sakuraの日記
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ついに、売り場が8階催し物売り場へ移動し、
売り場面積350坪、レジが15台になったって!!(@_@)
しかも、それでも、人・人・人。
テレビで見たけど、この売り場だけ見ると、
不況なんて思えないね。
今日、十字屋でCDの試聴をしました。
4月に病気でなくなった、先生の最後のCDの試聴コーナーもありました。
最後の最後に、亡くなる一月前に自宅で録音された子供のための小品集。
聞きながら、涙が出そうになった。
とても、もう、食べる事も出来ず、ほとんど寝たままの状態で多くの時間を
過ごしていた体力で奏でたものとは思えなかったから。。。
とても、優しく、暖かな、幸福に満ちた透き通った音だった。
もう、死が間近に迫っていたのに、どうして?
どうして、こんなに無垢な美しい音が出せるんだろう。
私は直接教えを請うチャンスは逃してしまっていたけど、
小学生の頃から、好きで憧れていた。
間近にいながら、私って不甲斐ないんだよね。今さら言うのもなんだけど・・・
失ってみて改めて、悔いを残していた事に気付く。
亡くなっても、こんなに惜しまれて、それに生きていた証も遺して、
素敵な思い出を残してくれた。
私がもし、今、死んだら、何が残るだろう。。。
きっと、何も残らない。
私の生きた証ってなんだろう。
もう、こんな、いいお年のオバサンになってるというのに、
私は何ひとつとして、これといったものを残していない事に気付く(@_@)
情け無い。。。
あぁ、私、まだまだ、だなぁ。
奥手にも程がある(-_-;)
年だけとったからって、大人になれるわけじゃない。
私はまだ、ことなだ。
先生程のものは遺せなくても、
sakuraちゃんって、素敵だったね、って言われるような何かを
私も残したい。
いったい、何が遺せるかな。。。
まだ、何も成功させていない私が・・・
お盆には、仏壇の前にいろんなお供え物をする。
特に、面白いなぁ〜と思ったのは、お精進。
赤いおままごとのような小さなお膳に、精進料理を盛り付けて、供えます。
それは、私の子どもの頃から、母がしてきたこと。
当たり前なんだけど、お供え物はみんな食ベられる物ばかりだったので、
子どもの私はてっきり、人間が寝ている間に、仏さんが食べるんだと思って、
翌日、わくわくして、お供え物を見に行ったものだった。
でも、供えたまんまの、そのまんま。
せっかく、母が美味しいものを、いっぱい供えて、お膳だって、
私が食べたいくらいに小さくて可愛いのにーと思って腹が立った。
まぁ、実際には、このお精進は味付けがほとんどなくて、
美味しくはなかったらしいのだけど・・・
お供え物を食べると思っていた私には、そうめんを束のまま供えるのが
また、不思議だった。
仏さんて、そうめん、湯がかずにそのまま食べるんかな?
ほんまに私はあほやった(~_~;)
でも、食べてないのは、きっと誰かが見てたからなんだ。と
それくらいに思ってたけど、決して食べられる事は無かった。
あ〜、仏さんなんて、いないんだなぁ〜
こんなにお母さん、一生懸命お供えしてるのに、意味ないんだなぁ〜と
なんか、悲しかったなぁ〜
それでも、今年もやはり、お盆のお供えをする。
そして、毎年、母にこの話しをする。
母もいいかげん、なんかこれに意味あるんだろうか?と思ってるみたい(^_-)
だんだん、年をとってきて、そろそろ、誰かに伝授しておきたいそうだけど、
お盆だと言っても、誰も帰っても来ないし、私に覚えといて、なんて言う。
そりゃ、言う相手が違うだろ〜
なんだかんだ言っても、母が供える物の調達をしてるのは、この私。
私がエホバだから気にいらないの、なんのと言っても、誰も仏壇に関係した事
なんて、やってへんやんっ。
私だけだよ〜 母に変わって、お花もおもちも、はすの葉っぱも、買いに行ってる
でしょ〜〜
お墓参りにだって、付き添ってるし。。。
文句言う相手、間違ってない?
だいたい、信仰に関係している、墓参とか、お盆の飾りとか、そんなの強制されて
するもんとちゃうんとちゃう?
したい人がすればいいのよ。
で、あんた死んだら、どうすんの?お墓には入らへんのやろ?って!
私が死んだら、そんなもん知るか〜
私は死んでるんやから、そん時ほ、もう、どうにでもしてくれ〜
私の身体は生きてる間だけが私のもんや。
死んだら、もう、勝手にして下さい。
家には、私と信仰を共にする家族もいないんだし。
好きにやってくださ〜い。
でも、なんで、母が私が死んだ時の、心配するんや!
2003年08月02日(土) |
JWになる前の方が・・・ |
ずっと、神を恐れていたように思う。
今の私は・・・なんなんだろう。
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