TOHGA嬢の生活




2004年06月22日(火)

 一夜明けて

 猫をケージに入れ、車に乗り、動物病院へ向かう。

 車の中のケージの中で、猫は不安そうな声で鳴く。

 その度に私は、大丈夫、大丈夫、と声をかける。

 一体何が、「大丈夫」なのだろう?

 猫の病気は治らないのに。

 だけど、私は此処にいる。この子の傍にいる。

 だから「大丈夫」

 どうか怯えないで、恐れないで。


 口内炎が腐食して、猫の顎には穴が開いていた。

 今日はその治療。

 傷口を消毒し、筋肉注射を打つ間、私は猫の体を支えていた。

 治療から逃げないように押さえるのではなく、じりじり後退ろうとするその背中を、そっと両手で支えるだけ。

 大丈夫だから、怖くないから、ね?


 治療が終わって、医師が言う。

「今日はノラちゃん、全然鳴かないし、逃げないし、偉かったね」

 母が応える。

「今日はお姉ちゃんの後ろ盾があるから。食事もお姉ちゃんが来てから、沢山食べるようになって、たった一日でずいぶん元気になったんですよ」










 そうか、愛ってこういう事なのか。







 私は医者じゃないからこの子を治す事は出来ないけれど、この子に力を与える事は出来るんだ。


花も嵐も踏み越えて

2004年06月21日(月)

 今日から明日、2連休を貰っている。

 何だか台風が近づいているが、あんまり気にせず旅支度。

 実家に帰る事にした。

 理由は勿論、飼い猫ノラの猫エイズ発病。

 20日が母、22日が父の誕生日って事もほんのちょっぴり影響していたり、していなかったり。

 昨日の仕事が遅かったので、昼近くに目覚め、駅に向かったのは午後2時過ぎ。

 途中で足止めを食らいたく無かったので新幹線に乗ろうとしたら、新幹線が止まっていた。使えない。

 仕方が無いので、学生時代と同様に鈍行を使ってのろのろと移動。

 今日中に辿り着けなくても、いいや。

 何処かの知らない町で夜を明かすってのも面白そうだ。

 亀の様にのんびりとした心持ちで電車に揺られる。

 運良く、六時頃には静岡に到着。

 駅前商店街の古ぼけた果物屋で、桃と琵琶と、サクランボを買う。

「お見舞いですか?」

 果物屋のおばあちゃんが私に聞く。

「いや、誕生日プレゼントなんですけど」

「誕生日?」

 おばあちゃんが驚いたように変な顔をした。そんなに意外か?

「ウチの祖母、果物が好きなので・・・」

 何故か咄嗟に嘘をつく私。我ながら変な虚言癖だ。

「まあ、果物好きな方には嬉しいですよね」

 何故に「果物好き」と限定されるのか、理解出来ない。
 そりゃあ、「果物嫌い」には嬉しくないだろう。


 んで、果物片手に帰省。道すがら強風に煽られて傘の骨でしこたまデコをぶつけてしまったのはココだけの話。

 一応贈りものは母に喜ばれたので良しとする。

 猫に会いにゆく。

 ケージの中でくてっとしていたが、まだ目に見えて悪いと言う事はなかった。

 私を見てにゃーと鳴いたので、私もにゃ−と鳴いて応えた。


本当は昨日の出来事

2004年06月20日(日)

 今日は大学の友人、みあーん&マナマナと遊ぶ約束をしていた。

 しかしどうしても人が足りないからと言われ、三日前に休日が変更。

 休日は20日から19日へ。

 マナマナに連絡し、土曜日に会わないかと連絡。

 マナマナはなんとか大丈夫だったが、みあーんとは会えなくなってしまった。

 残念だ。

 で、土曜日の予定が決まった処で事件が起こる。

 店長がまた倒れました。

 勘弁して下さい。もしかして、土曜も出勤か?

 39度の店長に働かせて、健康な自分が遊ぶってのも厭な感じだが、友人との約束をドタキャンするのは、理由が例え仕事だとしても、同じくらい厭だ。

 仕方がないので妥協案。

「2時までだったら出勤します」

 マナマナとは3時半に新宿で待ち合わせているので、まあなんとかなるだろう。

 私の働いてるトコロは微妙にフレックスなのでこういう変則的な労働時間の融通が利く。

 ちなみに無償労働。ああ、馬鹿馬鹿しい。

 なんで私、こんなに「良い人」演じちゃってるんだろう?

 まあそんなこんなで、昨日は2時まで仕事し、3時からマナマナと遊ぶというハード?スケジュールをこなしてみた。

 楽しかったけど途中で眠くなって、たまーにマナマナの話を右から左に聞き流したりした。

 味噌味のビーフシチューやパステルのプリン等を食べながら話す事は、それぞれの会社の事。

 マナマナってば残業した事ないんですって!

 新人には一年間は残業させないって会社で決まってて、ちゃんと皆守ってるんですって!

 うーらーやーまーしー

 そんな彼女の目下の悩みは、同僚の女の子と比べられる、ていうか相手の子ばかりチヤホヤされてるらしく、劣等感に苛まれているとかいないとか。

 どんな可愛い子なのかと思ったが、写メールを見せてもらったらたいした事なかった。

 マナマナはその子の事を「私より可愛い」みたいな事を言っていたけど、あの程度の顔立ちでそんなに卑屈になる事もないのに、と思った。

 まあ、顔立ちが普通でも「仕草が可愛い子・性格が可愛い子」ってのもいるので一概には言えない。

 差し障りのないような慰めを言って、お茶を濁してしまった。

 私の同期は20名ほどいるが、みんな青森とか九州とか全国各地に配属されてしまっていて、「比べられる」っていう事が殆どない。

 比較対象が近くに無いのは、ある意味安穏だ。

 でもたまに不安に襲われる。

 これで、良いのかな? 私どっか変じゃないかしら? 確かめたくても近くに鏡が無いから。


 食事をして、お店をふらふら歩き廻って、変な柄の服を買って。

 そんなこんなで土曜の夜は更けてゆく。

 明けて日曜は普通に仕事して終わった。

 店長はふらふらしながら、それでも働いている。

 この人は、私が出勤しようとしまいと、結局休まないのだ。

 彼女にかかる、負荷の度合いがやや変わるだけ。

 取り敢えず私はもう少し適当に頑張りたいのだが、この店長の下ではなかなか難しそうだ。


猫と私と会ったこともない彼女

2004年06月19日(土)

 先日、母から電話があった。飼い猫のノラが、猫エイズに罹ったというのだ。

 ノラは私の猫なので、母は聞く。

「最悪の場合、安楽死させても良い?」


 勿論、しょうがないよ。

 言おうとしたが、声が出ない。

 取り敢えず、現在はそこまで酷い状態ではないので様子を見る事になった。


 電話を置いて、しばし考える。

 猫エイズは唾液や血液を介して、他の猫に感染する。

 もう外へは出せない。家にはイチゴという猫がもう一匹いるから、ずっとケージの中だ。

 ケージは前飼っていた猫が子供を産んだ時に使用したモノで、縦横高さ1メートル程あるからそれほど狭いものではない。

 けれど、今まで自由に外へ出ていたノラにしてみれば不自由に違いない。

 病気はストレスで悪化するらしい。

「じわじわと死なせるか」「有無を言わせず死なせるか」

 ノラと話せれば良いのに。

 ねぇ、どうやって死にたい?

 私だったら安楽死だけど、その前に遣り残したことは片付けたいな。

 ねぇ、なにがしたい?


 母は言う、「でも、交通事故で死なれるよりは良いわ」

 そうかな?

 私は交通事故の方が良かったな。



 ノラの安楽死について考えているうちに、小学6年生という若さで同級生を殺した、彼女の事を思い出した。

 私が感じている枷の重さ、彼女には無かったのだろうか?

 本当に? 本当に? ほんの少しも?


目を逸らす

2004年06月18日(金)

 私が子供だった頃の話。

 私は怖い話や悲しい話が大嫌いだった。

 たとえば、「フランダースの犬」とか「小公女セーラ」とか、子供向けのアニメーションで主人公が辛い目に遭いだすと、テレビを消してそれ以降その話の続きを一切見ようとしなかった。

 私は物語に感情移入しすぎてしまうところがあり、その悲劇の主人公達の辛さには耐えられなかったのだ。

 困難や悲しみに対して逃げ腰なのは、大人になった今でも変わらない。

 辛いことには目を合わせない。

 哀しい現実は見ない振りをする。

 この前、誰でもない人に「現実から目を逸らすな」といった内容の言葉をもらった。

 私は言った

「無理です。私は死にたくありません」



 最近、私の周囲では会社を辞めたり、リストカッターになってしまった友人などが続出している。

 ふと思う。彼らと私の違いは、見ているか、見ていないかだけなんじゃないかと。

 だから私は彼らの脆弱さに呆れながらも、一欠けらの敬意と尊敬を感じている。

 でも私はそっちへは行きたくない。

 だから見ない。

 目を瞑ってお化け屋敷を駆け抜けるの。

 お化け屋敷の平気な人たちは言う。

「それってお化け屋敷に入る意味あるの?」


 ええ、ありますとも。

 「見ない」けど私は「逃げない」から。

 「逃げた」人だって、ちゃんと「見た」んだもの。

 でも、ごめんね

 私は「見ない」から、私は「逃げた」人たちが見た「怖いもの」の話も聞きたくないの。

「そんな怖いものなんて、何処にもないじゃない。なんで逃げるの?」

 って言ってしまうの。


求められても与えられない

2004年06月17日(木)

 死者の国から手紙が届いた。

 短い文字の間から、地獄にいるような餓鬼や亡者の姿が見えた。

 怖い、気持ち悪い、忌まわしい

 そして、哀しい。


 手紙は真っ黒な沼へと変わり、中からなにかドロドロとしたものが私に向かって伸びてきた。

 私は差し伸べられたその腐臭漂う右手を恐る恐る蹴り飛ばし、じりじりと後ずさる。

 私の右手が少しムズムズしたが、あの暗い沼に引きずり込まれそうで厭だった。

 手が汚れそうで厭だった。


 亡者は沼に沈み、それから二度と顔を出さない。

 見えなければ見えないで、いつホラー映画の様に飛び出してくるんじゃないかと、怖くて仕方が無い。


 これで良いの? と、右手が問う

 私は小声で囁いた。

「駄目よ、あの人は死んでしまったもの」


横浜中華街食べ歩き散策ツアー

2004年06月13日(日)

 中学・高校時代の友人達と中華街に行ってきた。

 メンツは、イケタニ氏と、ヨッシーと、ユリカ嬢。

 本当は鶴ちゃんや27ちゃんなども誘ったのだが、日程が合わなかった。

 11時半にユリカ嬢を除いた3人が石川町駅で合流する。

 取り敢えず中華街へ向かう。

 それ程難しい道ではなかったのに何故か2回も道を間違えて逆方向に進んでしまいそうになった。

 中華街は、中華料理食べ放題の店がとても多かった。

 その中の一番安そうな1980円の食べ放題の店に入ったが、一時間待ちとの事。

 名前と人数を店員に知らせて近くの雑貨屋を見て回った。

 中華街、という割には和風なモノ、メキシカンなモノ、韓国っぽいモノ、インディアンなモノ、明らかに外国人観光客狙いの似非ジャポニズムグッズ等、玉石混合が存在した。

 イケタニ氏の

「ってゆーかさ、日本に来てなんでわざわざ『中華街』に外国人観光客が来るの? なんか間違ってない?」

 という指摘が面白かった。

 頃合を見て料理店へ。

 当たり外れの多いメニューだったが、それなりに満足。

 食後もふらふらと街を散策する。

 4時を過ぎた頃、ユリカ嬢が合流。

 再び街を散策して財布を買ったりかんざしを買ったりする。

 ユリカ嬢と私のかんざしは色違いだ。

 彼女と私の嗜好にはある部分近いモノがあるようで、お揃いや同ブランド品が数点存在する。

 大体私が彼女の持ち物に惚れて真似ッ子させてもらう事が多いのだが、今回は微妙に私の行動の方が早かった。かなり珍しい事だ。

 買い物の後は、ヨッシーの希望で手相を見て貰う事になった。

 私が手相を見て貰うのは中学時代にユリカ嬢と一緒に見て貰ったとき以来なので2回目だ。

 中華街は手相占い師の数も多く、そして安い。

 前に何処かでこういったモノの定価は3000円と聞いた事があったのだが、中華街では1000円見てくれる処が殆どの様だった。

 以下、占い師(オバアサン)との会話(抜粋)

「貴方、良い手相してるわね」

「あぁ、そうなんすか」

 以前占ってもらった時もそう言われたので、感動は薄い。

「貴方、長女?」

「ええ、まあ」

 大体初対面の10人中8人には「長女でしょ」と当てられるので、あまり驚かない。

「何歳?」

「えー、と? 今年23です」

 私は信頼してない人・初対面の人には反射的に嘘をつく時がある。ここでも一瞬適当な年齢を言いそうになったが一応本当の事を言ってみた。年齢が手相で分かるとは思ってないし、もし可能だとしてもこの人が『出来る』のかまだ分からない。

「お仕事は何をしてるの?」

「飲食系っす」

 なんだ、聞いちゃうのか。

「何か習い事か資格取ろうとしてない?」

「保育士の資格取ろうとしてます」

 質問ばっかだな。しかも当たり障りがない。今時習い事してない人の方が珍しいし、してなければ「今は習い事始めるのにとても良い時期よ」とか言えば良いんだろうな、きっと。とか思う。

「うん、貴方今、社交性がどんどん伸びてる時だからどっちの方面でも上手く行くわよ。ただ結婚しても仕事は辞めずに続けた方がいいわ」

「はあ・・・」

 粗方の『情報収集』の後、『占い』に突入した印象。飲食業と保育士なら『社交的』と思われたのだろうか? 私の中でかなり根強く蔓延っている『排他性』やそれに関しての内心的葛藤については何も指摘されなかった。手相に出てないのかな? それとも占い師が見落としたのだろうか?

「あと貴方、頭脳線が此処と此処に二本平行に入ってるから。これは頭の回転と切り替えが早い記しだから、転職しても上手く行くわよ」

「ほほう」

 私の右手には感情線と頭脳線の間に中途半端な線が一本入っていて何なんだろうと思っていたのだが、今日やっと謎が解けた。これも頭脳線なのか。二重になるのは生命線だけかと思ってたのでなかなか新鮮だ。

「付き合ってる人はいるの?」

「あー、いないっすね」

「あらそう? ここの結婚線が綺麗に出てるから。25くらいに結婚できますよ」

「・・・へー」

 結婚願望はあるクセに結婚というものに悲観的なイメージを持っている私には、なかなか複雑。                   

「貴方、お爺ちゃん子かお婆ちゃん子じゃなかった?」

「んんんー?」

 祖父達とは面識がない。祖母達とは小さい頃はそれなりだったが、ボケて幻覚を見るようになったり、病気で倒れてからの仲は決して良好とは言えなかった。そういや片方の祖母とは血が繋がってなかったっけ。

「貴方ね、守られてるわよ」

「どっちですか?」

「どっちって言われても・・・」

 占い師は顔をしかめた。 

「どの線がそれを表してるんですか?」

「これ」

 それは中学の時別の占い師に見て貰ったとき、『親の介護をする相』と言われた線だった。まあつまり、先祖や両親に感謝し大切にしろって事を表わす線なのだろうと、総合解釈。

 あと生命線が二重になってるので病気の事を聞かれた。心当たりがない。小学生の時から二重なので、実は違う事を表わす線なんじゃないかと内心疑っている。小学校からずっとプロ・アマ限らず手相を見られるたびに「もうすぐ大病を患うよ」と言われてるのでいい加減うんざりしているのだ。

 覚えてるのはこのくらい。

 一人一人で占って貰ったので鑑定後は4人で結果についてペチャクチャとディスカッションした。

 私が占いの結果そのものより、占い師の占いの仕方、何処までが手相学で何処までが会話術なのかと言う事を中心に話すと、ユリカ嬢が言った。

「そういやトーガは中学ん時占ってもらった占い師に、占い師になるよう勧められてたよね」

 あぁ、そういえば。私はその事をすっかり忘れていたので、ポケットから出てきた綺麗な小石を見つけた時の様に懐かしかしい気分になった。

 関係あるのかないのか、去年試したR-cupでも向いてる職業の1位はカウンセラーだった。

 でも私は占いやカウンセリングは結構好きだけど、職業にするには向いてないと思う。

 絶対私、人の弱点突ついて傷つけるモノ。助けよう、力になろう、なんて。他人相手に絶対出来ない。

 占いは「毒舌鑑定」なんてジャンルもあるらしいけど、ね。

 占い後、小道に入るとちょっと良さげな中国茶屋があった。


 そこで恋愛関係の話題で盛り上がる。

「彼氏欲しい。でも絶望的なまでに出来る見込みがない」

「彼氏に甘えたい」

「彼氏は当分いらない」

「彼氏というより恋がしたい」

 さあ私の意見はどれでしょう?

 意外だったのは

「私が好きになっても、迷惑なんじゃないか」

 というユリカ嬢とヨッシーの意見。

 イケタニ氏と私には存在しない不安。

「私はそれより、実は自分じゃなくても良いんじゃないかって思うことがあったよ」

 と言うと、これはイケタニ氏も賛同されなかった。

 ところで私とヨッシーのバストは、サイズが5段階以上離れている。

「私、胸を見る人嫌いなの。だからわざと合コンでは胸を強調する服を着てくの。で、私の胸を見て話す人はアウト。胸を見ながら『ヨッシーちゃんって、良いよねー』なんて言う人ばかりで、ほんと最悪! でもね、今好きな人はね、私と話すとき一度も胸を見なかったの、ずっと私の顔を見て話してくれたのよ」

 なんだか宇宙船から地球を見た時のような感動を覚えました。

 他にも色々あったけど、書くのに疲れたので此処まで。

 とても楽しい一日でした。


考えている事

2004年06月07日(月)

 今、私は少し後悔している。

 大学生の時、何故もっと自分の進路ややりたい事について考えなかったのだろう、と。

 現在私は飲食系の会社に入社している。

 が、五月の半ばくらいから

「保育士」になれば良かった。

「保育士」になりたい。

 と思い始めるようになった。

 会社に入社してまだ二ヶ程度だ。

 あまりにも早過ぎやしないか?

 今の仕事が嫌だと言うわけではないけれど、ないはずだけど。

 でもなんかやってける自信がないし、頑張ろうって気にもなれない。

 ・・・・・・うーん。

 此処まで文字にしてみたら、やっぱり自分が逃げているような気になってきた。


 入社式の時、会社の偉い人がこんな事を言っていた。

「合わないと思っても、取り敢えず五年は続けなさい。一年や二年で会社の何が分かると思ってる?」

 まあ、一理ある。

 それに自分が一年で会社辞めてしまうと云うのは、私の美学に反する。

 一度は自分で決めたんだもの。尻尾をまいて逃げ出したりなんてするもんか。



 でも、あんまりやりたくない仕事を五年も続けんの、辛いだろうなー。

 五年頑張ったとして、辞めて転職しようとしたら私何歳? 28?

 28の新人保育士って働き口あんの?


 なんて不安に思ってみたり。

 そもそも私保育士の資格持ってないじゃん。

 いつ取ろう? 取れるんだろうか?



 とりあえず結論。

 グダグダ悩む前に、保育士の資格を取ろう。

 ユーキャンで保育士の講座があったけど、あれ取ればいいのかな?

 それとも書店の保育士試験の過去問集買った方が良いかな?

 私、こういう事調べるの、苦手なんだよね。

 でも、やんなきゃ。

 今が嫌なら、やりたい事があるなら。


 なんか今日の日記、精神不安定な文章で自分で読んでもハラハラします。

 というより「私ちょっと大変なの、誰か助けて★」って遠まわしに言ってるみたいですっごい厭。

 私はそんなに惨めったらしい事しないわ。

 だったら載せるの止めればいいのにとか思いつつ、ついつい更新してしまったりして。

 ホント、訳わかんない日記でスイマセン。。。


窓を叩く

2004年06月04日(金)

 終電までに帰れなかった。

 恐る恐る、友人にメールを送る。

 泊めてもらえる事になった。

 朝にはお礼代わりに朝食を作った。

 可も不可も無い味。

 美味しいと言ってくれたが、少し自信がない。


 友人とルームシェアの話をした。

 私は7月に勤務地が変わるので場所が決まるまでなんとも言えないが、もし山の手圏内だったら一緒に住みたい。

 きっとラッセル・E・エリクソンのウォートンとモートンのように、上手くやってけそうな気がした。

 < あの時、ああしていれば…  …見る?  この時は知る術もなかった… >


TOHGA [はい、もしもし?] ここで逢ったが
人目!!