みのるの「野球日記」
==すいません、ちょっと宣伝です==

●『中学の部活から学ぶ わが子をグングン伸ばす方法』(大空ポケット新書)

新刊が発売になりました。
しらかし台中(宮城)の猿橋善宏先生の
指導法などが掲載されています。
詳しくは、大空出版HPをご覧ください。
http://www.ozorabunko.jp/book/gungun/

●『グラブノート』(日刊スポーツ出版社)
BBA梅原伸宏さんのグラブ本。構成を担当しました。
親指かけ・小指かけの結び方、グリスの入れ方など、
グラブをよりよくするための方法が書かれています。

*ツイッター始めました
@mino8989 です。

2004年10月29日(金) 初・能登

 28日から2日間、生まれて初めて能登半島に上陸しました。今秋、石川県大会で初優勝を飾った珠洲市立緑丘中の取材です。
 緑丘中は羽田空港から能登空港まで飛び、そこから車で1時間ほどの場所にあります。昨年7月に能登空港ができるまでは、小松空港まで飛んで、車で3時間ほどかけて珠洲市まで行かなければならなかったそうです。能登空港のお陰で、東京から向かうにはかなり便利になりました。といっても、羽田ー能登便はANAで1日2便しかないので、少々不便なところもありますが…。

 28日の昼前に能登空港に着くと、緑丘中の山岸昭彦先生が車で迎えに来てくれました。「隣に航空高校あるけど見る?」と言われ、お言葉に甘え、車で連れて行ってもらいました。といっても、能登空港と日本航空第二高校は隣接しており、車で2分ほど。空港に隣接した学校は日本初だそうで、技術訓練なども能登空港の滑走路を使って行なっているそうです。車で校内に入ると、すぐ右手に豪華な野球場を発見。「甲子園と同じ規格」と山岸先生。金持ちだな…。隣にある室内練習場も改修工事中でした。

 学校を出て、国道をずっと走り珠洲市へ。その間、山岸先生はバスガイドなみに「あの山は松茸が取れて…」「あそこのコンビニは大人気で…」などなど、珠洲の歴史(?)を教えてくれました。
 学校周辺に着いたのは12時過ぎ。この日、緑丘中は写生大会ということで、練習取材は16時頃から。空いた時間をどうしよう…と思っていたら、山岸先生が「まずは昼食を。伝説のラーメン屋があるんですよ」と。聞けば、数年前の台風でお店の看板が飛ばされてしまった美味しいラーメン屋があるという。「地元の人じゃないと絶対に分からないお店」。
 連れていってもらうと、そこは普通の民家。こりゃ、ほんと地元の方でないと分からない…。畳みにあがって、ラーメンとチャーハンをいただきました。美味しかったです、でもお店の名前忘れました…。

 昼食後は、これまた山岸先生の案内で『すずの湯』へ。風呂入ってきました(笑)。同行していたカメラマンさんと、「観光に来た気分」と言いながら、のんびり休憩。珠洲はのどかなところです。
 
 本業の取材が始まったのは16時過ぎから。その前に、校長室に行き、校長先生にご挨拶。校長先生は以前、緑丘中の野球部監督をしており、山岸先生がプレーしていた珠洲市立宝立中と戦ったこともあるそう。
 練習は野球部専用のグラウンドで開始。土地はだだっ広いです。17時前に暗くなってしまうということで、練習メニューを短い時間で何種類が見せてもらいました。驚いたのは、のびのびと練習している選手の姿。先生が怒鳴り声をあげることもなし。
「黙々とキャッチボールやってるでしょう」
 山岸先生の言葉どおり、キャッチボールはほとんど声なし。トスでもバントも、黙々とこなしていました。といっても、暗いわけではなく、笑顔あったり、ときには冗談を言っていたり、ある意味何でもあり。結構、カルチャーショックでした。

 17時以降は体育館でティーバッティング。19時までガンガン打ってました。緑丘中の特長はバッティング。山岸先生もバッティング指導に定評があります。選手のスイングを見て、こりゃ優勝するわ、と思いました。この秋、いくつかの中学の練習を見ましたが、スイングスピードは間違いなくナンバー1。それも主軸はもちろん、平均してどの選手も鋭いスイングをしていました。

 山岸先生は今年4月から緑丘中に赴任。最初数ヶ月はシートノックをやらず、「練習の9割」をバッティング練習にあてていたそうです。すると、選手から「先生、ノックやらなくていいんですか? ノック打ってください」と不安の声が。しょうがないので、たまにノックを打っていたとのこと。今でも、「ノック打つのなんて、試合前くらいかなぁ」と山岸先生。ティーバッティングをしているときの選手の顔は、本当に楽しそうだった。

 練習取材終了後、学校近くの日本料理屋『龍泉』でお食事。
 http://www.viplt.ne.jp/ryusen/
 いや〜、こんな雰囲気のある場所で食事をしたの初めてです。観光ガイドにも載っている有名なお店だそうで、珠洲に立ち寄った際はぜひ足を運んでみてください。
 夕食のあとは、民宿へ。カメラマンさんと二人で、のんびり過ごしました。いままで遠征のときはホテルだったので、民宿は何だか懐かしく感じました。

 そして、翌日午前中の便で帰京。珠洲を堪能できた取材でした。山岸先生、どうもありがとうございました!



2004年10月24日(日) 糸魚川選手権大会

 10月23日から2日間、新潟県糸魚川市で第11回中学校軟式野球糸魚川選手権大会が開催された。

 初日に参加12チームを4ブロックに分けて、予選リーグ。2日目にブロック1位チームによる決勝トーナメントが行われた。
 今大会の参加チームは以下の通り。

富士見村立富士見中(群馬)
多治見市立南ヶ丘中(岐阜)
福井市立藤島中(福井)
金沢市立額中(石川)
津幡町立津幡南中(石川)
中野市立南宮中(長野)
魚津市立西部中(富山)
入善町立入善中(富山)
新津市立金津中(新潟)
能生町立能生中(新潟)
糸魚川市立糸魚川中(新潟)
糸魚川市立糸魚川東中(新潟)

 結果から先に書くと、優勝:魚津西部中、準優勝:津幡南中、第3位:糸魚川東中、糸魚川中。
 魚津西部中はセーフティーバントとセーフティーエンドランを頻繁に使い、相手をかき回していた。1死二塁では必ずといっていいほど、セーフティーバント。神奈川の野球を見慣れた者としては、かなりのカルチャーショックだった。神奈川にもそういうチームがないわけではないが。流れとしては、ガンガン打つ野球に変わりつつある。

 ワタシが現役時代(今から10年ちょっと前)は、セーフティーバントが主流だった。ちょこまかちょこまか動き、相手のミスを誘う。その時代は、軟式野球はヒットは出ないもの、出にくいものとして考えられており、スコアはだいたい1−0か2−1。1試合に出るヒットなんて、だいたい2本くらいだったのでは。

 でも、いまはビヨンドマックスやH−Zoneなど、各メーカーが飛ぶバットに力を入れてきたことに加え、指導者の方々がバッティングはセンスではなく、指導すれば打てるものと考え方が変わり、バッティングに時間と情熱を注ぐようになった。

 こういった複数の地区から集まる大会を見ると、それぞれの地区の野球が見られて非常に面白い。外野の守備位置、そして内野の守備位置(特にショート、セカンド)が地区によって違う。金沢の額中は、外野が硬式の定位置なみに守っていた。それは裏を返せば、石川ではガンガン打ってきて、外野の頭を越えるようなバッティング力を持つチームが多いということだと思う。額中の考え方としても、「外野の前に落ちるヒットはOK。長打は許すな」と。
 
 大会プログラムには額中のチーム紹介として、村上賢正先生がこんな言葉を書いていた。
「1死1、3塁でセカンドフォースアウトの考え方が中学野球でも必要ではないか」
 つまり、1点あげて、2死一塁でOKという考え方。今までは、1点の重みがズシンとくる中学野球の場合、有無を言わさずバックホーム。が、これが野選となり、1点入って、なおも1死1、2塁というケースが案外多いのも中学野球だ。それならば、1点はOKなので、次の2点目を防ごうと。

 額中は昨夏石川県大会準優勝、今夏もベスト4にまで進んでいる。スコアを見ると、2〜3点は失うが、5〜6点を取るという、今までの中学野球にはない野球。
「取られたら取り返せばいいという気持が私にも子どもたちにもある」と村上先生。このような話を聞いて、中学野球は変わってきたのだなと改めて感じた糸魚川選手権だった。
 
 地震は大丈夫でした。心配して、メールや電話を下さった方、ご心配お掛けしました。



2004年10月22日(金) 明日から新潟へ

 明日から新潟県糸魚川市で開催される中学野球の糸魚川選手権に行ってきます。
 
 じつは新潟に行くのは生まれて初めてのこと。北信越はここまで石川と長野に行ったことがあるので3県目です。全国制覇はまだまだ遠いです。あ、全国制覇というのは47都道府県で野球を見る、または取材をすること。関東地区は全制覇したけど、中国、四国、九州はまだ1県も制覇していません…。

 というわけで、「いい指導者がいます! 面白いチームがあります! 大会(交歓会)がありますよ!」という情報もお待ちしております。時間とお金と相談して、飛んでいきたいと思います〜!



2004年10月17日(日) 横浜国大・渡邉裕文、ノーヒットノーラン達成!

 土曜日(16日)、神宮球場で六大学野球を観ていると、携帯にメールが入ってきた。
「ノーヒットノーランしました(>_<)」
 差出人を見ると、<渡邉裕文>の文字。何のことか理解するのに、5秒ほどかかったが…、横浜国大のエース渡邉裕文が大記録を達成した!

 16日、関東学院大釜利谷球場で行われた横浜国大vs神奈川工大の1回戦で、渡邉がノーヒットノーランを成し遂げた。投球内容は投球数114、奪三振8、与四死球3。ノーヒットノーランのかかった最終回は三者三振で締めくくったそうだ。

国大 000000001|1
工大 000000000|0

 おめでとう! と同時に、悔しい。こんな快挙が生で見れなかったなんて悔しすぎる。渡邉を知ったのは2年前の秋。現主将の野原慎太郎から「国大のエースです」と明治神宮大会のときに紹介された。それ以来、リーグ戦をちょくちょく見て、(ワタシの好みである)マウンドで飛び跳ねるようなサイドスローと、投球テンポの良さに惚れた。知人も、渡邉のピッチングを見て、一目惚れしたらしい〜。ほんとに跳ねるように投げるんです。

 ノーヒットノーランを達成した日。じつは第1試合の神奈川大vs鶴見大でも、快挙達成の可能性があった。神大のエース荻野忠寛が8回までノーヒットピッチング。が、惜しくも自身二度目のノーヒットノーラン達成はならなかった。
 試合後、ベンチの入れ替えの際、渡邉は「狙ってたでしょ?」と荻野に聞くと、「うん、お前やれよ」と言葉が返ってきたそうだ。そのため、「3回くらいから狙っていました!」と渡邉。狙い通りにノーヒットノーラン達成となった。「もちろん、生まれて初めてです」とのこと。

 渡邉と荻野は、サイドとオーバースローの違いこそあるが、背丈や投球スタイルはよく似ている。ふたりとも細身で決して球は速くない。渡邉は「荻野を意識している」といい、荻野は「アイツ、いいピッチャーですよ」と、お互いのピッチングを認めている。今季のふたりの直接対決は9月22日(神大2−1国大)、9月24日(神大3−0国大)といずれも完投し、荻野に軍配。春も4月17日(神大1−0国大)に投げあい、荻野の勝利となった。

 快挙達成の翌朝、渡邉はスポーツ新聞を買い込んだとか…(笑)。ワタシが購読している日刊スポーツにも小さく出ていたけど、それでも嬉しそう。今までは神奈川新聞だけだったが、これで全国デビュー?! しかし地元の神奈川新聞は投球内容を伝えるだけで、渡邉のコメントなし。なぜなら、誰も取材に行っていないから…。ありえない、神奈川新聞しっかりしろ!

 岐阜北高校ではほとんど注目されずにいた渡邉。大学受験で国大に受からなければ、関西の大学で野球部のマネージャーをする予定だったという。それが今や荻野と並び、神奈川大学リーグを代表する投手にまで成長した。「上で野球を続けたい」という願いは、この夏無事に叶い、来春からは社会人・名門チームの一員となる。
 渡邉の大学野球は残り2試合。4年間ずっと相性の悪かった横浜商大と21日に、そして引退試合は慣れ親しんだ横浜スタジアムにて、神奈川工大との3回戦が11月1日に行われる。 



2004年10月06日(水) 『野球小僧中学野球特別号秋冬版』が出ます!

 めでたく『野球小僧中学野球特別号』(\1200)の第2弾が10月9日に発売されることになりました。表紙は↓ 
http://www.byakuya-shobo.co.jp/kozo/
 今号は「野球小僧のハローワーク」と「中学野球テクニカル」の2大特集です。現役中学生、指導者、そして野球ファンも楽しめる一冊になっています。

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『野球小僧中学野球特別号秋冬版』

<特集1>野球小僧のハローワーク
■野球を仕事にしてみよう! 〜野球職業一覧表付き〜

■野球に関わる職業21種を一挙大公開
中学球児のための野球職業ガイドブック
〜野球の世界をのぞいてみよう!〜
スカウト/審判/公式記録員/球場管理者/用具職人/代理人/アナウンサー/テレビ中継スタッフ/スコアラー/外国のプロ野球選手/アマチュアチーム監督/日本野球機構職員/球団経営者/新聞記者/カメラマン/野球漫画家/野球ゲームクリエイター/場内放送・オルガン奏者/スポーツメーカー社員/スポーツショップ店員/野球飲食店経営者/バッティングセンター経営者/その他

【野球にかかわる仕事人 
野球アナリスト 行木茂満(データスタジアム株式会社)
野球を鋭く見てしっかり分析して、きちんと人に伝える仕事です

【野球にかかわる仕事人◆
野球ライター 大利実
野球に関わる人たちのことを、文章にして伝える仕事です

【野球にかかわる仕事人】
野球雑誌編集者 持木秀仁(『野球小僧』編集部)
野球に関わる記事を、本に仕上げて広める仕事です

■チーム運営はこれでバッチリ
「ハーマンモデル」で人間の性質も職業もわかる
世界が注目する分析法は、中学野球の現場でも応用可能!

【プロ野球選手になる! 
中学生でも今すぐ実践できることばかり
プロになりたければイチローから学べ!
最高峰のプレーヤー・イチローからは様々なものが見える

【プロ野球選手になる!◆
★プロ野球選手、中学時代を語る
日本球界の弾丸野郎 赤星憲広(阪神タイガース)
ムリな筋トレをやらなかったからこそ、いい筋肉が得られた

★プロ野球選手、中学時代を語る
パワフル・ピッチャー 平井正史(中日ドラゴンズ)
焦ったり急いだりしなかった分、ずっと成長が止まらなかった

【プロ野球選手になる!】
リストラを乗り越えて今なお野球に取り組む男
カズ山本が歩んできた野球人生
中学時代にやっとったことは今でも生きてるで!

【プロを目指す選手たち 
甲子園出場3回を誇るサイドスロー
名門高校野球部へ進んだ中学軟式球界の星
真壁賢守(東北高校)の楽しむ野球

【プロを目指す選手たち◆
ドラフト候補&中学時代の指導者直撃インタビュー
佐藤剛士(秋田商業高校)
岩見優輝(熊本工業高校)
筑川利希也(東海大学)
荻野忠寛(神奈川大学)

【選手を支えるコンディショニングコーチ】
野球小僧コンディショニング・中学生編
立花龍司の野球の体を作る秋冬トレーニング
室内でもできる動きでパワーアップ!

【異業種指導者インタビュー・原田隆史(天理大学人間学部講師)】
ナンバーワンを目指すことに躊躇するな!
中学陸上日本一13回を誇るカリスマ体育教師の熱血指導論・2

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<特集2>中学野球テクニカル[秋冬編]
秋冬に最適! 全国有名指導者10名 秘密の練習法

■デジタル指導編・山本雅弘(石川・遊学館高校監督)
野球科学入門2
ピッチングのメカニズムを学ぼう!!
加速の原理「スイングバイ航法」でスピードアップ

■投手指導編1・上田誠(神奈川・慶應義塾高校監督)
本場アメリカ仕込みの変化球
今すぐ投げられる! ツーシームとチェンジアップ
遊びの中から生まれる変化球を楽しもう

■投手指導編2・木野昌孝(愛知・刈谷市立刈谷東中学校監督)
下半身強化でめきめき成長
試合で計算できるピッチャーになる
勝てるチームを目指して歯を食いしばれ!

■捕手指導編・榎屋剛(神奈川・横浜市立鶴ヶ峯中学校顧問)
キャッチャーを強化してチーム力アップ!
“いい捕球”がすべてのプレーの入り口
肩の強さは二の次! まずは捕球とフットワークから

■守備編・武内信治(神奈川・相模原市立内出中学校監督)
練習時間が短くなる秋冬に最適
工夫満載! キャッチボール・トレーニング
2年連続全国大会出場校が実践する秋冬の練習メニュー

■攻撃編・小野寺信介(東京・修徳学園中学校監督)
最強のバント練習で必ず決めてみせる!
失敗が許されない 極限状態でも遂行するバント戦法
試合に役立つ「バントシフト解説」付き

■走塁編・中野泰造&園子(東亜大学野球部部長夫妻)
キミも今日から俊足ランナー!
東亜大学野球部直伝 足が速くなる秘密トレーニング
速く走ろうという気持ちがあれば、速く走れます!

■配球編・行木茂満(データスタジアム株式会社)
データ分析のプロ直伝! 中学生のための配球講座
配球の基本は「バッターの気持ちになること」です

■データ編・西尾弘幸(東京・江戸川区立小松川第三中学校監督)
新方式のデータ集計でチーム状態を把握!
新チームのスタートは自分たちの分析から
今夏関東大会出場を果たした中学野球部のさらなる進化

■激痛! スカウティング旅情
猛暑の関東中学校軟式野球大会編

■2004年度 中学校軟式野球交歓会静岡大会
講演会誌上再録「見るものとしての野球」
講師=安倍昌彦(流しのブルペンキャッチャー)

■全日本少年軟式野球大会優勝・福井クラブ
日本一をつかんだ全県選抜チーム
北信越球界、中学球界に投じた一石

【野球小僧ルポルタージュ】
学校外の中学野球 硬式リーグを支えるもの
監督夫人が見た日本一達成への一年



2004年10月03日(日) 慶應義塾、古豪復活への第一歩(2)

◆10月2日 秋季神奈川大会準決勝
慶應義塾 000105000|6
横浜高校 012010001|5


 中林ー高橋のバッテリーに代わった6回裏。横浜に最大のチャンスが訪れた。先頭の8番下水流昴(1年)のヒット、1番黒葛原祥(2年)の四球などで2死二、三塁と一打同点のチャンス。ここで迎えるは甲子園でも活躍した3番橋本達也。
 橋本は甲子園から帰ってきて以来、不振を極めていた。秋の大会は今日まで13打数1安打。不振のため、途中で交代させられた試合もあった。この日も外角球を引っ掛けてのサードゴロと送りバント。ヒットは出ていない。
 外角のストレートがボールとなった2球目、右打者の内側にクロスしてくる左腕中林得意のストレート。橋本は完璧に捕らえ、火を噴くような弾丸ライナーをサード頭上に飛ばした。だが、この回からサードに入った長谷祐之(2年)がタイミングよくジャンプして好捕。マウンド上の中林は安堵のガッツポーズ。そして慶應ベンチも沸きに沸いた。それとは対照的に、打った橋本はグラウンドで呆然と立ち尽くしていた。
 好捕した長谷は、6回表に代走として起用されていた。試合前のシートノックは確かショートに入っていたが、レギュラーの漆畑にもヒケをとらないグラブ捌きを見せており、ちょっと目立つ存在だった。ここ一番で出たスーパープレー。代打逆転満塁ホームランを打った平川、途中からマスクをかぶりしっかりと仕事を果たした高橋、そしてこの長谷と、慶應の層の厚さも光る試合だった。

 6回途中から代わった横浜の桜田は、ヒットや四球で何度もランナーを出すものの、要所を締め何とか無得点で凌いでいった。対する慶應はあと一本が出ない状況。7回2アウト満塁、8回も2アウト満塁を逃し、追加点が取れずジリジリした展開となっていった。
 スタンドからは「このまま2点差なら、最終回、慶應は危ないぞ」という声もチラホラ。何せ昭和42年以降、11連敗中の横浜が相手。このままじゃ終らないだろう…と、思いながら試合を見つめていた。

 9回裏。横浜は1番の黒葛原から。最高の打順で、9回裏の攻撃が始まった。初球、2球目、3球目とストレートがいずれも高く抜ける。8回まで120球近く投げてきた慶應エース中林。先週の桐光学園戦も9回にピンチを招いていた。終盤、スタミナ切れを起こす傾向がある。
 4球目、これも高めに抜け、ストレートのフォアボール。ただ、ストライクと言ってもおかしくない高さだった。中林は「え?」とマウンドを2〜3歩下りてきて、不満げな表情を見せた。この試合、判定に対して、露骨に不満を見せたのはこのときが初めてだった。
「最終回が足がガクガク震えてしまって、かなり緊張していました。前回の桐光学園戦も最終回は緊張しちゃって。やっぱり強豪に勝てると思うと、何か緊張してしまう。でも今日はフォアボールを出してから、もう開き直ることができました」

 2番は新主将の相沢祐介(2年)。初球、外角に沈む難しいボールをあっさりと打ち上げ、セカンドフライ。ゴロを転がす打ち方だったが、結果はフライ。横浜らしくない攻めだった。次ぐ3番橋本。内寄りのストレートを引張り、三塁線のゴロ。またもや長谷がうまく捌き、フォースアウトを狙い二塁へ送球。が、黒葛原の足が一歩早く、野選に。
 1アウト一、二塁。ホームランが出れば、逆転サヨナラの場面で打席に入るのは4番福田永将(1年)。1年夏から横浜の正捕手を掴んだ逸材である。中林は低めに沈む球を有効に使い、カウント2−1と追い込む。が、ここから明らかに力みが見られ、3球連続でボール。フォアボールを与え、場面は1死満塁と変わった。

 ここまで来ると、スタンドは「やはり最後は横浜か」という雰囲気。この日の保土ヶ谷球場は試合が始まった頃、すでに内野席が8分ほど埋まり、5回からは外野が開放された。秋の準決勝で外野が開放されるとは…。オールドファン、OBが大勢集まった三塁側の慶應。そして、神奈川No1の人気を誇る一塁側の横浜。関東大会出場権を懸けた戦いは、最後の最後まで勝敗の分からない大熱戦となった。

 1死満塁となったところで、慶應はこの試合3度目の伝令を送った。
「エンドレス!」
 慶應野球部の部訓には『エンドレス(いつまでもやってやろうじゃないか)』という言葉がある。延長でも何でも、どこまでも野球をやってやろう! 慶應ベンチ前では、控え選手までもが円陣を組み、声を掛け合っていた。初めて見た光景だった。

 長打が出れば逆転サヨナラという場面で、打席には5番白井(1年)。1年春から試合に出ており、春の大会では保土ヶ谷球場のセンターバックスリーンにホームランを打ち込んでいる。白井は初球から積極的に仕掛けてきた。打球の角度は良かったが、ストレートにやや押され、レフトへの犠牲フライ。三塁走者が生還し、5−6と1点差に。

 1点差。2死一、二塁。打席は甲子園経験組の和泉将太(2年)。初球、真中のストレートを見逃す。この回、横浜の打者はファーストストライクを積極的に振ってきていたが、和泉だけはバットが出なかった。9回の中で一番甘い球だったかもしれない。このあと、変化球を2球見逃し、カウント1−2。4球目は内よりの沈む球を強振し、空振り。このとき、二塁走者の橋本のリードオフが大きかったのをみて、捕手高橋が二塁へ送球。が、橋本は一瞬の判断で二塁へ戻ることよりも、躊躇なく三塁へ進むことを選択した。いや、もしかして、これを狙っていたのかな…。2死一、三塁と、守る側としては非常にイヤな場面となった。

 ここまで和泉はタイミング合っていない。一か八かのダブルスチールもあるのでは…と、考えていたが、一塁走者は足の速くない福田だった。
 2−2からの5球目。外角低めへのストレートが外れ、カウント2−3。最後の勝負球にバッテリーが選択したのは、ストレートだった。見逃せばボールの低い球だったが、和泉のバットは止まらず。打球はサードへの平凡なファウルフライ。好守を見せていた長谷ががっちりと掴んだ。
 マウンドから三塁側に数歩下りてきていた中林は両手を天に突き上げガッツポーズ。その中林目掛けて、ベンチから全選手が飛び出し、喜びを爆発させた。試合後の挨拶が終ると、三塁側応援席に先頭切って走っていったのは疲労困憊のはずの中林だった。左手を突き上げながら、応援席に走っていった。

 中林はこの夏。誰よりも多くの涙を流していた。7月21日、相模原球場で行われた桐蔭学園との4回戦で先制点をもらうも、7回表に逆転を許し、1−2で惜敗。試合が終了したときから、延々泣き続け、ベンチ前でもうずくまり、しばらく起き上がれない状態だった。「3年生に申し訳ない」、絞り出すような声で中林は言った。
 
 この日、三塁側の応援席には夏で引退した3年生が大勢駆けつけていた。中林は言う。
「今日の勝ちは3年生のお陰です。ピンチになったときは3年生の顔を見ていました。『中林、がんばれ!』『この回だぞ、がんばれ!』と毎回声を掛けてくれて」
 そして中林は続ける。
「あの夏の負けがあったから、ここまで来れた。あれだけ泣いたのはムダじゃなかった。神奈川に来たときから(中林は世田谷西シニア出身)横浜と試合がしたい、横浜に勝ちたいとずっと思っていて。だから今日は本当に嬉しいです」
 猛暑の夏休み。中林は下半身をいじめ抜いた。夏から取り入れた股関節を鍛える練習メニューを黙々とこなし、スピードは夏の大会から約5キロアップ。ストレートの最速は135キロにまで到達した。その中林のグラブには、黒いサインペンで塗りつぶされた言葉が刺繍されている。『古豪復活』。慶應の関係者誰もが願う夢である。
「刺繍入れていたんですけど、高野連からグラブに刺繍を入れるのは禁止と言われて、しょうがないから黒く塗りつぶしたんですよ」
 中林は残念そうに笑う。
「今日の勝利でやっと古豪復活の第一歩。関東で勝って、甲子園に出て、そこで古豪復活って感じですかね」
 いつもより饒舌なエースは、気持ちよさそうに汗を拭いながら、次なる目標に目を向けていた。

 試合後、三塁側選手入り口の周りには、選手や学生コーチ、OBなど大勢の人々でごった返していた。そこに、取材を終えた上田監督が現れる。すると、選手から「一誠(イッセイ)、一誠、一誠!」の大コールが沸きあがった。右手を軽くあげ、それに応える上田監督。監督の名前を選手が呼び付けで連呼するなんて、強豪私学ではなかなかないこと。普通、怒られるだろう!(笑) でも、それが自然とできるのが慶應野球部らしいところ。新琴似シニアから来た高橋が「慶應には普通の高校にはない雰囲気がある」と言ったのはおそらくこの辺りのことだろう。

 ちなみに上田監督の名前は上田誠。でも、最近は誠の前に「一」が付いた名刺を配っている。「一誠は芸名だよ」というが、芸名のある監督って一体?! 昨年からクジ運の悪さが続き、「改名しようかな」と真剣に悩んでいたが、「一」を付けるところがさすがです。

 慶應にとって6年ぶりの関東大会は、10月30日から11月3日まで山梨県で開催される。

*日曜日に予定されていた決勝戦(慶應vs東海大相模)は雨天のため、7日(木曜)に順延された。



2004年10月02日(土) 慶應義塾、古豪復活への第一歩(1)

◆10月2日 秋季神奈川大会準決勝
慶應義塾 000105000|6
横浜高校 012010001|5

 試合後、ベンチ裏に出てきた上田誠監督の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「あ〜、勝った。泣きそうだった…。涙が出てきたよ」
 最終回、一打逆転サヨナラのピンチを凌いだ瞬間、ベンチにいた部員はグラウンド目掛けて一斉に走り出し、優勝したかのように喜びを爆発させた。ベンチに残った上田監督もガッツポーズ。赤松衡樹部長、小関亮太主務(2年)と抱き合い、喜びを分かち合った。
「重い扉を開くことができたかな。ぼくが監督に就任してから、横浜から1点も取ったことがなかった。最後に戦ったときなんて、10−0の5回コールド(01年春季大会)。でも、勝つなら今年だと思っていました。横浜はまだチーム作りが整備されていない、今回はチャンスだと」
 横浜は夏の甲子園に進んだことに加え、渡辺元智監督がAAAの監督を務めたため、約2週間不在だった。対する慶應は夏は下級生主体のチーム。ほとんどレギュラーが入れ替わることなく、秋を迎えることができた。

 慶應は準々決勝が終ってからの1週間、横浜の先発が予想される左腕・川角謙(1年)の対策に充てた。狙いは「長打を打て!」。川角の武器である右打者の外角に逃げるボールを捨て、内側に入ってくるボールをセンター方向に思い切り振りぬけ! 結果、横浜の繰り出した3人の左腕から計12安打。そのうち、7本がセンターへの当たりだった。
「準々決勝で当たった日大が、川角くんの外に逃げる球に対して、右方向へ追っ付けようとして、逆に抑えられていた。それなら、うちは中に入ってくるボールを思い切り打っていこうと」
 打線もピッチャーの中林暢陽以外、右打者を8人並べ、横浜の左投手に挑んでいった。

 立ち上がり、慶應はいきなり内野のエラーでランナーを許す。3回には捕手の三塁送球が暴投となり、失点。ここまで無失策できた守りにミスが続出し、3回を終え0−3とリードを許した。
 ただ、慶應ベンチに焦りはなかった。「3点なら、とれる」。現にランナーが三塁にいったとき、内野守備陣は前進守備ではなく通常の守備位置で守っていた。「1点を惜しんで、傷口を広げるよりも、アウトひとつずつ重ねていこう」と試合後の上田監督。打線で取り返す自信があった。

 4回表、慶應の攻撃。2死二塁から5番山口尚記(1年)にセンター前タイムリーが出て、1−3と得点差を縮める。ちなみにマウンドにいた川角も、タイムリーを打った山口も、愛知の出身。川角は愛知衣浦シニア、山口は名古屋北シニアの出身だ。ともに1年生、シニア時代にも対戦があったのかもしれない。

 5回裏、横浜も2死二塁から5番白井史弥(1年)がタイムリー。再びリードを3点に広げた。慶應が川角対策を立てたと同様、横浜も中林に対する対策をきっちりと立てていた。
「自分の生命線でもある、右打者の内角ストレートをどんどん狙ってきていた」と中林。ただそれを感じ取った中林はこの5回頃から、配球を外中心に変えてきていた。

 前半を終えて、横浜が3点のリード。ポイントは川角をいつ代えるか…、そう思ってみていると、横浜は6回表からスパッと西嶋一記(1年)を持ってきた。西嶋も川角と同じ左腕。瀬谷シニア時代から名を馳せた投手で、シニアの全日本にも選ばれている。横浜でも1年春からベンチ入りを果たしている逸材だ。秋の横浜は、川角から西嶋に繋ぐのが勝利の方程式だった。

 6回表、代わったばかりの西嶋に4番大久保直光(2年)が先制パンチを浴びせる。カウント1−1から低めのストレートを右中間に持っていく、二塁打。無死二塁と、いきなり西嶋を攻め立てる。が、5番山口、6番中林とともにボール球を振らされ三振。ただし、西嶋のボールは荒れていた。球は速いが(130キロ後半?)、まとまりはない。
 次ぐ7番佐藤廉(2年)がボールをよく選び、四球。8番はキャッチャーの鹿毛雄一郎(2年)。守備を買われ、この秋からスタメンマスクを掴んだ。「代打出すかなぁ…」とベンチを見ていると、上田監督が動いた。代打一番手、野毛慶弘(1年)の登場。中盤の6回に正捕手を代えるリスクもあったと思うが、慶應ベンチは攻めの姿勢を見せた。この野毛が、カウント2−3からインハイのボール球をよく見極め、2死満塁。ホームランが出れば、逆転という場面を作り上げた。打順は9番の渕上仁。ネクストから2〜3歩、バッターボックスに進むと、ベンチから呼び止められた。

 代打二番手は1年生の平川敬悟だった。いかにも一発があるようながっちりとした体型。ストレートには強そうだなぁと思って見ていたら、とんでもないことが起きた。初球のカーブをぴくりともせず見逃したあとの二球目。高めのボール気味のストレートを、ボールが潰れんばかりのスイングで叩くと、角度よく打球はレフトへ。スタンドは一瞬、「ワッ!」と沸いたあと、静まりかえった。再び沸いたのは、レフト芝生席に打球が跳ねた瞬間。慶應ベンチは全員がベンチを飛び出し、ガッツポーズを繰り返した。まさかまさかの代打逆転満塁ホームランで一気に試合をひっくり返した。
 そしてここで終らないのが、今年の慶應。1番新谷拓也(1年)がヒットで出塁したあと、すかさず盗塁。2番漆畑がセンター後方へ二塁打を放ち、2点差と突き放す貴重な追加点を挙げた。

 試合後の上田監督。
「平川はたまに交通事故がある。でも、満塁ホームランなんて考えてもいなかった」
 そして、平川。
「もう思い切って振ることしか考えていなかった。公式戦初ホームラン。ホント嬉しいです!」
 西嶋と平川。聞けば、シニア時代に対戦があったそうだ(平川は藤沢シニア)。
「何回も対戦しています。ある試合では3打数2安打で、ホームラン1本打ったこともある。だから彼からは2本目。打席に入ったとき、西嶋の方を見たら、ニコッと笑ってきたので、オレもやってやるぜ! と思いました」
 ちなみに平川は、鎌倉学園中学校の出身。そのまま鎌倉学園高校に上がることも考えられるが、悩みに悩んだ末、慶應を選択したという。
「悩んで悩んで考えて、でも慶應のこの雰囲気が気に入ったんです。慶應で甲子園に行きたい」
 平川の逆転弾で、試合の状況は一気に変わった。

 6回裏。代打に代わって、慶應は高橋玄(2年)をキャッチャーに送った。
「ちょっと不安はあったけど、玄も1年から出ているし試合経験がある。玄に代わってから、中林のリズムもよくなった。ナイスリードだった」(上田監督)
 高橋は札幌の新琴似シニア出身。シニア日本選手権では4位にも入っている。推薦で慶應義塾に入ってきた。
「慶應は普通の学校にはない雰囲気があって、この学校で野球をやったら面白いだろうなぁと思って受けました。北海道から来ることで不安もあったけど、とにかく慶應で野球がしたい。そう思っていました」
 高橋は1年秋からレギュラーを掴み、エース中林を支え続けた。が、2年春が終ってからはスタメン落ち。春の桐蔭学園戦以来、公式戦出場からは遠ざかっていた。
「次いくぞといわれたときは、負けていたとき。それが満塁ホームランが出て、リードの場面で交代になった。春以来の公式戦だし、緊張しました。ミスもありましたし…」
 9回には大事な場面でのパスボールもあった。それでも定評のあるインサイドワークで、中林を生き返らせた。
 公式戦で久しぶりにバッテリーを組んだ中林はいう。
「1年の頃から組んでいたので、自分のことをよく分かってくれている」
 高橋に代わった6回から、右打者の外角へシュート系のボールを多く使い、前半とは配球を変えた。試合出場に飢えていた選手が、大事な一戦で意地を見せた。

 そして、旧友との対戦もあった。6回途中から横浜のマウンドに上がったのは左腕・桜田裕太郎(2年)。桜田もまた、高橋と同じく新琴似シニアの出身だ。ふたりはシニア時代、バッテリーを組んでいた。対戦は7回表、2死満塁というしびれる場面で訪れた。
「絶対に打ちたかった」という高橋はストライクを見逃すことなく、すべてフルスイング。ただ、力みまくり…。カウント2−2から高めのボール球を強振し、空振りの三振に終った。
「高校に入ってから、桜田のピッチングは見ていなかった。今日が初めての対戦。すごく懐かしかったです」
 遠く札幌から、激戦区神奈川に乗り込んできたふたり。関東大会出場をかけた大一番で、投手vs打者として対戦。春からスタメン落ちした高橋と同様、期待されて入学した桜田も2年春に左ヒジの靭帯を痛め、夏の甲子園に出場はできなかった。この日、「ピッチャー、桜田くん」というコールが告げられると、三塁側の横浜応援席からは大きな拍手が起こっていた。

 6−4。慶應2点リードで、試合は中盤に入っていった。 



2004年10月01日(金) 軟式出身者で見る秋季関東大会

 センバツ出場をかけた秋の関東大会が10月30日から11月3日まで山梨県で開催される。現在各県で予選が行われており、山梨県で甲府工業と日本航空が出場を決めた(山梨は残り1枠:市川vs日大明誠の勝者)。

 そのほか各県の状況を見てみると…、

<神奈川 2枠> 2日準決勝 
横浜vs慶應義塾  東海大相模vs平塚学園

<千葉 2枠> 2日準決勝
二松学舎沼南vs若松  流通経済大柏vs木更津総合

<群馬 2枠> 2日準決勝
前橋商vs太田市商  桐生第一vs桐生

<栃木 2枠> 2日・3日準々決勝
栃木商vs宇都宮南  白鴎大足利vs小山西
宇都宮工vs国学院栃木  茂木vs小山

<茨城 2枠> 3日準決勝
常盤大高vs波崎柳川  常総学院vs水戸短大付

<埼玉 2枠> 2日準々決勝
浦和学院vs朝霞  所沢商vs聖望学園
春日部共栄vs春日部東  正智深谷vs埼玉栄

 
 さて、いつものようにマニアックに(?)軟式出身者に注目してみる。
 まずは日本航空のエース長岡翼(2年)。三重の二見中出身で中学2年のとき、全日本少年で優勝を果たしている。当時二見中のエースは江川智晃(宇治山田商3年)だったが、全日本の決勝では長岡が完投。明徳義塾中の鶴川将吾(明徳義塾3年)に投げ勝ち、見事全国制覇を達成した。

 東海大相模の4番を打つ田中大二郎(1年)も中学時代に全国制覇を経験している。が、こちらは全中。昨年北海道の岩見沢で開催された全中で、明徳義塾中の4番ファーストとして出場していた。この年、全中に出場した中では修徳学園中の磯部泰(修徳高校1年)、村橋勇祐(日大三1年)、そしてこの田中がバッティングでは抜けた力を持っていた。東海大相模では1年春から早速ベンチ入りを果たし、秋には4番。さすが、としかいいようがない。ちなみに田中は父が東海大相模野球部出身、兄は桐蔭学園(現3年)で活躍した、野球一家です。

 東海大相模ではエース小泉圭市(2年、東海大翔洋中出身)と二本柱を形成するのが、1年生右腕の竹澤雄一。竹澤は相模原市(神奈川)の内出中のエースとして、全中3位の実績を持つ。準決勝では特別延長戦の末、磯部率いる修徳学園中に競り負けた。磯部ほどの体がないだけに、まさかこんなに早く登板機会が訪れるとは思わなかった…。あとは小泉に任せて、じっくり体作りをして欲しい…。なお、東海大相模には田中と同じく明徳義塾中で活躍した石丸健太(中学時代は1番サード)もベンチ入りを果たしている。

 関東の話題とは少しそれるが、昨年明徳義塾中でエースとして大車輪の活躍を見せたのが伊勢慎也(明徳義塾高校1年)。身長は160センチ後半と小柄だが、バランスのとれたフォームから130キロに迫る速球を投げていた。その伊勢が先日行われた高知大会の初戦で、7回参考ながらノーヒットノーランを達成。メンバーを見る限り、甲子園でも投げたエース松下建太の二番手。硬式の多い明徳義塾の中で、何とかがんばって欲しい。
 また、当時の明徳義塾中で主将を務めていた捕手の永松泰典や、巧打が目だっていた左打ちの森本健太郎も、明徳義塾高校でベンチ入り。一昨年、全中に出場したときのエース沖田浩一もショートのレギュラーとして出場している。沖田は兄も明徳義塾高校。現在、亜細亜大野球部に在籍中。

 関東に話を戻そう。
 名門・常総学院の正捕手を掴みつつあるのが、小池翔大(1年)。小池は磯部、村橋らとともに修徳学園中で全中準優勝を果たしている。小池の父が取手二高で木内幸男さん(元常総学院監督)に指導を受けた縁があり、常総学院に進んだそうだ。
 しかし…、修徳学園中も明徳義塾中も、強豪高校でこれだけ活躍できるのはすごいこと…。修徳学園中からは春日部共栄に進んだ佐藤貴穂(1年)もベンチ入りを果たし、試合に出場しているという。恐るべし…。

 個人的には千葉の二松学舎沼南に注目。140キロ右腕として注目を集めているエースの古居剛(2年)は松戸第一中時代に、関東大会ベスト4。ただ、背番号10だったので…投げていたかどうかは記憶にない(ゴメンナサイ)。古居が投の柱なら、4番に座る打の柱が久保田登(2年)。久保田は東京の亀有中でエースとして関東大会出場も、初戦で古居のいる松戸第一中に敗れている。二松学舎沼南には久保田のほかに、岩田健、高田裕介と亀有中のメンバーが3人ベンチ入りを果たしている。見たいなぁ、二松学舎沼南…。ちなみに亀有中も修徳学園中も、東京都の葛飾区にある。葛飾区、野球盛んなんです。

 そんなわけで、明日は保土ヶ谷に行ってきます。第1試合の横浜対慶應義塾。なんと慶應は昭和42年以降、一度も横浜に勝っていないそうです。公式戦11連敗中。さて、どんな試合になるでしょうか。


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