昨日は家族で義祖母の葬儀に行ってきた。義祖母、享年107歳。106歳だと思っていたら先月末107歳のお誕生日を迎えていた。大往生である。100歳を越えて亡くなる時は「めでたい」とされるらしく『開運長寿橋』なる夫婦箸を戴いた。
葬儀は午後からだったのだけど、義母から「葬儀の前の食事に間に合うように来なさい」とのこと。葬儀前にも会食する事になっているらしい。これは地域の風習なのかも。実家の車を借りて和歌山へ。予定通り会場に到着。誰が誰だか分からない親戚に挨拶をして、会食など。夫側の親戚はとても人数が多くて、夫自身もイマイチ分かっていない人がいるらしい。ニコニコ話をしていたと思ったら、後から義母に「ところで、さっきの人って誰だっけ?」的な事を聞いていた。
義祖母の葬儀はそれはそれは盛大なものだった。
……と言うのも。義祖母の面倒をみていた夫の従兄弟は市会議員をしているので、参列者の多いこと多いこと。議員関係の人に、消防団だの、地元の知り合いだの。義祖母自身、社交的な人だったと言うこともあると思う。とにかく長い葬儀だった。娘がじっとしていられるかと心配だったけれど、初対面の親戚との会話もちゃんと出来ていたし、予想以上のお利口さんっぷりで助かった。
葬儀って本来、悲しいお別れのはずなのだけど、義祖母の年齢が年齢だっただけに、なんだか和やかな葬儀だった。
すごく良い感じの葬儀だったのだけど、ビックリする事もあった。
夫の姉と、兄の妻が来ていなかったのだ。当事者ではないので事情は割愛するけれど、夫の兄と姉の間でバトルがあったらしい。まぁ、それはそれとしても、一般論で言うなら「自分の祖母の葬儀なんだから、それはそれとして来るべきでしょ!」って話なのだけど、以前から夫の兄弟関係と、義姉と義母の嫁姑関係は色々と問題が多い。
葬儀の後、火葬場までお見送りはさせてもらったのだけど、精進落とし・骨上げ・初七日法要は遠慮させてもらった。最後までいると遅くまでかかってしまうし、そこまで引っ張るのは娘が持たないかな……と。もちろんこれが義母の葬儀なら、問答無用で最後までいたのだけど。義兄は葬儀の後、火葬場へは行かずに帰ってしまうし、義姉はそもそも出席さえしていないしで、義母は最後までいて欲しかったようだけど、そこは勘弁していただいた。
火葬場でお見送りをして、ご挨拶をして帰宅した。お葬式って、当事者でない場合は「何をする」ってものではないけれど、行くだけで疲れるから不思議だ。たぶんその大半は気疲れなのだと思う。
精進落としで振る舞われるはずだった御膳を戴いて帰ってきたので、夕食は自宅で御膳を食べた。夕食中「ところで、今日は結婚記念日だったって知ってた?」と夫。すっかり忘れていたけれど、昨日は9回目の結婚記念日だった。
夫と結婚して9年。今日から10年目に突入。
夫への感謝とか、過ごしてきた歳月に対する感慨があるのも事実だけど、今はただ「疲れた」という言葉しか出てこない。今日も喪服の始末をしたり、家事をしたりでバタバタ。娘がお友達と遊ぶ約束をしてきたので、お友達の家に送って行って、やっと一息ついたところ。そして、もうすぐ迎えに行かねばならない。バタバタながらも1週間終了。今週は慌ただしかったなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。
今日は節分。娘は昨日から「豆まき楽しみ! 恵方巻楽しみ!」とワクワクが止まらない様子。
恵方巻は自作派。朝イチで特売に突撃して細巻き作りなど。普通の太巻きだと大き過ぎて食べ難いので、毎年細巻きを作っている。娘もそのうち、普通の太巻きを食べられるようになるのだろうけれど「今年も細巻き作ってね」とのリクエスト。鶏ササミのカツ巻、胡瓜巻等、数種類の細巻きを作った。イワシは塩焼きだと夫も娘も喜ばないので天麩羅に。それに具沢山のお味噌汁。なんだかんだで面倒くさい献立だ。
バタバタと家事をしていたら義母から電話。106歳の義祖母が亡くなったとのこと。
年齢を思えば何の不足もない大往生。だけど、なんだかいつまでも生きてくれている気がしていて、物凄くビックリしていまった。義祖母は数年前から「市で1番の長生きになる」と宣言していて、昨年はその目標を達成し、敬老の日に市長から表敬訪問を受けている。「やるべき事はすべてやった」と言う状態での旅立ちだ。
当たり前だけど人の死は突然やってくる。義母にとっては実の母。動揺していたのだと思うけれど、義兄に伝えた通夜・葬儀の日程と、私が聞いた通夜・葬儀の日程が違っていて、連絡等にバタバタしてしまった。義母に電話は通じないし、義兄は正確な日程を知りたいと言うし……。結局、葬儀会場に電話で問い合わせて事なきを得た。結局、通夜の日が友引だったので一般的な葬儀の日程ではなかったのが、情報の食い違いを産んだらしい。
明日が通夜で明後日が葬儀。
夫は通夜と葬儀。私と娘は葬儀だけ参列する予定。連絡したり、喪服やお香典を準備するのにバタバタしてしまって、まだ実感が持てないでいる。今日は訃報以外にも間の悪い事が色々と重なってしまって、気がつけばもうこんな時間。これ書いたら、とりあえずお茶でもいれよう……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。
土曜日は家族で夫の実家に行ってきた。お正月は娘の胃腸炎で年始の挨拶にも行っていなかったので義母に会うのは久しぶり。元気そうな顔を見ることが出来てホッっとした。
昼食後、居間のコタツで寛いでいたら、突然コタツの「温かくなる部分」が足の上に落ちてきた。娘も夫も大騒ぎ。「ああ、ごめんね。すぐ治るわ」と義母。取り付けているネジでも緩んだのかな……と裏返しにしてみてビックリ!
なんとコタツの「温かくなる部分」は完全にはずれていて、しかも針金1本でブランコのように固定されていた。「これはもう駄目だ。今から新しいのを買いにこう」と言う夫に対して「大丈夫よ。年金貰ったら買いに行くから」と義母。もちろん買いに行く気なんて無さそうな感じ。と言うのも、聞けばコタツが壊れたのはずっと前だったらしい。今までよく火事にならなかったものだ。
義母からすると「勿体無い」と言う気持ちと「思い出のあるコタツだから手放したくない」と言う気持ちがあったのだと思うけれど、今回ばかりは見過ごす訳にはいかなかった。しかし義母は「梃子でも動かないぞ」と言う構えで説得に時間が掛かってしまった。「お金は俺が出すから頼むから新しいのを買おう」と言う夫の言葉にも首を縦にふらなかった義母が折れたのは「万が一、火事になったらご近所に迷惑がかかる」というところだった。
コタツを買いに行くのもすったもんだ。
「近くの電気屋さんで買う」と言う義母に対して「騙されたと思ってジョーシン電気に行ってくれ」と夫。どうにか説得してジョーシン電気に連れ行ったところ「まぁ! コタツってこんなに安いの? こんな事なら、もっと早く買っておけば良かったわ」と義母。無事にコタツを買うことが出来た。義母の希望で天板だけは古い物を使い、新しいコタツの天板は処分することに。取り敢えず失火の危機は免れた。
このコタツの件で「一人暮らしのお年寄りの家の火事」が以外と多い理由が分かる気がした。物を大切にするのは日本人の美徳だけど、電化製品ばかりは「長く使えば良い」って物ではない。
それにしても「義母も年をとったんだなぁ」って事を再認識した。結婚した頃はまだまだシッカリしていた気がするけれど、最近「あれっ?」と思う事が増えている。これから、夫の実家に行くときは色々なところをチェックしようと思う。
当たり前だけど誰だって年を取る。年を取ると「今までどおり」ではいかなくなってくる。その分、若い人間が気をつけてサポートしなくちゃいけないなぁ………って事で今日の日記はこれにてオシマイ。