みのるの「野球日記」
==すいません、ちょっと宣伝です==

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BBA梅原伸宏さんのグラブ本。構成を担当しました。
親指かけ・小指かけの結び方、グリスの入れ方など、
グラブをよりよくするための方法が書かれています。

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@mino8989 です。

2003年02月28日(金) スクラップ(1) いつでもできるスクラップ

 生まれて初めて「スクラップ」をしたのは、小学校高学年の頃だったと思う。夏休みの自由研究で、夏の甲子園の新聞記事を切り抜いたのが最初だった。毎朝、朝日新聞が届くのを楽しみにしていた記憶が残っている(どんな小学生だ?)。

 以前、お世話になっていたスポーツライターのN氏に、「スクラップがしっかりとできるようになったら、一人前のスポーツライターだよ」と言われたことがある。「スクラップは自分だけの取材データ。そのとき、役に立たなくても、いつか必ず必要になるときがくる」と。

 そう言われる少し前から、「神奈川の高校野球」に関してだけは、マメにスクラップをしていた。筑川や桐光学園の取材をしたときは、これが結構役にたった。県立図書館に行けば、過去の神奈川新聞を閲覧することができるので、スクラップをしていなくても何とかなったのだろうが、単純に手間と労力がかかる。自分のスクラップを取材で生かすことができて、N氏の言葉を初めて実感できた。

 いま、部屋に新聞が散乱している。部屋の外には、新聞が1mほどの高さにまで積まれている。自宅でとっている新聞は、日刊スポーツ、朝日新聞(朝・夕)、日経新聞。それに、隣の家から、1日遅れで神奈川新聞をもらっている。合わせて5紙。それが、ほとんど手付かずのまま、部屋の外に積まれている。3ヶ月ほど、手をつけていないためだ。

 スクラップの罠(?)は、いつでもできると思うことだ。「あ、この記事面白い」と思っても、それを切り抜いて、貼り付けようと思うには、労力がいる。いつかやれば良いやと思い、すでに3ヶ月。たまりにたまり、母親から「いい加減整理しないと、捨てるから」と何度となく忠告をうけた。自分のためにやらなければと思っているのだが、なかなか時間がつかない。1月から真面目にやろう! と、思ってはいたのだが……、1月4日が過ぎ、5日が過ぎ、またいつものようにため込んでしまった。
 とりあえず、3月1日からちゃんとやろうと思ってはいるのだが……。



2003年02月23日(日) 中学野球(3) 札幌から金沢へ

 今年、札幌東栄中は『金沢大会』に初めて参加する。
 顧問を務める和田先生は、川崎市の出身。川崎北高校で、巨人・河原純一を育てた加賀谷監督(現大沢高校)の下、3年間野球を学んだ。大学卒業後は、「どうしても中学生に野球を教えたい」と、都道府県問わず教職試験を受験。合格したのが札幌市だった。

 今年の1月はじめ、地元川崎へ帰っていた和田先生は東林中の練習を見学、修徳中との合同練習にも参加した。ビデオカメラで練習風景を熱心に撮影していた。疑問に思ったところがあると、修徳中・小野寺先生と佐相先生を捕まえ、質問をぶつけていた。
「本当は昨日帰る予定だったんですけど、佐相先生から合同練習があると聞いて、飛行機を1日遅らせたんですよ。東林中と修徳中。全中で実績を残している学校がどんな練習をするのか、勉強したかったんです」
 撮影したビデオは、札幌に戻って、子どもたちに見せるという。
「北海道で、熱心に中学野球を教えている先生は少ないんですよ。だから、周りを見ても、学ぶことができない。自分たちでやるしかないんです。でも、だからこそ、チャンスがあるんです。一生懸命教えれば、勝つことができる」 

 和田先生は、佐相先生と話す中で『金沢大会』の存在を知り、その場で「参加」の決意をした。札幌にいる限り、全国の強豪と対戦する機会はない。だから、『金沢大会』に参加し、強豪校にじかに触れ、野球を学ぶ。先生自身も、中学野球をリードする多くの指導者と話すことで、新たな指導の方向が見えてくる。

「金沢大会に参加する」。和田先生の意志は明確だったものの、学校に帰ってからが大変だったと聞く。保護者が、なかなか納得しなかった。「なぜ、中学生の部活で、わざわざ金沢まで行かなきゃいけないんだ」。もちろん、旅費を負担するのは保護者。当然といえば当然の言い分だ。金沢に行く意味を話し、何とか説得できたという。

 今年の全中は、北海道・岩見沢市で開催される。過去に北海道では札幌市で2度行われているが、岩見沢では初めてとなる。
 
 北海道は各地区大会を勝ち上がってきた代表18校が、8月はじめに全道大会を行い、全中への出場切符1枚を争う仕組みになっている(※今年は、例年通りであれば、開催地代表として岩見沢市の優勝チームと全道大会優勝チームが全中へ出場)。
 北海道の中学野球部の数は、平成13年度の中体連の集計によれば568校。これは東京の611校に次ぐ、全国2番目の多さである。例年、568校の中で、全中に出場できるのはわずかに1校。今年は開催地・岩見沢市との関係で、若干参加校が減るかもしれないが、それでも大変な数である。わずか、568分の1を目指すため、和田先生率いる札幌東栄中は、『石川大会』へ参加する。



2003年02月19日(水) 中学野球(2) 交歓会金沢大会の始まりと今

 毎年3月下旬、石川県金沢市で「中学野球交歓会金沢大会」が開催されている。昨年は全中優勝経験を持つ東海大一中(静岡)、鹿島中(兵庫)、星稜中(石川)など、全国から約30校が参加し、3日間かけて各チーム6試合のオープン戦が行われた。

 先日、東林中の練習試合を見に行ったとき、金沢から研修のために上京していた山岸昭彦先生(珠洲市立宝立中学野球部顧問)とお会いした。山岸先生は金沢大会の運営委員を務めている。
「交歓会は、山本先生(当時星稜中、現遊学館監督)と弓桁先生(静岡・東海大一中)が中学野球を盛り上げようという意図で、平成7年に開催されました。その前年に札幌で行われた全中の準決勝で、星稜中と東海大一中が対戦したんですが、前日に『明日の結果がどうなっても、来年から交歓会をやろう』とお二人で話し合って決めたそうです」
 
 3月に山本先生の主宰で金沢大会が、8月下旬には弓桁先生が主導となり静岡で「中学野球交歓会静岡大会」を行うことが決まった。昨年の静岡大会には星稜中や桐蔭学園中(神奈川)など県外25チーム、県内33チームの計58チームが参加した。
 第1回から8年。札幌での想いが、全国に着実に広がっていった。

 だが3年前、金沢大会を企画した山本先生が遊学館の野球部監督に就任。石川の中学野球、全国の中学野球をリードしてきた山本先生が高校野球へ指導の場を移した。山岸先生に、そのことを訊くと、間髪いれず答えが返ってきた。
「あまりにも大きな痛手です。山本先生が高校野球に移られたのは、石川の中学野球にとって、大きな損失です。私も含めてですが、みんな『星稜中・山本先生』を目標に、チームを作ってきました。その目標がなくなってしまうわけですから」
 山本先生の抜けた星稜中は依然、強さを誇っている。昨年の全日本では、ベスト4入りを果たした。それでも、「やはり山本先生のときとは違う」という。「ある意味で、カリスマ的な存在でした」と寂しく言った。

 山本先生が遊学館へ移ったあと、山岸先生が胸に抱いたことは、
「『山本先生がいなくなったから、石川の中学野球のレベルが落ちた』とは言われたくない」
 石川県の中学は、間近に星稜中という全国レベルのお手本がいたことで、切磋琢磨し、レベルアップをはかることができた。ほかの中学も全国で実績を残しており、山岸先生は前任の緑丘中で99年に全日本大会3位に輝いている。
「だからこそ、交歓会に大きな意味がある」と話す。「全国から強豪校が来て、それぞれの特色のある野球を見せてくれる。そういったチームを見ること、試合をすることで、石川の中学野球が発展していく。何年続くか分からないが、交歓会を続けていきたい」

 今年の交歓会は、3月27日から29日まで行われる。北海道から、札幌東栄中が参加する。



2003年02月16日(日) 恒例の・・・・・・、間違いだらけの『ホームラン』(2)

 お待ちかねの(?)第2弾です。

 まずは65ページ。国士舘のチーム紹介の左下にある、監督プロフィールを見てみましょう。永田昌弘監督の紹介がされているのですが、生年月日を見てびっくり! 何と、「昭和00年0月生」となっています! んん?? 永田監督って、いくつですか? まだ生まれてない? 
 おそらく、ダミーでデータを入れておいて、あとで正しく書き入れようとしたんでしょうね(多分)。ちなみに正しくは、「昭和33年1月24日生まれ」です。

 ついでに同じネタでもうひとつ。99ページの明徳義塾、馬淵監督の生年月日を見てみましょう。「昭和49年11月生まれ」と書かれています。計算すると……、わずかに私の3つ上。28歳です。もちろん、そんなわけありません! 正しくは「昭和30年11月28日生まれ」です。

 というわけで、生年月日ネタが続いたので、今大会出場監督の年齢を調べてみました。以下が<年配順>と<若い順>です。

<年配順> 
‐赦贈隠糠 5月 4日 東邦高校  阪口 慶三 58歳
⊂赦贈隠糠11月 3日 横浜高校  渡辺 元智 58歳
昭和21年 5月30日 智弁和歌山 高嶋 仁  56歳
ぞ赦贈横映 7月26日 旭川実業  込山 久夫 56歳
ゾ赦贈横廓 4月17日 藤代高校  持丸 修一 54歳

<若い順>
‐赦贈毅廓 2月19日 隠岐高校  嶽野 正樹 24歳
⊂赦贈苅暁 2月22日 柏崎高校  鈴木 春樹 32歳
昭和45年 1月29日 花咲徳栄  岩井 隆  32歳
ぞ赦贈苅鞠 6月20日 近大付属  藤本 博国 32歳 
ゾ赦贈苅廓 9月 6日 宇部鴻城  岡部 博英 34歳

 さすがに「名将」と呼ばれる方々は……。意外に(失礼!)持丸監督って若かったんですね〜。それと、ついに自分よりも若い監督が甲子園に出場する時代になったんですね。隠岐高校の嶽野監督、若いですね〜。私と同期になります。頑張って欲しいです。
 ふと思ったのですが、甲子園出場監督の中で、史上最年長・最年少は何歳ぐらいになるのでしょうか? ご存知の方、ぜひ教えてください。
 年齢ネタでもうひとつ。先日、東林中の2年生と話していたのですが、「平成元年」生まれだそうです。有り得ん……!
 さらにもうひとつ。野球日記を書いているAさんも大ファンの桐光学園・野呂雅之監督。今年で42歳になるのですが、本当にハンサム(死語?)で、取材を終えた女性記者が100%、野呂監督のファンになると言われているぐらい、ハンサムなんです。とてもとても、42歳には見えません。30代前半と言われても分からないですね。
 ですが、その野呂監督と先日、某グラウンドでお会いしたのですが、帽子から覗く髪の毛にちらほらと白髪が……。ちょっと、ショックでしたねぇ。某先生にそのことを話すと、「白髪染めしてるらしいよ」と一言。本当に42歳だったんですね(笑)。

 では、間違い探しに戻ります。
 ページ戻って、33ページ。宜野座・佐久本匠投手が写真入りで紹介されていますが、キャプションがちょいと違いますね。「魔球で打者を打ち取る宜野座・佐々本」となっております。じつはこれ、ベーマガも同じ間違いしています。確かに、「佐久本」と「佐々本」。似ていますね……。

 次は69ページ。各代表校のエース紹介です。宇部鴻城・岩本祐介投手の「好きな選手」に注目してください。「井川慶太」となっています。井川慶太?? 何か変じゃありませんか? 正しくは、言うまでもなく「井川慶」ですね。

 そして、最後は110ページの読者投稿欄です。「今、岡山の野球が熱い」と題して、岡山県勢の活躍を紹介しているのですが、その中に「中学野球を見ると、一昨年、宇野中学が全国制覇」という文があります。これ、正しくは「一昨年」ではなく「昨年」です。
 でも、こういう読者からのお便りって、どこまで手を加えるものなのでしょうか? まさかそのまま載せることはないでしょうが、事実関係などはチェック入れないのでしょうかね。ちょっと、興味ありです。

 少し話しが逸れますが、同じく読者投稿欄で、「大阪はどうしたんでしょうか?」というタイトルで、大阪勢の秋季大会での不振について触れている投稿があります。「特別に選ばれるのではと噂されますが、私は選ばない方がいいんじゃないかと思います」と、公正に選考を進めて欲しいという内容でまとめられています。
 これに対し編集部は、「近大付が選ばれました。(中略)他のチームの分まで健闘することを期待しましょう」と書いています。まぁ、差し障りのない答えですが、この投稿を誌面に掲載したことに、『ホームラン』の「意志」を感じました。

 ということで、今号の「間違い」はここまで。他に細かいところはちょこちょこありますが……。もし、紹介した箇所以外に間違いを探した方がいましたら、ご連絡ください。楽しみにしております。

 ちなみに、本日発売された『輝け甲子園の星』に、遊学館・小嶋達也投手が「全国制覇」と書いた色紙が誌面に掲載されています。でも、よ〜く見ると、「覇」の字が違う! 編集部の方も冷たいですよね。「字、間違ってますよ。もう1回書いて下さい」と言って、正しく書いた方を載せてあげれば良いと思いませんか? 今頃、小嶋投手は恥ずかしい思いをしてることでしょう。

 
 最後に、もし関係者の方が読んでいましたら……。
 私は決して、『ホームラン』の間違い探しを楽しんでいるわけではありません。でも、どうしても、間違いが多すぎて、目についてしまうのです。『ホームラン』は大学生の頃から読んでいて、高校野球雑誌の中でも大好きな雑誌です。部屋には98年からのバックナンバーが揃っています。だからこそ、「鹿実」を「果実」と間違ってしまうようなことは……(02年7月2日の日記参照)。これからも毎号購入しますので、良い雑誌を作ってください。



2003年02月14日(金) 恒例の・・・・・・、間違いだらけの『ホームラン』(1)

 昨年末、『野球小僧』忘年会で『ホームラン』(日本スポーツ出版社)の編集部の方とお会いした。
「日記読んでるよ。『間違いだらけのホームラン』(02年7月2日)も読んだよ(笑)。しっかり、チェック入れてるんだけどね……」
「え!? 読んだんですか……!」
 思わず、絶句してしまった。
 でも、怒っていはいなかった……はず(多分)。

 で、今週発売された『ホームラン』センバツ総合展望号である。意外に(?)、日記で取り上げられた号に比べると、間違いが少なかった。でも、要所要所に、「間違い探してください」といわんばかりに小ネタが散りばめられていた。というわけで、間違いだらけの『ホームラン』第2弾をお届けします。購入された方は、手元に置いて、赤ペンでチェックを入れましょう!

 まずは10ページ。浦学・須永らを特集した「マウンドで輝け」から。これは間違いというよりも、矛盾です。10ページに広陵・西村投手の投球時の写真とキャプションがあるのですが、キャプションには「西村はMAX136キロながら、キレのいいスライダーとスローカーブが武器……」と書かれています。でも、本文では「右上手から投げ下ろされる速球はMAX142キロ」。ん? 矛盾してませんか?

 次は各代表校の主力打者一覧が掲載されている38ページ。この「各校主力打者成績一覧」がなかなか面白いのです。注意書きとして、「29打数以上」と明記されているのに、何と首位打者を意味する一番上に記されているのが、浦学の鈴木寛隆投手なのです。鈴木の打数はわずかに「6」。安打は「4」。打率にすると、「6割6分7厘」です。2位、近大付属の永松選手の「6割5厘」を6分以上引き離して、首位打者に輝いています。
 でも……、おかしいですよね。『ホームラン』が定めた規定打席に達してないんですよね。わずか、6打数ですから。何で、鈴木のデータだけが残ってしまったのでしょうか。不思議です。
 それと、この「主力打者成績一覧」が掲載されている場所もおかしいんですよね。同じページには「好投手」を紹介する記事が並んでいるのです。で、「好打者」を紹介した方に、「投手成績一覧」があるのです。これって、掲載場所を間違えたと思いませんか?

 ついでは、42ページ。「センバツ出場校完全データ」からです。ここには代表校の部長・監督一覧が載っているのですが、横浜高校・渡辺監督の出身大学が「亜大」となってます。渡辺監督は確か、「神奈川大学」を中退されていると思うのですが……。それか、これって、あの噂されている次期監督を早くも予言しているのでしょうか……。
 ちなみに、このページには、各代表校の「校訓」も掲載されています。「誠実」がやたらに目立つのですが、私が一番気に入ったのが花咲徳栄の「今日学べ」です。何か心に響きませんか? ほかの高校は「質実剛健」「文武両道」とかなんですけど、徳栄だけ、インパクトがあるんですよね。

 で、間髪いれずに47ページ。横浜高校の特集記事の中に、エース成瀬や涌井ら主力5人の写真があります。「前列左から村野、西江」とあるのですが、横浜に「村野」という選手はいません。写真の選手は「村田」です!

 この村田選手、目がクリクリとしていて、新2年生のせいか、まだまだあどけない表情で、なかなかかわいい顔をしているのです。ポジションはキャッチャー。新3年生の西江と正捕手争いをしています。村田は川崎北シニア出身で、シニア時代は中3夏に投手として全日本シニア準優勝の実績も持っています。当然、数多くの強豪高校から誘いを受けたのですが、村田は横浜を選びました。
 本人曰く、「横浜だけがキャッチャーとして獲ってくれたんですよ。小倉さんが直接来てくださって、『キャッチャーで欲しい!』と言ってくれたんです」。じつは、村田は中2の時はキャッチャーのレギュラーとして、試合に出場していたのです。小倉コーチは、そのときの肩の強さが強烈に印象に残っていて、「キャッチャー村田」を勧誘したのです。
 村田は「ピッチャーよりキャッチャーの方が好きだったんです。だから、キャッチャーとして欲しいと言われたときは、嬉しかった」。目標のキャッチャーを訊くと、プロ野球選手ではなく、もっとも身近な人をあげた。「目標は小倉コーチ。本当にすごいんですよ」。

 関東大会、神宮大会では、腰痛のため、打棒が振るわず、持ち前の強肩を発揮することもできませんでした。「とにかく、早く腰を直して、センバツでは万全の体調で望みたい」。神宮大会敗戦後の村田の決意でした。『ホームラン』のメンバー予想を見ると、一旦は打撃優先のために内野へコンバートされた西江が正捕手、村田が控え捕手になっています。個人的には、甲子園で背番号「2」を着けた村田が見たいです。


 話しが逸れてしまいました。
 長くなりそうなので、残りは(2)へ。(2)では、昨夏の甲子園優勝監督が私とほとんど年齢が変わらないことが発覚します。



2003年02月13日(木) 筑川利希也、復活のマウンドへ(1) 穏やかな表情

 昨年の11月16日、半年振りに会った筑川は、ブレザーを着ていた。ベンチ外の応援部隊として、神宮球場に来ていた。

 明治神宮大会2回戦で、東海大は九州国際大に0−1で惜敗した。エース久保裕也が初回に失った1点を、打線が取り返すことができず、初戦で姿を消した。敗戦後、久保は涙を流し続けた。右腕で何度もぬぐっても、涙は溢れ出た。久保を囲んだ報道陣が、取材を行うのを躊躇ったほどだった。
 久保はバスに乗るため、球場の外へ出ると、父の姿を見つけた。2、3分もの間、久保は父の胸の中で泣き続けていた。

 その様子を筑川は5メートルほど後ろで眺めていた。
「来年、久保の分も頑張らないとね」と声を掛けた。
「来年は無理ですよ。4年まで投げられないです」
 そう言葉を返した筑川だが、表情に暗さはなかった。穏やかな表情を浮かべていた。でもそれは、試合に出場できない選手の表情に、勝負を争う舞台に立てない選手の表情に思えた。

 ふたりで話しをしていると、女子校生らしき二人組が筑川に声を掛けた。
「筑川くん、一緒に写真撮ってください」
 肯定も否定の意も見せず、筑川はカメラに収まった。
「相変わらず、人気あるね」
 そう訊くと、筑川の穏やかだった表情が崩れた。
「もう、昔のことはいい加減忘れて欲しいですよ」

 センバツの優勝から、もう3年が経とうとしている。



2003年02月10日(月) 中学野球(1) 全中プログラムから

 昭和54年、横浜スタジアムで第1回全国中学校軟式野球大会が開かれた。全国から16代表が集まり、初代王者には静岡の三ヶ日中が輝いた。
 その後、第5回まで横浜で開催され、第6回以降は各地域の持ち回りで行われている。近畿、北海道、関東、東海、東北、中国、四国、九州、北信越という順番だ。昨年の第24回大会は奈良で開かれ、岡山の宇野中が初優勝を飾った。
 過去には現在遊学館の監督を務める山本雅弘監督が率いていた星稜中が、第15回大会と第20回大会で優勝。また、一昨年は明徳義塾中が史上初の大会2連覇を達成している。
 ちょくちょく日記で登場する、東林中卒業生の二人の投手も全中で活躍している。桐光学園の清原は第20回大会でベスト4に、東海大の筑川は第19回大会でベスト8に入っている。

 と、なぜこんなことが分かるのかというと、今日、奈良大会のプログラムを手に入れたからだ。某事務局さんのご好意で、入手することができた。ずっと欲しかったものだったので、今日は時間があればプログラムを捲っていた。

 登録メンバーのページを見て、少し驚いたことがある。名前、投打、背番号などの欄に、「性別」があることだ。16チームの全選手が「男」となっていたが、「女」が出場することに何の支障もないことを意味している。記載されている参加資格に、性別に関する事項は1行もない。
 東林中・佐相先生によれば、「関東大会に出場した栃木の学校に、女子選手がいて、しかもキャプテンをやっていたのを見たことがある」とのこと。「技術的に見劣りはしなかった」とも話していた。先日練習試合を見に行った、某シニアチームにも女子選手が1名いた。監督曰く、「高校では女子硬式野球をやる予定」だという。


 ちなみに、今年8月に行われる第25回大会は、北海道の番。岩見沢で開催されることが決まっています。行きたい!! でも、何で岩見沢? 札幌で良いのに……。
 



2003年02月09日(日) 来季へ(6) 横浜国大・渡邉裕文投手【3】 訂正

 先日、国大・渡邊投手からメールが送られてきた。

「僕の3年の夏の成績ですが、一つ下の代の成績になっていました。3年の夏は2勝して秋の岐阜県大会で優勝した東濃実業に0−2で負けました」

 渡邊投手、ごめん! 
 1月23日の日記では、「初戦敗退」と書いてしまいました。日記を書き直すわけにはいかないので、本日の日記で訂正いたします。初戦敗退ではなく、2勝でした。
 それからもうひとつ。渡邊投手の漢字表記ですが、正しくは「渡邉」でした。本人からのメールには、「どっちでも大差はないですよ」と書いてありましたが、こちらも訂正しておきます。

 
 国大のOP戦のスケジュールが発表された。「主務が奔走してくれたおかげで、例年よりも強いチームと組めた」とのこと。2軍戦ではあるが、明治、慶応との試合も組まれている。また、3月には、静岡合宿がある。野原投手によれば、「いつ以来かは分からないけど、ここ数年、校外合宿は行っていないと思います」。久しぶりのことだそうだ。自費で行くため、今多くの部員が練習の合間を縫って、アルバイトをしている。「今年の国大は違う」という気合が、春の日程を見ても分かる。

 開幕は約2ヵ月後の4月5日。横浜スタジアムで関東学院大と対戦する。開幕投手は、今のところ渡邉投手が有力だ。メールには「最大のライバルは野原です。でも、開幕は譲りません」と決意が記してあった。



2003年02月04日(火) 退院しました

 無事に退院することができました。29日の日記を読んで、お見舞いメールを下さった方が多数(!)いらっしゃいました。嬉しかったです。ありがとうございました。
 
 全身麻酔の威力に驚きました。これぞ、全身麻酔! 本当に何も覚えていないんです。睡眠薬を飲み、筋肉注射を打たれ、手術室にベッドごと運ばれ、そこまでは記憶があったのですが、鼻から麻酔薬(?)を注入された瞬間、記憶がなくなりました。気づいたら、ベッドの上。手術は終わっていました。
 麻酔が少しずつ切れ、意識が戻ったときに発した私の最初の言葉は、「トイレに行きたい……。膀胱が痛い……」でした。本当に痛かったんです。ナースコールで、しびんを持ってきてもらいました。でも、難しいんですね〜、寝ながら「出す」というのは。罪悪感というか、何というか……。
 しょうがないので、看護婦さんの反対を押し切り、ふらふらになりながら、トイレまで歩きました。左手には点滴のパックを持ちながら。麻酔がまだ完全に切れていないせいもあり、目の前が波のようにグワングワンと歪み、真っすぐ歩くことすらできませんでした。でも、それよりも何よりも、膀胱が……。

 膀胱が空っぽになり、全身麻酔も切れ、母親も帰り、夕飯を食べ(何と17時半!)、19時頃ようやく落ち着きました。
 自分の顔を鏡で見ると、手術をした右奥歯の周りのほっぺたが腫れ上がっていました。でも、お見舞いに来た人からは、「顔痩せてるから、そのぐらいでちょうどいいんじゃん」という一言を頂きました……。
 
 手術した箇所はというと、穴を開けた歯茎の中にガーゼを詰め込み、歯茎が新たに成長するのを待つそうです。つまり、抉り取った歯茎の代わりに、何か別のものをつめ、塞いでしまうのではなく、歯茎が元の形に戻るのを待つということです。その説明を医者から聞きながら、「人間の回復力はすげぇ〜な!」と思いました。

 でも、このガーゼというのが……、やはり気になるものなのです。私は入院中、一度だけガーゼを歯茎の中から引っ張り出してしまい、ちょっとだけ看護婦さんに怒られました。
 舌で手術した箇所を探ると、何か異物に触れる感触があるんですよね。これが、ご飯を食べたあとだと、「ん? ご飯粒かな?」と、舌先でそれを取り除こうとするんです。でも、じつは舌先に当たっているのは、ガーゼの端だったりするわけです。私は、端を思いっきり引っ張りだしてしまい、口からガーゼを取り出してしまったのです。1m近くのガーゼ、しかも血まみれのガーゼが口から出てきたときは、さすがに驚きました。マジシャンが、口から国旗を出すときがありますよね。まさしく、そんな感じでした。

 歯医者さんに聞くと、私のように歯の下(歯茎の中)に膿が溜まって、手術をする人は多いそうです。予防策としては、言うまでもなく、丁寧な「歯磨き!」。入院中、看護婦さんに手取り足取り(?)、歯磨きの仕方を教わりました。みなさんも、正しい歯磨きをしましょう!

 今回、頂いたメールでびっくり仰天したものがありました。同じ野球日記を書いているHさんからのメールです。
「私は過去に3回の全身麻酔を体験してます。でも、今も元気に生きているので、何も心配しなくて大丈夫!」というものでした。
 全身麻酔、3回って……。私はこれ一度っきりにしたいと思います。
 
 というわけで、また日記を再開いたしますので、よろしくお願いします。


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