白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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当日記は移転しました。下記で更新を続けています。
引越し先 白い木蓮の花の下で


2009年10月30日(金) おかんアート

今日、娘が初めて私のことを「かーたん(おかーさん)」と呼んでくれた。胸キュンだった。

最近、娘はお喋りが上手になってきていて、毎日新しい言葉が増えている。「ばーちゃん(おばーちゃん)」は言えるようになっていたのだけれど、肝心の「おかあさん」はなかなか呼んでくれないなぁ……と思っていたら、今日ついに呼んでくれた。可愛い……可愛過ぎる。

娘が「かーたん」と呼んでくれたから奮起した……って訳ではないのだけれど、今日は娘を連れて電車で手芸店へ行ってきた。我が家の周囲にはまともな手芸店が無くて、手芸用品を買うとなると電車に乗って出掛けなければならない。ウロウロしたい盛りの娘と2人で手芸用品を買うだなんて冒険だなぁ…と思っていたけれど、娘も案外大人しくしてくれていて、なんとか用事を済ませることが出来た。

唐突に手芸用品を買いに行ったのは私が「おかんアート」に目覚めてしまったからだ。

私の市では保育園で未就園児を遊ばせてくれる催しがあるのだけれど、そこで「お母さんが作る手作りおもちゃ」を教わった。1つは牛乳パックで作る手叩き人形。もう1つは牛乳パックで作るママゴト用のケーキ。ケーキは9個作るとホールになって「お誕生日ケーキ」に昇格するとのこと。

保育園では子供達と一緒に作るので、落ち付いて作れなかったし、基本的に「余りの材料」で作ったのでお世辞にも出来が良いとは言えないけれど、作るのは楽しかったし、娘もとても喜んでくれた。娘が喜んでくれるのを見て「よし。ここは1つ可愛らしいお誕生日ケーキを作ってやるか」と不器用なくせに、おかんアートに目覚めてしまった。ケーキ1個分ならハギレでも出来るけれど、9つ作るとなると、流石にハギレだけでは対処できないので、材料を買いに行ってきた。

実は既にコツコツは牛乳パックを集めて土台のケーキ作りをはじめていたりなんかする。私は決して器用な方では無いけれど、娘が寝た後でする工作はけっこう楽しい。最後まで頑張って作り上げることが出来るかどうかは怪しいけれど、秋の夜長のお楽しみとしてコツコツ作っていきたいと思う。今日もこれから作業するつもり。早く仕上げて娘の喜ぶ顔が見たいなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。

左はアンパンマンが手(?)を叩く人形。右が苺ケーキ。苺のケーキを9つ作ってホールにする予定。








2009年10月28日(水) 無駄遣いしたい…

夕方、娘と散歩をしていたら唐突にスタバで何か飲みたくなった。

私は珈琲よりも紅茶が好き。なので外で珈琲を飲むときは、ちゃんとした喫茶店で雰囲気を楽しむか、もしくはセルフ形式の珈琲店で「珈琲だかデザートだか分からない甘い飲み物」を飲むのかの2択になる。セルフ形式だとスタバよりも、むしろドトールの方が好き。スタバだと紙コップに入って出てくるけれど、ドトールだ陶器のカップに入って出てくるってのがその理由。

しかし時折、猛烈にスタバへ行きたくなることがある。それは「理由は分からないけれど無駄遣いしたい時」だ。

スタバで飲み物を飲むのって割高だと思う。セルフで紙カップに入っているのに、あの値段は高過ぎる。雰囲気料なのだとは思うのだけど、同じ料金を払って飲み物を飲むなら、マスターが珈琲を淹れてくれる喫茶店へ行きたいと思う。

だけど……だからこそ「無駄遣いしたい」気分の時はスタバがいい。ムダ遣いレベルで言うなら、スタバなら良心もお財布も大きく痛まないし、それでいて店を出る時に「なんだか無駄遣いしちゃったなぁ……」と実感することが出来る。

結婚後も自分自身が働いている時は、けっこう気儘に暮らしていたが、娘を産んで専業主婦になってからは、すっかり地味暮らしが板についている。それはそれで楽しいし、特に不自由は無いのだけれど、時折猛烈に「無駄遣いしたい」と言う衝動に駆られる時がある。ちょっと草臥れている時とか、頑張り過ぎた感がある時とか。スタバで甘いカフェラテなど飲んで、一息ついた後、紙カップを「うりゃ!」とゴミ箱に捨てて帰ったらスッキリするんじゃないかなぁ……なんて。

……とは言うものの自宅近辺にはスタバなんて無いので、今夜は自分でカフェオレを入れて、蜂蜜でも落として飲もうと思う。娘が小さいうちは何かと自由がきかないけれど、それは幸せな不自由さなのだろうなぁ……などと思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2009年10月27日(火) お母さん劇場

娘2歳0ヶ月。イヤイヤ期最前線の娘との生活は大変と言えば大変だけど、毎日楽しくて仕方がない。プンスカ怒ることも多いが、なんだかんだ言って可愛いので頑張れてしまうのだと思う。だが、そんな生活の中で、けっこう深刻に困っていることもある。その1つが娘の偏食だ。

偏食すると言っても「食べないのは仕方ねぇ」と見逃すつもりはサラサラ無い。微塵切りにして味噌汁に入れたり、ご飯に混ぜたりして、たいていの物は大人と同じ食材を食べさせている。だが、いつまでも「分からないから食べている」では困るので、時折「それ」と分かる形で食卓に乗せるのだけど、その場合は食べさせるが半端無く大変。

褒めてみたり、脅してみたり。様々な手段を用いて娘の口を開けさせようとするのだけれど、なかなか上手くいかない。が、最近高確率で食べてくれる方法を見つけた。それは「お母さん劇場」だ。娘が嫌がる食べ物の絵を描いたり、あるいはズバリそのものを娘の前に持ってきてお芝居さながらに語り聞かせるのだ。

今日は食卓にキャベツが丸ごと登場した。

「このお料理の中には僕の仲間がいっぱい入っているんだ。食べてくれないと悲しいなぁ」
「僕、食べてくれなかったら冷蔵庫に帰らなきゃいけないんだ……さぁ、大きくお口を開けておくれよ」
「ありがとう! パクパク食べてくれて嬉しいよ。僕たち、これで仲良しになれたね」

……などと、超本気モードで娘の前で芝居をするのだ。今日も娘はキャベツに頬ずりしたり、キャベツを「いい子。いい子」と撫でたりしながら、最初は嫌がっていたキャベツをパクパク食べた。もっとも、このお母さん劇場が通用するのは、食わず嫌い等の経度な「いやいや」にしか通用しないのだけど、娘は面白いほど口を開けてくれる。娘が産まれるまでせっせと通っていた「演劇鑑賞」の趣味が、こんなところで役に立つとは思いもよらなかった。

それにしても娘はいつ、キャベツや茄子は喋らない……ってことに気が付くのだろう?

このお母さん劇場が娘に通用するのは今だけなのだろうなぁ。娘がお母さん劇場を見て「馬鹿にしないでよ」と思う日まで、私はガラスの仮面の北島マヤのように、せっせと野菜や肉を演じ続けるのだろうと思う。願わくば、娘がお母さん劇場を見なくなる日までに偏食が無くなっていて欲しいものだ。好き嫌いせずに、なんでも食べてもらいたいなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2009年10月25日(日) ひとあんしん。

やっと娘の熱が下がった。

昨夜は9度台の熱がでて「やっぱり新型インフルエンザだったのか?」とハラハラしたけれど、明け方には熱が下がってくれた。かかりつけ医の診断通り、扁桃腺からくる熱だったらしい。今日は午後から微熱は残るものの、熱は上がっていないので、もう心配はなさそうだ。

昨夜は心配で眠れなかったせいか、今日は午前中にゴロッっと横になったとたん眠り込んでしまった。気がついたら夫が昼食の支度をしてくれていた。夫に作ってもらった五目あんかけうどんは、やたらと美味しく感じられた。娘も喜んで食べてくれていた。

新型インフルエンザも季節性と変わらないのだから、そう心配することは無い……とは言うものの、死者が出たとの報道等があるだけに、ピリピリせずにはいられない。結局のところ死亡率がどんなに低くても、それが当たってしまったらどうしようも無いのだ。昨日まで元気にしていた人が「たかが流行風邪」でコロッっと死んでしまうなんて考えただけでも恐ろしい。新型インフルエンザでご家族を亡くした人達も、よもや自分達がそんな目に遭うだなんて、思ってもいなかっただろう。

どんなことでも自分の身にふりかかってくるまでは実感として感じられないのだなぁ。今回は「もしかして」と思うだけで、いてもたってもいられなかった。

ともかく、これでひとあんしん。今日は私もゆっくり眠れそうだ。娘が元気になってくれて良かったなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2009年10月24日(土) 発熱2日目。

昨日、娘が熱を出した。昨夜から今朝にかけて熱が下がっていたので「これで安心かな?」と思っていたら、昼過ぎからまた熱が上がってきた。大人しくさせるように気を使っているものの、ちょっと元気になるとテンションが上がってしまうのが敗因か?

午後8時過ぎ時点で9度1分。下がってくれるといいのだけれど、改善しないようなら、明日は日曜日も診察している小児科に連れて行こうかと思ったり。昨日「熱が下がらなければインフルエンザの検査をしましょう」との診断で、午前中の時点では熱が下がっていたので再診はしなかったのだけど、こんなことなら再診しておけば良かったと激しく後悔。生まれてこのかた2日も発熱を引っ張ったことが無い子なので心配でならない。

明日の朝までに熱が下がっているよう祈りつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2009年10月23日(金) 娘、発熱。

今日、娘が熱を出した。

午前中は機嫌よく過ごしていて、一緒にプリンを作ったり、実家まで散歩に出かけたりしたのだけれど、お昼前になって突然グズグズ甘えはじめた。と、お隣の人から携帯に電話が。小学生の息子さんが新型インフルエンザになったので町内会の仕事(今期は私とお隣さんは町内会の役員をしている)を助けて欲しいとのこと。ふたつ返事で引き受けて、グズグズする娘を抱っこしてご町内への配布物を配ったりした。

それにしても散歩ブームで歩くのが大好きな娘が抱っこだなんて…今朝はいつもより早起きしたから寝不足かなぁ……などと思いつつ帰宅したところで気がついた。娘がいつもよりポカポカしている。慌てて熱を計ったら8度5分。

あぁ…我が家にもついに新型インフルエンザがやってきた……と覚悟した。

お隣の息子さんは娘よりずっと年上だけど、家の前で遊んでいると、よく娘の相手をしてくれて娘も、そのお兄ちゃんが大好き。ここ数日も接触があっただけに、娘が新型インフルエンザに感染していても不思議はない。慌ててかかりつけの小児科に夕診の予約を入れた。

熱でポカポカの娘は甘えた&我がまま全開。病院へ行くに実家の車を借りたのだけど、我が家からはちょっと離れた駐車場まで自転車にもベビーカーにもリ乗りたくない嫌だと主張して、抱っこで連れて行った。子供って体調を崩すと、何かにつけて手がかかる。

診察の結果、娘は新型インフルエンザではなく扁桃腺が腫れただけでしょう…とのこと。新型インフルエンザは熱が出てすぐだと検査しても反応しないらしく、もし明日も熱が下がらなければ再度受診してくださいとのこと。薬を処方してもらって、帰りにコンビニでゼリーやヨーグルトといった口当たりの良い物を買い、自宅近くの八百屋でリンゴを買って帰宅した。

帰宅後、娘は好物の「すりりんごジュース」を飲み、滅多に食べない甘いヨーグルトを食べ、朝作ったプリンを食べ、おかゆを食べ、熱があるにしては旺盛な食欲を見せてくれた。大量に水分をとったせいか、熱を計ったら7度5分まで下がっていた。この調子だとかかりつけ医の見立て通り、新型インフルエンザの心配はなさそうだ。薬が効いたら熱も下がってくれるだろう。

お隣の息子さんが新型インフルエンザだと言うものだから、すっかり慌ててしまったけれど、軽くすみそうでホッっとした。この週末は家に缶詰決定。熱が下がれば娘は外に出たがるだろうけれど、どうしたものか。娘に「お手伝い」してもらって、オープンで何か作ろうかと思ったりしている。バタバタしていて私もいつも以上に草臥れてしまった。今日は早めに寝ることにしよう……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2009年10月22日(木) 散歩の思い出。

最近、娘は散歩に夢中だ。毎日お昼寝が終わった後、午後3時頃から2時間ばかりかけて散歩を楽しんでいる。

娘には娘の「マイブーム」があるらしく、大型遊具のある児童公園に毎日通っていた時期があったかと思えば、電車を見るために踏切の近くへ日参していたこともある。今は散歩にハマっていて、最近買った自転車にも乗らず自分の足で歩いてあちこち探検にいそしんでいる。

2歳になった娘は今までの赤ちゃんっぽかった歩き方がすっかり影を潜めて、散歩している姿はすっかり子供のそれだ。わざわざ段に上ってみたり、歩道の真ん中を通っている点字ブロックの上をソロリソロリと歩いてみたり、草や石ころを収集したり。私も子供の頃に「この線から外れたらサメに喰われて死ぬ」などと言う、自分ルールを作って歩いた覚えがある。娘がそんなことを考えて歩いているかどうかは謎だけど、彼女は彼女なりの流儀をもって歩いているようだ。

娘の後をついて歩いていると「毎日大変ねぇ」なんて声をかけられることが多い。まあ娘について歩くのは気を使うし、どこに連れて行かれるか分からないし、場合によっては「帰りたくない」とグズる娘を抱き抱えて家まで連行しなければならないので、大変と言えば大変だけど、亡父の散歩の付き合いよりも100倍は楽だなぁ……なんてことを、ふと思った。

父は亡くなる前、肝臓病から脳が委縮して認知症のような状態になり、徘徊するようになった。50代男性が徘徊する後を付いて歩くのは心身共に草臥れたものだ。認知症の人を表現するのに「子供にかえっているのよ」なんて言ったりするけれど、娘の散歩に付き合うようになって、今さらながら「それもそうだなぁ…」と思った。徘徊する父と付き合いも、子育てを経験してからだったら、もっと上手に対応してあげられたのになぁ……と残念に思う。

まぁ…もっとも、あの頃は色々な意味で一杯一杯で恋愛や結婚なんて考えられるような状態では無かったのだけど。

娘の散歩に付き合いながら、父と歩いた日のことを思い出してしまった。ものすごく辛い経験だったはずなのに、今になってみると懐かしさばかりが込み上げてくる。あれはあれで良い時間だったのかなぁ…とさえ思ってしまうほどだ。時間の経過は思い出を変質させていくのがろたか。

娘の散歩ブームがいつまで続くかは分からないけれど、しばらくはせっせと娘の後をついて歩くことになりそうだ。娘との散歩もいつか思い出になるのだろうけれど、今はこの時間を楽しむことに専念しよう……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2009年10月20日(火) 愛を知る。

アイバンクのテレビCMを観ていたら、夫が「このご夫婦、こうやってテレビに出ているけれど、たまらんよなぁ…」と呟いた。

そのCMはお嬢さんを癌で亡くしたご夫婦がお嬢さんの意思を尊重してお嬢さんの角膜をアイバンクに提供した……と言うもの。夫は「子に先立たれるなんて辛すぎる。こんな形でテレビに出ているけれど、辛かっただろうなぁ……」と言う。

なんだか、ちょっと吃驚してしまった。

夫は自分の身近な人間には優しい人だけど、生まれてこの方健康面で苦労をした事がないせいか、身体が弱かったり不自由だったりする人達に対する想像力が欠けているところがあった。結婚後も「なんだかなぁ…」と思うことが多々あっただけに、夫の発言はとて嬉しかった。

深く人を愛すると、その人を失うのが怖くなるものだ。そしてその対象者が恋人や妻(夫)の場合は、自分とある程度対等でいられるけれど、子供となると「自分が守ってならなければ」ということが前提での関係になる。夫は娘を持って、自分が守ってやらなければいけない存在を愛する…ってこと身を持って知ったのだろう。だからこそ、夫はお嬢さんを亡くしたご夫婦の痛みを推し量ることが出来たのだと思う。

愛を知るって、こういう事なのかなぁ……と、ふと思った。

娘が生まれて夫は随分変わったと思う。もちろん私も変わった。ちなみに私が自分で1番変わったと思う部分は、娘が生まれてから色々な意味において自分を大切に出来るようになったことだ。

小さい娘から教えてもらうことの多さに未熟な父と母は戸惑うばかりだけれど、こかれからも愛情溢れた家庭を守っていきたいと思う。そして娘がいつの日か深い愛情を持った人に成長してくれたら嬉しい。1日1日の生活は楽しいことばかりでは無いけれど、大事に過ごしていきたいなぁ……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2009年10月19日(月) 写真。サッカー。新しい服。

この週末は娘の2歳の記念写真を撮りに行ったり、家族でサッカー観戦に行ったりとイベント盛り沢山だった。

以前から楽しみにしていた記念写真はイマイチだった。娘はキラキラのドレスを着てご満悦だったけれど、娘が選んだドレスはバナナやイチゴのついた奇抜な物や、小林幸子ばりの派手派手なもの。私の好みの物も1つ着せてみたものの、そもそも娘は「キラキラのついたドレス」を着るのが楽しいのであって、ポーズをして大人しく写真を撮られるのは好きじゃなかったらしい。カメラマンさんが新人さんだったのもあって、思っていたほど良い写真が撮れなかった。だが、これも「2歳の時の娘」の記念になるだろうと思う。人一倍活発な娘に「大人しく写真撮影」をのぞむ方が無理な相談だったなぁ……と。

夕方はサッカー観戦。夫が会社で貰った招待券で行ったので、素晴らしい席だった。サッカー観戦だなんて、2歳になったばかりの娘にはまだ早過ぎるだろうと思っていて、夫にサッカーを観てもらって、私は娘がグズったら連れ出して外で遊ばせようと思っていたのだけれど……以外にもこちらは外に連れ出すこともなく、娘は最後まで自分の席でサッカーを観ていた。娘はスポーツに興味があるので、フィールドのボールも目で追っていたし、みなで声を出して応援するのも楽しかったようだ。試合終了後、娘は「帰りたくない」と言って、私達の手を振り切って逃げだしてしまったほど。サッカー好きの夫が「また家族で来よう」と喜んだのは言うまでもない。

……とまぁ、この週末は家族行事が充実していたのだけれど、私個人も少し楽しいことがあった。通販で少しばかり新しい服を買ったのだ。娘が生まれてからは買い物をしてもゆっくり選べないので、通販を利用することが多い。新しい服…と言っても、いかにも主婦!って感じの物ばかりで、お洒落とは言い難いのだれど、それでもやはり心躍るも事実。タンスの中を整理したついでに、アクセサリー類を片付けているPC机の引き出しも整理した。汗をかく季節も終わったことだし、アクセサリー類も身に付けるようにしたい。

身の回りが綺麗になるのって気持ちが良い。お洒落な暮らし…とまではいかないけれど、小ざっぱりと暮らしたいと思う。週末は気持ち良く過ごせたことだし、この1週間も頑張っていこう……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2009年10月17日(土) ひとまねこざる

最近、娘は大人の行動をよく観察していて「真似っこ」をするのが大好きで『ひとまねこざる』のようだ。

先日も私が「掃除機をかける」と言ったら室内箒で自分も掃除をすると言うので、娘に室内箒を渡して私は2階で掃除機をかけていた。すると階下で娘がプンスカ起こっている。どうしたのかと降りてみると「チリトリが無い」と娘。私はてっきり室内箒を振りまわして「お掃除ごっこ」がしたいのかと思っていたのだけれど、娘は本気で掃除がしたかったらしい。チリトリを渡すと納得してくれた。しかも娘は私がいつもしているように、PC机から椅子を引き出し、室内箒を机の下に突っ込んで掃いていた。もちろんチリトリを使った後はゴミ箱にゴミを捨てていた。(もっともチリトリの中にゴミはほとんど入っていなかったけれど)

娘は私のすることを詳細に観察して真似ている。嬉しいけれど、いい加減なことは出来なくなってしまった。娘が真似をするのは良いことだけとは限らいない。これからは、私の悪い癖なんかも、どんどん真似していくことだろう。気をつけなくては。

娘と私は別々の人間なので、娘が私のようになる…と思ってはいないけれど、私の行動や考え方は娘に大きな影響を与えるのだと言うことを、改めて思い知らされた。心して娘と向き合わなくては。私は立派な人間ではないけれど、娘の見本となるに恥ずかしくない程度の人間でいたいと思う。専業主婦になって子育てをしていると「私は人として成長が止まってしまったのかも知れないなぁ…」なんて思う事があるけれど、娘の存在を意識して生活していけば、亀の歩み程度でも成長出来るような気がする。

娘の成長速度には遠く及ばないけれど、私も親として…人として成長していきたいものだなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2009年10月16日(金) ほんのひと手間。

今夜は珍しく自分のためだけに紅茶を淹れた。

娘を寝かしつけて夫が帰ってくるまでの時間は、家事をしたりネットをしたりして1人の時間を過ごすのだけど、たいてい何か飲み物を飲む。暑い時は冷たい麦茶が多かったけれど、最近はカフェオレやホットミルクを飲んでいた。しかし今日はカフェオレやホットミルクを飲む気分にはなれなかった。もともと私は紅茶好き。しかしインスタントコーヒーで作るカフェオレは「作るのが簡単」なので、ついついカフェオレばかりを飲んでしまっていた。ポットで紅茶を淹れるのは、入れるのも面倒だし後片付けも面倒だ。なので1人の時は美味しく飲むことよりも、簡単に飲むことを優先させていた。

家族のために食事を作る手間は惜しまないくせに「自分1人のため」となると、どうして「ほんのひと手間」を惜しんでしまうのだろう?

久しぶりに淹れた紅茶は「紅茶って、こんなに美味しかったっけ?」と思うほどに美味しかった。毎日とまではいかなくても、これからはもう少しマメに紅茶を淹れて飲もうと思う。

自分を粗末にしているつもりは無いのだけれど、自分1人の時間は「何して過ごそうか?」と貪欲になり過ぎてしまう。「明日の用事の段取りもしておきたいし、ネットもしたい。おっと、そう言えば雑巾も縫っておかなくちゃ…」なんて考えていると、飲み物にまで手が回らないのが現状だったりする。時間(もしくは睡眠時間を削っても大丈夫な体力)が無限にあればいいのになぁ。

結局のところ自分の中でバランスを取ってやっていくしかないのだろう。私の場合は、あれこれ手を伸ばし過ぎてついつい「休憩」を忘れてしまいがち。大好きな紅茶を飲むための「ほんのひと手間」さえ惜しんでしまうほどに。でも、これはあまり褒められたことでは無い。インフルエンザも流行っているし、ただでさえ風邪のシーズンに入るのだから、もう少しペースを落とし気味で生活していきたいなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2009年10月14日(水) どこへ行っちゃったのかなぁ……

昨日の日記で「日記を書き始めて丸8年になりました」と書いたけれど、日記やHPの区切りの頃は、決まって「音信普通になってしまった人達」のことを思い出さずにはいられない。

私がネットで遊ぶようになったのは10年ほど前のこと。当時はまだ日記もHPも持っておらず、まさに「右も左もわかりません」と言う状態だった。ネット上のマナーも何も知らないくせに、いきがっていた当時を思い起こすと恥ずかしくてならないのだけど、その頃はまだネットでの交流は今よりもずいぷんとスローテンポで進んでいたので、当時の私でもなんとかやっていけたのだと思う。

ネットで遊ぶようになった頃に知り合った人で、今なお交流が続いている人もいるけれど、ほとんどの人と音信普通になってしまっている。この日記を書きはじめた当初「エンピツ」は人気のある日記サイトで、書いている人も多かったせいか、書き手同志の交流が盛んだった。良く切れるナイフみたいな文章を書く人が多かったように思う。

ここや、あるいは友人の掲示板等で知り合って、個人的にメールを交わしたり、場合によっては住所を交換したりしたのに音信普通になってしまった人達は元気に暮らしておられるのだろうか? 「ネット上の付き合いなんて、そんなもの」だと言ってしまえばそれまでなのだけど、親しくしていた人がプッツリと消息を絶ってしまうというのは寂しいものだ。

それだけに長く続けておられるサイトや日記の管理人さんには「続けている」ってだけで頭が下がる。「いつ訪れても、そこにある」と言うのは、なんと安心で心安らぐことだろう。そして私自身も、そうありたいと思っている。

それにしても、みんなどこへ行っちゃったのかなぁ……

もう2度とすれ違う事が無いだろう人達だけど、元気でいてくれると嬉しい。もっとも私にはそれを知る術は無いのだけれど。懐かしい人達のことを1人こっそり思い出しつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2009年10月13日(火) 娘2歳。日記8年。

この3連休中に娘は無事に2歳の誕生日を迎えた。

結婚したことさえ不思議で仕方ないのに、出産して母親になって娘が2歳の誕生日を迎えただなんて吃驚としかい言いようが無い。結婚するのも、出産するのも子育てするのも、女性の生き方とすれば当たり前のことと言えばそうなのかも知れないけれど、私はそういう事とは縁が無いだろうと思っていただけに、感無量だったりする。

娘のお誕生日会は大人の都合でお誕生日の前日に、義母と母と弟を招いてお誕生日会をした。栗入りのお赤飯に、鳥の唐揚、アボガドサラダ…etc。特に栗入りのお赤飯が大好評だった。秋に生まれた娘なので、1品くらい秋の味覚を取り入れて…と頑張ったのだけど、肝心の娘はあまり喜んでくれなかった。お赤飯より白米の方が良かったようだ。お誕生日ケーキは弟が持ってきてくれた。娘の好きな果物(バナナ、桃、苺)がたっぷり使ってあって、テディベアのチョコレートが飾ってあった。娘はケーキのろうそくを「ふーっ」と消して、自分のためのお誕生日ケーキを堪能した。

娘は沢山のお誕生日プレゼントを貰った。父母&両おばあちゃんからは自転車を。母方のおじちゃんからはお人形のベビーカーを。そして父方のおじさん一家からは知育系の玩具を。私の友人達からは自動演奏付きの子供向けキーボードを。新しい玩具が増えて、娘はお誕生日以降、毎日新しい遊びに余念が無い。

沢山の人からお祝してもらって娘は幸せな子だと思う。でもそれは私目線でそう思うだけであって、実際娘はどう思っているのだろう? 私と夫の間に生まれてきて良かったと思ってくれていると嬉しいのだけど。なかなか至らない事の多い父母だけど、娘の幸せを心から願って日々努力しているつもりだ。

娘は2歳になった訳だが、この日記はこの10月で丸8年書き続けたことになる。日記を書きはじめた頃は色々な意味で辛い時期だった。当時のことを振り返りつつ、今まで書き続けられた幸せと、この場を通じて出会った人達との繋がりに感謝せずにはいられない。

娘の健やかな成長と、日記を8年書き続けられたことに感謝しつつ今日の日記はこれにてオシマイ。


2009年10月09日(金) 娘に願うこと。

娘は明後日2歳のお誕生日を迎える。

明日はお昼間に両方のおばあちゃんを招いてのお誕生日会をする予定。お誕生日会と言っても娘の好きな食べ物(鳥の唐揚、小芋の煮物等)にお赤飯とケーキを並べる程度。お赤飯は家で炊くのだけれど娘が食べてくれるかどうかは微妙なところ。何しろ昨年はまだ離乳食を食べていて、娘がお赤飯を食べるのは明日が生まれて初めて。白いご飯も用意しておかなくちゃなぁ。

今日は公園でとても嬉しいことがあった。

娘が動物の形をした遊具で遊んでいたら娘より小さな女の子(1歳2ヶ月)がやってきて乗りたそうな顔をした。「順番してあげたら?」と言ってみたものの、娘もまだ乗ったばかりだったので「いや!」と拒否。まぁ、それもそうだろう……と思ったので違う提案をしてみた。「AちゃんはY(娘の名前)より小さい赤ちゃんだから、順番とか分からないの。だから順番して代わらなくてもいいから一緒に乗せてあげようか?」きっと拒否されるだろうと思っていたのだけれど以外にも「はい」と素直な返事が返ってきた。なので、娘の後ろにAちゃんを乗せてみたところ、娘は私が思っていなかった行動に出たのだ。

娘はAちゃんの首を抱くようにして手を回すと、頬ずりをしてAちゃんの頭を撫でたのだ。そして仲良く2人で遊びはじめた。

娘には「Yより小さなお友達や赤ちゃんには優しくしようね」と事あるごとに言い聞かせてきたけれど、あんな事が出来るとは思ってもみなかった。娘の行動は私が娘にしているのと同じだったので、娘が優しい子…と言うよりは、むしろ「ごっこ遊び」の延長のようなものなのだとは思うけれど、それでも親としては小さい子を邪険にしたりしなかったって事だけでも嬉しかった。もう少し前の娘なら、一緒に乗ろうという提案も泣いて拒否していただろう。

娘には雑草のように強い心と、自分よりも弱い立場の人をいたわる優しい心を持った人に成長して欲しいと思う。親としては生き辛い世の中を逞しく生き抜く強さを願うのだけど、それと同時に自分に恥じない生き方をする人…優しい人であって欲しいと願わずにはいられない。

2歳のお誕生日を前にして、娘の成長の一端を垣間見ることが出来て今日は本当に嬉しかった。これからも健やかに成長して欲しいものだ。そして……私はそろそろPCの電源を落として明日の仕込みをしなくては。明日は楽しい1日にしたいなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2009年10月07日(水) 台風の夜

大きな台風が通ると言う。秋雨前線と相まって大雨の恐れがあるとか。

ここ最近、私の住んでいる大阪では台風の影響をほとんど受けていない。大雨だってご無沙汰している。なので警戒しなければならないって事が嘘みたいな気がしてならない。侮っている訳ではないのだけれど「ピンとこない」という感じ。

しかし夕方から雨が酷くなってきた。娘を寝かしける時、激しい雨音を聞きながら「家があるって幸せなことだなぁ」と、しみじみ思った。夕方以降は外に出ていないので分からないけれど、今夜の雨は「冷たい雨」ではなかろうか。冷たい雨の降る夜「室内にいて雨音を聞く」とか「帰る家がある」って、それだけで無性に幸せな気分になる。今は専業主婦でい家にいるけれど、働いている頃、冷たい雨の降る日は足早に歩きながら「あったかいお風呂に入りたいなぁ」なんて事を思いながら、いつも以上に帰る家のあるありがたさを実感したものだ。

暗い夜に冷たい雨の中を歩いていたらそれだけで哀しくなる。そして、冷えた身体をお風呂に入ってあたためて、温かい食事をしたらそれだけで幸せな気分になる。人間って複雑なようでいて、存外単純に出来ているらしい。少なくとも私はそうだったし、今でもそうだ。

今回の台風は日本を縦断するかも知れないとのこと。被害が大きくならないと良いのだけれど。自分が被害に遭うのは嫌だし、友人や知人がそういう目に遭うのも嫌だ。そんなに心配することは無いのかも知れないけれど、無事に週末を迎えられますように……と思う。

大雨のおかげで夫は珍しく早くに帰宅出来そうとのこと。そろそろPCを落として夫の食事を温めなおさねば。いやいや、今日はお風呂の用意を先にした方がいいかも知れないなぁ……などと思いつつ今日の日記はこれにてオシマイ。


2009年10月06日(火) 現実を離れる。

今週は週明けからずっと雨とのこと。明日も明後日も雨で金曜日には上がるとか。遊び盛りの娘をどうやって家に閉じ込めておくか頭が痛いところだ。

スーパーの子供コーナー、保育園の育児支援、図書館……室内で遊べる場所もあるにはあるが「公園」とか「散歩」に較べればパンチに欠ける。雨の日にはお菓子作りをするのにもって来いなのだけど、それも娘がお昼寝しない時限定の行事。(お昼寝してお菓子を焼いていたのではオヤツの時間が夕方にズレ込んでしまうため)お絵かき、ままごと、絵本、風船……あれやこれやと「お母さんプロデュース」で退屈の虫を撃退している。

そんな娘と私が最近ハマっているのが浴室でのしゃぼん玉遊び。夕方、浴室でしゃぼん玉をしてそのまま入浴してしまうのだ。娘はこの夏、しゃぼん玉をマスターしたところなので、しゃぼん玉が楽しくて仕方ないらしく「プワプワ〜」と言いながらご機嫌で遊んでくれる。娘だけでなく私も本気で楽しかったりする。浴室は無風状態なので大きなしゃぼん玉を作ることが出来るのだ。娘そっちのけで大きなしゃぼん玉作りに熱くなってしまったりして、ささやかながらも楽しい時間だ。

浴室という閉ざされた空間にしゃぼん玉が飛ぶ光景は現実離れしていて、ふと自分を見失いそうになる。明け方に見る夢のような……そんな感じ。

1日のうちに一瞬でも現実を離れるような時間があるのは良いことだと思う。コツコツと積み重ねていく日常は楽しいことばかりじゃない。だからこそ、人は何がしかの気分転換をしてバランスを取りつつ暮らしているのだろう。

それにしても明日は何をして過ごしたものか。娘がお昼寝をしないならパンでも焼きたいところなのだけど。もっとも、今から考えてもどうにもならないので、明日のことは明日になってから考えるって事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2009年10月05日(月) ゴミ箱戦争

私の住んでいる地域では今月からゴミの分類が複雑になった。

今までも分類はしていたのだけど、それ以上に細かく分けることになったのだ。周囲では早い時期から「ゴミ箱を買い変えなきゃ」って話で持ちきりだったのだけど、私は「分類をはじめてみてからでいいかなぁ……」とのんびれ構えていた。実際、新しく増える物がどれくらいの容量になるのか見当もつかなかったので「最初のうちは分類だけして1つのゴミ箱に複数の袋を入れておけばいいだろう……」と思っていた。

だが、実際に分類をはじめてみると新たに加わった「包装プラスチック」という項目のゴミは私が思っていた以上に量が多くてかさばるものだった。我が家はペットボトルで飲み物を買わないので、ペットボトルにっては問題無かったのだけど「包装プラスチック」は可燃ゴミに次ぐ容量で、ゴミ箱を買い変えないととても不便だと言うことが分かった。実家も新しいゴミ箱が欲しいと言っていたので、金曜日に車で実家の母と娘と私で市内のホームセンターへ行ってきた。

……が、ゴミ箱は品切れ続出だった。

ゴミ箱売り場に「入荷予約受付」なんて紙が貼ってあるのを初めてみた。もっと大きなホームセンターならあるだろうと行ってみたが、そこも状況は同じだった。どうやら我が家は熾烈なゴミ箱戦争に敗北したらしい。辛うじて実家の分は購入出来たが我が家の分は買う事が出来なかった。

仕方がないので土曜日に改めてゴミ箱を探す旅に出た。休日出勤の夫を乗せて大阪市内へ。夫を会社近くで降ろし、娘と2人でゴミ箱探し。大阪市内ならあるだろうと気楽に考えていたのだけれど、1軒目のホームセンターも品切れ状態。半ば諦めモードで車を走らせていたら巨大なホームセンターを発見。はじめて足を踏み入れるお店だったのだけど、そこでやっと我が家の台所に合うゴミ箱を購入することが出来た。

たかがゴミ箱。されどゴミ箱。ゴミ箱に翻弄された週末だった。

ゴミの分類が複雑になったのは大変…と言えばそうだけれど、1つ1つ覚えていくのはけっこう楽しい。ゴミの素材なんて今まで気にしたことが無かったけれど、いちいち表示を確認するようになった。今はまだ表示を見ないとゴミ1つ捨てられないけれど、そのうちヒョイヒョイと捨てられるようになるのだろう。バタバタしたけれど新しいゴミ箱はそれまで使っていた物よりもお洒落なデザインで台所周りがスッキリ見えるようになった気がする。ゴミ捨てのエキスパートになれるよう精進しなくちゃなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2009年10月02日(金) もうすぐ2歳

うかうかしていたら10月に突入してしまった。娘はもうすぐ2歳になる。

ここのところ、娘のことで悩んでいた…と言うか、迷っていたことがあるのだけれど、考えに考えた末に結論を出すことが出来た。来年の4月から娘を保育園に入れて社会復帰しようかと思っていたのだけれど、もう1年一緒に過ごすことにした。これは夫とも相談済みで決定事項だ。

娘を保育園に入れようかと考えた発端は、近くに同じ年頃の子供が少なくて遊び相手に不自由するということ。娘の友達は年上の男の子が多いのだけど、彼らが幼稚園や小学校に進んでいくと娘と遊んでくれなくなるだろう。今は良くても来年…となると遊び相手はますます減ってしまうことが予想される。娘は活発で社交的な子なので「お友達」の中に入って遊ぶのが好きみたいだ。なので、保育園に行った方が思い切り遊べるのではないかなぁ……と思ったのだ。

もう1つは親の都合。私の住んでいる地域でも保育園に入るのは難しいのだけれど「2歳児の4月」と言うタイミングは増員が多くて1番入りやすいとのことなのだ。逆に3歳児で入園するのは至難の業とのこと。そして、そんな話を聞いたのと同時に、元職場から「戻ってこないか?」との話があって、心が揺らいでしまったのだ。正直、仕事は嫌いじゃない。社会復帰すれば経済的にも余裕が出来るし、私自身もお洒落等に力を入れることが出来る。「子供がいても身綺麗で素敵な働くお母さん」なんてフレーズにクラっとしたのも本当だ。

以上2つの理由から、来春から娘を保育園に入れて社会復帰しようかと思っていたのだけれど、結局辞めることにした。

今、娘は「イヤイヤ期」でとても手がかかる。毎日毎日「イヤや〜」の大安売り。公園に遊びに行って帰るのが嫌だと大暴れする娘を、漁師が活きの良いマグロを抱えるようにして、抱きかかえて帰るのなんて日常茶飯事。大きな声では言えないが「子育てを外注に出す(保育園に入れる)方が楽かもね…」と思った事だってある。

だけど…だからこそ今は娘に対して手を抜いちゃいけないような気がした。

元の職場に戻る話は今のチャンスを逃したら無いだろうし、外で働いた方が「女性」と言う意味では綺麗でいられるだろうから、そう言う意味では職場復帰の誘いを断るのは勿体ないように思う。だけど、長い目で見れば幼い娘と過ごす時間はそれ以上に得る物があるんじゃないかと思うのだ。

まぁ……偉そうな事を並べてみたけれど結局のところ「娘は可愛いし、もうちょっとベッタリ過ごしたいな」ってことなのだと思う。

娘の遊び相手の件については、育児サークルや地域行事等に今まで以上に積極的に参加することにして補っていこうと思う。私の仕事の件については勿体ないとしか言いようが無いけれど、これは考えた末の取捨選択なので後悔は無い。

娘の保育園問題でモヤモヤしていたけれど、方針が決まってスッキリした。決まってしまえば後はその道を突っ走るだけだ。明日も活きの良い10キロマグロ…もとい娘を抱えて頑張ろう…って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。

【補足】今回、娘を保育園に入れることは取りあえず辞めましたが、保育園否定派という訳ではありません。あくまでも私と娘のことを考えての判断であって、保育園の楽しさも理解していますし、仕事も育児も頑張っているお母さんは素敵だと思っています。もしかしたら娘も再来年以降に保育園のお世話になるかも…です。


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白蓮 |MAILHP