sakuraの日記
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2004年01月15日(木) 信仰心

私にはキリスト教系のクリスチャンの友人、知人が何人かいる。

その信仰心の深さには感動する事、しきりだ。

神を待つという事において。

私はかなりせっかちかも知れない。

神がどこにおられるのか?

結局のところ、私たちは知らない。

神の方が私達の事をなんでもご存知なのだ。

神は見ておられる。

どこにおられるか?なんて探す必要なんてない。

どこかで、必ず見ておられるんだもの。

神から見て恥じない生き方って、是認される生き方って、

私が子どもの頃から、考え続けてきた事だった。

そして、考えの行きついた先が、JWになる事だった。

でも、私はまだ、模索している、

神の目に適う生き方ってなんなのか?

ほんとうに、JWとしてがむしゃらに活動する事こそがすべてとも思えないでいる。

だから、こんなにも、まだ、私は中途半端だ。

ぬるま湯はいけないと、そう言われてきたけど、

熱湯に浸かるのも冷水に浸かるのも無理。

体温に近い温度が一番、生き易いと思う。

それって、まさしくぬるま湯だ。

神の道は生きにくい道でなければならないのだろうか?

神は愛。

創造物である、人間が楽しく、幸福を感じて生きている事を望まれないだろうか?

私の生き方は・・・というほど、たいした生き方をしているわけじゃないけど、

でも、まっとうには生きて行きたい。

JWとして、というより、神が創造して下さった目的に沿って生きて行きたいとは

思っていても、わからない。

結局、人間の考えが入っているじゃないか。と思う事がある。

教えられる事、ほんとに神のご意志を完全に反映したものかどうか。

そうかも、しれないし、そうじゃないかもしれない。

だから、私はまだ、わからないんです。


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