tenQ小伝

2001年11月30日(金) enpitu

今日は myenpitu に入れてる日記をじっくり
読ませてもらった。

書いてる人に親近感が涌くものだ。日記でないと
この親近感は得られないように思う。

誰かの日記に「自分の日記を何度も読み返すこ
とがある」と書かれていたがそういう行為は結構
みんなしてるのじゃないかと思う。

この間「国谷裕子」というタイトルをつけたらその
名前で検索してた人が私の日記を読みに来てた。
そういう検索で私の日記がヒットするのだとは知ら
なかった。

狭いところにいたつもりが、思いの他広いところに
いるのだと感じた。

今日は夜11時30分頃から雅子さま報道ばかり。明日
起きたらすでにお子様が誕生しているのだろうか。



2001年11月29日(木) 新しいPCが届く

やっとのことで新しいPCが届いた。

液晶のデスプレイでないのを買ったので
かさ高い。

プリンターのドライバをインストールし
ようとしたら、windowsの対応のところ
に xp がない。

NECに電話をしてみたら、xpに対応する
ドライバがまだできてなくてNECのHPで
12月になってからアップされるからそれを
ダウンロードして欲しいと言う。

スキャナについても同様だと言う。
いいかげんなもんや。

説明書をいろいろ読むのに疲れてきて、床
においたままにしてデジカメでも見てこよ
うと電器屋に行った。

ネットで調べた値段のメモを持って見ていた
ら係の人が「えらい安い値段が書いてあり
ますね」と言う。「ネットの値段です」と
言うと「ネットの方が安いのはあたりまえ」
だと言う。

それじゃネットで買おうか。ある機種だと
3400円もネットの方が安い。



2001年11月28日(水) ジョージ・ハリスン

さっきのチャットで誰かが「ジョージ・ハリスン
の余命 1週間らしいね」と言った。

そのニュースを知らなくて検索して、その記事を
読んでみた。

確かにそう報じられている。

彼は58歳なのか。若い。リンゴスターは60歳
なのか。自宅がハワイだったとは。

ジョン・レノンの命日が12月8日だから同じ日
が命日になる可能性がある。

レノンが死んだのは21年も前のことだったのか。

今回は病からの復活は無理な状況だな。

全世界が彼の死を固唾を飲んで見守る状況がここ
1週間続きそうだ。



2001年11月27日(火) 大川隆法

職場に誰かが忘れていった本があった。

大川隆法「奇跡の法」。

数年前のサンデープロジェクトで田原
聡一郎が大川隆法にインタビューした
ことがあった。
30分くらいのやりとりはあったが、わけ
のわからないインタビューだった。

「幸福の科学」の信者である小川知子
がその頃何かのデモをしていたが、あれ
は何のデモだったろう。

「奇跡の法」を適当に開けて読んでみた
ら、大まかな近代日本史のことが書かれて
いる。これはおもしろく読めた。

日清戦争の後に日本が台湾を譲り受けた
のを初めて知った。ということは台湾は
正式に日本だったことがあるわけか。

後ろの方をまた適当に開けてみると、
政治的なこと経済的なこと科学的なこと
を否定しない。しかし霊的なことをない
がしろにすることについては宗教家とし
て譲れない と書いている。

大川隆法の本を前に2冊くらいは読んで
いる。彼はものすごいスピードで書いて
いると感じた。ある意味神懸かりなのだ
ろうとは思う。



2001年11月26日(月) デジカメ

同僚に最近買ったデジカメを見せら
れて私も欲しくなった。

3万円くらいの予算で考えている。

ネットの検索でデジカメ販売のHP
を見る。

フジfinepix4500 36400円
オリンパスC-2 29800円

なぜかフジかオリンパスにしようと
思っている。メーカーと私との相性
だけのこと。

この2機種のどちらかと思ってたら

フジfinepix30i というのが新しく
出た。 32400円。
これはMP3プレイヤーがついている
と書いてある。

迷う。

いったい何のために何を買うつもり
だったのかわからんようになってきた。



2001年11月25日(日) 姪の結婚

姪の結婚式に出席した。
カミさんの方の兄の長女。

カミさんの家はお寺さんで兄さん
が後を継いでいる。兄さんのとこ
ろは3人子供がいるが3人とも女
の子。

おそらく長い間、あと継ぎのこと
が頭の片隅にいつもあっただろう。

今日結婚した長女の相手は、僧侶に
なることを決意してくれた。
彼にどういう心の葛藤があったのか
なかったのかはわからない。

それにしても長女は見事に家の心配
事を一気に晴らしてくれたもんだ。

披露宴最中、義兄を見るとふとした
拍子に呆けたような顔になっていた。
それは、花嫁の父の顔であったのか
住職の責任を果たした顔であったのか。

私も「花嫁の父」まであと数年なのか。
娘が思いもしないメッセージを書いて
私を泣かせるのだろうか。



2001年11月24日(土) マイナー日記

一日に4〜5つは他の方の日記を読んでいる。

このところの傾向として、あまりアクセス数
の多い日記は共感が得られず、私の日記と同じ
くらいのアクセス数のに握手したくなる。

私の場合、前にも書いたが 「ボトルメール」
のようにあてもなく流して、たまたまそれを拾
ってくれた縁を大事にしたいと思っている。
逆も又ありえるのだが。

ここに毎日書き始めてほぼ1ヶ月。このウィン
ドウに向かうのが1日の楽しみにもなりつつ
ある。

一日にたった一人でも読んでくれた人がいる
だけでうれしくもある。

「マイナー日記」のスタイルで息長く続けて
みようと改めて思う。



2001年11月23日(金) タイトルと合ってない記事

ペイオフの影響 というタイトルの
記事が毎日新聞に載っていた。

読んでみたら、ペイオフの言葉の
ことを主に書いていて結局影響の
ことについては 「もう少し近づい
てから書きましょう」と書いてい
た。

書いてる人はファイナンシャルプラ
ンナーなんだけど、「影響」という
タイトルなんだから「影響」のこと
を書きなさいよ。

彼が 「もう少し近づいてから」 と
いう理由は何なんだろう。思うに彼は
実はその「影響」をはっきりつかんで
ないのだろう。おそらく彼がその「影
響」をつかんだ時はみんなその影響の
中に入ってしまった時のような気がす
る。

彼の記事を注視してみたくなった。



2001年11月22日(木) 佐高信

私の日記のタイトルの「tenQ小伝」は
「阿Q正伝」をもじったものなのだ。

実はどんな本なのか読んだことはない。

昨日買った佐高信の本に、彼が選んだ
「三冊の本」のことが書かれていて
そこに魯迅評論集があげられていた。

「阿Q正伝」は魯迅の書いた本という
こと。面白いところで佐高とつながる
もんだ。

佐高信は経済の評論家のはずなのだが、
「寅さん」のおいちゃんは森川信でな
きゃ とかさっきの「三冊の本」でも
最後に 川端康成の「雪国」をあげたり
する。

こういうところが彼の評論の面白いと
ころなのかもしれない。

立花隆、佐高信 は筑紫哲也の番組には
よく出るが田原聡一朗の番組には出ない
ように思うが あれはどうしてなんだろ
う。



2001年11月21日(水) 休日散歩

休み。

昼過ぎに駅のあたりまで散歩をした。

電器屋でデジカメを見て、この間同僚が
買ったという機種の値段を確認してみた
ら、同僚が買った値段より1万円も安い
値段で売っていた。

色んな新しい店が知らない内にできて
るもんだ。

前は確か服の店だったところが「book
off」に変わっていた。

入ってみる。広い。いきつけの古本屋
は「ラックス」だったけど、こちらの
方がよさそうだ。

佐高信の本が数冊あって、創価学会を
こきおろしている本もテリー伊藤との
対談形式のを出していた。

「鵜の目 鷹の目 佐高の目」というの
を700円で買って、モスで読む。

モスとかマグドが本を読むのにいい。
長くいてもイヤな顔されないし、明る
いから。ミスタードーナツはちょっと
椅子が長居するのにはダメだな。

佐高の本、半分くらい読んだけど面白い。



2001年11月20日(火) 藤原弘達

先日のPCまわりの整理の時、PCラック
の下に積んであった古本の中から藤原弘達
の本が出てきた。

「藤原弘達の生きざまと思索」第8巻。

「創価学会を斬る」という本を出版、販売
するにあたって、創価学会・公明党から受け
た妨害のことが書かれてある。

佐藤栄作がまだ首相だった頃の話だから30年
も前の話。

藤原弘達は言論の自由の妨害を公党がしたこと
について、白黒を国会の場にもちこんだ。
その時の議事録もこの巻には載せられている。
すごい迫力だ。これくらいコテンパンに創価学会
をやっつけてる人を見たことなかった。
池田大作の証人喚問まで言っている。

30年も前の話なのにすごく現実味のある内容
だ。田中角栄が当時自民党の幹事長をやっていて、
「創価学会を斬る」の出版中止の取引を藤原弘達
に持ちかけた という。

かつて新進党、今連立与党 という公明党。
藤原弘達が言うように、見事な動きに感心する。



2001年11月19日(月) 着くはずのPCが・・

1週間程前に注文した新しいPCが
今日着くはずになっていたので、
わくわくして目をさました。

10時半頃、電気屋から電話があった。
何時ごろに配送します という電話か
と思いきや、配送中に破損してしま
ったため 今日はお届けできません
と言う。

それでいつになるのかと思ったら、
いつになるか・・というような返事を
する。

電気屋は頼んだ分しかメーカーに
注文しないのだろうか。11/16に
発売の物だったからまだ商品のま
わり方がスムーズじゃないのだろ
うか。

楽しみをそがれてしまって、なんか
ミジメな気分の一日だった。




2001年11月18日(日) 瀬戸内寂聴

いきなりこのタイトルだが、寂聴さんのファン
ではない。

今日の毎日新聞の「時代の風」というコーナー
に寂聴さんが、尊厳死協会のことを書いていて、
すごくわかりやすい現代医療とのつきあい方だ
と思った。

毎日新聞のwebからその部分を引用するつもり
だったのだが何故かまだ掲載されてない。

寂聴さんの死期に臨んでの思いも我々の思いと
殆ど変わるものではない。3点、尊厳死協会に
遺書として届けてある彼女の文は同じ文を私も
その協会に届けておきたいと思わせる簡潔な事柄
だった。

病院で人生の最後を迎える時、延命治療を望むか
どうかという事。

私は望まない。が、そのことをカミさんと健康な
うちに話をしておけるかどうか。
話をする時は寂聴さんにかこつけねば。



2001年11月17日(土) ペイオフ

来年4月からペイオフが始まる。
銀行が破綻した場合、預金の保証は
1000万円までという話。

これが始まることでどういう状況が
生まれるんだろう。

私くらいの年令であれば預金が1000万円
以上の人はかなりいるだろう。
みんな今預けてる銀行から1000万円を越
える分は違う銀行に預け替えするんだろ
うか。全国的にそれをやったらすごい金
が動く という状況になるんだろうか。

どこに預ければ安全 という記事もそのうち
週刊誌を賑わすようになるのだろう。
同時にその記事で大きな金がどこかに有利
に動くのだろう。

銀行から見てペイオフはどう見えてるんだろ
う。預金獲得合戦になる という風には見て
ないのだろうか。

不良債権処理とか住宅金融公庫廃止とかも
からんで銀行業界の再編が大きく進むのだ
ろうか。



2001年11月16日(金) 妄想

チャットをしていて、不倫の話を本人から
聞くことがしばしばある。

不倫をしていることを話たくなるというのは
どういうことなんだろう。

不倫話をすることが彼女達(その話をするの
は女性なのです)には疑似SEXになっている
のか とも思える。

「今度そちらの近くへ行ったら しよか」って
いう人もいるし、「tenQ とも長いから1回くら
いならしてもいいかな」という人もいる。

私でもモテるもんだ。

チャット界にはいっぱい女性がいるんだから
そういう奇特な人がいてもおかしくはないんだ
が。

ぴったりタイミングが会えば・・などと妄想も
する。




2001年11月15日(木) 田嶋陽子・田中真紀子

週刊ポストを読んでいたら、田嶋陽子の
国会での質問のことを書いたのが2つ
載っていた。

どちらの記事もさんざんにこきおろして
いる。そのうちのひとつに大学教授やって
るわりに うわさ の次元の話で質問を構成
していくのが信じられない と書いてあった
が まさに同感だ。

彼女の質問はよかった という方の意見も
聞いてみたいもんだ。

さっき産経新聞を読んでいたら、又 田中
真紀子がイラン訪問を拒否したと書いてある。

指輪の話といいなんでこう次から次へと
ネタがつきないんだろう。

彼女の行動の一部始終を誰が誰に注進して
誰がマスコミに流してるんだろうとそちら
の方が気になる。



2001年11月14日(水) 国会中継

国会中継をよく見る。

このところの国会中継の視聴率は
かなり高いんじゃないかな。

今日は舛添要一が出ていた。

いつか田嶋陽子が出ていた時も見て
いたが、ありゃダメだな。

新聞では質問内容の要約しか出てない
から国会での彼女の口調が伝わらないが。

社民党に属した人から見たら みっとも
ないから彼女を出すな と言いたくなる
ような質問の仕方だったろう。

おそらく質問をするにあたって土井さん
あたりに「 ここだけは はずさずくらいつけ 」
と言われてたのだろうが如何せん付け焼き刃
丸出しだった。

そもそも自分の所属している政党という
ものがわかってないようだ。

今日の舛添はいささかあちこちの大臣に
質問をふり過ぎの感はあったが実を得る
質問をしたように思う。

私の要約だと彼は

○構造改革のスピードが遅いのではないか

○危機に際しての対応で警察と自衛隊に互いに
なわばり争いがあるのではないか

と質問した となる。新聞はどう書くのでしょう。



2001年11月13日(火) 棚を作る

昨日の掃除の続きで整理をするために
棚を作った。

ホームセンターで化粧板を買って、計って
いったサイズに切ってもらう。
あとは釘で打ち付ければできあがりという
寸法。

できあがった家具より作った方が安上がり
だし、部屋のサイズにあったものができる。

「ネジになった釘の方がいいですよ」と
ホームセンターの人に言われて、帰って
さっそく打ち付けてドライバーでまわそう
としたら、ドライバーがネジ穴に入らない。

20本ある釘のうち半分くらいがネジ穴が
完全に切られてなくてドライバーが入らな
くなっている。欠陥商品だ。

それでも所要時間は20分程で棚完成。

コンピューターのソフトと同じように道具、
材料が手に入ればできそうでないものも
自分で簡単にできるもんだ。

一つ作ると今度は縁側でもも少し広くして
みようかなと思い始める。



2001年11月12日(月) 現場

今日の休みはやっとこさ腰をあげてPCまわりの
掃除にとりかかった。

カミさんに、そこのもの移動させるんならこの台を
大型ゴミに出してから移動させてとか言われて、初
めて「環境清美センター」というところに大型ゴミ
を持っていった。

ドライブスルーのようになっている。1番 燃えない
大型ゴミ、2番 電池 有害ゴミ 、3番 燃える大型
ゴミ という風に分けられてあってゴミを捨てる人は順番に
まわりながら捨てていく。

ゴミの現場を見て、カミさんがいちいち「そのゴミは
こちら」と言うのがわかった。

ゴミの現場を後にして、戦争でも現場を見たことが
ない人とある人とは取り組み方が違ってくるだろうな
という風なことを思った。



2001年11月11日(日) ショッピングの女王

週刊文春に「ショッピングの女王」
中村うさぎ というページがある。

数週間前の号に中村うさぎと某ホスト
という写真が載っていた。

浪費することが書いてあるページなん
だ これ。ホストクラブで百万円使う
話などが書いてある。

チャットで出会う女性に私とはかなり
金銭感覚が違う人が数人いる。

その一人。娘に小遣いを月に40万円
渡すという。じゃあ自分の小遣いは
一体いくらなんじゃ。

別の一人。離婚した慰謝料が5千万円。
私の年収の5倍の慰謝料だといってたから。
多めに私の年収を見積もったのだろう。
私、1千万円も年収ない のに。

又、別の一人。親の遺産相続が数千万円。
これくらいはわりにあるのかな。親が死ん
でから家を買う人も結構身近にいるから。
しかし、私とは縁のない話である。

というような私の懐とはケタの違うお金
の話をする女性とはどうもつきあえんな。



2001年11月10日(土) 書くこと

自分の日記を書く前に他人の日記を
読んでみたりする。

ホント色々だね。

ボトルメールというソフトがあった
けど、えんぴつ もそういう感じがあ
る。誰が読むのかわからないけどとり
あえず流してみるというところが。

新聞の何かのコーナーで誰かが書いて
いる文章を読みながら、このコーナー
をその人じゃなく私が書いたらもっと
面白いものが書けるだろうか なんて
ことを考える。

天声人語とかは当代一の文章書きが
書いてるんでしょ。
彼が匿名でこの えんぴつ に書き始めた
ら どれくらいのアクセスが得られるだろう。

えんぴつ に書き始めて書くことの面白
さをぼちぼち感じ始めている。



2001年11月09日(金) なんでこんなに面倒なのか

ISDNからADLSに変えるための電話を
NTTにした。

なんでこんなに面倒なんやろ。

ADSLはKCNというケーブルテレビの
会社でやることに決めた。理由は
安いから。月 2200円+187円で無制限。

KCNから送られてきた案内に
本人→NTT、本人→KCN、KCN→NTTという
表がつけられている。

本人→KCN だけにできんのかね これ。

NTTへの電話の際、「工事の日の打ち合わせ
の電話を来週させていただきます」と言う
ので「いやいやまだKCNには申し込んでませ
んよ それは私がKCNに申し込んで、KCNから
NTTに照会をしてからじゃないんですか?」
と聞くと「そうなんですが・・」と答える。

どうも順番がはっきりしてないね。
だからさ 本人→KCN だけにしてあとは
KCNとNTTでやりとりして最後に本人にKCN
から返事をする というやり方がなんででき
んのやろ。

勝ち誇ったみたいに「いやそれはご本人に
していただかなければ」って言うでしょ。



2001年11月08日(木) マネ展

県立美術館へマネ展を見に行った。

年配の客が多かった。展覧会では
作者の年譜をよく見る。特に何歳で
亡くなったかを見る。

マネは53歳で死んでいる。作品を見る
時も何歳の時の作品であるかを考えて
見る癖がある。

「笛を吹く少年」は何歳の時の作品
なんだろう。背景に何も描かない肖像
画は当時画期的なことだったらしいね。

想像してたよりかなり大きな絵だ。

「草上の昼食」の練習版のようなの
もあった。エロチックだよね あれ。
エロチックでもあり開放感もあり
こういう状況にいあわせてみたいと
も学生の頃思ったもんだ。

ジャポニズムという絵画の流れが
ヨーロッパにあったらしい。主には
浮世絵が珍重されたらしい。

数ヶ月前に同じ場所で安藤広重の
浮世絵を見たが、構図の大胆さは
西洋絵画の比ではないように思う。

絵を見る行為、それは何かの刺激
を脳に与えることのようだ。
今回のマネ展はちょっと大きい絵
が少なかったか刺激がたりんかった。



2001年11月07日(水) 国谷裕子

NHKのクローズアップ現代をよく見る。

毎日新聞の「ひと」の欄でキャスターの
国谷裕子さんがとりあげられていた。

一時期彼女が出てない時があったけど、
又もどってきたね。おじさんキャスター
の時の番組の面白くなかったこと。
やっぱりあの番組は彼女じゃなきゃ。

しかし、私も男なんだねぇ。彼女も家に
帰れば皆と同じように夜の営みをするの
だな なんてことを思ってしまう。

私がそういう風に想像してしまうのだから
キャスターの皆さん 男性のほぼ100%
はそういう想像をするのだと思っておいて
まちがいありませんよ。



2001年11月06日(火) 文章のことなど

えんぴつ の他の人の日記を見てたら
ほんの数日で2万件のアクセスになって
るのがあった。

私のは現在20件。お気に入り登録なし。
まぁ 気長にやるつもりなのでこれくらい
のペースでも1年も続ければある程度の
アクセス数にはなるのだろう。

大江健三郎は他人の文章を見ると添削した
くなる癖があるらしい。
彼は「文体」ということをよく言うらしい。

大江健三郎の本で読めた記憶のあるのは
岩波新書の「ヒロシマノート」だけかな。
あとは数冊持ってはいるが、数ページ読ん
だだけだな。

いつか彼の本がすんなり頭に入る時が来る
ような予感はしている。

日記を書く 日記を読む ことから文章や
文体のことを想った日だった。



2001年11月05日(月) ロングステイプラン

ロングステイプランというのがあるそうだ。

老後に海外に移住したいと夢見ている人も
数人知っているが、このロングステイプラン
というのは経済基盤は日本に置いたまま、
海外に長期に滞在するという旅行会社が出し
ているプランらしい。
東南アジアだと月15万円もあれば充分生活
ができるという。

月に一度は住んでる家の掃除にもどらんと
あかんし、色んなものが郵便受けに溜まって
るかもしれんから簡単に日本にもどれる距離
のところにしとかなあかんかな とか 例えば
タイだったらどれくらいの時間で家まで戻れ
るんやろう とかちょっとばかり空想してし
まった。

これ、そのうち流行るかもしれん。しかし
流行り出した頃にはその国の物価が日本と変わ
らなくなったりして。



2001年11月04日(日) 学園祭

私の市にある大学の学園祭に行った。

「米軍基地とアフガン軍事攻撃」と
いうタイトルの講演があったので見て
みた。

太平洋戦争を実際に体験した教授の話
は興味深かった。

生まれた時から戦争が身近にあった彼
の時代。
国のため天皇のために死ぬことは当た
り前のこととして誰もが受け止めてい
た彼の時代。

死ぬ恐怖について実際の戦闘の場面に
直面した彼は最初全くその恐怖はなか
ったという。恐怖は戦闘が一時休止し
た頃に襲ってきたという。

我々の世代は学校の先生がなんらかの
形で戦争を体験した人が多かった。
彼等が憲法9条について話をする時、
もう戦争はないというホッとしたよう
な安堵感を聞く方も感じたものだ。

久しぶりに戦争を体験した人の話を聞
いて、なくなりかけてるのはこういう
体験談を聞く機会なんじゃないかと思
った。



2001年11月03日(土) 運というもの

以前本社であった会社が大きく経営方式
を変えた。

私が支店に出向中、その支店が独立して
本社とは全くの別の会社になった。そして
私はその支店の社員になった。

本社の経営転換は大きなリストラを含む
ものだと聞いた。その内容は40歳以上の
社員は選ばず退職してもらうというもの。

私は支店の社員になったためその波は全
くの他人事として受け止められる身であ
る。

何がどこで幸いするのか面白いものだ。

松下幸之助は社員採用の面接で、「あなた
は自分が運がいいと思うか?」と応募者に
聞いて 「いいと思う」と答えた人を優先し
て採用した時期もあったという話を本で読
んだことがある。

「私は運がいい」と 比較するものが現れて
改めて思った。



2001年11月02日(金) 大槻教授と気功師

ここがヘンだよ・・という番組で先週
から太田という気功師が出ている。

霊能者とかには興味はないのだが、気
功には興味がある。

気功師がやることは現実生活に生かせ
ることがある ということがその理由。

例えば、力の強い乱暴者が向かってき
ても手を触れずに撃退できればなんと
も胸のすく話ではないか。

番組では大槻教授と対決した気功師は
いなかったのだが、初めてこの太田と
いう気功師が対決をした。

しかし・・だ あれほど他の被験者が
太田氏の気功の術に翻弄されていたも
のが大槻教授にはかからなかった。

「気」なんてものが本当にあるのか
それに常々疑問を持っている と大槻教授
は言う。

番組の最後に術をかけられた大槻教授は
「どうでした?」と聞かれて、「どうでし
た って見りゃわかるでしょ」と答えた。
見てれば全くかからないのがわかるでしょ
という事なのだ。

じゃあ太田氏の術は一体何なんだ?



2001年11月01日(木) えんぴつデビュー

11/1をえんぴつデビューの日にしよう
と思っていたが、ものおじして来た。

すごい数の日記が日々デビューして
いる。

読み手はどういう風に読む日記を選ん
でいるのだろう。

私自身、読み手として日記才人のいくつ
かの日記を登録してはいるが毎日その日記
に目を通すわけではない。

おそらく私のこの日記を読んだ人も
毎日は読まないだろう。

日記デビューの意味を今一度考えてみる
と、私の場合誰かメールをくれないかと
待っている。


 < 過去  INDEX  未来 >


tenQ [MAIL]

My追加