22sentimental

2005年06月28日(火)
生活保護とゆうのは 生活が苦しい人や、生活が困難な人、仕事に就けない人や 老人だったり、廃人だったり、
そうゆうを市が支援しましょう。金銭的支援もしましょう。
と ゆうのだと思う。
でも、本当の話、詳しくは実は良くわからない。
少し本は読んだけれども、生活保護自体の本も少ないのだ。
とりあえず、いうなれば 人間の低、しかも最低な部分を見てしまうのだと言う。 (となりの奥山さん曰く)
そして、 生活保護自体がほとんどタブー。それ自体がタブー。 市役所の中でも、一番行きたくない所ナンバーワン。
福祉自体がそうゆう傾向にある中で、福祉の中でもピカイチに 特別扱いな気がする。
福祉事務所で扱うのは、母子家庭だったり、障害者だったり、高齢者だったり なにかしらのはっきりしたものがあって、それに対応をしていけばいい。
けど、保護の人は、相手がちょっと精神的におかしい人や 人としてどうしようもない人たちを相手にしている。(そればっかりじゃないけど) ひとりひとりがケースバイケース、たどりつく答えはない。
社会から見放された人たちのいわば最後の砦なのかもしれない。 最後は公でやってくしかない。税金で助けるしかない。 彼等にお金などないのだから。 最後に救うのは、役所しかないのだから。
それでも、保護費受給者は税金ドロボーといわれる。 「仕事もしないで、俺たちの税金で食いやがって」 そうゆう目はいまでも存在する。
その保護とゆう仕事をするのは、市役所でも4人しかいない。 一番きつく、一番残業がおおく、一番きたない、仕事を「運悪く」当てられた人たち とゆう、自覚と周りからの扱いはいなめない。
いつも肩を落として公用車に向かう姿、帰ってきたあとにひどく疲れた背中でタバコを吸う姿 あと何年(この仕事をやるの)かなぁ。とぼやく声
本当にあたしはこの人たちのやってきていることを知らない 帰ってくる前になにがあったのか、どんな家でどんな人と会ってきたのか
この間、釣り人が海に落ちて溺死した。処理は、保護の仕事。 保護を受けている人が、死んだ。骨をつむのは保護の仕事。
社会から、家族から、親戚から、見放された人たちが 最後に関係を持つのはこの保護係の公務員たち。
人が何十年と生きれば その人の背に、後ろに、過去があって、その人なりの道のりがあって その人の人生がある。しかも、世の中でもよりすぎりのものたちばかり集まる。
「絶対に家族だけは失いたくない。大事にしたい。この仕事をしてると それを一番に思う。」
一応、家族にも親戚にも援助のお願いをするんだという。 でもきっと、ほとんどいい返事が返ってくるわけじゃないんだと思う。 家族を失った人をアタシの知り合いにはいないからわからないけど 想像以上につらいことなんだろうと、その言葉だけでなんとなくわかった。
本当は、保護の申請用紙はカウンターに置かなくちゃならないのに あたしは見たことがない。申請をしても受けてくれないと、保護されたいのに 保護費をもらわなければ生きていけないほど苦しいのに。と
一方で、保護費を貰っているのに派手な生活をしているとゆう声。
あたしは、 保護の人たちになにができるんだろう。なにが言えるんだろう。
「むかついたら、ケース(保護受給者)いじめちゃえばいいんですよ」
その言葉が今でも忘れられない。
なにもいえなかった。保護をしていなければ、わからないことがある。 わからないことが多すぎる。あまりにもかけ離れた世界で住んでる人が 同じ市に住んでいる。
ただ、背中を見て「今日もがんばれ」としか、あたしは言えずにいる。 知らないアタシが軽く口に出してなにかを言えない。なにも言えない。
言う言葉が見つからない。言うべきじゃないのかもしれない。
保護をしている人間がもういっぱいいっぱいなんだ。
そこに死体があると思ったとき 人はどれくらいのやりきれなさを感じるんだろう。
あの人が死んだと聞いたとき すこしだけよろこびが生まれてしまう自分をどう思うんだろう。
同じ公務員なのに不平等だよ。 でも、この中の誰かがやらなきゃ、いけないことだ。
悪循環が世の中を回る。 ぐるぐる、ぐるぐる。
そんな気持ちで仕事をしないで。希望を捨てないで。

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