思いつき日記
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2002年03月31日(日) 遠き日の思い出(会話によって思い出したもの)

私はその日、近所のガキ大将O君とともに遊んでいました。
正確にはまざっているふりをして、自分の好き勝手にやっていたのですが。←B型
でも当時は皆にまざって遊ぶのは常識であり、ルールであり、ステイタスであり。
家でゲームとか(無かったけど)なんて情けないもののすることでありました。

近所のガキ大将その他もろもろは自転車。
私は足こぎ車。(それも、高級車ぽるしぇ)

「おう。そっちいくぞー。」号令をかけるO君。
「へい。」と言ったかは忘れましたが、従う皆の衆。←皆の衆って…

私は一人前の振りをして、皆について行きました。
実は私なぞ、そのグループにとってアウト・オブ・眼中でしたけど。←伏線

一生懸命、私はついて行きました。でも橋の途中(急斜面)停まってしまい、
のぼれなくなってしまいました。
「おまえみたいなアブラムシ、ついて来るな」と言っていたO君も
この時は後ろから押して助けてくれたり。
(昔の子供のガキ大将はガサツだったけど優しさもあったなぁ)
でも足手まといな私は途中で置いてきぼりを食いました。
 
まあ、最初からこうなることは薄々気付いていた…仕方がないので
私は一人で大好きな車(当時から好きだった)がある、廃車置場へ向かいました。

続く

……

出会いと別れの季節。
5分咲きの桜がやけに胸に心に響く今日この頃。

……

http://www.recruit.co.jp/chanto/index.html
これ面白そう。


2002年03月29日(金) 方言

今晩の食卓は方言話で盛り上がりまして。

祖母と母親の会話の端々に出て来る方言の数々。
面白い。

とそんな中、母親がこんなことを言い出した。
小さい頃、作文を書く時にどうにもこうにも書けなくなる時があったらしく。

それはこんな言葉です。
「おどっつぁ(父親のこと)」
これは確かな表記なのかは実は分かりません。
どうにも表記するのが難しい発音なのです。

そんなことを話しているうちに私も小さい頃、作文を書く時に違和感が
あったことを思い出しました。

そこから私は標準語と私の話している言葉の違いというものを理解していった
のかもしれません。いやむしろ余計分からなくなっていったのかもしれない…

ほんとに、その昔、自分の日常使っている言葉を作文に書こうとすると変に
なってしまいまして。標準語の表記と実際の言葉との乖離。

ここから導かれたのはわが地方の人達は小さい頃から頭の中で自動翻訳が
なされていたのでは?ということであります。

例えばこんな会話文。
「遊びにいぐべっつったんだけどもー、いっきあえなくってよー…」
という方言丸出しの会話文を文章にする時に、
「遊びに行こうと言ったのですが、(偶然)会うことが出来なくてさー…」
と自動的に頭の中で翻訳していた…

よく考えると凄い。英語の同時通訳並み!

そういうことが自動的に為されてしまっている現実!

自分で「標準語との違いを分からない」というわが地方の人にありがちな状態は
こういう小さい頃からの自動翻訳の積み重ねが頭の中であまりにも自然に
なされるので何が標準語か分からなくなってしまっているのではないのだろうか?

これが今日気づいたことであります。これがわが地方に蔓延している方言を
方言とも感じない脳内麻痺症状の元凶なのではないのだろうか!


2002年03月28日(木)

♪ちゃちゃらちゃんちゃんちゃちゃららら ららーんらん♪
キンモクセイ「二人のアカボシ」

職場で着メロにしている人がいまして。
それが、周りを気にしない人で音が大きい。
まあ、そんなことはどうでもいいことですが。

ちなみに歌詞

夜明けの街 今はこんなに
静かなのにまたこれから始まるんだね
眠る埋立地(うみべ)と 化学工場の
煙突に星が一つ二つ吸い込まれ
沢山並んだ 街の蛍達も
始まる今日に負けて見えなくなってゆく
君とも離れることになる

あの高速道路の橋を
駆け抜けて君つれたまま
二人ここから 遠くへと逃げ去ってしまおう“か”

消えそうに欠けてゆく月と
被さる雲はそのままに
二人のアカボシ 遠くへと連れ去ってしまおうか

橋の継ぎ目と 二人に届く
電波には懐かしいあのメロディーが
聞こえてるかい? みだれ髪に
しみるようにミヤウジヤウ ハルカカナタへ
見渡せば青く続く信号機が
二人の想いを照らせばいいのにな
明日の僕らは何処にいる?

また今日も汚れていく街は 蝕む煙を吐き出す
君の知らない遠くへと連れ去ってしまおうか
瞬かない星が一つ 夜明けの街に消えてゆく
二人ここから 宛てのない明日を探そうか


僕の決意と伝えきれない
想いが街の音に消えないうちに
朝焼けの水蒸気が 隣の空を彩る
懐かしいメロディーは 風と共に終わる
君の髪の毛が震えてる

あの高速道路の橋を
駆け抜けて君つれたまま
二人ここから 遠くへと逃げ去ってしまおうか

さようなら街の灯りと 月夜と二人のアカボシ
最後の想いは 君が振り向く前に話そうか

夜明けの街…


その着メロ音のうちの上記太字のところなんですが、どうしても気になって…。
その作成音が半音下なのでありまして。
とても気持ち悪いのです。彼の携帯が鳴る度に気になる…

話はちょっと変わりまして。
“絶対音感” 最相葉月 著 
この本を読んで、その中より“そう、そう”と思えた部分を書き出してみます。

NHK交響楽団の首席フルート奏者の小出信也さんより

「(音楽が)ほかの調子にアレンジしてあるならかまわないのですが、
レコードの回転数が狂っていると、もうお腹がよじれそうになります。
細かいことは気になりませんが、知っている曲の場合は頭の中に
何調ということがインプットされているわけですから、調が狂うと
ものすごく気持ち悪い。………」


これ、ものすごく良く分かります。私もそうです。私の場合は調が変わっている
のも気持ち悪いのですが。分かりやすく例えを挙げると、
“咲いた咲いたチュウリップの花が…”
という曲ありますよね。これはドレミドレミソミレドレミレ…
という音なのですが、これがソラシソラシレシラソラシラ…
と調が変わっていて曲的にはオッケイなのですが私はダメ。違和感ばりばり。
ホント気持ち悪くなります。

ましてやレコードの回転数が狂っているだなんて、信じられません。
昔、よくこういう嫌な音に出会った場合「気持ち悪ーい。」
と私は主張するのですが、周りの人は全然平気みたいで「何いってるの」
みたいな顔つきで私を見ているだけでした。
ほんと何故耐えられるのか私には全く理解できませんでした。
変かなぁ。良かった。同じ感覚の人がいて。

ちょっとでも違う音だと違和感が発生してしまうこの耳って…


2002年03月27日(水) 昼食

たくさん寝た。びっくりするくらい。
調子悪い時は何はなくとも睡眠。

起きたら12時過ぎてた。寝すぎ。
今日は休みだったので、祖母も来た事だしご飯につれて行くつもりだった…
時計を見て正直焦った。12時を過ぎている!もう祖母はご飯を食べてしまった
だろうか?

飛び起きて(と思ったけど少しフラフラしている)現実にはのそのそと起き出し、
下へ。

「おはよう〜」
「あら起きたのかい?体はどうなんだい。」
「うん、大丈夫。」

自分より他人。そんな思いやりのある発言。心の琴線に触れる。

「飯は食ったの?」白々しく。
「まだだよ」

ラッキー!心の中でガッツポーズ。
ということで早速お昼ご飯へ。

「どうする?ジャガイモの店と蕎麦とどっちがいい?」

祖母とはジャガイモの店に二回行っている。
そして今日はこの前に私が見つけた蕎麦の店を勧めてみることにした。

「蕎麦にしようかね」
私の強い勧めもあったからか、蕎麦にすることに決めた。
というか多分私の連れて行きたい方を見抜かれてそちらに決めたのだろうと
今になって思っている…

おいしそうに食べる祖母。
この笑顔を見れただけでもう満足。

「あの人も蕎麦が好きでねえ」
亡き祖父もどうやら蕎麦が大好きだったらしい。
私は自分でも他人にもよく言われることだが祖父に似ていると思う。

「よく『ばあさん打ってくれや』といっていたもんだよ」
祖母は昔、蕎麦を打てたらしい。もう最近は体力が落ちて辛いらしいが…

「ねえねえ、じいやは嫌いな食べ物あったの?」
「なかったよー。」
やはり似ている。

想像以上に喜んでもらえた。
たくさんお世話になった祖母。
こんな笑顔を見れたのはとても嬉しい。かけがえの無い笑顔。


2002年03月26日(火) いやはや

どうにもこうにもまこっちゃん。
今回のインフルエンザ君は強力!

のどがまだ痛いなとは感じていたのですが…また熱が出まして。
だましだまし仕事をこなしていたのですが、部下が出来ると大変であり。

つくづく一番下で働いていたころの気楽さを思い知っている今日この頃。

祖母が家にきまして。
せっかく歓迎会をするために予約まで入れていたのに、私のおかげでお流れ。
まったくもって申し訳ない。

祖母は今年88歳。久しぶりに会ったのですが、心なしか小さく見えた。
でもまだまだ元気みたいで安心しまして。

……

うーん調子悪い。もっと書くべきことがあるのに。


2002年03月24日(日) 色々

この頃、色々人生において大切なポイントに差し掛かり、自分がその中に
いるのだと自覚出来るようになって、さらにそこから自分の意見を言ったり、
人の意見を聞いたりと勉強になることばかりで。

摩擦が起きたり、ぶつかり合ったり、問題としている所が表面化したり。
人生あはは、おほほ、出来る事なら楽しく暮らしたい。
しかしそうばかりはいかないのであり。

問題が発生した時。その時こそいろいろな人の知恵を借りたり、
一番良いと思われる所を求めて。いつかは切実に慎重に決定しなければならない。

そういう時の対処の仕方を見ているだけでも違う。
また実際問題にあたった人は一番より良い解決法を見つけることが出来る。

もしそれが間違ったものであったとしても、修正できるようなフレキシビリティー
は持っていなくてはならない。

……

★S

彼女とプラネタリウム行けなくて終わったと思っていたら、
ちゃんと繋がっていたらしい。流石だ。

久しぶりに飯を食べた。
…とそれが原因というのは当たらずも遠からずで彼女とトラブってしまった。

私との約束のほうが先で、彼女からその後誘われた。午後からにしようと
提案したにもかかわらず怒ってしまった…

A型の女の人の典型例だなぁと思った。
取るに足りないことで怒ってしまう。

私はSに諭した。私との約束は後回しでもいいんだと。
ドタキャンしたからってそんなことで怒るような私ではないんだよと。
付き合い始めて大切な時期なんだから…

しかし、私としてはこういう女の人はパスかなぁ。
こういうことが私からA型の女の人を遠ざける大きな理由のうちの一つである。

でも“天才”AB型を作るのなら必要な血だけど…やはりパスかなぁ。

なんてこんなこと考えているうちは本気で人を愛していない証拠なのかも
しれない。


2002年03月23日(土) うれしかった日

★手紙

手紙を送った。返事はこなかった。
 体の中の何かが欠落して、そのあとを埋めるものもないまま、それは純粋な
空洞として放置されていた。体は不自然に軽く、音はうつろに響いた。
 前にもまして読書に励むようになり、仕事の役割が増えた。ますます他人とは
深いかかわりを避けて、家族に安らぎを求めた。


なんだか遠い自分を見ているような文章…

あれからどれくらいたったのだろう。
あの人は順調に着実に一歩ずつ歩いている。
そんなあの人の生きてく証みたいなものを見ることができた。

もう関わらないと誓ったからにはもう二本の線は一生平行線のままだけど、
陰ながら応援している今日この頃。

元気になってきているみたいでうれしい。

……

声が出なくなってもうた。言い過ぎ。変な声になってもうた。
人のことを言っている場合では無かった。
こんなことは初めて。しかしだいぶ元気。

仕事が楽しくて仕方が無い。
『営業は普通職よりもやりがいが二倍』
人生の先輩の言葉。

そのことを実感するまでは絶対に辞められない!例え辛くとも!


2002年03月22日(金) 死亡遊戯

昨日は一日中寝ていた。墓参りもせず‥

にもかかわらず。
まだ絶不調。痛い目を見ないと分からない人間の悲しい性。

欠かさずお茶を飲むべきだった‥

明日一日仕事に耐えれば休み!

携帯から書き込むのはやはり面藤テくさい‥。

早く寝よう!


2002年03月20日(水) インフルエンザ?

熱が出た。前日まで予兆と言うべきものは全くなかった。
大体調子が悪くなってくるのが分かるようになってきたはずなのですが、
今回はいきなりだった。

今考えると確かにのどがちょっと変かな?という違和感があったような
無かったような…とちょっと曖昧だった。

そう言えば、ここしばらく仕事的に大変で無理をしつづけてきていて、
気を張り詰め過ぎていたので自分の体調にまで気が回らなかったと言うのが
本当なのかもしれない。

また仕事関係で少しホッとしたことがあった。
ピーンと張り詰めていた緊張の糸が切れてしまったのだろうか。

昨日、朝起きたらとてもだるかった。
この時点で調子が悪いことに実はまだ気が付いていない。

仕事をしているうちに、だんだんおかしいぞ?と思い始めまして。
やはりダル過ぎる。さらに寒気がする。
あれ?これ風邪かな?なんてのんきに考えて仕事をこなす。

あまりにも頭が痛く、背中やら、腰やらが痛い。
体温計で熱を測ってみた。37.9度!あれ熱あるや…

仕方が無いので早帰りして、病院へ行った。

もうインフルエンザは下火らしくすぐに診察してもらえた。
というかこの病院、院長先生はいいのですが、下で働いている医師がダメ医者で。
また不運にもこの医者に見てもらうことになった。

カルテを見た。病院へ来たのは昨年の同じ時期だった。
私はかなり健康になったものだなぁと実感した瞬間。
というのは昔は季節の変わり目に一回くらいはお世話になっていた気がするので。

熱を測った。38.5度だった。なんだかフラフラすると思った。

「だいぶ高い熱ですねー」
「明日も(今日)仕事なんですよー(泣)」
「じゃあ、注射打っていくかい?」
「お願いします」

ここでこの病院には恐ろしい看護婦がいまして。Sの。
患者のことを患者とも思ってなさそうな、まるで機械にでも接しているような
冷酷人間が!

頼むからこの人だけには注射を打って欲しくない…

大丈夫だった。おカマっぽい男の人だった。
でも下手で痛かったりしたのですが。

とにかく調子が悪いです。現在も抗生物質を飲んでいるのでこんなことを
書き連ることが出来ているのですが、何時再発してもおかしくない状況です。


2002年03月18日(月) 思いつきとは我ながら的を得たタイトルだ。

★山田太一氏のエッセイを読んで

言語化して整理出来るような作品は…没。そしてなんだか分からない
けれどある魅力があり、自分の世界が伝わるのが一番。
『多面的で、自分が全然思っていないところで何かを読み取って下さるような』
球体としての作品が書けたら素敵。


彼の発言に興味をもった。こんな考え方いいな。
自分の思惑外、または知らないところで、何かに影響が及ぼされる。
面白い考え方だなぁ。

この感動を知ってか知らずか、家に山田太一氏の本があった。
読んでみようかな。(って未読の本がまだまだありまくりだけど)

★雷

夕方雨が降った。
それに付随するように雷もなった。
春の嵐。

こんな時期に雷って発生するんだっけ?
梅の花が散ってしまった。

儚くも素敵なこの一瞬(いや数日間)イメージとして焼き付けておけて、
好きな季節が始まる。花粉はうざいけど。

自分の生まれた季節が嫌いな人っているのだろうか?
ふと思い立ったこと。


今日のBGM
ビートルズ「ザ ビートルズ1」レンタル。速攻焼きの一枚!


2002年03月17日(日) お蕎麦

一日が暖かい日差しとともに始まって(つまり寝坊)気持ちのよい目覚め。
すっかり春めいている今日この頃いかがお過ごしですか。

何はともあれ、今日はやるべき事がというかやらなくてはどうにも仕方がない
ことがあったので、たくさん動きそうな一日。

そして、今日のメインイベントと結果的になったお昼ご飯。
最初はラーメン(小池さんか?私は)にしようと思ったのですが、駐車場が満車
だったために諦めて、他の所へ向かう。

運転している横目に蕎麦屋の看板が見えた。「う〜ん蕎麦も悪くないな」と
探しに入る。今日は新規開拓の意欲が満々。今日は“えねるぎっしゅ”だなぁ。

二・三ほど目に入った中で、100%そば粉使用の文字に惹かれてある店に決めた。

とにかく異様というかちょっと変わっている雰囲気だ。
何せ入店しても“いらっしゃいませー”でもないし。
ペットボトルの水がたくさん並んでいるし。
とにかく変わっている。

店員らしき人が(後ほどそれはお客さんだということが判明)蕎麦湯(梅干入り)
を勧めてくれる。で、メニューが盛り蕎麦の中と小しかないということを告げる。
とにかく店内にいたお客さんも?な顔。しきりにメニューは?とかひそひそ話して
いる。

ここだけ時間がゆったり流れているみたいだ。
ほかのお客さんも年を召した方ばかりで。
こんな時間をかけた食事。贅沢な時間の使い方。
蕎麦茶をすすりながら読書したくなるような素敵な空間。

にんにくたっぷりのそばがきが出てきた。
とにかく辛い。しかし美味しい。美味しすぎ。

ついにきました。蕎麦中盛り。
結論から言いましょう。今まで食べた中で一番美味しかった。
ちょっと変わっている店だったけど、ここは気に入った。
ところで、蕎麦が好きだなんてやはり私って爺くさいなぁ。

のど越し香り食感。すべて素敵。こんな美味しいのは初めて。
まあ、このレベルに似たのは食べたのあったけど、やはり一番だなぁ。

ご馳走様をありったけの笑顔で言って店を後にした…。


2002年03月16日(土) サボり

私の興味の対象っていうのは、周期がある(前に書いたかな)

現在はまた車へ興味が向かいつつあり。
また、仕事が面白いことになっていて。

すると日記がおろそかになる。
沈黙している間に、どんどん本を読んで情報を蓄えてそのうちたくさん発すること
が出来るようになるのだろうとは思うのですが。(ってネタ不足かい!三村氏)

★車

車高をいじってから、車の運転が楽しくて仕方が無いです。
意のままに操る瞬間というのを実感する瞬間があります。

速く走れたとか、危険と紙一重っていうのも確かに脳内に麻薬物質が
大量発生して、快感の中に身を置くことが出来るのですが、最近発見した事で、
コーナーを曲がる時、ブレーキとアクセル、ステアリング操作が三位一体となって
つまり減速、旋回、加速という過程において、文字通りテキストに書いてある
ことを実行できた瞬間、僥倖を得られるのであります。

詳しく説明しますと、コーナーの入り口で文字通りフルブレーキング、
コーナーのRの頂点までブレーキを残しつつ、ステアリングを切り込み、
頂点でステアの切角が最大になって、そして車体は行き先が決まって、
フル加速へ…

と言う行程が寸分の狂いも無く、挙動が安定しながら出来るとこれはもう
どうにも表現できないほどの嬉しさというか気持ちよさでして。

それがいつも出来ているのならいいのですが、まだまだ出来ないのが実情です。
だから止められない。とまらない。カルビーカッパえびせん♪(寒)

もう、これで頭がいっぱいいっぱい。だもの他のものが手付かずになるのも道理
って訳ですね。


2002年03月14日(木) 変な日記

サガンの本を読んでいたらこんな文に出会った。

考える自由、常識はずれなことを考える自由、少なく考えることの自由、
自分の人生を選ぶ自由、自分自身を選ぶ自由。私は『自分自身で在る』と
言うことはできない。なぜなら私はこねることの出来る粘土でしかなかったが、
鋳型を拒否する粘土だった。


私はどちらかといえば自由きままに生きたいタイプ。
しかし、いいなぁ。こういう風に自分というものを表現出来るなんて。

私はこの日記でもそうですが、実際において自分の気持ちをうまく表現できない
ことが多々ある。

色々な事を伝えたいのに、うまく言語化出来ないもどかしさ。

日記ではまだ、ましなのかもしれない。
推敲したり間違いを訂正する猶予があるため。

その瞬間ごとに最善の方法を取捨選択し発言するAB型が羨ましい。

今日の日記駄目だなぁ。色々な発想はあったのですが、まとまりに欠けている。
構成が、その発想がうまくまとまらなかった好例(いや駄目例)
疲れているなぁ。ボソッ


2002年03月13日(水) 怒ること

昨日、母親が妹にたまっていた鬱憤をぶつけた。

自分勝手なところもある主張だったけど、妹のこれから生きてゆく上でのことを
思い遣った、愛情あふれるものだった。

私はそれを見て、親離れ、子離れの儀式とみなした。

私はバルザックの『ゴリオ爺さん』のゴリオ氏やモーパッサンの『女の一生』に
でてくるジャーヌ氏みたいに、一口に言えば、親ばかになる気がする。
母親が妹にしたように私が出来るかといえば…今は分からない。

人生を生きてゆく上で、必ず子供を独り立ちすべく準備を親がするのは当然で、
その場面に私が立ち会えたのはとても勉強になった。

もちろん私にもその状況はあったと思うのだが、自身が携わっているといまいち
分からかった。第三者として客観的にその事象を見る事によって、はっきり見えて
くる。

話は飛んで兄貴を見ていると親には何が必要なのかということが少し見えてくる
ような気がする。ちなみに兄は勉強はできない(というかしなかった)けれども、
生きてゆく上で何が大切なのかということを、ありのまま、空気が存在する
のがあたりまえだというのと同様、感覚的に知っている。

兄が自分の娘に接しているのを見ると、私から見ると、厳しすぎるのかな?
と思う気がするのですが、娘(姪)にとってはそれが本当の意味で生きてゆく
上で必要なことなのは明白なのであり。

私がもし子供を持つようなことになるのだとしたら、ゴリオ氏やジャーヌ氏
みたいになるのは避けなくてはならない。兄貴や母を見習わないといけない。

…私は人を育てる上で『厳しくする』という事が出来ない人間であると
思い込んでいたので、先生になるのを(大学時代、教職をとるのを)取りやめに
したのかもしれない。いまだに先生という職業は憧れるが、自分には不適格だと
思っている。

とにかく、いつも笑顔で鞭を用いることなく人を育てるなんて事は出来ない。
それが今回よく身に染みて分かった事である。
それを実行できるかというのはまた別問題ですが。


2002年03月11日(月) 暖かい一日

★車

私の車は180SX。
足回り、ブレーキ、ボディ剛性アップ(軽め)と色々いじってある。

さて、先日どうにも乗りにくい車だと言うことで、車屋さんに行って来た。

足回りを自分で(いや殆ど先輩たちが)交換したので、全く狂っているのであります。
そこで少し見てもらうことに。

車高を上げる(アホみたいに低い車だった…)。
アライメントを調整。
ついでにオイル交換とか。

かなり良い感じ。今までのはなんだったのだろう?と言う思いがこみ上げて…
あまりの変わりように(いい方向での)ステアリングを握る手にも力が入るって
ものでありまして。

乗り心地は良くなって、車の動きがシャープ→扱いやすいへ。
セッティングでこれほどに動きが変わってくるのは驚きだった。
普通の車好きはここで整備とか自分でいじる楽しみを見出すのでしょうが。

私はどうもそういう泥臭いといっては語弊がありますが、運転技術以外の
事はプロに任せよう系でありまして。

まあ何はともあれ、一段と運転しやすくなって僥倖(大袈裟)を感じています。

あ、そうそう無事88888.8 888.8を見ることが出来まして。
『一キロ』は進んでいなかったみたいで実は見ることが出来たのでした。
やれやれ。

今日。帰り道、調子が上がったこの相棒と共にストレスを発散するがごとく疾駆する私。

携帯が鳴った。「うん。そうそう。それでいいよ。」「あと風呂沸かしといて」
さっきまでの慟哭とは程遠い、息を潜めた相棒。そして私はステアリングを握り締め、
車内を見回した。

 自分がこれまでの人生の過程で失ってきた多くのもののことを考えた。
失われた時間、死にあるいは去っていった人々、もう戻ることのない想い。


おっと、無い頭を稼動させてしまうと、知恵熱出しちゃうので(マジで?)
そろそろ終わりにしておきましょうか。


2002年03月09日(土) 今日の日記はつまらないです。

★今日の日記は読んでもつまらないです。自己内省文なので。

今日、家族間で色々話をする機会がありまして。
家族、妹ですが、の人生におけるターニングポイントということもあり、
色々と普段は何気なく過ごしてきてしまった我が家族ですが、こういう時にやはり
ほかの人同様摩擦がおきます。(って決め付け?)
ていうかこういう時でないと話せない事、家族会議ってあると思う。

いつもは丸く治めるべく母親が厳しいことを言う時(本当はこれって父親の役割
なのですが、いまいちうちの父親はそこらへん甘い…)、
仕方がないので(ていうか逃げ道を作らないと人間は壊れてしまうから)私は
フォローの役割になる。もちろん父親もだけど、ピント外れなことをいってしまう
ことがある父親なだけに、私も一緒にその役割を担う。

だけど。私にはその役割は重すぎるのだろうか。
結果として、いつも私の一人勝ちっていうのもおかしいけど、うまく話をまとめて
私がただ一人高みから物事を見ているという状況だけが生まれる。

こうして今書いている時点で、私に話し掛けてくる人がいないことがその証拠だ。

何でもわかったことをいうのは簡単だ。
私にその人の立場にたってその人に合った事を言えるようになることなんて
出来るのだろうか?

いつも後悔する。
こうして人を傷つけて私には何が残るのだろう。
いつになったら私の言動がその場その場にあったものになるのだろう?
答えは出ない。
何がよくて何が悪いのかさえ分からない。

分からないということは簡単だ。
後悔だけではダメだ。反省して次につなげなければならない。

こんな日記つまらない。
でも自戒のためにぜひ残さなければならないこと。
読み返すときがあるとするならこの今の思いを思い出さなくてはならないから。


2002年03月08日(金) 電動歯ブラシ

★スピードスイング

という商品が今までに無く安売りをしていまして。(コ○マ電気)

とても感動してます。初めて電動歯ブラシを使った時もつるつる感にキラメキって
感じ(意味不明)だったのですが。それに匹敵するくらい。

私は先代が家に来た当初、電動歯ブラシは歯磨きを楽するためにある物、とばかり
思い込んでました。

出会いは偶然だったのです。結婚式の引き出物に“カタログで選べるもの”という
物をもらったことに端を発していまして。

カタログをぼんやり眺めていた当時の私に一瞬のキラメキ(またか)が
よぎったのです。つまり電動歯ブラシのところがひときわ輝いていたのですよ?
(調子いい)まあ、選ぶモノが殆ど無かったためにこれに行き着いたと言うのが
多分現実。てへ。

初めて使ったときは“楽する…”ということ、意味を履き違えていたのですが、
つまり労力を使わずに歯磨きが出来る、と思い込んでいましたので、歯におしあて
ただけの状態でしばし呆然としたものでした。だって一向に歯垢が落ちないから。

しかしこれが普通に歯ブラシで磨くみたいにやると(重いのですが)とても
調子がいいのです。つまり歯垢がバリバリ落ちて“つるつる”感が気持ちいい。
これで私は電動歯ブラシの虜になったのです。

ところで『スピードスイング』は素晴らしい。
何でも技術関係ではリニアモーターの原理を利用しているのだとか。
これにて超高速の振動を起こして歯垢を落とす…というのが薀蓄らしいのですが、
そんなのどうでも良いくらい気持ちよく落ちる。

歯磨きが楽しくなること請け合い。
是非松下電工『スピードスイング』を。(広告塔)

というか、親に虫歯がある場合、ほぼ子供も虫歯になると言う。
何でも虫歯菌というのは移ってしまうのであるそうで。

例えば

父親『はいあーんして』
息子『パクリ』
という日常茶飯事的光景が意味するものは、虫歯菌のやり取りだった…

まてよ、ベーゼも実は恐ろしいことを意味していることになる。

彼氏『ねえねえ、いいでしょ』
彼女『いいわよ』
『(^3^)チュ』

という非日常的光景(今ではそんなに珍しいものでもないか…)
の意味するものも、虫歯菌のやり取り…

怖い。虫歯を移してしまうことが!←虫歯菌保持者
この罪作り!ろくでなし!人でなし!鈴木○男!(今日は毒舌君)


2002年03月07日(木) 気分のいい人

今日、とても清々しい気分になった。

例えどんな仕事だとしても、一生懸命、精一杯汗水たらして働く人発見。
嫌々仕事をするもいいだろう。適当に手を抜いて仕事をするもいいだろう。
内心のドロドロしたものを垣間見せるのはやめて欲しい。

とまあ、嫌な人間ばかり見てきた私としては、今日久しぶりにいい気分になった。

とにかく動作が機敏。受け答えも気持ちいい。
なんと言っても汗が似合って「かっこいい」。
久しぶりに目を奪われるような人に出会った。強調しすぎ?
いやいや、ホントマジカッコえぇー。

仕事をしている時の凛とした空気。
仕事が終わった後のすばらしい笑顔。

そして、小さいことだけどすばらしいこと発見。
その人は仕事で出たゴミをちゃんと片付けていた。
モラルを持って行動しているのであった。

この時点で私の評価うなぎのぼり。
とてもいい気分。

それにしてもこの人、素敵だなぁ。見習いたいものです。
こういう人もいるからまだ世の中捨てたものではない!


2002年03月06日(水) 春?

庭の梅がとうとう一輪だけ“ポッ”と白ともピンク色ともいえる花を咲かせた。
家の庭は昔は前の家が二階建てだったので、日当たりが余り良くなかった。

しかし庭に朗報が入ったのは一昨年だったか。
前の家が建て直しを図りまして。

子供が皆出て行ってしまった前の家は大きくする必要が無いとのことで、平屋に。
でも屋根裏を物置にしたので正確には中二階。

ということで梅の木に陽があたるようになりまして。
太陽の光を求めるように曲がって伸びて行った幹も少しは真っ直ぐになってきた
かな?

いつもよりも速い開花だった気がする。

今日は空気がからっとしている日だった。
春は近づいているものの、春霞にはまだ遠いらしく。

ちょっとしたフラストレーションが溜まっていたのを口実に帰宅途中つい峠へ。

若者が無茶をしたような痕跡を横目に見つつ、ペースアップ。
??!!白と黒だ。クールダウン。やべー。(って何も悪い事していないから。)
いや、してたさ、スピ違反を。

どうも近視の私は近くのものばかりを見る癖がついているのが、30近くの
今でもなお視力悪化の原因の一つだと思われるのですけど、眼精疲労が激しいため
遠くをボーっと見ようと言うのもここへ足を運ばせた動機なのでした。

今日の視界はオールクリアで眼下の町並みがはっきり見える。
ただ、海の上の空はぼーっとしていてはっきり見えない。

空気が乾燥していて、この時期特有の見え方なのかなぁと感慨ひとしおで、
疲れた目をいやすようにボーっとしてた。
風が強く、外に出て、とまでには至らなかったけど十分目の保養になったと思う。


2002年03月05日(火) 他愛も無い考え(体重編)

私の職場と言うのは人員がぎりぎりでゆとりが無い体制で働いています。
ということで、責任を与えられれば与えられるほど、休めません。

ところで私は子供の頃から風邪をひきやすく、高熱を出しては、2日とか3日とか
平気で休むタイプの人間でした。最長一週間くらい休んだこともあります。

そうそう現在。会社勤めしてから3回休んだことがありまして。
39度の熱、インフルエンザ、インフルエンザ、のために。

しかしここ二年くらいは休んでいません。
体力がついたものです。

話は変わって。

前にも日記で書いていましたが、私の体脂肪率は当時8.6%(過去日記参照)
です。そんなこともあり、私の体も会社の形態同様ゆとりが無い状態で過ごして
きました。

ここで、最近聞いた話。
“寒風の元、痩せている人と、太っている人を立たせておく”と…

『痩せている人は風邪をひきやすいがそんなに悪くならない』
『太っている人はなかなかひかないけど、いったんひくと悪化する』らしい。

つまり、体に“脂肪”という余裕があると体力があるのではないのだろうか?
と最近思いだしていまして。

私自身、確かに脂肪という体力的余裕が無い時は動き自体、活発に究極の速さを
もって動けるのですが、何をするにもすぐ疲れてしまった気がします。

時はさかのぼり、幼稚園の時、私は結構ふくよかだった
(自分の中でですが&写真では太っているということは別に見て取れません)
と他人と比べて思い込んでしまいまして。そこから太っているということは
自分の中でタブー視される傾向がありました。

だから知らず知らず自分で脂肪をコントロールしていたのかもしれません。
太ってきたなと思ったら、食事の量をいつの間にか自己制限していたと思います。

話は最初に戻りまして。最近体力ついたよなぁホント。
食べ物も何を食べても美味しくて仕方が無いし。
つまり…































太ったって事じゃん(ちなみに2キロてへ)


2002年03月04日(月) 思考の瞬発力

“思考の瞬発力”
「如何に対処するか」をすばやく
幾通りにも考え取捨選択し
適切な対処法を実行に
移すまでの刹那!!
まずは考えることに慣れ
それを限りなく反射へと
近付ける!!


“頭の回転の速さ”で敵わない人がいる。
その人に対抗するにはこの方法を積み重ねていって
経験値を増やさなくてはならない。

何事も凡才の私は努力してやってゆく他に無い。

漫画にも良い事は書いてあるものだ。


2002年03月02日(土) 負けない

色々なことに。

仕事。
自分に。
花粉に。
色んな事に。

……

いやー花粉がぁ嫌ーーーー!
私の職場ときたら、杉の木に囲まれた所にあります。
鼻がむずむず。目が少しゴロゴロ。

まだ“花粉症”と認識できる症状にはなっていない
(くしゃみが凄いとか、鼻水がぁとか)のですが、
さすがに最近このまま行ったら発症してしまうのでは?とちょっと怖い。

吸い込む量が少なければ、発症の時期はまだ抑えられる気がするので、
マスクをつけようかと思います。ただ、『あれ?花粉症?』と明らかな
薄笑いを浮かべて話し掛けてくる人たちがちょっとウザイ。
まあいいか。花粉症だということにしてしまおう。

駐車場にとめている我が愛車(ダーク系の色)が黄色に!
花粉ってチョークの粉みたいだなぁ。
もし学生服を着て外を歩くと、工事現場の看板状態に!なる気が。
(縞々に!←そんなわけない)

知らず知らずの内に体内に入ってくる花粉。(いや分かるかこれだけ凄いと)

以下妄想。

花粉を吸い込んでいるうちに杉に体を乗っ取られる。
もしくは杉人間化してしまう。
私たちは知らず知らずの内に杉にDNAを侵食されて、杉植樹の嵐!
終いには杉帝国の誕生!

花粉症に悩まされている人はまだ真っ当な人間。
逆に大丈夫な人が危ない!彼らはスギ花粉侵された杉人間。

私は杉にやられないようにマスクを愛用することに決める。

時は近未来。マスクが要らない時代になる。
花粉を吸い込んでも白血球が異物と認識しない薬の開発。

騙されるな!これは杉人間を増やすための杉人間が開発した
スギ花粉吸収剤なんだよぉ。

騙されないぞ!
絶対にマスクは剥がすものか!

秋。そう言えば皆が困っている時に私は絶好調だ。
!?もしかして…

いつの間にか私はブタクサ人間になってしまったのか?


2002年03月01日(金) 時間

やるべきことがたくさんあって、できることがちょっとあって、
できたことがほとんどなくて。ドンです。同じ事をまた書いてる?
無駄・無駄・無駄。無駄に過している?

あるホームページにこんなことが書いてありました。

次のような銀行があると、考えてみましょう。
その銀行は、毎朝あなたの口座へ86400ドルを振り込んでくれます。
同時に、その口座の残高は毎日ゼロになります。つまり、
86400ドルの中であなたがその日に使い切らなかった金額は
すべて消されてしまいます。
僕たちは一人一人が同じような銀行を持っています。
それは“時間”です。
毎朝、あなたに86400秒が与えられます。


しかしこれはうまいことを書いてますね。
この86400秒どのように使うのか?
うまく使えているのか?

Time is money!! ってここから来ているの?(んなわけない)

実は時間が欲しい欲しい書いていますが、私ほど無駄に時間を浪費する人は
いないのではないかと思うほど、時間の使い方が下手で。

もう一度大学時代に!!とか思っても、結局上手く時間を使えないで終わるのがオチ!
と言う風に最近考えつつあります。

なんだかんだ忙しい忙しいと言っている時のほうが時間を有効に使えてる気がします。

読書をする時も、(まあ難しい本とかですが)時間を限定的に決めて読んだほうが
結局のところ集中して読める気がします。

あとは体調でしょう。健康的な生活を送れれば、なおいっそう上手く時間を使える
はず。何事にもベースとなるものが大切で、人間ももちろん読書なども大切ですが
それを支える体力がもっと大切なんだなぁと思い始めている今日この頃。
ドンです。(前振りさらに長い)

今日、本屋に行ったのですが、ある本を見つけまして。
逡巡すること30分、立ち読みすること40分(迷惑)。
結局まだ未読の本がたくさんと言うことで買わなかった。
そんな一日(略しすぎ)


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