sakuraの日記
DiaryINDEXpastwill


2003年05月23日(金) オケピ!

昼間だというのに、客席は超満員。

私はとってもいい席で、ミュージカルを堪能。

あぁ〜天海祐希、美し過ぎるわ・・・

同性でも、見とれてしまうような美しさ、周りの男性を圧倒する存在感。

布施明の歌は、詩情に溢れていて、とても良かった。

ん〜、ぜんっぴんだー

二回見ても良かったかもな〜と思った。


2003年05月22日(木) 追悼記事

I先生の追悼記事が新聞に載った。

読んでいて、涙が出た。

もっと、長生きして欲しかった。

悲しくて、悲しくて、止めどなく涙がこぼれた。

あぁ、もうあの飛ぶように、軽やかに歩く、あの姿を見ることは

ないんだなぁと・・・

こんな別れを何回経験しただろう。。。

そして、これから、何度、経験するのだろう。。。


2003年05月18日(日) 祭り

祭りの山車が街を練り歩く。

裃を身につけた人、はっぴを着て、ふんどし姿で山車を引く人、

声を上げる人。

小学生の時、町内の神社の祭りの日は、短縮授業になって、

男子が得意げに祭囃子に参加していたっけ。

あの笛の音は結構、すきだな〜

神社の鼓笛隊は、男子しか参加出来ない。

私の兄もかつて参加した事がある。

その横笛を私も家で吹いていたけど、

女の私には出番はなかったっけ。

お稚児さんなんかより、鼓笛隊の方に私は魅力を感じていたのにね。

神社の境内に出店が出ていた。

通りも出店で賑わっていた。

なんだか、とても懐かしい気持ちになった。


2003年05月17日(土) 初給料

初給料をもらったので、と手紙とプレゼントを貰った。

母親の気持ちって、こんな感じかな?と思った。

独身でも、子をもっていなくても、こんな事があるんだなぁ〜と

ほのぼのと、とてもあたたかな気持ちになった。


2003年05月15日(木) アリシア・デ・ラローチャ

スペインを代表する、女流ピアニスト79歳。

もう今回のツアーで演奏旅行を引退するそうだ。

私は20年程前、従兄弟に誘われて、姉と三人で彼女の演奏会へ行った。

確か、演目は、ラヴェル、グラナドス、アルベニスなどだったと思う。

私には、初めて聴く曲ばかりで、当時はあまり関心を持って聞いたわけでは

無かったはずだけど、ラヴェルの「夜のギャスパール」は良かったなぁ〜

お国もののグラナドス、アルベニスははじめて聞く曲ばかりだったけど、

独特のリズムに酔いしれたなぁ〜

帰りに、従兄弟がレコードを買ってくれた。

後に、私はCDでもう一度同じアルバムを買いなおしたのだけど、

ずーっと好きだった。

ファリャの「恋は魔術師」「三角帽子」「アンダルシア奇想曲?」とか

よく枕元で聞きながら、眠ったりしたなぁ。

あぁ〜、もうそんなに長い歳月が流れたんだなぁ。

最後の演奏会、もう関西は終わってるし、後は、関東方面と沖縄だけだし。

惜しい事した(T_T)

もっと、早くに気がつけば良かった(-_-;)

最近、私、こんなんばっかし。。。(-.-)


2003年05月04日(日) 思ひ出

大学時代の看板教授が亡くなった事が新聞に出ていた。

思えば、I先生に習えるかも!とほのかな期待を持って入学したのだったが、

I先生に直接教えてもらえるのは、2番までの生徒だけ。

後は、卒業学年で、クラス授業があるだけだった。

本番に弱い私が、学年上位など狙えるわけも無く。

傍にいながらも、雲の上の先生だった。

小学生の時から、NHKの番組を欠かさず見て、ずっと憧れていた。

むろん、私の同級生たちも同じ思い出を持っているに違いない。

中3の頃、地元の文化センターで、公開講座が行われた時、勇んで行った。

その公開講座での、課題は私が既に学んだものだったので、尚更興味深いものに

なっていた。

ふいに、I先生は会場に向かって、「この課題を出来る人いますか?」と言った。

私は心臓が凍りつくように緊張して、手を挙げる事が出来なかった。

会場には数名の子どもたたちが手を挙げた。

私より、はるかに小さな子が指名を受け、舞台に上って、披露した。

これは、まったくのぶっつけだったのだが、その子はお世辞にも上手とは

言えなかった。

あの時、どうして、手を挙げる勇気が出さなかったのか。

今でも、後悔の念は尽きない。

もし、私があの壇上に上っていれば、私の人生すら、違うものになっていたのかも

しれない。

憧れの先生と身近に接するの事の出来た、最初で最後のチャンスだったのに・・・

肝心のところで、尻込みしてしまう、私の悪いところだ。

あぁ、でも、もう、I先生はもう、この世にはいない。

もう、記憶のだけ。そして、I先生の残してくれた、本とビデオとCD。

私は、もう、いくつ大切なものを失っただろう。

先生は私の事など、知らない。

私もI先生に知ってもらえる存在になりたかったなぁ〜

いつも、飄々としていて、飛ぶように歩く独特の歩き方。

いつも若くて、年なんてちっとも感じなかった。

4年次のクラス授業でも、情熱的な語り口に釘付けだった。

私だけが、I先生の質問に答えられた事、今でも私の大切な思い出です。

あの時、私だけが、先生と共有出来た、その事がとても嬉しかった。

I先生、今度会えた時は、私に教えてくれますか?




2003年05月01日(木) メーデー

今日は道路が混んでて、賑やかだなぁと思っていたら、

メーデーのデモ行進だった。

すごくなが〜い、市職員の組合や教職員組合、福祉関係、医療関係の

公的機関の組合員たちだった。

そーいえば、私はデモはしたことなかったなぁ。

私が学生の時は、もう学生運動は下火になりかけていたけど、

知り合いの大学生がデモ行進するのを見に行ったりしてたっけ?

共産主義の話しや、環境問題など、まだ、温室育ちの私がそれほど、

思想や時事問題に精通してなかった頃で、自分がデモをする理由や

目的をはっきり認知していなかったから、参加はしていなかったけど、

今思えば、一度くらい、やってみたかったなぁ〜 (ちょっと、不謹慎?)


sakura |MAIL