みのるの「野球日記」
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2002年01月31日(木) 去年の1月31日

 あと、数時間で第74回選抜高校野球の出場32校が決まる。私の地元神奈川からは、出場の可能性がある学校がゼロ。10数年ぶりのことだ。桐蔭学園も平塚学園も関東大会の初戦で散った。
 選考に関して、興味があるのは東京大会準優勝の二松学舎大付属が選ばれるか。辺土名が、沖縄県2年連続の21世紀枠に選出されるか。この2点だけ。やはり、神奈川をこよなく愛する私としては、地元が絡んでいない選考には寂しさがある・・・。昨年は違ったので、なおさら落差を感じる。

 2001年1月31日。午後3時頃、私は桐光学園に向かっていた。前年の夏からずっと注目してきた学校であり、何人か顔見知りの選手もいた。選考の重要資料となる秋季大会では、初戦で拓大紅陵(千葉)を5−1で下したものの、準々決勝では水戸商業(茨城)に3−4で惜敗。選抜出場には微妙な位置にいた。
 例年、関東地区には5校の出場枠がある。それを考えると、ベスト4までは確定。残りの1枠を準々決勝で敗れた学校で争うと見られた。出場校を予想する雑誌、新聞では、「桐光学園は5番目のイスを確保」と書かれた記事が多く見受けられた。「負けた相手の水戸商が準優勝したこと」「準々決勝で負けたチームの中で試合内容が一番良かったこと」「激戦の神奈川で優勝していること」。以上の3点がその理由だった。

 選考の日が近付くにつれ、部員はそわそわしていた。「みんなで雑誌を読んで、選ばれるかどうか予想してるんですよ。大丈夫ですかね?」とある部員は言っていた。「大丈夫だよ、大丈夫!絶対、選ばれる!」と私は根拠のない自信で答えた。いや、ほんの小さな根拠はあったかもしれない。
 その頃、私は選抜を主催する毎日新聞社でアルバイトをしていたため、運動部の方の話(雑談)を盗み聞き(?)できる場所にいたのだ。盗み聞きというより、単刀直入に「桐光はどうですかね?」と聞いたこともあった。もちろん、答えた方は選考委員ではないので、「選ばれる」と言おうが、単なる個人的意見にすぎない。でも、「桐光?普通に考えたら大丈夫じゃない」と言ってくれた。心強い意見だった。

 選考日。当日の朝、どうしても桐光学園に行きたくなった。新聞よりもネットよりも誰よりも早く、「選抜出場決定!」を知りたい。選手の喜ぶ姿を目にしたい。そんな気持ちだった。
 グラウンドに行けば、一般の生徒だっているだろう。それに報道陣も来てるから、部外者の私がいても、変な目で見られることはないだろうと思い、学校に向かった。

 学校に入ると、壁に張られた紙に目が行った。『報道受付はこちらです』。「報道受付? そんなのあるのか。自分もスポーツライターと名乗ってしまえば大丈夫か?」不安と取材をしたいという思いが交錯した。でも、せっかく学校まで来たのだから・・・。『スポーツライター』と書かれた名刺を手に、報道受付に向かった。 

「こんにちわ。今日、桐光学園の取材に来たのですが・・・」「あ、ではコチラに名前を書いてもらえますか」何てことはない、意外にもあっさりと取材させてもらえた。でも、名前を記入する横には所属を書く欄も。「NHK」「スポニチ」「日刊スポーツ」どれも大メディアばかりだった。この時はさすがに、「スポーツライター」と書く自分がまだ恥ずかしかった。

 通された部屋は校長室。すでに報道陣で埋まっていた。校長先生はすでにイスに座り、準備は万端。吉報が来るのを待った。
 午後4時すぎ、職員の方が校長室に走ってきた。「出場決まりました!電話来ました!今からそちらに電話回します」報道陣は一斉にカメラを構えた。
 ここからは、テレビで良く観る光景。「トゥルルル、トゥルルル」2コールぐらい待つのが演出。受話器を取る。カメラのフラッシュ。「ありがとうございます。喜んでお受けいたします」。めでたく、桐光学園の甲子園初出場が決まった。
 校長の喜びの声を聞くと、報道陣は携帯を掛け始めた。「桐光学園決まりました。校長のコメントは〜」私はその光景を、なぜか楽しく眺めていた。

 しばらくすると、監督と主将が校長室に入ってきた。共同記者会見のためだ。けれど、記者会見が始まっても報道陣からの質問がほとんど飛ばない。「こういうものなのかな。もっと色んなこと聞きたかったのに」と内心思った。自分で質問する勇気もなかった。
 共同記者会見が終わると、報道陣は監督、選手を囲んだ。「あ、なるほど、ここで個別に質問するのか」。私もノートを片手に監督の側に寄った。ひとり離れ、ふたり離れ、ついには監督と報道陣3人(もちろん私も含め)になった。「やっと、取材のチャンスがきた!」と私は今まで桐光学園を見続けてきた知識(?)を生かして、聞きたいことを思う存分訊いたのだった。
 

 その後、ラグビーの共同記者会見に何度がでることがあった。何度も出ると、分かることがある。質問する人が決まっているのだ。そして、座る席も大体決まっている。初めて、共同記者会見に出たとき、一番前の席が空いていたので、思わず座ってしまった。思わずというか、そのときは「当たり前のように」だったかもしれない。今から考えると、「何だ!あの若造は!」と見られていたことは間違いない。今では会見場の後ろに立つようにしている(笑)。


 現在、午後1時半。出場選考を待ち、ドキドキしている部員、監督、関係者の方がたくさんいることだろう。去年の桐光学園の選考を待つようなドキドキ感が、今年の私にはないことが、ちょっぴり悲しい・・・。



2002年01月24日(木) 1986年 ストライクゾーン変わる

 1986年。私はまだ8歳。小学校2年か3年。当時も大の西武ファンだった。西武の勝敗に一喜一憂していたのは、今と変わらない。小学生のくせに、新聞のスポーツ欄だけは生意気に読んでいた記憶がある。

 86年1月10日。ストライクゾーンの変更が決まった。翌日の朝日新聞には「でも高めは取りません!? ルールと運用遊離」と見出しをつけ、ストライクゾーン変更を報じている。
 私はこの報道に関する記憶が全くない。小学校低学年だから、しょうがないのかもしれない。が、野球少年だった身としてはちょっと悔しい。上司に当時の話を訊くと、「大きなニュースだったよ」と言う。縮刷版で調べてみると、その言葉がウソではないことを実感できる。今と同じぐらいの扱いだった。

「低目が広がった」というのが86年のストライクゾーン変更。かつて日本野球には「ストライクゾーンの高低に関してだけ、ボールの全部が、打者がそれぞれ固有の打撃姿勢をとったときのわきの下からひざ頭の上部までの間を通過したものとする」と、独自の規定があった。この規定を撤廃することを決めた。つまりストライクゾーンをボールの一部でも通過すれば、ストライクになる。もちろん、高めも低めも。規則通りなら、高めも広がるはずだったのだ。

 86年1月13日、朝日新聞には「低めだけ一個広げる 実際運用でセパ審判」という記事がある。要約すると、
「上下にボール一個分広げるという規則の改訂が決まったが、実際の運用では上限は従来通りとして、低めだけを一個広げることにする。なぜなら、上下を一度に広げることには審判員が対応できない。実際には高めをとらない米大リーグのストライクゾーンとも離れることになるため」 


 低めを広げてから16年がたった。86年にはストライクゾーン拡大のおかげで、セパの平均試合時間が3時間を切った。でも、効果は年々薄れてきた。ストライクゾーンが従来通りに戻ってしまったのだ。年が経つごとに狭くなった気もする。
 今年のプロ野球、ストライクゾーンの変更は徹底されるだろうか。「高低を同時に広げることは難しいから」と運用を先送りされた、「高めのストライクゾーン」。2月1日のキャンプ開幕から、マスコミを賑わしてくれそうだ。



2002年01月20日(日) こうなったのはいつから?(誰か教えて下さい)

 ラグビーシーズンも大詰めを迎えた。今年は例年以上にラグビー場に足を運んだ。「ラグビーって迫力があってすごい!」と昨年まで、一ファンとして観戦していたが、今年は選手のコメントを訊ける立場になって、少し変わった。 
 ほぼ毎試合、選手から同じ趣旨のコメントが出てくる。「レフリングが合わなくて・・・」「レフリーとの解釈の違いがあって・・・」。私はラグビー経験者ではないので、ラックやモールでの細かいルールは全く分からない。でも、両者にとって納得のいくレフリングだったかは、ジャッジを下されたあとの選手の表情を見れば、すぐに分かる。
 
 どうして、ルールブックがあるのに、レフリーによって解釈が違うのだろうと思う。ラグビー好きの友人に訊くと、「ラグビーのレフリングは難しいから、しょうがない」と言う。私は納得がいかないけど・・・。でも尋ねたあと、友人に即座に言い返された。「だって、野球のストライクゾーンだって曖昧でしょう。審判によって違うじゃん」

 大の野球きちがいとしては認めたくないが、その通り。反論の余地がない。プロの選手が「審判のストライクゾーンのクセを見抜くのも、ワザのひとつ」とよく話すが、「審判のクセ」って何? と思ってしまう。ルールブックにはしっかりと、ストライクゾーンが明記されているのに・・・。
 これがアマチュアの審判だったら、一試合2000円ぐらいの薄給で、試合運営に携わってくださるのだから、「日給低いけど、ガンバレ!」なんて思ってしまう。でも、プロ野球を裁くのはプロの審判。試合を裁くことが、仕事になっているのだから、クセの範囲を少なくして欲しいと思う。

 さて先日、ストライクゾーンがルールブック通りに見直されることが、両リーグで決まった。私は高めのストライクゾーンが広がったことよりも、どうしてこうなってしまったのかに興味が湧いた。どうして、ルールブックを無視したジャッジになってしまったのか。
 審判講習会に参加した阪神・田淵コーチが「われわれのときは、胸のあたりの高さは、ストライクだった」と話していたそうだが、当時はルールブックにそってジャッジが行なわれていたということだろうか。いつから高目を取らなくなったのか。(どなたかご存知の方、是非教えて下さい!)

 
 ラグビーは、今シーズンから適用されたルールがいくつかあった。一番試合に影響したのが、「ノット・リリース・ザ・ボール」の判定。詳しくは分からないが、試合を見ている限り昨シーズンまでと比べ、格段に厳しくなった。特定のレフリーだけでなく、全てのレフリーがほぼ同じような厳しさで笛を吹いていた。

 野球界はどうだろう。オープン戦開幕まで約1ヶ月。コミッショナーから通達されたストライクゾーンを、全員が厳格にジャッジ出来るのだろうか。




2002年01月16日(水) ネットで見るプロ野球

昨年の4月、スカパーに加入した。巨人戦以外のプロ野球中継が見たかったからだ。大の西武ファンである私としては、「西武戦が140試合見れる!!」と大喜びだった。けれど、幸か不幸か、仕事が決まってしまった。それまではプー太郎で、夜はナイターを見るためにTVの前に陣取っていたのに、それが出来なくなった。仕事が始まると、帰宅は23時過ぎが当たり前。せっかくのスカパーは、土・日しか役に立たなくなってしまった・・・。

 そんなとき、文化放送と西武球団が組み、「試合の動画配信サービスを行っている」という情報をネットで見つけた。早速、HPにアクセスしてみると、これがビックリ! セイブドームで行なわれるほぼ全試合を動画で流し、イヤホンをつければ文化放送の実況も聴ける。しかも、無料で利用できるのだ。
 このサービスを知って以来、ホームゲームの試合が楽しみになった。たまに、回線の混雑からか、プツリと切れてしまうことはあるものの、そんなことは余裕で我慢できる。仕事場でTVを見ていたら怒られそうだが、目の前にあるのは一応パソコン。仕事をしてるふりを見せながら、大好きな西武戦が見れるのだ。 
 他球団(阪神だったかな?)で動画中継の有料サービスをしているのケースはあるが、無料で行っているのは西武だけだという。今シーズンはどんな形になるかまだ分からないが、是非とも無料放送を続けて欲しい。(月数百円程度なら、払っても良いけど。それならスカパーよりは安い!)

 他のチームも、動画配信に動きだしている。15日のトーチュウには、「世界へネット配信。中日新聞社、CBC、東海テレビが協力し、ドラゴンズのホームゲームの試合をダイジェスト版で動画配信する」という記事が載っていた。試合中継ではなく、ダイジェストということだが、ファンにとって嬉しいことは間違いないはずだ。

 ただ、試合中継も含め動画配信について、球団側としては難しい問題だという。ネットで試合を見ることが可能になると、球場に足を運ぶファンが減ってしまうことを心配しているそうだ。西武も一昨年、「地元局のテレビ埼玉で放送する西武戦の試合数を減らす」と発表していた。言うまでもなく、球場に足を運んで欲しいという球団側の思いだ。
 この結果が、観客動員にどのように反映したかは分からないが、随分保守的な考えだと感じた。テレビ中継があっても、ライブで見たいファンはいくらでもいる。テレビで見て、「こういう野球なら生で見たい!」と思うファンも多いと思う。甲子園の高校野球も、東京ドームの巨人戦も、毎試合テレビ放送をしているが、たくさんの観客が集まっている。選手が良いプレーをして、スリリングな試合をしていれば、ネットやテレビで試合を中継したからといって、球場に行くファンが減るとは思えない。

 今シーズン開幕まで、あと2ヶ月半。仕事をしながら、ネットで西武戦を見ることが、今から待ち遠しい。



2002年01月12日(土) 大学ラグビーを見ながら思う・・・

先日、図書館で1980年頃の新聞縮刷版をめくっていた。ふと、TV欄に目をやると、今では考えられないような番組があった。私の地元である神奈川の神奈川テレビ(TVK)で、六大学野球を生中継していたのだ。注目を集める早慶戦だけではない。立教も東大も、ほぼ全ての試合を放送していた。試合開始の12時から、試合終了の目安となる17時頃まで、TV欄は「六大学野球中継」で埋まっていた。
 このことを40代の男性に話すと、「え、知らなかったの?」と言われてしまった。当時は江川卓、山本浩二など六大学にヒーローがいた。スポーツ欄を見ても、今のプロ野球と同じぐらいの大きさで扱っていたという。
 今、大学野球でTV中継といえば、早慶戦と全日本選手権、明治神宮大会の決勝だけ。しかも数年前までライブで放送していた決勝も、今や深夜の録画放送になっている。球場も寂しい限りだ。伝統の早慶戦でさえ、満員になることはない。
 
 今日、大学ラグビー決勝を見ていて、久々に胸が熱くなった。仕事を忘れて、試合に熱中していた。早稲田と関東学院、それぞれの優勝に懸ける想いが伝わってきた。そして、国立は4万5千人の観客で埋まり、NHKは当然のように生中継をしていた。野球ファンである私としては、うらやましかった。



2002年01月05日(土) 伝統校の力・・・

 3日ほど前の話しになるが1月2日、国立競技場に大学ラグビーの準決勝を見に行った。対戦カードは早稲田大ー慶応大、関東学院大ー法政大。それぞれ、対抗戦グループ、リーグ戦グループの1、2位同士の対戦。最終的に点差は開いたが、随所に見応えのある面白い試合だった。

 早稲田ー慶応。言わずと知れた早慶戦(慶早戦?)。伝統の一戦は、ゴール裏に多少の空席は見られたものの、メイン・バックスタンドはともに超満員。協会発表によれば5万人の観客が訪れたそうだ。
 私はメインスタンドの最上段から観戦したが、S席ということもあり、周りにはご年配の方々が多く見られた。おそらく、早稲田、慶応OBだと思う。ひとつひとつのプレーに歓声を上げ、時には溜息を漏らし、試合を楽しんでいた。

 早稲田大といえば、付属の早稲田実業の試合を神宮第二球場で観戦したとき、私は応援の多さに驚いた。見事に統率のとれた応援スタイルにも驚かされた。年配の方もラグビーと同じように多く訪れていた。「伝統校はすごい。うらやましいな」と私は感じた。


 大学ラグビーに話しを戻す。早慶戦が終わると、私は仕事があったので第二試合の途中まで席を離れた。戻ってきたのは前半30分過ぎ。関東学院ー法政はクロスゲームを展開していた。けれども、周りに早慶戦のような熱気は全くない。満員に膨れ上がっていたバックスタンドは、それがウソのように空席が目立っていた。空席には、観客が残したゴミに食いつくカラスの姿まであった。
 空を見渡す。今にも雨が落ちてきそうな、どんよりとした曇り空だった(NHKの中継では雪がちらついていたらしい)。寒さも応えた。私も身震いをしながら第2試合を観戦した。第1試合と比べ、天候が悪化したことは間違いない。でも・・・。

 試合後、関東学院大の春口監督は「第2試合でスタンドがガラガラになってしまったこと、カラスの溜まり場になってしまったことを、今後どう改善していくべきが真剣に考えなければいけないと思う」と話していた。この試合が復帰戦となったSO今村は早稲田との決勝戦について「ウチにとって、完全なアウェーになるのは間違いないでしょうね」と呟いた。

 早稲田大の清宮監督は記者会見のあと、出席していたマスコミに向かってお願いをした。「1月12日の決勝戦を、満員にして欲しい。マスコミのみなさんの協力をお願いしたいです」と真顔で話していた。

 今季復活を遂げた早稲田大と王者・関東学院大。私は少なくとも5万人の観客は集まると思う。でもそれは早稲田大の人気、伝統によるところが多いのは明らかだ。昨年の決勝は、早稲田、慶応、明治という人気校が揃って敗れ、関東学院大ー法政大というカードになった。国立には空席が目立った・・・。

 伝統校の力は、野球にも通ずる。裏を返せば、新鋭校はいつまでたっても新鋭校として見られる。私の住む神奈川は特にそうだ。横浜、東海大相模、桐蔭学園、法政二、横浜商・・・。伝統校の人気は衰えることはない。
 昨季の秋季大会は平塚学園が初優勝を遂げた。春のセンバツでは、桐光学園が初出場を果たした。二校とも新鋭校という言葉がぴたりとはまる。これからの神奈川高校野球界を引っ張っていく存在でもある。
 けれども、神奈川の高校野球を扱うHPでは、「フロックでの優勝だ」「まだ実績がない」など、素直にその力を認める流れは少ない。

 春口監督は言う。「国立で早稲田と決勝を戦えるなんて、夢のような舞台です」監督は何年も前から「ウチには早稲田、慶応、明治のもつ伝統の力はない。だから、これから何年も勝ちつづけて、ファンに認めてもらって、関東学院大学の伝統を作っていきたい」と話している。

 大学ラグビーの決勝は1月12日。今村選手の言う通り、大勢の早稲田ファンで国立は埋まると思う。
 私は早稲田も関東学院も大好きだ。家には早稲田のフラッグが飾られているほどだ。関東学院もキャンパスが私の地元に位置していることもあり、応援している。どちらにも決勝戦にふさわしい好ゲームをして欲しい。そして、早稲田に負けないぐらい大勢の関東学院ファンが集まることを願う。



2002年01月01日(火) 新年の誓い

 起床してすぐ、身体が痛かった。新年早々、全身が筋肉痛に襲われていた。大晦日に横浜のバッティングセンターで、気合いを入れて打ちまくり、ストッラクアウトでも運動不足の身体をいじめたツケが、元旦にやってきた。
 ここ3、4年ほど、バッティングセンターに行ったあと、4.5日は筋肉痛に苦しんでいる。当然のことながら、野球部に入っていた頃は全く有り得なかったことだ。部活を辞め、大学でもサークルを辞めてからは、これといった運動をしていない。

 筋肉痛は腕、太腿はもちろんのこと、一番ダメージを受けているのがなぜか腹筋だ。一緒に行った連れは、全身筋肉痛と言うが、腹筋は何ともないと・・・。変な打ち方をしていたのだろうか? いや、でもまぐれながらホームランを1本打った。ストラックアウトで、腹筋を痛めたのだろうか・・・?
 腹筋を筋肉痛に襲われると、いつも筑川の取材でお世話になった整体師との会話を思い出す。整体師は、訪れる野球選手全員に、3分間ほどのV字腹筋を課していた。ちゃんとこなしていたのは、筑川ぐらいだったが・・・。私も「どれぐらいきついか、体験しろ!」と言われ、やってみたが、20秒ぐらいで身体がピクピクと震えてきたのを覚えている。
 「野球に腹筋って大切なんですか?」と私は野暮な質問を投げかけた。正直、腕力と下半身の安定があれば、充分だと思っていたからだ。けれど、それを繋げるのが腹筋の力。バランスを保つのが腹筋の力。そして、ピッチャーが投球に入る際、(右投手なら)左ヒザを高く上げるには、腹筋の力が必要だという。その力がなければ、ヒザを胸に近づけても、身体のバランスが崩れてしまうらしい。
 加えて、腹筋を鍛えることは、腹痛に耐えられる身体を作るという。お腹が人一倍弱い私は、整体師に「腹筋鍛えれば、お腹が弱いのも治りますかね?」と聞くと、「治るよ」と即答されたのだ。

 こんな話しを聞いたの99年の夏頃。気合いを入れてV字腹筋などのトレーニン始めたのが、その年の冬だった(夏にやるのは暑い・・・)。でも、気が付いたらトレーニングは自主的に卒業していた。仕事が忙しくなり、季節も暑くなり、お得意のサボリ病が始まってしまったのだ。

 私は新年に誓う。とりあえず今年は、バッティングセンターに行った翌日でも、筋肉痛にならない身体を作ろう。筑川のトレーニングをずっと見ていたせいで、そのトレーニング方法だけは頭に入っている。まぁ、同じ回数をこなせば(こなせるわけないが)、10日ぐらい動けなくなりそうなので、ボチボチとのんびり、身体を鍛えていこう。
 以上、新年の誓いでした。でもその前に、筋肉痛が治らないとトレーニングもできないんですけどね(笑)。



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