白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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当日記は移転しました。下記で更新を続けています。
引越し先 白い木蓮の花の下で


2011年03月30日(水) 退院準備。

義母の退院は今週末の土曜日で決定したようだ。リハビリ病院ではなく自宅に帰ってくるとのこと。

退院の件は義母の独断で決めてしまったらしく、昨日は電話だったけれど義兄達とすったもんだで大変だった。退院の日については手続等の問題もあるので「くれぐれも相談の上」ってことだったのに、義母の都合で決めてしまっていた上に、高額療養費の書類を提出していなかったことも発覚して義兄の怒りは頂点に。留守番電話に「土曜日に退院します。支払は70万くらい必要なのでよろしくね」と入っていたとのこと。そりゃぁ義兄が怒るのも無理はない。

義母は退院したとしても、手術した箇所が完全に治るまでは、今まで通りに日常生活は営めない。義母は一人暮らしなので、介護保険を使ってヘルパーさんを頼むつもりのようだけれどヘルパーさんに来てもらうにしても手続がいる。その辺の相談だの、家の準備だのも考えるはずだったのだけど、突然退院することになったので、蜂の巣を突っついたかのような大騒ぎだ。

……まぁ、しかし。もう決まっちゃったものは仕方がないので、とりあえず義母を受け入れる体制を作る必要がある。入院に備えて夫の実家の冷蔵庫は空っぽになっているそうなので、明日は私が買い出しに行って必要な物を冷蔵庫に詰めてくることになった。

退院の日は私達一家が付き添って、その日は家族で夫の実家に泊って、翌日に義兄一家にに着てもらって今後の相談をすることになっている。

そんなこんなで明日は朝から頑張らなくてはならない。心配なのは娘のこと。娘は義母が入院してから、長時間、車に乗っての移動に辟易している。実際のところ、この類の用事は子供にとっては退屈以外の何物でもなく、娘の気持ちは分らなくもないけれど連れて行くしか無いものなぁ。実家の母に娘を頼むことも出来なくはないのだけれど「私が病院へ行く間の数時間」なら預かってもらえても、実家の母も身体が良くないので半日も3歳児の相手をする無理なのだ。娘には可哀そうだけれど我慢してもらおうと思う。

3歳の娘には、まだ何のことか分らないだろうけれど、親のこういう姿を見せるのは決して悪くはないと思っている。「誰かが病気をしたら大変」だとか「みんなで助け合うのは当たり前」ってことなんかを、漠然とでも伝えることが出来たらな……なんて。実際、私もそんな風にして大きくなってきたのだし。

明日は1日バタバタしそうだけれど、動き始めてしまえばアッっと言う間なのだと思う。今夜は早めに休んで明日に備えよう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2011年03月29日(火) 義母の退院と名札付け作業。

義母の退院が今週末の土曜日に決まった。

順調に回復してくれたのは嬉しいけれど、退院するとなるとそれはそれで大変。義母が入院しているのは大学病院で、入院する前の話だと退院後はリハビリ専門の病院へ移ると言う話になっていたのだけれど、義母は退院後はすぐ家に帰れると思っているらしく、どちらの話が本当なのか確認中。退院後にすぐ帰宅するとなると、それなりの準備も必要だし、別の病院へ行くにしても手続等が必要だし。土曜日は私達が行くことになっているので、今夜は義兄に確認したりして電話で忙しくなりそう。

義母の入院については、親族間でトラブルもあったりして大変だったけれど、独身時代に実家の家族が入院した時を思えば楽なものだ。あの時は1人で立ち向かわなければならなかったが、今は夫と娘がいる。そして義兄一家もいる。「1人で頑張らなきゃならない」ってことが無いだけで、こんなにも楽な気持ちでいられるのだなぁ。バタバタしているのは事実だけれど、気持ち的には健やかだ。

娘の幼稚園準備もてんやわんや。何しろ幼稚園の制服一式を戴いたのはつい最近のこと。娘が寝た後も、義母のことで義兄一家と連絡を取り合ったり、町内会の用事(なんと今年は会計に当たってしまった!)があったりして、制服に名札を付ける作業が全く進んでいない。娘の幼稚園は制服や体操服等の衣服にはすべて布製の手製名札を縫い付けることになっているのだけれど、名札は出来ているのだけど縫い付け作業がまだまだ沢山残っている。

……とまぁ、そんなこと愚痴っている暇があればPC閉じて作業しろって話なのだけど、自分自身が楽しむ時間だって少しは欲しいのだ。

今日の大阪はとても暖かかった。娘はコートを着ずに公園へ。私は流石にコートを着ていたけれど、砂場にしゃがんでいても辛くなかった。これからどんどん暖かくなってくるのかと思うと嬉しくてならない。

図書館で借りてきた多和田葉子『雪の練習生』と言う本が読みたくて仕方がないのだけれど、まったく手をつけられないでいる。目の前に人参をぶらさげて走る馬の心境。今日はこれから、義母の退院関係の確認電話と制服の名札付け作業をする予定。もし少しでも余裕が出来たら、さわりだけでも読みたいなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2011年03月28日(月) 病院と娘接待

この週末は義母の病院と娘接待に費やされた。

義母は順調に回復している。入院生活にも順応しているらしく実にすばらしい入院患者だ。私は実家で家族の入院は散々経験しているけれど、病気や怪我で入院するって、やっぱり大変なことだと思う。身体は辛いし、心細いし。他人との共同生活は気疲れするし。義母は特に不平を言うでもなく入院生活を送ってくれていて、実にありがたい。

……とは言うものの、それは大人の視点での話。楽しいはずの週末が毎週「お見舞い」で潰れてしまうのは娘にとってストレス極まりないことだ。娘は病院でも聞き分け良く大人しくしているので余計にストレスも溜まるだろう。その上、先週は私の体調不良で思い切り遊んでやれていなかったこともあり、土曜日の夕方の娘は「もうこれ以上無理です」という表情になっていた。

日曜日の朝、夫と娘は午前8時30分にちょっと遠い公園へ出掛けていった。私は野暮用など。

お昼前に地元のマクドナルドで合流。マクドナルドは娘の希望。娘は生まれて初めてお正月に連れて行ってもらったマクドナルドがことのほか気に入ったらしい。親としてはあまり連れて行きたくない場所ではあるのだけれど、娘接待ってことで許可することに。娘はハッピーセットの玩具をもらってご機嫌だった。

その後、ふらっとリサイクルショップをのぞいたら、定価8000円近くするレゴブロックが1000円で売られていたので購入した。娘は既にレゴブロックを持っているのだけれど、ブロックのパーツは沢山あったって邪魔にはならない。ブロック好きの娘が喜んだ事は言うまでもない。今日、月曜日は早速新しいパーツで新しい物を作っていた。

今週は暖かくなってくるとのこと。娘の幼稚園準備もまだ完成していないし、やらねばならない事が目白押しだけど、ボチボチ頑張ろう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2011年03月25日(金) Fの家。家庭菜園。石くんの修理。

今日はFの家へ遊びに行ってきた。遊び半分、Fの様子見半分。

Fは急激な持病の悪化で人工透析の話が出ているのだけど、今のところ人工透析はしない方向で頑張っているらしい。でも大丈夫ではなくて首の皮1枚で繋がっているとのこと。正直、いつ人工透析がはじまっても不思議ではない状態とのこと。流石のFも心を入れ替えて療養生活に励んでいるようだ。最悪の状態ではないけれど、喜べないところが辛い。

娘はFの家族にすっかり慣れていて、お気に入りの玩具を持って行ってご機嫌で遊んでいた。遊んでいる最中、娘が愛してやまない石くん(公園で拾ってきた石に顔を描いたもの)が割れてしまって娘、大泣き。「家に帰ったら修理してあげる」となだめた。割れてしまった「石くん」の修理は初めてではない。けっこう高級なボンドならまずまず修理出来るので大丈夫だと思うのだけど、Fは「ただで拾って拾ってきた石を、高いボンドで修理するんだなぁ」と笑っていた。確かにその通り。でも娘にとって「石くん」は公園の石とは違うのだ。なので修理しない訳にはいかない。

昼食を御馳走になり、おやつを食べ、Fの家の家庭菜園で採れた大量の野菜(水菜、壬生菜、大根、人参、冷凍エンドウ豆)を戴いて帰宅した。戴いた野菜は私達家族では食べきれる量ではなかったのでご近所にお裾分けして、残りは新聞紙に包んで冷蔵庫へ。人参と大根の葉っぱはフリカケにした。夕食の時に自家製フリカケを食べたのだけど、すごく美味しかったので、明日義母の病院へ行く時に少し持っていこうと思う。

今日は久し振りにツイッターを復活させた。今年は年始に「やりたくない事はやらない」という目標を立てたのだけど、ふと思ったのだ。「やりたくない事はやらない」「見たくない物は見ない」という考え方も決して間違いではないのだけれど、人間が小さくまとまってしまうではないか……と。出来るだけ自分を小さい空間に閉じ込めないようにしたい。ツイッターなんて遊びに過ぎないけれど「たかが遊び」でさえ、遊べないなんて人としての器が小さ過ぎるじゃないか。これからも適当に遊んでいこうと思う。

今週は自分自身の体調不良で「1日を過ごすので精一杯」な感じだったけれど、無事に過ごすことが出来て良かった。週末は義母の病院。適度に頑張って、適度に元気をチャージして、また来週も頑張ろう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。

娘の愛する「石くん一家」手前の矢印で指しているが修理…もとい療養中の石くん。全員、名前がついてます。











2011年03月24日(木) 「ありがとう」ではとても足りない。

ここのところ公園に行くと見かけない子どもが遊んでいることが多い。話を聞くと、たいてい東から避難してきた子達だ。

今日、会った2歳の男の子は母親の実家がこっち(大阪)で、帰省しているとこのと。関東に父親は自衛隊。停電はあるし、水や食料品を買うのも大変だし、その上父親は被災地にいるから……と、しばらく実家で暮らすとのこと。話によると、自衛隊勤務の父を持つご家族で関西に実家がある人達は帰省ラッシュとのこと。2歳の子の母親と「……それは大変ですね」と話をしたら「災害があろうが、なかろうが、どちらにしても(夫は)家にいない人ですしね」と笑っておられた。鼻の頭がツンとした。

今日は原発で作業をされている作業員さんが被ばくされたとのこと。早く回復されるよう祈らずにはいられない。被災地で仕事をされている方々には心底頭が下がる。感謝してもしきれない。「ありがとう」ではとても足りない。

それはそれとして。私達の生活は淡々と営まれている。

今日はお世話になっている育児スペースに娘の幼稚園の制服や鞄を取りに行ってきた。今春、幼稚園を卒園された方のお下がりを大量に戴く。洗い替えなども入っていて、とても助かった。お下がりをくれた方と、育児スペースのスタッフさんに、ささやかながら「お礼」を用意していたのだけれど受け取ってはもらえなかった。「ここは皆で助け合って子どもを育てましょうというコンセプトでやっているので、営利目的ではないんです。前例を作ると後々の人が困るから」と言われた。「それよりも、娘さんが卒園したときに物品が綺麗なら持ってきてくださいと。そうやってリレーしていきましょう」と。3年後、娘が卒園したら、使えそうな物は持っていきたいと思う。

娘の制服が届いたので、また名札付け作業をしなくちゃならない。娘の幼稚園は「名札」がなくて、制服にもスモッグにも体操服にも、手製の布の名札を縫い付ける事になっている。裁縫が大の苦手な私にとって苦行だけど、まぁ……ボチボチ頑張ろう。

今日は図書館で予約していた本が2冊届いた。マイブーム小池昌代『弦と響』読むのが楽しみでならない。気の滅入ることも多いけれど、楽しいことだってたくさんある。コツコツ頑張っていこう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2011年03月23日(水) 言葉が出ない…。

今日の大阪は寒の戻りか、けっこう寒かった。

スーパーへ買い物へ行ったり、公園へ行ったり。寒かったせいか娘がめずらしく公園で粗相。遊び半ばでそそくさと帰宅。誰も怒っちゃいないのに、娘は自分自身が許せなかったらしく、どんなに言い聞かせても長いこと泣いていた。泣くだけ泣いたらケロッと機嫌が直るのは子どもならでは。大人だったら、こうはいかない。

今日は1日ツイッターを見なかった。わざわざ自分から当たりに行くことないかな……と。しばらく放置する方向でいこうと思う。

東京では飲料水が大変なことになっているとのこと。「乳児には飲ませないように」と言うけれど、じゃあ、いったいどうすれば? とりあえず水を買うしかないのだろうけれど、粉ミルクは本来水道水で作るよう設定されていて硬水では駄目なのだ。煮沸すれば大丈夫とのことだけど、粉ミルクで乳児を育てている母親達はどんなに不安なことだろう。ミルクを作るだけの水を買えるのだろうか? そして母乳で乳児を育てている母親達は何を飲み食いすれば? 書いているだけで泣けてきた。

全国規模で乳幼児だけでも安全な場所に大移動出来ないものかと本気で考えてしまった。もしくは優先的に水を買える制度なり、配給するなり出来ないだろうか?

地震以降、何かと「頑張ろう」が合言葉になっているけれど、そんなに頑張り続けられるものじゃない。それでも頑張らなきゃいけない局面にある場合、何と言ったら良いのだろう? 適切な言葉が見つからないまま、今日の日記はこれにてオシマイ。


2011年03月22日(火) 義母の経過。ツイッター。ハリポタ。

義母の足の手術の経過はいたって良好。もう歩行器を使って歩いている。入院生活もそれなりに順応してくれている様子でホッっとした。今日からは器具を使ったリハビリ開始。

私の体調は薬が効いてきて上向いてきた。この週末には元気になっていると思う。

地震以降、ツイッターを見るのがちょっと苦痛になってきた。みな疲れているのか呪詛のような言葉が並んでいたり、あるいは前向き過ぎる言葉が並んでいたりして、げんなりする事が多々ある。「嫌なら見るな」って話なのだけど、日記と違って自分が書こうとすると、他の人のつぶやきが見えてしまうシステムになっているのが難点。しばらく放置しようかと思っている。もしくはキッパリとアカウント削除か。

この週末はレンタルDVDで『ハリーポッターと謎のプリンス』を観た。ハリー達が子どもの頃から観ているので甥っ子達を見守る親戚のオバチャンの気分。あの子達が恋に悩む年頃になったのおと思うと感慨深いものがあった。ひさしぶりにテレビ画面に熱中することが出来て、ちょっと気持ちが晴れた。

関西は地震以降ものんびりしているのだけど、それだけに被災地の方々はもちろん、東に住む友人達の窮状が気にかかる。どうにもしようが無いのがもどかしい。義捐金等の協力はしているけれど、目に見えて急速に改善されるものではないものなぁ。

まぁ、色々とあるけれど今週も頑張ろう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2011年03月20日(日) 分らない幸せ。

今日は朝から暖かい。夫と娘は公園へ行った。私は家でお留守番。ありがたい。

無事に手術を終えた義母は吃驚するくらい元気。根本的なところが健康なのだと思う。食欲も旺盛だし、よく眠れているとのと。今日もこれから病院へ行くのだけれど、義母の入院している病院は面会時間等が厳しくて、家族でも土日は午後1時にならないと病室へ入れない。6歳以下の子どもは病室に入れないので、義母が談話室まで歩いてこられるようになるまで娘の顔を見せてあげられないのが残念。来週までお預けかな。

昨日の午前中は娘を夫に託して私は病院へ行ってきた。持病…ってほどでもないのだけれど下腹部が痛くて婦人科へ。昨年と同じ症状だったので「もしや」と思ったのだけど、昨年と全く同じだった。人間、疲れが溜まると弱いところに出てくるなぁ。念のための検査をしてもらって、薬を出してもらった。「座薬出しましょうか?」と言われたのだけど「昨年よりは痛くないので大丈夫です!」とキッパリ断った。私、カッコイイ……と自分に酔っていたのだけれど、夜になって痛みが増して「私の馬鹿。なん素直に貰わらなかったの……馬鹿、馬鹿」と涙目。おかげさまで、今はもう落ち着いている。やれやれだ。

家事だの買い物だのが滞っていたので、昨夜の夕食は冷蔵庫のありあわせスペシャル。豆腐のあんかけ、胡瓜の味噌マヨネーズ、常備菜の煮豆、それにかき揚げ。かき揚げって安上がりなのに、家族が喜んでくれるので助かる。私もお店のかき揚げは苦手なのだけど、自分で作るかき揚げは大好きだ。

夫がかき揚げを食べながら「美味しいなぁ……幸せだねぇ」と言いながら、「なぁ、?」と娘に賛同を求めたのだけど、娘はかき揚げをパクつきながら知らん顔。夫は「まぁなぁ…幸せって、幸せって分らないのが幸せだからなぁ」と言っていた。「幸せと分らないのが幸せ」って、そのと通りだと思う。不幸の場合、そうなったらすぐ「不幸だ!」と分かるのにねぇ。「分らない幸せ」を大切にしようと思った。

色々とやらなきゃならない事は多いけれど、体調がパッっとしないので、あまり頑張らないようにしようと思う。地震から1週間が過ぎて、被災された方もそうでない方も疲れやストレスから体調を崩される頃ではないかと思いますが、くれぐれもお気をつけて……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2011年03月18日(金) みんな疲れている。

地震から1週間。みんな疲れている。

被害が大きかった地域の方は勿論だけど、日本中の人が多かれ少なかれ疲れているように思う。地震の不安、原発、電気、物資の不足。「頑張ろう!」と声を掛け合いながらも、言葉の端々に疲れが見える。

先日、伯母の家に東京で一人暮らしをしている従兄から「食べ物を送って欲しい」と電話があったとのこと。一人暮らしで働いていると食料や生活必需品を買うことが出来ないらしい。仕事から帰ってきてスーパーに行っても、何も手に入らないから……と。従兄は普段なら決して気安く親に頼るような人間ではない、その従兄がSOSを出してきたのだから、よほどの事なのだと思う。

みんな疲れている。でもお互いにいたわり合って乗り切っていくしかない。くずけず頑張りましょう。

今日は大阪で白木蓮の花が咲いた。昨日は蕾だったのに、気温が上がって一気に花が開いたようだ。今年ほど白木蓮の花が咲くのを待ち望んだ年は無い。大好きな花を見ることが出来て本当に嬉しい。

嬉しかったことと言えば、もう1つ。義母の手術が無事に終わった。予想よりも悪かったらしくリハビリが辛いだろう……とのこと。でも無事に終わってホッっとした。手術には立ち会わなかったけれど、しばらくはバタバタしそう。頑張ろう。

みなさん、本当にお疲れ様です。まだまだ心身共に落ち着かない日々が続きそうですが、休める時には休んで出来るだけ無理なさいませんように。私も頑張ります……っ梃子とで今日の日記はこれにてオシマイ。

白木蓮の花。今年もありがとう。











2011年03月17日(木) それでも進んでいく。

私の住んでいる関西では地震の被害は無かったのだけど、なんとなく落ち着かない日々を送っている。あまり良いニュースは入ってこないし、東に住む友人達のことが気にかかるし。

それでも、こんな時でも日々の暮らしは普通に進んで立ち止まってはくれないものだ。明日は義母の手術があるので今日はバタバタしていた。それと同時に娘の春服を買いに行ったり、娘の幼稚園関係の用事があったり。朝から目一杯活動して、気がつけば夜になっていた。

こんな時でも日々の暮らしは進んでいく。無常にも思えるけれど、ある意味ありがたくもある。何某か忙しく立ち働いている時って余計なことを考えないから。

夕方、アマゾンから本が届いた。予約注文していた本なのだけど予定通りの配送だった。関東から東の地域は流通も通常通り(物によるだろうけれど)なんだなぁ……てっきり遅配するものと思いこんでいたのに。普通通りに暮らし、それまで通りに経済活動が行われるって大切なことだと思う。被災地の復興……道路等の整備もハイスピードで進められていると聞く。真面目に働いている人達のなんとありがたい事か。

今日も大阪は雪が舞うほど寒かった。粉砂糖ような雪が舞う景色は綺麗だったけれど、被災地のことを思うと……。一刻も早く暖かくなって欲しい。それでも、やっと白木蓮が咲きはじめた。この週末が見頃かも知れない。それを励みに頑張ろう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2011年03月16日(水) 知らないことが多すぎる。

昨日、コート無しで外を歩くことが出来たのが信じられないような寒さが襲ってきた。午後からはちらちら雪、霰。大阪でさえこの寒さなのだから地震の被害にあった地域はどれだけ寒かったことだろう。早く暖かくなって欲しいと願わずにはいられない。

午前中は市が主催している幼児教室へ行ってきた。今日はトランポリン教室。市が主催の幼児教室は無料で申し込みだけで参加出来る。娘が1歳代の頃からお世話になっていたのだけれど、4月から幼稚園に入園するので今日は最後の教室だった。娘はご機嫌でトランポリンに興じ、お礼を言って帰ってきた。帰りに郵便局に寄って帰宅。午後からは寒かったのと私の体調がイマイチだったのとで、自宅で地味に過ごした。

地震のことで書きそびれていたのだけれど、和歌山の田舎に住む夫の従兄が市会議員に立候補することになった。夫は大阪生まれの大阪育ちなのだけど、義母が和歌山の田舎出身で、田舎では100歳を超える祖母がいまだ元気で暮らしている。従兄は柿の生産とタクシー運転手の兼業農家。野心家タイプではないので不思議に思っていたら、従兄の住んでいる地域では地域出身の市会議員がおらず「これではいけない」と言うことで、担ぎ上げられたとのこと。

従兄は地元青年団に所属していて地域を活性化させる活動に熱心な人だ。従兄の住んでいる地域がどれくらい田舎なのかを説明するのは難しい。何かにたとえるなら……『マンガ日本昔話』の世界……と言えば伝わるだろうか? 私は田舎の暮らしを知らないので、従兄に初めて会った時「自分の暮らしている場所をここまで愛して、地元のために働けるって凄いなぁ……」と思ったものだけど、まさかこんな事になるとは。地域では過疎化が進んでいて、従兄以外に適任者がいなかったのだろうと思う。

理由はどうあれ立候補するなら何か応援を……と言う話になった。義兄と相談して「とりあえずお酒とか送ったらいいんじゃないの?」なんて話したのだけど、調べたところ選挙の差し入れにお酒はタブーとのこと。お酒を貰っても、そのお酒を人に振舞うと公職選挙法に引っ掛かってしまうそうなのだ。結局のところ「寄付」という形で計上できる現金が良いらしく『陣中見舞い』の熨斗で現金を贈ることになった。

今回のことは凄く勉強になった。従兄が市会議員に立候補するなんて話がなければ、私は一生『公職選挙法』の内容について詳しく知らなかっただろうと思う。世の中には知らないことが多過ぎる。

知らないことと言えば今回の地震では否応なしに「原発」のことを深く知ることになった。恥ずかしながら私は今回のことが起こるまで原発に対する知識は皆無だったと言っても過言ではない。連日不穏なニュースが飛び込んでくる中、現場で作業にあたっている方々には心から敬意を表したい。

今日は2日続けて不機嫌だった娘が1日機嫌良く過ごしてくれた。明日もそうあって欲しいと思うし、そうなるべく努力をしよう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2011年03月15日(火) 気付いただけも良しとしよう。

地震のニュースは過剰に見ないようにしよう……と思うのだけど、やはり気なる。そして見たら見たで心が痛む。被害の大きい地域の人が気の毒なのは言うまでもないけれど、首都圏に住む友人の話を聞いているだけでも「どうにかならないものか」とヤキモキしてならない。

食糧やガソリンが手に入らないと聞くと「ガソリンはともかく、食糧だったらいくらでも送るよ!」と思ったり、原発の話を聞くと「良かったら、こっち(大阪)に来ない?住めるよう全力で手配するけど……」なんて事を思ってしまう。でも、そう言う問題ではないって事は私もよく分かっている。非常時に個人的な物を送るなんて事をすればと、それだ救助活動の足を引張ることになるのだし、引っ越しにしたって「大変だったら逃げれば良い」って問題ではないのだ。

週明けから娘のご機嫌がやたら斜めだ。公園仲間に「Y(娘)は昨日も今日も不調みたいで…」と話したら「Yちゃんがそんな風になるなんて珍しいね」と言われた。確かに毎週、休み明けの月曜日は「楽しかった土日とは較べ物にならない平凡な日常」にウンザリするのか、グズグズすることが多いのだけど、体調不良でも無いのに「2日続けてグズグズする事は滅多にない。どうしたのかなぁ……と考えていて、気がついた。娘の不機嫌の原因は、たぶん私だ。

たぶん娘は地震で神経質になって気持ちが沈んでいる私に影響されているのだと思う。私も過剰にニュースを見ないようには心掛けているものの「被災した方のインタビュー」なんかに遭遇すると涙ぐんでしまうし、ただでさえ不安なニュースが多くて、負の感情に引きずられている。

今回の地震では言葉に出来ないくらい気の毒なことばかりで、しかも不安になることだらけだけれど、被災者でもなんでも無い人間が、負の感情に引きずられていてはいけない。娘を不安にさせるようでどうするよ、私! 関西はいたって平和で、私も普通の日常生活を営んでいて「こんな時だからこそ、楽しく暮らさなきゃ」と思っていたのになぁ……。頭で理解するのと実践するのとでは大違いだってことに今更ながら気がついた。

まぁ……でも、気付いただけも良しとしよう。

今週の目標は「負の感情に引きずられないこと」にしようと思う。私も出来た人間でないので駄目な時もあるけれど「駄目だ、駄目だ」とばかり思っていても前へ進めない。とりあえず自分の手の届く範囲で頑張ろう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2011年03月14日(月) ダンゴムシ君達の旅立ち。

地震以降、次々と大変なことが起こっていますが、私は普通に日々を過ごしています。

被災した方々のことを考えると胸が痛みますし、自分の出来ること(義捐金等)の活動はしていますが、それはそれとして被災していない立場の人間は、自分の身の回りのことをしっかりしていくのが大切だと思っています。これから日本は大変なことになると思うのです。だからこそ、しっかり頑張らねば。社会に出て働く人はしっかり働いて経済活動を支えたら良いし、子育てや家事をしている人はしっかりそれをこなしていけば良いのだと。皆で下を向いていたところで、何もはじまらないと思うので。

この週末は友人と会ったり、家族で簡単なお弁当を持って河川敷へ行ったりして過ごしました。娘はホワイトデーのお返しに絵本を買ってもらったり。娘が選んだのは『しらゆきひめ』。夫は私にも何か本を買ってくれると言うので中山可穂の新刊本を買ってもらうことに。書店で「まだ発売されてないんだけど、アマゾンでポチろうかと…」と話しをしたら、帰宅してから現金を渡してくれました。ロマンの無い妻ですまぬ、夫。

そして今日は昨年の4月から飼っていた「ダンゴムシ君」を公園へ放しに行ってきました。最初3匹だったダンゴムシ君は子を産んで大家族を作りました。第一世代は他界。たくさんの子供達は全員が成長すること叶わず、少しずつ数を減らして越冬。そして新しい春を迎えようとしているのですが、狭い入れ物の中で飼っていてはダンゴムシ君達はますます減ってしまうでしょう。なので娘と相談して拾ってきた公園で放すことに決めたのです。

ダンゴムシ君達は公園の雑木林ゾーンで放しました。ケシ粒のようだった赤ちゃんダンゴムシ君達も、立派な若ダンゴムシとなり感無量。娘は「ダンゴムシ君バイバイ」と手を振っていました。これで私も彼らが乾燥しないよう気を使ったり、死骸を外に出したりしなくて良いのだなぁ……とシミジミしながら、入れ物の土をひっくり返したところ。

なんと! 土の中から大人の小指くらいの太さのミミズが!

昨年の4月に土を入れた時、そんなミミズを入れた覚えはありません。たぶん彼はダンゴムシと共に成長してきたのでしょう。私達家族はダンゴムシだけでなく、ミミズとも同居生活をしていただなんて。吃驚しましたが、ある意味ダンゴムシ君にとってもミミズにとっても悪くない住環境を提供していたのだと思うと少し誇らしくもありました。

そんなこんなでダンゴムシ君達は生まれ故郷の公園へと旅立って行ったのでした。

空っぽになった昆虫ケースは取りあえず洗って干してあります。また娘が何か飼いたいと言い出したら新しい住人を迎えることになるでしょうけれど、それはその時に対処したいと。次の住人を迎える覚悟は出来ていますが、しばらくはのんびりさせてもらいたいなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2011年03月12日(土) 背筋を伸ばして…

今回の地震では広い地域で大変なことになっていますね。本当に、なんと言ったらいいのか言葉がありません。

友人に宮城県がご実家の人がいて、気になって連絡してみたのですが「おかげさまで、実家の家族は全員無事です」との返事がありました。ご実家は坂の上にあって津波の難を逃れたとのことなのですが、坂の下は全滅とのこと。「ご実家の人がご無事で良かったですね」と言ったものの、手放しでは喜べないのだなぁ……と複雑な気持ちになりました。

家族全員無事だったのは喜ばしいことなのは間違いないのですが、つい昨日まで近所で一緒に暮らしていた人達が津波で流されてしまっては、助かったからと言って万歳とは言えないでしょう。亡くなった方が一番お気の毒なのは言うまでもありませんが、無事だった方もどんなに辛い時間を過ごしておられるのかと思うと……。

一夜明けたら被害状況が分かってきましたね。テレビの映像を観て、ただ茫然とするばかりです。すごく怖い。なんて言ったら良いのか分らないし、被災された方は本当にお気の毒だと思います。

それでも人は生きていかなくちゃいけないのです。被害を受けなかった人間は日常をキチンとこなしつつ、日本を支えなきゃならない。地震の被害に気を滅入らせている場合じゃない。自分の身の回りのこと、なすべき事を淡々とこなして、その上でなお自分達が出来る範囲での支援を考えなくては。

我が家が出来ることと言えば、とりあえず義捐金でしょうか。他にも何か出来そうなことがあれば、行動しようと思います。ささやかな事でも、しないよりはマシかな……と。私自身、昨日からちょっと精神的に落ち着かないでいるのですが、こんなことではいけないと自分自身に言い聞かせています。背筋をシャンとのばしていこう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2011年03月11日(金) 何と言ったらいいのか……

大変なことになってしまいましたね。被災者の皆様に心からお見舞い申し上げます。

私はテレビでしか知らないのですが、どれだけ怖かっただろうと思います。ものすごく個人的な話ですが、連絡を入れた友人が怪我もなく無事だったのは、とても嬉しかったです。「無事でいてくれてありがとう」と思いました。普段は当たり前だと思っている「無事でいること」が、どれだけ貴重なことか思い知らされました。政府の早急な対応を期待します。そして私にも何か出来ることがあれば、ささやかながら行動したいと思います。

平穏な日常がこんなにも、あっけなく崩れてしまうだなんて……

傍で見ていて「怖い」なんて言うのは不謹慎な気がしますが、やっぱり「怖い」とか言えません。被災地の揺れからすると微々たる物だと思うのですが、遠く離れた関西でもそれなりに揺れて、娘を抱きしめながら「怖い」と感じました。

被害がこれ以上広がりませんように……と祈りつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2011年03月10日(木) さようなら秘密の滑り台。

一昨日の夜から娘が熱を出していたので2日ばかり日記が飛んでしまった。

扁桃腺からの高熱で大変と言えば大変だったけれど、抗生物質を4回飲んだらサッと熱が下がってしまうあたり、娘は基本的に健康な子なのだなぁ……と感心させられた。高熱でも食欲があるところも。誰に似たのか、ありがたい。今日はバタバタした2日間について書きたいところなのだけど、それ以上に書き記したいことがあるので、そのことについて書いとおこうと思う。

一昨日。大阪は前日に雨が降ったため路面はじっとり濡れていた。最寄の児童公園は水はけが悪くて、娘が乗りたがっていたブランコには大きな水たまりになっていたので、歩いて20分ほどの公園まで遠征することにした。その公園は図書館へ行く散歩道の途中にある少し大きな児童公園。最寄の児童公園よりも整備されているので、あそこなら大丈夫だろうと。

目的地の公園へ行く途中、道端に公園とも空地ともつかない小さな広場がある。そこには何故か古びた鉄製の滑り台があった。滑り台の横にはベンチが1つ。滑り台とベンチしかないその場所は娘と私のお気に入り。その場所は木々に囲まれていて、いつ訪れても人がいないので、私達はその滑り台を「秘密の滑り台」と呼んでいた。一昨日も娘は公園へ行く途中で「秘密の滑り台」で少しだけ遊んでいくつもりで、意気揚々と歩いていった。

ところが。秘密の滑り台のあった場所は工事のフェンスで囲われていた。なんでも宅地開発するため、滑り台は撤去されるとのこと。娘、涙目。3歳なりに事の重大さは理解したらしく、私になだめられつつ目的地の公園へ行ってからも「秘密の滑り台が無くなっちゃうんだって」と何度も何度も呟いていた。どうやら娘は秘密の滑り台が撤去されるのがショック過ぎて遊ぶ気になれないようだったので、とんぼ返りで撤収することにした。

帰り道、再び秘密の滑り台のある場所に行って、工事現場の作業員さんに事情を説明手して「最後に写真を撮らせてもせえませんか」とお願いしてみた。作業員さんのご厚意で私達は工事のフェンスの中に通されて、秘密の滑り台と一緒に写真を撮った。娘も哀しいなりに納得したらしく「ありがとう。バイバイ」と滑り台に手を振って、作業員さんにお礼を言って帰宅した。

娘は帰り道「秘密の滑り台はお父さんとお母さんの待ってるお家へ帰るんだねぇ。工事のおじちゃんが連れて行ってくれるのかな」と話していた。流石に「いやいや。あれは廃棄処分でしょう」とは言えずに「そうだねぇ。子ども達といっぱい遊んだから、疲れちゃったんだろうねぇ」と言っておいた。

秘密の滑り台の撤去は娘にとって哀しい出来事だったのだけど、私も少し哀しかった。あの滑り台は娘がヨチヨチ歩きの頃から親しんでいた場所だったのだ。「秘密」という名に相応しく、静かで気持ちの良い場所だった。娘が幼稚園へ行くようになったら、今までのようには来られないだろうなぁ……と思ってはいたのだけれど、まさかもう2度と遊べなくなってしまうとは。秘密の滑り台の撤去は娘の赤ちゃん時代との決別の象徴のように思えて、少し泣いた。

日本人にとって3月、4月は区切りの季節なのだなぁ。

秘密の滑り台の撤去は残念だったけれど、ちゃんとお別れが出来て写真が撮れたのは幸いだった。作業員さんのご厚意に感謝。もう2度と遊ぶことは無いのだけれど、秘密の滑り台の思い出は心の中に仕舞っておこう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2011年03月07日(月) 梅。パン。予防接種。仏陀。

この週末はなかなか楽しく過ごさせてもらった。

お雛様を仕舞ったり、地元の天満宮に梅を見に行ったり、パン職人になった同級生が大絶賛していたパン屋さんへ電車に乗ってパンを買いに行ったり。3月に入ったと言うのに、大阪はけっこう寒くてパッっとしないお天気だったけれど、家族で充実した時間を過ごすことが出来た。

そして週明けの月曜日は娘の予防接種へ行ってきた。これで幼稚園入園までに受けておきたい予防接種はひと通り受けたことになる。それにしても「楽しく週末を過ごした後の月曜日」って、どうしてこんなにダルいのだろう。娘は予防接種の加減か午後からグダグダだったし、私も娘に付き合って草臥れたのか、週末に張り切り過ぎた疲れが出たのか、娘が寝たとたん「もう何もしたくない」というほどグッタリしている。本当なら週末のことを色々と書いておきたかったのだけど、そんな気力はどこにも無い。

ツイッターで「あなたへのおすすめ」で上がってきた『budha_bot』をフォローしてみた。仏陀の言葉が定期的にツイートされてくるのだけれど、私はかつて仏教系の女子高に通っていたので、その言葉の数々はいちいち懐かしく感じられる。学生時代は右から左へ聞き流していた言葉が、この年になってみると「えぇこと言うてはるわ……」と心に染みるから不思議だ。年を重ねるごとに惰性に流される傾向にあるの私にとって、良い刺激になりそうだ。

大阪は明日も寒いとのこと。「外遊びキツそうだなぁ……」と今から軽く憂鬱になっているのだけれど「いやいや。娘と平日の昼間にに暢気に公園で遊べるのも、あと少しだから頑張ろう」と自ら叱咤しつつ、きょうの日記はこれにてオシマイ。


2011年03月04日(金) 春の雪。

今日はやけに寒いなぁ……と公園で震えていたら雪が降ってきた。春の雪って風情はあるが、風情を感じられるのは室内限定のお話。昨年の今頃は白い木蓮の花が咲き初めていたのだけれど、今年はまだまだ咲きそうにもない。心底、春が待ち遠しい。

私はサイト名にしてしまうほど白い木蓮の花が好きで「白い木蓮の花を見ると白蓮さんを思い出します」と言ってくれる人がいる。照れ臭いけれど、ちょっと嬉しい。誰かに気にとめてもらえるって、ありがたい事だと思う。私にも、誕生日やなんかを「祝ってもらって当たり前」だと思い上がっていた時期があったのだけど、年を重ねるごとに「自分や自分の家族以外のこと気にかける」ってことが、どんなに大変なことかを感じるようになった。

生きていると楽しいことも多いけれど、大変なことだって相当多い。目の前にぶら下がっていることを処理していたら「アッっと言う間に1年が過ぎてしまった」なんてことだってあるのだ。そんな中で自分以外の人間について心を配るのは難しい。私もそういう時期があり、忙しいながらもどこか寂しい気持ちを抱えつつ暮らしていたことを、ふと思い出してしまった。

それにしても、ここ数日の寒さには参るなぁ……。

また少し暖かさが戻ってくるとのことだけど「いっきに春が来ないものか」と短気なことを考えてしまう。春は確実にやってくるのに何を焦っているのやら。春の雪だって今シーズン最後の雪だと思えば愛しく感じられたのかも知れないのに。こういう感覚って今の精神状態と直結しているように思う。成果を性急に出したがるのは私の悪い癖だ。あまり焦らずボチボチいこう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2011年03月03日(木) 雛祭り。燃え尽きた。

3月3日。雛祭り。

今朝は午前中から夕食の仕込み。献立はチラシ寿司、はまぐりのお吸い物、菜の花のお浸し、野菜のかき揚げ。デザートには苺ゼリー。デザートの苺ゼリー作りは絵本の影響でゼリーを作りたがっていた娘にも手伝ってもらった。私は朝っぱらから一人でてんやわんやの大騒ぎ。私がバタバタする横で娘は積み木を積んで家を作り人形ごっこなど。

9時20分に家を出て市が主催の子どもダンス教室へ。娘は4月から幼稚園へ行くので、0歳から未就学児対象の幼児教室へ通うのもあと数回。思えば親子でよく遊んだものだ……とシミジミ。楽しい時間を過ごさせてもらった。

帰宅して昼食。午後からは娘に手伝ってもらっちチラシ寿司作り……と言っても、午前中に準備しておいた具を寿司飯に混ぜたり、トッピングするだけなのだけど。それでも娘には「自分で作る」のは楽しかったらしい。「桜でんぶって、桜のお花の色と同じだから桜でんぶなのね」と、しきりに感心していた。

チラシ寿司を作った後、娘の髪を簡単にまとめて七五三で買った着物を着せて写真を撮った。ひなまつりの歌を歌いながら娘は超ご機嫌。娘が「草履を履きたい」と言うので、自宅周辺をウロウロ。近所のご隠居様から「可愛いわねぇ」と褒められて娘のテンションは最高潮。そして着物を脱ぐ段になって号泣。なんとか言い聞かせて脱がせたけれど「晩御飯食べてからまた着てもいい?」とか「お風呂入ってからまた着てもいい?」などと必死で交渉する娘はとても可愛かった。もちろん交渉には応じられなかった訳だが。

そして渾身の夕食は実に美味しかった! 菜の花のお浸しなんて子どもには無理じゃないかと危惧していたのだけれど、娘は菜の花のお浸しも喜んで食べていたし、はまぐりのお吸い物も気に入った模様。自分で作ったチラシ寿司も美味しかったらしい。野菜のかき揚げもパクパク食べていた。子どもって。どうしてあんなに揚げ物が好きなのだろう? ともかく今日は夕食を食べさるのが楽ちんだった。いつもこれくらい頑張って食べてくれると嬉しいのだけどなぁ。

今日は全力をもって雛祭りの1日を過ごすことが出来て満足している……と同時に軽く燃え尽きた。チラシ寿司とか苺ゼリーとかの写真を撮ってアップしようと思っていたのに、そんな余裕はどこにも無かった。しかし娘の写真とビデオは撮ったので良しとしよう。

昨年の雛祭りの時、娘はイヤイヤ期の絶頂ではチラシ寿司を作らず、雛祭りらしいことはしなかった。それが今年はチラシ寿司を作り、娘もちゃんと理解して雛祭りを楽しむことが出来たのだ。子の成長って嬉しくありがたいものだなぁ……。娘の健やかな成長に感謝しつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2011年03月02日(水) ダンゴムシ生活。

今日は恐ろしく寒い1日だった。日差しが出たかと思えば冷たい雨がパラついたり、突然突風が吹きつけてきたり。

午後からの公園で突風に遭遇。娘はキャッキャ言って喜んでいたけれど、私の方が挫けてしまって1時間で帰宅した。寒さがピークの時でも1時間半は外で遊んでいたのに、一度暖かさを知ってしまうと今日くらいの寒さでも耐え難いとは。人間の本質そのものだなぁ……なんてことを思う。

そう言えば年明けからボールペン字の練習に励んでいたのに、体調を崩してすっかり練習をサボってしまっていた。2月中は娘が寝た後にボールペン字の練習をする気力なんて、どこを探しても無かったのだ。ボールペン字に限らず、色々な事柄が停滞していた。読書にしても、友人との交流にしても、内に籠ってばかりで思えばダンゴムシのようだった。そろそろ本来のペースに戻していかなくてはなぁ……と思いつつ、まだちょっとエンジンがかかっていない感じ。

ようするに私は今の自分自身に少しイライラしているのだけれど、むしろイライラ出来るようになったことを喜ぶべきなのかも知れない。

ダンゴムシのように内に籠っている私とは対照的に、娘の成長は目覚ましく毎日楽しそうで羨ましい限り。親子関係って、ちょっと恋愛関係にも似ているように思う。毎日、娘にときめかずにはいられない。愛し過ぎるよ…娘。

明日のお雛祭りはどうしようかと思案中。午前中は市の子どもダンス教室があるので、午後からしか動けないのだけれど夕食以外にも、何か少しでもお雛祭りっぽい事をしたいと思う。まぁ…これは私のやる気次第。今日の公園のように突然挫折してしまう可能性は大。

明日も寒いとのこと。色々と挫け気味だけど、頑張って行こう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2011年03月01日(火) 楽しいことも、そうでないことも。

昨日は楽しい話ばかり書いたので、今日は楽しくない話も書いておこうと思う。

2月はずっと体調不良を引きずっていて、寝込んでいたり、寝込まないまでも「1日を無事に過ごすのが必至」って感じだったのだけど、それと並行して厄介な出来事もあった。今月、18日に義母が膝の手術をして3週間ばかり入院するのだけれど、そのことで、ものすごく揉めたのだ。

詳しく書くと愚痴にしかならないのだけれど「出来るだけ協力したくない」スタンスの人がいたり、あるいは「協力したいけれど義母とそりが合わない」人がいたり、その中で義母が「私はこの人に(出来るだけたくさん)来て欲しい」って欲望があったりして、揉めに揉めた。手術と言っても治るのが分かっている手術で、入院と言ってもたかだか3週間。どうして、こんなに揉めるのだろう……と、私自身も関わっていることなのだけど、不思議で不思議で仕方がなかった。

ゴタゴタしている中で最も驚いたのは、こんな大切な相談事を進めている最中に嘘をつく人がいたって事実だ。人間、誰しも嘘はつく。だけど、ああいう場面で…しかも近親者内では真面目に話をするのが当たり前だと思い込んでいた私は、コロッっと騙されてしまった。「まさか私がこんなことで騙されるとは…」と、詐欺にあった人のような気持ちを味わった。夫は「白蓮さんが妻で良かった。キレたり怒ったりする人じゃなくて助かるよ」と言ってくれたけれど、キレる云々以前に心底吃驚した。カルチャーショックと言うか「価値観とか考え方は人それぞれ違うものだ」ってことを、改めて思い知らされた。

まぁ、でもとりあえず話はまとまったので、あとは流れに乗って進んでいくだけ。「それはそれ」として、頑張っていこうと思う。

そして、もう1つ楽しくない話。またしても町内会で重い役員が当たってしまった。一昨年は副会長だったけれど、今年度は会計。自分のクジ運の悪さに乾杯! 私の住んでいる地域では役員を2回勤めたら、しばらくはクジに参加しなくても良いので、それを励みに頑張ろうと思う。娘がいなくて夫婦共働きなら「町内会には入りません」って選択肢もアリだとは思う。しかし娘がいると、娘が地域の人にお世話になったり迷惑をかけたりすることだってあるはずなので、楽しいことでは無いけれど町内会の仕事はちゃんとしようと思う。

そんなこんなで2月は気鬱なことも、それなりにあった。しかし今日からは3月。気持ちを切り替えていきたいと思う。今日は1日雨だったけれど、桃の花を買ってきて飾ったり、家の中でちまちまと用事をしたり、娘と遊んだりして楽しく過ごした。そして体調が回復しつつあるってことが何よりも嬉しい。楽しいことも、そうでないことも、ちゃんと取り組んでいこう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


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