みのるの「野球日記」
==すいません、ちょっと宣伝です==

●『中学の部活から学ぶ わが子をグングン伸ばす方法』(大空ポケット新書)

新刊が発売になりました。
しらかし台中(宮城)の猿橋善宏先生の
指導法などが掲載されています。
詳しくは、大空出版HPをご覧ください。
http://www.ozorabunko.jp/book/gungun/

●『グラブノート』(日刊スポーツ出版社)
BBA梅原伸宏さんのグラブ本。構成を担当しました。
親指かけ・小指かけの結び方、グリスの入れ方など、
グラブをよりよくするための方法が書かれています。

*ツイッター始めました
@mino8989 です。

2007年06月28日(木) 次代の兵庫を引っ張る若手指導者

 さわやかな朝(?)を、兵庫・豊富中学校の井上雄介先生宅で迎えました。朝から、先生が作ってくださったサンドイッチを食べながら、早速野球談義。ほんとに、野球が大好きな先生です。
 井上先生のことを初めて知ったのは、きちがい日記の掲示板でした。読者からの書き込みで、「豊富中に若くて熱心な先生がいます!」。さらに、メールでも井上先生の情報を下さる方がいまして、いつか取材に行きたいと思っていました。

 初めて取材に伺ったのが、6月のこと。うわさどおりの熱い先生でした。五厘刈りの選手たちのきびきびした動きや、挨拶の仕方、礼儀正しさを見て、井上先生の熱心な指導ぶりが伝わってきました。
 今年で就任3年目になりますが(昭和54年生まれでまだお若いです!)、就任した当初から「お手伝い電話」を続けているそうです。お手伝い電話とは、「教師塾」で知られるカリスマ体育教師の原田隆史さんが始めて有名になったもので、生徒が家に帰ったあと、皿洗いやお風呂掃除など、家の手伝いを何か一つ行い、その報告を電話でするのです。「夜分遅く失礼します。野球部の○○です。今、○○が終わりました。失礼します」という感じで。
 毎日続ける子どももすごいですが、電話を待つ先生もすごいですよね…。

 こんなところから、選手の心を鍛えていき、チーム力をアップさせていったそうです。2年目の春には県大会出場という結果を残しました。

 
 で、今回の取材のテーマは「キャッチャー」でした。
 基本姿勢の作り方が面白く、両足のカカトにボールを入れて(ボールを踏む)、左脇にもボールを入れるというもの。試してみましたが、ラクな感じで捕球することができました。詳しくは、8月10日発売の『中学野球小僧』で!




2007年06月27日(水) 次代の兵庫を引っ張る若手指導者

 本日は兵庫・尼崎市立立花中学校へ。いつも取材でお世話になっている、兵庫・神戸市立岩岡中学校の山内拓也先生から、「立花中の山口先生はマニアック。いい練習していますよ」との情報をいただき、学校に行ってきました。
 その情報どおり、非常に濃い練習。1本成功するたびに、マシン(最高速度!)に1歩ずつ近づいていくバント練習や、1キロの鉄バットでバスケットボールを打つバッティング練習などなど、工夫を凝らした練習メニューでした。

 じつは山口先生はすごい球歴の持ち主で、天理高校の外野手として1997年のセンバツ甲子園で全国制覇を成し遂げています。大学は日本体育大学で、ここでもリーグ戦に出場。文句なしの実績です。
指導者として、まだ大きな大会での実績はありませんが、チームの取り組む姿勢や雰囲気、挨拶などは素晴らしいものがありました。必ずや、近い将来、上に勝ち進んでくる指導者になると感じました。

 20代の若い指導者が熱心に指導されている姿を見ると、めちゃくちゃ嬉しい気持ちになります。中学野球の将来を担っている方々ですからね!

 夜は尼崎の有名(?)焼き肉屋へ。金本や清原の写真が飾ってありましたが…。お店の名前も行き方も覚えていません(笑)。
 山内先生、山口先生、そして山口先生と同期の豊富中学校・井上雄介先生の4人で、野球談義をしてきました。山内先生曰く、「山口先生と井上先生は、これからの兵庫を引っ張る若手二人組」とのこと。確かにお二人とも熱い指導者です!

 焼き肉を食べ終わったあとは、「ぜひ、うちに泊まってください」とのお誘いを受け、井上先生のご自宅へ。4年近く中学野球の取材をしていますが、先生のご自宅へ泊まるのは今回が初めて! 緊張していましたが…。ご自宅がびっくりするほど、おしゃれなロッジでした。木の香りに心を癒されました〜〜。ぼくより若いのに、マイホームをすでに持っていて、車はカッコイイし、うらやましいです(笑)。夜は二人で夜中2時まで野球談義でした。



2007年06月22日(金) 小田川先生は元気です

 本日は修徳学園中へ。
 土砂降りの雨の中、普段どおりの熱い練習を見せてくれました。顔に泥がはねようが、ユニホームが泥だけになろうが、選手はお構いなし。泥んこの顔のまま、3時間あまりの練習をこなしていました。
 取材のために、雨でも強行してくれたと思いきや、「いつもやっていますよ」と小野寺信介先生。選手も、雨でもやることが分かっているため、雨の日用のグラブを持っているとか?! 
 泥んこのユニホームを見て思ったのは、「お母さん、洗濯大変だなぁ…」ということ。小野寺先生は「洗濯は自分でやれ! と言ってますが、どうですかねぇ…。寮であれば、徹底してできるんですけどね」。

 取材中、久しぶりに小田川雅彦先生とお会いしました。「お〜、元気にしてましたかぁ?!」と、いつものニコニコ笑顔で登場。昨秋、修徳高校野球部の監督を辞められ、現在は水泳部の部長を務められているとか。
あれだけ野球に対する情熱を持っておられるのに、野球から離れてしまうなんて…! どこかでまた野球に携わってほしい!
 ともに戦ってきた中学野球の先生からはそんな声も聞こえてきます。その気持ちは、小田川先生も同じ。メンタルトレーニングの勉強会に定期的に運び、自分を磨いているそうです。監督時代はメンタルトレーニングを取り入れていなかったこともあり、「もっと強くなれるポイントというか要素がある。そういうものが見えてきました」と話してくれました。

 そして、最後にはこんな話も。
「私は子どもたちに、『チャンスとは準備のできたものだけが掴むことのできる幸運である』と教えておきながら、自分は何もしていなかった。生徒に言った以上、おれも準備をしておかないと」
 小田川先生、またいいチームを作ってください!




2007年06月06日(水) 初のナゴヤ球場

 今日は中日・中里篤史投手の取材でナゴヤ球場へ。生まれて初めてのナゴヤ球場! 最寄り駅を降りてから、球場まで歩く道のりはワクワク気分でした。
 というのも、ナゴヤ球場は小さい頃憧れていた球場だったんです。親の実家が神戸にあったため、夏休みに新幹線で帰省すると、名古屋駅近くに見えたナゴヤ球場にワクワク。ぼろっちい球場だったんですが、「新幹線から見える球場」というシュチュエーションが嬉しかったんです、たぶん。

 今日初めて行ってみて、あんな住宅街にあるとは知りませんでした。周りは家やマンションだらけ(1軍が使っていた時は、違ったのでしょうが)。昔行った、川崎球場を思い出しました。

 で、今日びっくりしたのは開門の11時半を前に、何人かのファンがすでに列を作っていたこと!(ファームの中日vs阪神でした) 「中日ファンはさすがに熱い!」と思いましたね、はい。

 取材が始まるまでの間、試合を観戦。阪神は若竹、野原、橋本ら若手が出ており、中日では堂上が4番サード、法大出身の西川がびっくりなことにショートをやっていました。守備がうまい印象はさほどないんですが…。たまにファームを見るのも面白いですね。というより、1軍の試合よりも面白いかも!(西武ファンなので、最近の1軍の試合は寂しくて見られません…)

 その後、隣接している寮で、中里の取材がスタート。事前に、春日部共栄のチームメイトから「人見知りしますよ」という情報を得ていたので、やや心配も、よ〜く喋っていただきました。無口でクールというイメージを勝手に持っていたんですが、まったく違いましたね。
 
 中里は春日部共栄時代、超高校級と騒がれながらも、2年秋の関東大会では初戦で、筑川利希也のいた東海大相模に1対2のサヨナラ負け、3年夏は県大会決勝で坂元弥太郎の浦和学院にこれまた1対2(延長10回)でサヨナラ負け。一度も甲子園に出られませんでした。

 浦学との決勝は「埼玉県球史に残る熱戦」と言われていますが、ぼくとしては相模との関東大会が印象深いです。当時は桐生第一の一場を含めて、筑川、中里で「関東三羽ガラス」と呼ばれていましたっけ(ちなみに拓大紅陵の手嶌(現ロッテ)も同じ代)。その中の2人がいきなり初戦で激突。非常にもったいないカードでした。
 中里はいまでも筑川のことが気になるようで、「大学でケガをして、ホンダで投げられるようになって…、新聞で読んでいますよ。今はどうなんですか?」と話していました。プロで中里vs筑川の投げ合いを見てみたいですけどね…。

 



2007年06月05日(火) 2000年センバツ 東海大相模V選手たちのその後

 春季神奈川大会を制した相模原市立上溝中。これで3年連続の全日本少年軟式野球大会出場に王手をかけた。
 上溝中を率いるのは横浜国大野球部出身の水野澄雄先生。高校ではバレーボール部だった経歴を持つ。そして、この春から水野先生をサポートする若手が一人加わった。今年で25歳となる星野直人先生だ。
 じつは星野先生はすごい経歴の持ち主。高校時代、東海大相模のメンバーとして2000年センバツ優勝を果たしているのだ(背番号16)。大学では東海大の準硬式野球部の主軸で、大学日本一を達成。卒業後、中学校の指導者を目指すために、地元相模原市に帰ってきた。

「中3のときから、中学校の指導者になりたかったんです」と星野先生。中学生の中でひときわ目立つ184センチの大きな体(なかなかのイケメン)。学校生活と部活動が密接に関わる中学野球に魅力を感じていたという。「水野先生から毎日ではなく毎秒、学ぶことが多いです」と目を輝かせる。この夏、高校、大学に続き、中学でも日本一達成なるか!

 星野先生が、「意識しています」と話すのが、海老名市立柏ヶ谷中学校で副顧問をしている楢原匠先生だ。楢原先生も2000年の東海大相模Vメンバーで、1番サードで活躍していた。決勝の智弁和歌山戦ではタイムリーを放っている。大学は東海大の硬式野球部。4年時はリーグ戦に出場していた。

「現役時代は向こうはレギュラー。完全に負けていたので、指導者としては上をいきたい」と星野先生。この話を聞いて、「なるほど! そういう思いもあるのか!」と勝手に感動してしまった。2人ともにまだ監督ではないが、星野監督vs楢原監督の対決が近い将来、実現することを楽しみにしたい。

 高校野球に目を移すと、センバツで背番号10でベンチ入りしていた野原慎太郎くんが今春から神奈川県立岸根高校に赴任。野球部を指導している。東海大相模卒業後、横浜国大へ入学。アンダースローからの遅球(!)を武器に、リーグ戦で勝利も挙げている。野球部の指導者では珍しく、家庭科の先生! 全国的にもかなり珍しいと思う。家庭科にかける熱い思いが朝日新聞の投書欄に出ていたことも。

 大学野球では、東海大学硬式野球部のコーチとして、瀬戸康彦くんが頑張っている。瀬戸くんは2番ショートで活躍し、優勝に大きく貢献。東海大では下級生からレギュラーをつかみ、渋いプレーを見せていた。

 それぞれの第二の野球人生を応援しています!


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