メーコの芋ちゃん日記

2004年01月11日(日) 爆笑の出産

メーコが入院した「フロリダホスピタル・セレブレイションヘルス」は、日本を始め海外各地からもよく視察団が訪れるほどの、最新の設備の整った病院として有名である。 メーコが通された病室も、3階の角部屋で、トイレにシャワー、テレビに始って、付き添い人用のソファベッドはもちろんのこと、小ぶりの応接セットに加えてバルコニーまでつき、メーコが前橋で借りていた2DKのアパートよりも広いという豪華なものだった。 

陣痛の痛みに耐えかね麻酔を注入した根性ナシのメーコは、10分ほどで痛みを全く感じなくなったと同時に眠りに陥り、朝の10時ちょっと前に看護婦さんから、「子宮口が8センチになったからそろそろよ」と、叩き起こされた。 麻酔を入れたのが午前6時半くらいだったから、丸々3時間も爆睡していたことになる。
自然分娩で出産した人たちからしたら、「アンビリーバボー」なことであろう。
ベッドの背を起こされ、眠い目をこすりながら足元を見ると何やら怪しげな器具が並べられている。「ん??」と思い、隣のソファベッドで寝ていたダーリンに問い掛けてみた。
「ねーねーダーリン。何かイロイロ並べられてるみたいだけど、メーコはこれから“分娩室”っちゅートコに行くんだよねぇ?」
するとダーリンは、思いっきり不機嫌そうな顔でこう答えた。
「そんなこと聞かれたって、子供を産んだことないから分かりませんよ!」、と。
そりゃまーごもっとも。 ま、いいや、次に看護婦さんが来たら聞いてみよう。と、メーコが思った瞬間に看護婦さんがドクターと共に入って来た。
「あのー…」、とメーコが切り出す間もなく、ドクターはメーコの下腹部を眺め、「オーケイ。もういいわね。 私が今、触っているところが分かる? この手を押し返すようにいきんでみて」と言い出した。
え??なんだって?? ここでこのまま産むんかい?? そんな話は聞いてないけどとりあえず、うーっっっ。
「グーッド! とっても上手よ。 じゃあ息を吸って、次にまた私が“プッシュ!”って言ったら、今みたいにいきんでね」
うわー、やっぱりこのまま行っちまうらしいぞー。 げっっっ、チョット待て、カーテン開きっぱじゃんか。いくら3階だとはいえマズイんじゃないの?でも、うーっっっ。

てっきりハロゲンライトてかてかの、手術室のような場所に移されて出産するとばかり思いこんでいたメーコは、いきなりの展開にかなり面食らってしまったが、メーコ以上におったまげてしまったのがソファで寝ていたダーリン。 なぜならば、彼はメーコの妊娠が分かった段階から、「俺みたいに体のデッカイのが傍にいるとお医者さんたちの邪魔になってメーワクだろうから、出産の時は別のとこで待ってた方がいい思うんですよねぇぇぇぇ」などと、取って付けたようなことを言って、遠まわしに立会い出産を拒んでいたからなのである。
ところがどっこい、いきなり目の前でメーコが「うーーーっっっ!」といきみ始め、その上看護婦さんから、「ほらっ、ハズバンド!こっちに来て早くワイフの足を押さえて!」と叫ばれてしまったものだから、逃げようにも逃げられない。 メーコは、未だかつて「鳩が豆鉄砲を食らった顔」なるものは見たことがないが、この時のダーリンの顔を見たらきっと、鳩たちも「豆鉄砲くらいで驚いてちゃイカン」と悟ったに違いないのではなかろうか? そして、メーコのいきみが激しくなると共に、看護婦さんの「アーユーオーケイ?」の問いかけは何故かメーコにではなくダーリンに向けられるようになり、ベイビーの頭が見え始めてきた頃にはついに、「もういいわ、アナタは向こうに座っていなさい」、と、看護婦さんから戦力外通告を渡されてしまったのであった…。
…そんなにツラかったかぇ?ダーリン?

そんなダーリンとは対照的に、完璧な麻酔のお蔭で「何かが触れている」程度の感覚はあるものの、痛みはこれっぽっちも感じず意識もハッキリしていたメーコは、そんなダーリンの姿をフビンに思いながらも、「人間の目は本当に“点”になるんだ」ということが分かって可笑しくてたまらない。 笑いを噛み殺そうと必死に努力したのだが、ついつい下腹部に力が入ってしまう。 ドクターからも、「まだいきんじゃダメよ。ガマンして」と窘められてしまったのだが、一旦こみ上げてきてしまった笑いは、なかなかどーして鎮まらない。 それどころか、連鎖反応で次から次へと可笑しなことばかりが頭に浮かんできてしまうのだ。 「そーいや昔、“この味噌汁酸っぱいよ”と言うタースケに、“これはそーゆー味なんだよ”と言って、無理やり腐った味噌汁を飲ませちゃったことがあったっけ」だの、「初めて課長と一緒に添乗に出た時に、酔っ払って課長のケツにフォークをぶっ刺して流血させちゃったんだよなー」だのと、もうどうにも止められない。
それでも何とか、歯を食いしばり握りこぶしに力を入れて踏ん張っていたのだが(←ちなみに、この時のメーコの様子を、ダーリンが「本当に辛そうで見ていられませんでしたよ」と出産後に語ってくれたのだが、未だにジジツを切り出せず、心が苦しい今日この頃なのである…)、芋助の頭が出てきた瞬間の、ドクターの言葉でコト切れてしまった。
「ウァオ! アナタのベイビーはなんて髪の毛が多いんでしょう! ポニーテールが結えそうだわ!」

この瞬間、メーコの頭の中には、赤いチョンチョコリンで髪をポニーテールに結びながら産声を上げる、我が「息子」の姿が浮かんでしまった…。 そして、もうこれ以上笑いに耐えることのできなくなった下腹部は次の陣痛の波を待てずにいきみを始めてしまい、ドクターたちの「あら、イヤだ! ベイビーったら自分で出てきちゃっているわ!」の声と共にメーコは芋助を出産してしまったのであった…。

アメリカ東海岸時間2003年10月26日午後12時18分、芋助誕生。
そして、か細い産声を上げる我が子を胸に抱かせてもらったメーコは、「生まれてきてくれてありがとう」と涙ぐみながらも、「ポニーテール結ってなくて良かったわー…」と、真剣に胸を撫で下ろしたのであ〜る。
…そして、やっぱり窓のカーテンは、最後まで開けっぱなしなのであった…。



2004年01月04日(日) お産の苦しみ

日本では、まだまだ自然分娩で出産する人が大半みたいだけれど、こちらアメリカでは、麻酔を使っての無痛分娩が主流。
しかも、日本では自然分娩での出産を予定していた人が途中から無痛分娩に切りかえることは難しいらしいのだが、こちらでは例え「絶対に自然分娩で産みます!」と宣言していても、途中で痛みに耐えかねて「やっぱり無痛にしてください〜!」と叫べばスグに麻酔を打ってもらえるのだ。
だが、麻酔を打つためには胃の中をカラッポにしておく必要があるらしく、日本では本人が食べられるなら分娩台に上がるまでは軽い食事を取っても構わないらしいが、こちらでは陣痛が始ってからは氷以外のものは口に入れさせてもらえないのである。 
野球観戦に熱中し、食事らしい食事も取らないまま入院してしまったメーコは腹ペコリンの極限状態。 破水は続いていたものの、病室に入ってからも陣痛の「じ」の字も始っていなかったため、「まだ許される段階であってほしい」と一縷の望みを託して何か食べてもいいか看護婦さんに尋ねてみたのだが、期待空しく「氷を砕いたのとアイスキャンディーとどっちがいい? アイスキャンディーはグレープとラズベリーとオレンジ味があるわよ」とにこやかに言われてしまい、「どっちがいい?」と言うからには「どちらか一つを選べ」ということであろうにもかかわらず、「じゃあ氷を砕いたのとグレープとラズベリーを下さい」ととんでもない注文をし、半ばヤケクソになって氷をがっつきながら飢えを凌いだのであった…。
メーコにとっての「お産の苦しみ」は、陣痛よりも何よりも、「空腹との闘い」から始ったのであ〜る。

で、肝心の「陣痛」の方はと言うと、入院から4時間近くが過ぎ、点滴も3本目に入って看護婦さんから「この1本が終わってもまだ始らないようだったら陣痛誘発剤を打ちましょう」と言われたところでようやく始り、徐々に徐々に痛みも増加。 でも、メーコは前々から、「どんなに痛くなっても絶対にアメリカ人たちみたいに“ジーザス!”だの“オー・マイ・ガッッッ!!”だのと大騒ぎはしないかんねー。 ジャパニーズの凄さを見せてやるでー」と決めていた。 と言うのも、人生全般においては豆腐より脆い根性しか持ち合わせていないメーコなのだが、痛みを堪えることに関しては、子供の頃からかなり我慢強い方だったのである。
幼稚園の頃、「いつかケガをするからやめなさい」と止められていたすべり台の「逆さすべり(頭から落ちる滑り方)」を実行し、案の定ガス栓に頭を突っ込んで(室内用のすべり台だったのだ)ノーテンを切ってしまった時も、叱られることを恐れてバーちゃんが流血に気づくまでガマンしてたし、小学校に上がる頃、「危ないから触っちゃダメよ」と言われていた彫刻刀をこっそり使い、まんまと指をザックリ切ってしまった時も「バレたらあかん」と思って指を握り締めて耐えぬいた。(←これは確か、ねーさんによって発見されたんだったと思う)
その後も、高校2年の時のスキー合宿で捻挫をし、バケツ一杯の氷の中で足を冷やしていた時に「そのまま15分我慢できたら、来年アシスタントで連れてきてやるよ」と教官に言われ、唇を真紫にしながらも辛抱したし、添乗先で椎間板分離症になり、激痛で顔を洗うことすら困難になったため次の仕事を休もうと思った時も、課長から「何とか我慢して行ってくれたらビールを1ケースやるぞ」と言われ、コルセットをぐるぐる巻きにして飛び立った。
そんなメーコだからして、「人生の中で、これ以上の痛みはない」と言われている陣痛の痛みにだって耐えきれるだろう、と少なからず自信を持っていたのだが…。

世の中、そんなに甘くはなかった。
陣痛開始から3時間半。 それまで何とか痛みを凌いできたメーコも、子宮口が5センチまで開いたところでいよいよ我慢の限界に達してしまった。
「ぐぁぁぁぁぁいてーじゃんかよなんだよこれきいてないよぐあぁぁぁぁぁうげぇぇぇぇいってーよまじかよこれちょっとまてよぐぉぉぉぉはらへってるどこじゃないじゃんかよぉぉぉぉぉ…」と、思わず痛みが口に出る。 くぅぅぅぅ〜っしかし、ジャパニーズの意地を見せるためにも看護婦さんの前では平然を装わないとぉぉぉぉぉ。 そう思ったメーコは、過去に乗り切ってきた数々の痛みとの闘いを必死になって思い返し始めたのだが、フト気づいてみれば、メーコが耐えてきた痛みというのは「バレたらヤバイのでガマン」か「ガマンしたらご褒美」がほとんどなのである。 それに対し、この陣痛の痛みは、我慢したところで誰かが何かをくれるワケでもなく、我慢しなかったところで誰かに怒られるということもないではないか。
そう気づいた瞬間、メーコは看護婦さんを呼んでこう言った。
「すんまへん、麻酔入れてくらはい」。

所詮、メーコの「意地」は、モノがかからないと発揮されないものなのであ〜る…。

次回、爆笑の出産シーンへとつづく。まる。


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