ブラントと
『プライドと偏見』のルパート・フレンド。さらに『オペラ
座の怪人』のミランダ・リチャードスン、『アイリス』でオ
スカー受賞のジム・ブロードベント、そして『ダ・ヴィンチ
・コード』のポール・ベタニーらが共演している。
まあ、一般庶民には全く縁のないお話かも知れないが、傍観
者として観るにはあまり嫌味なところもないし、よくできた
歴史ドラマと言えるだろう。

『よなよなペンギン』
1979年『銀河鉄道999』などのりんたろう監督が、2002年
『CAPTAIN HERLOCK』以来となる監督を手掛けた作品。
りん監督の原作から『それいけ!アンパンマン』(劇場版)
などの金春智子が脚色、製作はりん監督が本拠を置いている
マッドハウスが担当した作品で、アニメーションにはフラン
スのスタッフも参加している。因にマッドハウスは、今夏の
『サマー・ウォーズ』も手掛けているプロダクションだ。
実は本作に関しては、7月に東京飯田橋の日仏学院で、駐日
フランス大使も出席しての監督と声優らの記者会見が行われ
た。その席で僕は監督に質問もしているのだが、その答えが
ちょっと期待にそぐわなくて、その報告もしていなかった。
そんな訳で多少の懸念を持ちながらの試写会だったのだが、
作品の出来は予想していたより良い感じだった。
物語は、ペンギンの飼育係だった父親を亡くした幼い少女が
主人公。彼女は父親が生前話していたペンギンと一緒に空を
飛ぶことを夢見て頑張っていた。
そんな彼女の許に1個の人形が現れる。そしてその人形から
彼女は新開店のペンギンストアに招待されるのだが、実はそ
の人形は異世界からの使者で、ペンギンストアはその異世界
に通じているもの。さらに彼女は、強大な敵に襲われている
という彼らの世界を救うため協力が求められる。
しかし彼女は、能力的には普通の女の子…。そんな少女の大
冒険が開幕する。
声優は、実写版『ちびまる子ちゃん』の森迫永衣、『夕凪の
町、桜の国』の田中麗奈、爆笑問題の大田光。この中では、
大田の如何にも子供らしい声の作り方と台詞廻しには驚き、
アニメ専門家の意見は知らないが、僕には納得できるものだ
った。
他に、高橋ジョージ、藤村俊二、柄本明、爆笑問題の田中裕
二らが共演。さらに松本梨香、ヒロシ、ダンディ坂野、小島
よしお、モーニング娘。のメムバーらが声を当てている。
まあお話は有りがちなものだし、これに妙に大人の説教など
が加わると目も当てられないものになる。しかし、『アンパ
ンマン』の脚本家はさすがに子供目線の物語を丁寧に作り上
げていた。
しかも大人目線で観ても物語に破綻は感じられないし、特に
結末の付け方などはスマートに仕上がっていた。正しく家族
で楽しめる作品というところだろう。ただし子供の年齢はか
なり幼い場合に限られるかもしれないが。

『ジャック・メスリーヌ Part1/Part2』
     “L'instinct de mort/L'ennemi public n°1”
1960〜70年代のフランスで悪名を轟かした銀行強盗犯の半生
を描いた実話に基づく作品。昨年の東京国際映画祭コンペテ
ィション部門に出品され、主演のヴァンサン・カッセルが男
優賞を受賞した。
ジャック・メスリーヌ(本人はメリーヌと呼ばせたがってい
たようだ)は、アルジェリアに出兵した1959年、上官の命令
で初めて人を殺す。その後、パリに戻ったメスリーヌは、父
親の願いとは裏腹に幼馴染みと闇の商売に手を出し、犯罪者
となって行く。
昨年映画祭で上映されたときのタイトルは『パブリック・エ
ナミーNo.1』。読みはフランス語的にはなっているが、当時
すでにジョニー・デップ作品の情報を得ていた者としては、
その題名の符合にびっくりしていた。
ただし、映画にも出てくるカナダで最も堅牢とされる刑務所
からの鮮やかな脱獄劇や、そこに舞い戻って仲間を助けよう
としたなどの逸話から、メスリーヌには実際にジョン・デリ
ンジャーの再来としての「Public Enemy No.1」の呼称が与
えられたようで、こちらも偽りではないものなのだ。
それにしても、映画に描かれた脱獄劇や人の盲点を突く手口
は、うまく行き過ぎてフランス人特有の大法螺かという邪推
もしたが、この映画に描かれていることに関しては、全て実
話そのものの再現とされているものだ。
因に映画の巻頭には、「映画にはフィクションが混じる」と
のテロップが掲げられるが、物語はそれとは裏腹にほぼ実話
に則したもの。ただテロップの後半で、「男の人生の全てを
描くことはできない」とあるのはその通りかも知れないが、
それでも本作では前後編の246分を掛けて男の人生を見事に
描き切っている。
共演は『スイミング・プール』などのリュディヴィーヌ・サ
ニエと、フランス映画界の重鎮ジェラール・ドパルデュー。
他に『アラトリステ』のエレナ・アナヤ、『ぼくセザール』
のセシル・ド・フランス、『潜水服は蝶の夢を見る』のマチ
ュー・アルマリック、『ナルコ』のジル・ルルーシュ、カナ
ダ映画の『ロケット』で2005年東京国際映画祭男優賞を受賞
したロイ・デュピュイらが登場する。
映画は、Part 1の冒頭と、Part 2の冒頭と最後で1979年11月
2日のメスリーヌと警察の様子が描かれ、それは見事な緊張
感を描き出す。そしてそれらに挟まれた全体の物語は、あま
りに鮮やかで戯画的ですらあるが、1人の男の生き様を見事
に描き出しているものだ。
        *         *
 今回のニュースは映像の報告を1つ。
 7月26日付でも15分の特別映像を紹介したローランド・エ
メリッヒ監督作品“2012”で、今回はさらに53分の前半映像
が公開された。
 物語などについては前の報告を観ていただきたいが、今回
公開された前半53分(カリフォルニアの消滅)までの映像で
も、特別映像とほとんど変わらないくらいのペースで災害の
VFXがつるべ打ちされていたものだ。そしてその上映の後
で、監督と脚本家、それに主演2人による舞台挨拶とミニ記
者会見も行われた。
 その会見は、質問者も仕込まれていたもので僕は直接質問
することはできなかったが、中で後半の展開についての質問
があり、それに対する監督の答えでは、「今回上映されたの
は前半となっているけれど、実はこれはまだ3分の1でしか
なく、この後に3分の2残っている。この映画は大変長いも
のです」という発言があった。
 つまり今回の53分の3倍、159分が全体の上映時間という
ことになるようだ。そして今回はその後半の抜粋映像も上映
されたが、それも災害映像の満載で、これは正にデザスター
映画の集大成のような作品になりそうだ。しかもそこからの
生き残りが描かれるようで、全編の上映がさらに楽しみにな
ってきた。
 なお災害発生の切っ掛けは、ニュートリノが活性化して地
球の核を過熱させてしまうというもの。これが物理的に正し
いかどうかも検証したいものだ。


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井口健二