思いつき日記
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2001年12月31日(月) さようなら2001

今年は色々なことがあった。

年初めから9月くらいまで、私的には身を焦がすような恋をしました。
結局、相手の心を掴んでおきながら別れざるを得なくなって。

少しは恋愛のいろはを学べたような気がします。
ただがむしゃらに一直線だった私。
私の愛はいつも重すぎた。

まあ、どうでも良い事ですね。
これからの糧にするようにします。

とにかく色々勉強をした一年でした。


2001年12月28日(金) いまは亡きジョンに

犬の感情なんて書いたので思い出したことでも書いておこう。

この犬が飼われるようになったのは…私が小4の頃だなー
この犬はふらっとやってきたらしい。
こういうパターンは縁起が良いらしく大歓迎で家族の一員になった。

この犬は17年生きました。ええと、犬は人間の一年で七年分だから…
享年119歳。大往生だね。

ほんとこの犬はいい犬だった。

血統…雑種だから無し
性格…愛嬌あり
   穏やか
   しかしほかの犬(オス)が来ると吠える
   絶対に噛み付いたりしない
色 …白と茶色 

この犬はお手とおかわり、お座りはできました。一応待ても。
ちょっと失敗した点なんですが、散歩をするとき小さいころから
手綱からフリーにしたものだから、散歩のとき静かに主人について歩くことは
できませんでした。

そうそう、お手の話。
この犬は上に書いた通りお手ができたのですが、特徴あるお手をしました。

私「お手!」
犬「びしばし」←もう、すごい勢いでお手をするのです。
         やる気満々なのか、はてさて投げやりなのか。
         痛いっちゅうねん。(^^;
         だから、私なんかは足でお手をしていました。
         つまり、足を出して「お手」というのです。
         他人が見ると苦笑い。(^^;

ところで、やはり人間でも、犬でもその性格は顔に表れると思います。
家の犬はいかにもお人好し…もといお犬好し。
見た目はハンサムでした。けっこうもてた。
めす犬のほうから家にやって来たこともたびたび。(うらやましい)
 
目。この犬の目は優しかった。
草食動物のように、凶暴さがない。決して弱いものをいじめたりしない。
慈愛の光を放っていました。
しかしひとたび不審な人が来たりすると、
凄腕の番犬(こんな表現無いか?)のように、吠えました。
たぶんこの犬にはだいぶ救われたのでしょう。(みんなが知らない間)
感謝しています。ホント良い犬だった。

この前、自転車で散歩コースを走ってみました。
この犬は散歩をする時は4〜5メートルは先を走ります。
で、先に行った事をいいことに私はいつも隠れたりするんですよ。そうすると、
一生懸命探すんですよね。
(まあ、賢かったのですぐ見つかってしまうわけですが…)
走っていたら思い出しちゃって…やばい、涙が、ちょちょぎれてきた。
(こんな表現無いか?)

亡くなる何年前だったかなー。この犬、フィラリア?にかかった時があって、
医者に「覚悟して下さい」と言われた時があったのです。
よくこれを切り抜けたなーと思います。すごい生命力!

ふと、写真をみてみる。
元気そうな、うちの犬が写っている。
もう戻ってはこない、楽しい日々。
2人の笑顔が眩しい。
知ってます?犬にも、笑顔、泣き顔、困惑した顔、
恥ずかしそうな顔、いろいろあるのです。

この犬に関してすまなかったことが2つ

 1…最後をみとってやれなかった。
   犬は、最後、最愛の人に見守られて死にたいらしい。
   ちなみに、ネコは、一人でひっそり死ぬらしい。
   すまない。私は情けない飼い主でした。
   第一に知ったのは私でしたが。
   まだ少し温かかった。
   一人で逝かせるなんて、うっ!涙が…

 2…私が小学生の頃でしょうか、一回だけそう一回だけだけど
   何か心に鬱積したものがあって、
   犬に八つ当たりしてしまったのです。
   ホント情けない。
 
ありがとう。そしてさようなら。
君はいつまでも私の心の中に生き続けます。
決して一緒に過してきた日々を忘れることはないだろう。
目を閉じれば、君の笑顔、声、いまでもハッキリ浮かんできます。
忘れはしない。

面白いもので、一番辛い別れのことはもう記憶の中で風化してきている。
その代わりに楽しい思い出やら、特徴、など思い出されてしまう。
生体防御反応ともいうべきものなのだろうか?


2001年12月27日(木) 犬の感情

犬の感情を分析できるという新商品が、玩具メーカーから発売されるらしい。
首輪につけた小型マイクで収録した泣き声を携帯型の本体に送信。
声紋を分析して「楽しい」「悲しい」など6種類の感情を文章やイラストで表示する
という。

私がこれについて考えたことは、えー?こういう風に分析されなければ犬の気持ち
が分からないのかな?ということと本当に分析など可能なのか?ということかな。

もし、機械が間違った感情を示したとしたら。
もし、不満だらけの感情を示したとしたら。
これに頼りすぎるというのもちょっと怖いな。
まあ、そんなに厳密に考える人はいないだろうけど。

言葉は大切な情報伝達手段だけれど、相手の気持ちを思い巡らすことも
欠かせないはず。

でも面白いと思う。玩具だけに楽しく犬と関われればいいですね。


2001年12月26日(水) こんな日

星が巡り行く ここには雲が流れてる
研ぎ澄まされた時間だけを残し

物語はいつも
終わりそして始まる
心に宝物を残し

どんな時も 涙の日も
この胸に触れるものだけを
無邪気な恋 形のない愛を
ずっと守りたい

どうかこのまま時をとめて
笑顔と愛の魔法をかけて
明日もその先も永遠に
願いが叶うなら

流れ星の歌 聞こえてきそうな夜は
月の船をだし夜空に飛び立とう

恋はいつか終っても
愛はきっと続いてく
心に宝物を残し

どんな時も 傷ついても
悲しみに変わり果てぬように
微笑む日を 笑いあえる日々を
ずっと守りたい

このまま愛を抱き 時をとめて
笑顔と愛の魔法をかけて
明日もその先も永遠に
願いが叶うなら

……

 #オレ様な人

私はよくこういう人を怒らせてしまう。
オレ様な人には失礼な奴だが(私はそうは思わないのですが)妙に人気のある
B型にライバル心を持ち、それでB型をけなして、出世を妨げる…
血液型の本より…うぬぼれ強いなぁ>自分

私はこの人と深い付き合いは避けたい。 

なぜそう思うのか。怒らせてしまったそのオレ様な人は、
その分子ともいえる仕事における才能および努力はたいしたものがあるが、
その分母である自惚れ、自尊心、慇懃さ、狡智さなどが比較にならないほど
大きく、どうにも好きになれないのであり。


2001年12月25日(火) サンタクロース

私は世間一般のお子様同様、もちろん信じていました。

自分の欲しいプレゼントが(あまりにも高価で)ままならなかったり。
それでも、欲しいものを紙に書いて枕もとへ置いたものでした。

うちの両親は結構ボケをかましてくれて、これが欲しいと書いても、
違うのを買ってきてしまったりしてそんなハプニングも楽しかったなぁ。
だからほとんど希望通りにいった事はなかった気がする(笑)

そういう願い通りに行かないという意味でも、誕生日のプレゼントよりも
ワクワク度が高かった気がする。

脱線して、こんな話を聞いたことがある。
その人の家にはファックスがあり、サンタさんになんとファックスで
欲しいものの希望を送るらしい。もちろんその人の友人宅に送っているのですが。
なかなか現代はハイテクになってきているらしい(笑)

小学二年くらいだったろうか。
私の友達の家に遊びに行った時。
そいつはませガキでもうサンタさんは信じていなかった…
というか、もう親がプレゼントを買っていることを知っていた…
その時彼の親が隠しているプレゼントを私に見せ付けて、得意げだった。
私はそれでも親の言うことを信頼していたけなげな少年(?)だったので
聞く耳を持たなかったが、ふと「もしや」と思ったものでした。

知らない方がよかった事ということは世の中にたくさんあります。
私はこれほどドラマティックで夢があることは無いと思う。
騙されていたと嘆くのは簡単だけど、あの喜びときたら。
忘れられないです。幸せだった。

そうそう、私が好きな映画『34丁目の奇跡』サンタクロースの映画。
いまこの映画って観ることができるのかなー。観てみたいものです。

小学高学年のときもらったプレゼント。
『サンタって本当にいるんだ』という本(題名うろ覚え)
プレゼントは配らないけど、実際にサンタクロースはいるというこの本によって
私は救われた。両親をウソつき呼ばわりするのも嫌だし。
自分が騙されていた(語弊があるな夢を見させてもらったか)ということにも
逃げ道を与えてもらった。これが一番嬉しかったかなぁ。

多分私が親になったとしたら、プレゼントはするだろうなー。
だって楽しみだったもの。自分自身。


2001年12月23日(日) 大笑い

手に入れたデジカメ君。
彼(彼女?)には感謝してます。

なぜかというと。
「家庭内“変顔”選手権」なるものを開催いたしまして。

テレビに繋げて皆で鑑賞会。
笑った。久々に腹がよじれるくらいに笑った。
笑う角には福来る?
とにかく皆で大笑い。
恥もなにもあったものではなく。
自分を捨てた人が一等賞。

目がどこか遠くへ行ってしまっている人。
小道具を持ち出す人。
自分を捨てきれない人。

デジカメっていいな。
取り直しは出来るし。
いらない画像はすぐに消せるし。
失敗も苦にならないし。

とにかく使える。


2001年12月22日(土) 徒然

デジカメを買った。
叔母が家に泊まりに来た。
体調がだいぶいい。
ボーナスもらった。
友達からのメールの返事が無い。
そんな日。


2001年12月21日(金) 無性に気になること

「人はなぜ何かを覗き込む時、鼻の下を伸ばすのでしょうか?」

昨日こんな事言われるまで私は全然気がつきませんでした。
こんな事をよく発見するなーって感じです。

確かに、覗き込む時に鼻の下を無意識に伸ばしている自分がいた…。
おそろしや。癖。なくて七癖。

これって誰の影響なのだろう。
志村けん?のような気がするのは私だけでしょうか?
イマイチ思い出せない。

ところで今日、夕食の買い物を頼まれて、とあるスーパーへ。
スーパーの(な)男。梅干(食べて)スッパマン。てオチがつかないし。
ちなみにスーパーに独身男性一人ってどうなのでしょう。あり?なし?

話が反れてきた感がありますが、戻しまして。
私は駐車場へスッパリ止めました。一発で駐車。きぶんよろし。

止めた所の隣に(空いていた)若くいかにもスーパーモデルっぽい
(ちなみにスーパーのモデルレベルという意味ですあしからず)
人がこれまたおしゃれなゴルフにのって颯爽と駐車にかかりました。

バックして入れるようです。
そいでもって、私は見てしまった。

彼女が、あのオシャレな彼女が鼻の下を伸ばして後ろを見ながら駐車するのを。
うつむいて。失礼を承知で大爆笑をしてしまった。

気になって仕方が無い事。
それは人が鼻の下を伸ばしてしまう瞬間があるということ。


2001年12月20日(木) HONESTY

If you search for tenderness
It isn't hard to find
You can have the love you need to live
But if you look for truthfulness
You might just as well be blind
It always seems to be so hard to give

Honesty is such a lonely word
everybody is so untrue
Honesty is hardly ever heard
And mostly what I need from you

I can always find someone
To say they sympathize
If I wear my heart out on my sleeve
But I don't want some preatty face
To tell me pretty lies
All I want is someone to believe

Honesty is such a lonely word
Everyone is so untrue
honesuty is hardly ever heard
And mostly what I need from you

I can find a lover
I can find a friend
I can have seculity
Untill the bitter end
Anyone can comfort me
With promises again
I know, I know

When i'm deep inside of me
Don't be too concerned
I won't ask for nothin' while I'm gone
But when I want sincerity
Tell me where else can I turn
Because you're the one that I depend upon

Honesty is such a lonely word
Everyone is so untrue
Honesty is hardly ever heard
And mostly what I need from you

……

カラオケで歌ったらなんだか好評だった。
なんとか音の方も歌える音域らしく。
もっとマスターしようと思って、歌詞を載せてみた。
明日から、車の中は臨時カラオケボックス!
車の中で歌っている人を見たことがあるけど、結構恥ずかしい。(見た目に)
でも、練習して上手くなろうっと。

ちなみに、私がこの曲を歌ったら、飲みに行っていた皆の『カラオケ魂?』に
火がついてしまって、私はもう歌わなくて良くなってラッキーだったのは秘密。


2001年12月19日(水) 過去

#ダチョウ

食用肉にダチョウが脚光を浴びているそうな。赤みで脂肪が少なく、健康に
いいそうだ。ダチョウを食用かぁ…アフリカ原産だけあって環境適応能力に
とてもすぐれていて飼育しやすいそうな。にしてもダチョウ。卵が巨大な。
狂牛病流行が推進の一端をになっているらしい。

飼育者は目がくりくりして可愛いとか言っているそうで。食用の動物飼育。
私に飼育は無理だな。不細工だったとしても、知能指数が足りなくても、
言うことを聞かなくても、愛着が生まれてしまいそうで。別れが辛すぎ。

ダチョウって言えば、確か足の速い動物だったと記憶しています…
という事で、小学生のころの話。
運動会につき物の、リレー競走。私の小学校は、地区対抗リレーといって、
その地区の全学年の代表一人ずつ選ばれ、競走するというのがありまして。
その地区のなかにもAチームBチーム分かれます。
私は幸か不幸か足が速かったのでいつも選ばれていた…

まあ今日はその中でも私が一年生の時の話。
先輩に(六年生)一人だけずば抜けた速さの人がいまして。
まあ、その人のあだ名は「チーター」。ルックス抜群、スター。Aチーム。
私と同じチーム。仮名M君。

同じ地区Bチームの六年生に「ダチョウ」っぽい走り方をする人がいまして。
O君。背が異様に高い。当時170センチくらいあったと思われる。
その人を思い出したって事が言いたかっただけですが…話は続くのであった…

私たちのAチームはM君がいることだし絶対的優勝候補でした。
優勝するとメダルがもらえるということもあり気合十分でした。

私は一年生なので第一走者。お昼ご飯の後、メインのこの競走が始まる。
午前中に行った予選はダントツの一位。楽勝だった。
空にはそれまでのカラッとした五月晴れから一転、雲行きが怪しくなりだし
ちょっと嫌な感じになってきていました。このあとの展開何となく読めそう?
私はジャンケンで負けて一番外側のコーススタートになってしまった。
私結構ジャンケン強いのですが…誤算だったな。

スタート。この頃は強引だった、天上天下唯我独尊だった私は、自身満々で
無理矢理インコースへ。強引過ぎたためか、誰かに足をもつれさせられ、転んだ。
一気に最下位。泣きたかった。悔し涙をこらえて走り出す。

ちなみにこのとき擦りむいた傷が未だに残っている。

優勝候補の我がチームといえど上級学年にいっても私で離されたリードは
埋まることはなく。とうとう最終走者へとバトンは渡されていた。
トップを独走するのはO君のいる我が地区のBチーム。
M君にバトンが渡った。祈るような気持ちで応援する。
一人抜いた。また一人抜いた。まさしくチーターのように疾走するM君。
大歓声。「抜いてくれ」私の心の叫び。いや魂の叫び。他力本願。
しかしあと一歩足りずにO君ゴール。すぐあとにM君。二位。

泣いたね。悔しくて。しかしM君のこの一言が効いたね。
「おまえはよくやったよ。」何一つ責めるような事は言わなかった。
彼はもう最後だったのに。それを考えるとより一層泣けた。

カッコよすぎ。今どうしているのだろう彼は。

私の右腕についているこの傷を見ると思い出す。
あれ?ダチョウの話がなんだか昔話に変わっていたよ。てへ。


2001年12月18日(火) 心の栄養

姉御と呼べそうな女の人がパートで働いている。
そうそう、「スラーっとした人」の時の女の人である。

言葉も態度も顔も性格もまさに「アニキ」って感じです。
昔風で言うなら「肝っ玉かあちゃん」でしょうか?京唄子だっけ?違うか。

イメージ的には…神取さん力強さと母なる海を足して2で割った感じかな。
意味不明か!てへ。

で、今日。

私の同僚で仕事が細かすぎで時間がかかってしまう人がいます。
その人がいつものように抱えきれない程の仕事を抱えていた時。

姉御は彼の仕事を手伝ってくれました。
それも絶妙のタイミングで。さらに姉御は忙しいにもかかわらず。
この言葉とともに。
「いや、今、仕事忙しくなくってサ。いいから貸してみ。」

彼は人の気持ちを思いやることが出来る人。
その瞬間、彼の目頭に光るものがあったのを私は見逃さなかった。
ていうか自分も感動してもらい泣きしそうになった。

ここで彼が当然と言う表情をしたり、姉御が押し付けがましく
計算高い人だったらこんな感動は得られないはず。

この後、私はルンルン♪だったのは言うまでも無い。

人の嫌がるような事を言う人。
心を傷つけるような人。
こんな人から始まる不幸の循環は大嫌い。

姉御のような人がいるから、救われる。
苦しい人生の中で、こんな素敵な瞬間に立ち会えるなんて。

……

朝日が昇るちょっと前。
ふと空を見上げた。

地平線と雲の間に澄み切った青い空。
その得も言われぬ色加減。ダークブルーからスカイブルーへ。
その瞬間はこれ一度きりしかなく。刻々と変化する情景。

そして朝日が昇るその時。
雲に陽の茜色が。地平線の赤紫。空の青。雲にうつる橙色。

あまりにも美しすぎて。
吸い込まれるように見入る私がいた。

今日も一日始まった事に感謝。
辛い事も多かろうが、幸先のいいスタートを切れた。


2001年12月17日(月) 徒然12/17

現在7度ちょいで復活気味。

私は小さい頃は高熱を出す人間でした。
40度2分出たことがあります。凄い世界でした。
まさしく回る。天井が回る。目を開けていることが出来なかった。

こんなこともありました。その時は39度くらいかな?はっきり覚えていない
のですが、夜トイレに行こうと階下へ。降りるのは出来たのですが、昇ろうと
思ったら、へなへなその場に座り込んでしまった。父がおかしいな?と思って
起きだしてきたら、そんなことになっていたので私を抱えて2階へ。

と、逸話はいろいろあるのですが、要するに体が弱かったのでしょうか?
自分では認めていないのですが(笑)。

体力不足を実感しています。人よりも動けないのは別に平気だった。
しかし、人生体力。体力がないと頭も機能しない。私のように熱を出してしまう。

この点が今までの人生の中で間違った方向性だったなと思うことです。
土台がきっちりしていないと屋台骨は揺らぐ。そんなあたりまえの事を知って
いながら、実行できなかった。

中途半端。
何につけても究めているものがない。興味のあることはいろいろあるのですが、
そこへ一直線というのがない。

例えば、インターネットで何かの仲間を探すとかいう時に、究めているものが
ないので、そこそこついてゆけるが、いまいち踏み込めないとか…そういう
歯がゆい思いをすることが多い。

誰に対してもそこそこ話題について行ける方だと思うけど、いまいち突っ込んだ
会話が出来なかったり。

こんなことをして一生終わってしまうのかな。
時の重要性を認識している(本当は認識していないのだろうか)にもかかわらず、
無駄に年輪を重ねる。木だったら、年輪を重ねるごとに目に見えて太く逞しくなる
のだけど、私は?

日記だけでも続けてゆければと思っています。

友達が最近こんなことを言い出した。
「最近好奇心が薄れてきている。」
私自身この言葉には「ハッ」と思うことがあって、
「まずい。まずいぞー。老化現象だぁ。」
と彼には釘をさしておきましたが、興味、好奇心がなくなったらつまらない人間
になってしまうと思うのですがどうでしょう?

いつもながらまとまりの無い文章。推敲する時間も無いのが辛い。

感想、作者に何か一言etcは こちらへ。


2001年12月16日(日) 似ている人

私は一重。
昔もみ上げを伸ばしていた時、そして短髪にした時
サッカーの中田に似ていると言われたことがあります。
(自分では全く似ていないと思う:さらにこの人にしか言われた事が無い)

話は変わって、友達と共に体脂肪率を測定する機会がありまして。
体重計タイプではなく、両手で握り締めて測るタイプ。

ここで、ずいぶん昔の事ですが新聞で中田の体脂肪率を目にした事があります。
彼は何と体脂肪率8%なんだそうです。スポーツ選手はこのくらいらしいです。

大学の頃だったかな、体脂肪率を測る機会があり、その時私は12.5%でした。
それでも少なすぎ、と保健体育の先生に言われたような…

そして久しぶりに測ってみた。身長、体重、年齢、性別を入力します。
ハラハラドキドキ(ウソ)。そしてその結果とは。
な・な・にゃんと8.6%だって。ホントかよ。
これか!中田に似ているのというのは、このことだったのかーーー。(爆)

友達は19%でした。適正範囲。ちなみに適正範囲は14〜20%らしい。
てことは、私って一体…。

ところで筋肉には白い筋肉(速筋)と赤い筋肉(遅筋)があるらしい。
私は白い筋肉ばかりなのでは?と思う事がしばしばある。

とにかくマラソンとか持久力のいることは苦手だった。
その代わり、短距離走とかバスケットで一瞬の動きで相手を抜き去るとか
そういうことは得意だった。

一度測定してみたいものです。自分の白・赤の割合を。
100メートルでトップランナーは95:5くらいらしい。
マラソン選手は50:50。うーん知りたい。自分の割合(笑)

興味深い話を聞いた。
ダイエットに興味を持っている人の話。

白い筋肉を増やすと脂肪が燃焼されやすいらしい。
そのためその人は太極拳をしているそうな。

私は食べても太れないタイプです。
祖父にそっくり。っていっても誰も分からないでしょうが。
それも私が速筋が多いのではと推定する理由の一つです。


2001年12月12日(水) 無題

#夏目漱石『行人』「兄」より

>自分は女の容貌に満足する人を見ると羨ましい。女の肉に満足する人を見ても
>羨ましい。自分はどうあっても女の霊というか魂というか、いわゆるスピリットを
>攫まなければ満足が出来ない。


なるほどなーと思う。
私は今までそうだった気がした。
さらに、悪い事に自分から種を蒔いておいて、すっかり忘れた頃に
夢中になられていたってのが一番悪いパターンの気がする。

話は飛んで、今日いきなり、お見合いの話が来たのだけどと母に言われた。
婿に来てくれということらしい。
なんでも年上で、農家の娘さんらしい。

なんだか、こんな話が来るなんて…と愕然とした気分になった。
よく考えれば私ももう27歳来年4月で28歳。
そろそろ適齢期になってきてしまったということなのだろうか?

母親は私が結婚にまったく見向きもしないので、とくとくと話して聞かせる。
他人の例を出したり、タイミングの問題を説いたり。

よく分からない。
一人で寂しく人生を送る事の怖さ。
他人と一緒に生きてゆくことの大切さ。
人並みに子供を育ててゆく事の大切さ。
自由から束縛への転換においてしまった自分。


2001年12月11日(火) こんな日

友達と飯食いに行った。
彼とは特に何を話していなくても、大丈夫。沈黙は恐くない。
こんな関係なかなか新規では築けない。

カレー屋へ向かう。
途中「しかし、日が短くなったよなー。」もう暗くなりつつある。
車窓から覗く夕日が雲の切れ間から覗きそうで覗かない。
雲に照らされる太陽の光が茜色に染まってきれいだ。
「日が短くなったなぁ」私。
「うん」友達。
これだけの会話。果たして私の憂いは伝わったのか。
まあ、そのあとすぐ明るい話題へ話を振ってくれたのでひしひしと
感じたのだろう。まあどうでもいいことだけど。

「今日こそは(三度目の正直なるか)営業しているよね〜」
…過去二回、この店には臨時休業やら、定休日でやられている…
などと、誰に言っているのか、ひとりごつをのたまっていた。

このカレー屋さんは外見的になかなかオシャレで、男二人で入るのは気が引け
そうだったが、下見!下見♪ということで、挑戦。

思ったとおり中もオシャレ。来て良かった!が第一印象。雰囲気も明るそうだ。
料理人が外国人っポイ。それもイギリス人。またズラっぽい(失礼)

スペシャルインドカレーを頼む。中辛。水を使わない。
ナン、ライス、サラダ、スープ、ドリンクつき。

初めてナンを食べた。どうやって食べたらよいものか全く分からない。
ちぎって食べた。「聞こうぜ」「いいのさ適当に食えば」「そうかい?」

美味しかった。辛かった。スパイスが効いていた。

ドリンクがヨーグルト。なんでもヨーグルトは辛さを押える効果があるそうな。
初め、外国人と思っていた料理人が気さくに日本語で!話し掛けてきた。
水ばかり飲んでいた私は、ホントか?とか疑ったりしつつ
(ゴメン!気さくなマスター)飲んでみた。あらま不思議。辛さが消えてゆく。
いい経験をつませてもらいました。

行って良かった。また新たなストーリーが私の人生に形成された。大袈裟。


2001年12月10日(月) 方言

#方言話。

色々な年代の人と共に仕事は成り立つ。会社という得体の知れぬ運命共同体の
歯車の一員として。

年が離れた人と仕事をする機会があります。会話している時は感じないの
ですが、ふとした時に意味の分からない言葉を使うことがあります。
つまり方言ですね。話の流れから推測できるのですが、とにかく変。
若い人は使わない言葉たち。

今日も?という状況になったのです。それで、方言凄いなーなどとボーっと
考えていました。

そうしたら、過去のあのことを思い出したのでした。
それは英語の授業でした。

わが土地は全国でも有数の標準語と方言を区別できない、アクセントも無視の
地域です。

つまり、話している言葉がおかしいと自己認識に乏しい地域であります。
本当、全くわかっていない。自分が標準語を話していると思っている人多すぎ。
全然違うのに。

そうそう、英語の授業でした。上のことを体現する出来事がありました。

英文の和訳を黒板に書くという状況。

Noticing that one of the tyres of her car was flat.
(気がついたことは、彼女の車のタイヤがパンクしていたことです)

これを和訳してください、という問題でした。

真面目なK君(仮名)は真面目に黒板にこう和訳しました。
(気がついたことは、彼女の車のタイヤが「ぺったら」になったことである。)

「ぺったら」って。なのに誰もこのことを突っ込む人はいないのです。
明らかにおかしい訳なのに。この状況がとても可笑しくて。
ひとり笑いをこらえるのに必死でした。

余談ですが、こういう、笑ってはいけない状況ほど、とても可笑しいというのは
よくありがちだと。今でもこのことを考えると、思い出し笑いをしてしまい…
以後慎もう。

てか、方言とか、パンクとかこのキーワードは連想させるので、自然と表情が
緩んだり。てへ


2001年12月09日(日) ある日常

仕事でクタクタだ。昨日は更新できなかった。

「オラも休みてーだ。」
「何を言うか、カカロット!!貴様のような下級戦士がぁ!」
訳わからないことはここらへんで止めにして。

「シューッ」「バシッ!!」
肌寒い空気を切り裂くように、白球が宙を舞う。

兄貴一家が里帰り。
私の日頃の運動不足を察知してか、兄貴は私をキャッチボールに誘った。
彼はこういう人を思い遣る事が出来る人だ。

「キャー」どたばた。
「ボール、ちょうだい。」
姪が元気よくそこらへんを駆け回り、あどけない表情で
(時折見せるイタズラっ子の表情は見のがさないよ。私)話し掛ける。
軟球(A球)でキャッチボールをしているのだけれど、姪には重いようだ。
でも、楽しそうにボールをパパに、ダダに、お父様に(同一人物)
投げている。

「あー俺にもこんな時があったんだよな」
などと感傷に浸っている間もなく強いボールが私のグローブに投げ返される。

コントロールを気にするあまり思いっきり投げれない。
いつからだろう、白球を相手の胸めがけて思いっきり投げれなくなったのは。

とにかく、無言で相手へボールを投げる、捕る、投げる。
それだけで、久しぶりに会ったということを忘れて、互いの近況報告の
代わりになっていた…というのは私だけの思いなのだろうか?

てってけてってけ、駆け回っていた姪が転んだ。
この子はなかなか強いのだけれど、相当痛かったのだろう、泣いた。

近所の子供がこちらを見ている。
兄貴は何のためらいもなくこの子供を仲間に入れた。
こういう所が「兄貴」なのだろう。私には出来ないことだ。
私はそこで一抜け。しばらくその様子を見ていて家の中に入った。


2001年12月07日(金) お金

今度の宝くじは凄いらしい…

会社でそんな会話をした。なんでも一億円以上のあたる本数が増えたとか。

私は今まで、お金に執着して生きてきたわけではないし、
こんなにたくさんの大金を手に入れてもどうするか分からないと思っていた。

よくあることだと思いますが、あたったらどうするか?と
取らぬ狸の皮算用を取りとめもなく家族が話していたので、
私もどうしてみたいか考えてみる事にした。

最初に思い浮かんだのは、別に豪遊したりとか、派手な生活がしたい
とか、贅沢をしたいとかはパスと言う事だった。
別に立派な家が欲しいとは思わないし、凄い車が欲しいわけでもない。
食を探求するのも違う気もするし。

本は欲しい。時間も欲しい。
それは今よりも確実に得られる気がする。
それだけのお金があれば。

旅がしたいと思った。
いや、旅と言うより、異文化に身を置いてみるということ。
日本以外の別のところで…いや日本でも色々住んで見たいかな。
土地が違えば、風習も違うはず。それを確認してみたり。
様々な発見があったり。色々な人と知り合いになれたり。
これは良いなー。

次に思い浮かんだ事。
子供ができるだけたくさん欲しいって事でしょうか。
養育費がバカにならなくて、子供の数を制限せざるを得ない現実を
打破するにはこのくらいのお金が必要かなと。
しかし私にはパートナーがその前に必要トホホ。

次は上に関連する事ですが、やはり生きていた何かを残してみたい気がする。
子供と来て、次に思い浮かんだのは、芸術作品やら、何か。
絵でも良いでしょう。詩でも良いでしょう。小説でも良いでしょう。
陶芸でも良いでしょう。とにかく、そういうことに没頭できそうな気がする。
他の事に気を取られずに済むでしょ。

私は自分の事を鍛えるのが好きらしいのですが、
はかない命ですものね。はかないからと言って諦めはしなくて、
一生鍛えたいと考えていますけど。
はかないからこそ次に何かを伝えたいと言うのはありますね。

足長おじさんってのも良いかなー。
人を育てると言うのはとても楽しい作業のような気がする。

なんだか、宝くじにも夢が持てそうな気がしてきましたね。
ちなみに一回も買ったことないです私。
もし機会があるとするならば買ってみても良いかなって気がしてきました。

夢に耽る。これもまた楽し。


2001年12月06日(木) 勘違い

勘違いやらおもいこみやら無知ぶり。

★アイアイが実際にいるとは思わなかった。

★小柳ユキさんは和田アキコさん級の身体の大きさだと思っていた。

★ルパン三世のテーマ曲で♪ルパンルパーン♪だどばかり思っていた。
 実際は♪ルパンザサード♪だったらしい…

★台風一過の意味が分からなかった。
 っていうか台風一家だと思ってた。ベタ。

★鳥取県の位置がイマイチよく分からない。

★サンコンさんは焼香を食べるものだとばかり思っていた。

★橋と箸の発音の区別がつかない。

もっとある気がするのですが、また今度ということで。


2001年12月05日(水) 遠い記憶がふと蘇る瞬間

「♪こちらは毎度ーおなじみのー、ちりがみー交換のー車でございます。
 古新聞、古雑誌、うえすー、ボロ、バッテリーなどーございましたらー、
 多少にー関わらず、車の方までご連絡くださいー。ただいま高級ちり紙、
 トイレットーペーパーとーお取替えいたしております。♪」

なぜかちり紙交換の車の宣伝文句を思い出した。
これがまた、おばチャンのだみ声でとても特徴あるものでして。
もういなくなってから何年経ったか分かりませんが、未だに口ずさめるのです。
ちり紙交換の車はメッキリいなくなった。というのも、採算に合わなくなって
しまったらしい。いくら交換しても赤字ではこれを商売にする人もいなくなるって
寸法。

子供の時。ある夏の日。いつものようにだみ声を出して車が近づいてくる。
私は好奇心から…つまりどんな恐ろしい形相のオバチャンなのか見てみたくて…
家を出て自転車で追いかけたことがある。

期待というものはいつも裏切られるもので。
私がのろのろ走るその車に追いついた時、ビックリした。
運転席にいるのは、とぼけた顔したおじさん。
大人になった今考えれば当たり前の事ですが、テープを回していただけでして。
そこには純粋な子供心に大人への黒い洗礼が待ち受けているのです。
つまり世の中のからくりを垣間見る事が出来る…大袈裟か。

それにしてもこんな特徴的な面白い宣伝、誰が吹き込んだのだろう。
このとぼけたおじさんの奥さんだろうか?それにしては年が違うような。
まあ声で年齢を判断するのは尚早なのかもしれないけど。

この宣伝だけではなく、もっと“面白いもの”があったような気がするのですが、
なかなか思い出せない。なにか“面白いもの”と関係する事があったりすると
いきなり記憶が蘇るのだろうけど。

写真とか。音楽とか。匂いとか。

そう言えば、匂いって実は記憶を蘇らせてくれるものの中でも
特に優れているらしい。

だから、女の人は香水をつけるのか?

だから、受験勉強をしている時、食べたカップラーメンのニオイを思い出すと
英語の熟語を思い出すのか?

だから、記憶術だーとか言いながら勉強するときニオイを嗅ぎながらすると、
能率100倍なのか?(ホントかよ)


2001年12月04日(火)

私は自分の事を何や言われるのは、嫌だけれど許せた。
私のちょっとした他愛も無いミスで上司にこんな事を言われた。

「親の顔が見てみたい。どういう教育したのか。」

これは言ってはいけないことだ。
久しぶりに頭にきた。

殴ってこんな会社辞めてやろうかと本気で思った。
しかし、しなかった。でも思いっきり睨み付けた。
怒りの表情をあらわしたのはこの会社に入社して…いや、いつ以来だろう。

私がこういう人間になったのは自分が決めた道を歩んできたからだ。
それを親のせいにされた。
私は大概の事は許せるのですが、今回の事はちょっと許せそうも無いです。
はじめて、他人というものを本気で憎みそうです。

しかし、許しそうな自分が居た。
くやしくて。情けなくて。自分が。
絶対に見返してやる。っていってももう彼は退職寸前の身なのですが。

人間好きな私ですが、この人とは距離を置かざるを得ないです。
分かっているのです、この上司は悪い所もあるが良い所もあることは。
人を悪用したり、陥れたり、そういうことは出来ない堅い人間。
しかし他人への配慮やそういうことが少し抜けている人間。
ちなみ私と同タイプ。

こんなことは普通の人間は陰口で言う事ですが、ついポロっといってしまうタイプ。
ちなみに私は陰口大嫌いです。陰口を肯定しているかのような表現だから
とりあえず否定。

私はバカだからそんなことも忘れ去りまた普通の関係に戻ってしまうのだろうか。

「人の悪い面を見るのではなく、いい面を見なさい」
私は親にこういう人間に育てられた。

その親が馬鹿にされたなんて。やはり許せない。
しかし親の言いつけは身に染みてしまっているので、多分許してしまうのだろう。

二律背反。とんでもない葛藤。心が二つに分かれそうだ。
元来のお人よしの気質というのはもう直らないと見えて、たぶん許すのだろう。

私は今後どう対応してゆけば良いのだろうか?

って日薬が何もかも癒してしまう気もする。


2001年12月03日(月) 過去

今日は焼肉パーチ―。電気ホットプレートで。
昔は良くやったものだ。っていっても何かイベントないと、しなかったけど。
肉が好きだったなぁ子供の頃は。近頃はあっさり菜食主義って程でもないですが、
肉を食べる量は極端に減っているような。
牛肉。大丈夫か?プリオンの溜まっていないところなので大丈夫?

……

★写真

今という一瞬を捕まえて。
しかし、見ている現時点ではもう過去の出来事。

あの素晴らしい表情。こんな笑顔。しかめっ面。
すべてが記憶と共にこの一枚に封印される。

忘れかけた頃、また見て思い出すのだ。
あの頃はこんな事をしていて、こんな事を考えていていたなー、とか。
こんな思いを胸に秘めていたとか。

その瞬間今という一瞬と過去の関連した思い出とがミックスされて、
えも言われぬ恍惚感が脳の中を駆け巡る。甘酸っぱい思い出と一緒に。

★音楽

最近あるアーティストの前のアルバムと最新のアルバムをひとまとめにした
ものを聞いている。

音楽も過去を呼び起こす特効薬。

あの日。通勤している途中、歓喜の中で聞いたこの曲。
調子がいい時口ずさむあの曲。
このアーティストの曲は思い出が一杯だ。
強く色々な事を思い出させてくれる。


2001年12月02日(日) 無題2

夕暮れの光の中
君はまっすぐ駆けて行く
ひたむきなその瞳の奥に
果てしない明日を映して

一つや二つの涙に 負けないで
いつだって 見守っているよ

熱く燃える夢を抱いて
走り続ける君の横顔がまぶしいから
どんな時も一人じゃない
あきらめないで
笑顔が似合う君をいつも待っている

つまずいて くやしすぎて
投げ出したい日もあったね
そばにいて ただ震える肩を
抱きしめるしかできないけど

すてきな勇気をあげるよ
大丈夫 君らしく思いきり生きて

何も言えず黙り込んで
うつむくよりも夢を追いかける君が見たい
迷わないで 止まらないで
進んで欲しい
君が一番輝く瞬間を
ずっと 見つめていたいから

熱く燃える夢を抱いて
走り続ける君の横顔がまぶしいから
どんな時も一人じゃない
あきらめないで
君が一番輝く瞬間を
ずっと 見つめていたいから


2001年12月01日(土) 無題

泣いたって
何も変わらないって言われるけど
誰だって
そんなつもりで泣くんじゃないよね

悩んだって仕方ないよ
I just can't control the time
この長いRunwayから青空へTake off!

Time will tell 時間がたてばわかる
Cry だからそんなあせらなくったっていい
Time will tell 時間がたてばわかる
Cry 明日へのずるい近道はないよ
きっと きっと きっと

雨だって
雲の上へ飛び出せば
Always blue sky
太陽だって
手でつかめるぐらい近くに感じられる

ひとりで落ち込まないで
We just can't control the time
この長いRunwayから青空へTake off!

Time will tell 時間がたてばわかる
Cry 今の言い訳じゃ自分さえごまかせない
Time will tell 時間がたてばわかる
Cry だから今は泣きたいだけ泣いていい
もっと もっと もっと


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