みのるの「野球日記」
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2002年07月28日(日) 桐光学園全国制覇を目指し(9) 清原、完封!!初優勝!!!

 神奈川県大会の決勝が28日、横浜スタジアムで行われ、桐光学園が2−0で東海大相模を下し、初優勝を飾った。3年連続4度目の夏の決勝で、ついに壁を打ち破り、甲子園の切符を手に入れた。

 終盤に差し掛かった頃、私の隣に座っていた東海大相模ファンと見られる中年の男性が盛んに叫んでいた。
「桐光が勝っちゃダメなんだよ。勝たせちゃダメなんだよ。桐光が勝ったら、神奈川の歴史が変わるから、絶対に勝たせちゃダメだよ」
 私は怒りを抑え、「歴史が変わって、何が悪いんだよ」と心の中で呟いていた。


 清原は最後の打者を一塁ゴロに仕留めると、嬉しさを体全体で表現したあと、力が抜けたホッとした表情を見せた。マウンド横で歓喜の輪が作られる中、清原は輪の外でその光景を眺めていた。歓喜の輪に入るだけの力がもう残ってなかった。
「疲れちゃって、(輪に)入る気力がありませんでした。優勝はすごく嬉しいけど、ほんとに疲れました」
 9回に左足ふくらはぎ、左手の指を攣り、マウンド上で何度もストレッチをする姿が見られた。既に体力は限界に近づいていた。
「9回はストライクを取るだけで精一杯。気持ちしか残ってなかったです」
 
 最後の最後に残った「気持ち」で、相模打線を封じ、今大会3度目の完封勝利を挙げた。3安打完封、見事な投球内容だった。

 東林中時代、2年連続神奈川県大会優勝、2年夏には全国3位という実績がありながら、桐光では思うような成長を見せられなかった清原が、最終学年で神奈川を代表する大エースに成長した。
 初戦の商大戦のあと、「最後の夏、どうしても勝ちたい」と話していた。今までほとんど見られなかったガッツポーズをピンチを切り抜けるたびに見せ、ピンチを迎えると鬼気迫る形相で打者に立ち向かった。
 今日の決勝も、5回に迎えた2死一、三塁のピンチで、1番荒川をストレートで空振りの三振に打ち取ると、「どうだ!見たか!!」と言わんばかりの形相でガッツボーズを見せた。

「精神的に強くなったことが春から一番成長した点だと思う」と清原はいう。今まで死球が怖くて投げられなかった右打者の内角へ、きっちりと制球できるようになった。ピンチでも弱気にならず、攻め抜くことができた。
 清原を3年間見てきた桐光野球部の鈴木トレーナーは「体をいくら鍛えてもやっぱり大事なのは気持ち。清原は3年間で大分変わりました。気持ちが強くなりました。2年生の頃はあまり伸びていなかったんですが、3年になってレベルアップしたと思います」と目を細める。
 清原のお父さんは「あんなにマウンド上でガッツポーズするなんて、うちの子じゃないみたいです。うちの子は気持ちが優しいんですよ」

 優しい心を持ち、マイペースで、感情の起伏が少ない。それが今までの清原だった。でも、今年の夏。違う清原がいた。

 主将の船井は言う。
「入学当初を考えると、こんなピッチャーになるなんて、全然思いませんでしたよ。今年の春から夏にかけて、ガラリと変わりました」
 厚木中学出身の船井は中学3年のとき、県大会で清原と対戦している。
「対戦したときは、すごいピッチャーでしたよ。でも、桐光で一緒にやってみて、『全然すごくない』って思いました。『何でこのピッチャーを打てなかったんだ』って。けど、この夏、ボールを受けてみて、やっぱりすごいピッチャーだったんだって思いましたよ」

 野呂監督は、「彼を見てきた3年間の中で、今日が一番良い表情をしていた。清原にはいろいろ厳しいことを言ってきたが、彼自身がそれを乗り越えて、ここまで成長してくれた。一番大事なゲームで、最高のピッチングを見せてくれた」と手放しでエースを誉めた。


 中学3年。清原は進学先を決める際、自宅近くにある東海大相模の練習も見学した。相模からの誘いもあった。東林中の先輩である筑川もいた。それだけのことが揃いながらも、清原は自分の意志で桐光学園入学を決めた。
「集団で生活するのが苦手な子。寮生活というのも、うちの子には向かなかった。自由な雰囲気で、自分のペースで野球ができる桐光を選んだのだと思います」
 清原のお父さんは、その頃を懐かしむように話してくれた。

 清原が東海大相模に進んでいれば、今日、神奈川の歴史は変わらなかった。桐光学園のエース清原が、神奈川の高校野球に新たな歴史の1ページを作った。


 校歌が流れる中、清原は表情をぐちゃぐちゃに崩し、号泣していた。閉会式が始まっても、その涙が乾くことはなかった。「絶対に勝ちたい」と言っていた最後の夏、言葉通りの結果を残した。

 次は甲子園。「県大会のように楽しんで投げたい。自分のピッチングをしたいです」

 桐光学園、祝・初優勝!



2002年07月27日(土) 桐光学園全国制覇を目指し(8) 河合満塁HR!決勝進出!

 横浜スタジアムで準決勝2試合が行われ、桐光学園は平塚学園を8−4で破り、3年連続4度目の決勝へ駒を進めた。明日は桐蔭学園を8−1の7回コールドで下した東海大相模と決勝を行う。2年連続準優勝の桐光学園が初優勝を飾るか、24年間夏の甲子園から遠ざかっている東海大相模が25年ぶりの優勝を遂げるか。明日、2002年神奈川の夏が幕を閉じる。


 平学先発、柳川の立ち上がり。いつものように制球が定まらない。準々決勝の日大藤沢戦でも、コントロールはバラバラで「好投手」という前評判が信じられないぐらい最悪の出来だった。初回に4失点。どうなることかと思ったが、2回以降は立ち直り、9回までゼロを並べた。
 柳川を攻めるには、制球が不安定な立ち上がりを捕まえること。今日の桐光は、完璧に実践した。

 桐光は初回、先頭照沼のヒットを足掛かりに1死満塁のチャンスを作り、5番代のライトへの犠牲フライで1点を先制。なおも6番船井がライト前ヒットで2死満塁とチャンスを広げると、打席には7番河合。背番号10を着ける控え投手でありながら、打撃を買われて全試合スタメン出場(城山戦は投手として)を果たしている。河合はカウント2−2から、甘く入ったスライダーを完璧に捕らえ、打球は高々とレフトスタンドへ吸い込まれていった。値千金の満塁弾。5−0とリードを広げた。

「スライダーを待っていました。その前にスライダーをファウルで粘っていて、自然とタイミングが合うようになっていました。ホームランは全然狙ってないです。これが公式戦初めてのホームランですから」

 河合は日大藤沢戦を球場で見ながら、インコースのスライダーに腰を引く、日藤の打者が目に付いた。「腰を引いてはスライダーは打てない。とにかく踏み込んで打とう」と柳川攻略法を考えていたという。攻略法を見事にやってのけた。

 2回表、2死満塁。またまた河合に打順が回ってきた。ピッチャーは2番手の松本。河合はストレートを詰まりながらも弾き返すと、高いバウンドでショートの横を抜け、センターへの2点タイムリーとなった。横浜スタジアム特有のいわゆる「人工芝ヒット」だった。これでひとりで6打点。河合の活躍で勝負を決めた。

「今日の第一の勝因は河合です」
 試合後、野呂監督は言い切った。それほど素晴らしい河合の活躍だった。しかも全て2死からの打点。大きな大きな追加点をもたらした。

 3回戦の城山戦のあと、野呂監督はこんな話をしていた。
「これからの戦いの中で、ラッキーボーイが出てくると、監督としては非常にありがたい」

 今日の試合、ラッキーボーイは言うまでもなく河合だった。それ以前から、河合には運があった。準々決勝の相洋戦のあと、「前の試合までのラッキーボーイは河合。引っ掛けた辺りが内野安打になったり、良い所に飛んでいったり、相手がエラーしてくれたり、ラッキーな面が多い」と野呂監督。記録を見てみると、5回戦の法政二戦では2度のエラーで出塁もしている。「河合は実力はもちろんあるけど、そういったラッキーな部分もチームにとって必要」と話していた。

 ラッキーボーイ。言葉だけを見ると、全てが運に左右されているようだが、もちろんラッキーボーイになるには、それだけの準備が必要だ。

 相洋戦。野呂監督はラッキーボーイに内藤を挙げた。
 望月が太ももを負傷したあと、3回の守備から2番センターに入った。6回に回ってきた初打席、ショート内野安打を放ち一塁に出塁。決して良い当たりとはいえなかったが、一塁へ全力疾走を見せ、内野安打を掴み取った。次ぐ3番佐藤がセンター前ヒットで1死一、三塁とチャンスを広げると、打席には4番山田。山田はカウント1−1からスクイズ。三走内藤が一瞬早く、ホームに滑り込み、先制点を挙げた。結局、この1点が決勝点になった。
 内藤は8回の第2打席では一塁ゴロ。と思いきや、一塁の失策を誘い、またしても一塁へ生きた。この打席では相手投手に10球を投じさせる粘りも見せた。望月の負傷を埋める見事な活躍を見せた。

「望月に代わって試合に出るとき、絶対に活躍してやろうと思いました。前の日のミーティングで監督に言われたんです。『明日からの3試合は今まで一生懸命練習してきたやつが活躍する』。自分はそれだけの練習をしてきたと思ってますから、自分を信じて、絶対活躍できると思って、試合に出ました」

 野呂監督がよく口にする言葉がある。
「試合の前にどれだけ準備をするか。簡単に言えば、練習で変化球を打てない選手が試合になって突然打てるわけはない」

 初戦の商大戦。中盤に1死一、三塁というピンチがあったが、落ち着いた守備で無失点に切り抜けたシーンがあった。
「大会前の合宿で選手が自主的に一、三塁での守備練習をやっていたんです。事前に練習してきたことですから、あの場面も落ち着いてできたのだと思います」

 河合と内藤。「ラッキーボーイ」として野呂監督が名前を挙げたふたり。活躍できるだけの準備を、しっかりとこなしてきた。

「ラッキーボーイが出て欲しい」という監督の言葉が、大事な準決勝で、これ以上ない形で現れた。最高の形で、決勝へ臨むことができる。


 決勝に向けて、野呂監督の言葉。
「3年連続で決勝という舞台に立てることが決まって、うれしい。大会前から『7つ勝とう』と選手には言ってきた。明日が7つ目の勝ち。先走りの気持ちにならないで、気楽に臨みたい。明日はよほどのことがない限り、清原で行きます」


 約1年前、新チームはブロック予選、初戦黒星という最悪なスタートで始まった。石井、藤崎ら主力がごっそりと抜け、「今年の桐光は弱い」というイメージがたった。それでも、秋ベスト4、春もベスト4に入った。

 迎えた夏。「桐光はダークホース」。そんな前評判ばかりの中、足を使った攻め、1点を凌ぐ守備、新しい桐光のスタイルでひとつひとつ白星を重ねていった。
結果、3年連続で決勝へ駒を進めた。

「毎晩、優勝して清原と抱き合うシーンを夢見ている」という船井主将の言葉。明日横浜スタジアムで、夢を現実に変えることができるか。

 夏の甲子園まで、あと1勝。



2002年07月25日(木) 桐光学園全国制覇を目指し(7) 清原、今大会2度目の完封!

 神奈川県大会の準々決勝が25日、保土ヶ谷野球場で行われ、桐光学園が相洋を1−0で下し、ベスト4進出を決めた。悲願の夏の甲子園へまた一歩近づいた。
 桐光・清原、相洋・内山のエース同士の素晴らしい投げあいとなったこの試合。6回裏に桐光が4番山田のスクイズで1点をあげると、投げては清原が気迫溢れるピッチングを見せ、相洋を振り切った。



 試合開始予定時刻の11時が近づくにつれ、雨がちらほらと落ちてきた。天気予報では朝方に多少雨がちらつくものの、その後は晴れるということ。だが、予報は完全に外れた。10時50分頃から雨足は強くなり、一瞬にしてグラウンドは田圃のような状態に。当然、試合開始は見合わされた。

『12時をめどに試合を行うか判断します』という場内アナウンスが流れた。私はどんなに待たされてもいいから、今日やって欲しいと思っていた。なぜなら、今日試合をやらなければ、明日の休養日が潰れ、準々決勝から決勝まで3連戦となってしまうからだ。しかも、準々決勝のもうひとつの会場である平塚球場では、第1試合がすでに行われているという。雨の影響はないらしい。となると、今日の試合が中止になれば、休養日のあるチームとないチームが出てきてしまう。「どうしてもやってくれ!」と心の中で願っていた。

 12時過ぎ。徐々にではあるが大粒の雨が、小雨に変わってきた。
 12時半過ぎ。県高野連の方々がグラウンドに出てきて、グラウンド整備の準備を始めた。「ただ今からグラウンド整備に入ります」と、場内アナウンスは試合を開始する方向であることを観客に告げた。
 それから1時間。ドロドロになったグラウンドを、職員の方々と、球場の手伝いをしている横浜商大の選手、そして相洋、桐光学園のベンチ外の選手がスポンジで水を吸い取り、新しい土を入れる作業を行った。
 13時半。当初予定時刻から2時間半遅れて、桐光対相洋の準々決勝がようやく開始された。


 待たされた試合。先発清原の立ち上がりが心配されたが、1四球を与えただけで、無失点で切り抜けた。武相戦で見られたような立ち上がりの乱れは全くなく、得意のカーブも右打者の内角低めへきっちりと決まっていた。「これなら大丈夫」と思わせる立ち上がりだった。

「雨で待たされていたときは、気持ちを切らさないように、いつでも行ける準備だけはしていました」

 じつは清原には今日のように、雨模様の天気で、試合を行うか行わないか分からず、長い間待っていた経験があった。4月下旬のことだ。野呂監督がそのときのことについて話す。

「4月の終わりに対戦相手がうちのグラウンドに到着してから、雨が降ってきて、1度中止の決定をした試合があったんです。でも決定してから、雨が止んで、試合をすることになった。選手にももう『中止だから』と言ってしまったんですが、『もしかしたら、大会でこういうことがあるかもしれないから』と言って、試合をさせたんです。そのとき、先発させたのが清原でした。『晴れの日のピッチングは見てるけど、雨模様の中、こういうシチュエーションで投げるところを見てみたい』と彼には言いました。確か、その試合は清原が良いピッチングをして、今日のような僅差で勝ったと思います」

 監督はここまで話をしながらも、「対戦校は覚えていますか?」と訊かれると、「う〜ん、それはちょっと思い出せないですね」と首を捻った。

 しかし、当の本人、清原はしっかりと覚えていた。
「あれは木更津中央戦です。ほんとに今日と同じような感じで、雨が降っていたのが止んで。あのときの経験を、今日生かすことができたと思います」

 3ヶ月前に貴重な経験をしていた。
 雨による試合開始の遅れを、微塵も感じさせず、清原は好投を見せた。

 序盤を無難に乗り切った清原に、最初に訪れたピンチは5回。無死から連打を浴び、一、二塁のピンチ。迎えるは8番の加藤(人)。加藤はバント守備を敷く桐光内野陣の裏をかき、バスターを試みるも、ファースト正面のゴロとなり、三塁封殺。1死一、二塁に場面は変わった。
 清原は三塁がアウトになった瞬間、両手を腰の辺りで力強く握り締め、マウンド上で吠えた。そして、次の打者を三振に打ち取ると、さらに大きく吠えた。ポーカーフェイスが売り物の清原が、感情と気合いを体全体で表現した。

 6回。桐光に2つのエラーが重なり2死三塁のピンチを迎える。
「味方のエラーでできたピンチ。自分が絶対に抑えてやろうと思いました」と試合後に話した通り、ここも気迫溢れるピッチングを見せ、無失点で切り抜けた。

 その裏。清原の好投に応え、桐光が4番山田のスクイズで1点を先取。貴重な貴重な1点をもぎとった。

 1−0。白熱の展開の中、清原は右打者内角低めへの鋭いカーブを軸にして、要所では渾身のストレートを投げ込んだ。長打が怖い1点差の場面でも、ひるむことなく内側を攻め続けた。

 圧巻だったのが9回。先頭の3番、右打者の高橋(伸)に対し、カーブで追い込むと、最後は内角のストレートをズバリと投げ込み、見逃しの三振に。最後の打者に対しても果敢に内角を攻め、ファーストフライに打ち取り、完封勝利をあげた。被安打3、奪三振10、見事なピッチングだった。

 野呂監督は清原の成長を話す。
「最後の最後で、内角を攻めることができる気持ちの強さ。それが春から、清原が成長した部分でしょうね」

「ノミの心臓」
 東林中時代の清原は、そういう言われることが多かった。緊張することも多く、突然ストライクが入らなくなることも多々あった。感情を表に出すこともあまりない。マイペースに、クールに、感情をコントロールしていた。

 でも、夏の清原は違う。ピンチを切り抜けると、鬼気迫る形相で雄叫びをあげる。ピンチでもひるむことなく内角を攻める。頼れるエースに成長した。

 大会を間近に控えた7月上旬。早稲田実業との練習試合。8回からリリーフ登板した清原は、早実の右打者に対し、頭へデッドボールを当ててしまった。打者は動くことができず、救急車で病院に運ばれた。清原はそのときのことを振り返る。

「あのときはもう、マウンドにいたくなかった。もう、マウンドから逃げたかったです」
 自分がデッドボールを当てた選手が、目の前で救急車に運ばれる。考えただけでもショックは大きい。
 けれど、この夏、清原は果敢に内角を攻め込んでいる。
「早実戦でのデッドボールの恐怖はもうない?」と訊くと、「もうありません」と間髪入れずに答えが返ってきた。

 内角を突ける気持ちの強さ。春から夏へ。背番号1は大きく成長した。
 1−0。投手冥利につきるスコアで、5年連続のベスト4進出を呼び込んだ。

 
 桐光学園は3年連続の決勝進出をかけ、27日横浜スタアジムで昨秋県大会の覇者・平塚学園と準決勝を行う。

 夏の甲子園まであと2勝。



2002年07月24日(水) 桐光学園全国制覇を目指し(6) 先発吉田、好投!!

 神奈川県大会の5回戦が24日、平塚球場で行われ、桐光学園は10−3の7回コールドで法政二に快勝し、5年連続のベスト8に進んだ。

 先発はエース清原ではなく、2年生の吉田干城(たてき)。

 清原の先発はないと思っていたが、まさか吉田だとは思わなかった。安定感のある笠貫、あるいは大舞台の経験豊富な望月の先発を予想していただけに、かなり驚いた。

 22日に行われた武相戦。エース清原が先発し、8回3失点の好投を見せたが、先発予定は直前まで吉田だった。けれど、野呂監督は清原を選んだ。「先発で行くぞ」と告げたとき、「やってくれる」と思わせる表情、そして目の強さが吉田にはなかった。先発を清原に変更した。

 この武相戦。12−3とリードした9回裏。余裕のある場面で、吉田はこの夏初めてのマウンドに上がった。3人をぴしゃりと抑え、無事に試合を締めくくった。

 武相戦から2日後、法政二戦を控えた24日の朝。野呂監督は吉田に先発を告げた。
 先発を聞いた吉田は、「ドキドキという緊張よりは、『よし、やってやろう』という気持ちになりました。行くとこまで行って、自分の力を出すだけ。相手が法政二というよりも、思い切って投げてやろうと思いました」とそのときの心境を話す。

 味方が1点を先行したあとの1回裏。投球練習の1球目、右打者の内角高めにストレートがすっぽ抜ける大暴投だった。2球目も3球目も高めに上ずり、私はどうなることかと思っていた。だが、試合が始まると、心配は杞憂に終わった。

 先頭打者、左打ちの八橋に対し、初球外角低めのストレートが決まった。ベンチはたった1球のストライクに対し、メガホンを叩き大声を張り上げ盛り上がる。初回、ヒットと四球で2死一、二塁のピンチを迎えるものの、最後は5番荒井をストレートで空振りの三振に奪い、初回をゼロに抑えた。ベンチは、引き上げてくる吉田を拍手で迎え、野呂監督はホッとした安堵の表情を浮かべていた。

 野呂監督は先発に吉田を起用した理由をこう話す。
「法政二と対戦が決まってから、相手の勢いをどう止めようかと考えていました。清原や笠貫も考えたが、変化球でかわす投手は相手の勢いに捕まるかもしれない。勢いには力で対抗する。それで吉田のストレートに賭けてみました。吉田には『ダメならダメであとには清原もいるし、最初から全力で思い切っていけ。楽しんで来い』と言いました」

 初回のピンチを切り抜けた吉田は、打線の援護もあって、リズムを掴み始めた。2回には1死二塁のピンチを迎えるが、自らの好フィールディングで無得点に抑える。3回に3番橋本にタイムリー三塁打を浴び、1点を返されるが、なお1死三塁のピンチを自慢のストレートでぴしゃりと抑えた。
 その後、桐光守備陣のミスで2点を失うものの、7回途中まで3失点。堂々たるピッチングを見せ、マウンドを笠貫に譲った。マウンドを下り、ベンチに戻るとき、一塁側の桐光応援席からは吉田の好投に大きな拍手が送られた。

「今日は満点に近いピッチングができました。結果を気にせず、自分の力を出すことだけを考えて投げました」

 「公式戦の最長イニングは何回?」と記者から質問が飛ぶと、「今日が最高です」とちょっと苦笑いを浮かべながら答えた。

 1年の春から活躍を期待されていた吉田だが、公式戦では全くと言って良いほど結果を残していない。
 公式戦初登板は1年春の関東大会。準決勝の花咲徳栄戦で先発し、3回を3失点で敗戦投手となった。その年の夏は4回戦でたった1イニングを放っただけで、活躍の場は与えられなかった。
 1年の秋。準々決勝の神奈川工戦で入部以来初の大役が回ってきた。春の関東大会以来の先発である。だが、吉田は期待を裏切った。たった1アウトしか取れず、被安打3、四球1、自責1の投球内容で、1回途中でマウンドを同期の望月に譲った。
 2年の春。吉田に登板の機会は1度もなかった。3月に行われた練習試合で右ひじ靭帯を負傷。しばらく投球練習をすることができなくなった。その間に、同期の河合や笠貫が台頭。吉田の活躍する場は少なくなっていった。
 5月下旬にケガから復帰。しかし、外野で使われる機会も増えた。「ずっとピッチャーでやりたいと思っていましたから。外野を守っていても、その思いだけは強かったです」
 6月10日。3ヶ月ぶりに実戦のマウンドに戻ってきた。

「同じ2年生が活躍して、焦りはありました。でも、いつかやってやろうとずっと思っていました」

 その「いつか」が今日、訪れた。

 入学してから、今まで2度の先発は失敗に終わっている。ベンチもそれを分かっていた。ある部員が冗談交じりに言った。「吉田をまずは1イニング、投げさせようって思ってました」。ベンチはいつも以上に盛り上がっていた。1球のストライクに大声を出し、吉田に1球1球声を掛け、力は認められながらも、結果の出なかった2年生投手を励ました。

「今日のピッチングで自信がつきました」
 試合後、吉田は満面の笑みで話した。

 ここ数年の桐光は、夏の大会に、必ずといって良いほど下級生の投手が活躍している。2年前は当時1年生だった清原が、準々決勝の武相戦で先発デビューを果たす好投。去年は準決勝の東海大相模戦でこれまた当時1年の望月が、相模相手に完投勝ちを収めた。

 今年は言うまでもなく吉田だ。期待されながら、それを裏切り続けていた吉田が、大舞台で入部後一番の輝きを見せた。

 
 明日は保土ヶ谷球場で、第2シード神奈川工を破った相洋と対戦する。
「今日は最高のゲームだった。素直に喜びたい」と試合後は終始笑顔だった野呂監督。最高のムードと勢いで、ベスト4進出を目指す。

 夏の甲子園まで、あと3勝。



2002年07月22日(月) 桐光学園全国制覇を目指し(5) 主砲・佐藤先制アーチ!

 22日に行われた神奈川大会4回戦。桐光学園は12−3で武相を下し、ベスト16進出を決めた。

 初回。桐光は武相の先発梶山の前に照沼、望月が簡単に打ち取られ二死。ランナーなしで3番佐藤。カウント2−3から内角よりのボールを真芯で捕らえると、きれいな放物線を描いた打球は、広い横浜スタジアムの左中間スタンドへ飛び込んだ。先制のソロホームラン。今大会3試合目にして飛び出した、桐光の初ホームランだった。

 佐藤は昨年のセンバツ甲子園を経験している。現在残るメンバーで、甲子園でプレーしたのは佐藤と1番を打つ照沼のふたりだけ。去年の夏の県大会決勝では、横浜の福井から、3ランホームランを放った。今日と同じような放物線。左中間最深部へのホームランだった。
 
 昨年のチームは長打力が売り物だった。プロにも注目された藤崎(現中央大)、石井(現東海大)、そして黒木(現神奈川大)とスタンドに放り込める力のある選手が3人もいた。
 今年はどうか。4番を打つ2年生の山田にも期待がかかるが、ホームランを打つとなると佐藤のパワーが勝る。

 20日の城山高校との3回戦でも佐藤の長打が光った。2回裏、2−1と逆転に成功し、なおも2死満塁。佐藤はあわやホームランかという、レフトオーバー走者一掃の二塁打を打った。5−1と突き放す価値ある長打だった。

 野呂監督は3回戦の試合後、こんな話をしていた。
「去年に比べて、今年は長打を打てる選手がいない。まぁ、ゼロではないが、ほとんど期待できなくなった。昨年の秋以降、バットが重くなって、振り切れる選手がいなくなりましたね。ゴロで転がして、ヒットを積み重ねたり、進塁打を打ったり、相手の隙を突く走塁であったり、今年はそういうプレーで点を取っていきます」

「ゼロではない…」
 訊くまでもなく、佐藤への期待だ。

「ランナーがいるところで、長打が打てて良かったです」
 試合後、佐藤は満面の笑みを浮かべていた。監督の期待を知っているかのように、話を続けた。
「今年は長打を打てる選手が少ないので、自分の役目は大きいと思っています。ランナーがたまっているところで、長打が出れば、有利になりますから」

 佐藤は相模原市の内出中学出身。軟式出身だ。エースの清原(東林中)とは、中学時代に何度も対戦していると言う。「ライバルだった?」と訊くと、「はい。でも何度もやってますが、全然打てませんでした」と少し照れた。中学の頃から、長打が持ち味のスラッガーとして鳴らし、活躍していた。「たまたま、野呂先生が見に来た試合で、ぼくがホームランを打ったんですよ」と当時を懐かしみながら話してくれた。

 高校進学後は、野球部専属のトレーナーのもとで筋力アップに励み、パワーヒッターとして桐光の主軸に成長した。
「目標は先輩の石井さんです。大会前に一言だけ『頑張ってくれ』と言われたんですよ。たったそれだけの言葉なんですが、石井さんだけに重みがありましたね」

 まだ、横浜の敗戦など考えもしなかった城山戦の試合終了後。佐藤は力強く話していた。
「横浜に勝つには…、自分が打てば絶対勝てます!!」

 相手は横浜を破った法政二に変わった。ただ相手が変わっただけ。自分の長打が、桐光の勝利を呼び込むことに何ら変わりはない。

「今年のチームは3年生が少なくて…、新チームになったとき、船井と照沼(ともに3年)とよく話をしたんですよ。『おれたちが、下級生を引っ張っていかなきゃいけない。おれたちが緊張してたり、練習に取り組む姿勢が悪かったりしたら、下もついて来ないから』」
 そんな話を重ねていくうちに、旧チームが残していった「2年連続準優勝」という大きな看板、プレッシャーから解放されていったという。

 4回戦。佐藤が2安打1打点。照沼が2安打3打点。キャプテンの船井は3安打3打点。そして、エースの清原は序盤乱れながらも、8回3失点のピッチングを見せた。サードコーチャーの飯塚も的確な判断を見せ、役目を完璧に果たした。3年生が大活躍を見せた。


 24日、対法政二。勝てば5年連続のベスト8が決まる。
 今のチーム。公式戦初戦となった秋のブロック予選では、まさかの黒星発進だった。負けた相手は、明日戦う法政二。
 あれから1年半……。成長を遂げた桐光学園野球部が、初の夏の甲子園へ向けて、一歩一歩階段を上る。



2002年07月18日(木) 慶応の野球(慶応義塾vs鎌倉学園)

 保土ヶ谷球場で行われた神奈川県大会の2回戦。第3シード慶応対ノーシードの鎌倉学園は、6−1で慶応が勝利を収めた。シード校の慶応が勝った。
 
 一緒に観戦していた友人が「これって波乱なの?順当なの?」と訊いてきた。彼はあまり神奈川に詳しくない。私は「う〜ん、鎌学が勝つと思ったんだけどな…」とどっちつかずの返事をした。
 
 春の大会ベスト16に入り第3シードを獲得した慶応が、春の大会ではブロック予選で敗退した鎌学に勝った。この事実だけを見れば順当。
 でも…、春の大会で、鎌学は準優勝した日大藤沢と同じブロックに入るという不運があり、その日藤に敗れ、県大会に進めなかった。敗れたスコアは2−5。違うブロックに入れば、間違いなく県大会に出場しただろうし、シードを獲れる力を持っていた。
 現在エースの木下(3年)は2年のときから主戦として活躍していた。一昨年の秋、昨年の春と、木下が投げ、横浜高校を2大会連続で破っている。ちなみに昨年の秋は準々決勝で平塚学園に敗れたものの、藤嶺藤沢、武相などを破り、ベスト8に進んでいる。今大会はノーシードながら優勝候補の一角に挙げられるほど、戦力は充実していた。

 一方の慶応は、春ベスト16とはいえ、ブロック大会では瀬谷高校に5−9で敗戦を喫している。そして、慶応が春の4回戦で負けたのが、奇しくも鎌学と同じ、日藤だった。慶応は1−7で日藤に敗れている。

 試合前のシートノック。慶応は不恰好だった。とてもじゃないが、「上手い」とは思わなかった。ユニホームの着こなしも、センスを感じなかった。でも、目を引き付けられた場面があった。内野に緩いゴロを打ち、わざとランニングスローをさせるノックメニューが組み込まれていた。選手たちは、何の苦もなく、ランニングスローをこなしていた。
 
 慶応の上田監督はおもしろい人だなと、この場面を見ながら思った。

 ご存知の方も多いと思うが、上田監督は高校野球界ではちょっとした有名人だ。誰も考え付かないような練習方法を取り入れたり、自由奔放な野球をやったり、長髪がOKだったり……。
 98年から99年までアメリカのUCLAに留学し、野球ではなく、ベースボールを学んだ。「強豪校と同じことをやっても、神奈川では勝てない」という思いがそこにはあった。


 試合開始。木下の調子が悪い。ストレートが高めに浮き、思うような組み立てが作れない。序盤は何とか凌いだが、3回裏に味方に1点を先制してもらった直後の4回表、3本の長短打を浴び、あっという間に2失点。1−2と逆転された。

 慶応先発の落合(右投げ)はのらりくらりと相手をかわす。決め球はスライダー。でも軸になるボールは何の変哲もないストレート。いや、良く見ると手元でおじぎしている。外から見ていたら、いつでも打てそうな普通のボール。でも、鎌学は捉えることができなかった。

 鎌学、6回裏の攻撃。2死一、三塁のチャンスを掴む。バッターは1番左打ちの田中。それを見て、上田監督が動く。センターから左投げの永井を呼び、マウンドに。先発落合は外野へ。永井はいきなりストレートの四球を与え、満塁のピンチを作るが、2番打者、これまた左の石井をキャッチャーフライに抑え、大ピンチを切り抜けた。

 7回裏。マウンドには、またもや落合が。永井は定位置の外野へ。でも、落合は見るからにバテバテ。先頭打者に死球を与えると、次の打者にはカウント2−3。ここで落合がマウンドから、ベンチに合図を送る。と思ったら、トボトボとマウンドを降りてきた。またもやピッチャー交代。外野から永井が2度目のマウンドにやってきた。永井が、これまたのらりくらりと、後続を打ち取った。

 2−1、慶応リードで試合は進む。鎌学からすれば、チャンスはあるが、うまくかわされている。
 9回表、慶応にまさかが起こった。相手のミスで得たチャンスで、1番鹿内がレフト芝生席で3ランをホームランを放った。自身、「練習試合でも打ったことがない」という高校初ホームランが、とんでもないところで飛び出した。これで勝負は決まった。



「左打者が来たら永井で行こうと、今日の朝、ヨーグルトを食べているときに思いつきました(笑)。落合のボールが芯を食い始めてたので、あそこは1、2番だけ永井にしようと。でも、もう1度永井を投げさせるつもりはなかったんです。あれは、落合が足を攣ってしまって、『もう、投げられない』って言うもんだから…。落合には、1週間前にツーシームを教えたんですよ。今日はそれが良かったみたいですね」
 大会の1週間前に新しいボールを覚えさせる感覚は、普通ではないと思う。大会を控え、調整に入らせるのが普通だ。でも、覚えた新球が勝利を呼んだ。

 普通じゃないといえば…、球場通路から上田監督が出てくると、外で待ち受けていた野球部員が手拍子と大歓声で監督を出迎えた。
「マック!マック!マック!!マック!!」
 上田誠。愛称である「マック」が部員から連呼された。マックもそれに応え、部員とハイタッチ。監督と選手の普通じゃない関係を見た。
 試合中もそうだった。ピンチを凌ぎ、ベンチに戻ってくる選手を、監督はハイタッチで迎えた。選手は何のビビリもなく、自然にそれに応えた。
 上田監督を紹介した何かの記事に書いてあった。「『監督が絶対』という考えは好きではない。指導者の方が経験はあっても、人としては対等なはずです」

 慶応野球部。いつも不思議なチームを作ってくる。スタンドから見ていてセンスを感じる選手は、他の強豪に比べて少ない。個性的な投げ方、個性的な打ち方をする選手が多い。型にははまらない。頂点には届かないが、ベスト16あたりで安定した力を見せている。
 だが、不思議なチームであるがゆえに、「今日良い試合したと思っても、次の試合でコロッと負けたりしますからね」と上田監督も言う通り、いきなり不意打ちを食らったように、あっさりと負けることもある。昨夏はシード校の相洋に快勝し、横須賀学院にもコールド勝ち。だが4回戦で神奈川工に1−13で負けた。2回に一挙8点を奪われ、あっけなく夏が終わった。でもそれもまた、慶応野球部である。

「じっくりゆっくりと将来に繋がる指導をしていきたい」。それが上田監督の考えだ。野球は高校3年間で終わりではない。慶応大学でも現役を続ける部員が多い。

 昨夏、2回に一挙8点を失い、敗戦投手となったのは、今日リリーフで好投した永井だった。去年は2年生ながらエースとしてマウンドを守り続けた。だが、今年の春先、肩を痛め、春季大会での登板は一度もなかった。エース番号は後輩の落合に奪われた。
「1年間、昨年の悔しさを忘れないようにやってきたので、今日抑えることができて嬉しいです」
 8番を着ける元エースは、またエース番号を着ける思いでいる。
「エース番号に未練があります。大学に行って、外野手ではなく投手一本で挑戦したい。今は腕を下げ気味で投げているんですが、大学ではオーバーハンドにして、やってみたい」

 まだ夏が終わったわけではないのに、次の目標を語れる選手。慶応にはそんな選手がたくさんいるのだと思う。

 この夏、慶応の選手は負けたとき、涙を流すのだろうか。監督や選手の話を聞いていて、そんな疑問が頭に浮かんだ。



2002年07月17日(水) 桐光学園全国制覇を目指し(4) 清原完封!!

 半年ぶりに「桐光学園全国制覇を目指し」シリーズの復活です。本人ですら、最後にいつ書いたか忘れてしました…。01年10月の日記でNo.3まで書いてますので、興味のある方は是非読んでください。ちなみに、このシリーズはタイトルの通り、全国制覇するまで続く予定。


 7月17日。桐光学園が夏の神奈川大会の初戦を飾った。強豪横浜商大に対し、2−0の完封勝ち。1年生から大舞台を踏んできたエース清原が見事なピッチング。9回を7安打、9三振、1四球という投球内容だった。打っては5回に先制のタイムリー二塁打を放ち、投打に大活躍を見せた。

 最大のピンチは1回裏。「一番意識をしていた」というプロ注目の1番岩崎にライト線への二塁打を打たれると、2番藤橋のときに三盗。無死三塁のピンチを迎える。だが、ここで清原が得意のカーブを有効に使い、2番3番と内角低めのカーブで連続三振。4番京極も一塁ゴロに仕留め、初回のピンチを凌いだ。

 2回3回とランナーを出しながらも抑えると、4回に迎えた2死二、三塁のピンチも無得点に。野呂監督は「序盤に清原がよく粘ってくれた。あそこで点を取られていたら、逆の試合展開になっていたかもしれない」と試合後、安堵の表情を浮かべるほど、序盤を無得点に抑えたのが大きかった。
 その後は横浜商大の拙攻に助けられはしたが、ピンチらしいピンチもなく、9回を投げきった。

 ランナーを出しても、カーブを低目に丹念に集める清原の持ち味を存分に発揮した。特に右打者のヒザ元へ落ちる、内角のカーブが抜群。そこへ決まれば、100%大丈夫と思うぐらい、鋭さがあった。
 試合後、横浜商大の金沢監督が「清原君のカーブを狙わせたが、思った以上にキレがあった。あのカーブを狙わないと勝つことはできないと思っていましたので。清原君が一枚上でしたね」と話すほど、カーブが冴えていた。

「今日のピッチングは80点。残りの20点は4回に出た味方のエラーでリズムを崩し、ピンチを招いてしまったから」
 清原はそう言いながらも、終始笑顔を浮かべていた。最後の打者を打ち取ったとき、マウンド上で両手を突き上げ喜びを表した。最上級生、背番号1で臨む最後の夏、相当なプレッシャーがあったと思う。無事に初戦を飾ったことで、笑顔がはじけた。

「1年からずっと投げてるけど、やっぱり3年になると違いますね。もう3年か、最後の夏なんだと思うようになりましたし、最後の夏は勝つしかないですよ」
 去年までは、自分が打たれても助けてくれる先輩がいた。でも、今年は自分がエース。先輩はもういない。 

 1年の夏は横浜に敗れ準優勝。2年の夏。またしても横浜に敗れ準優勝。今年、3年の夏は、横浜が間近に控えている。喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか。あと2つ勝てば、5回戦で横浜と当たる。

 清原に今年の目標を訊いてみた。即座に答えは返ってきた。
「まずは横浜を倒します」
 まずは……と言うのだから、本当の目標はもっと先にある。けれど、横浜を倒さなければ、それは見えてこない。
 三塁コーチャーを務める飯塚選手もこう話す。
「みんな、トーナメントが決まった瞬間から、気持ちは打倒横浜ですよ」

 夏の大会3連覇を狙う横浜は、桐光と同じく今日初戦を迎え、7−0で市横須賀を下した。エース福井を投げさせずに、初戦を終えた。
 
 清原の最初の目標を達成する日は、1週間後の水曜日。平塚球場の第1試合に組まれている。2度あることは3度あるのか。それとも、3度目の正直か……。決戦の日が待ち遠しい。



ひとりごと

 今日7月17日は、清原の中学の先輩筑川利希也(東海大相模ー東海大)の20回目の誕生日でした。「すごい投手だと思ってます」と恐縮気味に話す後輩清原が見せた完封劇。勝手に何かの縁を感じてしまいました(笑)。ふたりとも、大投手になってください。



2002年07月04日(木) 今更ながら大学選手権 名指導者へ

 プログラムを開き、東海大の登録メンバーを見て驚いた。「学生コーチ」の欄に天野喜英(19)と記されていた。んん? 「指導者を目指している」とは聞いてはいたが、1年ですでにコーチに転向? 指導者としての歩みを早く始めるのも良いかなという気持ちと、可能性のある限り選手を続けて欲しい思いと、複雑な心境になった。
 東海大の試合終了後、直接話を訊いてみようと思ったが、会うことができず、代わりに筑川に尋ねてみると、「あれはブルペンキャッチャーが足りないから、天野を入れただけですよ」。正直、ホッとした。やっぱり応援している選手には、「選手」として輝いている時間を少しでも長く見ていたいと思う。

 天野喜英。神奈川・桐光学園出身。ポジションは捕手。高校時代は3年春に主将として、甲子園に出場。最後の夏は、決勝で横浜に負け、準優勝に終わった。ちなみに中学時代は相模原市のボーイズリーグに所属。夏の甲子園で優勝した日大三の近藤投手とバッテリーを組み、全国大会でも実績を残した。現在、東海大学の1年生。早くもオープン戦に出場している。捕手としての評価は高い。

 もう時効だと思うので書いてしまうが…、高校進学を決める際、天野は桐光学園を含め、3つの高校を進学先に考えていた。だが、最初に受験した(いわゆるセレクション)高校では、自分の力を発揮することができなかった。その高校は試合形式ではなく、バッティング練習や守備練習で能力を見ようとした。
 天野のボーイズ時代の指導者はこう話す。
「彼の良さは、試合をして、初めて分かる。ゲームを読む力、周りの選手に声を掛け、盛り上げる力。チームをまとめる力。それは、バッティング練習では分からないよ」
 桐光は最初に受験した高校とは違い、試合形式で選抜をした。ゲームをして初めて分かる天野の良さが認められた。

 2年生の夏。天野は3年生の矢野に次ぐ2番手捕手として、準優勝に貢献した。正捕手ではないが、天野は天野なりの仕事を果たした。前の回の打順の関係で、矢野がピッチング練習を受けられないときには、ベンチから飛び出していき、1球1球に大きな声を出しながら、ボールを受けていた。
 天野は2年の春先、体育の授業で柔道をしていたときに、左鎖骨を骨折してしまっていた。ケガが治るまで、ずっと暗い表情をしており、他の選手がトレーニングするのを、じっと見つめていた。ケガが回復に向かうと、それに比例するように笑顔が増えた。
 2番手捕手で臨んだ夏の大会。ひとつひとつの動きに、ケガが治り、野球をできる喜びが私には感じられた。

 3年の夏。決勝で横浜に敗れたあと、涙はあったが、天野はすがすがしい表情をしていた。泣きじゃくる2年生の照沼を、3年の藤崎と一緒に「泣くなよ」と慰めていたのが、印象的だった。
主将で捕手。周りに気を配ることができる良い主将だなと、このとき思った。

「天野は絶対に良い指導者になるよ」。ボーイズ時代の指導者が、そう何度も言っていた。私にも実感できる。打つ、走る、守るという、ひとつひとつのプレーを見たら、同年代で天野よりもうまい選手はたくさんいる。でも、試合が始まると、「走攻守」以外のところで、チームに多大な貢献をする。天野の持っている才能だと思う。

 今はまだ大学1年生。選手として懸命に上を目指して欲しい。でも、いつの日か、指導者としてチームを率いる姿を見てみたい。必ずや、名指導者になると思う。



2002年07月02日(火) 間違いだらけの『ホームラン』・・・(怒)

 高校野球地方大会が開幕に近づくと、書店には「夏の大会展望」を特集した雑誌が並ぶ。私はいつも『ホームラン』『報知高校野球』『地方大会展望号』(ベースボールマガジン社)の3つを購入する。ちなみに、『輝け甲子園の星』はよっぽどのことがない限り買わない(笑)。
 3冊とも、それぞれに面白さがある。けれど私が一番好きなのは『ホームラン』だ。まず、雑誌の見た目が良い。使っている紙が、他の2誌よりも高いのか分からないが、ページがめくりやすい。もちろん、内容も充実している。展望に重点を当てるだけでなく、読み物が多い。今号で言えば、青森山田の新監督・新部長についての特集は、他にはないもので面白かった。

 だが!! この『ホームラン』、あまりにも間違いが多すぎる。『報知高校野球』も『ホームラン』に負けないぐらい間違いが多いが、今号に限れば『ホームラン』があまりにもひどい……(怒)。
 
 というわけで、今日は『ホームラン』の間違い探しをします。いつか、『ホームラン』で書きたいと思ったりもしているので、あまりに書くとデメリットがありそうですが、それでも間違いは間違い! お金を払って買ってるのに、そりゃないでしょ、というのが多いのです。『ホームラン』を購入された方は、手元に置いて、一緒に間違いを赤ペンでチェックしましょう(笑)。

 まずはいきなり4ページ。鹿実・坂下投手と佐賀工・濱田投手の特集記事です。ここで何と、坂下投手の写真のキャプションが「果実の坂下」となっています。最初見たときは目を疑いました。ハイ、言うまでもなく正解は鹿実です。
 次いでは49ページ。千葉県の展望。ダークホースで敬愛学園が取り上げられています。「関東No.1左腕の呼び声が高い浅間啓太」。ん?ん??
浅間投手の名前は、浅間敬太です。頼むよ『ホームラン』!

 今度は59ページ。「2002年の主な高校生ドラフト候補」という表が一覧で出ているのですが、何と!! フルネームではなく、名前だけの選手がふたりいるのです。横浜商の小林投手と、横浜の山木投手です。他の選手はフルネームなのに、彼らふたりは苗字がない……。どうしたの? こんな段階で入稿して良いのかな??
 ついでにこの表でもうひとつ。外野手で東海大相模の坂下選手が載っていますが、名前が「坂下真大」となっています。坂下選手の名前は「真大」ではなく「真太」です。点が足りません……。

 まだまだありますよ〜。次は68ページ。東東京の展望です。帝京の「左腕」投手が写真入りで出ているのですが、キャプションを見ると、「関東大会で大活躍をみせた帝京の高市投手」とあります。あれれ? 高市投手はいつから左投げになったんだ? 高市投手は右投げです。
 同じネタでもうひとつ。77ページに愛知の展望記事があるのですが、ここに中京大中京の左腕エース中根投手の写真があります。でも、キャプションを読むと「愛知No.1左腕の実力を持つ中京大中京のエース深町」。ちょっと! 深町は右投げだって! この記事を中根投手が読んだらどう思うんでしょうか……。

 で、間髪いれずに次ぎは70ページ。私の愛する神奈川県の展望です。応援する桐光はどんな評価なのか……、ダークホースという扱いでした。まぁ、それはいいです。結果とは一切関係ありませんから。でもでも、よくみると……、「桐光学園」ではなく「桐光学院」となっているじゃないですか! 学校名を間違えるなんて……(涙)。
 ついでに、73ページ。新潟の展望記事で、写真のキャプションに「新潟名訓」とありますが、正しくは「新潟明訓」です。 
 112ページにも、同じようなものがあります。春季大会の記録を扱ったものですが、東北大会、青森代表の「八戸工大一」が「江戸工大一」と表記されています。ん? 東京の下町代表ですか?? なかなか面白い校名です。

 と、軽く流し読みしただけで、これだけの間違いが目につきました。『ホームラン』は数少ない高校野球の専門雑誌として、人気を得ているだけに、ちょっとがっかりです。だって、ちょっと高校野球に携わっている人が見たら、すぐに間違いを発見できしてしまうレベルですよ。

 間違いも見ていると、写真のキャプションや、記録、表での間違いが目立っています。あまり高校野球に詳しくない方が、担当しているんでしょうね。それで、良いんですか? 

 というわけで、時給900円で私を雇ってください。文章の校正は出来ませんが、校名や選手名のチェックはできます。連絡お待ちしております(笑)。


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