もへんじょ=だろの不定期更新日記
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2016年07月31日(日) Teemeさんの閉め研修

月末からバイトのTeemeさんにも閉店業務を覚えて貰い、俺が休みの
日の閉店業務をスムーズに回せるようにしようと言う試みが始まりました。


ま〜俺もバイトの時から普通に社員がするような業務をしていた
(させられていた?)ので問題無いです!!(ヲ)




で、今日で4日目の研修なのですが・・・・




研修を始めるにあたってTeemeさんに
「俺の閉め方が一番早くて効率的ですから!」(キリッ)
って言ってスタートした。







初日
昼の人間がマシントラブルで金がズレているのを夜番の俺らに引継ぎを
残さなかったせいで、金が合わない合わないと大騒ぎで、終わったのが
午前様(怒)

2日目
今日は早く帰れそうですね〜何て言って閉店して帰る前に
PCを見たら明日の朝一でレンタカーが増えていて、皆で見落として
いたせいでレンタカーの準備と清掃追加
しかも車は遠い駐車場に有るっているオマケ付き(涙)

3日目
釣銭機詰まる!
閉店作業中に釣銭機詰まって詰まりを直すのにスゲーーーータイムロス!
で、目出度く今日も午前様(涙)




「俺の閉め方が一番早くて効率的ですから!」(キリッ)


















「俺の閉め方が一番早くて効率的ですから!」(キリッ)



















「俺の閉め方が一番早くて効率的ですから!」(キリッ)





今日は何とか無事に0時前に終わって帰れたものの・・・・
恥ずかしくってTeemeさんの顔が見れん!!!(涙)



2016年07月30日(土) 暑いけど町田に集合!

今日は諸々渡す土産が溜まっていたので
毎月恒例?
町田で母とダラダラな日です(笑)



11時に頑張って起床して掃除機かけたり、積んだままの読み終えた本
を本棚に仕舞ったり、風呂掃除したりしてから午後から町田へ




やべー
今日すげー暑い(汗)

しかも夏休み入って更に土曜日だし、更に更に隅田川の花火大会で
駅前から電車の中、町田の市街も何処も超混雑(汗)



取りあえず、14時に母と喫茶店で合流してから
何時もの海鮮丼の店にて昼飯!
&俺は昼酒♪


俺は九州とか東北北陸へ行っていて(過去日記参照)
母は金沢に行っていたのでお互いの旅の話で盛り上がり、食後は
そのまま移動してドンキへ

特に買う物は無いとか言っていたくせに、少し別行動していた間に
「カゴを持って来て!」と両手に荷物を抱え込んでいました(苦笑)

・・・あんた、これもって町田から電車で帰るって覚えてる?(汗)




で、その後は夕方でもまだまだ明るく暑い日差しから逃れて
喫茶店でマッタリと・・・




母から夏は車で何処かに遊びに連れて行け!指令が発動されました。




えぇ〜
何処に行っても混んでるのに!?
そして運転手は俺一人なのに!?!?


はぁ
取りあえず本屋に移動して旅雑誌を立ち読みしつつ作戦会議です(汗)



母「ディズニーランドに行きた・・・」妹と行け!!!



このままだとマジでネズミ王国行きになりそうなので、真面目に行先
を考えないとな・・・(涙)




19時に駅前で母と別れてから
本屋&ヨドバシで買い物してから帰りました。

ヨドバシのポイントが久しぶりに見たら2万くらい貯まっていたので
HGのフォースインパルスを購入♪
MGのサンダーボルト版のフルアーマーガンダムと迷ったのですが
混雑している電車内を予想して小さめの方にしました(苦笑)



で、伊勢原まで帰ってから一旦家に荷物を置いてから車に乗って
TSUTAYAへGO!

何故か町田の本屋で売っていなかった何冊かの新刊探しです!!

TSUTAYAで3冊GET!
しかし後1冊が見当たらず!!(怒)


・・・・あーーー!!!くそーーーー!!!
スゲーーーー面倒臭ぇーーー!!!

秦野の本屋へGO!!(マテ)



秦野の本屋にて最後の1冊を無事にGET出来て満足!!!

・・・・流石に帰ってから晩飯を作るのが怠かったので
ラーメン食って帰りました(苦笑)



いや〜疲れた
そして暑い一日だった(汗)
帰宅したらエアコンをガンガン効かせて買った新刊を読み耽ろう♪



2016年07月25日(月) 米坂線沿いの旅(笑)

先日、日本地図を眺めていて



新潟から日本海側を通って山形へは行った事がある。
新潟から西会津方面へ抜けた事もある。




新潟から山を抜けて米沢へのルートって行った事が無い!!
どうやらこの区間は米坂線と言う電車が通っているので
きっと探せば何か観光するものが出て来るはずです♪(ヲ)




ってな訳でGO!(笑)



メンツは意外と集まって、俺、ミッキー、老ちゃん、キタイの4人!
俺の車が絶不調なので職場から車を爆安で借りて来てでもイベント
決行です!(笑)

行きは新潟から入るので圏央道
なので、どうせ俺が一番仕事が終わるのが遅いので皆には
伊勢原に来て貰います。


1時過ぎに帰宅して、用意をして速攻で伊勢原駅へ
待っていた皆を拾って厚木ICより東名経由で圏央道へと進みます。


・・・・代車
ETCカードを入れ忘れていて、気が付いた時には入り口目の前(汗)
後で降りる時にICでカードを係員に出して「ETC出来なかった!」
で押し通ろう♪(マテ)






朝6:30
最初の目的地である新潟県の『胎内観音』に到着していました!

ICはミッキーが突破した様です。
その時に「ご迷惑お掛け致しました!!」と係員からETCの
クリーニングカードまで貰ったミッキー・・・
此方のミスなのに、いったいどんな通り方をしたら謝られるのか?
流石はミッキーさんです。マジリスペクトっす!(笑)


え〜ミッキーを弄るのはこれくらいにして、サクッと観光です♪

昭和42年8月28日羽越大水害殉難者の冥福と災害の復興、更に
国土の安全・将来の平和繁栄を祈念し、昭和45年8月28日に
総丈7.3m、重量4トン、青銅製日本一(当時)の越後胎内観音を
樽ケ橋に建立しました。
鳥坂山を背にしてけだかくそびえ立ち、八葉の蓮華台に合唱して立つ姿は、
波の上に乗っているようにみえるので「波乗り観音」とも言われれて
いるそうです。
昭和に建てられたとは思えないくらいに古く歴史のあるの様に
見えましたね〜

小高いとは言え、早朝からご機嫌の炎天下の下で急な石段は
勘して欲しかったです(涙)

お次は『江上館』
仁元年(1201年)越後の城氏が滅亡した後、治承・寿永の乱で功の
あった和田義茂が奥山荘地頭となったのが始まりで、その惣領家である
中条氏の館がこの江上館と考えられています。

江上館は複郭の平城で高土塁に囲まれた方形の主郭を中心に南北に
曲輪があり、土塁や堀、門などが復元されています。

・・・・あれ?
ここって・・・・
ミッキー「前にも来たよね?」
だよね!N山とかと一緒に来たよね!!(過去日記参照)

過去に来た事を忘れていて、まさかのテイク2でした(苦笑)


気を取り直して次へ!
『乙宝寺』
おっぽうじ
新潟県胎内市乙にある真言宗智山派の寺院。
猿供養寺、乙寺(きのとでら)とも呼ばれています。
境内には国の重要文化財である三重塔や、大日堂、本坊、方丈殿、
六角堂、弁天堂、観音堂、地蔵堂が建ち並びます。
新潟県屈指の古寺で、釈迦の左眼を納めたと伝える舎利塔など、
寺にまつわる伝説や逸話が多く残されています。
寺伝によれば、天平8年(736年)に聖武天皇の勅願により行基菩薩、
婆羅門僧正らが北陸一帯の安穏を祈り開山したと伝えられています。
婆羅門僧正が釈迦の左目を現在の六角堂のあたりに納めたとされる。
寺の縁起によると右目は中国の甲寺に納めたことから、左目を納めた
当寺の名前を乙寺(きのとでら)とし、後に「寶」の文字が付け加えられ
「乙寶寺」になったそうです。
また「今昔物語」や「古今著聞集」にみえる「写経猿」の説話にちなんで
猿供養寺とも呼ばれるそうです。



さて、朝から炎天下で歩き回っているのでそろそろ汗だくです(汗)

近所にあった道の駅内にあった『桂の関温泉』の「温泉ゆーむ」
と言う日帰り入浴施設にて汗を流してサッパリしたいと思います!!


泉  質はナトリウム・カルシウム。硫酸塩・塩化物泉。
桂の関温泉は、この近所に幾つかある温泉郷の5つ目の温泉として
開湯した日帰り専用の温泉だそうで・・・
歴史も何も資料がこれしか無い(汗)

ま〜新しく明るくて開放的な湯船でマッタリと出来たし、風呂上りに
エアコンの効いたロビーで少しゴロゴロ出来たので満足です♪


道の駅の敷地内?裏手??にあった『渡邊邸』へもそのまま足を延ばして
見学して来ました。
1667年以来の旧家で、酒造業によって多くの資産を築きあげた豪農の
邸宅で、全盛期には75人もの使用人を雇い、約1,000haの山林を
経営、700haの水田からは、9,000俵の小作米を収納したと
伝えられています。

約3,000坪の広大な敷地に堀と塀をめぐらし、500坪におよぶ
邸宅は切妻造り。
邸宅内には、厳選された無節の柱、丸桁、敷板などが随所に惜しみなく
用いられ、日本でも数少ない豪農の屋敷の在りし日の姿を見る事が
出来ます。

屋根には木羽葺き石置屋根で、15000個の石が使われており、これは
日本一の規模を誇ります。昭和24年母屋が、53年に土蔵など数回に
わたって国の重要文化財に指定されました。
また、回遊式として知られる渡辺邸の庭園は、京都から遠州流庭師を
招いて構築された立派なものでした。

そして隣りに建つ『東桂苑』も一緒に見学!
ペアチケットで若干割引でした(笑)
東桂苑は、明治38年に、当時の建設技術の粋を集め、渡辺家の分家と
して建築されたものです。

木造2階建て入母屋造りの堂々としたたたずまいが印象です。
純和風の風情ある庭園も見事でした!



立派なんだけど・・・・実家の敷地の隣りに家建てておいて独立して
分家ですってね〜(苦笑)
本家から出るなら、せめて隣り町くらいまで行けよってツッコみは
不許可で(ヲ)


さて、新潟の観光はこれで終了!
後は国道113号の米坂線沿いを進み山形県へと入ります。

まずやって来たのは『大宮子易両神社』
羽前・羽後地方の鎮護と人々の生命の守護神として712年に創建された
古社で安産・子授け・子育ての神として有名だそうです。
枕を妊婦に貸し出す風習があり、陣痛が始まるとお守りとして傍らに
置かれ、出産後、感謝を込めて二つにして返す風習がこの神社を中心に
この辺りには古くから伝わっているそうです。
境内には今でも安産祈願やそのお礼の絵馬が大量に納められていました。


・・・・・・・安産ね〜




全く縁が無いな(涙)




続いては『羽前牛谷館跡』
牛谷館は、戦国時代に牛谷甚五右衛門によって築かれた館です。
牛谷氏は伊達氏に仕えたが、天正19年に伊達政宗が陸前岩出山へ
移封になった時、これに従わず帰農しました。
江戸時代は、上杉氏より在郷馬上の待遇を与えられています。
牛谷氏宅北側には、大塚城大手門を移築したとされる長屋門が
現存しています。
他には鬱蒼とした藪の奥に土塁?らしき物が見えました。

元々、この場所には大塚城と呼ばれる城があり、土塁はその時代の
遺構かな??
大塚城は、鎌倉時代に大塚親行によって築かれました。
戦国時代に城主大塚将監は、天文の乱で戦功をあげたそうです。
子の宗頼は、天正19年に伊達政宗が陸前岩出山へと移封になると、
これに従って移り大塚城は廃城となりましたが、岩出山へと移らずに
残って帰農した牛谷氏が館を築いたのが流れです。



さて!
腹も減った!!って言うか空腹感がヤバい(涙)
やって来たのは『米沢』
「そばの店ひらま」と言う店で名物?の「米沢ラーメン」なるものを
食べて来ました!

米沢を中心とした山形県の置賜地方で人気のご当地グルメ。
その特徴は、鶏ガラや煮干しなどの魚介のダシがきいた透き通った
スープと、細打ちの縮れ麵。「あっさりとして素朴な味わい」が魅力の
正統派!・・・・・らしいです(苦笑)



ま〜あっさりとしていて、どこか懐かしい正統派醤油ラーメンでした。
具材もシンプルでしたし。



さてさて
・・・・後は帰るだけなのですが、せっかくここまで来たし〜
どうせ帰り道だし〜って事で!!


もう行かない!!ってあれほど言っていた(過去日記参照)
『御釜』へと立ち寄りました(マテ)

過去2回は濃霧で湖が見えず!(過去日記参照)
今日は空も晴れていて今までの様に朝では無く夕方なので
朝靄も無い!!
イケる!!!










・・・・・・・・・・・・・見えね〜!!!!(怒)
晴れてるのに!
景色綺麗なのに!!!
御釜の周辺だけ霧?ガス??が立ち込めていて全く見えん!!!(怒)

大型扇風機でも設置しておけ!!!!


まだ時間に余裕があったので、時間いっぱい粘ろうと
蔵王の麓にある過去に拝観した「刈田嶺神社」(過去日記参照)の対
になる展望台から少し足を延ばして山頂に有る『刈田嶺神社奥宮』を
参拝するも、少し晴れて来て微妙に湖のシルエットが見えたのが
限界で、再びまた霧が立ち込めて見えなくなっていって
しまいました(涙)




撤収!!!


帰り道は高速に乗るまでが山道で怠かったですが、東北道に乗ってさえ
しまえば後は一気に進みます♪

何時も通りに常磐道経由で老ちゃんを美野里PAで降ろして
ミッキー、キタイの順に解散して行きました。

俺が帰宅したのが23時前だったので今回の旅はかなり余裕でしたね♪



日本地図を見ていて見つけた、今まで行った事の無い空白スポット!
もっと探せばまだ有りそうだな(笑)
地下まで見付かれば枯渇している日帰りイベントを補強出来るので
ちょっと調べてみようと思います♪

ま〜まずは今回もお疲れ様でした!
次回もガンガン遊ぶぞーーー!!



2016年07月21日(木) 盛夏の九州(熊本南部)

朝起きて〜

・・・・・・・・・・・はい、今日も炎天下ですね(汗)


朝食無しのプランだったので、朝風呂には確りと入った以外は
マッタリと時間ギリギリまで部屋でゴロゴロしていました(笑)

って言うか、朝の露天風呂の段階で今日の炎天下っぷりに
泣きそうになったよ(涙)


チェックアウトしてから、昨夜急遽行先を追加した
『青井阿蘇神社』を参拝します。
宿から超近所で町中にある神社なのですが、何と国宝!

国宝指定を受けたのは、本殿、廊、幣殿、拝殿、楼門の建造物五棟と、
附(つけたり)として造営時の棟札一枚と改築の年代や内容が明記された
銘札五枚!

現在の社殿群は、慶長15年(1610年)から同18年に4ヶ年を
かけて造営されたもので、まもなく400年を迎えます!!
一連の社殿が同時期のものは全国でも珍しいという事です。
急勾配のかやぶき屋根をはじめ、随所に桃山様式をとり入れた多彩な
装飾や色彩、南九州地方にみられる雲龍の彫刻が施されているのが特徴で、
拝殿横に神供所を配置するL字状の配置は、球磨地方の社寺建築の
規範となっているそうです。
国宝の指定件数は全国で1075件目。建造物では214件目。
神社の指定は37件目で、昭和36年以来ぶり。
茅葺の社寺建造物では初めてで、九州内では22件目中、建造物は
6件目で、昭和28年指定の長崎県大浦天主堂以来55年ぶり。
神社では大分県宇佐八幡宮本殿に次いで2件目となるそうです。

相良氏入国より約400年前、今から1200年前の大同元年(806年)
に神社が創建されました。
阿蘇の広大な原野を開拓し、その守り神として阿蘇山のふもとに鎮まる
阿蘇神社の御祭神十二神のうち、三神の御分霊が、重陽の日9月9日に
この青井阿蘇神社に祀られたのです。
御祭神の名は、初代の天皇である神武天皇の孫にあたられる
健磐龍命(たけいわたつのみこと)、
その妃の阿蘇津媛命(あそつひめのみこと)、
お二人の子供の國造速甕玉命(くにのみやつこはやみかたまのみこと)
の三柱です。


急遽追加したのにかなり凄い物を見て来てしまったな(笑)



さて、神社拝観後は俺的にはこの旅一番のメイン!
『人吉城』へとやって来ました!!
人吉城は、もともと平氏の代官がいた城でしたが、遠江国相良の出身で
人吉庄の地頭として着任した相良長頼が、平頼盛の代官矢瀬氏を滅ぼして
建久9年(1198年)に城主となり、翌年より修築したと伝えられて
いる城です。
以来35代670年の長きにわたり在城し、江戸時代には人吉藩の藩庁で
もあったそうです。
幕末に築かれた御館の石垣の一部には、ヨーロッパの築城技術である
槹出工法(はねだしこうほう)を応用した「武者返し」と呼ばれる独特の
石垣が特徴的です。
この武者返しは城壁最上部に平らな石がやや突き出して積んであり、
ねずみ返しのように城壁越えを阻止すると共に、登ってきた敵も割合簡単
に落下させられるようになっており、城壁に張り付いた敵への攻撃にも
使えるようにして造られています。
この城壁は日本の城では他に函館の五稜郭と鶴岡城にしかない貴重な
遺構です。

現存ではありませんが、球磨川沿いに築かれた武者返しの石垣が
とても美しく、感動しました!

球磨川沿いに三の丸を配し、その南に二の丸、さらに丘陵上に本丸が
配されている、梯郭式の平山城で本丸には天守は築かれず護摩堂が
あったと云われています。
明治4年(1871年)廃藩置県により廃城に(涙)
1877年(明治10年)に起こった西南戦争では西郷隆盛軍の
拠点となり戦闘が行われました。
この際に幕末に再建された建造物も全焼したが、唯一焼け残った堀合門が
市内の民家に移築され現存しています。

境内には相良氏を祀る『相良神社』もありそちらも見学して来ました。



100名城の1つでもあり、このイベント的には99個目の城。
俺個人としては100名城コンプリートです♪





さて汗だくになった城見学を終え、何故だか満場一致でマックへ(ヲ)
昼飯をサクッと食ってから山奥へと進んで行きます・・・

『球泉洞』へとやって来ました。
この旅で人吉城に並ぶメイン!
日本観光鍾乳洞協会に加盟する9大鍾乳洞の1つです。

1973年(昭和48年)3月に発見された延長4.8kmの鍾乳洞で、
九州最大の鍾乳洞であり、およそ3億年前海底にあった石灰岩層が
隆起して出来たと推測されています。
ギラギライルミネーションがトラウマを刺激する
人口洞窟イルミネーション地帯を抜けると・・・

良かった
落ち着いた感じの普通のライトアップされた洞窟内だ(涙)


天然橋、カーテンと石筍、リムストーン、フローストーン、
ホマーテ型石筍などの鍾乳洞内でしか見る事の出来ない貴重な地形?を
眺めつつ、洞窟内を立体的に複雑に工場内の様な階段が張り巡らされて
おり、何だか秘密基地みたいな感じで楽しかった♪(笑)

洞窟内が涼しかったので、外に出て来ると熱気がヤバい(汗)
売店で昨夜宿で飲んで美味かったので、試飲は出来なかったけど
色々厳選して球磨焼酎を1本買って帰りました!

今度、マッタリと肴にも拘って飲みたいと思います♪



さて、山エリアを突破して熊本県の海沿いへと出て来ました。
まず向かったのは『佐敷城址』

佐敷城は、肥後国の南部、現在の熊本県葦北郡芦北町にて加藤清正に
よって築城された近世の城郭です!
別名「佐敷花岡城」とも呼ばれます。
佐敷城の城下は昔から薩摩街道と人吉街道(相良往還)が通る交通の
要地であり、戦国時代中期までは相良氏、戦国時代末期には島津氏の
勢力拡大をめぐって佐敷城の攻防が繰り返された激戦区の1つでした。
詳細は不明ながら「肥後国絵図」に描かれた三層の天守閣を再現する
公園整備案が持ち上がったが、発掘の結果天守の礎石は発見されず
学術的な復元を望む慎重意見が多く、町長選でも天守閣再建反対派の
候補が当選したため、1997年(平成9年)より石垣の復元を中心と
して歴史公園の整備が行われてきました。

シンプルに山頂に石垣が立ち並び、眼下の町並みや見渡す限りの山々に
石垣が綺麗に栄えて思わず見惚れてしまう程でした♪

・・・良かった
ここにナンチャッテ天守閣が建っていなくて本当に良かった(汗)



さて、今日も確りと温泉を満喫したいと思います!
佐敷から道すがら『日奈久温泉』にて入浴です!!
「日奈久温泉センター」にて今回3つめの温泉です♪

詩人の種田山頭火が愛好したことで知られ、1409年(応永16年)、
刀傷を負った父の平癒を祈願した浜田六郎左衛門が、市杵島姫命のお告げ
により干潟から湯を掘り当てた伝説が残る温泉です。
六郎左衛門が掘ったとされる湯元には、今は記念碑が建っています。

1540年(天文9年)8月11日から27日にかけて龍造寺氏、
1586年(天正14年)9月10日に上井覚兼が、それぞれ湯治した
記録が残っています!
江戸時代には熊本藩細川氏の藩営温泉となり、藩主の細川綱利の命に
よって大浴場が設けられ、身分に応じて入浴が許可されました。
八代城主・松井氏や参勤交代途上の島津氏もよく利用したそうです。


小さいながらも露天風呂もあり、旅のラストスパートをかける前に
癒されましょう〜

それにしても朝からずっと暑いな(汗)


風呂上がり、海沿いを北上を続けて八代市へと到着。
『八代城址』を見学します!
市役所の目の前に残る石垣と水堀に囲まれた城址です。
江戸時代初期に球磨川河口の松江と言う場所に幕府の許可を得て
建築されたことから松江城とも言うそうです。

同じく八代城とも呼ばれた南北朝時代の「古麓城」と安土桃山時代の
「麦島城」の三つの城跡を併せて、平成26年(2014年)に
「八代城跡群」との名称で一括して国の史跡として登録されました。
八代城は、幅の広い水堀に囲まれた本の丸と、道路を隔てた所にある
北の丸の一部が公園として整備されています。
・・・現在、城跡には建物の遺構は何も残っていません(涙)

本の丸へは、東側(表枡形門)と北側(裏枡形門)に虎口が開かれて
います。
東側表枡形門にあった城門は移築現存しています。
南側からも入れるのですが、本の丸内にある神社への入口を造る為、
石垣を取り崩して後世に造られたものだそうです(汗)

築城当時、本の丸北西隅に小天守を伴った天守があったそうです。
大天守は、小天守を通り、渡り櫓を経て、大天守地下の穴蔵へと入る
造りだったそうです。
名古屋城の大天守への入り方と同じ形式だそうです。

名古屋城天守台が加藤清正単独で築いたことから、八代城にも同型式が
用いられたのだろうと推測されています。

水堀と石垣が立派な城でした。境内に建てられた「八代神社」も
見学しつつ城内を隅から隅まで歩き回って見て周りました。
殆どの石垣に登れたはずだったのですが、幾つかには近づけずに
カラーコーンで封鎖されていました。
近くにいた清掃員さんに聞いてみたら、予想通り先の地震のせいだそう
です(涙)
見た感じ壊れてはいないのですが、絶対に影響を受けているはず!
でもそれを見れる専門家が皆熊本市内に行ってしまっていて確認出来る
人間が今は誰も居ない&何時見て貰えるかも不明との事で
それまでは石垣に登る事が出来ないそうです(涙)

・・・・ま〜仕方が無いよね
あの地震で無事に残っていてくれただけでも感謝ですよ



さて!
お次で最後です!!
八代市内から車で少し移動して
『八代神社妙見宮』へとやって来ました、
八代神社は、熊本県八代市妙見町にある神社で、妙見宮、妙見さん。
とも呼ばれています。
旧社格は県社。上宮、中宮、下宮の三宮からなりますが、現在は
下宮が本宮だそうです。
福島の相馬妙見、大阪の能勢妙見と並んで、日本三大妙見の一つ。

1730年(享保15年)に書かれた「妙見宮実紀」によれば、
795年(延暦14年)、横岳頂上に上宮を創祀。
1160年(永暦元年)、中宮を建立。
1186年(文治2年)に、後鳥羽天皇の勅願で、
検校散位(けんぎょうさんみ)大江朝臣隆房により下宮が創建された。
と書かれています。

1870年(明治3年)まではただ妙見宮と呼ばれました。
妙見神とは、北極星・北斗七星の象徴の事です。
神道と仏教の両部の宮寺で、広く崇敬を受け、八代、下益城、芦北三郡の
一の宮として栄えました。
1871年(明治4年)、神仏分離令により、天之御中主神、国常立尊を
祭神とし、社名を八代神社と改められ、県社となりました。

11月22日、23日の妙見祭は、九州三大祭りの一つで
「八代妙見祭の御幸行事」として、国の重要無形民俗文化財に指定されて
います。


さて、俺らにしては意外と何時もよりはギリギリまで遊んでしまった
ので急ぎ足で空港へと戻りましょう(汗)
・・・ま〜焦ったのは本当に最初だけでガラガラで渋滞0の高速を
かっ飛ばして、給油を済ませてレンタカーを返却して『鹿児島空港』へと
帰って来たのが17時過ぎでした(苦笑)

食堂でジャンボラーメンを食ったり(本当にジャンボ!でも値段は
¥1000しない素敵なラーメン♪)、土産を追加で買ったりして
時間を潰し19:25発の飛行機に乗ってサラバ鹿児島!!


上空で何度かやや揺れたものの、だから何?ってレベルで定刻通りに
『羽田空港』へと21:15に着!

羽田の駐車場から真っ直ぐに帰路に着きます。

・・・・帰りの道が九州の自然豊かで走っていて気持ち良かった
道と比べてゴミゴミしていて混んでいて無駄に信号が多くて
無駄な工事ばかりで・・・・・・
ただでさえ、羽田空港に降り立った瞬間から羽田菌に感染して
鬱状態なのに、昨日今日と走った道の素晴らしさと比較してしまい
辛かったね〜(涙)


コチヤを家の近所で降ろしてから俺も帰宅したのが0時頃でした。


いや〜
今回の旅は盛り沢山だったな〜

100名城と9大鍾乳洞のダブル盛り♪
イベント的に初熊本進出!

残りの熊本のイベントは熊本城と阿蘇神社の復旧次第なので
次の予定は何とも立てられないのですが、何時の日か必ず行きます!

その日が1日でも早く来るように祈っております。

ですが、まずは今回もお疲れ様でした〜
次回は何処に行こうかな〜?(笑)



2016年07月20日(水) 盛夏の九州(鹿児島西部)

今日から九州だーーーーー!!!

もう何度目かね?(笑)



今回は人数が集まらず、俺とコチヤのみ(涙)
ま〜でも飛行機系のイベントは人数少なくても金も運転の負担も
そんなに変わらないから平気だけどね(苦笑)


今回の行先は鹿児島西部!
今まで全く行っていないエリアです
そして・・・・熊本南部!
震災の影響をあまり受けていないエリアなので観光もOK!!


何気にうちらのイベントでは熊本は初の侵入です(笑)


1時頃、大雨の中茅ケ崎でコチヤを拾ってから『羽田空港』を目指します。
今回も空港の駐車場に直接向かいます。

案の定、夜中は駐車場はガラ空きなので余裕で駐車可能でした♪


飛行機は6時半過ぎの便だったので、2時間ほど車内で
仮眠をとります・・・



6時に起床して空港内へと移動。
手続きを済ませて出発ロビーへと移動します。
今回はロビーから飛行機までバスで移動だったので、乗り場を通り
過ぎてかなり無駄足を踏みましたが、バスには余裕で間に合ったので
良かったです(苦笑)

飛行機に乗り込み、定刻通り6:40に離陸
明け方まで大雨でしたが、空は荒れる事無く穏やかなフライトだったと
思います・・・・・って、機内で座ってすぐに昇天したから空の上の
状態とか全く分からん(汗)

取りあえず『鹿児島空港』へは予定通り8:20に着!
空港内でレンタカーに電話を入れて、空港までバスで迎えに来て貰い
レンタカー屋へ

・・・・前回薩摩半島を回った時(過去日記参照)に使った
ワンズレンタカーでした(笑)


本社が北海道だったらしく、そこから配車されて来たそうで
鹿児島なのに、まさかの帯広ナンバー!!
遠くからでも自分の借りた車がすぐに分かるなコレは(笑)


レンタカー屋から真っ直ぐに高速に乗り、桜島SAにて朝飯を食ったり
飲み物やお菓子を買い込んでから本格的に観光を開始します!





まずやって来たのは・・・・最初から今回もマニアック度MAXです!
『串木野城址』
串木野城は、鎌倉時代に薩摩郡司薩摩氏によって築かれた城です。
薩摩六郎忠直の三男忠道が串木野を領し、以後串木野氏を称して
代々居城していました。

南北朝時代に島津氏によって滅ぼされ、以降は島津氏の拠点の1つ
として存在します。

明治時代になり、廃城になると城址には串木野麓の地頭御仮屋が
建てられます。

調べた時、写真には立派な石垣が写っていたので
楽しみで見に来たら・・・


普通に民家の壁だし(汗)
普通に排水管出てるし(涙)

現地の案内板によると、城も地頭御仮屋も綺麗に消滅していて
一部城の遺構が竹藪の中にあるらしいのですが、そこまでの生き方が
書かれておらず、一応付近を探して見たのですが・・・・


ヤバい

暑い


直ぐ向こうでアスファルトが蜃気楼でユラユラしている(滝汗)



無理


撤収(涙)



気を取り直して&車内でエアコンをガンガンで効かせてお次は
『泰平寺』を参拝!!
川内市内にある寺で、708年に元明天皇の勅令により創設されたと
伝えられている古刹です。
境内には民話「塩大黒天の昔話」の大黒様が鎮座しています。

塩大黒天の昔話=
昔、この辺りが塩不足の時に、甑島まで自腹で塩の買い付けに行って
くれた男前な大黒様の話です(笑)


ま〜俺ら敵には、1587年の豊臣秀吉の薩摩侵攻の際豊臣軍の本営と
なった場所で、更には秀吉と島津義久が和睦を結んだ場所としての方が
有名・・・・かな?(笑)
島津義久は泰平寺に出向いて秀吉と対面し和睦が行われました。
お互いがお互いを武将らしい態度であったと褒め会った記録が残って
います。
境内には向かい合う2人の像が建っていました。


しかし、セミの大合唱が凄いね〜
あまりに凄いセミの爆音鳴き声に、近くのコチヤと話すのに大声で
言い合っている感じになります(苦笑)


さて、続いて『新田神社』
・・・薩摩の国の一之宮です。



・・・・あれ?この前行った「枚聞神社」が一之宮じゃないの??
(過去日記参照)って思った人

正解です!(ヲ)


元々、薩摩国においては一宮が未確定だったんです!
なのに、鎌倉時代に蒙古襲来に際して、一宮において「異国降伏祈祷」を
行うよう鎌倉幕府から命じられた事を切っ掛けに、新田神社と枚聞神社の
間で薩摩国一宮相論が開始されました。
未だに未解決でお互いが当時から一之宮を名乗り続けています(汗)
・・・って言うか、元寇前に地元で揉めてたのかよ(汗)

新田神社は、薩摩川内市街地にある神亀山(高さ70m)の山頂にあり、
天皇のご先神であるとされるニニギノミコトを祀る神社です。
6月の御田植祭で奉納される「棒踊り」「奴踊り」は県の無形民俗
文化財に指定されています。
また、隣接している可愛(えの)山陵は、神代三山陵の一つにあげられ、
明治7年7月にニニギノミコトの墳墓として宮内庁直轄で管理されて
います。
社殿に上る石段の途中には御神木のクスなど多くの木々が茂り、静かで
落ち着いた雰囲気をつくっています。

え〜・・・
麓から神社まで300段オーバーの石段があります(涙)




車で本殿近くまで行くことができますので、麓の大鳥居や朱塗りの橋を
見学したら一気に車で山道を通り抜けてサクッと参拝して来ました♪
子供を抱いた抱え狛犬なんて可愛いものに遭遇しました♪



さてさて、少しペースを上げて行きましょう!
やって来たのは『清色城跡』
清色城は、薩摩川内市入来町にある山城です。


山城です(笑)


宝治元年(1247年)、入来の地に渋谷定心が下向します。
清色城の築城時期は明確ではありませんが、文献では永和年間
(14世紀末)に「清色殿」との記載があることから、その頃と
考えられます。
清色城の規模は、南北約650m、東西約840mで、この地域の
中世山城としては中規模です!
南九州独特の土質であるシラス台地の自然地形を巧みに利用しており、
人工的に手を加えた空堀を造り、各曲輪を独立させた構造となって
います。
現在、判明している曲輪の名称は、本丸・西之城・松尾城・中之城・
求聞持城・物見之段の6つで、名称不明のものも含め大小16の曲輪より
構成されてたと考えられています。

城に行く前に、まずは城下町だった『入来麓武家屋敷群』を
見学してからにしましょう!
知覧の武家屋敷と少々異なり、丸石を使った石垣が特徴的です。

九州っぽい木々や花が植えられた古い石垣の街並みを・・・

ギラギラ太陽光とセミの大合唱の中でフラフラ彷徨います(汗)


城の敷地は山と入来小学校です。
山に入るとマジで今日が終わってしまいそうなので、学校前の
立派な石垣と門址を見学して撤収です(苦笑)


さて、城下町を彷徨ったせいで汗だくになってしまったので
近所の『入来温泉』にてリフレッシュを図ります♪
「入来温泉湯之山館」と言う日帰り入浴施設にて汗を流しましょう!

副田温泉と表記される場合もある温泉でして、歴史は古く
南北朝時代の建徳二年(1371年)に「副田湯」として記録が
残っています。
その後「ゆかわち(湯川内)」として記録され、江戸時代中頃の天保年間
には「湯河内温泉を世俗に入来温泉と称す」と記録されていた事から、
この頃より入来温泉という名称が定着したと考えられています。
当時は入来領主の経営する六温泉と湧湯二箇所が存在していた
そうですが、明治以後に温泉は五つとなって村有となりました。
現在残る柴垣湯とあぜろ湯の二つの市営浴場は、いずれも江戸時代の
六温泉にルーツを持ち、柴垣湯の名称は明治以降、あぜろ湯の名前も
「網代湯」として江戸時代から記録されているそうです。
明治53年(1900年)に私営温泉が新設され、大正6年
(1917年)からは入浴料をとる公営浴場が営業を開始し、昭和時代
には私営の公衆浴場亀の湯も新設されました。
泉質は炭酸水素塩泉(低張性・中性・高温泉)の塩化物泉

適度な熱さで露天風呂は無かったのが残念でしたが、風呂場は大窓が
庭に面していてそこから光が差し込みとても明るくて良い感じの
湯でした♪

風呂上り、御当地牛乳を飲んでリフレッシュ完了!!
さて次へ急ぐぞ!

お次は『出水麓』
出水麓は、薩摩藩が肥後国(現在の熊本県)との国境を守る場所として、
外城制度(薩摩藩の地方統治制度)に基づいて数多くの薩摩藩士を
郷士として住み着かせたミニ城下町「麓」(ふもと)の1つで、出水城
の麓の丘陵地帯を整地して形成したものです。
1599年に初代地頭として本田正親が配された後、約30年かけて
3代地頭の山田昌巖の時代まで整備が続けられました。

一国一城令が幕府から出される中で「・・・城?城じゃないし麓だから」
って言い切った薩摩はマジヤバいね(汗)
そして藩内の各地に「麓」をジャンジャン造って地方支配の拠点とした
薩摩藩ですが、出水麓はその中でも最大規模でした。
現在、国の重要伝統的建造物保存地区に登録されていて
「出水麓伝統的建造物群保存地区」として44ヘクタールが指定され、
3軒が公開されていますので見学してきました。

「竹添邸」
平成23年4月1日から一般公開された税所邸
家の中に設けられた弓的場が特徴的でした。
雨天時に腕がなまらないよう、矢を射る形などを練習する場所だそうです。
さすがは戦闘民族薩摩
いかなる時でも鍛錬は欠かしませんね(汗)

他にも「武宮邸」「出水御仮屋門」「宮路邸」とつい最近まで人が
普通に住んでいた家まで見学して来ました。


せっかくの風呂上りなのに、またウロウロ炎天下を歩き回ったせいで
汗だくです(涙)

開き直って次です!
結構車で山道やら農道を迷子になりながらも『木牟礼城』へと
何とか到着です(涙)
築城年代は定かではないが建久年間(1190年〜1199年)頃に
本田貞親によって築かれたと云わっています。

元暦2年(1185年)に惟宗忠久は源頼朝より伊勢国波出御厨および
須可荘地頭職に任ぜられ、日向国島津荘下司に任命されました。
この惟宗忠久が島津氏の祖となり、島津忠久とも呼ばれています。
文治2年(1186年)忠久は家臣の本田貞親を下向させ、守護所として
築いたのが木牟礼城だと云われてり、薩摩の入口にあたるこの地に
築かれたそうです。
木牟礼城は岩下川に面した低丘陵に築かれ、国道3号線の北側に
「木牟礼城跡」と大きく掲げられた丘陵があり、ここが本当に僅かに
残された曲輪の跡だと云います・・・

畑の中にイキナリ出て来る看板が目立ち過ぎていて、城の遺構と云われる
部分が・・・・・畑内の小山?盛り土??って感じがする(汗)


続いて『野間之関所跡』へGO!
徳川300年は幕府の命として固く各国との通行を禁じていましたが、
薩摩藩は更に独自の封建社会により二重鎖国ともいえる厳重な取締を
行っていました。
肥後との国境にある野間之関は、薩摩第一級の番所で、その鉄壁さを
もって全国に知られていました。
「薩摩人,いかにやいかに,刈萱の関もとざさぬ御世とは知らずや」
高山彦九郎があまりの出入国の厳しさに書き残した一文が残るほどに
厳重だったそうです(汗)
因みに薩摩の三大関所のひとつです。
現存するものとして「古井戸」が敷地内の残ります。
後は復元の木の柵と門がありました。

・・・ま〜あれだけ密貿易だのしまくっていれば幕府だけではなく
他国からの目も神経質にならざるを得ないだろうな(苦笑)


さてさて、次の目的地から熊本県へと入ります!
我々のイベントとしては熊本へ初突入です(笑)
記念すべき熊本一発目は・・・・・・『水俣城址』

はい
最初からマニアックですね(苦笑)

水俣城趾は現在は城山公園となっていています。
城の曲輪などの遺構は殆ど残っていないです(汗)
唯一、城山公園のグランド造成中に偶然発見された低い石垣が長さ50m
ほどの残っているだけですが、それが残っているだけでも全然OKじゃん!
って事で立ち寄る事にしました♪
水俣城の築城年代は南北朝期といわれているが定かではないです。
寛正6年、肥後守護菊池為邦から人吉城の相良氏が水俣の領有を
認められていましたが、天正15年の秀吉による九州征伐後、芦北郡は
秀吉の直轄領となりました。
以後、宇土城の小西領、熊本城の加藤領と領主は変遷しましたが、慶長
17年、幕命により廃城となりました。



時刻は流石に夕方
そろそろ宿へと急ぎましょう!!
今日の宿は『人吉温泉』です!
鹿児島との境に近く、山間に拓かれた町ですが
人吉は小京都と呼ばれるほど歴史があり、趣のある所です。
お湯は美人の湯とよばれ、入浴後のお肌はツルツル・すべすべになると
好評だそうですので楽しみです?(ヲ)

開湯時期は不明ですが1492年に、当時の人吉の当主であった
相良為続が入湯した記録が残っていますので結構な古さの温泉街です。

そんな中で本日のお宿は『芳野旅館』

『』表記です!

・・・実はこの旅館
明治42年創業で、元は相良藩御典医屋敷跡で、その後料亭から旅館に
なった母屋は普通に文化財です(笑)


我ながら良く今回の予算でこの宿を探して予約を取ったな〜と
自画自賛です♪


飯はアユの刺身や塩焼き!食い終えた骨はすぐに回収して唐揚げに♪
追加で頼んだ球磨焼酎は九州では珍しい米の焼酎でして
予想以上にスルスル飲めてしまい、でも度数は35度☆
不味いパターンだと思いストレートから急遽水割りに変更です(汗)

いや〜良い飯でした!

食後、部屋でゴロゴロしていたら気が付いたらコチヤ轟沈!
起こしても起きなかったので一人で風呂へ
小さいながらも内風呂から外に出て露天風呂もあり!

いや〜夜なのにまだ暑かったけど、そんな中の露天風呂も中々に乙で
良し!!(笑)

一応駅近くの街中なので、宿を出てすぐ目の前にコンビニもあり
アイスを買いに出掛けて、風呂上りにご機嫌アイスタイムも満喫出来で
大満足でした(笑)


さて
今回は2人旅で運転手は俺一人ですので早目に寝ますね〜
明日は本格的に熊本観光です!


続く



2016年07月17日(日) 国道のお勉強

今度、また九州の方へ行くのでその調べ物をしていると
国道3号線が良く出て来ます。


・・・九州は国道3号

こっちは1号
関西の方は2号で東北は4号・・・・

そのくらいの認識しかなかったのですが、そう言えば県内には16号、
129号や134号、246号、467号などありますが
何番まであるのかね??



って事で、少し調べてみました!


国道1号から507号までが指定されています。
ただし、歴史的経緯により欠番があるため、実在するのは459路線

507こが多いのか少ないのかは良く分かりませんが、国道で欠番って
あったのか〜(汗)




因みに1969年(昭和44年)12月以降に制定された路線には
政治的な路線も多く(例・田中角栄元首相の地盤だった新潟県中越地方
には新潟県管理の300番台・400番台国道が多い)、一般に認識
されているような「国道は立派な道である」との概念から外れる道が
多くなるとの事
幾つか記憶にあるな〜酷道が(笑)


1号は東京都中央区から大阪府大阪市北区へ至る一般国道。
ルートは旧東海道をほぼ踏襲した現代の東海道。

2号は大阪府大阪市北区から福岡県北九州市門司区へ至る道。
本州と九州との間は、関門トンネルによって繋がり、兵庫県から山口県に
かけての大半の区間で山陽自動車道と並走しています。
旧山陽道(近世山陽道・西国街道)を前身とする路線であり、旧山陽道を
ほぼ踏襲しているが、一部岡山県内で大きく山陽道から外れているエリア
がある。

3号は福岡県北九州市門司区から、福岡市を経て福岡県西部・熊本県
西部を縦貫し、熊本市を経て九州西岸部を南下し、鹿児島県鹿児島市
へ至る道。

4号は東京都中央区から青森県青森市へ至る一般国道です。
現在、総延長・実延長・現道区間の延長が日本一長い国道だそうです!

5号は北海道函館市から北海道札幌市中央区へ至る一般国道で、北海道
で唯一の一桁国道(笑)

6号は東京都中央区から宮城県仙台市へ至る道です。
東京都中央区日本橋から水戸市を経て仙台市に至る路線。
仙台市まで福島県中通りを通る国道4号とは異なり、関東平野を縦断し、
水戸から太平洋沿いに北進し福島県浜通りを通ります。
全線にわたり常磐自動車道及び常磐線と並走しています。

7号は新潟県新潟市から青森県青森市へ至る道です。
新潟市から日本海沿いに、山形県庄内地方、秋田県を経由して、青森市
に至る幹線国道であり、江戸時代には新潟市〜秋田市は羽州浜街道、
秋田市〜青森市は羽州街道として五街道に準ずる脇街道とされました。

8号は新潟県新潟市から京都府京都市へ至る一般国道です。
新潟市から日本海沿いに北陸地方を縦断して滋賀・京都に至る国道で
あり、かつての北陸道を継承するものです。
新潟県〜滋賀県にかけて北陸自動車道と、滋賀県〜京都府にかけては
名神高速道路と並走します。
現在、新潟市内の新潟バイパス区間の交通量は、日本ではトップクラス
だそうです!

9号は京都府京都市から山陰地方を経由して山口県下関市へ至る
一般国道です。

10号は福岡県北九州市から、周防灘、別府湾、日向灘沿いに東九州の
大分県、宮崎県沿岸部を走り、内陸部の鰐塚山地や都城盆地、鹿児島湾
沿いを経由して、鹿児島県鹿児島市へ至る道です。

11号
やっと四国内の国道がラインナップです(汗)
徳島県徳島市から香川県高松市を経由して愛媛県松山市に至る道です。

12号は北海道札幌市から同道旭川市へ至る国道・・・短いです(苦笑)

13号は福島県福島市から秋田県秋田市へ至る道です。

14号はこれもまた凄く短くて東京都中央区から千葉県千葉市に至る
60km位しかない国道です(汗)

15号は・・・30kmも無い短さですが東京都中央区の日本橋から
神奈川県横浜市神奈川区の青木通交差点へ至るルートで、京浜地区に
おいては「第一京浜」「一国(いちこく)」などと呼ばれ、明治時代の
明治1號國道に相当します。

16号。1号並みに馴染の深い国道です。
神奈川県横浜市西区を起・終点とし、首都圏を環状に結ぶ一般国道で、
東京環状、八王子街道、横須賀街道などの通称があります。
国道16号は東京近郊を環状に結ぶ数少ない道路であり、神奈川県
横浜市、相模原市、東京都八王子市、埼玉県川越市、さいたま市、
千葉県柏市、千葉市といった都市を結ぶため日中は交通量が非常に多く、
流れの良くない区間が多い、365日24時間渋滞多発エリアです(涙)

17号は東京都中央区から新潟県新潟市へ至る一般国道です。

18号は群馬県高崎市から新潟県上越市に至る一般国道。

19号は愛知県名古屋市から長野県長野市へ至る一般国道です。
この内、岐阜県恵那市から長野県塩尻市にかけて旧中山道に相当します。

20号は、東京都中央区から長野県塩尻市へ至る一般国道です。


取りあえず1〜20くらいで見てみると・・・

圧倒的に首都圏ですね(笑)
四国、山陽、山陰は辛うじて1個ずつ通ってます

こうやって調べてみると、かなりと言うか全部通過してますね(笑)
いや〜その時は意識してなかったけど、ルートを調べてみると
間違いなく全て網羅していますね(笑)



2016年07月14日(木) 帆立VS病人

Teemeさんから差し入れでまた帆立貰ったぜーーー!!!
(過去日記参照)
青森在住のお姉さんが送ってくれたらしいのですが、大量にあるらしく
昨日お裾分けで職場に持って来てくれました♪


で、皆が持って帰った最後
残り物に福来る☆
皆少しずつしか持って帰らなかったので最後なのに4枚も残ってた♪


勿論全部回収です!(笑)






で、家に帰って






何故だか超・頭痛(涙)



そのままご臨終です・・・







で、今日も体調は復活せず
何も予定の無い貴重な休日が丸々無駄に(涙)



それでも悪くするわけにはいかぬ!!と気合を入れて起床して
帆立の解体作業に取り掛かります(汗)





頭痛に呻きながらフラフラしつつ帆立を解体


今日は生で食うのは諦めて、贅沢に全部バター焼きにいたします♪











匂いを嗅いでいたら復活!!!(ヲ)




やべーバター焼き超美味ぇ〜〜〜


ご飯が止まらんぜ〜





残ったバター焼きのバターと帆立の細かい部分と敢えて1個残した
バター焼きの貝柱は・・・・

そのままご飯をコンソメで煮込んで、スパイス入れて炒めて
そこへ投入♪
帆立バターピラフ!!!



美味過ぎた






そして
食い過ぎた






腹いっぱいで眠れない(汗)
まだ微妙に体調不良なのを明日仕事だから明日までに復活させないと
辛いのに・・・
食い過ぎで眠れない。もう夜が明けそうだっていうのに(涙)



ま〜何はともあれTeemeさん
前回に続き今回も貴重な物資を分けて頂きありがとうございました!
次回も期待していますのでお姉さまにくれぐれも宜しく御伝え下さいね
(邪笑)



2016年07月11日(月) ジュンさんデミオ→アクセラスポーツ

休日出勤です!




・・・と言っても、ジュンさんの車を埼玉で登録&そのまま納車
する為のお出かけです(笑)




そう
とうとうジュンさんも車の乗り換え!

過去に当店で購入したデミオ(過去日記参照)



スキー場で寝て、水没ならぬ雪没して電気系トラブル
寝ぼけて高速の壁に擦った・・・

等々の試練に耐え抜いてきた子でしたが、流石にもうそろそろ色々
限界だろうって事で先々月くらいからジュンさんから依頼を受けて
本格的に探していたのです!


アクセラスポーツ!

・・・・・・勿論マニュアル(汗)
この条件のせいで探すのがエライ大変でした(汗)




で、昨日までに清掃や追加依頼分のスタッドレスタイヤの積み込み、
ナビはバックカメラの取り付けを終えて、今日埼玉の所沢の
陸運支局で登録を終えれば納車可能です!

業者に頼むと登録と陸送で¥6万かかると言うので、今回も予算いっぱい
値引いて値引いてしたのでこれ以上予算に余裕が無かったので、俺が
動きましょう(苦笑)


11時頃、出社して最後の登録書類や荷物の積み込みを済ませて出発!
圏央道を使ってスムーズに♪


・・・・って、海老名JCTが今日から上りで工事かよ!!
もう既に反対車線の上りは渋滞が始まってます(涙)



ま〜帰りはある程度覚悟するか、関越〜東名で帰るか考えておこう



入間ICで降りて、下道を10kmほど走ると所沢の陸運支局へと
到着です。
13:20
先に来ていたジュンさんと駐車場で合流

ジュンさん。新しい車と初対面でニヤけてます(笑)

そのまま窓口へ行き、必要な手続きを済ませて新しいナンバーを
発行して貰い、それを車に取り付けて完成!!


どうやらジュンさんも本日休みだったはずが仕事を頼まれてしまった
らしく、慌ただしく現地で解散しました。

俺はジュンさんが今まで乗っていた下取り廃車のデミオで
帰ります。

うちの所沢支店が目の前にあったので、一応立ち寄って挨拶をしてから
俺も帰路に着きました。




・・・・・・・・ICまでの10km
街路樹の伐採とやらで交互通行で超・渋滞!!(怒)

で、入間のICからは順調に進むも神奈川県に入ると渋滞!!
・・・これ、絶対海老名のだ!!(涙)

取り合えず県央厚木ICで降りて、後は下道で頑張りました(涙)




店の着いたのが18:30ってどうなのさ!?

で、そのまま何だかんだで19:30まで仕事降られて嵌って・・・
閉店作業が出来る人間が俺とコニタンさんしかいないのに、コニタンさん
の顔色が真っ白でフラフラして死にそうになってるし!!(滝汗)


結局、一回家に帰ってからまた出勤して閉店作業ですよ!!!


休日だって言うのに普通に日よりも労働時間が長いって・・・(涙)







で、後でジュンさんのアクセラの頼まれていたETCを付け忘れていた
と報告が入り・・・・・・・


すまんね、後日ETC分は返金させて下さい(涙)


ま〜最後でケチがついてしまいましたが、概ねジュンさんも新車を
気に入ってくれたので今日は頑張った甲斐がありました!!


・・・・・・・・・・・・そう思わんとやってられん!!(ヲ)



2016年07月06日(水) 町田で至福の昼酒♪

昼、起床!
今日は4連勤後の休みです♪



・・・ま〜今朝方までジャガーさんとカラオケしていましたが(苦笑)
(過去日記参照)




で、今日は町田でミッキーと遊びます!


母以外と町田って久しぶりな気がするな・・・




13:30待ち合わせ予定でしたが、伊勢原駅の改札で事件発生!!



SUICAを改札にタッチしたら、今まで聞いた事の無い警告音が鳴り
出て来た駅員2人に窓口へと連れて行かれました(涙)



どうやらSUICAの中のICが壊れたらしく、タッチした時に凄い
エラーが出たそうです(汗)
で、色々手続きをして・・・・・
「ではSUICAはJR管轄なので、後はJRの窓口に行ってください」


ゑ!?
今まで色々SUICAを機械に通したりして時間を掛けていたのは
何だったの!?
後はJRに丸投げ!?!?

・・・釈然としないものの、取りあえずこれ以上ミッキーを待たせ
られないので久しぶりに切符を現金で買って町田へ移動

ミッキーとヨドバシで合流後、JRの窓口に移動して新しいSUICAを
発行して貰い取りあえずは何とかなりました(汗)


15:00頃、良く行く海鮮丼の店に入り海鮮丼を食いながら
刺身や一品料理を頼みつつ昼酒♪

至福の時〜☆


1時間半くらい飲み食いしてから本屋に行き、お互い新刊を購入後
下の階のカラオケへGO!


俺は昨夜は歌謡曲ばかりだったので(過去日記参照)、今回は
アニソン一択で!!
それも今まで歌った事の無い今期や前期などの新しいアニソンに
トライします♪



ドリンクバーが付いていたので、ミッキーの分も持って俺が
来てあげましょう☆



スゲー警戒されてますが、ヤバい物はそんなに入っていない。って言うか、
ヤバいモノなんて全く入っていないよ!!










氷100%







えぇ
コップいっぱいの氷です(笑)





隣りからボリボリガリガリ聞こえてきますので、きっと気に入って
くれたのでしょう♪
次はもっと気を利かせてガムシロとかミルクとかフレーバーを用意して
あげようと思います☆


カラオケ後、向かいのBOOKOFFで買い物をしてから
あまり腹は減っていなかったのですが一応ラーメンを食ってから
駅前で解散しました!

何だかミッキーの職場は現在、人の少なさがヤバいそうで中々休みが
取れないそうですが、ま〜旅系は難しくても飲み等なら半日空けば
遊べるのでお互い頑張って遊びましょう!(笑)





一応、帰りの改札は無事に通過出来ました♪
・・・・通る時は結構緊張したけどね(汗)



2016年07月05日(火) 初夏の定例会♪

今夜もやってまいりました!
最近マジで毎月恒例のジャガーさんとカラオケです(笑)


今回は毛色の異なる選曲で歌って来ました♪





何故だか普段歌っている恒例のB’zやらGLAYやらサザンは
少しで、後は・・・・・・・・・・・歌謡曲!!


部屋の中がスゲー昭和臭がする(笑)



お互い明日は休みだったのでガッツリ歌って、後俺は晩飯食って
いなかったので炒飯食ってピザ食って・・・

「ダイエットしないといけないんですけどね〜・・・・・・
メニューのおススメのつけ麺メッチャ美味そうじゃないですか!?」
と苦悩するジャガーさんに
「ダイエットは何時でも明日から!」と無責任に煽って、結局2人で
ガッツリと色々食ってました(マテ)

その内、ジャガーさんの身内から「悪い遊びに誘わないで下さい!」
ってマジで怒られそうだな(苦笑)



で、2人で散々食って飲んで歌ってお会計は1万チョット!!
相変わらず料金がリーズナブルで素晴らしい!!!







・・・・・・・・・またまたまたまた奢って貰ってしまったぜ(マテ)

いや〜油断した!
次回は絶対にこっちが出すぞ!!
寧ろ勝負の様な気がしてきた!


・・・・せめて割り勘までは持って逝こう(ヲ)




ジャガーさん
今夜もご馳走様でした!!



2016年07月01日(金) 単騎で寿司に挑む

昨日シフトが出て今日が休みとか言われても・・・(涙)





ま〜予定が無い休みの日の過ごし方なんて






寝る一択ですから(過去日記参照)






ま〜それでも夕方に起きて(ヲ)
何故だかどうしても無性に寿司が食いたかったので、夕方から
まさかの1人寿司です!


金曜日の夜って事で店はスゲー混んでいたのですが、流石はお一人様


空いたカウンター席にすぐに座れました(笑)



無心で食い出したら、向こう側の席で大学生?っぽい集団が
6人で「会計2万4千円だって!俺ら食い過ぎじゃね〜!?」と
大騒ぎしていました。

6人で¥24000か・・・
全部100円皿って訳じゃ無いだろうが、それでも中々やるな〜と
思って見ていたら・・・・・・・

大騒ぎしていた周辺3卓全部が御一行さまでした。

全部で15人?
15人で¥24000??



・・・・・・・・・・・・・雑魚が(嘲笑)




で、俺の隣りの席に座ったチャラ男が2人
座った直後から5皿とか取って食い出しました。

「俺らでこの店のマグロ喰い切っちゃうんじゃね?」と
微笑ましい事言ってますが・・・・

2人で26皿で終わりかよ!!(嘲笑)




俺?
お一人様でオール100円皿のみでお会計が¥3800でした(笑)


いや〜
満足満足♪

しかし、最近の男は飯ガッツリ食わんね?
全然食わん。小食過ぎるだろ!
この先、人類平気か?ってマジで心配になるね(汗)


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