みのるの「野球日記」
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*ツイッター始めました
@mino8989 です。

2003年07月27日(日) 堀内久大の夢まであと2勝(東海大相模vs藤沢翔陵)

 東海大相模は、昨日(26日)の横浜隼人戦でエース小林敦(3年)が完投。そのため、今日(27日)の準々決勝は背番号6の堀内久大(2年)の先発が予想された。
「堀内投げてくれないかな」と期待を込めながら球場に行くと、予想通り先発は堀内。
 堀内は、今年の春からずっと見たかった選手。1年秋からメンバー入りし、ピッチャーとショートで活躍。「野球センス抜群」と称される選手だ。
 
 堀内久大……、「久大」と書いて「きゅうた」と読む。
「きゅうた」の名を初めて耳にしたのは、2年前の夏。取材で訪れていた整体院でのことだった。
「きゅうた、相模に行くらしいよ」
「きゅうたなら、どこでも活躍できますよ」
 そこに、口を挟む。
「きゅうた……? どこの選手ですか?」
「新町(しんちょう)中のピッチャーだよ」
 以来、「きゅうた」という名がおぼろげながら、耳に残っていた。
 そして、堀内が1年の秋。相模の練習試合を見た知人から、「堀内というショートが良かった。周りの選手に『きゅうた』と呼ばれてた」とメールをもらう。
 おぼろげに残った「きゅうた」という響きが蘇ってきた。

 今日、初めて見た堀内は、思ったよりもまとまった投手だった。もっと、コントロールも投球フォームも、粗いピッチャーだと想像していたが、まとまりがある。
 6回まで投げ、無失点。3安打、無四球で付け入る隙を与えなかった。スピードは130km前後か。
 際立っていたのが、コントロールの良さ。打者21人に対し、3ボールになったのがわずか1回。18個のアウトのうち、ゴロアウトが14個。低め低めをついていた証拠である。タイプ的に誰に似ているか、真っ先に思い浮かんだのが、高校の先輩・筑川利希也だった。 
 
 堀内は筑川同様、フィールディングも抜群だった。
 以前、新町中の梅沢先生に堀内のことを訊いたとき、
「ショートの守備は抜群にうまい。守備だけなら、プロでも通用するよ」と話していた。
 今日は降板後、ショートの守備に入ったが、守備機会はフライを処理した一度だけ。その代わりにピッチャーで見せた。
 4回に藤沢翔陵の4番松本が、堀内の頭を越えていきそうな高いバウンドのゴロを放つ。堀内は軽やかにジャンプをして飛びつき、フワッという感じで柔らかく着地をした。そのジャンプした姿が、あまりにもキレイだった。本当に守備はうまいんだな、と実感したプレーだった。

 試合後、門馬監督は「野球センス、運動能力を考えると、もっと出来る選手だと思います。彼には期待をかけている部分がありますので。でも、ぼくが彼におんぶにダッコのところもあるんです」と、堀内について話した。
 守ってはショートで堅実な守備。打っては2番で繋ぎ役を果たすこともあれば、3番や5番でランナーを返す仕事もする。そして、投げてはエースの小林にひけを取らない力を見せ、きっちりと試合を作る。監督として、堀内みたいな選手がひとりでもいれば助かるだろうなぁという選手である。

 堀内は今日のピッチングについて、
「球が走っていなかったので、コントロール重視で低め低めに投げることを気をつけました。内野ゴロが多かったので、その点には満足しています」と時折笑顔を交えながら振り返った。
 ピッチャーとショートの両方で起用されていることには、
「中学からずっとピッチャーとショートでやってきたので、このままの形でこれからもやっていきたいです」

 先週、堀内の母校・新町中が県大会出場を決めた。
 堀内のときは準々決勝で内出中に敗退。県大会へは進めなかった。時折、母校の試合を見ることもあるそうだ。
「今年、東林中に勝ったんですよね。新町はいつも東林に負けてたんで、ほんと嬉しいですよ〜」と満面笑みの堀内。
 東林中に対する意識は相当強いようだ。
「東林中は筑川さんとか、甲子園で活躍している選手がいて……、隣の中学なんですよね。かなり意識しますよ」 

 2000年、筑川ー菊地のバッテリーでセンバツを制したときは、「テレビでしっかりと見ていました。タテジマがカッコ良かったですよ」と話す。
 じつは堀内、小学校高学年のとき、すでに「相模で野球をやる」と決めていた。
「小学校の卒業文集で、将来の夢を『東海大相模に入って甲子園に行く!』と書いたんです。相模のタテジマにすごく憧れたんです」
 それはすごい……!
 という私も、小学校のときは相模原市に住んでいて、相模のタテジマにものすごく憧れた。だから、堀内の気持ちが良く分かる。でも、文集に書いた将来の夢は「プロ野球選手」だったけど……。 

 堀内久大の夢まで、あと2勝。
 相手はセンバツ準優勝の横浜高校に決まった。


◇神奈川大会準々決勝
東海相模 001 200 4 7
藤沢翔陵 000 000 0 0



2003年07月23日(水) 松本快投!南高、4回戦へ(南vs大清水)

 横浜市立南高校のエース松本健太(3年)は、最後の打者をライトフライに打ち取ると、何度も何度もガッツポーズを作り、雄叫びを上げた。ホームベース付近では、キャッチャーで主将を務める小林恒平(3年)も、体全体で勝利の喜びを表していた。ふたりはともに歩み寄り、満面の笑みでがっちりと抱き合った。ベンチからは、控え部員が大喜びで飛び出してきた。まるで、優勝でも決めたかのような喜びようだった。
 
 エースの松本は、この試合に3試合連続完封がかかっていた。初戦、2回戦と、130km中盤のストレートと、スライダー、スプリットを武器に完封勝利。今日も8回までスコアボードにゼロを並べた。しかし、9回に3連打を浴び、2失点。記録は途絶えた。それでも、チームは4対2で勝利。試合後の松本は、勝利を素直に喜んでいた。
「最後になって、連続完封を意識してしまいました。でも、勝てたんで、良かったです」
 今日の松本。内角への攻めがほとんどなく、8割以上が外角中心。しかも、ほとんどがストレートだった。
「試合前に、監督から外角のストレートを中心に攻めていけと言われていたんです。打たれだしたら、また配球を変えればいいからと。とりあえず、行けるところまで、ストレート中心でいきました」
 スタンドから見る限り、130km中盤は出ていたのではと思えるストレート。松本を見たのは、この日が初めてだったが、「2試合連続完封」という結果にもうなずけた。とにかく、外角へのコントロールが抜群に良かった。失礼ながら……、「何で、公立高校にいるんだろう」と思ったほどだ……。
 
 松本をうまくリードしたのが、キャッチャーの小林。
 打つほうでも、4番打者として、4打数3安打1打点の活躍。主将としてもチームを引っ張り、松本とともに勝利に大きく貢献した。

 じつは、この小林。私と同じ小学校・中学校の出身(後輩です)。中学時代は、神奈川県大会ベスト8まで進んでいる。準々決勝で慶應湘南藤沢中に敗れたのだが、たまたまこの試合を大和引地台球場で見ていた(東林中を見るために球場に行ったら、自分の母校が試合をやっていたので、かなりびっくりした)。プレーが大人びていて、ふてぶてしいキャッチャーだなぁと思った記憶がある。
 進学時には、いくつかの私学から誘いを受けたという。それでも、迷わず南高(地元ではナンコウと呼ばれてます)を選んだ。
「中学1年のときから、南高で野球がやりたいと思っていたんですよ。ちゃんとした野球のグラウンドがあるんで、それが決め手でした。だから、迷わず南高に進みました」
 私も一度練習試合で、南高に行ったことがあるが、立派な野球専用グラウンドがある。公立と違って、市立高校はお金があるなぁ……とそのとき思った。しかも、校舎に冷暖房が完備されているときいた。それに、温水プールまであるらしい。ますます、市立はお金があっていいと思ったものである。
 
 明日の4回戦で対戦する横浜商大のエース給前信吾は、小学校・中学校と小林と同じだった(ということは給前も私の後輩)。
「小学校4年生まで、給前と同じチームで野球やってたんですよ。5年になってから、給前はリトルに行ったんですけどね」
 中学では、小林は軟式野球部へ、給前はシニアへと進んだ。同じチームで野球はやらなかったが、やっぱり意識はあるという。
「ライバル意識がないといえば、ウソになりますね」と話す。

 ちなみに、給前と小林が小学校時代に在籍していたチームは、「港南台メッツ」。いまはどうか分からないが、私が小学生のときは、めちゃくちゃ強かった。友達が何人もメッツにいたが、2回対戦し、ともに二桁得点で大敗した嫌な思い出がある。小林がいたときも、強かったそうだ。
 
 
 南高は、いまの桜丘や百合丘のように、かつては「公立の雄」と呼ばれていた。確か、数十年前にベスト8かベスト4まで進んだように記憶している。一時低迷時期があったが、専用グラウンドが完成した頃を境に、安定して好成績を残すようになってきた。
 今年は新チームになり秋、春とともにベスト32入り。シード校に次ぐ力を持っている。
 明日の商大との対決。南高らしい、ねちっこい野球で好勝負を演じて欲しい。


 本日、山手学院が第2シードの百合丘を下しました。
 信じられない!!
 山手学院は、私の家の近くにあるのですが、つい5年ほど前までは、かなり弱かった学校です。それが、近年、推薦制度などを作り、野球部の強化を図っているらしい……。次の対戦相手は逗葉高校。逗葉に勝つと、厚木北と城郷の勝者。どれも、圧倒的に力の差がある相手ではないです。もしかすると、ベスト8まで進んだりして……。地元なので、密かに応援しています。
 

◇神奈川大会3回戦
大清水 000 000 002 2
 南   000 010 12× 4


<松本の今大会の投手成績>
1回戦 6−0 湘南  9回 6安打  7三振 2四死 0責
2回戦 4−0 港南台 9回 6安打  5三振 2四死 0責
3回戦 4−2 大清水 9回 9安打 12三振 2四死 2責



2003年07月22日(火) 徹底した外角攻め(鎌倉学園vs法政二)

 鎌倉学園の先発は、この夏初登場の2年生エースの左腕・前橋健太。少し担ぎ上げるような変則フォームから、ストレート、タテのスライダー(カーブ?)を投げ込んでくる。
「法政二高の応援がすごくて、緊張してしまった」という立ち上がり、ストレートを中心に、無難に三者凡退に抑える。味方が1点を先制した直後の2回表にはスライダーを交え始め、四球をひとつ出すものの、無得点に抑えた。

 最初に迎えた山場は3回表。3アウトチェンジかと思われたショートゴロを、駒田和也(3年)が一塁へ悪送球をしてしまい、そこからピンチが広がる。2死一、三塁から、3番平野裕(3年)にライト前タイムリーを浴び、1対1の同点に。4番吉永真之(3年)には四球を与え、2死満塁のピンチ。迎えるは5番の左打者・駒村剛史(3年)。
 鎌倉学園の武田隆監督は、「本当はあそこで前橋を替えようかと思った」と試合後に振り返る場面だった。でも、我慢して、前橋に託した。

 今年の鎌倉学園は、この日先発した前橋のほかに、ショートを守る駒田、背番号10を着ける金子智孝(2年)と、3投手の継投で臨んでいる。今年は昨年の木下(現神奈川大)のような大エースがいない。それだけに、継投策が勝負を分ける。
 前橋を先発起用したことについては「法政二の1番と5番をどうしても抑えたかった」と武田監督。1番は八橋祐太(3年)、5番は駒村。ともに左打者である。サウスポーの前橋を起用し、左二人を封じ込めようと考えていた。

 3回表。満塁のピンチで、打席に入るのはその駒村。武田監督が交代を我慢した裏には、「左打者だったから抑えてくれる」という思いがあった。しかし、思いとは裏腹に、前橋は制球を乱す。カーブが1球、ストレートが2球外れ、カウント0−3に。
 そのときの心境を試合後、前橋に聞くと、「あのランナーを出したら、もう交替だと思ったので、開き直って、全部外角のストレートで行こうと思いました」と照れ笑い。それでも「開き直って」といいながら、ちゃんとした計算があった。
「法政二が神奈川工業とやった試合を見ていて、打っていたのは全部内角のボールだったんです。外角のスライダーやストレートは全然打てていなかったので、外中心に攻めようと思っていました」
 前橋は駒村に対し、外角ストレートを続け、最後は少し甘めに入ったストレートだったが、空振り三振に仕留めた。マウンドで、前橋は勝利を決めたようにガッツポーズを見せた。

 これで波に乗っていけるかと思った前橋だが、続く4回には、ヒットと2四球でまたしても満塁のピンチを作った。さすがに今度は交替を告げられ、ライトに下がった。
 マウンドに上がったのはショートの駒田。変わった直後、2番の池澤にストレートの四球を与え、押し出しで2対1と勝ち越される。後続は何とか打ち取り、最少失点でピンチを切り抜けた。

 先発した前橋について、武田監督は苦笑いを浮かべながら、こう話した。
「あれが前橋なんですよ。四球出して、ランナー出して、それでも何とか抑える。ほんと、あれが前橋なんです」
 今日の試合で初めて前橋を見たが、監督の言葉の意味がすごくよく分かった。「あれが前橋」と二度も続ける意味も分かる。
 前橋は3回2死で降板。打者19人に対し、2安打、5四球、3三振という内容だった。打たれたわけではない……。

 その後、試合は鎌学が4回裏に同点に追い付くと、6回7回と2点づつ加点。前橋を引き継いだ駒田は、4回の押し出しの四球以外は、要所をきっちりと締めた。特に光ったのが、外角のスライダー。ストライクからボールになるスライダーに、法政二はまったく対応できず、凡打の山。
 この試合で徹底していたのが、鎌学バッテリーの徹底した外角攻め。3回、満塁の場面で、駒村に対する攻めもそうだった。その辺りを捕手の福井邦彦(3年)に訊くと、前橋と同じような答えが返ってきた。
「神奈川工戦をビデオで見て、法政二は外角が弱いと感じました。特にスライダーは打てないんじゃないかと」
 言葉の通り、駒田のスライダーが冴え渡った。また、先発した前橋も、右打者の外角のストレートがすべてシュート回転するタイプの投手。本人も「少し意識している」と話す。外角に弱い法政二にとっては、やりづらい相手だった。

 法政二の各打者は、右打者ならステップする左足が、すべてアウトステップ。中村紀洋まではいかないが。外角中心に攻められていながら、踏み込んで打つなど、対策があまり見えなかった。外角のスライダーに対し、腰が入らず、当てただけの飛球が目立った。
 法政二は、いつも見るたびに思うが、真ん中から内寄りの球にはめっぽう強い。伝統なのだろうか……。去年の夏は横浜を下すなど、古豪復活の兆しを見せた。今年も川和、神奈川工と実力校を撃破。それでも、「甲子園」となると、まだまだ遠くにあるように思う……。

 鎌学の前橋に話しを訊いていて、少し驚き。シニアの名門、緑東シニア出身とのこと。緑東というと、進学先として、横浜や桐光、商大などを思い出すが、鎌学にも来るんだ……と。
「自分はエースじゃなかったんで」と、前橋は小さな声で控え目に話していたが。ちなみに、そのときのエースは桐光に進んだ。
 前橋は目標とする選手として、石井一久(高校生に人気ありすぎ。なぜ?)とともに、シニアの先輩高井雄平を挙げていた。
「一緒に練習をしたこともありますし、先輩に追い付きたいです」と前橋。
 少々、あれ球のところが似ているかな?!

 試合と関係ないけど……、それにしても鎌学の応援は毎年すごい! 
 まだ見たことがない方、必見です。賛否両論、色々とありそうですが……。


◇神奈川大会3回戦
 法政二高 001 100 000 2
 鎌倉学園 100 102 20× 6



2003年07月17日(木) 桜の夏、終わる(桜丘vs桐蔭学園)

 試合後、桐蔭学園の控え通路の前に、桜丘の齋藤比呂樹主将が女子マネとともに立っていた。手には、千羽鶴。「SAKURA」と書かれた主将のユニホームは、保土ヶ谷球場の土がまだ残ったまま。目は真っ赤だった。
「第1シードということは、全然頭にありませんでした。完全な力負けです……」
 話しをしながら、だんだんと目が潤んでくる。それでも、ひとつひとつの言葉ははっきりとしていた。
「勝負に行って負けたんで、しょうがないです。悔いは必ず残るものなので、振り返ってもしょうがないです」
 悔いは必ず残るもの……。重たい言葉だと思った。
 
 創部初の第1シードで臨んだ夏の初戦、センバツ出場校・桐蔭学園に0対7で7回コールド負けを喫した。完敗だった。甲子園に最も近い公立校の夏は、あっという間に終わった。
「桜丘での3年間を振り返ると……、濃い3年間でした。野球ばっかりやってました。みんなと一緒に野球ができて良かったです」

 通路から、桐蔭学園の栗原健主将が出てきた。
 千羽鶴を手に、栗原のもとへ近づく。お互い満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう。絶対、甲子園行くからな」
 栗原の言葉に、「ありがとう」と齋藤も笑顔で答えた。

 千羽鶴を渡し終えると、駆け足で仲間のもとへ向かった。
 一塁側控え通路の前には、桜丘の野球部員、応援団、生徒らが集まっていた。齋藤が戻ると、引退式が始まった。
 齋藤は、桜丘を応援してきた大勢の人たちを前に、挨拶をした。
「こいつらと一緒に野球ができて良かったです。3年間、精一杯やってきたので、これから胸を張って……」
 涙で声が途切れ途切れになる。周りからも、すすり泣く声が聴こえてくる。
「野球部は周りの人たちに支えられて、ここまでやってこれました。本当にありがとうございました」
 
 続いて、応援団長らが野球部に声をかける。
 そして、最後に、応援団の指揮で、グラウンドで歌えなかった桜丘高校の校歌を歌った。
 周りを見ると、応援団、チアガール、制服を着た生徒が、幾重にも野球部員を囲んでいた。涙を浮かべながら、校歌を歌い、引退式が終わった。

「チームが勝つことができなかったので、悔しさはありますけど……、今までやってきたことには、胸を張って、自信を持ちたいと思います」
 1年間、正捕手としてチームを支えてきた佐野翔伍は、しっかりと前を向いて、そう話した。
 引退式で、応援団が言っていた言葉がある。
「今日は負けたけど、お前らすごいよ。かっこいいよ。春にベスト4まで行って、第1シードとったんだよ。胸を張っていいんだよ」
 その通りだと思った。創部初の第1シードという、桜丘野球部にひとつの歴史を刻んだ。

 佐野に話しを聞いていると、斎藤も口にした「勝負にいったから」という言葉が出てきた。
 7回表、桜丘が7点を追う攻撃で、1死一、三塁というチャンスがあった。ここで1点でも取らなければ、コールドゲーム成立。内心、スクイズで1点を取りにくるのではと思った。ここまで来れば勝つことよりも、ゲームを続けることが先決。
 それでも、桜丘ベンチは動かなかった。
「あの場面、スクイズしたって勝てない。勝つには、あそこで打って、点を重ねるしかないんです。9回が終わったときに、勝つつもりでいつも野球をやってますから」
 佐野はこうも続けた。
「当って砕けろとか、負けてもともととか、そんな考えでは野球をやっていません。監督からもそんな言葉は3年間、一度も出ませんでした。私立、公立関係なく、いつも勝負してます」

 それでも、実力では及ばなかった。
 斎藤が「完全な力負け」と認める桐蔭との差は、どこにあったのか。
「スイングスピード、打球の速さ。すべてにおいて違いすぎました」と斎藤。
 マスク越しから、桐蔭打線と対戦した佐野は、
「予想以上の打力でした。思っていた以上です」と力の違いを認めた。

 横浜、桐蔭学園、東海大相模、桐光学園、日大藤沢、横浜商大……など、全国レベルの私立がひしめく神奈川において、公立高校が甲子園を掴む日はいつ訪れるのか。
 
「甲子園の夢は後輩たちに託します。また応援よろしくお願いします」
 引退式で、齋藤は力強く言った。
 甲子園出場が途絶えた日、甲子園への新たな道がスタートした。


◇神奈川大会2回戦
 桜丘 000 000 0  0
 桐蔭 211 210 × 7

 



2003年07月16日(水) 「成り上がり」 城郷・吉田幸央(城郷vs金沢)

 MAX144キロ右腕、城郷(しろさと)高校・吉田幸央(ゆきひろ)を見に、横須賀スタジアムに。
 この吉田、中学時代は鶴見シニアでエースとして活躍し全国大会ベスト32。横浜高校・西江とバッテリーを組んでいた。中学卒業後、進学したのが東海大相模。しかし、野球部は3日で辞めた。8月末日付で学校も辞め、9月から城郷高校へ。城郷では2年春からエースとしてマウンドを守り、今春の県大会では22奪三振をマークした。今年の夏の大会では、川和・加藤、県川崎工・内とともに「公立三羽ガラス」とも呼ばれている。

 試合開始1時間前に球場につき、それから試合を約2時間、試合終了後約20分ほど話を訊いて、吉田に持った印象。

,笋鵑舛稻啓
⇔匹アニキ
L邉綟がいい
そ秧

 城郷高校はほぼ全選手が五厘(三厘?)にビシッと刈り上げ、迫力十分。元気一杯。試合開始1時間前、グラウンドに入り、キャッチボールをする前に、なぜか全員でセンターのフェンスに向かってダッシュ。しかも、「ワーッ」とか「オリャー」とか叫び声を上げながら。センターのフェンスまで到達して、またもやなぜかフェンスによじ登り始める選手が数名。まっさきによじ登った選手が背番号「1」を着けた吉田だった。フェンスに登り、右手を上げ、またもや何か叫んでいた……。

 試合前の挨拶。ベンチから城郷の選手が飛び出してくる。真っ先に飛び出してきたのが、吉田だった。しかも「おれが一番早かったぜ!」と言っているかのように、周りの選手にアピール。試合前から、そんなに張り切らなくても良いのに……。

 試合開始。ネット裏には大リーグ・パドレスのスカウトも含め、スピードガンを持つ真っ黒な男たちがチラホラ。
 右オーバースローから、柔らかいフォームでストレート、スライダーを投げ込む。上背や投球スタイルから、「福井高校・藤井宏海」とだぶった。
 初回、先頭打者に2−2から渾身の外角ストレート。しかし、先っぽに当てられレフトフライ。明らかに三振を狙っていた吉田はマウンドで苦笑い。2番打者には同じストレートで空振り三振。今度は笑みを浮かべる。「ピッチャーはマウンドで表情を出してはいけない」とも言われるが、吉田には当てはまらない。

 初回を見ての印象。
 ストレートとスライダーで明らかに投げ方が違う。スライダーを投げる場合、腕が下がり、スリークォーターになる。果たしてこれが強豪私学に通用するか……。
 マウンド上で表情豊か。周囲への気配り十分。内外野に声をかけ、そして内野から声も掛けられる。ワンマンチームかと思っていたが、良い意味で吉田中心にまとまっている。

 2回。思わず、「すげー」と声を出してしまったシーンがあった。
 6番打者(右)に対し、外角ストレート(見逃し)でストライク、外角スライダー(ファウル)で2ストライク。3球目、空振りを狙い外角へストライクからボールになるスライダー(見逃し)。そして、4球目。今度は同じスライダーを内角から真ん中へ曲げてきて、見逃し三振。この右打者に対する、内角からのスライダーを使った配球は、この後何度か見られた。
 
 3回。ちょっぴり、高校生らしくないシーン。でも、吉田らしいといえば、らしいシーンが。
 9番打者に対して、カウント2−2から外角ストレート。ストライクとコールしても良いコースだったが、判定はボール。すると、吉田は「ウソでしょ〜!」と言わんばかりに、マウンド上で両手を広げ、2、3歩マウンドを降りてきた。おそらく、審判は「なんだ、この高校生は!」と思ったに違いない……。そんな吉田のアクションを見て、ネット裏からは笑いが漏れた……。あそこまで判定に対する不満を、露骨に態度で表した高校生は初めて見た。

 6回には、こんなシーンが。
 先頭打者にカウント2−0からのストレートを芯で捕らえられ、打球はセンター真正面に飛んでいった。これを1年生の須永が目測を誤り、頭上を越されてしまい、三塁打に。このミスで、何とセンター須永がグラウンドにヒザをつき、泣き出してしまった。レフト、ライト、ショートが須永のもとへ駆け寄る。すると、ピッチャーの吉田までもが、センターに走っていき、須永に声を掛けに行った(オイオイ……)。「やんちゃだけど、良いアニキじゃん」と思った。ちなみにこの回、チェンジに終わると、一塁ライン付近で、須永が戻ってくるのを待ち、須永の頭をポンポンと叩いた。やっぱり、良いアニキだ。

 試合内容を書いていないが……、初回に城郷が1点を先制。6回表にセンターのミスで生まれて三塁打をきっかけに、吉田のワイルドピッチで同点に。しかし、その裏、すぐに城郷が1点を勝ち越し。8回にも2点を加点し、4−1と城郷リードで9回表を迎える。

 9回。さすがに、吉田もバテてきた。というか、6回くらいから、見るからに体がだるそうになってきている。体力はない……。練習しているのか?!
 先頭の4番にライト前ヒットを打たれるも、5番を空振り三振に仕留め、1アウト。そして、6番打者をショートゴロに。6−4−3と渡り、ゲームセット。さて、吉田はどんなパフォーマンスを見せるか……、と思ったら、マウンドで両手をヒザにつき、しばらく動かない。泣いていた。そこに、内野陣が「ナイスピッチ」と駆け寄る。頭を叩くもの、ケツを叩くもの。なかなか、いい光景だった。

 金沢 000 001 000 1
 城郷 100 001 02× 4

 ◇吉田 9回 7安打 12奪三振 1四球
 (ちなみにMAX144キロ)

「今日は50点。ストレートもスライダーもキレが悪かったんで。でも、勝てたから良かったです。去年の夏は初戦で負けてたんで、夏に1勝できて良かったです。最後はジーンと来てしまいました」
 試合後、報道陣に囲まれた吉田。緊張することもなく、ハキハキと大きな声で喋る。間近で顔を見ると、眉毛がほとんどない……。
「昨日の夜、気合を入れて剃ってきました!」と吉田。面白い選手である。
 手にしていた帽子に目を向けると、つばの裏に「成り上がり」と書いてあった。
「これ、昨日書いたんです。成り上がってやろうと思って」
 全国の高校球児の中で、「成り上がり」と書く選手はどれくらいいるのだろうか……。多分、ひとりもいないと思う。
「『天上天下唯我独尊』ってマンガを読んでいたら、矢沢永吉の話が出てきて、そこに「成り上がり」のことが書いてあったんですよ。これ、オレにぴったりじゃん! と思って」
 どこまで到達できれば、吉田の成り上がりは完成するのだろうか。
「そうっすね。プロ野球行って活躍することですね」
 では、この夏の目標はどこにあるのか。
「ベスト8まで行って、商大とやりたいですね。強いところとやってみたいんで」
 ちなみに、商大のエース給前とは、シニア時代に2度対戦。中2のときは0−1で給前が勝利。中3では3−2で吉田が勝っているそうだ。

 細かい投球内容について訊くと、
「右打者に対しては抑える方法が分かっている」と自信満々。
 詳しくは話さなかったが、内角からのスライダーに絶対の自信を持っているようだった。スライダーを投げるときに、腕が下がることについては、
「あれは自分でも分かっています。でも気にしていません。スライダーと分かっても打たれない自信があります」
 ただ、左バッターには不安があるようだ。
「左バッターに苦手意識があるんで……」
 この試合を見ても、7安打中、6安打が左打者。三振も12個中、左打者から奪った三振はわずかに3個。「苦手意識」が結果にも表れている。
 今後、さらに上に勝ち進むためには、「対左打者」がキーポイントになってきそうだ。そして、果たして、「投げると分かっているスライダー」が強豪私学に通用するのか。非常に興味深い。

 そんな吉田であるが、どんなピッチャーを目指しているのか。吉田は考える間もなく、スパッと答えた。
「ヤクルトの泉(瀬谷シニアー宇都宮学園)さんが、大好きなんです。ビデオでピッチング見て、カッコイイと思ったんですよ。あと生き方も、カッコイイですよ」
 なるほどねぇ。やっぱりねぇ。妙に納得してしまった。

 城郷の次戦は、20日藤沢八部球場で相模台工業と対戦。
「八部は相性いいんで、楽しみですよ〜」と自信あり気な吉田。
 相模台工業を合わせ、あと3つ勝てば26日にはTV中継のある保土ヶ谷球場。これが少々心配である……。色んな意味で……。



2003年07月14日(月) 夏が終わるとき(日大vs慶應義塾)

 初めて見る光景だった。
 慶応義塾高の鹿内智行捕手(3年)は両腕を組み、試合終了の挨拶に臨もうとしていた。視線は前を見つめている。「怒り」に満ちているような眼だった。
 主将である鹿内は、腕を組んだまま整列する部員に目を向ける。全員が揃おうかというとき、両腕は下げられ、腕組みはとかれた。
 日大高校の校歌を聴くため、ベンチ前に並ぶ。涙を流す選手、放心状態で視線を空にやる選手……、鹿内は少し右足に体重をかけ、両手を腰に当てていた。校歌を聴く間、その姿勢が続いた。
 校歌を聴き終えると、応援席へ挨拶に向かう。鹿内の掛け声で、挨拶が始まり、終わる。真っ先に頭を上げたのは鹿内だった。そして、足取りの重い、ほかの選手に見向きもせず、誰よりも早くベンチに引き返してきた。
 少なくともグラウンド内では、鹿内に涙はなかった。あったのは、「怒り」のように感じた。
 
 前評判では有利といわれながらも、11対1と日大高校にまさかの完敗。誰もが予期していなかった、負け方だった。とくに鹿内は、先制点をパスボールで献上。5回と9回には打撃妨害を犯し、日大に追加点を与えるきっかけを作った。
 チームも鹿内も、「最後の夏に何もできずに負けた」と言ってもいいほどの試合内容だった。

 3年生にとって最後の夏が終わるとき、グラウンドで悔し涙を流す選手が圧倒的に多い。ときには、満足感、充足感から、すがすがしい表情を浮かべる選手もいる。だが、鹿内のように、怒りを表すような態度を見たのは初めてだった。

 昨年の夏の終わりは7月25日の東海大相模戦だった。
 今年はそれよりも10日以上早い、7月14日。あまりにも短すぎる夏が終わった。



2003年07月13日(日) プロ注目の川和・加藤 初戦で散る(川和vs法政二)

 神奈川県大会1回戦。川和対法政二。川和は5回表まで、5対1とリードしていながら、5回裏に悪夢のような12失点。古豪・法政二に6対13の7回コールド負けを喫した。
 最後の打者は、ここまでチームを引っ張ってきたエース加藤幹典だった。カウント0−1からの二球目を打ち、一塁正面へのゴロ。一塁手がベースを踏んだ後、加藤はヘッドスライディングでベースに飛び込んだ。グラウンドに膝をつき、悔しさを見せたのはわずか数秒。涙も見せずに、試合終了の列に加わった。
 応援席への挨拶が終わると、号泣し、グラウンドから立ち上がれない選手が何名かいた。その中でも、加藤はすっきりとした表情を見せていた。起き上がれない仲間を抱え、慰めの言葉をかけていた。 

 川和のエース加藤幹典(3年)は、最速140キロのストレートと二種類のスライダーが武器。進学校から生まれたプロ注目の左腕である。昨年からエース番号を背負い、昨夏は1回戦2回戦と連続完封。続く、秋季大会では東海大相模を相手に1失点完投勝利を収め、その名を県内どころか、プロのスカウトに知らしめた。
 
 エースとして望んだ2度目の夏は、思いもしないコールド負けだった。2回に先制点を献上するも、味方が4回に5点を奪い逆転。加藤も尻上がりに調子を上げていき、勝利は濃厚のように思えた。だが、5回裏に大量12失点。原因は雨によってぬかるんだマウンドだった。

 雨は1回裏から、降り出してきた。2回3回にはかなり強くなり、マウンドは緩くなった。加藤はマウンド上で何度か、踏み出した足を滑らす場面があった。バランスを崩さないようにと思ったのだろうか。いつもとは違うところに力が入り、それが加藤の足に異変をもたらした。
 加藤の投球フォームも、ぬかるんだマウンドには向いていなかった。プロでいえばオリックスで中継ぎとして活躍した野村空生のようなフォーム。決して安定した投げ方とは言えない。全球、一生懸命に投げ込み、「抜く」ことができないフォームでもあった。
「3回頃です。両足のふくらはぎを攣ってしまって。これは、ヤバイと思いました。打者で走ったときも、かなり痛かったです」
 4回には、マウンドで足を伸ばす姿も見られた。そして、迎えた5回。1死から2点を失い、控えの川越にマウンドを譲った。
「監督から、行けるかと言われたんですが、足の状態が良くなかったので、自分から替えてもらいました。川越のことも信頼していましたから」
 加藤は、ライトから戦況を見つめた。ライトでも、何度も何度も屈伸運動をしていた。
 二番手の川越は、法政二打線を止めることはできなかった。4連打を浴びるなど、4失点。川和ベンチは「足の状態が良くない」加藤を、再びマウンドに上げざるを得なかった。加藤は、いきなり3連打を食らうなど、6失点。もう、どうにもできない状態だった。

 加藤は足を攣ってしまったことについて、
「足腰が弱かったということです。今まで、試合中に片足だけなら攣ったことがあったんです。両足は今日が初めてです。それだけ足腰が弱かったということです。いい経験をさせてもらいました」
 最速140キロのストレートは、今日は133キロ止まり。明らかに、好調時の投球ではなかった。それでも、雨もマウンドも、敗戦の言い訳にはしなかった。もう、次のステップを見据えていた。
「今日で終わりじゃないです。これは通過点。足りないものを補って、上に進みたいです」
 川和高校は公立では、県内屈指の進学校である。加藤は進路先として、「六大学で野球をやりたい」と名言した。今日の試合、ネット裏には加藤が第一志望とする大学の監督も、加藤のピッチングを見に来ていた。

 川和野球部での2年半を、加藤はこう振り返る。
「負けましたけど、ここまで楽しくやってこれたので、悔いはないです。川和を選んでよかったです」
 加藤は中学(横浜市立中山中)の野球部を引退したあと、甲子園出場経験もある横浜市内の強豪校の練習を見学に行った。もちろん、川和の練習も見に行った。それぞれの監督と話をし、進路先を決めた。
 市内の強豪校の監督は「チャンスをあげる」、川和の監督(現在の佐藤監督)は「おれが育てる」と言った。加藤は、佐藤監督の言葉に胸を打たれ、公立の川和を選んだ。
 加藤は1年の冬には半月板損傷で手術をするなど、自ら「ケガの多い選手だった」という。だからこそ、じっくりゆっくり育ててもらえる公立高校は加藤にとって合っていたのかもしれない。


 希望の大学で野球をやるために、乗り越えなければいけないのが受験である。。
「とりあえず、すぐに勉強しないとヤバイです。今まで野球漬けだったので、頭を切り替えます」と加藤。
 
 ちなみに、加藤が目標とする投手は「石井一久」。「気持ちで押していけるところが好き」で、ヤクルト時代からファンだったという。大学野球で目標に一歩でも近づけるよう、頑張って欲しい。



2003年07月07日(月) 星稜中、3年連続北信越制覇

 昨日(6日)、全日本少年軟式野球大会の北信越予選が行われ、石川代表の星稜中が3年連続7度目の優勝を飾った。同時に、3年連続で全日本少年軟式野球大会(8月11日〜14日・横浜スタジアム)の出場権を獲得した。延長11回に渡る激戦や、特別延長戦による逆転サヨナラ勝ちが2度など、苦しい試合をものにして、全国の切符を掴んだ。
 
 星稜中を率いるのは田中辰治先生。今年で26歳になる(私と同い年)若い先生だ。
 田中先生の前に星稜中を指揮していたのは、現在遊学館高の監督を務めている山本雅弘先生。中学軟式野球をリードしてきた先生と言っても、言い過ぎではない。石川県内だけでなく、全国の中学指導者が、山本先生率いる星稜中を目標にチームを作ってきた。
 その活動の中で、10年前から「中学校野球交歓会金沢大会」が催されるようになり、中学野球全体のレベルアップにも繋がってきた。山本先生が高校に移られたことで、「中学野球にとって、大きな痛手」と話す先生もいるほど、大きな存在感があった。
 その山本先生を継ぐこと。田中先生には大きなプレッシャーがあったと思う。

 昨年の全中で3位に輝いた修徳学園中の小野寺信介先生も、同じような状況で監督に就任された。小野寺先生は日大を卒業し、わずか2年目。今年で24歳となる。。
 前監督は、現在修徳高校を率いている小田川雅彦先生。修徳学園中で2度の全中出場。第19回大会(1997)では、ベスト8に進むなど、山本先生とともに「中学野球の名将」として知られていた。3年前の秋に修徳高校に移ってからは、不振が続いていた野球部を建て直し、昨秋、今春と都大会でベスト4に進出した。
 
 小野寺先生は就任に際して、「プレッシャーは正直ありました。自分ではないと思っていたんですけど、チームを持って日が経つにつれ、感じてきました」と話す。昨年、就任してすぐの春季東京都大会で優勝を飾った。優勝を決めた瞬間、「喜びよりも、安堵の気持ちが強かった。本当にホッとしましたね」と言う。
 伝統校を率いることの重み、プレッシャーを感じていた。


 全日本少年軟式野球大会に3年連続出場となる星稜中だが、昨年の中学3年生までは山本先生の指導を受けた選手がいた。現在遊学館高校で活躍する鈴木将光(1年)らが、星稜中では最後の教え子である。つまり、今年の中学3年生が、田中先生が丸々3年間指導した最初の学年となる。「山本先生の遺産」はそこにはない。
 
 星稜中は現在行われている全中予選でも勝ち残っており、7月20日からは石川県大会が始まる。もし、県を勝ち抜き、北信越大会で代表権を得れば、中学軟式野球のふたつの全国大会(全日本、全中)出場となる。これは史上3校目の偉業である。

 なお、全日本大会の北信越予選は、北信越5県の代表校がトーナメントを行い、優勝校が全日本に出場できる仕組みとなっている。
 今年で20回目を迎える全日本だが、北信越の代表の内訳を見ると、圧倒的な石川県のレベルの高さが分かる
 
  ・石川 13回
  ・富山  4回
  ・福井  3回


 ところで・・・、ぼちぼちと全国各地で全日本大会の代表校が決まっていると思うのですが、もし代表校が分かる方がいましたら、教えてください。現在把握しているのは、神奈川の代表だけです。よろしくお願いします。


<星稜中、全日本大会までの勝ちあがり>

◆北信越予選(優勝校が全日本大会出場)
 1回戦 ○ 3−0 篠ノ井西中クラブ(長野)
 準 決 ○ 3−2 大門中クラブ(富山)
  *8回特別延長 逆転サヨナラ勝ち
 決 勝 ○ 4−0 光陽中クラブ(福井)

◆石川県中学選抜大会(優勝校が北信越予選出場)
 1回戦 ○ 9−0 高浜中
 準 決 ○ 4−3 松陵中
  *8回特別延長 逆転サヨナラ勝ち
 決 勝 ○ 2−0 宇ノ気中
  *11回特別延長

◆加賀地区大会(上位4校が石川県中学選抜大会出場)
 1回戦 ○ 2−0 北星中
 準 決 ○ 3−0 宇ノ気中
 決 勝 ● 0−2 芦城中


<星稜中、過去の全日本大会の戦績>

◆第3回(1986年) 
 1回戦 ○ 5−3 長沼クラブ(北海道)
 2回戦 ○ 1−0 波崎クラブ(茨城)
 準 決 ○ 2−1 玉津少年野球クラブ(滋賀)
 決 勝 ● 1−5 都賀クラブ(栃木)

◆第8回(1991年)
 1回戦 ○ 9−3 石垣中クラブ(沖縄)
 2回戦 ● 1−1 菅生中クラブ(神奈川)
    (特延 1−2) 

◆第12回大会(1995年)
 1回戦 ○ 7−1 赤江中クラブ(宮崎)
 2回戦 ○ 2−1 二見中クラブ(三重)
 準 決 ● 1−2 松永ヤンキース(広島)

◆第13回大会(1996年)
 1回戦 ○ 7−4 旭二中クラブ(千葉)
 2回戦 ○ 3−2 三ヶ日中クラブ(静岡)
 準 決 ○ 2−1 門真クレイジーボーイズ(大阪)
 決 勝 ○ 5−0 明徳義塾中クラブ(高知)

◆第18回大会(2001年)
 1回戦 ● 0−1 杵築中クラブ(大分)

◆第19回大会(2002年)
 1回戦 ○ 4−2 板櫃クラブ(福岡)
 2回戦 ○ 3−1 三原クラブ(兵庫)
 準 決 ● 1−5 いわき松風クラブ(福島)
 



2003年07月05日(土) 満塁で押し出しサヨナラ

 5月にベースボールマガジン社から発売された『日米プロ野球珍場面名ジャッジ』が面白い。元パ・リーグ記録部長の千葉功さんが執筆され、『週間ベースボール』誌上で連載している「実例で見るルール教室」を修正・加筆した本である。

 その中に、「満塁でサヨナラ押し出しのとき、一塁走者が二塁を踏まなかったら得点は認められるか?」というテーマ(問い)がある。答えは「認められる。四球でサヨナラ勝ちのときは、打者と三塁走者がきちんと進塁すればそれで良い」

 上の問題に関することは野球規則4.09(b)にこう書かれている。

「正式試合の最終回の裏、または延長回の裏、満塁で、打者が四死球、その他のプレーで一塁を与えられたために走者となったので、三塁走者が本塁に進まねばならなくなり、得点すれば勝利を決する一点となる場合には、球審はその走者が本塁に触れるとともに、打者が一塁に触れるまで、試合の終了を宣告してはならない」

 そして【注】として以下が記されている。

「たとえば、最終回の裏、満塁で打者が四球を得たので決勝点が記録されるような場合、次塁に進んで触れる義務を負うのは、三塁走者と打者走者だけである。三塁走者または打者走者が適宜な時間がたっても、その義務を果たそうとしなかった場合に限って、審判員は、守備側のアピールを待つことなくアウトの宣告を下す(以下略)」

 つまり、二死満塁で押し出し四球の場合、三塁走者が本塁を踏んでも、一塁走者が一塁を踏まなければ、得点は認められないということである。

 
 3月に行われた「中学校野球交歓会金沢大会」、東林中vs星稜中の試合で、こんな場面があった。2対2で迎えた7回裏(最終回)。星稜中は1死満塁から、四球を選び、三塁走者が本塁を踏み、サヨナラ勝ち。ところが、打者走者は、一塁へ進む意志を見せずに、早々と試合終了後の挨拶の列に加わろうとした。それを見て、東林中ベンチから審判にアピール(はじめ言い出したのは、たまたまベンチにいた私なんですが…)。
 
 私の頭の中には、「確か、四球で押し出しの場合は、バッターが一塁ベースを踏まないと、得点が成立しなかったんだよなぁ」と、ちょっとばかり漠然とした考えがあった。
 一応、元野球少年でもあり、3年前にはセ・リーグ公式記録員の試験を受けたこともある。そのとき、ルールブックを読み漁り、ルールを一通り勉強した。結果、100倍とも言われた超激戦の筆記試験(主にルール問題)を通り抜けることができた。そのときの財産(?)が頭に残っており、「あれ? 一塁踏まなくていいのかな…」という思いが浮かんだのだ。
  
 で、東林中・佐相先生が主審にアピールに。主審の反応はこんな感じだったらしい。
「え〜、プロにはそういうのがあるんですけど、アマチュアには特別ルールがあって、一塁踏まなくても良いんです」
 ベンチに戻ってきた先生は、「プロとアマにそんな違いはないだろう。プロもアマも一緒だろうが!」と怒り心頭。
 結局、もちろん得点は認められ、3対2で星稜中のサヨナラ勝ちとなった。

 後日、野球規則を読んでみると、上記で紹介した4.09(b)の続きに、このプレーに該当する記述があった。
「無死または一死のとき、打者走者があえて一塁に進もうとせず、かつこれに触れようとしなかった場合には、その得点は記録されるが、打者走者はアウトを宣告される」

 星稜中の場合、打者走者が一塁に進まなかったが、一死だったため、得点は認められる。だが、打者走者はアウトとなる。
 ん……、そのときの主審は「アウト」の宣告なんて、何もしなかったけど……。

 もし、これが二死満塁だったとして、打者走者が一塁へ進まなかったら、あの主審は「アウト」と宣告できたのだろうか。かなり、疑わしい……。
 それに、全中・全日本ともに日本一の経験のある星稜中が、いくら得点が認められる場面といえ、一塁への進塁を怠るのはどうなのだろうか……。ある石川県の中学野球の指導者が「山本先生が高校に移られてから、星稜中の野球は甘くなった」とおっしゃっていたが、このプレーから、その言葉の意味が分かった気がした。

 とはいっても、自分が中学生の頃を振り返ると、野球のルールなんて勉強したことはなかった。「インフィールドフライを落球したらどうなるか」「内野を通り過ぎた打球が審判に当った場合はどうなるか」などなど。実際に起こる可能性があるにも関わらず、詳しいルールはほとんど知らずに野球をやっていたことを思い出す。

 神奈川は中学も高校も、今週末から夏の大会が始まる。どちらも参加校が多いため、1日にこなす試合数が必然的に多くなる。となると、どういうことが起こるか……。レベルの高い審判が不足する。中学の野球なんて、レベル的にかなりひどい。だから、選手がルールを分かっていないと、間違った判定をされても、アピールができない(といっても、選手にアピールする権利はないが……)。

 そんなわけで、残り約1週間。選手のみなさん、技術を磨くのもいいですが、ルールの再確認もしましょう。


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