ちむたんのつぶやき
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2007年12月31日(月) 一年が終わる

大みそかです。

おととい次兄が買ってきてくれた数の子を、新年になる前に父が全部食べてしまいました。次兄はせっかく買ってきたのにひとかけらも食べていません(笑)。数の子は好物だとは思ってたけど、そこまで好きだったとは、今の今まで知らなかったよ。
そこでまたしても相棒のご実家に数の子を分けていただきまして…最後の最後までメイワクかけてんなよ私…。

甥っ子1号ちゃん@小学4年生 は、生まれて初めて年越し二年参りに挑戦するのだそうです。さて、寝ないでがんばれるかな?


さて。2007年も今日でおしまいです。
年末ジャンボはやっぱり外れてました。いやそれはおいといてこの一年を振り返りますと、まあ今年もいろいろとありました。
初夏あたりまでは、会社がかなりばたばたして落ち着きませんでしたが、その後はなんとかなりまして。
プライベートも穏やかでしたし、全体的にわりと静かな一年だったかなあ。
その分、こんなに平穏なわけがない、この先何かよくないことがあるかも、あるかも、といつも怖がっていたような気もします。言い方を変えれば、自分を大事にして日々を送ったとも言えるのかも…。

12月になって父が外で気を失うという大きな出来事があり、一気に不安が押し寄せてきました。この年末も、以前にくらべるとどことなく元気がない感じです。まあ今までが実年齢に比べてすごく元気だったというだけかもしれないのですが。
私の暮らしは父のためだけに成り立っているわけではありませんが、大きなウェイトを占めていることも確かなので、来年もいろいろと迷いながらやってゆくのだと思います。


本年も、ぽちくらにお運びいただきまして誠にありがとうございました。
日記を通じてみなさまとつながってゆけることが、私にとってひとつの大きな喜びです。
みなさまに、幸せなことがたくさんやってきますよう、心からお祈り申し上げます。
どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。


2007年12月30日(日) 雷雨

毎年12月30日、相棒の実家では総出で餅つきが行われます。
我が家もその余禄にあずかり、ここ何年も市販のお餅を買ったことはありません。毎年ほんとすんません。ありがとうございます。

なぜお餅つきを30日に行うのかというと、その日はきわめて晴れる確率が高い…と相棒も過去の日記で書いておりますが、たしかにそうなんです。
が!今年はあろうことか朝から雨!しかも雷まで鳴り始めてしまったのでした!!ありえない……。
轟く雷鳴が相棒のお母君の怒号にも思え、ひそかに胸をいためるわたくしでございました。

しかし午後になって、丹精こめて搗きあげられたのし餅と相棒の手による入魂のあんころ餅、そしてからみ餅が届けられたのでした。
今年も変わらぬ美味しさ。胃腸の調子があまりよくないとここしばらく少ししょんぼりしている父も、用心しながらうれしそうに食べていました。

本当にもう、相棒のご実家およびお兄様、叔母様宅の方向に足を向けては絶対に寝ません。おかげで明るい気持ちで年が越せます。ありがとうありがとう。


2007年12月29日(土) たららん

お正月休み一日目。たららん。
おそうじの神様の教えに従い、クイックルハンドワイパーで家のあちこちをこしょこしょとこすって回りました。磨くとか片付けるとか、腰が痛くなりそうな類のことは一切スルーしました(いっそすがすがしい口調で)。それについてあんまり罪悪感みたいなのは感じないですんだかな。人は人、我は我。生きてるだけでまるもうけ。みたいな。

当初は深夜のETC3割引を使って帰ってくるといっていた次兄が、めんどくさくなったのか夕方に到着。いくらと数の子を持ってきてくれました。
夜はすき焼きにして、下仁田葱を使い切りました。
先日の日記ですき焼き鍋が焦げると書きましたが、どうやらスタート時点での火力が強すぎたのがいけなかった模様。次兄のアドバイスにより少し弱火ではじめたら、全然焦げずにできました。鍋のせいにしたりしてすまなかったことです…。


2007年12月28日(金) 仕事をおさめてきましたよ

…よく終わったと思います。
と言いつつ、私が疾風のように帰ったあとに、何も起こっていないことを現在切に祈ってもおりますけども。
というのも、当初は何があっても大丈夫なように最終21時半の特急指定席を取っていたのですが、どうやらけりがつきそうだと睨んだ15時くらいの時点で19時の特急に変更し(もともとあわよくば早めようと、切符は発券しないでおいたんですが、まさか2時間半も早くなるとは…)、さっさと消えたからなのです。
月末処理の最後の最後までは見届けなかったので(もちろん関係各位に“めどはついてまーす”とは伝えてますけど)、急いでたので社内の人にあんまりちゃんと挨拶できなかったし、そのへんがちょっと心残り。ああ、最後の最後までこうか。

仕事面で振り返れば、今年はわりとこんな感じの微妙な一年でした。
仕事はきちんとやりましたが、他人の世話はあんまり焼かなかったな、というような。
自分のやるべきことを済ませてさらっと消えるか、それとも何かあったときのために残っておくか、と迷った場合、今年は前者を選ぶほうが多かった気がします。どちらかというとこれまでは後者が強い傾向だったんですが、今年はけっこう自分優先でしたね。
このあたりのバランスの取り方やどう状況判断していくかは、来年も自分の中での課題になると思います。結果論になる部分も多いですけどね…。


話は違いますが、mixiでふと思い立って自分の卒業した学校のコミュニティを検索してみたら、小学校から大学まで全部ありました。
小学校で同学年だった人の書き込みを見て知ったんですが、女優の石田ゆり子さんが同じ学年にいたそうな。全然しらんかったー。
卒業アルバムを見たらいなかったので、卒業前に転校してしまったのでしょうが。
ちなみに5〜6年のときのクラスはとても居心地がよかったので、当時のクラスメートがいないかなーと思いましたが見当たりませんでした。みんながどんな大人になっているのか知りたい気がしますが、自分がたいした大人にはなっていないので考えどころですな。


2007年12月27日(木) 録画予約の鬼

今日は相棒が会社の忘年会だったので、残業帰りに職場近くのカフェでお気に入りのカレーを食べて帰りました。

帰宅してからケーブルテレビのプログラムガイドを眺めていたら、銀魂のアニメがキッズステーションで年末から2本ずつまとめて再放送されることに気づきました。今年の夏に見始めたときすでに15話近くまで進んでいたので、これはおいしい。
それとチャンネルnecoで、日本テレビ年末時代劇の名作「五稜郭」と「白虎隊」をそれぞれ30日と31日に一挙放送することも発見。これは今見なくてはいけない気がします。

録画予約がめちゃくちゃ大変でした。トータルで15時間以上なんですけど…
録ったはいいけどいつ見るんだろう(笑)


2007年12月26日(水) につまる

今日も入れてあと3営業日で本年の業務終了。
しかし29日からの休みを確保するためには、28日までにすべての売上をムリヤリにでもシステムへ叩き込まなければならないのでした(泣)。
シンガポールに親会社の経理部門があるのですが、なんせ外国は1月1日しか休まないからな。日本人にとってのお正月がどれだけ大事だかわかるだろう!?えっわかんないの!!??って感じなんですが……。
私は普通に休めますけど、経理のかたがたは年末年始けっこうな日数出勤する予定みたいです…。みなさんたまたま自宅が東京だからまだいいけどとおっしゃってますが、私がもし経理だったら本気で泣いてます。

そんなわけでコミケあわせ入稿もかくやとばかりのシュラ場です。いや徹夜とかはしてませんけどね、もちろん。
とにかく風邪だけはひきたくないです。風邪ひくくらいならこの世から蒸発してしまったほうがまだマシってもんさね!


2007年12月25日(火) へんな一日

9/26の日記に書きましたように、本日私の勤務先はクリスマス休暇(ただし午後のみ)でございました。
朝出社してみたら、なんと!管理部門(総務&経理)と営業部門のひとたちが全員午前半休を取っていたのです。
たとえ半日でも会社が営業してるのに、部署全員だーれもいないって、アリなのね………。
この会社の常識は、私の常識からは相当遠いところにあるようです。

そうなると総務がふだんやってくれている仕事は、立ち位置的にすべて私に回ってくるのでした。なんせ人数少ないから。

おかげで朝から代表電話を取り、宅配便を受け取り、植木鉢の水遣りやガラスの清掃に来た業者さんや飛び込みセールスに対応し、etc、etc。すっかり一日総務の人でした。こんなにこまごまといろんなことがあって毎日大変なんだなあ、とは思ったけどさ。なんかちょっと違う気がする。

ちなみに社長は先週からずーっと、今日までお休み。アメリカの自宅に帰って家族と過ごしていたようです。

午後にしても、休めたのはお客さんと日々直接やりとりするわけではない立場の人たちだけ。かえって、休みを取っている人がいる分いろいろ滞ることもあって現場は困ったようです。
来年はちょっと考えたほうがいいんじゃないのかねえ…
年末休み直前で、ただでさえ仕事が詰まっている時期なのにね。


2007年12月24日(月) クリスマスイブでした

朝寝坊して、お昼過ぎにイクスピアリにいきました。
地ビールのお店で季節限定のクリスマスエールを飲んで上機嫌に。お店を出たあと、お母さんに抱っこされて前を歩いてゆく小さな男の子と目が合ったので唐突にピースしたら、にこにこしながらピースし返してくれて感激でした(あやしいって…)

中庭のクリスマスツリーが、夜になると毎時0分にライトアップされて、しかも人工の雪を降らせるというイベントがあり、5時の回を見ました。お父さんに肩車された女の子が、空からちらちらと落ちてくる雪にいっしょうけんめい手を差し出す様子がとてもかわいかったです。

エディーバウアーでダウンジャケットを買いました。いま着てるのはとても暖かくて気に入っているのですが、いかんせん色がうすい水色なのでどうにも汚れてきてしまい…今度は濃いめのグレーにしました。ふだんあまり着ない色なので新鮮です。年末はこれで実家に行こうと思います。

あと、通勤用のバッグを探そうとかばん屋さんに入り、かなりいい感じのを見つけたのですが、お値段も通勤ユースにするにはちょっとお高めだったため、相当悩んだ末見送り。
ピエール・エルメのクリスマスケーキを買って帰りました。
去年も食べたんですが、いやもうほんとに奇跡のおいしさ!
4,200円というお値段も高くない!!(いや、やっぱ高いけど)(ケーキにその値段出せるならバッグ買えよって感じだけど)

年末最終週に入るところで、いい休養ができました。
これで年末年始、走り抜けるぞ!


2007年12月23日(日) 行って帰って

昨晩実家に来て、今日は6時の特急で帰りました。
父は、3連休だから明日の晩までいるものと思っていたようですが………。
また金曜の夜に来るから許してくれー。


2007年12月22日(土) 合唱つづく

今日は都内某所にてとある男声合唱団の演奏会。男声合唱を聴くのは大学生のとき以来かも、というほど久し振りでした。
当時、関西学院大学グリークラブ(名門です)の演奏を聴いてその端正なハーモニーに大感激したのですが、今日の演奏会でもそれに近い感動がありました。中世ヨーロッパの宗教音楽をレパートリーにされているのですが、聴いていると教会の聖堂にいるような気分になりましたものね。
昨日、素人のコーラスを聴いてかなり複雑な心持ちになっていたところを救ってもらったような気がします。とかいうのも傲慢ですけど。
最終ステージのはじけたパフォーマンスも愛らしくてよかったです。毎年この時期に定期演奏会をやるようなので、また聴きにいきたいなあ。

その後上野に移動して実家へ。この連休は行かないつもりだったのですが、父のことがちょっと心配なので、今晩行って明日の夜帰ってくるというややムリヤリスケジュールを組んだのでした。


2007年12月21日(金) ゴスペルコンサート

友達のHちゃんがゴスペルコンサートのチケットを取っていたのですが、お客さんとの忘年会が入ってしまい行けなくなったとのことで、引き受けて行ってきました。
出演はニューヨーク・ハーレムシンガーズ。ブロードウェイでミュージカルの音楽監督を務めているプロデューサーが、オペラやミュージカルで活躍する歌手を集めて作ったグループだそうです。
さすがに完成度の高いパフォーマンスで、圧倒されました。メゾソプラノの人がソロで歌った「マイ・ファニー・バレンタイン」が特にすてきで、聞きほれてしまいました。
最後に地元のゴスペルコーラスグループが共演したのは正直なところ…でしたが。すこし調べてみたら、プロと同じステージで歌える!というのを売りにして各地でコンサートツアーをやってるみたいなので、いいんですけどね。

終演後は忘年会を終えたHちゃんも合流して、火鍋をいただきました。寒い夜だったので鍋は最高でしたね。


2007年12月20日(木) 忘年会でした

…厚木で。

今年の春から厚木の部署の所属になっているので、忘年会もそちらのメンバーに入れていただくことに。(来年はそうじゃなくなってるような気がするけどね…)

19時開始とのことで、定時にオフィスを出たら間に合いません。上司が早く出ていいと言ってくれたので、30分早く出ました。それでも駅に着いたのが18時50分過ぎだから遠いね、やっぱり。

お料理はちゃんこ鍋。若い男性が多いので好評でした。わいわい言いながら食べられるし、やっぱり鍋はいいですねえ。
厚木の皆さんとはふだんメールや電話ばかりで顔をあわせる機会はあまりありませんが、気さくな人たちなので楽しかったです。そこまで言っちゃう!?みたいなトークもけっこうあった(笑)

帰りは上司(私よりさらに家が遠い)と一緒に帰りました。
乗換駅で酔っ払いがホームの非常停止ボタンを押したらしく、けたたましいブザーが鳴ったのでドキッとしました。電車が止まってここからタクシーなんてことになったら目も当てられませんし。
さいわいいたずらだったようでした。でもおかげで電車が遅れました。
電車に乗ったのが22時少し前で、自宅に着いたのは日付が変わった頃でした。
上司は東京のオフィスに戻って仕事すると最初は言ってましたが、結局酔いに負けていました(笑)明日は出張なんだし、帰って正解だと思うのですが…。

おもしろい一日だったなあ。


2007年12月19日(水) 年賀状出し終えました

今朝、自宅近くのポストにどーんと入れてきましたよ。元日に届けるには25日までに投函してくださいとのことで、まだ19日ですから絶対に届くよね!これで届かなくても私のせいじゃないわーん。

ちなみに私は元日には家にいないので、いただいた年賀状を見られるのは3日の夜です。くっすん。

今日は歯医者さんでした。次の予約を取るとき「時間は18時半で」とお願いしたら「では28日の18時半はいかがでしょうか」といわれました。
締め日だ。ぜったい無理。
「それでは29日は」
東京にいません。

というわけで年明けになりました。
28日に「これなら歯医者いけたじゃん?」って思えるくらい余裕があればいいのう。


2007年12月18日(火) あと2週間

再来週の今日はもうお元日だなんて!

じわじわと忙しくなってまいりました。
この時期に数字の入力仕事持ってこないでほしいわ。同じ数字をちょっとずつ項目の違う表に何度も何度も何度も入れてる。ムダだっつの。


2007年12月17日(月) わらしべ長者

昨日あたりからえらく冷え込んでいる東京です。
でも私も相棒も今のところ風邪はひいておりません。一応。
相棒の職場では日々入れ替わるようにして風邪で倒れていっているそうですが…。
「何はなくても手洗いうがい」をスローガンに、この冬を乗り切りたいと思っております。

でも暑いより絶対いい。夏より冬のほうがずっとずっとまし!と、灼熱の今夏を経験してしみじみと思う私なのでした。
この冷え切った空気を保存しておいて、夏に放出できないもんですかね。北海道では、新千歳空港で冬に除雪した雪を取っておいて夏の冷房費を削減する実験をはじめる…とかいう記事を、先日ネットで見かけた覚えがありますが。

家にたくさんあるりんごを同僚のMさんにお裾分けしたら、アップルパイを焼いていただいてしまいました。りんごを煮てのせるのではなく、生のままスライスしたのをパイ生地の上に並べて焼くタイプ。フランス風だとか。
さわやかで美味しかったです。
りんごを差し上げてパイになって返ってくるとは、さながらわらしべ長者のごとし(笑)


2007年12月16日(日) おそうじの神様は身近にいた

この週末は相棒も実家にきてくれました。
父の田舎から届いた下仁田葱ですき焼き食べさせるよ!と釣った私がもたもたとお風呂やお手洗いの掃除をする脇で、窓を拭いてピカピカにしただけでなく、家中のいたるところにハンディモップをかけ、それはそれはさっぱりと綺麗にしてくれたのでした。
いやもう本当にすき焼きでは見合わないくらいの格別の御働き。
おそうじの神様(12/2の日記参照)はこんな身近にいたのね。本当にありがとう。

ちなみに先日の件で父を心配した長兄も泊りがけで来ており、土曜の夜は四人でにぎやかにすき焼き鍋を囲みました。美味しかったです。
最近よく思うんですが彼も次兄もたいそう話し上手です。父はどちらかというとぽつっと言うことが面白いクチですが、兄たちはマシンガントーク系です。親子でも違うもんですね。

父も元気よくすき焼きを食べました。量はひかえめだったと思うのですが、やはり少しもたれたようで、その晩はあまりよく眠れなかったそうです。
前はこれで平気だったから、とつい思いがちなのですが、そのへんはだんだん変わっていっていることを、よくよく考えてやっていかなければいけないですね。


すき焼き鍋がどうも焦げ付くんですが、買い換えるべきだろうか。
年に3回くらいしか使わないのに、もったいない気もするなあ…。


2007年12月15日(土) 25年

25年前の今日、いま実家がある街に越してきたのでした。
中学の友達や先輩との涙の別れのあと、次兄の運転する車に父と母と私が乗って、いまは高速道路ができていますが、当時は国道をずっと北上していきました。借りてあった家に着いたのが何時ごろだったのかはっきり覚えていませんが、とにかく深夜でした。
12月の北関東の寒さを完全に見くびっていた私たちは、まずその冷え込みに圧倒されました。電気は来ていましたが、暖房器具はすべて明日到着する引越し荷物の中。人数分の毛布のほかは、かろうじて母が持ってきていた電気毛布があるのみ。
寒くて眠れないという経験を生まれて初めてしました。川崎が恋しくて頬に流れた涙がとてもつめたかったのを覚えています。

両親は北関東の別の県の出身とはいえ、知っている人もいない街。父は勤め先を早期退職して、月給制ではない仕事にかわることになっており(結果的には大正解だったのですが、この時点では良い見込みはあまりありませんでした)、両親ともさぞかし不安だったことでしょう。この頃は父の機嫌が何かにつけ悪く、母にとってはつらい日々だったと思います。

その後父の仕事がどうにか波に乗ってゆとりができ、母の憧れだった一軒家を建て、海外旅行にいったりもできるようになり。
長兄は結婚し、次兄は海外をとびまわり、私は高校から大学へ進学して家を出て。

私が来春から社会人になるという12月に母が病に倒れ、それからまもなく父は母を看るために仕事をやめました。
その2年後の12月に母の病気が再発して、私も会社を辞めて実家に戻りました。
1年ちょっと経った2月に母を見送り、私が7月に東京に出たので、それ以来父はひとり暮らしです。


両親にとって、一番長く住んだ街。
ごく普通の家庭の歴史ですが、25年間、本当にいろいろなことがありました。
出会いも別れもたくさん。
笑いも涙も、たくさん。


2007年12月14日(金) まぶしいようです

12月22日に、私が学生時代に所属していた女声合唱団の定期演奏会があります。別口の用が入ってしまってあいにく行けないため、わずかですが寄付をしました。
団長さんからいただいたお礼メールは、とても丁寧ですがすがしい語り口で、心が洗われるような思いでした。
現在、私の在団中とは比べ物にならないほど団員が減っているのですが、来年はさらに人が抜けるので、新歓をがんばりますとありました。
人を集めることにはなんら寄与できず、応援するのみなのですが、学業にまじめに取り組みつつ合唱を続けていく彼女たちの努力が報われることを心から祈りたいと思いました。


2007年12月13日(木) いとしあ

有楽町に用があったので、駅前にオープンして間もない「有楽町イトシア」を初めて見ました。
いやー、なんかぴかぴかになったのね有楽町。
以前は、改札からマリオンに至るまでの道はかなり古くて暗い感じがしていましたが、再開発された今はまるで別の街のようです。

そのイトシアに、なつかしいお店が。
甘味処「おかめ」有楽町店さん。
以前のお店は現在イトシアになっている界隈にあり、1000daysや東宝劇場に通いつめていた頃によく行っていたのですが、その後交通会館の地下に移って(?)いて、このたびイトシアに入ったとはしらなんだ。最近はこの辺にさっぱり来なくなっちゃったもんで。

なつかしいので入ってみました。
お店はすっかりいまふう和モダンな感じですが、お味は前のまま変わっていませんでした。おいしかった。


交通会館の三省堂書店で、先日拍手メッセージでRさんからおすすめいただいた、よしながふみの「愛がなくても喰ってゆけます。」を買いました。
家に帰ってから読んでよかった…面白すぎて、外で読んでたら笑っちゃって恥ずかしかったでありましょう。
Rさん、お勧めありがとうございました!


2007年12月12日(水) ねんがじょう

もうすぐ年賀状の受付が始まりますね。
11月中に早期申込み割引で印刷を頼んでおきましたが、まだ1枚も書いていなかったので今日から書き始めました。

自分の住所・名前・電話・メールアドレスは印刷してあるので、一言書き添えて、あとは宛先を書きます。以前は筆まめを使って宛名印刷したこともありましたが、基本的に宛名書きが大好きなのと、そんなにたくさん出すわけでもないので、ここ数年はずっと手書きです。
宛名を書いていると、相手の人が住んでいる場所に思いが飛んで楽しいんですよね。そこへ行ったことがあってもなくても。

ただ、字は年々とめどなくヘタになっていっておりますので、私から年賀状を受け取る方は…覚悟しといてください(苦笑)


2007年12月11日(火) 通常運転

3日間めそめそした日記を書き続けてさすがに飽きましたので(…付き合わされる方々の身にもなれよ)、本日より通常運転に戻りたいと存じます。
突然ですが、今日総務から私のいるオフィスに勤務する全従業員宛に届いたメール。



「各位

12月29日(土)〜1月6日(日)までは年末年始のお休みとなります。
28(金)には大掃除をするため、前日の27日(金)には冷蔵庫/冷凍庫の
整理を始めていきたいと思います。

封が開いているもの、賞味期限が切れているものはどんどん捨てていきます。
名前がついている場合は確認をとってから処分致しますが、ない場合は
申し訳ありませんが総務が処分に踏み切りますので予めご了承くださいませ。

年を越して保管したいものについては必ず名前を明記しておいてください。
名前がないものは冷蔵庫/冷凍庫内の整理をする為に処分してしまいます。

ご理解とご協力の程、宜しくお願い致します。」



第一段落の曜日の間違いが惜しいところですが、それより何よりこの固い決意に満ちた文章が妙にツボに入ってしまい、あわてて冷蔵庫に入れていた野菜ジュースを取りにいってしまいました。
ちなみに入れたのは今朝ですので私は無実です。

このメールの後に、2008年の休日一覧表も届きました。
…って、ちょっと待て。

最終営業日が12月29日(月)になってる!!!???

28日が日曜なら、最終営業日は26日(金)じゃないのー?(涙)
前の会社はそうだったなぁ…。

ということは、29日夜に帰省して、年越しまでまる2日しかないって!!?
少なくとも掃除は無理だな。<心なしか開き直ってる

って、今年もまだ終わっていないというのにもう来年末の話ですか。鬼が笑うわ。


2007年12月10日(月) 挫折しかけながらもよかった探し

メロウな日記が続いてしまいます。すみません。
これ書いて浮上したいです。





土日の出来事と日帰り実家往復が心身へのけっこうなダメージになってしまい、ヘロヘロの状態で出社。
気分的にかなり落っこちていたので、仕事が忙しくなかったのをこれ幸い、コアタイム終了の3時でフレックスして帰りました。

首から肩から腰からバキバキにこわばって痛むのでマッサージを受けに。担当の人になかばあきれられながらほぐしてもらい、おかげでだいぶ楽になりました。

マッサージで揉まれている最中や、買い物をしているときや、電車に乗っている間も、うすぼんやりした悲しさがこみあげてきて気がつくと涙ぐんでいたりしてちょっといかんなあ、という感じでした。

なにがこんなに悲しいんだろう。



帰宅してしばらくして、相棒のお母様が今年も送ってくださったりんごが届きました。
せっかく早く帰ってきたからりんごジャムの第一弾を作ろうと、6個分の皮をむいて刻みはじめました。
単純作業をしていると、いろいろ考えますよね。



私は父が46歳、母が39歳のときに生まれた子供なので、同級生のご両親と比べて自分の両親がずいぶん年配なのは授業参観などで理解していました。
なので、その頃からずっと怖かったです。
両親が倒れる日、離別する日を、一般的な同年代の人より早く経験することになるんだなと。

実際に母は、私が22歳のときに発病して25歳のときに逝ってしまいました。母が脳腫瘍にかかっており、余命はあまり長くないと診断されたとき、来るべき時、恐れていた時がとうとうきてしまった、と心底思ったのをよく覚えています。

でも理解できていることと、覚悟ができていることとはまた違うんですね。
幼い頃から親との離別の日を思って怯えていたというわりには、精神的に自立できてない自分をひしひしと感じます。
ああ、自立できてないから怯えるのでもありましょうが。


でもねえ。
怖いのは、私が両親をそれだけ愛しているからで。
両親がそれだけ私を愛して育ててくれたからで。
母はほんとうに、今でも思い出すと胸がつまって泣けてくるほど、こんな私を慈しんでくれたし。
父の愛はなんというかそのややベクトル違ってる?みたいな気もしばしばしますけれども、喧嘩ばっかりしてた時期もかなり長くありましたけれども、今でも一緒に暮らしたらあんまりうまくやれる自信ないですけれども、それでも愛されているのは感じますし。

そういう愛情にどう応えるかといえば、それはもう、悲しさも怖さも焦りも疲れもひっくるめて、私の全力で行くしかないんだろうし。

もうちょっと人間がドライにできてればいろいろ楽だったのかもしれないなあ、と正直思いますが、ウェットなところも両親からもらっちゃったものだから仕方がない。


そんなふうに考えていたらすこし気分が明るくなってきたので、いわゆる「よかった探し」をとつおいつしてみました。

父がもし一人でいたときに土曜日のような状態になっていたら、取り返しのつかないことになっていたかもしれない。
(そもそも今回東京に呼ばなければこういう事態も起こらなかったかもしれないんだけど、そこは目をつぶるとして)
それに、まだ東京でよかった。もっと遠い旅行先だったら簡単に帰れなくて大変だった。
次兄や相棒が一緒にいてくれてほんとに心強かった。私一人で何もかも背負っているわけじゃないと思えた。

そんな感じで考えているうちに、りんごジャムはまあまあ美味しくできました。



ちなみに今日、父はゴルフにいったのでございます。
しかも一人で。
わたくしどものブーイングをものともせず。

お昼すぎに無事帰ってきたよ、というメールをもらったので相棒に伝えたら「いつも通りの行動がちゃんとできたことで、ご自分としても一安心なさったのではないかしらね。」といわれました。


至言なり。


2007年12月09日(日) 家族忘年会だったのですが(その2)

※前日に引き続き、重めの内容ですのでご注意くださいませ。





朝7時すぎ、父が起き出しました。けろんとしています。
ワインが口当たりがよかったのでハイペースで飲みすぎて脳貧血を起こしたんだ、と主張しています。(と言ってもグラス半分も飲んではいなかったのですが)
昨日の晩私がコンビニで買っておいた干し梅がえらく気に入ったようで、どんどん食べています。
そりゃ、戻したあとだし胃の調子はよくないだろうから、すっとしそうなものがいいかなって買ってきたんだけども。
こっちは昨晩寝たような寝てないような感じで、入稿前のシュラ場明け並の消耗ぶりなんですけども。

その後も朝食に出たデニッシュが美味しいといって、小ぶりながら4つも食べました…。
ややハイテンション?という感じ。いやいつもこんなもんか?


10時にチェックアウトして上野へ。親子三人で電車に乗るなんて本当に久し振りでした。次兄はちょっと離れたところの一人掛けの席で、私は父の隣で、それぞれ爆睡しました。元気なのは父だけ?

家に着いてお茶を飲んだりして少し休んでから、次兄が父に病院で検査をしてもらうことを再び勧めてくれたのですが、前より穏やかな反応ながらやはり返事はノー。
ただ、いつもかかっている内科で先日血液検査をしており、その結果を来週あたり聞きにいくというので、そのときに昨日起こったことを先生へ報告してください、と頼んだらそれはとりあえず了承してくれました。
次兄がそのとき一緒に行って先生と話したいと言ったところ、平日なんだし大げさになるからやめてくれ、と言われてしまいましたが。
次兄は去年はじめに糖尿病と診断され、数値を落ち着かせるために入院した経験をしたことから、健康管理にはかなり敏感で実体験に基づいた考えがあるので、私が話すより父もずっと真剣に聞いてくれた印象ではありました。

死ぬのはこわいし元気でもっと長生きしたいから無理はしない、でも病院でいろいろ検査されたりするのはかえって不安になるからいやだ、という姿勢は不動のもののようです。
それはそれで正しいのかもしれない。

理想は、友達とゴルフに行ってティーショットを打ったとたんにふっと意識がなくなってそのまま、だそうです。
それはそれで素敵なことです。皮肉でなく。




私はいまどうすれば一番いいんだろう。
いくら考えても、答えは出ません。
どんな成り行きになっても、ひとつも後悔しないなんてことは絶対にあり得ないのだと、母の死を通じて知ってはいるのですが。


悲しいのは父に対してではなく、いつか父を失う自分が悲しいのだと。
怖いのは、その日が確実に近づいていることを強く実感させられたからだと。
焦りを覚えるのは、そういう事態になったとき、うまく動けるか不安だからだと。
なにひとつとして、父のことを心配しているのではないんじゃないかと。
そんなふうに思えてなりません。
私の人生が父とは別に続いてゆくものである以上、それはある意味仕方のないことだと、わかってはいても。
これからどういう方向にがんばればいいのか、なんだか見えない気がするのです。


2007年12月08日(土) 家族忘年会だったのですが(その1)

この土日にあったことを、細かく思い出そうとすると胸が苦しいような気分になります。日記に書いておきたいのかどうかも、正直よくわからないのですが…。
以下、不快な表現を含むかもしれませんのであらかじめお断りしておきます。





ずいぶん前から予約や手配をして楽しみにしていた週末でした。
夕食は5月に行って父が気に入っていた銀座の「みやちく」の鉄板焼きのコース。ホテルは新橋の第一ホテル東京。

4時半、上野に父を迎えに行ってその足で新橋に向かい、ホテルで次兄と落ち合ってチェックイン。
父は部屋で休んでビールでも飲むよというのでそうしてもらって、6時過ぎに徒歩でお店に向かいました。
和やかに食事が始まり、父がふだんはあまり好まない上品な前菜も、なぜかここのお店のはけっこう喜んでくれるなあと思っていました。話上手な次兄もいたので、会話も弾みました。

これからお肉を焼きますね、ときれいにさしの入ったお肉を見せてもらい、うわあいいお肉だねえ、と歓声をあげ。
ふと左隣の父を見たら、様子がおかしいのです。
座ったまま両手をだらんと下げて、視線はうつろ。というよりほとんど白目をむいている状態でした。
傍に寄って呼びかけると、最初はうう、というような声がかえりましたが、大丈夫?どうしたの?聞こえる?と矢継ぎ早に声をかけるうち、返事がなくなりました。額にはびっしりと冷や汗が浮かんでいて、唇から今まで食べていたものが覗いていました。
最初に次兄が車を呼んでホテルに帰ろうと言ってから、父のただならぬ様子にいやこれは救急車だ、と二人で思い直すまでどのくらいの時間が経ったかはっきり覚えていませんが、1分もなかったように思います。

汗をぬぐい、必死に呼ぶうちに、父が意識を取り戻しました。どうしたのかな、ちょっと生あくびが出たと思ったんだけど寝ちゃってたかな、といいます。
そしてこう言いました。

悪いことをしたね、大丈夫だからみんなは食事を続けなさい、まだメインディッシュが出てないだろう?

ショックで無感覚になっていたのでそのときはなんとも思いませんでしたが、あとで思い返すとおかしいやら切ないやらで涙が出ます。

いま救急車が来るからねといったら、そんな大げさな、タクシーでホテルに帰ればいいよとかえって父が慌てたそのとき、ちょうど救急車が来ました。ずいぶん早く来てくれるんだなあと思った気がします。
血圧を測ったら120/110でした。

このあたりの受け答えはあまりはっきり覚えていないのですが、父はこの時点ではほぼ普段どおりに戻っており、救急隊の人に、私たちはお医者さんではないのでなんともいえませんが、病院に行ってもらったほうがいいと思いますよ、といわれてもいやいやそんな必要はありません、私は病院嫌いなもんで、と断ってしまいました…。
ご本人が署名してください、と差し出された書類(内容は確認できませんでしたが、おそらく救急車を呼んだのに搬送してもらわなかったことに対する証明のようなものだと思います)にもしっかりした字でサインをしていました。

このときどうして無理にでも病院に連れていってもらわなかったのか、ともいま思うのですが、私も動揺が最高潮だったのか、親の言うことには従わねばならないというような刷り込みがあったものか、強く言えませんでした。
実はこの週の火曜に会社に消防署の人が来て防災講習が開かれ、人工呼吸や心臓マッサージの手順などを教わったばかりだったのにもかかわらず、全く頭から飛んでいました。せめて呼吸をしているかどうかの確認くらいとっさに出来なかったものかと思います。


救急車が帰り、ふたたびタクシーを呼んでもらって来るのを待ちました。
父はまだかなり汗をかきながら、何があったんだろう、さっき飲んだワインが回ったんじゃないかな、とさかんに不思議がります。少し胃が重いともいいます。
いつもより多少ぼんやりしているような感じではありますが、それほど変わりはありませんでした。
ところが、そろそろタクシーが来るだろうから玄関まで行こうかと立ち上がったときに、食べたものを戻してしまいました。
このときが、救急車を帰してしまったことを一番悔やんだ瞬間でした。

しかし、戻したことでむしろ楽になったのか、父はさっきよりしっかりしました。次兄が腕を取って支えていましたが、見送ってくれるお店の人に謝りながらエレベータに乗って1階に下りるのも、タクシーに乗り込むのも、ちゃんと歩いていました。
タクシーの中では「12月の土曜日の銀座なのに、あんまり人が歩いていないねえ。車はたくさんいるけど」と父が外を見ながら言い「金曜日のほうが人は出るんじゃない?」と応えたのを覚えています。

ホテルに着いて部屋に入ると父は「もう大丈夫だよ、私は休むからみんなはちゃんと食事をしてきなさい」といいながら着替えてベッドに入り、ほどなく寝息をたてはじめました。この時点で7時半過ぎくらいだったでしょうか。

ごはん食べろっていわれても。

と、窓際の椅子に座り込む次兄と相棒と私。

しばらくして次兄に手招きされ、二人で廊下に出ました。
明日の予定を聞かれたので、上野発11時の特急を取ってあると話したところ、車で帰ったほうが楽なのかな、いったん次兄が神奈川の自宅に帰って車を持ってこようか、という話にもなったのですが、それも大変だしここは新橋。上野まではすぐだから、かえって電車でさっと帰ってしまったほうがいいのかも、という結論に達しました。
それにしても一人で帰らせるわけにはいかないから二人でついていこうということで、次兄が新橋駅まで行って同じ特急の指定席を買ってきてくれました。その間に長兄にも電話を入れてくれたようです。

部屋に戻ると父は静かに眠っていました。
次兄がほどなく新橋駅から戻ってきて、自分がついているからごはん食べてきていいよ、と言ってくれたので相棒と二人で部屋を出ました。
お店に入る気にはなれなかったので、ホテルの前のコンビニで調達。
さっきのお店でそれなりに食べていたこともあり、ヨーグルトを1個食べるのがやっとでしたが。

今晩は父の泊まっている部屋で寝ることにしたので(たまたまツインのシングルユースにしててよかったです…)、寝る支度をしてふたたび父の部屋へ戻り、次兄と交代しました。やはり食べる気がしないというので、コンビニを教えておきました。

相棒が11時くらいまで一緒にいてくれて、そのあとは父と二人きりになりました。
ベッドに入ると、今日一日のことがどっと思い出されて、息苦しいようでした。

父はときどきいびきをかいたり、乾燥肌なのでかゆいのか身体をかいたりしていましたが、起きる様子はなし。
3時に起き上がったので、気分が悪いのかと私も飛び起きましたが、時計を見るためでした。そのままお手洗いに立って、次に起きたのは7時でした。
と言っても、8時から3時までずっと眠っていたので、その後はうつらうつらした程度だったようです。

長い長い夜でした。


2007年12月07日(金) クリスマスもんじゃ

月島にあるもんじゃ屋さん「まぐろ家」の銀座店(といっても新橋のほうが近いけど)で、HちゃんSさん夫婦とクリスマス会兼忘年会。
なんだか、バレーボールネタでえらく熱く盛り上がってしまいました。

近年、天然ぶりにますます磨きがかかってきている感のあるHちゃんのボケにはたいへん和ませてもらいました。Sさんはサンタさんのようにすてきなプレゼントをくれたし。ありがとうございました。
相棒があげた「かわいいコックさん」の形の箸置き、使ってね(笑)


2007年12月06日(木) ひっそりと

実はこの日の日記を飛ばしていたのでございます。
今となっては何があった日なのか全く思い出せませぬ。
小学校のときのクラスメートのA子ちゃんの誕生日だったな(中学で別のクラスになったし私が1年生の終わりに転校したのでそれ以来会ってません)。

今年の6月から毎日日記を書き続けていたのに、ようやく半年経ったここで中断してしまうのもくやしいし。
というわけでこれでお茶を濁したいと思います。きっと誰も気づくまい。フフフフ。(12/13記)


2007年12月05日(水) クラス対抗

1年の12月まで在籍した川崎の中学校は、クラス対抗行事に異様に熱の入るところでした。
体育祭や球技大会ならわりとどこでもポピュラーかと思いますが、百人一首大会と合唱コンクールも花形行事でした。
私は1年4組だったのですが、担任のS先生(なぜか「暗黒の美青年」というあだなが一部でささやかれていた)、と2組の担任のM先生の間で猛烈な対抗意識が燃やされていたため、ライバルは常に2組でありました。実際、どの行事でも2組と4組は上位だった記憶が。

わたくしは大してピアノもうまくないのに、小学校時代はしょっちゅう合唱の伴奏者を務めておりました。ああいうのはハッタリがけっこう肝心なのです。
その過去があったため、中1の合唱コンクール(1月)でも伴奏者に選ばれたのです、が。
父の仕事の都合で、その年の12月15日をもって転校することになってしまいまして。コンクール当日にいない人はピアノ弾けませんわな。
みんなに残念がってもらいながら、伴奏者には他のクラスメートが任命されました。

しかし実は、私は内心ほっとしていました。
小学校までの比較的簡単な曲なら私でもなんとか弾けましたが、そのときの曲はかなり難度が高かった。練習ぎらいと手の小ささのため、小学5年まででピアノのおけいこを止めてしまった私(ソナチネの最初あたりで挫折した)には、はっきり言ってどう弾くのかさっぱりわからん部分がかなりある楽譜だったのです。
私の代わりの男の子が弾いているのを聴いて「なるほど、そういう曲だったのか!」と思ったくらい。
いやいや、危ないところだった。

もうひとつの行事、百人一首大会もたしか年明けすぐでした。
当然参加できなかったわけですが、これにはかなり出たかったので悔しかったです。
当時のわたくしの闇雲でがむしゃらな記憶力とむこうみずな気迫により、百人一首はけっこういい線行っていたのでございます。本当の競技者レベルになれば真の実力が問われることでしょうが、所詮中学1年生。勝負の行方はハッタリがかなり左右します。

それぞれの結果がどうだったのか、聞いた覚えはあるけど25年も前のことで忘れちゃったなあ。合唱コンクールは2位だった気がします。たしか録音したテープを送ってもらったような。


それにしても当時からぶっつけ本番のハッタリで乗り切るところは全く変わっていない私なのでありました。


2007年12月04日(火) サンタクロース

去年の12月も書きましたが、サンタクロースをいつまで信じていたか、について。

同僚Mさんの小学3年のお嬢さんは、ぼちぼち疑いはじめているのだそうです。
「本当はパパとママがくれてるんじゃないの?」という発言があった由。そんなことないよ、と言っておいたそうですが。

ちなみに「今年は何がほしいの?」と訊いたら「サンタさんは、口に出していわなくても頭のなかで考えればちゃんとわかるんだよ」と言うんですって。
そうきたか。かわいいなあ。

それに対しMさんは「世界中に子供が何人いると思ってんの?ちゃんと言わなきゃサンタさんだってわかるわけないじゃん」と一刀両断したそうです(笑)
下のお嬢さんは3歳で、まだサンタさんどころかプレゼントのなんたるかもよくわかっていないとのことで、姉妹の間で温度差(?)があるのですな。

うちの場合は兄たちと年が離れていて、信じていたのは私だけ〜、状態だったので、家族構成によっていろいろ違いがあるものだなあと思ったことでした。


2007年12月03日(月) 姪の誕生日

今日は姪1号のお誕生日です。
日にちの並びが123となっていて大変覚えやすいのですが、だからこそそれは思い込みなのでは…とにわかに不安になり、義姉にメールして確かめたわたくしは小心者。

覚えやすいといえば。
わたくしと亡き母は誕生日が一日違いです。
次兄と姪2号も誕生日が一日違いです。
家族で誕生日が近く、覚えやすいがまぎらわしい。
父は毎年私の誕生日に「ママさんと間違えてたらごめん」と必ず言います(笑)。

姪1号にお誕生日おめでとうメールをしたところ「もう21歳になってしまいました」と返事が。
いいじゃん21歳。ぴかぴかじゃん。
彼女は理学療法士になるため勉強中です。お正月に来たら私の腰を実験台にするがよいよ。


2007年12月02日(日) おそうじの神様ー

昨日まとめたごみを清掃センターに持ち込みました。
同じく昨日、注文したえびの味噌漬けや魚の干物が届いて、発泡スチロールの箱など嵩張るごみが出ていたので、ついでにそれも一緒に。
実家のふだんのごみ出しは父がやっていますが、玄関から道路までが狭い階段になっているので、ごみをたくさん抱えて降りるのはなるべくさせたくないんですね。

この階段、もともとは決して狭くなかったのですが、母が歩けなくなったときに車椅子用のスロープを作ってもらったため、幅が半分になっているのです。
そのため、両手に荷物を持っていたりすると足元がちょっと危ない感じ。
ちなみにせっかく作ったスロープですがそこは素人発想のかなしさ、人ひとり乗せた車椅子を押して降りるにはあまりに急勾配で危険すぎ、結局役に立ったのは自転車で出入りするときだけ、というせつない結果だったのでしたが。
それはおいといて。

12月に入り大掃除をはじめる人も増えているようで、清掃センターはかなりの賑わいでした。これが年末になると外の道路まで車の列ができるので、今年はもうこれで最後にしたいものでございます。

ああ、おそうじの神様とかいたら降りてきてくれないかなあ。(昔は超少女明日香に来てほしいって言ってたくせに、とうとう神頼みか)

来週末は家族忘年会を東京でやります。
その次の週末は相棒が実家につきあってくれるはずなので(勝手に決めている)、ひとりでお掃除プレッシャーに耐えなくてすむかもー。


2007年12月01日(土) 片付けに挑む

実家の、かつて自室だった部屋が、一年以上前からえらいことになっています。
去年の12月の日記を見たら「カオスと化しているので片付けたい」と書いた翌日に「腰が痛いのであきらめる」と抜かしている奴がいました(私だ私)。
今年も、年末の休みに片付けようとすれば同じ轍を踏むのは火を見るより明らか。
そして、年末前に実家に来るのは今週末を含めてあと2回。
…今回やるしかない!と腹をくくったのでありました。

お恥ずかしい話ですが、本当に、誇張なく、散らかった本やら雑誌やらで足の踏み場が全くない状態なのです。何の先入観もなく見たら、かなりヤバい人の部屋という印象でしょう。私の心の闇の部分がこの一部屋に集約されているのか…(いや、他の部屋も決して片付いてはいないけど)。

とにかくがらくたの多さに気が遠くなりました。
45Lのごみ袋4つ分捨てましたが、机やたんすの引き出しは目をつぶったのでまだまだ…。
いろいろ発掘もしましたよ。相棒の幽遊白書の頃の生原稿とか。高校時代のルーズリーフに鉛筆で描いてるまんがとか。古い手紙とか。ひー。
そういったもろもろを眺めたりしてダラダラやっているうち、だんだん腰がシャレにならない痛さになってきてしまい、本やまんがをきちんと本棚に揃えて戻すのは断念。
正直言ってあんまり片付いた感じはいたしませんが、とにかく床が見えるようになったからいいか………。

戦いはまだ続く。


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