白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2008年03月31日(月) 金曜・土曜・日曜

金曜・土曜・日曜は日記ネタには困らないほど色々なことがあったのだけど、貧血でグッタリ気味だったので日記を書く余力が無かった。けっこうモリモリ食べているのだけど母乳で持っていかれるのだろうなぁ。生あくびと吐き気にゲンナリする。これ以上酷くなったら通院も考えたいところだけれど、食事療養等、出来るだけ自力でどうにかしたい。

日記を書いていない3日間は娘を予防接種に連れて行ったり、友人が遊びに来たり。小児科では娘と同じくらいの赤ちゃんを大勢見た。娘が1番可愛らしく見えたのは言うまでもない。どの親御さんも「自分の子が1番」と思っておられるのだろう。そりゃぁ、そうでなくっちゃね…と思う。幼子を親が愛してやらなければ誰が愛してやると言うのだ。

遊びに来てくれた友人と会うのは1年以上ぶり。自宅に招くのは初めてのこと。彼女は同じ年の友人なのだけど私にとって妹分的な存在。久しぶりに会ったと言うのにお説教をしてしまった。私とて人に説教をするほど立派な人間ではないのだけれど黙っていられなかったのだ。「ここが頑張りどころ」という場面で必死になれない人をみるとヤキモキしてしてしまう。友人には幸せになって欲しい。だから頑張って欲しい。とは言うものの偉そうに説教をする自分にゲンナリした。お節介甚だしい。

日曜日は家族でお花見に行こうと思っていたのに朝からシトシト雨模様。しかも花冷え。なので家族で家に缶詰。娘がブーブー言うので傘を差して近くのスーパーに行ったのが唯一のお出掛けだった。せっかくの休日なのにあまりにも地味過ぎる…と言うことで、昼食にバナナ入りのスコーンを焼いた。簡易版のスコーンだけど、焼きたては格別に美味しかった。夜は豚肉と野菜の味噌鍋。地味ながらも食事には恵まれた日曜日だった。

そして気が付けば3月も最終日。明日から新年度スタート。専業主婦として家にいると、そういう区切りとは無縁になってしまったけれど、気持ち新たに頑張りたいなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。

写真に撮るとクッキーのように見えるけれどスコーン。全粒粉のホットケーキミックスとバナナを使ったので、やたら茶色い。雨の日の休日…次はパンを焼いてみたい。








2008年03月27日(木) 菜の花の黄色

図書館に予約していた本が届きましたとメールがあったので、午前中はいそいそと図書館へ出かけた。

私の住んでいる市の図書館もこの3月からインターネット予約が始まった。おかげで娘がうまれてから初めて本の予約をすることが出来た。娘を連れて図書館へ行くと「さっさと選んで撤収」が原則なので、書籍情報を検索して、予約して……という時間のかかる作業が出来なかったのだ。待ちかねるようにして友人がすすめてくれていた本と、中山可穂の新刊を予約したのだが、そのうちの1冊が早速届いたらしい。

ウキウキと娘を乗せたベビーカーを押して図書館に出掛けたが生憎と図書館は臨時休館日だった。軽く凹むが本は逃げやしないのだからと自分に言い聞かせてすごすごと退散。せっかくなので買い物をして散歩など。

いまの時期は外を歩くのが本当に楽しい。競い合うように咲いている花や、その花を渡り歩くようにして遊んでいる鳥を眺めるだけでも心が踊る。桜もちらほら咲き始めているし、雪柳はゆらゆらと風にそよいでいるし、沈丁花の花はいい匂いをさせているし、家の中にいるのが勿体無いと思うほどだ。

この時期、日本を代表する花と言えば桜に決まっているけれど、私は桜と同じくらい菜の花が好きだったりする。桜ほど気位の高い感じが無いのが慎ましくて良い。それでいて集団で咲きまくって存在感をアピールする逞しさも素敵だ。最近は菜の花をみるために田畑が広がっている地域を歩くことが多いのだけど、あの底抜けに明るい黄色は人を元気にさせる力があるなぁ……と毎度思う。

慎ましく。そして逞しく。菜の花のようにしっかりと生きていきたいものだと思う。なかなか理想通りにはいかないのだけど、志だけは高くもっていたいなぁ……なんて事を思いつつ今日の日記はこれにてオシマイ。



2008年03月26日(水) シュークリーム

誰だってそんな日があると思うのだけど、今朝は朝から憂鬱だった。

昨夜どうしたものだか娘が夜泣きをしたとか、そのせいで寝不足だとか、腰が痛いとか。お天気がイマイチだとか。その1つ1つは大した問題じゃないはずなのに「なんだか色々上手くいかない」と凹み気味の朝だった。なので今日はシュークリームを焼いてみることにした。鬱々としていたって何も始まらないし。

朝から少しずつ夕食(今日の献立は鯵の塩焼き・小松菜のお浸し・おから・じゃがいもと玉葱のお味噌汁)の支度をする。魚を焼く以外のことは先に片付けておいて、娘がお昼寝をしたところを見計らってシュークリーム作り開始。レシピは毎度のことだけどネットで探したもの。生まれてはじめてシュークリーム作りに挑んだ。

シュークリームは「ふくらまずに失敗した」なんて話をよく耳にするので上手く出来るかどうか心配だったのだけど、レシピ通りに作ったら、想像以上に上手に焼けた。家中に甘い匂いが充満してウキウキした気分になる。カスタードクリームも、ペロリと舐めた瞬間に「うふふっ」と笑ってしまう美味しさ。甘いもを口にすると幸せを感じてしまうものだ。

実家とお隣の家におすそ分け。母と2人でシュークリームを半分こずつ味見をする。初めてにしては素晴らしい出来栄え。朝のうちは憂鬱だったのに、そんなの嘘のように心晴れやかになる。

そんなこんなで今日はシュークリームにかまけて娘を遊んであげる時間が少し短めだった。おんぶで誤魔化した時間もあったりして悪かったなぁ……と思うのだけど「お母さんもストレスが溜まることがあるのよ」と勘弁してもらうことに。お菓子作りは家にいて出来る手軽なストレス解消になりそう。そうしょちゅう作っていられないけれど、これからも、ゆるいペースで何某か作っていきたいなぁ…って事で今日の日記はこれにてオシマイ。

自画自賛のシュークリーム。レシピを作った人に感謝。カスタードクリームは電子レンジを活用したもの。お菓子のレシピが作れる人って凄いなぁ…と感心する。





2008年03月25日(火) 小さな悪意

最近、娘がお昼寝をする時はインターホンのところに「在宅中ですが赤ん坊がお昼寝中なのでチャイムを押さずに声をかけてください」と言う内容の小さな紙を貼り付けている。

赤ん坊を寝かせる……ってのは、育児する者にとっては一大事業。赤ん坊はなかなか寝てくれないし、だからって寝ないと機嫌が悪くなるし。第一、急激な成長過程にある彼らは、大人よりもたくさんの睡眠が必要なので「お昼寝」も大切な仕事なのだ。せっかく眠ったところでインターホンが鳴って台無し……なんて事が何度かあったので、張り紙を出して予防することにしたのだ。我が家は小さいので玄関先で声をかけてもらえれば、どこにいたって充分聞こえる。

張り紙大作戦は良い感じで娘の安眠を守ってくれていたのだけれど、今日は張り紙を出していたにも係わらずインターホンが鳴った。しかも癇症に4度も5度も。せっかくお昼寝をしていた娘はギャン泣き。玄関に出ると置き薬のセールスマン。もちろん丁寧にお断りする。張り紙が落ちてしまっていたのかと周囲を探してみたが、どこにも見当たらず。誰かが剥がして持って行ってしまったらしい。

子供の悪戯だろうと思うし、大げさに騒ぎ立てるほどの出来事では無いのだけれど、こういった類の小さな悪意に遭遇すると「なんだかなぁ」と思ってしまう。積極的に悪いことをするつもりは無いのだろうと思うのだけど「だったら何もしないでいいじゃないの?」と思ったり「その小さな悪意のおかげで迷惑を受けるこっちはたまったものではない」と憤慨したり。

今回のことで1番被害をこうむったのは言うまでもなく娘である。気持ちよくお昼寝をしているところを起こされたら誰だって気分が悪くなるものだ。可哀想だが、これも試練。人が生きていくってことは楽しい事ばかりじゃないのだ。たとえそれが赤ん坊であったとしても。

日中ぽかぽかと暖かくて、お昼寝も気持ちよく出来る気候なのだし、明日は邪魔されることなく娘が気持ちよくお昼寝できるといいなぁ……などと思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年03月21日(金) お彼岸の夜に

彼岸の中日。夫は仕事。しかも夜勤。朝、帰宅した夫が眠った後で、娘を連れて実家にお参りに行ってきた。

実家には一応仏壇があるけれど、仏事には不熱心。お彼岸とお盆にお坊様は来るけれど、ただそれだけのこと。位牌になって仏壇におさまっている亡父も仏事には不熱心だったので、まぁそれもアリかなぁ……と思う。娘は初めて見るお坊様に興味津々。グズりもせずにお経を聞き、がぶり寄りでお坊様の様子を伺っていた。

昼食の最中に娘がグズリ出したので早々に帰宅。帰宅してからは、いつも通りの生活。娘をお昼寝させたり、遊んでやったり。夕食の用意をしたり。再び夫を送り出し、娘を寝かしつけて1日が終了。なんてことのない地味な1日。

娘が寝た後で、NHKのニュースでも観ようかとテレビをつけたら、若年性アルツハイマーに罹った人と、その家族を追ったドキュメンタリー番組が放送されていた。たまたま観たのは父親が若年性アルツハイマーに罹ったご家族の話。うっかり最後まで観てしまい、1人でめそめそ泣いてしまった。

私の父は若年性アルツハイマーではなかったけれど、晩年は肝臓からくる脳炎で、アルツハイマーと同様の状態になってしまったのだ。徘徊したり、凶暴化したり、幼い子供のようになったり。長年一緒に暮らしていた家族が自分の知っているその人ではなくなっていく辛さは言葉には言い尽くせないものがある。人格が変わってしまったのかと思うほどに変貌してしまっても、それでもやはり大切な存在。だからこそ……愛している分だけ辛い。

亡き父のことは、今となっては遠い日の思い出に過ぎない。辛かった日々は過去のことだし、当時感じた痛みも、もはや思い出の中だけのことだ。父のことを忘れたりはしないけれど、今さら掘り返してどうこう思うつもりはない。

お彼岸の夜に父を思い出さずにはいられないような番組を観るだなんて、偶然とは言え出来過ぎだなぁ……と、昨夜は偶然に感謝しつつ父を偲んだ。「あなたの娘は元気でやってます。あの当時はキツイ顔だと言われたものだけど、随分と優しい顔になりました。あなたの孫も生まれましたよ。おかげさまで健やかに成長しています」なんて語りかけてたりして。

昨日は取り立ててなんて事もない1日だったけれど、ある意味においてお彼岸らしい1日だったなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年03月20日(木) 夢はパトロン

朝の食卓で、ひょんなことから夫が相撲に関する薀蓄話をしてくれた。お相撲さんのお給料とか、相撲部屋を維持するシステムとか。夫の話を聞いていて、私は唐突に「タニマチになりたい」と思った。タニマチとは相撲部屋を贔屓にするパトロンのこと。相撲部屋中継などで、上座に座って力士とちゃんこを食べたりしている人達の事だ。

タニマチになって、お相撲さんからチヤホヤされるのはさぞかし良い気分だろう。「たまには若い者に肉でも食べさせてやるか」とて、若い力士を何人か連れて焼肉を食べに行ったりするのは面白いだろうなぁ。そして何よりも素敵なのは、伸びていく若い人を近い場所から見られる……ってこと。

もし、お金持ちになったら何かのパトロンになりたいと思う。

べつに相撲部屋のタニマチじゃなくてもいい。学校へ行きたい若者の援助をするのでもいいし、昔風に画家やなんかのパトロンでもいい。世の中に出て行く若者の支援が出来て、かつ若い人の成長を見ることが出来るだなんて、どんなに楽しいだろう。支援したからって、何かを得られる訳ではないし、支援を上手く利用してくれる人もいれば、無駄にする人もいるだろう。だけど自分が年を取ってから「人が成長する様を愛でることが出来る」というのは、これ以上の贅沢は無いように思うのだ。

今は娘を育てるようになって「人が成長するのを間近で見る喜び」を味わっているのだけれど、娘が育ってしまったらもうそんな機会は無いだろう。そこでパトロンになるのだ。自分も年をとって人生の終焉へ向かっていくその時に、伸びゆく輝かしい生命に触れる……考えてみただけで素敵だ。

もっとも……今のところ私にはお金持ちになる予定なんて無いのだけれど。

朝っぱらから夫を相手に「タニマチも魅力的だけど、奨学金の基金設立とかもいいよね」などとパトロンについて熱く語っていたら、夫から微妙に上から目線で「俺、白蓮さんと結婚して良かったと思うよ」と言われた。まぁ、確かに「パトロンになりたい」だなんて「宝くじを当てて家を買う」って言うよりも、非現実的な妄想ではある。

それはそれとして、これからは「将来の夢は?」と聞かれたら「パトロンになることです」と答えるつもりだ。夢は大きく! 叶うかどうかはともかくとして……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。

おやつに作った牛乳プリン。(写真だと器に牛乳を注いだだけに見えるけれど)蜂蜜ソースをかけて食べるのだけど劇的に美味だった。手作りおやつは安上がりでいいなぁ。娘が成長するまでにレパートリーを増やしたい。







2008年03月19日(水) 言葉を綴る

まだ、少しヨレヨレ気味だけど少しずつ体調が戻ってきたような気がする。寝込んで以来、娘が寝る時間に私も寝ていたのだけれど、昨日は少し元気になったので娘を寝かしつけてから再び居間に戻ってみた。

しかしながら夫は夜勤。夕食の後片付けも終えてしまっていて、取り立ててする事もない自由な時間。久しぶりにテレビでも観ようかと思ったのだけど、そんな気になれなかったので遠くに住んでいる友人達に春の便りを書いてみることにした。

春を待つ頃にお便りしよう……とて、ポストカードを用意してあったのだけど、なんとなく書きそびれてしまっていた。そうこうしているうちに筆まめな友人から春の便りが舞い込んできて、このままでは、せっかく買ったポストカードを死蔵させてしまいそうだと奮起したのだ。

私は元来「物を書く」ことが好きだけど、私の場合その根底にあるものは日記と手紙(メールでも良いのだけど)に他ならない。日記は相手を必要としないので自由気ままに書けるのだけど、手紙となるとそうはいかない。小さなポストカード1枚に書ける言葉は僅かしかなくて、いつも四苦八苦させられる。そして結局、ありきたりな便りを送ってしまうのだ。

だけど私にはポストカードくらいの容量が丁度良いのかも知れない。たとえば手紙を書くとして「この前、○○を食べた時に、あなたのことを思い出しました。前回お会いした時に一緒に食べましたよね」なんて話を切々と書いてしまうと、相手を困惑させてしまうだろう。手紙は近況報告だけでなく「あなたが好きです」というメッセージが滲み出てしまうものだ。なので最近は相手が手紙好き(メール好き)でない限り、長文の便りは送らないようにしている。

たぶん私は「気持ちを察する」のが苦手なのだと思う。言葉にして伝えたいし、伝えて欲しいと願う。どんなに想いが募っていたところで、言葉にしなければ分からない。自分以外の人間に何かを伝えるのは難しい。それでも懲りずに言葉を綴ってしまうのは伝えたいことが一杯あるからなのだと思う。

今夜も数枚ポストカードにメッセージを書こうと思っている。大好きな友人達に良い春が訪れるよう願いながら。そして、いつかまた会える日を心待ちにするのだ。またしても四苦八苦しながらポストカードと向き合いましょうかね……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年03月18日(火) 体調不良

週末から昨日まで熱を出して寝込んでいた。

この冬は熱を出すことなく頑張れていたのに、ここに来て寝込んでしまうとは不甲斐ない。原因は自分でもよく分っている。季節の変わり目だとか、育児疲れだとか、寝不足(最近夜中の授乳回数が多くなった)とか色々あるけれど、ガタッっと体調を崩した1番の原因は「油断」だと思う。

昨年の10月に娘を出産してから、会う人会う人に「この時期の赤ちゃんは風邪を引かさないようにするの大変ね。気をつけてね」といわれたものだが、この冬は娘に風邪を引かさないよう本当に気を使った。ここ数日でグッっと暖かくなって「娘に風邪を引かさず見事に冬を乗り切ったなぁ」と自画自賛的な達成感に浸ってしまい、フッっと気が緩んでしまったのだ。たぶん、それがいけなかったのだと思う。

いわゆる「胃腸にくる風邪」のようで、娘にうつらないかとドキドキしていたのだけれど、幸い娘は元気にしている。寝返りを習得した娘は、翌日には自分で元のポジジョンに戻れるようになり、今ではコロコロと部屋を縦断するようになった。「寝返りがはじまると、しばらくはひっくり返すのが大変よ」と聞いていたのに少し拍子抜けした。

週末は夫がいたから娘の世話をお願い出来たのだけど、ウィークデイはそうもいかない。昨日は1日パジャマのままで食事のしたく以外の家事を放棄していたのだけど、このお天気に娘を2日も家に閉じ込めておく訳にもいかず、今日はモソモソと服に着替えて娘を散歩に連れ出した。

寝込んでいる間に白い木蓮の花はすっかり満開になっていた。嬉しいような少し残念なような。白い木蓮の花は散ってしまいそうな勢いで咲いている。

体調を崩して今日で4日目だけど今回はいまいち回復が遅くて、シャッキリしない。この素晴らしい季節になんてことだ。早いところ身体を治して春を満喫したいものだなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。

今さら感が漂うが、ホワイトデーに夫から貰った花の写真など。チョコレートと小さな花束を貰った。夫曰く花束はオマケとのこと。チョコレートも嬉しかったけれど、花束はもっと嬉しかった。








2008年03月14日(金) 春雨の金曜日

今朝は朝から雨模様。しとしと春雨。

雨の合間をぬって郵便局へ。また降り出すといけないので、娘を抱っこ紐で抱いて、夫の大きな傘を持って出掛ける。雨の匂いのする町を歩きながら、あたたかな春の雨は、なんとなく優しいイメージがあるなぁ……なんて事を思う。あちこちで沈丁花がいい匂い。

郵便局の帰り道、お米屋さんへ立ち寄った。お米を10キロ配達してもらうようお願いする。結婚してからずっとお米はスーパーで買っていた。これまで夫婦で働いていたので、平日は2人も家に居なかったし、お米屋さんのお米は高いというイメージがあったのだ。娘が生まれて私が専業主婦になった今、平日は常に在宅しているし、しかもお米屋さんのお米は高い物ばかりではなく、私達が普段食べている価格帯の物もあった。娘を連れての買い物で重たいお米を買うのは何かと大変なので(5キロずつ買ったり、夫のいる時に買ったりしていた)配達してもらえるなら大助かりだ。

子供の頃、お米はお米屋さんが配達してくれる物だと思っていた。

実家ではいつ頃、お米をスーパーで買うようなったのだろうと思い返す。父が商売に失敗して引越しをしたのがキッカケだったように思う。お付き合いしていたお米屋さんの配達圏外に引っ越してしまったのだ。そして今は新しく家庭を持って、お米屋さんでお米を買うようになったのだなぁ……と思うと感慨深いものがある。

個人商店はスーパーよりも高くて何かと不便という印象を受けがちだけど、それは一部当たっていて、一部は外れているように思う。実際、お米を配達してもらうようになって「便利だなぁ」と思った訳だし。しかし牛乳などはスーパーで買ってしまうのも事実だ。近くに牛乳屋さんがあって配達してくれるのだけど瓶入りの牛乳はけっこう高くて、スーパーで安く売っている牛乳を買ってしまうのだ。

用事を終えた帰り道は途中で雨に降られた。

夫の大きな傘を差して帰宅する。男物の傘は私と娘が2人で入っても充分な大きさ。雨降りは好きじゃないけれど、しとしと暖かい春の雨は嫌いじゃないなぁ……なんてことを思う。なんとなくいい気分で帰宅した。今日は金曜日。楽しい週末を迎えられるといいなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年03月13日(木) 子供返り

ここ数日、お散歩日和が続いている。娘を連れて散歩するため、寒い時期はスーパーに行くついでに遠回り…というパターンが多かったのだけど、ここのところ目的地を決めずに出掛けることが多くなった。

街中ではなく田畑の広がっている地域を歩いている。冬の間は風を遮るものが全く無いので敬遠していた場所なのだけど、暖かくなってきたのでその心配も無くなった。人の多い場所を歩くのも、それ相応に楽しいけれど散歩はやはり自然の多い場所の方が断然楽しい。

畑にはまだ何も植えられていないのだけど、育ち過ぎた大根が地面からニョロリと長く突き出していたり、ナズナが咲いていたりと案外賑やかだ。今日は雑草の茂った畑に首の長い鳥がキーキー鳴きながら遊んでいた。(本当は遊んでいたのではなく餌を捕っていたのかも知れないが)しばらく立ち止まると、独特の鳴き声が気になるらしく、娘は熱心にその様子を眺めていた。

娘を連れて散歩をすると、娘の目線に合わせて歩くので自然と立ち止まる回数が多くなる。鳥を見たり、花を見たり。そういえば私も子供の頃は所在無くブラブラ歩きをしたものだ。草を摘んでみたり、小石を蹴っ飛ばながら歩いたり。他所のお宅の庭を眺めたり。何度となく立ち止まりながら娘と散歩していると、自分が子供返りをしているような錯覚に陥る。

そう言えばそろそろ白い木蓮の花が咲くなぁ。今年は娘と一緒に見上げるのだと思うと幸せでならない。いつか娘に「お母さんが1番好きな花なのよ」と話をすることもあるのだろう。娘とお喋りするようになるのが待ち遠しいなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年03月12日(水) 寝返り記念日

娘、生後5ヶ月と1日。今朝、寝返りを習得した。

ここのところ娘は毎日寝返りの練習に余念が無く、数日中には出来るかも…と思っていたが、今朝、用事をしていて目を離しているスキに1人で寝返りを習得したらしい。気付いた時には裏返しになっていた。

寝返りが出来たのが余程嬉しかったのか、娘は午前中ずっとゴロンゴロン。寝返りが出来たことを「煎餅屋を開店する」と言うらしいけれど、なるほど娘は寝返りは出来ても元に戻ることが出来ないので、寝返りのたびにひっくり返してやらねばならない。確かにそれは煎餅屋のよう。上手いこと言うなぁ…と1人ほくそえんだ。

赤ん坊が生まれて「はじめて」に遭遇するのは赤ん坊を育てている人間の特権だなぁ……と、その幸せをシミジミ感じ入った。娘が喃語を口にした日、声を上げて笑った日、手を口にくわえた日、左足を発見した日。今まで何度となく娘の「はじめて」に遭遇してきているが、言葉に言い表せないほど嬉しいものだ。

娘がはじめて寝返りをした今日。私ははじめて自分でチーズケーキを焼いてみた。最近、夫は仕事が忙しく残業続きなので、彼の好物を手作りしてみようと、にわかに奮起したのだ。実はここのところ「お菓子作り」は私の中でいくつかある課題の1つになっている。

今までお菓子は作るよりプロの作った物を買った方が良いと思っていたのだけれど、娘が生まれてから方針を変えたのだ。娘がもう少し大きくなった時、娘の興味がどこへ向くのか分らないが「お菓子」に興味が向いた時に「お母さんはお菓子作ったこと無いのよ」では格好が付かないな……と。娘がそこそこ成長するまでに、それにりにお菓子を作れるようになっておきたいと思っている。

ちなみにチーズケーキは初めてにしては上手に焼けたと思う。味の方は定かではないが焼く前に舐めた感じからすると美味しいんじゃないかと思う。会うたびにいつもチーズケーキを注文している遠くの友人にも食べてもらいたいなぁ……なんてことを、ふと思った。

娘は寝返りが出来たのが余程嬉しかったようだ。ゴロンゴロンと転がりまくって疲れたらしく、寝かしつけることなく1人でお昼寝してしまった。起きたらまた寝返りに興じる事だろう。せっせとひっくり返させてもらいましょうかね……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。

はじめて焼いたチーズケーキ。家族が少ないので小さな型で焼いてみた。お菓子をオーブンに入れて焼けるのを待っている時間のワクワク感は、おかずを作っている時には味わえない楽しいものだって事を知ったのは、つい最近のこと。






2008年03月11日(火) 拾い癖

今日は朝から暖かく素晴らしいお天気だった。お散歩日和とはこの事だとて、午前中ベビーカーを押して遠くのスーパーへ買い物に出掛けた。

途中、公営住宅の公園脇で鳩がうずくまっているのを発見した。ひと目見て「病気か怪我で飛べないのだな」と思い、捕まえようかと手を出しかけたのだけど、ベビーカーに娘を乗せているので寸でのところで思い止まった。子供の頃なら間違いなく拾っていた。だが野生の動物は伝染病を持っていることも多いのだ。そこそこの年齢ならともかく、娘に接触させるのはマズイ。かつての私がそうであったように、動物好きの子供がきっと拾ってくれるだろう……自分にそう言い聞かせて、その場を去った。

午後から娘はお昼寝。いつもなら2〜3時間眠るのに今日は1時間で覚醒。その後は寝る気配無し。これは無理に寝かせるよりも外に連れ出そう…とて、娘を抱っこ紐に入れて散歩がてら実家を訪ねた。母に娘の顔を見せた帰り道、前方から小さな犬が私に向かって突進してきた。ヨークシャーテリアだった。

「これは姐さん。ちょうど良いところでお会いしました。道に迷って難儀しています。なんとかしてもらえませんでしょうかねぇ」

……と私には犬がそう言っているように聞こえた。実際、迷い犬のようだった。娘を連れている身としては、見ず知らずの犬を拾うのはどうかと思ったが、御指名とあっては無視する訳にはいかない。迷わず犬を抱き上げて周囲に飼い主がいないかどうか見渡してみたが、それらしい人は見当たらなかった。

警察に連れて行くべきかと思ったが、母に聞けば近所の犬事情を知っているかも……とて犬を抱いて実家に戻った。「この辺では見かけない顔だ」と母。実家の前で立ち話をしていると犬を散歩中の人が数組通りかかり「どこの犬だろう…」と顔を付き合わせていたらば、年輩の男性が走ってきて「うちの子です」と一件落着。

飼い主が見つかってめでたしめでたし……だったのだが、よくよく考えてみるだに、いっぱしの大人として、人の子の親として安易に動物を拾うのはどうなのだろうか? 子供の頃から色々なものを拾った。犬・猫・ひよこ・すずめ・カラス……。ついこの間「白蓮さんって拾い癖があるよね。動物も人もすぐ連れて(拾って)くるよね」なんてことを夫から言われたばかりだと言うのに。

娘が成長した時「安易に動物を拾ってきちゃ駄目。もといた場所に返してらっしゃい」と言わねばならない立場の人間なのに、むしろ率先して拾っていそうな予感が。癖というものは、そう簡単には治らないらしい。今後はもう少し自粛した方が良いかなぁ……などと思いつつ、しかし全く自粛する自信が持てないまま今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年03月10日(月) 雑な生活

昨日は娘のお雛様を片付けた。お雛様は3月3日が終わったら直ぐに片付けなけないと「嫁き遅れる」と言うけれど「そんなに慌てて結婚しなくてもいいからね」などと思ったり。娘が独立して家を出るのはずっと先のことだけど、いつか私の手元から離れてしまうのだと想像するだけで、しんみりしてしまった。もっとも親の庇護から飛び出してくれるような人間に育ってもらわないと、それはそれで問題なのだけど。

日曜日はなんだかんだ言って出掛けることが多いのだけど、先週はずっと夫の仕事が忙しかったので、昨日は家でのんびり過ごすことに。いつもは娘のペースに合わせて休みの日も比較的早起きなのだけど、午前9時過ぎまでベッドで過ごした。

睡眠ペースが乱れてしまったせいか、娘は上手にお昼寝が出来なくて1日調子が悪そうだった。反省点は起床時間だけでなく「あのタイミングで寝かしつけてあげたら」とか「あの時、もう少し注意してやれば」とか心当たりが多過ぎて、娘には可哀想なことをしてしまったと反省する。まだ小さい娘にとって「お昼寝」はとても大切なことなのに。

ふと、この頃を振り返ってみるだに、最近では育児にも随分慣れてきて、慣れてきた分だけ雑になっていることに気が付いた。娘が生まれたての時は、娘の変化には最新の注意を払っていたのに、最近では「はいはい。それくらい大丈夫」ってな具合で、何かと適当になっている。育児に慣れるのは良いことだけど、雑になるのはいかがな物かと。

自分自身に対しても雑になっている部分があって、例えば昼食なども娘の相手をしながらだったり、あるいは背負っていたりするのを理由に、随分とお座成りになっていた。お腹を満たすためだけに何かを食べる時、食事は「食事」から「餌」に降格する。私の昼食は、ここのところ毎日「餌」だった。

そんなこんなで昨日は1人反省会。雑な生活を改善しようと意識している。早速、今日のお昼はちゃんとした食事を作った。自分1人のためにポットでお茶を入れるなんて久しぶりのこと。(いつもは作り置きの麦茶か、カフェインレスのインスタント珈琲を飲んでいた)。昼食をちゃんと食べるだけで、なんとなく気持ちが晴れやかになるから不思議だ。

専業主婦という生活は縛りが無い分、うっかりすると怠惰に流されてしまいがちだ。しゃかりきに頑張る必要は無いけれど、日々を雑に過ごしてしまわないように心掛けたい。自分に対しても家族に対しても、丁寧に向き合わねばなぁ……なんて事を思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年03月06日(木) 中国の人

月曜日に家族で出かけた際、研ぎ屋さんへ行った以外にも娘の服を買ったりした後、おやつ休憩がてら地元百貨店へ行った。百貨店だと授乳室やおむつ替えスペースがあるので赤ん坊連れには便利なのだ。

甘い物を食べて休憩した後、ぶらぶらしていたら催し物ホールで中華街物産展だか、中国物産展だかが開催していた。この時期になかかな強気の企画だなぁ…と思ったりもしたが、ずっと前から決まっていた事なのだろうと思いなおす。夫が「ちょっと見ていこう」と言うので、冷やかしがてら覗いてみた。

平日ということもあってか物産展はガラガラだった。よくありがちなタイプの物産展で、中国茶があったり点心を売るお店があったり。働いている人は中国人で日本語が少し怪しい人も。娘を連れてぶらぶら見て歩いていると、とあるブースの男性が向かいのブースの女性に「○○さん、赤ちゃんがいるよ」と声をかけた。呼ばれた女性はブースから出てきて「可愛いねぇ。何ヶ月?」などと気さくに娘をあやしてくれた。「この女性にも子供がいるのだなぁ」と咄嗟に思った。

男性が、わざわざ女性に声をかけて娘を見るよう促したことを考えると、もしかしたら女性は中国に小さな子供を残してきているのかも知れない。NHKの特集などを見ていると、中国では農村部の若い夫婦が子供を親に託して、都会や外国に出稼ぎに行っているとのこと。彼女もまた、そうした人達の1人なのだろうか。

自宅の周囲にも中国の人が多くなった。介護施設で研修生として働いていたり、中小の工場で働いていたり。言葉の分らない国で仕事をするのは、さぞかし大変だろうと思うが、彼らは逞しく日本で生活している。

餃子事件だけでなく、最近は中国というと何かと悪い印象が強いのだけど「国家」でなく「個人」として中国の人と接すると、決して悪い印象は無い。娘をあやしに出てきた女性とて家族を愛し、異国で一生懸命働く善良な人なのだと思う。それなのに、単位が国家になってしまうと、ガラリと印象が変わってしまう。なんだか複雑な気分だ。

物産展では点心を購入し、その日の夕食として夫と2人で食べた。点心はとても美味しかった。国家と個人……難しい問題だと思う。中国製品等に注意する気持ちは変わらないが、個人として中国の人と接する時は違った気持ちで接していきたい。そんなこんなを考えながら、今日の日記はれにてオシマイ。


2008年03月05日(水) 研ぎ屋へ行く

この月曜日は夫が休みだったので娘を連れて買い物等の用事に出掛けた。夫は夜勤があったり休日に出なければならなかったりする事があるのだけれど、平日に動けるというのはけっこうありがたい。

そんな訳で月曜日は懸案事項をいくつか片付ける日になった。嬉しかったのは包丁を研ぎ屋さんで研いでもらったこと。自宅の近くには研ぎ屋さんが無く、以前は研ぎ屋さんの車が定期的に周ってきたのだけれど、いつ頃からか来なくなってしまっていて、包丁を研ぎに出せず困っていたのだ。

その研ぎ屋さんは、私達が住んでいる駅の1つ向こうの駅にあって夫が通勤中に発見してくれた。事前に電話(検索したらHPがあって電話番号を知った)で問い合わせてみたところ「いつでも受け付けられるが現物を見ないと何も言えない」とのこと。そこそこ年輩の男性の声だった。

張り切って店を訪れたが、しかし店は閉まっていて店主は中に居なかった。店の中にはところ狭しと研ぎの道具と色々な刃物が置いてあって、辛うじて人がすれ違えるかどうか…というくらいの狭い店だった。いしいしんじの小説に登場しそうなお店だなぁ…なんてことを思った。「せっかく包丁を持参したのに困ったな…」と話をしていたら「手洗いに行っていたもので」と店主が帰宅。髪の毛が真っ白い老人で、飄々とした仙人のような人だった。

包丁を渡したら「5分ほど待ってもらえば、その場で返せる」とのこと。私達は彼が包丁を研ぐのを見ながら「近くに研ぎ屋さんが無くて困っていた」との話をしたところ、このお店も1年近く休業していてつい最近、再開したとのことだった。店主は研ぎ以外に、新幹線の部品を作る仕事をしていて、そちらの方が忙しかったのだとか。

持参した包丁は店主の手によって、買った頃の切れ味を取り戻し、ピカピカになって戻ってきた。「いい包丁ですね」と店主。「結婚祝いで戴いたものだ」と答えると、店主は娘の顔を見て「私は曾孫が生まれるのが楽しみでね」なんて話をしてくれた。曾孫が生まれるようなお年でもって、現役で仕事が出来るというのは羨ましいことだ。

お礼を言って店を後にした。研ぎの代金は400円だった。私が子供の頃は家の近くに市場があって、市場の中に研ぎ屋さんがあった。当時はもっと包丁を研いでくれる店があったように思う。もしあの店の店主が店を閉めてしまったら我が家の包丁はどこで研いでもらったら良いのだろう? 便利なようで不便な時代になったものだ。

久しぶりに「プロの職人さんの仕事」を間近に見ることが出来て嬉しかった。娘がもう少し物事を分るようになったら見せてやりたい。物を作る…あるいは物を修理する。「物」が出来る過程やメンテナンスの方法は知らないよりも知っていた方が楽しいものだ。良い研ぎ屋さんを見つけられて良かった。これから、何度となくお世話になるだろうなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年03月04日(火) 初節句

日曜日は娘の初節句のお祝いをした。3月3日には1日早いけれど、日曜日の方が何かと都合が良かったので。義母と実家の母を招待する。義兄一家や愚弟にも声をかけたのだけど都合が悪いとのこと。残念。

朝からせっせとご馳走の準備。私がちらし寿司や唐揚などを作っている間、夫は娘を背負ってお掃除など。お客様を招くとなると準備など慌しくて大変だけど、この楽しくもワクワクした感じがとても好きだ。ちらし寿司はお祝いと言うことで、いつも作るのより豪華にしてみた。かに蒲鉾はいつもより多目。錦糸玉子に菜の花に桜でんぶ。いつもは使わないエビをふんだんに入れる。鳥の唐揚はブロッコリーとミニトマトで飾りつけ。それに蛤のお吸い物。

お昼前に義母と実家の母が到着。義母は遠路お雛様ケーキを持ってきてくれた。ケーキを運ぶのは大変だろうから、こちらで準備しようかとも思ったのだけど、せっかくなので甘えさせてもらった。実家の母は立派な苺を持ってきてくれた。

娘をあやしつつ、お祝いの膳を囲んだ。娘の抱っこ要員が沢山いたので、私はゆっくりと食事が出来た。娘は言葉どおり「引っ張りだこ」状態。お婆ちゃん達にかまってもらえて、娘はずっとご機嫌だった。義母は「孫の初節句に呼んでもらうのは初めてだから感激してるの」と大はしゃぎ。思っていた以上に喜んでもらえたようで嬉しかった。義母とは結婚当時は今よりももう少し他人行儀な感じだったけれど、こうやって会うたびに義母との距離が縮まっていくような気がする。

娘が無事に成長してくれて本当に嬉しい……と同時に、ビッグイベントをつつがなく済ませることが出来てホッっとした。娘が産まれた時、何か行事がある時は両方のお婆ちゃんを招いてお祝いしようと夫と話をしたものだけど、今のところスムーズに事が運んでいる。

それにしても。お婆ちゃん達は孫と遊ぶのは「たまに」なので超ハイテンションになっていて、絶好調の娘とハイテンションのお婆ちゃん達のお相手は少々草臥れた。今後もこういう機会は増えていくのだから、パワー負けしないように頑張らねばなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。

ちらし寿司の写真など。豪華な具材を使うとちらし寿司も「ご馳走」って感じがする。普段作るのは田舎風にシンプルなもの。たまには豪華版も良いものだなぁ。





2008年03月01日(土) 言葉の力

今日は以前務めていた職場の同僚から嬉しい知らせを貰った。赤ちゃんを授かりました…とのこと。彼女は結婚5年目。子供好きなのに、なかなか赤ちゃんが授からなくて悩んでいたので、こんなにおめでたいことは無い。

私が妊娠した時、彼女から「いいなぁ。うちは無理かもなぁ」というような言葉を聞いて「そんな事ないって。私はお先に出産するから、その後に続くんだって。今からだったら1歳違いの子供を持つ良いママ友になれるしね」なんて事を言った事を、ふと思い出した。あの時「そうなると良いな」との願いを込めて言ったのだけど、正直なところそんなに上手くいくとは思っていなかった。たぶん、それは彼女とて同じだったと思う。

そう言えば……と思い出したのだけど、夫と結婚する前、恋人と別れた直後、仲の良い同僚に「まぁ、こんな事になってしまった訳だけど、電撃的な出会いとかあって半年後に結婚してるなんて事もあるかもねぇ」なんて話をしたことがある。その時、まだ夫とは出会っていなかったし結婚のアテなど、これっぽっちも無かったのに、その言葉は見事に現実のものとなった。

この2つの出来事は単なる偶然だと思う。だけど、ほんの少しだけ「願い事を口に出して言ってみるって案外効果的なのかもなぁ」と思ったりもする。言葉には言霊という力があると言うけれど、言葉ってのは内に秘めるのではなく外に出してやるのが大切なのかも知れないなぁ……と。言葉の力を信じてみるも悪くない。

そんな訳で今日はお願いごとを口に出して言ってみた。叶うといいなぁ。うむ。

それはそうと、自分が出産して初めて「後輩」が出来たのが嬉しくってならない。うっかり先輩風を吹かせないよう注意しなくては。明日は娘の初節句(1日早いけれど日曜日で都合が良いので)のお祝いで母と義母を招待する。桃の花など飾って少しずつ準備など。明日は朝から張り切ってちらし寿司を作らねばなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


スーパーで買った桃の花セットを活けた。桃が地味だけど気にしない。色紙は知人からの贈り物。娘への贈り物は、自分に何かしてもらうよりも嬉しく感じるから不思議だ。








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