白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2007年12月30日(日) 1年を振り返る

12月30日の朝。夫も娘もまだ眠っている静かな1人の時間。私にとっては貴重な時間なので、今年1年を振り返ってみて2007年の日記の締めくくりにしたいと思う。

今年の大きな出来事と言うと何と言っても妊娠と出産だろう。年のはじめに妊娠が発覚して10月に出産。その間、切迫早産で2ヶ月間安静生活を送った。「ひょっとすると駄目かも知れない」という時期があっただけに、無事に出産出来た時の喜びったら無かった。いまだ嬉しく、ありがたい。娘が可愛くてたまらないのは勿論だが、我が子以外の子供を見ても「愛しくてたまらない」という感情を持つようになった。もともと子供好きではあったのだけど「さらに倍」な感じで愛しい。

妊娠・出産のために仕事を辞めて専業主婦になったのも大きな出来事。本当ならちゃんと挨拶して辞めるつもりだったのが、突然の安静宣告に半ばバッくれる形で辞めてしまい、職場に迷惑をかけてしまったのは残念だったが、仕事に対して未練はない。そして今は専業主婦の生活がけっこう気に入っている。

夫との生活については、今年は夫にただただ感謝。私が安静にしている間、本当によく頑張ってくれていた。大変な時に助け合うのは家族だから当たり前…と言えばそうなのだけど。いままで私は家族間で何かあったとき、いつも「頑張る側」にいて「助けてもらう側」にいる事が無かったのだけど、こういう時は「助けてもらう側」もけっこう辛いんだって事を身をもって知った。この経験は、今後の生活にも役立つんじゃないかと思う。

今年は「周囲から助けてもらう1年」だった。夫や親戚だけでなく友人や知人にも随分と力になってもらった。1人では頑張れないことも誰かの助けがあれば頑張れる……そんな事をしみじみ感じた1年だった。

素晴らしい1年だったと思う。来年も良い年にしたい。具体的に言うならば、来年は小さなことを丁寧にこなす年にしたいなぁ…と思っている。今年1年を無事に過ごせたことに感謝しつつ今日の日記はこれにてオシマイ。

今日で2007年度の日記は最後になります。1年間ありがとうございました。来年もまたよろしくお願いします。良いお年をお迎えくださいませ。


2007年12月29日(土) 嬉しいことの多い1日。

今日はウッカリ寝坊してしまった。明け方の授乳後に2度寝してしまったらしく、目が覚めたら既に夜勤明けの夫が階下で床の拭き掃除をしてくれていた。「白蓮さんが寝坊するなんて滅多に無いから、ゆっくり寝かせてあげようと思って」と夫。朝からとても嬉しかった。

朝食後、夫に娘を託して整骨院へ。夜勤明けの夫に娘をみてもらうのは気が引けたけれど「今年最後だから行っておいで」と言ってくれた夫に甘えることにした。整骨院は丁度、人の途切れたタイミングで待ち時間無く施術してもらえた。お世話になった先生にご挨拶をして整骨院を出た。

帰り道、川沿いの歩道のゴミを拾い集めている御婦人を見かけた。いつも通っている道だけど、最近はいつも娘を乗せてベビーカーを押しているせいか、歩道のゴミなど目に入っていなかったのだけど、よくよく見てみるとポイ捨てされたタバコなど、けっこうゴミが落ちていた。この忙しい年の瀬に、誰に誉められるでもないのにゴミを拾う人がいる。背筋の伸びる思いがした。

午後からは遠くに住む友人が帰省ついでに遊びに寄ってくれた。息子さんにと用意していたミニカーは大成功。息子さんは最近、トミカにハマっているとのこと。しかも私が選んだ引越し屋さんのトラックは、先日引越しに使った会社のものとのこと。偶然にしては出来すぎだと自画自賛。

友人からは娘の出産祝いに玩具を戴いた。少し先の玩具をリクエストしたので、娘が使うのは少し先になるけれど、今から使うのが楽しみでならない。

友人は今年、とても哀しい出来事があったので心配していたのだけれど、すっかり元気になっていてホッっとした。本当はまだ引き摺っているのだとは思うけれど、前向きな…と言うのだろうか。とても穏かで優しい顔になっていた。友人はもう大丈夫そうだってことが今日は何より嬉しかった。

今日は嬉しいことが多い1日だった。夫や娘、友人に感謝。穏かな気持ちで年末を迎えることが出来て本当に嬉しい。今年も残すところ、あと2日。つつがなく1年を締めくくりたいものだなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年12月28日(金) ミニカーを買う

本日は雨のため実家出勤はお休み。朝からのんびりした気分。明日からは何かとバタバタするので、今日は休養日と勝手に決めて娘とグウタラ過ごすことにした。

明日は徳島に住む友人が帰省の帰りに家族で立ち寄ってくれることになっている。小さな息子さんは我が家に来てくれても、きっと退屈するだろうから、何か退屈つぶしが出来るような玩具をプレゼントしたいなぁ……とて、昨日は実家出勤の帰り道、地元スーパーの2階にある玩具売り場に立ち寄った。玩具売り場と言っても、専門店でも百貨店でもないので、玩具の種類が少なくて、玩具に書いてある対象年齢を目安に物色したのだけれど、なかなか「これぞ」と思うものを見つけることが出来なかった。

小さい子供へ玩具を買うのは難しい。子供によって興味を持っている方向が違うので、方向を間違えると見向きもしてくれなかったりする。確か彼は乗り物が好きだったと聞いているので、自動車を運搬するフェリーの玩具と、ミニカー2台を購入した。

ミニカーを真剣に見たのは愚弟が小さかった頃…かれこれ20年以上前が最後。ものすごく久しぶりに見たミニカーは精巧に出来ていて吃驚させられた。色々な車があるものだなぁ。パトカーや救急車は見たことがあったけど、カニクレーンまであるのだもの。仕事をしていた当時に係わっていた建設用の特殊な自動車から、運送会社のトラックまで「無い自動車は無い」くらい発売されているのだなぁ。年甲斐もなく夢中になってしまった。私は取り立てて自動車好き…って訳では無いけれど、ミニカーのコレクターさんの気持ちが少しだけ理解できるような気がした。あんなにも小さいのに、あんなにもキッチリ作ってあると、思わず欲しくなってしまうぢゃないか。

個人的にはカニクレーンと油圧ショベルが欲しかったのだけど、もしかしたら本物を知らないかも知れないので、彼のお父さんが乗っているタイプの自動車と、引越し屋さんのトラック(最近引越しをされたので)の2台を購入した。

心配なのは友人の息子さんが「乗り物は乗り物でも、自動車じゃなくて電車好き」だったりすることなのだが、まぁその辺はご愛嬌と言うことで。気に入ってくれると嬉しいのだけど。

友人と会うのは1年ぶり。互いに家庭を持ち、違う土地で暮らすようになってもこうやって会えるのは嬉しいことだと思う。プレゼントも用意したし明日の準備はバッチリ。楽しみだなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年12月27日(木) 今年の読書

昨夜は娘を寝かしつけた後、久しぶりに本を読んだ。先日買った村上春樹『東京奇譚集』など。乙女な母が怪我で寝込んで以来、なんとなく慌しくて本を読んでいなかっただけに、いつも以上に集中して読むことが出来た。まだ全部読んでいないのだけど、かなり良い感じ。

今年は妊娠・出産と色々あったせいで、いつになく本を読まない年となった。体調が悪くて読めなかったり、あるいは新刊本を仕入れることが出来なかったりと、読書が停滞してしまう理由があり過ぎたのだ。しかしながら「全く読まなかった」と言う訳でもなくて、それはそれで充実した読書生活が送れたように思う。

私にとって今年は「再読」の年だった。

本を買いに行ったり借りに行ったり出来なかった為に、手持ちの本を読み返すことが多かった。特に、気に入っているけれど長編だったり、テーマが重たかったりして、しょちゅう再読するには大変な本に取り組めたのは良かったと思う。そして何度も再読するような本はいつ読んでも裏切らない面白さだった。

出産前は「子供が小さい間は本なんて読まないんじゃないかなぁ」と思っていたけれど、案外そうでも無かった…ってのは意外な気がした。確かに以前のペースで読むのは無理だけれど。そして、たくさん読めない分だけ、1冊にかける情熱は熱くなっていて、1冊の本にガッツリ取り組むことが出来るような気がする。そして私は「本も読めなくなるような状態」で育児をしてはイケナイような気がする。大切な物を置き忘れているような状態で毎日を過ごすのは私自身のためにも娘のためにも良くないように思うのだ。

今年は自由な時間が減った分、自分にとって大切な物を再認識させられたように思う。

来年も読書のペースはゆっくりになるだろうけれど、暇を作るようにして少しずつでも取り組んでいきたいと思う。だって読書が好きだから。来年も本が読めるくらいの余裕をもって生活出来たらいいなぁ……と思いつつ今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年12月25日(火) 腑抜け気味

クリスマスイブが終わってしまって、なんだか気が抜けてしまった。師走真っ只中と言うのに困ったものだ。

クリスマスカードも出したし、プレゼントも渡した。年賀状も投函した。大掃除はしないと決めたし、コミケにも行かない……となると「今年の用事は終わっちゃったかも」なんて錯覚に囚われてしまったのだ。本当はまだ「おせち料理作りと、そのための買出し」というう大仕事が残っているので、ぼやぼやしている場合ではないのだけれど、どうにも気合が入らない。

いきなり腑抜けになってしまったのは年末の用事云々ということもあるけれど、乙女な母が少しずつ良くなっているから…ってこともあると思う。娘を連れて実家へ出勤するようになって3週間。おかげさまで乙女な母は来週から散歩の練習が出来るほどに回復。私と娘の実家出勤も年内まで…という事になった。もちろん年明けからも様子は見にいくけれど「毎日・絶対・通う」という使命感から解放されるってだけでも随分と気持ちの持ちようが変わってくるのだ。

昨夜は夫が夜勤ということで、1人の夜だった訳だけど娘を寝かしつける時に自分も一緒に眠ってしまった。今日も空いた時間があったのに、何をするでもなくゴロゴロしたりしてグウタラモードのスイッチが入ってしまったとしか思えない。本当に押し迫ってきたら動かなければいけないのだから、あと数日はグウタラ過ごそうかとも思うのだけど、勿体無い時間の使い方をしているなぁ…とも思う。

ベビーカーを押して歩いていると、あちこちで大掃除をしている人を見るのだけれど、なんだかもう別世界の出来事のように思えてしまう。お坊様も走るほど忙しい月だと言うのに、なんとも不甲斐ない。そうは思うものの、今夜もきっと娘と一緒に寝てしまいそうな予感がするなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年12月24日(月) 初めてのクリスマスイヴ

今日は娘と迎える初めてのクリスマスイヴ。

クリスマスイヴと言っても、夫は今夜から夜勤のためクリスマスのご馳走は1日繰り上げて昨日、食べてしまったので今日は至って普通の夕食。鯖の塩焼き、大根と人参と蒟蒻の煮物、小松菜の胡麻和え、豆腐とワカメのお味噌汁、サツマイモご飯など。クリスマスなのに日本的な食卓だった。クリスマスらしい事と言えば食後にショートケーキ食べたくらい。

私達夫婦から娘へのクリスマスプレゼントは絵本した。娘にはまだ少し早いのだけど、追々読み聞せていきたいと思う。私は本が大好きだけど、娘にもそうなって欲しいとは思わない。娘は娘で自分の好きなことを見つけて欲しい。ただ、その手助けとして色々な経験をさせてあげたいなぁ……とは思う。絵本はその第1ステップ。これから、色々なものを見聞きして大きくなってもらいたい。

娘はクリスマスプレゼントに父方のおばあちゃんから積み木を。乙女な母からはおこづかい(本当は何か買いたかったようだけど乙女な母は、まだ動けないので)。そして愚弟からはカードとおこづかいを貰った。娘が愛されているというのは本当に嬉しい。

私と夫はお互いにプレゼント交換した。夫から心のこもったプレゼントを貰う。私は夫にゲームソフトとクリスマスカード…ならぬクリスマスの手紙を。今朝、友人から届いたクリスマスカードを見た夫から「ごめん、クリスマスカードをつけてないや」と言われて、私も夫にクリスマスカードを書いていないことに気が付き、夫が仮眠している時に、あわてて手紙を書いたのだ。友人にはカードを贈ったのに夫のことを忘れているだなんて。甘えているというか、なんと言うか。これではイカンと反省した。

娘はまだサンタクロース云々と言う年齢では無いけれど、来年あたりからは我が家にもサンタさんが来てくれることだろう。そして、いつか娘もサンタクロースよりも、親よりも恋人の方が良くなっちゃうのだろうなぁ。そうなる年まで、これから毎年、家族でクリスマスイヴを過ごせるのだと思うと幸せだなぁ…と思う。そんな幸せに感謝しつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年12月23日(日) 冬至に餃子

週末土曜日。せっかくの休日なのに生憎の雨。愚弟が休みってことで実家出勤はお休み。夫に娘をお願いして朝から整骨院へ行ってきた。肩凝りと腰痛が酷いことになっている。原因は娘の抱っこなのだけど、もっと重くなったら大変だなぁ…と他人事のように思う。

雨が降っていては娘を散歩に連れ出すことも出来ないので、家で1日のんびり過ごすことにした。録画していたアニメを観たり、お昼寝をしたり。今さらながら『攻殻機動隊』と『コードギアス反逆のルルーシュ』にハマっている。日々の生活ではあまりテレビを観ないのだけど、週末に夫とアニメを観るのは儀式のようになっていて、これがけっこうなお楽しみ。

夕食は南瓜を煮て餃子を作った。

夕方から夫と2人で餃子を包む。実家では、乙女な母が餃子があまり好きでなかったのか「餃子を家で作る」と言う習慣が無かったのだけど、結婚してからは、ちょくちょく餃子を作っている。「休日に餃子を作る」というのは私にとって、ちょっと特別な行事だ。夫と向き合って餃子を包んでいると「この人と家族になったんだなぁ」と思うのだ。夫と暮らすようになってもうすぐ2年になるけれど、毎度そう思う。

夜はもちろんゆず湯に入った。湯船に近所の八百屋で買った3つ100円のゆずを浮かべる。娘は初めてのゆず湯。今日は夫に入れてもらった。ゆず湯に入ると風邪を引かないと言うけれど、病気をせずにこの冬を乗り切れると良いなぁ。

今夜はクリスマス・イヴ・イブ。クリスマス・イヴは明日だけれど、明日から夫が夜勤なので、1日繰り上げて今夜クリスマスのご馳走を作るつもりでいる。今夜はいつも以上に張り切って夕食を作らなくてはなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年12月21日(金) 公立保育園の現状

昨日、遊びに来てくれた友人は先月まで公立保育園でアルバイトをしていた。私はしばらく育児に専念するつもりなので、娘を保育園に預ける予定はないのだけれど、保育のプロがどんな風に乳児と接しているのかを知りたくて、いろいろと質問を投げかけてみた。

色々と話を聞いたのだけど、私の住んでいる市の公立保育園の現状には失望してしまった。保育園ってところは親が働いていたり、あるいは病気等で子供を育てるのが大変な人が利用するところだと思っていたのに、あまりにもサービスが手薄過ぎるのだ。

吃驚することは多かったのだけど、1番驚いたのは、おむつは紙ではなく「布おむつ」を使っているってこと。使い終わった布おむつは、フタ付きのバケツに入れて保護者が持って帰って洗濯していると言うのだ。友人は「布おむつは紙おむつよりも始末がしやすくて楽ちんだよ〜」と気軽に言っていたけれど、働いてクタクタになって帰ってきた親御さんが、オムツを洗濯しているのかと思うと泣けてきてしまった。おむつかぶれ等の理由から布おむつを使用するならともかく「保育が困難」な家庭に、おむつの洗濯を強いるのは酷と言うものだ。

そして0歳時の保育は4ヶ月以降しか受付てもらえないとのこと。育児休暇は法律的に認められている訳だけど、現実問題として育児休暇をバッチリ取れる人ばかりでは無いだろうに、4ヶ月以降って縛りは厳し過ぎるように思う。保育時間も私立保育園に較べると短く設定されているので、よほど恵まれた状況でないと、保育園の終わる時間までに親が子供を迎えにくるのは無理だろう。

それ以外にも、一事が万事「?」と思うことが多くて、自分自身が利用している訳ではないのだけれど「誰のための保育園?」とて憤慨してしまった。あれでは私立保育園や無認可保育園を利用せざるを得ない。「子供を産みたくても産めない」と言う話は見聞きしていたけれど、昨日は切実にそれを感じてしまった。友人と話していて「預ける側」と「預かる側」の意識の違いの大きさも吃驚させられた。公立だと「働く人の権利」が前面に出過ぎているような気がする。

大家族で子供を育てる時代は終わってしまったのだから、根本的な考え方を変えていかないと、女性に子供をたくさん産んでもらうのは無理だろうなぁ……なんて事を考えつつ今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年12月20日(木) 価値観の違う友人

今日は幼友達が遊びに来てくれた。

幼友達は小学校の同級生で同じ書道教室に通っていたこともあり、なにげに付き合いが続いている。昨日は夫から「彼女と会う前の日はいつも憂鬱そうだけど、そんなに憂鬱なら会う必要無いのでは?」と言われた。実際、彼女と会うのはいつも憂鬱だ。彼女は短大を出て保育士になったものの、仕事のキツさに保育園を辞め、その後10年ばかりは実家暮らしでアルバイトをしている。いわゆる「ニート」ってヤツだ。

彼女はとても心優しい女性で、たぶん私のことを好いてくれているのだと思う。なんとなく間遠くなっても必ず彼女の方から連絡してくれて、年に1度は会っているのだけど、私は彼女と会うたびにモヤモヤしたものを感じずにはいられない。

私と彼女は別個の人間で、価値観も違うから、そんな事を考えるのは大きなお世話だって事は分かっているのだけど「35歳にもなってニートってのはどうかと思う」ってところが引っ掛かって仕方が無いのだ。彼女とて周囲から「いいかげん結婚したら?」等の事は言われるようだけれど、私は結婚云々よりも彼女が自分の将来のことを真剣に考えずに「今さえよければそれでいい」的な生き方をしているのが端で見ていてヤキモキするのだ。

結婚はしなきゃならないものではないと思うけれど、彼女の両親はいつまでも元気でいる訳じゃないのだから、生きていく手段は確保した方が良いとおもうのだ。正直なところ、親に財産がごっそりあって、それを食いつぶし生きていけるのならそれもアリかと思うのだけど、彼女の家は極普通のご家庭で決してお金持ちではない。

数年前までは「定職につかなきゃ駄目だよ」なんてお節介なことを口喧しく言っていたけれど、最近は「気になるけど、それが彼女の生き方だから仕方ない」とて何も言わないようにしている。しているのだけど……やはり気になって仕方が無い。

なんて言うのかなぁ……こう言う言い方をしては悪いのだけど、彼女とは話をしていてもちっとも面白くないのだ。価値観の合わない人と話をするって、そんなものなのだろうか。それならば付き合わなければ良いと自分でも思うのだけど、彼女に悪い点は無いし、しかも私のことを大事に思ってくれているのも分かるだけに、切り捨てることは出来ないでいる。

今日もモヤモヤしたものを感じながら、他愛も無い話をして時間を潰した。

自分と価値観が違う人の生き方も、それはそれとして受け止められるようにならなきゃなぁ……と思うのだけど、これがなかなか難しい。なんだかなぁ…とモヤモヤしながら今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年12月19日(水) ちょっとした楽しいこと

もうすぐクリスマスだと言うのに今日はやけに暖かい。小春日和ってのは、今日みたいな日のことを言うのだろう。

毎度ながら午前中に家事活動。簡単に掃除をした後、枕とお布団を干した。今夜は太陽の光をいっぱい吸い込んだフワフワのお布団で眠る幸せを満喫出来るのかと思いニヤニヤ。勢い良く夕食の支度など。今夜はかれいの煮付け、ハスのキンピラ、南瓜としいたけのお味噌汁、お出汁と朧昆布で食べるあったかいお豆腐など。お豆腐はお出汁だけ作っておいて、仕上げは夫が帰宅してから。実家で食べる用のお昼のおかずもついでに作る。

自分ちの用事を済ませたところで、娘をベビーカーに乗せて実家へ出勤。最近はクリスマスの電飾をするお宅が多いのだけど、立派な松の木にファンキーな色の電飾とサンタクロースが絡まっているのを見つけてニヤニヤ。アンバランスな感じが、かえって面白いように思う。

愚弟から「母は良くなってきたせいか、最近動きたがって困る」と言うようなメールを貰っていたので、「少しくらいなら動いていいと言われたけれど、何でもしていい訳じゃないからね」と乙女な母に釘を刺す。じっとしてるのって案外辛い…ってのは私自身経験して知っているのだけれど、ここは我慢してもらわねば。

実家では娘の新しい技を発見してニヤニヤ。ここのところ、やけに舌をベロベロさせて遊んでいるかと思ったら、今日は拳を口に入れていた。もう少し手が自由に動くようになったら本格的に指しゃぶりをするようになるのだう。

帰宅後、お布団を取り込んだり洗濯物を畳んだりして現在に至る。今日は取り立てて大したことのない1日だったが、ニヤニヤすることが多かったように思う、お天気が良くて暖かい…ってだけで気持ちが晴れるのだから不思議だなぁ。昨日は上手くいかない事が多くて沈みがちだったのだけど。今日のように、ちょっとした楽しいことが重なる日ってありがたいなぁ。

今夜は温かい夕食を食べて、ふかふかのお布団で眠ろう。小市民的な幸せを満喫しつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年12月18日(火) あと少し

昨日は乙女な母のお供で病院へ行ってきた。

娘は夫とお留守番。夫が休みを調整してくれたので助かった。夫は夜勤もあるし、場合によっては真夜中に仕事の電話がかかってくることもあったりするが、こういう時に融通がきくのは本当にありがたい。

乙女な母は検査と診察の結果、心配していた症状は出ることなく、骨も出来つつあるらしい。もう少しくらいなら動いても良いとのこと。年明けには、お散歩もして良いらしい。年内は娘を連れての実家出勤は続けるつもりだけど、見通しが立って少しホッっとした。酷いことにならなくて何より。良いお正月を迎えられそうだ。

実家出勤をはじめて2週間。ちょっと、しんどいなぁ……と思っていたけれど、あと少しだと思うと頑張れる気がする。「家の中なら少しくらい動いても良い」とお許しが出ているので、どうにもしんどい時は「ごめん、今日は休ませてもらうわ」と言えるってだけでも気が楽になったと言うか。

今年も残すところ2週間弱。本当ならば大掃除をしなくちゃいけないのだけど、夫と相談して今年は大掃除をしないことにした。頑張ればやってやれない事も無いのだけれど、今年は私自身産後2ヶ月しか経っていないし、加えて実家出勤という負担もあるので「敢えてしない」方向で。大掃除をする時間があれば、ゴロゴロしたり、アクリルタワシを編んだりして、身体を休めることにする。

今年もあと少し。実家出勤もあと少し。もうひと頑張りといきましょうかね……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年12月15日(土) 空が広く見える場所

夫、出勤の土曜日。今日は愚弟が休みなので実家へはのんびり出勤。時間に余裕があるなぁ…とて、娘をベビーカーに乗せて遠くのスーパーへ行ってみた。

今日は風が強くて少し寒かったけれど気持ちの良い天気。天気が良いってだけで歩いていても気持ちが晴れる。娘は生後2ヶ月を過ぎたので、少しずつお出掛けの距離を伸ばしている。遠くのスーパーへは初めて行くのだけど、私は自宅からそのスーパーへの道中が気に入っていて、この日をとても楽しみにしていた。

そのスーパーに行く途中には空が広く見える場所があるのだ。

周囲は高い団地があって窮屈なのだけど、団地群の外れにテニスコートと変電所があり、そこは高圧線の鉄塔はあるけれど高い建物が無いため、空に向かって大きな空間がスポッっと出来ていて、空を広く感じることが出来るのだ。

電線越しに見える冬空は青く澄んで気持ちが良かった。

娘には広い空を…広い世界を見て欲しいと思う。広い世界を見て飛んで行ってしまうのも良し。広い世界を見てなお、生まれた場所で生きるのも良し。

私は生まれ育った場所に骨を埋めることになるとは、みじんも思っていなかった。残念ながら飛び立ちたい時分、家族を助けなければならない状況にあったため、自由にする事が出来なかったのだけど、それについて後悔はしていない。あれは私の意志だったし、あの時、何もかも捨てて飛んで行ってしまっていたら、きっと後悔していたと思うから。

私は生まれ育った場所で新しい家庭を築いて、生まれ育った場所で死んでいくのだと思うけれど、それはそれで満足
している。それだけに娘には自由にさせてあげたいなぁ…と思うのだ。娘が成人するまでは、夫と2人、元気に生きていなくては。空が広く見える場所を歩きながら、そんなことを思った。

今はまだ私の手の届く範囲の世界しか知らない娘も、そう遠くない未来、広い世界を知るのだと思うと少し不思議な気がする。娘の未来が明るいものでありますように……と願いつつ今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年12月14日(金) ご近所からの助け

ここのところ、娘を連れて毎日実家に通っているのだけれど、正直言って、ちょっとキツイ。

自分の家の家事も実家の家事も目一杯手抜きをしているし、実家には愚弟もいるので、全部私が抱えている訳では無いのだけれど「乳児連れ」となると、1つ行動するにしても大掛かりになってしまうあたりがネックなのだと思う。しかしながら、実家のご近所さん達に随分と助けてもらわなければ、もっと大変なのだろうなぁ……と思うと、ご近所付き合いってありがたいものだと、つくづく思う。

実家では犬を飼っているのだけど、乙女な母が動けないので散歩に連れて行ってやれないのだが、お向かいの人が朝夕に犬を迎えに来てくれて、散歩に連れて行ってくれている。「朝夕に散歩しているから、ついでにね」と言ってくれているのだけれど、ありがたい事この上ない。

他にも、ちょくちょく様子を見に来てくれる人がいたり、「買いも物でも、なんでも言ってくれたら手伝うよ」と申し出てくれたりするのも心強い。ベビーカーを押して歩いていて「お母さんの具合どう?」と声をかけてくれるだけでも、ちょっと気持ちが和んだりするのだ。

いま、ちょっと大変でウンザリしているけれど、孤軍奮闘だったらもっともっと大変だっただろうと思う。助けてくれる人がいるって嬉しいものだなぁ。乙女な母は時期が来たら治るのだし、助けてくれる人もいるのだし、頑張らねばなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年12月13日(木) 停滞気味の1日

今日は朝からどんよりと雨。午後からは晴れるとの予報。

お天気の加減か、心身共に停滞気味ではあったのだけど、バタバタと家事を片付け、夕食&昼食の準備。夕食は白菜入りのクリームシチューと野菜サラダ。昼食のメニューが思いつかなかったので、ありあわせの野菜と冷凍庫の鶏肉を使ってピラフを炊いた。炊き上がったピラフを持って、娘と共に実家へ出勤。

乙女な母と昼食を取った後、実家の家事など。「なんだか猫村さんみたいだなぁ」なんて事を思う。実家から帰宅する途中でローソンへ寄って、元同僚達への内祝いに使うクオカードを購入。帰宅後は簡単なクオカードにかける熨斗を書いたり、同封する手紙を書いてクオカードの発送準備など。

……と。ここまで頑張ったところで、気が抜けてグッタリ。するべき事は色々あるのに、まったく動く気になれず漫然と時間を過ごしてしまった。いっそ横になって寝てしまえば良かったのだけど、娘の授乳とのタイミングが合わなくて、それも叶わず。なんとも勿体無い時間の使い方をしてしまった。

外灯をつけてポストを覗いたら、遠くの友人からクリスマスカードが届いていた。組み立てて飾れるタイプのカードだったので、窓辺に飾って娘と眺めた。ホッっとするひと時だった。本日の良かったことナンバーワンの出来事だった。

今日はずっと停滞気味で本意な1日だったけれど、明日はシャキッっとしたいと思う。こんな日があるのも仕方ありませんなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年12月12日(水) トトロの死

ミミズクのトトロが死んでしまった。

トトロは実家のご近所のお宅で飼われていたミミズクだ。野良ミミズクの出身なので正式な年齢は分からないが、ミミズクの寿命は20年とすると、まだ死ぬには早過ぎるような気がする。トトロは、あのお宅で暮らすようになってから、まだ10年も経っていないのだ。

成り行き上うっかり拾ってしまった野良ミミズクを、ご家族はよく育てたと思う。トトロはペットと言うにはあまりにもお金の掛かるヤツだった。大きなミミズク小屋に、毎日の餌。しょっちゅう体調を崩しては動物病院に通ったり、入院したりしていた。ご家族にとっては家族同様に可愛がっておられたのだと思う。

大切に飼われて死んでいったトトロは野良ミミズク出身にしては幸せな末路だったのかも知れない。だけど、やっぱり心に引っ掛かるものがあるのも事実だ。本当なら自然の中で野垂れ死にしていたであろうトトロが人間の庇護の下で死ぬだなんて。

野生の動物を捕まえて売る。あるいは、捕まえてきた野生の動物を繁殖させて売る。人間のエゴでしかないその行為を私は憎まずにはいられない。

トトロは優しい飼い主の下で幸せだった……と思いたいけれど、本当に幸せだったんだろうか? 野良ミミズクになって道の真ん中で立ち往生していた時点で、トトロはすでに自然の中では生きられないミミズクだったけれど、毎日金網越しに空を見て「外に出たいなぁ」と思わなかったのだろうか?

ミミズク小屋で死んでいったトトロのことを私は一生忘れないと思う。

トトロの冥福を祈ると同時に、全ての動物達が尊厳を奪われること無く生きられる世界になるようにと願いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年12月11日(火) 雨天休業

今日は朝から雨模様。毎日、家の用事を済ませてから娘と実家に出勤しているのだけど本日は休業。雨が降ったらお休みだなんて、ハメハメハの子供のようだ。(←『南の島のハメハメハ大王』という童謡参照)雨の中、娘をベビーカーに乗せて連れていく訳にはいかないのだ。乙女な母のことは愚弟にまかせることにした。愚弟は出勤前に食料等を用意して家を出るみたいだ。実家の用事は明日まとめてすることに。

乙女な母には申し訳無いけれど私にとっては恵みの雨。

最近、ちょっと頑張り過ぎたのか草臥れ気味だったし、おまけに今日は腰痛の具合がよろしくないのだ。これは神様のくれた休日に違いない……とて、のんびり過ごすことにした。夫を送り出し、簡単に掃除を済ませた後で娘の横で毛布にくるまってにゴロリと横に。1時間ほど朝寝してしまった。

実家に行かない。買い物にも行かない。散歩にもいかない。これだけで、随分とのんびり出来るものだなぁ。午後からも煮込み料理など作りながら、ゆっくり過ごすつりでいる。外に出掛けられないのは、お出掛け好きの娘にとっては少し可哀想だけれど、これからもそういう日はあるのだし、そこは勘弁してもらわねば。

暖かい部屋で娘とグウタラ過ごすって悪くないなぁ。

今日はグウタラ過ごさせてもらって英気を養い、明日からまた頑張ろう。これから雨の音でも聞きながら、クリスマスカードを書くかなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年12月10日(月) 母に付き添う

今日は乙女な母に付き添って病院へ行ってきた。

都合の良いこと夫が休日だったので娘は夫とお留守番してもらうことに。まだ生後2ヶ月になってばかりの娘を病院へ連れて行きたくないと思っていたので助かった。

予約診療…って事だったけど、それでも待ち時間はある訳で待っている間、待合室で爆睡してしまった。乙女な母から「寝不足?」と聞かれたが、娘がある程度成長するまで寝不足は仕方ないかなぁ…と思っている。その分、吃驚するほど寝つきが良いのだ。油断したら最後アッと言う間に夢の国だ。

乙女な母は検査の結果、背骨にヒビが入っていることが分かった。コルセットをつけたまま、しばらく安静にしなけれぱならないとのこと。「後々、大変な事になるから、絶対に動かないように」と主治医から言い含められて、乙女な母はシュンとしていた。診察を受けるまでは「痛み止めがあれば、少しくらい用事も出来るから。白蓮はもう用事しに来なくてもいいよ」などと、調子の良いことを言っていたのだ。

乙女な母は持病のこともあり、ちょっと様子が変われば即入院とのことだけど、今日のところは帰宅することが出来た。来週、また検査して経過観察をするとのこと。大変と言えば大変だけど、酷い事にならなくて本当に良かった。

そんなこんなで、明日からも娘を連れて実家に出勤することになった。年内に落ち着いてくれたら助かるのだけど、あれこれ思わず気長に構えていようと思う。家事等は適当にして、私自身も休息を取りつつ動くようにしなくては。自分が元気でいないと、娘の面倒も、実家への出勤も出来なくなってしまうものなぁ。しばらく大変そうだけど、ぼちほち頑張りましょうかね……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年12月08日(土) アクリルタワシ

先日、クリスマスの贈り物を編むために買った毛糸を使い切ってしまい、編む物が無くなってしまった。

編み物をするには毛糸がいるのだけれど、自宅から歩いて行ける範囲に手芸店が無いので、残念ながら毛糸が手に入らない。通販だと手触りを確認出来ないので、いまだ踏み込む気になれず悶々としていたら、昨年、練習用にと100均で購入したアクリル毛糸が目についた。

ふと、思い立ち、今さらながらアクリルタワシを編んでみることにした。アクリルタワシとは洗剤無しで食器が洗えるってことで数年前に流行して、母の友人のオバチャン達が熱狂的に編みまくっていた記憶があるのだけれど、私自身は使ったことが無かった。

かぎ針での編み物は全く初めてなのだけど、ネットで検索したら丁寧に解説してくれているサイトがあったし、アクリルタワシの編み方も分かったので、早速作ってみることに。

ヤバイ……アクリルタワシにハマってしまいそうだ。

アクリルタワシの性能云々…以前に、編むのが楽しくて病み付きになりそうだ。ボーッとしていても編めるような簡単さと、簡単なわりに、ちゃんと作品が仕上がるというお手軽さがたまらない。ほど良い単純作業を繰り返す事によって、少しずつ大きくなっていくタワシを見るのが楽しくてたまらない。

この感覚、何かに似ているなぁ……と頭を巡らしていて思い出した。そう…子供の頃に熱狂した「リリアン」に似ているのだ。リリアンとは、組み紐を編む子供向けの小さな編み機のようなもので、私が小学生の頃に大流行していた。編んだ組み紐で何かを作る訳でも無いのに、ダラダラと長くなっていく組み紐を見るのが楽しくて、毎日ひたすらに編みまくっていた覚えがある。

そう言えば、母の友人のオバチャン達は大量に編んだアクリルタワシを大きなビニール袋にギッシリと詰め込んでいたっけか。当時の私は「あんなに編んでどうするつもりなんだろう?」と不思議に思っていたのだけれど、あのアクリルタワシは使うための物と言うよりも、むしろ編むのが楽しくて編み過ぎてしまった産物だったのだと思う。

このままでは私も大量のアクリルタワシを編んでしまいそうだ。ここは1つ、複雑な編み方に挑戦して大量生産に歯止めをかけるべきだろうか。とりあえず今はアクリルタワシを編むのが面白くって仕方が無い。今夜も滋養熱的に編んでしまいそうだなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年12月07日(金) クリスマスの準備

昨日、お世話になった人達に贈るクリスマスプレゼントが編み上がった。もっと手間取るかと思っていたけれど、編み物も2年目ということで手が早くなったらしい。年末までに仕上がれば上々だと思っていたので、上出来だったと自画自賛。

今日から実家で用事をこなす合間にクリスマスカードを書きはじめた。毎年、年賀状を書く(PCで表も裏も印刷だと言うのに)のは億劫に感じるのに、クリスマスカードを書くのは楽しみなのだ。年賀状は義理で出さなきゃならない人が多いのに対し、クリスマスカードは好きな人にしか出さないから、その辺の違いなのだろうと思う。

クリスマスカードも毎年贈るとなると、そこに書くメッセージは定型化してきている。寒いからご自愛くださいませ…とか、良い年末年始を…とか。ありきたりな事しか書かないのなら、出しても出さなくても同じぢゃないかと思うのだけど、相手のことを思いながら、1枚1枚メッセージを書いていく作業が好きなので、今年もやっぱり贈ることにした。自己満足の世界なのだ。クリスマスカードを書いている瞬間は、その人のことだけを考えている。そうそう会うことは出来なくても、その人が大切な存在だってことを再確認したりして。

クリスマスの準備は、自分の内に埋もれている優しい気持ちを引き出してくれるような気がする。

夫へのプレゼントはもう準備したのだけれど、娘へのプレゼントは、まだ何も考えていない。帽子くらい編んであげたい気がするのだけど、近くに手芸店が無いので毛糸を買いに行けないのが難点。ネット通販もあるけれど、通販だと触り心地を確認出来ないしなぁ。クリスマスにはまだ時間があるので、もう少し考えてみようかな……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年12月06日(木) 湯たんぽ

ここ数日、乙女な母の世話をしに娘を連れて実家に出勤している訳だが、乙女な母はいたってご機嫌に過ごしている。

身体は痛いけれど病気ではないので案外元気だし、毎日孫が来てくれて長時間孫を眺めていられる事に満足しているらしい。「だけど、早く良くならないとね」などと殊勝なことを言うので、良い傾向だと思っていたら「年明けには雛人形を買いに行かなくちゃいけないもの」ときたもんだ。愚弟や私に迷惑をかけて悪いから…ではなく、雛人形を買いに行きたいからというのは、いかがなものかと思うのだが、機嫌よく療養してくれているのだからヨシとしよう。

今年はなかなか寒くならないなぁ…と思っていたのに、ここ数日でグッっと寒くなったような気がする。夫は出勤時にマフラーと帽子を着用するようになった。娘が眠る時の防寒対策も考えなくては……とて、湯たんぽを購入した。今年は石油高騰の煽りを受けて、燃料節約に湯たんぽが流行っているらしい。

私が子供の頃、冬の寒さ対策には電気アンカを使ってた。私の親世代の人達は高度成長期に働き盛りを過ごしていたから、どこか「電気製品=かっこいい」という図式があったのだろうと思う。今になって、昔に回帰していくような湯たんぽが流行するなんて、ちょっと面白い。懐古主義に走ると言うのではなく、昔の良い物を賢く取り入れるのは良いことだなぁ……と思ったりする。

しかしながら「昔の良い物云々」なんて書いておきながら、購入したのは昔風の湯たんぽではなく、見た目に可愛らしい湯たんぽだったりする。購入したのは『みのじろう』と言うぬいぐるみカバー付きの湯たんぽ。娘には可愛らしい物を使わせたい…という母親ドリームが発動してしまったのだ。たぶん……性能だけを言うなら、ぬいぐるみ式でなくても良いはずなのだけど。

この冬は湯たんぽが娘を温かく包んでくれることだろう。やけに満足度の高い買い物だった。それにしても、年末年始に向けて風邪をひかないよう防寒対策はキッチリしておかねばなぁ。何をおいても元気に乗り切っていかねば……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年12月05日(水) もったいないの心

昨日の午後は実家で過ごした。娘の世話と実家の用事。それに昨日はご近所の人がお見舞いに来てくれたりしたものだから、何かとバタバタ時間が過ぎてしまった。

2軒向こうの婆様が様子を見に来てくれた時のこと。婆様は机の上に置いてあった編みかけのマフラーを見つけると「これ、白蓮ちゃんが編むの?」と瞳をキラキラさせて編みかけのマフラーを見聞。決して得意とは言えない編み物を見られて、恥ずかしいなぁ……と思いつつ私は「娘が寝ている時なんかに、ちょこちょこっと……」なんて返事をしたのだけれど、婆様大絶賛。乙女な母は「この子は子供が1人しかいませんし、働いている訳でもないですからねぇ」と謙遜するも「なかなか出来る事じゃないわよ。時間があっても、やる気の無い子はしないしね」と、少し興奮気味のご様子だった。

婆様が帰られた後「なんで、あんなに絶賛されたんだろう……」と不思議に思いつつ、頭を巡らしていてハッっとした。私達の世代の編み物は「趣味」でしかないけれど、婆様世代の方にとっての編み物は「節約」だってことに気付いたのだ。あの婆様は古いセーターを解いて、毛糸を湯のしして使う世代なのだと思う。そう言えば、婆様は手編みの帽子をかぶっておられた。だからこそ、編みかけのマフラーを見て絶賛してくれたのだろう。

自分の生活をかえりみて身の縮む思いがした。

私自身、簡単に物を捨て過ぎている。今の時代でツギの当てた服を着たりするのはどうかと思うけれど、それでも、もう少し物を大切にしなきゃいけないように思う。もったいないの心を忘れがちになっているなぁ。昔の主婦のように暮らすのは無理としても、彼女達に学ばなければならない事は多い。

しばらく実家に通わねばならないので、また婆様とお会いする機会もあると思う。その時は編み物について、色々お聞きしたいところだ。今日もこれから実家に出勤。娘の荷物や、出来たてのお惣菜なんかをベビーカーに積んで、張り切って参りましょうかね……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年12月04日(火) 実家へ出勤

夫、夜勤週間スタート。昨夜、夫を送り出し、あとは娘を入浴させたら1日のお仕事オシマイ……と言うタイミングに叔母から電話があった。実家に電話をしても、乙女な母の携帯に電話をしても繋がらないとのこと。不審に思って私から乙女な母に電話をしたら繋がったのだけど、とんでもない事が起こっていた。

なんと。乙女な母ってば、台所で転んで起き上がれなくなり救急車のお世話になったとのこと。

幸いにも入院するほどのことでもなく、これからタクシーで帰宅するとの話だった。娘に防寒着を着せてベビーカーに乗せ、慌てて実家に駆けつけた。もともと足の悪い乙女な母は急に寒くなったのが堪えたのか、ここ数日足が痛いと話していて、私も気にしていたのだけれど、こう言うことって防げないものなのだなぁ。

乙女な母は仰向けに倒れたらしく、背中の打ち身が酷いけれど、今のところ骨折等は無いらしい。ただ、こういう場合は後日、骨折する事があるらしく、1週間後にまた受診が必要とのこと。昨日はコルセットを付けてもらって、薬を貰って帰宅してきた。私はお布団を敷いたり、乙女な母の夕食の世話をしたりして娘を連れて帰宅した。

乙女な母はしばらく動けないので、今日から娘を連れて実家に出勤することになった。朝食を食べたら夕食の準備だの家事などを済ませて実家に出勤。乙女な母と昼食をとって、実家の用事などをして帰宅する予定。愚弟は「お姉さんは乳飲み子抱えてるんだから、俺がなんとかするよ」とは言うけれど、愚弟も今は激務なので、私も手伝ってやらねば。普段は気ままな愚弟だが、こういう時には案外頼りになるものだ。

今日はこれから実家に出勤。PCで日記なんて書いている場合ぢゃない訳だけど、こういう時こそ息抜きをせねば。乙女な母には安静にしてもらって、出来れば骨折は避けてもらいたいのだけど。しばらく、頑張りましょうかね……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年12月03日(月) 自分の居場所

週末は元職場の同僚がお祝いを持って遊びに来てくれた。

来てくれたのはCADの相棒と、事務職のTさん。CADの相棒は私が妊娠中、切迫流産で安静にしていた時期に乳癌で片方の胸を切除する手術を受けている。彼女の乳癌が発覚したのと同時期に、私は切迫流産になってしまったものだから、彼女の為になんの助力も出来ず、今までメールや電話だけでのやりとりだった。なので彼女が胸を切除してから4ヶ月ぶりの再会。正直なところ、最初になんて言葉をかけたものか緊張していたのだけど、結局のところ「いつも通りにしていよう」ってところに落ち着いた。

CADの相棒は私が想像していた以上に元気になっていた。そりゃぁ、心の中では色々あっただろうけれど、仕事にも復帰して充実した生活を送っているとのことで心底安心した。

一方、事務職のTさんは私が安静生活中、職場に置去りにした荷物を持ってきてくれたり、それ以外にも何度か様子を見に来てくれたりしていて、足を向けて眠れないくらいにお世話になった人である。が、彼女は仕事が忙し過ぎて可哀想なくらいズタボロに疲れていた。今まで私は彼女の愚痴聞き役だったのだけど、それも出来なくなってストレスが溜まっているとのこと。仕事も大事だけれど、それ以上に身体を大事にして欲しいと切実に思った。

職場の人達は相変わらずの激務で大変そうだけれど、仕事の話を聞いていると懐かしいと言うか、今でも、そこに所属しているかのような錯覚に陥ってしまった。辞め方が急で送別会どころか挨拶もしていないせいか「白蓮さんって、まだ辞めた気しないんですよねぇ」と言われているらしい。

私はあの職場が大好きだったし、仕事にも誇りを持っていたので、同僚達に会ったら「また働きたい。外に出て仕事したい」と思ってしまうんじゃないかと、内心では心配していたのだけれど、以外にもそんな事は欠片も思わなかった。同僚達の話は懐かしかったけれど、むしろ「あそこはもう、自分の居場所じゃないんだなぁ」と思った。

私の居場所は夫と娘のいる我が家なのだなぁ。

専業主婦を「働いている」と定義して良いかどうか…と言う問題はさて置き、私が成すべき仕事は「育児と家事」なのだと再確認した次第。いつかまた、賃金労働に返り咲く時もあるだろうけれど、今の私が大切にするべき事ではないようだ。

それにしても週末は懐かしい人達の話が聞けて本当に楽しかった。年明けには別の面子が遊びに来てくれるとのこと。職場を辞めても、こうやって訪ねて来てくれる人がいるのはありがたい事だ。職場の人達が健康で無事に年末年始を過ごせるように祈りつつ、私も自分の成すべき事を頑張るぞ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


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