みのるの「野球日記」
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2003年03月23日(日) 続・再び甲子園のマウンドへ 〜浦和学院・鈴木寛隆〜

 センバツの2日目第1試合に浦和学院が登場。21世紀枠の隠岐を相手に、序盤から大量リードを奪い、試合を優位に進めた。
 4回頃だっただろうか。ベンチ前でキャッチボールをする須永の姿を、NHKのカメラが捉えた。その後ろに、軽く投球練習を始めた背番号10が映った。浦和学院の控え投手、鈴木寛隆だ。鈴木が投げる姿を見た瞬間、思わず「あっ!」と声をあげた。投球フォームがスリークォーターではなく、オーバースローになっていたからだ。

 昨夏の甲子園終了後。森監督は鈴木に対し、フォームの変更を命じた。不安定な制球を安定させるため、スリークォーター気味に腕を下げることを指示した。
 鈴木は、煮え切れない思いを持っていた。
「夏の甲子園が終わってから、監督に『腕を下げて投げてみろ』と言われて、試してはいるんですが……、まだ、自分で納得できていないんです。監督は腰の使い方がサイドに向いているとは言うんですが……。自分は、前と同じように上から投げたいんです。スピードに対して、こだわりを持っているから……。今はMAX134kmなんですが、上から投げてたときは138km出てたんで。速い球、投げたいんです」

 昨秋11月に行われた関東大会。準決勝の藤代戦で、鈴木は先発した今成の二番手として登板。2イニングで3点を失い、エースの須永にマウンドを譲った。
 試合後、森監督の鈴木に対する言葉は辛らつだった。
「(決勝の先発は)須永しかいないでしょう。須永に疲れがあった場合は、今日投げた1年の今成かな。いずれにしろ、どちらかです。鈴木は……、ないですね。今日も調子悪かったからね。鈴木だけはないですよ」
 翌日の決勝戦終了後、鈴木は甲子園への思いを静かに語った。
「甲子園……。元のフォーム、上から投げるフォームで甲子園のマウンドに立ちたいです。冬に走り込んで、身体作りをして、もっともっと速い球を投げられるようにしたい。背番号1もまだあきらめていません」


 隠岐戦。8回から登板した鈴木の腕は、関東大会より明らかに上がっていた。ストレートとカーブのコンビネーションで、隠岐打線を翻弄。打者9人に対し、被安打1、奪三振3、四死球2、失点0だった。

「須永の控え」という立場は昨秋から変わっていない。鈴木は、須永の二番手投手として存在している。ふたりともストレートとカーブを武器にする左腕。でも、それぞれの球種、制球力、マウンドさばき、すべてにおいて、須永は鈴木の上を行く。同じタイプの投手がひとつのチームにふたりいてもしょうがない。鈴木にフォーム変更を命じた森監督の気持ちも分かる。

 秋季大会後、鈴木自らが投球フォームへのこだわりを、監督に話したのか。それとも、監督がオーバースローへ戻すことを指示したのか。フォームを戻したいきさつは、本人に訊いてみないと分からない。でも間違いなく、秋季大会で見た鈴木より、甲子園のマウンド上では生き生きと投げていた。
「上から投げるフォームで甲子園のマウンドに立ちたい」
 甲子園のマウンドを再び踏めたことの喜びが、TV画面から伝わってきた。4ヶ月前の言葉が現実となった。


※『再び甲子園のマウンドへ』は02年11月9日の日記に書いています。



2003年03月21日(金) 中学野球(5) 甲子園でリベンジ【2】

 中学校の部活動、つまり学校単位での中学軟式野球日本一を決める大会が全中なら、地域の選抜チームやクラブチームなどすべての中学野球チームの日本一を決める大会が全日本少年軟式野球大会である。毎年8月に横浜スタジアムで行われており、「ハマの甲子園」と呼ばれることもある。

 3年前(2000年)に開催された第17回大会で頂点に立ったのが桐蔭学園中クラブ(※クラブとつくが、メンバーは桐蔭学園中学野球部の部員。選抜チームやクラブチームが○○クラブとして出場するため、名称を統一するため中学野球部も○○クラブと呼ぶ)。
 
 当時の神奈川新聞には紙面の半分以上を割き、『桐蔭学園中クが優勝』と報じられている。このとき、準決勝決勝と2試合連続完封を果たすなど、エースであり主将としても優勝に大きく貢献したのが平野貴志。このセンバツでは、桐蔭学園高校の背番号1をつけ、甲子園のマウンドに上る。中学時代から「切れ味抜群」といわれた伝家の宝刀スライダーに加え、昨秋にはカットボールを完全にマスターし、投球の幅を広げた。176cm75kgと、投手としては小柄だが、桐蔭学園の投手らしく小気味良いピッチングで、中学時代に続く全国制覇を狙っている。
 平野は打つ方でも3番を務め、勝利に貢献した。その平野のあと、4番を打ったのが栗原健。栗原は平野と同じく桐蔭学園高校に進み、3年時には主将に就任した。センバツでは1番レフトでのスタメン出場が予想されている。栗原は全日本の初戦で、決勝の3ランホームランを放つなど、中学時代から打撃センスは秀でていた。

 優勝した桐蔭学園中クラブの決勝の相手は、岡山代表の岡山クラブ。平野の好投の前に、1−0で惜敗した岡山クラブであるが、レベルが高いといわれる岡山県の実力を存分に発揮した。岡山クラブは桐蔭学園中と違い、地域の中学校(倉敷市・岡山市・赤磐郡・総社市・玉野市・浅口郡)の選抜チームで構成されている。毎年、全日本の予選の前に、優秀な選手を集め、セレクションを実施。選び抜かれた選手が、岡山クラブの一員となる。
 岡山城東の選手としてセンバツに臨む高木省吾、岸勇太、松浦幹夫はこの岡山クラブ出身である。ショートを守る高木は、桐蔭学園中との決勝戦で1番セカンドでスタメン出場。平野の前に、2打数0安打と抑えられた。
桐蔭学園と岡山城東は、桐蔭がふたつ勝ち、城東がひとつ勝つと、3回戦で対決する。平野vs岡山クラブ出身選手の再戦が実現するか。

 センバツに出場する選手の中で、桐蔭学園中に敗れた選手がもうひとりいる。遊学館で小嶋達也の二番手投手として、活躍が期待されている大瀬亮だ。大瀬は門真クレイージーボーイズ(大阪)のファースト兼ピッチャーとして、全日本に出場。準々決勝で桐蔭学園中に5−2で敗退した。大瀬は3番ファーストでスタメン出場。平野に対し、4打数1安打という打撃内容だった。

 大瀬と同じようにベスト8で悔し涙を流したのが、徳島代表の海部中クラブ。当時のメンバーであるエース平岡政樹、ショート貝塚太一、キャッチャー東貴幸は揃って徳島商業に進学。3人ともレギュラーの座を掴み、センバツに挑む。


 センバツに出場する新2年生が挑んだ01年の第18回大会には、岡山クラブが選抜チームの強さを見せて、2年連続の全日本出場を果たした。このチームには、岡山城東の5番打者・花房圭が主軸として出場していた。
 岡山クラブは初戦でAkita中クラブ(秋田)を5−3で下すが、2回戦で明徳義塾中クラブ(高知)に6−0で完敗。前回の日記でも紹介した明徳義塾中のエース鶴川の前に、わずか2安打に押さえ込まれた。
 
 なお、鶴川擁する明徳義塾中は、決勝で二見中クラブ(三重)に3−1で敗れたものの準優勝。全日本が終わると、すぐに全中に臨み、優勝を達成。もし全日本を制覇していれば、史上初めて全日本と全中という、中学軟式野球の2大タイトルを獲得する偉業を遂げていたことになる。
 この2大会は、予選の日程が重なることや、登録等の問題で、両大会に出ることは至難のワザである。もし出られたとしても、夏の猛暑の中、連戦に次ぐ連戦をこなすのは中学生にとっては酷なもの。そんな中、両大会で決勝進出を果たした明徳義塾中は、普通では考えられない偉業といえる。

 選手ではなく監督に目を移すと、宜野座高校の奥濱監督は沖縄・東江(あがりえ)中の監督として、2度の全日本出場経験がある。そのうち1度は、準優勝を果たしている。
 そして、遊学館の山本監督も星稜中の監督として全日本に出場し、96年には全国制覇を達成している。


 中学で日本一を経験した明徳義塾の鶴川が、高校でも頂点に立つことができるか。その鶴川の前に苦杯をなめた門前と山本監督率いる遊学館が、全中の雪辱を晴らすことができるか。「打倒・遊学館」に燃える横浜・成瀬と国士舘・新垣にリベンジの舞台は訪れるか。
 第75回選抜高校野球大会は、いよいよ明日22日に開幕する。



2003年03月20日(木) 中学野球(4) 甲子園でリベンジ【1】

 22日から開幕する第75回選抜高校野球大会には、全国中学校軟式野球大会(全中)で活躍した選手が多数出場する。

 夏春連覇を狙う明徳義塾(高知)のエース鶴川(2年)、セカンドで2番を打つ松原(2年 ※選抜では1番ショートらしい)は付属の明徳義塾中(高知)で、01年に岡山で行われた第23回全中で優勝を飾っている。鶴川は4試合すべてで先発し、2回戦の豊橋中部中(愛知)との試合ではノーヒットノーランを達成するなど、優勝に大きく貢献した。鶴川はその前年に大分で開催された第22回大会でも、2年生ながら主戦投手として優勝を遂げた。過去24回の歴史のある全中で大会2連覇を成し遂げたのは、この明徳義塾中が史上初めてのことだった。また、控えの外野手としてベンチ入りする伊藤(3年)も、第22回の優勝メンバーである。
 
 2連覇目を遂げた明徳義塾中の投の柱が鶴川なら、打の柱は4番を務めた主将の渡邊。渡邊は桐蔭学園の5番一塁手(兼投手)として甲子園に出場する。鶴川は甲子園で一番対戦したい相手として、「渡邊のいる桐蔭学園」と答えている。両校の対戦は決勝まで進まなければ実現しないが、元チームメイトの再戦はあるか。

 明徳義塾中が優勝した第23回大会には、藤代(茨城)の小さなエース美馬(2年)も藤代中(茨城)のエースとして活躍した。初戦の立命館中(京都)戦で、延長9回をひとりで投げぬき、3−0の完封勝利を挙げた。
 また、東北地区代表として出場した村田第一中(宮城)のエース真壁(2年)は、東北高校の控え投手としてベンチ入りをしている。初戦で江津中(島根)に敗れたものの、毎回の11三振を奪う好投を見せた。


 00年に大分で開催された第22回大会の決勝戦は、鶴川のいる明徳義塾中と、星稜中(石川)だった。このときの星稜中の監督が、現在遊学館を率いている山本監督。そして副主将を務めていたのが、遊学館の主将・門前(3年)。三塁手として甲子園に出場する藤原(3年)も、門前と同じく星稜中のメンバーだった。
 ちなみに決勝戦は、延長9回(※中学野球は7回まで)を終わって1ー1の同点。延長10回から、特別ルールを適用し(無死満塁から攻撃を始める)、1−0で明徳義塾中が競り勝った。

 星稜中が準決勝で戦った相手は、関東代表の桑中(栃木)。エースは当時「全国No.1サウスポー」と呼ばれた成瀬。横浜高校のエース成瀬(3年)である。
 成瀬率いる桑中は、初戦で相浦中(長崎)を1−0、2回戦でも中田中(宮城)を1−0。ともに、成瀬が完封勝ちを収め、ベスト4にコマを進めた。特に2回戦の中田中では、毎回の16奪三振で完封勝利。21個のアウトの3分の2以上を三振で占めた。いかに、成瀬のピッチングがすごかったかが分かる。この奪三振の数は、全中の大会記録として残っている。
 しかし、迎えた準決勝。星稜中との一戦で、成瀬はめった打ちを食らった。3連投目となったこの試合で、成瀬の左ヒジは悲鳴をあげ、試合序盤で降板。あとを継いだ投手も打ち込まれ、星稜中に11−0で完敗した。
 
 神宮大会で、遊学館の門前に話を訊くと、
「成瀬のことはよく覚えています。ぼくらとやる前の試合で、三振の大会記録を作ったんですよ。すごいピッチャーだと思いました。でも、ぼくらとの試合ではヒジを悪くして、すぐに降板しました。自分はヒットを2本打った記憶あります」
 一方の成瀬は、関東大会で優勝を決めたあと、
「神宮大会では遊学館とやってみたいですね」と話していた。横浜が初戦で敗退したため、その言葉は叶わなかった。
 遊学館と横浜が、甲子園で当るとなると決勝戦……。

 もうひとり、遊学館に闘志を燃やす選手がいる。国士舘のエース新垣(3年)だ。新垣は上溝中(神奈川)のエースで4番として、全中に出場。初戦で星稜中とあたり、1−0で惜敗した。
 新垣は神宮大会で延岡学園に敗れたあと、
「甲子園では遊学館とやりたい。全中での借りを返したい」と力強く語っていた。組み合わせをみると、ともに2つ勝てば準々決勝で対戦する。

 ちなみに、成瀬と新垣は関東大会の準決勝で投げ合っている。成瀬が好投を見せながら、挟殺プレーのミスで失った1点が決勝点となり、1−0で上溝中が勝利を収めた。
「いま、国士舘で頑張っているんですよね。神宮大会でできればいいですね。お互いに成長してますし、もう一度投げ合ってみたいです」
 とは、関東大会後の成瀬の言葉である。


 それぞれが雪辱に燃える選抜甲子園。
 個人的には横浜vs遊学館、明徳義塾vs遊学館の決勝戦になれば、面白いと思うのだが……。



2003年03月16日(日) 法大vs亜大 亜大・4番三澤が3打点

 法政大学総合グラウンドで16日、法政大ー亜細亜大のOP戦が行われた。
 両チーム、今季の課題は大黒柱が抜けた投手陣の底上げ。法大はエース土居、2番手を務めた奈須が卒業。現在エース候補は松本祥平(4年・桐蔭学園)。松本は昨季こそ、腰痛で登板機会が減ったが、2年時は故障した土居の穴を埋める活躍を見せた。実力は証明済みだけに、あとは体調次第。開幕戦を目指して、現在順調に調整を進めていると聞く。問題は松本のあとの2番手。筆頭は加藤(3年・秋田経法大付)。187cmの長身から投げ込む速球は威力十分。課題は制球力。そして、今季急成長を遂げているのが、今日のOP戦で先発した下敷領(2年・上宮)。右アンダースローから、シンカーを武器に打たせてとるピッチングを見せる。
 
 亜大は木佐貫、永川がプロ入り。亜大の昨季の投手起用を調べてみると、驚くことに春・秋と3人の投手で乗り切ってきた。木佐貫に永川、そして高橋(3年・崇徳)。この3人以外、リーグ戦で神宮のマウンドに立った投手はいない。実績と実力からいって、第1戦の先発はほぼ間違いなく高橋。第2戦で誰が投げるか。その候補であろう左腕の片山(3年・瀬戸内)が本日先発した。

 法大先発の下敷領は、法大野球部の公式HPに自身のアピールポイントとして「あまりいない独特のアンダースロー」と書いているように、ロッテ・渡辺なみのアンダースロー投手。高めに浮き上がるストレートと、緩いカーブ、そして初球から積極的に使ってくるシンカーをコンビネーションうまく配し、打者を打ち取る。
 この試合、下敷領はOP戦には珍しく9回を完投した。金光監督の期待の高さが窺える。昨季の大学日本一である亜大に対し、許した安打は10本、失点は3。ねちっこく当ててくる亜大打線に安打を重ねられながらも、要所は締めた。「らしさ」を見せたのが、三振の数。9回を投げきり、三振はゼロ。淡々と打者を打ち取っていた。
 主将の新里(4年・浪速)は、「下敷領、いいですよ。社会人相手のOP戦でも全然打たれていないんですよ」と試合後、手ごたえ十分の表情を見せていた。

 亜大の左腕片山は、カーブが抜群によかった。特に右打者の内角に落ちる縦のカーブ。法大はこのカーブにてこずり、凡打の山を築いた。片山は6回、渡辺(4年・三重海星)にヒットを許すまでは完全試合。先発の役目を十分過ぎるほどに果たした。
 7回で降板した片山のあとを継いだのが、ルーキーの山木(1年・横浜)。140kmを超える速球が高校時代から注目されていた本格派投手だ。ただし、「コントロールに難がある」というのが山木につけられる評でもある。で、今日の山木。投球の8割は速球。とにかくグイグイと速球で押しまくる。たまに投げるカーブ(フォーク?)は、完全な見せ球。ベンチからも「真ん中で良いから、思いっきり投げろ」と声が飛ぶ。山木は、1軍にデビューした頃の五十嵐亮太(ヤクルト)のように、速球を力一杯投げ込んでいた。高めに抜けた球を痛打される場面もあったが、上級生になったときに楽しみなピッチャーだと思わせる輝きがあった。ルーキーイヤーではあるが、抑えで神宮デビューもあるかもしれない。

 打で目立ったのが、亜大の4番三澤(1年・日本航空)。高校通算55本塁打の左のスラッガーである。大物ルーキーとは聞いてはいたが、まさか4番でスタメンとは思っていなかった。初打席こそセカンドゴロ併殺打に終わったが、残り3打席で結果を出した。2打席目は内角速球に詰まりながらも、センター前への2点タイムリー。第3打席は、速球を高々と打ち上げ、フェンス一歩手前のライトフライ。圧巻だったのが最終打席。いままで亜大打線が抑え込まれてきたシンカーを、タイミングをずらされながらも体で拾い、右中間を深々と破るタイムリー三塁打。4打数2安打。全打点を叩き出す活躍を見せた。

 このほかルーキーでは、亜大が古吟(PL学園)、芋岡(賀茂)、法大は西川(三重)、大引(浪速)が出場した。大引はこの試合こそ、途中出場だったが、前の試合まではサードで3試合スタメン出場をしていたと聞く。

 この時期のOP戦は、ルーキーの活躍が話題になる。同日に行われた早稲田大ー新日本石油では、早大では大谷(1年・報徳学園)、宮本(1年・関西)、日石では坂下(東海大相模)、栂野(桐蔭学園)、千代永(九州学院)らが出場したと、観戦に行った知人が教えてくれた。ちなみに、栂野は武内(2年・智弁和歌山)にホームランを浴びたとのこと。
 
 今週末にはセンバツが開幕。テレビの前に居座るのが例年のことだが、今年は大学野球のOP戦に足を運ぶ予定。土曜日は慶大ー横浜国大、日曜日は法大ー中大(の予定)。清原(桐光学園)の入った東農大も開幕前には一度見ておきたい。東農大はOP戦情報が全然入ってこないけど……、どなたか情報お持ちの方教えてください。


亜大 002 000 010 3 
法大 000 001 001 2

【亜大】
(2)川本(崇徳高校)4−1
(8)近藤(観音中央)3−0
(4)福田(波佐見高)3−0
 4 弓達◆幣昌馨Χ函烹亜檻
(D)三澤 米本航空)4−2 3打点
(3)松浦◆別斉禅曾痢烹魁檻
(9)荒川(岩国工業)4−2
(7)荒崎(高岡商業)3−2
 H 照屋◆頁雜狭盥察烹院檻
 7 古吟 複丕務惘燹烹亜檻
(5)芋岡 焚賁亶盥察烹粥檻
(6)足立ぁ複丕務惘燹烹粥檻

 P 片山(瀬戸内高) 7回 2安打 8三振 0四死 1自責
   山木 焚I郵盥察法。臆鵝。完詑如。柑或供。瓜融燹。閏責

【法大】
(8) 普久原(桐蔭学園)4−1 1打点
(9) 村上 ◆紛涌学園)4−1
 R  井上 ◆憤蕷儿盥察烹亜檻
(7)3藤田 (大成高校)4−1
(5) 佐々木ぁ蔽厦族了魁烹粥檻院。餌播
 R  鵜飼 (津田学園)0−0
(6) 田中彰(創価高校)4−0
(3) 植山 ぁ複丕務惘燹烹押檻
 H  今村 ◆弊消刺嫗亜烹院檻
 2  御手洗◆丙看貭畩襦烹院檻
(2) 植野 (土佐高校)2−0
 H7 山田 ぁ弊轍高校)0−0
(D) 西川  併綾店盥察烹亜檻
 HD 大引  箆佳高校)2−1
(4) 渡辺 ぁ併綾迭だ院烹魁檻

 P 下敷領◆幣綉棔法。慌鵝。隠旭詑如。飴或供。柑融燹。骸責



2003年03月13日(木) たかがオープン戦、されどオープン戦

 西武が今日も負けた。これで、2引き分けを挟んで7連敗。1965年以降、7連敗以上したチームは4つ。いずれも公式戦で優勝を逃している。

◆13連敗 中日 85年 2勝15敗0分 12位 公式戦5位
◆11連敗 近鉄 85年 3勝14敗1分 11位 公式戦3位
◆ 7連敗 東映 65年 9勝16敗2分 12位 公式戦2位
◆ 7連敗 ヤク 98年 4勝13敗2分 12位 公式戦4位

 ここまでの西武。9試合で得点19、失点48。1試合平均にすると、2.7得点、5.3失点。まぁ、勝てるわけない。チーム打率は、1割9分8厘。7連敗もうなずける。以下が主力選手の成績。

◆松井 23−9 .391
◆小関 25−4 .160
◆赤田 23−4 .174
◆大島 14−1 .071
◆大成 25−4 .160
◆細川 14−3 .214
◆貝塚 15−3 .200
◆宮地 12−3 .250
◆和田 16−0 .000
◆マク 18−3 .167
◆浩之  9−0 .000
◆上田 10−3 .300
◆高山 25−6 .240

 松井以外、数字といえる数字を残していない。貧打を通りこしている。
 深刻なのが、去年のリーグ優勝の立役者である和田。ここまで16打席無安打。日本シリーズで無安打に押さえ込まれた後遺症を引きずっているのか。再調整のため、所沢でミニキャンプをはるとのこと。しばらく、オープン戦は欠場する。
 驚いたことに、和田は30打席以上ヒットを打っていない。和田自身、ペナントの最終戦となった9月のオリックス戦で2打数0安打。10月の日本シリーズで4試合無安打(15打数0安打)。ついでに、11月の日米野球で6打数0安打。そして、今年のオープン戦で16打数0安打。合計すると、39打数0安打。ちょっと、異常な数字である。
 
 中日ファンの知人にこの話をすると、「今年は期待しない方がいい。関川と一緒だよ」。なるほど。妙に納得してしまった。関川もダイエーとの日本シリーズでズタズタにされ、翌年のシーズンもその状態を引きずったままだった。そういえば、一昨年活躍した近鉄の磯部も、シリーズで調子を狂わされ、翌年の成績は悪かった。

◆関川(99) 135試合 522−172  4本 60点 .330
    (00) 127試合 419−109  3本 29点 .260
◆磯部(01) 140試合 537−172 17本 95点 .320
    (02) 117試合 396−107  3本 30点 .270
◆和田(02) 115試合 439−140 33本 81点 .319
    (03) ?????

 うむ……。同じ道を辿っているような気がしてならない。

 それにしても、今年の西武はどうなるのだろう。Aクラスも危ない気がする今日この頃だ。まずはキャッチャーがいない。伊東が「若手を育てる」方針で、自らマスクをかぶることが少なくなる。じゃあ、代わりに誰がやるの? ここまでの9試合、途中出場も含め、細川が全試合でマスクをかぶっている。

◆細川 9試合
◆椎木 5試合 
◆田原 4試合
◆野田 1試合

 いずれにせよ、この4人のうちの誰かが、レギュラーキャッチャーを務める。本当ですか? 2軍じゃないんだから……。西武ファン以外で、この4人のプロフィールを知っている人いますか? 西武ファンでも結構怪しいと思う……。

 唯一、打撃陣の明るい話題といえば、ルーキー後藤が一軍へ昇格したことぐらい。昨日、今日と1本ずつヒットを放ち、少しずつ首脳陣の信頼を得ている。今日は何と、5番での起用だった。5番を後藤に任せていいのかという複雑な気持ちもあるが……。右わき腹の故障で戦列を離れているマクレーンの状況によっては、開幕スタメンもありえるかもしれない。

 次戦のオープン戦は、15日の横浜戦。当初はカブレラが復帰予定だったが、18日のダイエー戦に伸びたとのこと。何かここまで負け続けると、いっそのこと、オープン戦全敗っていうのも面白いなぁと思い始めてきた。きっと、同じ思いの西武ファンがひとりはいるはず。

 というわけで、開幕オーダー予想。頑張れ後藤!

(1)遊 松井
(2)右 小関
(3)指 高山
(4)一 カブレラ
(5)左 和田
(6)三 後藤
(7)中 赤田
(8)捕 細川
(9)二 高木浩

 弱そう……。



2003年03月09日(日) 横浜vs市川 荒波のスーパープレー

 高校野球の練習試合が8日、全国で解禁された。22日から始まるセンバツ甲子園に出場する学校も、実戦感覚を取り戻すため、精力的に試合を組んでいる。関東大会の覇者・横浜高校も解禁日の翌日、市川(山梨)と練習試合を行った。

 横浜の先発はエース成瀬。ストレートを中心に、スライダー、カーブ、スクリューを織り交ぜ、市川打線をほぼ完全に封じ込めた。6回を投げ、被安打1、4三振、4四死球、無失点。1本のヒットはファースト、セカンド、ライトの中間に落ちるポテンヒット。芯で捕らえられた打球は、1本もなかった。
 課題といえば、2ストライクと追い込んでからのストレート。三振を取りたい力みからくるのか、高めに抜ける場面が何度かあった。特に、右打者の内角を狙ったストレートが、真ん中高めにいくことが多かった。市川打線はその高めを空振りしてくれたが、甲子園出場校を相手に考えたとき、振ってくれるかどうか。少し間違うと危ない球になってしまう。

 今日の試合、7回のセンター荒波の守備が印象に残った。
 2死二塁の場面で、市川の7番打者がセンターへクリーンヒット。当たりが痛烈すぎて、サードコーチャーは両腕を横に広げ、本塁を狙う二塁ランナーに対し、「止まれ」のジェスチャーをした。
 基本どおり行けば、荒波が返球すべき相手は、カットに入るセカンドやファースト。ところが、荒波はカットマンに見向きもせず、サードへワンバウンド送球。二塁ランナーが三塁ベースをオーバーランすることを見越しての判断だ。送球が若干逸れたので、間一髪セーフとなったが、タイミングは完全なアウトだった。
 何よりもすごいと思ったのが、荒波が何の躊躇もせず、サードへ送球したこと。おそらく、練習の中で繰り返し行っているプレーなのだろう。カットマンに投げるにしろ、バックホームへダイレクトに投げるにしろ、その後ろにはピッチャーなり野手がカバーしている。もし暴投をしても、走者が進塁する可能性は少ない。だが、サードへ送球する場合、ピッチャーはキャッチャーの後ろへカバーに入るので、サードの後ろにはカバーが誰もいないことになる。荒波が暴投すれば、即失点につながる。それだけ、リスクが高いプレーといえる。

 ここで疑問に思うのが、荒波はどの時点でサードに投げることを決めたのか。コーチャーが二塁ランナーに対し、「止まれ」とジェスチャーしたときか、あるいはランナーが止まる意思を見せたときか。普通に考えれば、後者になる。
 が、その場面を振り返ると、荒波がサードへ投げる素振りを見せたとき、まだ二塁ランナーはサードベースを回るか回らないところだったと思う。つまり、止まる意思をランナーからではなく、コーチャーから読み取ったことになる。もちろん、それ以外に、当たりの鋭さやランナーの足の速さなど、総合的な判断でサードへの送球を選んだのだろうが。 
 いずれにせよ、カットマンに投げず、ランナーのオーバーランを刺すために、サードへ投げる外野手は初めて見た。衝撃のプレーだった。

 5回の守備ではこんなプレーがあった。
 1死一塁で市川の8番が、サード石川の前へ送りバント。石川が無難に捌き、一塁の黒木へ送球し、1死二塁に。しかし、アウトにするやいなや、小倉コーチから黒木に対して怒声が飛んだ。
「何で、セカンドに投げないんだ!」
 このとき、若干ではあるが一塁走者が二塁ベースをオーバーランしていた。小倉コーチの注文は、「二塁に投げて、アウトにしろ!」ということだった。
二塁をオーバーランするランナーを刺すために、バント処理後セカンドへ送球するプレーは時折目にするが、そのプレーを怠ったために怒られたところを見たのは初めてだった。
 
 このふたつのプレーをみて、相手走者のオーバーランを刺す守備練習を相当積んでいるのだと感じた。

 今年の横浜は「打てない」といわれている。確かにその通り。今日の市川戦を見て、改めてそう思った。正直言って、市川の投手は大したことなかったが、芯で捕らえたクリーンヒットは数えるほどだった(安打数は9本)。
 だが、今年の横浜にはどんな投手でも2点か3点を取る粘っこさとうまさがある。県大会、関東大会でそれを証明してきた。甲子園でも、勝ち進むとすれば、2−1や3−2というファイナルスコアが多くなるように思う。
 成瀬を中心に、いかに守り切れるか。大量点は望めそうもないだけに、今日の荒波のように日頃練習を積んでいるプレーを、甲子園でも発揮できるかが、勝ち進むポイントになるかもしれない。


市川 000 000 000 0
横浜 003 000 30× 6


(左)右 松原  5−3
(二)  玉城  1−0 2四球 2犠打
(中)  荒波  5−2 1打点 1三振
(一)  黒木  2−1 2打点 1四球
 走左 野中  0−0
(捕)  西江  2−1 2打点 2四球
(三)  石川  4−0 1打点 1三振
(遊)  吉田真 2−0 2四球
(右)  吉田斉 3−1
 打一 太田  0−0 1四球
(投)  成瀬  3−0 1三振
 投   山崎  1−0



2003年03月08日(土) 4番サード後藤

 イースタンの教育リーグ、湘南対西武が長浦のベイスターズ総合グラウンドで行われた。
 初回、湘南先発の斎藤隆を攻め、西武が無死満塁のチャンスを作る。打席には法政大から自由枠でプロ入りしたルーキーの後藤武敏。後藤はカウント1−1から、外寄りのスライダーをうまくおっつけ、ライトフェンス直撃のタイムリー二塁打を放った。
 
 後藤は、次ぐ第2打席で湘南の2番手・川村丈夫からセカンドライナー。セカンド木村の好捕にあったが、打球自体はヒット性。1−1からの外角ストレートを的確に捉えた当たりだった。
 第3打席も相手投手は川村。2−1からの高めストレートをこれまた右方向へ。ライト前ヒットを放った。

 3打席すべてが右方向へ。第3打席ではファウルにはなったが、ライト線への痛烈な打球もあった。ボールの勢いに押されているというよりは、投げられたボールを素直に打ち返しているように感じた。

 引っ張ったところも見てみたいと思っていた四打席目。
 マウンドには4番手の山田。昨季前半戦、ローテーションの一角を担った投手だ。後藤は、1−1からの内角ストレートを素直に引っ張り、サード横を破るレフト線への二塁打。右へ左へ、猛打賞を決める3本目のヒットを放った。すべてが後藤「らしい」ヒットだった。

 課題といわれるサードの守備は、まずまず無難にこなした。2回には吉村の三遊間の当たりをダイビングキャッチ。起き上がってからのスローイングが乱れ、アウトにすることはできなかったが(記録は内野安打)、“それなりに”機敏な動きを見せた。

 後藤は、横浜高校で松坂とともに春夏連覇を達成し、法政大進学後は2年春に三冠王。2年秋にも首位打者を獲得した。しかし、3年秋以降、極度のスランプに落ち込み、4年では主将という立場にありながらも、スタメン落ちすることもあった。
 約5ヶ月前の昨年10月。後藤にとって大学リーグ最終戦となった立大戦で、そこまで不振を振り払うようなクリーンヒットを2本放った。試合終了後、選手控え室前で、プロへの決意を述べていた。
「最後の最後に良いヒットが出て良かった。気持ちよく、上で野球ができると思います。打てなくなったときは本当に苦しかった。でも、それがあったから今の自分があるんだと、いつか思えるように上で頑張りたい。神宮で抑えられたピッチャーには、プロで借りを返します」

 今日、何よりも好感を持てたのが、ストライクを積極的に振っていったこと。湘南投手陣から投じられた17球中、見逃しのストライクはわずかに2球だった。
キャンプ中に足首を捻挫し、1軍のベンチ入り争いからは早々と脱落したが、今日のプレーぶりを見ていると、「シーズン開幕後は……」という期待を持ちたくなった。1軍のサードはマクレーン以外、目立った戦力がいない。チャンスは十分にあると思う。
  
 後藤以外に目立った選手は、西武の3番ショート中島裕之。改めて言うまでもないが、「松井2世」と呼ばれている逸材である。生で見るのは今日が初めてだったが、予想していた以上の選手だった。5打数4安打。すべて快音を響かせたクリーンヒットだった。また、打つだけでなく、守りにも華がある。三遊間への深い当たりをノーステップで一塁まで好送球を投げ、観客を湧かせた場面もあった。

 湘南に目を移すと、4番ファースト小田嶋正邦(185cm、86kg)と、6番ライト南竜介(185cm、82kg)の存在感が光った。小田嶋は一昨年東海大から捕手で入団したが、昨年はサードを守るなど、内野手での試合出場が多かった。今年を見る限りどうやら内野手一本でやらせるらしい(名鑑を見ると、捕手欄に記載されているのだが)。
 今日の小田嶋は、初回に無死満塁から真ん中のスライダーをレフト前へタイムリーを打つなど、5打数2安打。3回には細見のフォークをセンター前へ運んだ。ただ、得意そうに見えるストレートに差し込まれる場面が目立ち、内野フライが2度あった。

 試合後、ヒーローインタビューを受けていたのが6番の南。8回裏に決勝の3ランを、左中間へぶち込んだ。南は報徳学園から投手として、99年にドラフト5位で入団するも、01年から外野手に転向。今年が転向3年目の選手である。1、2打席は空振り三振に終わったが、3打席目から本塁打を含む3連続安打。いずれもランナーがいる場面での好打だった。

 湘南はスタメン9人のうち、4人が新人選手。それぞれが特長を出し、今後への期待を持たせるプレーを見せてくれた。投手陣は、5番手に投げた東以外はすべて1軍で実績のある投手。にしては、「調整段階」ということを差し引いても、打ち込まれる場面が目についた。

【イースタン教育リーグ】
西武 300 030 001  7
湘南 110 400 03× 11

<本> 古屋(5回3ラン)、南(8回3ラン)

【西 武】
1 中D 柴田(98Dぁ。鞠目 26歳) 4−2 
  HD 小牧(90Dィ隠廓目 35歳) 1−0    
2 二中 佐藤(00Dぁ。廓目 24歳) 5−1
3 遊  中島(00Dァ。廓目 20歳) 5−4
4 三  後藤(02D自 1年目 22歳) 4−3 2打点
5 D二 古屋(96DА。掲目 32歳) 5−3 4打点
6 右  栗山(01Dぁ。嫁目 19歳) 5−2 1打点
7 一  中村(01D◆。嫁目 19歳) 5−0
8 捕  上本(02DΑ。映目 22歳) 1−0
  捕  野田(00DΑ。廓目 25歳) 3−1
9 左  玉野(96D 。掲目 24歳) 3−0
  H  犬伏(90D13年目 30歳) 1−1

P 竹内 (01Dァ。嫁目 19歳)4回 8安 3振 2球 6責
  細見 (95D 。固目 29歳)1回 4安 1振 1球 2責
  トモキ(97D◆。暁目 23歳)1回 1安 0振 2球 0責
  福井 (00D─。廓目 22歳)2回 3安 0振 1球 2責

【湘 南】
1 遊  北川 (02DΑ。映目 23歳) 5−2 2打点
2 二  木村 (02D 1年目 22歳) 5−2 1打点
3 D  中根 (88D■隠鞠目 36歳) 2−0
  HD 西崎 (00DΑ。廓目 20歳) 1−1
4 一  小田嶋(01D 2年目 23歳) 5−2 1打点
5 中  河野 (02D─。映目 22歳) 2−1
6 右  南  (99Dァ。看目 21歳) 5−3 3打点
7 三  吉村 (02Dァ。映目 18歳) 5−2 2打点
8 捕  中村 (84D。隠糠目 35歳) 2−2 1打点
  R  武山 (02D 1年目 18歳) 0−0
  捕  渡辺 (00D 3年目 19歳) 1−0
9 左  田中充(97Dぁ。暁目 23歳) 4−2 1打点

P 斎藤(91D。隠嫁目 32歳)2回 5安 0振 1球 3責
  川村(96D 。掲目 30歳)3回 5安 2振 0球 3責
  森中(96D◆。掲目 28歳)1回 1安 0振 0球 0責
  山田(94D◆。糠目 29歳)2回 3安 4振 0球 0責
  東 (00Dぁ。廓目 20歳)1回 3安 1振 1球 1責

 最後に……、今さら言ってもしょうがないけど、イニングの合間に選手がベンチの後ろに出てきてタバコを吸う場面は、あまり良く思えないんですよね。まぁ、自分がタバコ嫌いってこともあるんだろうけど。1軍は球場なのでファンから見られることはないけど、グラウンドでやる場合は、丸見えなんですよね……。しかも、タバコふかしながら、素振りをする選手もいるし……。みなさん、どう思いますか……?



2003年03月04日(火)

 横綱・貴乃花が引退した日。朝日新聞の夕刊に『「静」の横綱 のぞいた激情』という記事が掲載されていた。記事はこう始まる。
<平成の相撲ブームの主役3人は、それぞれ1人称が違った>

 曙、若乃花、貴乃花。それぞれが違う1人称を選んだ。
<曙は角界で一番普通な「オレ」を選び、異国に同化した>
<「人間・花田勝」を貫いた若乃花は「ぼく」で通した>
<人となりの表れたこの2人と違い、貴乃花は「私」を選んだ>

 「私」を選んだ貴乃花も、当初は「ぼく」だった。
<女優の宮沢りえさんとの婚約破棄をめぐる「貴・りえ騒動」で大きな傷を受けた。このころまでは「ぼく」だったが、最高位を極める前後から「私」が増えた>

 そして、ときに「おれ」が現れるときもあった。
<優勝なしに終わった99年を振り返りながら「ほんと、おれがやらなきゃいけないよな」とつぶやいたことも>


 沢木耕太郎氏の『バーボンストリート』(新潮社)に「奇妙なワシ」というエッセイが収録されている。江夏豊について書かれている。
<江夏はスポーツ新聞に登場させられると、必ずワシという一人称を使わされることになる。一匹狼、自分勝手、強心臓などという表面的な印象が、江夏をワシという人称代名詞と不可分のものにしてしまった>

 しかし実際、江夏は「ワシ」ではなく、「オレ」「ボク」を使っている。
<当人がワシと言っている場合には問題ないが、オレ、ボクを使っている場合にも、勝手にワシと変えてしまうのだ>


 「おれ」「ぼく」「私」「ワシ」。
 「オレ」「俺」「ボク」「僕」「わたし」「わし」。
 それぞれにイメージがある。「おれ」と「オレ」でも持つイメージが違う。

 就職試験を受けていた頃、面接での一人称は「私」だった。普段、めったに使うことがない「私」。話していて、明らかにいつもとは違う。いつもの「私」とは違う「私」だった。

 いま、文章の中で「私」を一人称として使っている。「ぼく」か「私」か迷ったが「私」を選んだ。明確な理由はない。でも、「ぼく」という響きには違和感があった。
 知人には「『私』はないんじゃない」と言われた。「ちょっと上からものを見ているようなイメージを与える」と言う。確かに「ぼく」の方が、純朴さが感じられ、読者、取材者との距離が近いイメージはある。

 「私」と「ぼく」。
 どちらを選ぶかによって、文章のスタイル、読者のイメージまでも決まってしまう。どちらで生きていくか、まだ決まっていない。とりあえず「私」を選んだが、文章では一人称を極力使わないようにしている。面接で「私」を使ったときと同じような感覚である。


 < 過去  INDEX  未来 >


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