TOHGA嬢の生活



手を伸ばせば 届く

2005年03月31日(木)

 身動き取れないほど傍に在るのは

 イキグルシイカラキライ

 手を伸ばせば 届く

 気が向いた時には少しだけ近づける

 それがすごく幸福だった

 でも油断してるとある時ふっと

 それが無くなっている事に気づかされる

 いつ無くなったのかすら分からない

 何処に行ってしまったのか見当もつかない

 自分勝手な我が侭の代償

 自由を望んだ私は苦い薬の様に孤独を呑み込んだ


おおさきでーと

2005年03月29日(火)

 70ちゃんと大崎にご飯を食べに行く。

 以前仕事場でお世話になった上司の移動先。

 取り敢えずご挨拶。

 私の仕事の話(主に愚痴)とか彼女の恋の話とか共通の友人の話とかして過ごす。

 久し振りに会話して気付いたのだけれど、彼女は人の良いところを見つけて肯定するのが上手い。

 閉鎖的で排他的な私にはとても眩しい美徳。

 何故か2人とも漫画を持っていたので何となく交換

 70ちゃんの貸してくれた漫画は絵がちょっと下手で少し馬鹿にしていたのだけれど

 読んでみると意外に面白かった。

 やっぱり第一印象で取り敢えず拒絶反応をする癖は直した方が良いみたい。

 まあそんな感じで楽しい休日を過ごしました。


堪忍のなる堪忍が堪忍か ならぬ堪忍するが堪忍

2005年03月03日(木)

 ここ最近仕事関係でごたごたばたばたどろどろしてまして。

「辞めたい」とか「死にたい」とか思いながら仕事を続けている。

 言語化すると結構深刻そうだけど、それほどたいした事にはなってないので多分平気。


 最近思ったんだけど、人生やり直せる事ってそう多くは無いのね。

 夢見ずにはいられないけど、時間が巻き戻らないのは誰でも知っている事。

 私に出来るのは、やり直すではなくて、たち直す事。

 理由をつけて逃げることは容易いけれど、それでは駄目だと私は思う。

 だから私は……

 ああ、言葉が続かない。

 でも大丈夫。書いて少しすっきりした。


あの時は楽しかったなー

2005年03月02日(水)

 そういえば先月の14,15,16は一人で京都へ行ってきた。

 ガイドブック片手に一人で京都をぶらぶらする。

 主に寺や神社や庭巡り。湯豆腐食べて、狐饂飩風の湯葉饂飩を食べて、京野菜を食べて、お抹茶飲んで、和菓子を食べてオカラコロッケを食べた。清水寺の近くで売ってた豆乳のドーナッツがおいしかった。

 お香と香炉を買った。香炉は本当は銅で作った素敵なのがあったのだけれど、値段が分不相応だったので、五分の一の値段の無難なのを買った。可愛い簪を二つ買い、着物も買おうか迷ったが気に入ったのが無かったので諦めた。

 お店に入ると店員さんが京弁を使っていて、地味に感動した。


 なんで一人で行ったの? 誰かに会わなかったの?

 と、何人かに聞かれた。

 一人で行ったのは一人旅がしてみたかったのと、宿の手配とか行き先とか下調べとか、連れがいたら全部その人任せにしてしまうのでそれではイカンと思ったから。誰かに会うっつっても京都に知り合い二人しかいないし。一人は絶対仕事してるし、もう一人はそれほど仲良くないし。

 何しに行ったの?

 これも何人かに聞かれた。

 多分、現実逃避。


気が向いたので日記を書く

2005年03月01日(火)

 取り敢えず、最近見た映画の感想

「ハウルの動く城」
 一人で見に行く。
 見に行く前に親兄弟に『主人公ソフィーがTOHGAそっくりだった』と云われており、多少いい気になっている。
 自分で見た感じとしては、太い眉と色気の無い髪の結わえ方、長女、妹が派手以外にさほど共通点は見受けられない。と、言うよりソフィーは自分に自信が無かったり、自分をよく見せようとする術を知らない女性の、その誰にでも似ているのだと思う。でなければ大衆娯楽である映画という商品としては価値が無い。
 映画を見た後原作も読む。内容と登場人が大幅に変えられていた事に驚く。
 映像の利点をフルに活用している宮崎監督は素直に凄いと思うが、多分この作品、途中から手を抜いている。というか、諦めている、という印象を受けた。ラストの数分なんて、あまりの投げやりな展開に口をあけてしまう。
 まあ手を抜いててもあれだけクオリティ高いんだからいいか。いいのか?なんとなく、宮崎監督に対して「晩年」というイメージを抱かされた作品だった。

 ちなみに原作でおおいに共感してしまったソフィーとハウルの会話を引用(でもうろ覚え)
ソフィー「しょうがないだろ、長女なんだから。失敗するように出来てるんだ」
ハウル 「違うよ、君のはただ考えが足りないだけさ」

 一応小説の設定ではソフィーは三人姉妹の長女で、御伽噺では末の妹が活躍する話ばかりなので、自分は絶対成功出来ないと思い込んでいるので、こういう台詞があるわけなのだが。

 ここで薀蓄。
 確かに長女、次女、長男、次男は三男、三女に比べて損な役回りをする事が非常に多い。(シンデレラを例に挙げるとと長女・次女は足を切断してる)
 しかし、活躍こそはしないもののちゃんと幸せな結末を迎えている御伽噺だってちゃんとあるのだ。例えば『賢いモリー』って話では三女が苦労して姉さんたちを王子様と結婚させている。え、そんな話知らない? そうだよねー、グリムでもペローでもない、たしかイギリスかアイルランドの話だもんねー。でも有名処でパッと思い浮かぶのがないのでここら辺で次の映画について書いてお茶を濁そう。

「2046」
 一人で見に行く。ほぼ暇つぶし。
 宣伝は過大評価気味。見てガッカリ感の強い作品だった。
 映像とか構成とか雰囲気とかはいいんだけど、ストーリーが陳腐で主題もグダグダ。
 恋敗れた男の愚痴を綺麗にデコレーションしてアートにしてみましたって感じで、私はあんまり好きじゃない。

「オペラ座の怪人」
 一人で見に行く。面白かった。こんな話だったのねー。
 主人公の親友役の金髪少女の方が声も姿も好みだった。主人公の声は香りで例えるならイランイラン系。私が好きなのは金髪少女のようなオーキッド系なのだ。っていうかこの表現で理解してくれる人いるのかな?
 そういえば、パンフレット見ていたらこんな一文が。
『原作である小説の「オペラ座の怪人」は密室トリックの草分け的作品でウンヌンカンヌン……』

 え? えっ? ええええぇ!?

「オペラ座の怪人」ってもしかしてミステリーなの? 悲しいラブロマンスじゃないの!?

 やばい、絶対原作読もう。

 ラブロマンスな部分ばかりが突出して有名になってしまっているって事はミステリー的にはたいした事ないのかもしれないけど。でも気になる。凄い気になる。

 でもまだ原作買ってないや。でも多分、いつかは読むと思う。


 まあ、そんな感じ。

 一人で見てばかりだけど、これだと好きな時に好きな作品が好きなように鑑賞できるので、とても楽だ。

 < あの時、ああしていれば…  …見る?  この時は知る術もなかった… >


TOHGA [はい、もしもし?] ここで逢ったが
人目!!